ダイバーの堕落日和

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梗 概

ダイバーの堕落日和

堕落日和の今日、あるダイバーが飛び込み台に登楼した。
周囲には純黒の空間が広がり、ダイバーもコートや帽子やマフラーで全身を黒で覆い隠している。
ダイバーは堕落した。
堕落は宇宙の誕生から終焉までをスカイダイビングのように落下で体感できる娯楽。そしてその上質な刺激や快楽に日々魅了され続ける者達のことをダイバーと呼ぶ。
そんな堕落した日常に不具合は釘を刺した。

ダイバーは全速力で地面に叩きつけられた。怪我はなかった。
だがそこは本来の落下地点、宇宙の終焉ではなかった。落下が途中で止まり、気付けば宇宙の途中の時代の世界の夜街にいた。
こうした不具合は稀に起こり、遭遇した場合、時間停止の原因を突き止めて改善することで堕落が再開する。
調査の結果この時代だけ時間がターン制で動いていることが判明。原因は一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーという人物だった。だが接触を試みるも〈時間をターン制にする能力〉を発動されて逃げられてしまう。
その後今度は関わるだけ時間の無駄なおっさんという人物と出会う。事情を話すと渡されたのは携帯電話。何でもおっさんには〈関わった対象をターン制から解放する能力〉があり、それは通話でも有効らしい。
捜索を再開させると警察に追われているプレイヤーを発見。成り行きでダイバーも巻き込まれ、2人は警察に追い詰められる。
その時、プレイヤーは次のプレイヤーと入れ替わった。次のプレイヤーはダイバーと共に警察を撒き、おっさんと合流した。
そしてダイバーは再び堕落した。

ダイバーは全速力で地面に叩きつけられた。怪我はなかった。
だがその純黒の空間は宇宙の終焉から89ターン前だった。更に携帯電話には89件の新着メールが。
ダイバーがその内の1件を閲覧すると1ターン進み、次のプレイヤーと入れ替わった。
次のプレイヤーも同様の操作を行うと1ターン進み、おっさんと入れ替わった。
おっさんの時も同様に1ターン進み、ダイバーと入れ替わった。
3人は丁度自分の番がきた時に宇宙の終焉に辿り着くようにしなければこの空間から脱出できないことを悟る。そして残り0を勝ち取るための駆け引きが始まった。
その最中、次のプレイヤーが次の次のプレイヤーと入れ替わるターンが訪れる。だが次の次のプレイヤーはこの空間に来ることができず、やむなく代理としてと入れ替わった。

私はシステム、この屋内遊戯施設の中を三人称視点で監視し、記録している。残り10。
そんな私には〈発言の度にターンを進める能力〉があった。残り9。
とはいえ何も語る出来事がなければ無闇に発言はできなかった。残り8。
やむなく私は新着メールを閲覧した。残り7。
勝者が決まった。残り5。勝者はおっさんだった。残り4。
おっさんは私の能力を逆手に取り、私にエピローグを仕込んだのだ。残り3。
ダイバーの帰りを待っていた仲間達はおっさんの顕現に困惑した。残り2。ダイバーの消息は掴めず終いで、事故は企業の責任問題にまで発展した。残り1。その後法改正も行われ堕落は全面禁止となったあー……が、それでもダイバーは伝説の存在として今も尚、我々の心の中で生き続けている終わり。残り0。

文字数:1289

内容に関するアピール

落下によって途方もない時間を移動する話です。突っ込んだら負けのシュール小説です。
Vimeoとかにたまにそういう変なアニメーションがあって、それをイメージしながら書きました。実作でもそのイメージは大切にします。世にも奇妙な物語ともまた違ったイメージです。

裏設定としては、施設が創り出す何通りもの世界の中に、稀に時間に関する能力のある並行世界が存在して、それを運悪く引き当ててしまって落下が中断したという想定です。
舞台は超越的な世界の田舎で細々と経営される屋内遊戯施設で、その施設が創り出す舞台は地球的な世界です。

実作の字数は16000字前後と短めにする予定です。
シュールさを出すために、登場人物の名前はあえて省略させずに記述します。
後半のターン経過も途中を省略させずに始終厳密にカウントします。

能力のルールは厳守しつつも、一部のロジックはあえてシュールで済ませます。
そうして読者に謎の感情を湧かせます。

文字数:400

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ダイバーの堕落日和

 I.

 堕落日和の今日、ある者が飛び込み台に登楼した。
 周囲には見渡す限りの純黒が広がり、明かりを放つものは天より注がれるスポットライトのような光と、それを浴びる白い飛び込み台のみ。以上がこの空間の全構成要素であって、そこには機械や人の気配もなければ、風の戦ぎさえもなかった。
 そんな無音の頂に今しがた立ち入った人物、彼はコートに帽子にマフラーと、まるで真冬の街を出歩くかのように己の全身を覆い隠している。その上それら全ての色が黒で統一されていて、光源がなければ完全に背景と同化していたであろう程だ。
 飛び込み台に立つ者としては場違いな恰好。この下にあるものがプールならば、その指摘もあながち間違いではない。しかしこの空間にそんな陽気なものはない。
 この下にあるものは、濃厚に凝縮された時間。
 そして彼は、ダイバー。
 それが一実であり、それ以上でも以下でもない。
 ふと、ダイバーが両手を真横に挙げた。そこに飛び込む姿勢以上の意味など何もないのだろうが、重厚な黒い衣装とスポットライトの視覚効果が相まって、それはどこか神聖なものにも感じられるし、人によってはただ不気味に感じるだけかもしれない。そんな姿勢もそう長くは続かず、ダイバーの重心は地面の存在しない方向へと急速に傾き、それに抗えなくなった両足は飛び込み台から離昇した。
 宙に放り出された身体は重力に従って落下を始めた。先程まで無音だったダイバーの聴覚に、ごおごおと風切り音が認識される。その風圧によって黒い衣装はばさばさと波乱し、帽子とマフラーの隙間から彼の顔が顕現した。その顔もまた衣装のように黒かった。厳密にいえば、本来顔があるであろう位置には油絵具で塗りたくられたような黒があった。帽子やマフラーが風でどこかに飛ばされることはなく、ダイバーが乱れた身なりを整えると、すぐに再び顔は隠れた。
 気付けば風の感触は彼方に消え去り、落下は堕落へと変遷する。
 ダイバーの六感に刺激が走った。
 最初に感じたのは宇宙の誕生。それは視覚にも留められない一瞬で過ぎ去ったが、ダイバーはその一部始終を正確に感受していた。「最初の1秒が一番刺激が強い」、そんな定説はダイブ経験者にとっては最早常識だが、全くその通りの期待を裏切らない刺激、いやそれ以上の快楽だと毎回のように感じてしまう。中にはその1秒のためだけにダイブを繰り返す者もいる程だ。だが今堕落している彼は違う、始まりから終わりまでを味わってこそのダイブだと、そう思っていた。彼はこの堕ちる感覚全てを敬愛していた。
 堕落開始から1秒経過。その1秒こそはリアルとおよそ等速だが、それ以降は緩やかに加速していく。具体的には1秒で1万年、更には1億年といった具合に。速度が上がるにつれて最初の1秒とはまた違った快楽がダイバーを刺激する。そうして脳が、全身が、快楽に抱擁されていく――
 ここは宇宙の誕生から終焉までを、まるでスカイダイビングのように落下によって一瞬で体感できる屋内遊戯施設。そこへ足繁く通い、過去から未来へと堕落し続ける者達のことを、世間はダイバーと総称していた。施設は彼らの快楽を満たすためだけにあり、ダイブは何の利益も生み出さないただの娯楽。それでも彼らはその上質な刺激や快楽に魅了され、今日もダイブを続けていた。
 そんな堕落した日常に不具合は釘を刺した。


 1.

 ダイバーの身体は全速力で地面に叩きつけられた。怪我はなかった。
 地面への衝突は即ち宇宙の終焉、つまりはダイブの終点に到達したことを意味していた――筈だった。
 だがベテランである彼はすぐに周囲の夜のような薄暗さへと意識が傾いた。本来の落下地点であれば、そこで見渡せる風景は飛び込み台のような純黒でなければならない。しかしここには辺りに中途半端な明かりや色が無数にある。よくよく見れば地面も茶色で、それはどこからどう見ても土。それらを加味して考えた結果、ダイバーはここが夜の屋外ではないかと思い至る。つまりここは本来の落下地点ではない。それは落下時間の短さからも、脳や身体の感覚からも納得のいく結論だった。
 それからダイバーは地面に叩きつけられたままの俯せの身体を起こした。立ち上がり少しぼうっと身体を慣らしたのち、改めて注意深く周囲を見渡してみると、景色が不自然に硬直していることに気付く。
「時間が停止している……?」
 そこに至ってダイバーは仲間からの伝聞を思い出した。それによればこうした落下が途中で止まってしまう不具合は稀に発生し、その要因は時間停止にあり、ダイブを再開させるためには時間停止の原因を突き止めて改善する必要があるらしい。一見すると無理難題のようにも思えるが、時間停止の原因は感覚に従って探せば簡単に見付かるらしく、ダイブ再開までの難易度は比較的低いとも言っていた。
 ダイバーは面倒なことになったと頭を抱える反面、この想定外の出来事に興奮もしていた。確かにこんな非常事態には滅多に巡り合えるものではないし、通常のダイブとはまた違った刺激を堪能するのも悪くない。
 方針も定まりそれを実行すべくダイバーは1歩を踏み出す。すると気付けば2歩3歩、いや数万歩を踏み出していた。これにはダイバーも面食らったが、冷静に考えればこれは高速で時間を進んでいく、あの慣れ親しんできた感覚だと思い至る。ただそれが落下ではないというだけ。寧ろ落下のあの速さと比べたら随分と低速なくらいだ。そう頭では理解できても感覚の方はどうにも変な感じだ。ダイバーが高速で時間を進んでも、停止した風景に全く変化がないこともそれに拍車をかけていた。
 とはいえそのおかげで探索は順調に進められた。感覚に従って探すという言葉の意味も、少し歩いている内にすぐに身体で理解できた。この星のどこかに原因があることは間違いないので、それを突き止められるのは時間の問題だろう。
 探索の途中、ダイバーはその場で何度も足踏みをしていると空を飛べることに気付く。皮肉にもそれはプールを泳ぐかのようだったが、効率の良さも相まって体裁など気にしてはいられなかった。
 それから星の3割程を探索したところで時間停止の要因が判明した。それはこの時代だけ時間がターン制で動いていることだった。要因が分かったことで原因まで一気に王手がかかり、直後発見した。
 ダイバーは夜街へと降り立った。街灯はあるものの人通りのない道路、そこにどこか落ち着きがなく身なりもがさつなある人物がいた。
「時間を止めているのはあなたですか」
「追っ手って訳じゃなさそうだな」
 ダイバーが単刀直入に問うも、相手から返ってきたのは質問とは無関係の内容。ダイバーは相手の今の状況を把握していないながらも、その言葉から誰かに追われていて余裕がないことを何となく理解する。しかしそれではまずいので何とか話を繋ごうと気を焦らせる。
 だが次の瞬間には既に相手はいなかった。
 おかしい、そもそも高速で動いているダイバーから逃げることなど可能なのか。だがそんな疑問もダイバーが周囲の変化に気付いたことですぐに解決する。風が吹き、草木が揺れている。ダイバーは始め相手も高速で動けたのだろうと推測したが、実際には逆で自身が等速になっていたのだ。
 相手は隙をついてどこかへ逃げたのだろうが、どこへ逃げたかまでは皆目見当もつかない。その上先程までやっていたような、高速で辺りを隈なく探す手段は使えなくなり、おまけに空も飛べなくなった。一転して境地に立たされた。
 一度冷静になる必要がある。まずはこの不具合に遭遇した者は皆落下の再開に成功している事実に目を向けるべきだ。そうして自身の焦りを鎮めていた時ダイバーは思い出す、自身には〈感覚に従って探す能力〉があることを。
 その感覚を頼りにダイバーが再び1歩を踏み出すと、今度のそれはとてもゆっくりに感じられた。
 それから暫くして出会った人物は先程の相手ではなかった。夜の公園のベンチに腰掛けている目の前の人物は、年季の入ったスーツ姿をした中年のおっさんだった。
 ダイバーは目の前のその相手にどう声を掛けようかと考えあぐねていた。声を掛け辛いのもあるにはあるが、そもそも時間が停止している原因とは何の関係もない人物だった。感覚に従った結果辿り着いたのは確かだが、一方で僅かながらに関わるなという感覚もある。
 だがそんな考えも杞憂に終わり、相手と視線が合ってしまった。その状況にばつの悪さを感じたダイバーは咄嗟に声を掛けた。
「時間に関して何かご存知ですか」
「あーはいはい、知ってます。この事実に気付いてるのはほんの一握りですが、今この時代はターン制で動いてるんですよ。といっても実感は沸かないと思いますがね。それでも何か心当たりはあるんでしょう」
 ビンゴ、目の前のおっさんは何か有益な情報を持っている。そう考えたダイバーは、ここにきて初めて自身の素性を他人に明かした。自分が過去から未来へと堕ちてここへ来たこと。本来なら止まる筈のないこの地に止まってしまったこと。先程原因となった人物を見付けたが逃げられてしまい、感覚に従っておっさんの元へと辿り着いたこと。こんなことが信用してもらえるかダイバーも半信半疑だったが、意外にもおっさんはすんなりと信用してくれた。
「あぁなるほど、状況は何となく理解しました。あなたが先程出会ったのは〈時間をターン制にする能力〉を持つ一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーで間違いないと思います。あなたの読み通りそいつがこの時代をターン制にした元凶ですよ。そのダイブとやらが止まったのも十中八九彼が原因です」
「あなたはそいつの居場所を知ってるんですか」
「そう慌てない。考えなしに追ってもまた逃げられちゃいますよ。……えぇそうですね、まずはターン制に関して知っておく必要があります。伺いますがあなたは『風来のシレン』というゲームをご存じですか?」
「いや、存じない」
「そうですか、いやつまりそのゲームのターン制に近いんですよ。ご存じないそうなので掻い摘んで言うと、そのゲームでは多くの者がターン制で動いていることに気付いていません。なぜなら多くの皆さんは世界は時間で動いていると錯覚しているから。しかし主人公は周囲のあらゆるものが毎ターン律儀に止まっていることを知っています。ですが本人が動いた瞬間、ぶわあああ」
 するとおっさんは突然顔面を天へと向け、両手をその視線の先に広げた。そして数秒間その体勢のまま硬直したのち、次いで何事もなかったかのように元の姿勢へと身体を戻した。
「……と、周囲のあらゆるものが自身の動作に連動するように動くんです」
「要するに時間をターン制にしたそいつは我々が止まって見えていて、その分逃げることも容易。つまり接触は難しいと」
「まあそう悲観的にならないでください、方法ならあります。いやなに簡単なことです、私と話し続けてください。それで時間が完全に止まることはなくなります」
「ちょっと待ってください。そんなことが本当にできるとしたら、あなたは一体……」
「私ですか? 私は〈関わった対象をターン制から解放する能力〉を持つ関わるだけ時間の無駄なおっさんです」
 そんな自己紹介と共に差し出されたものは、何の変哲もないただの携帯電話だった。

 それからダイバーは一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーの捜索を再開させた。
 歩きつつ周辺に意識を傾けながらも、関わるだけ時間の無駄なおっさんから手渡された携帯電話はしっかりと耳に翳し続ける。その通話相手は無論、関わるだけ時間の無駄なおっさんだ。
 気になる通話内容は関わるだけ時間の無駄なおっさんの他愛もない日常の話が中心だった。昨日食べた夕食の話や、会社の愚痴、最近あった家庭でのちょっとしたエピソード等々。だがそんな何てことのない日常会話を聞かされ続けている内に、ダイバーは確かにこれは時間の無駄だと思い至るのだった。
「ところでこの通話はいつまで続ければいいんですか」
「そうですねぇ、能力の効果は通話を終えてもある程度は持続しますが、できれば一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーを見付けるまでは続けた方がいいんじゃないかと」
 ダイバーは一刻も早く見付かってくれと心の中で叫んだ。
 それからかれこれ数十分が経った頃、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーを遂に発見した。早速接触を試みようとするダイバーだったが、あることに気付きすんでのところで踏み留まる。
「あいつ数人の警察に追われてる。これでは迂闊に接触もできない」
「そう焦らない。接触の機会は必ず訪れますよ」
 確かに関わるだけ時間の無駄なおっさんの言う通りだろう。今ダイバーの持っている強みは〈感覚に従って探す能力〉だけ。ここで下手に警察の前に飛び出ていっても相手にその能力が有効に働くとは考え難い。
 そうして機会を窺っていると、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーが警察らを撒いた場面に遭遇した。ダイバーは狭く薄暗い路地裏に逃げ込んだ一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーに接触を図る。
「また会いましたね」
 一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーはびくりと反応を見せるも、ダイバーを見るなり脅かすなよといった素振りですぐに緊張を解く。
「一定ターン毎に入れ替わるプレイヤー……なんですってね。時間をターン制にしているのはあなたで間違いありませんね?」
「ああ間違いない」
「そのターン制とやらを解除してほしいんですが」
「そんなことしてみろ、俺はサツから蜂の巣だ。……それに実際のところ、この能力を完全に操れてる訳じゃねぇ」
 おいおい冗談だろと焦るダイバーの望みも空しく、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーが嘘をついている素振りはない。加えてこの時代の警察は血の気が多いときた。すこぶる悪いこの状況にダイバーは辟易する。
「おい、いたぞ!」
 そこへ突如発せられた第三者の掛け声。反射的に2人がその方角を振り向くと、数人の警察が路地裏の入口付近に固まっていた。こんなことならもっと路地裏の奥に行って話すべきだったと後悔するも時既に遅し。
 ダイバーは咄嗟に反対側の裏路地内部に逃げ込もうとする――が、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーに止められる。どういうつもりかとダイバーが視線を送ると、答えはすぐに返ってきた。
「忘れたのか? 今この時代はターン制で動いてる、こっちが下手に動かなけりゃ相手も身動きしない」
 ダイバーは実際に警察らを目視してみると、確かに皆その場に留まり接近してくる気配はない。その姿は真剣な表情も相まって、傍から見れば何とも滑稽な絵面だった。だるまさんがころんだでもしているのだろうか。……いや違う、これこそが関わるだけ時間の無駄なおっさんの〈関わった対象をターン制から解放する能力〉の効果の結果なのだろう。
「無駄のない動きをじっくり考えてから行動するんだ」
 と突然一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーは路地裏の奥へと走り出した。ダイバーもそれに倣って後を追うと、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーはある地点で足を止めた。立ち止まって振り返ってみると、警察らの留まっている位置が先程よりも近付いてきている。
「この路地裏の構造は結構複雑だが、そんな時こそターン制の恩恵に授かれる。例えばこんな風にな」
 すると一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーは丁度隣にあった積み荷に両手を添え、勢いよく力を加えた。結果それらは裏路地の狭い通路全体にぶちまけられ、警察らの行く手を阻む障害物と化した。
 そんな感じで2人は走っては止まりを繰り返し、時には状況に応じて様々な妨害を行って境地を切り抜けていった。
 気付けば警察らを撒いて裏路地を抜けていた。
 明るさを感じ空を見れば、東の方角からぼんやりと日が差し込んでいた。だが今の2人にとってその光は好ましいものではなかった。
「早いとこ安置を探さないと面倒なことになる」
 そこに至ってダイバーは自身も追い駆けっこに加わってしまっていたことを自覚する。同時に自身も蜂の巣にされる可能性が出てきてしまったことを理解し恐怖を抱く。あの感じだと今更はいやめましたが通用する相手でもないだろう。
 それからも2人は警察との遭遇地点からなるべく遠ざかるように移動を続けた。
 そうして日の出が完全に視界に映り込むようになった頃、2人は海に出た。
「とりあえずここらに身を潜めるか」
 そう提案する一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーの視線は海岸に向けられていた。切り立った崖の上に位置するこの道路からは海岸は死角になっていて、確かに雲隠れにはもってこいだ。
 早速2人は遊歩道と思しき階段を伝って海岸を目指す。だがその途中、何となくちらりと後ろを振り返ったダイバーは一転して焦燥する。
「まずいぞ、警察がいる」
 2人は警察に尾行されていた。だがなぜこのタイミングで姿を現したのか、その理由もすぐに判明した。この遊歩道が海岸まで通じていなかった。道は崖の中腹くらいにぽつんとあった広場で行き止まりとなり、そこには申し訳程度の机と椅子だけが設置されていた。ダイバーは縋るように一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーに視線を送るが、望み空しくお手上げといった様子。完全に追い詰められた。
 その時、ダイバーの身体に振動が走った。
 何事かと思えば、それは携帯電話のバイブレーションだった。着信主は関わるだけ時間の無駄なおっさん、それを確認したダイバーは通話ボタンを押し、それを耳に翳した。
「順調ですか?」
「最悪だよ。警察に追われていて、今丁度捕まる寸前なんだ。そもそも私は何も悪事を働いていない」
「それは随分と面白い状況ですね。しかしチャレンジは最後まで諦めてはいけません。必ず勝機はあります。……そうですねぇ、私も少しばかり手を貸しましょう」
 ダイバーは藁をも縋る思いではあったものの、関わるだけ時間の無駄なおっさんと出会った場所はここから大分離れている。この期に及んで一体どんな手助けができるのか。
「おい、警察が動き出したぞ。一体どうなってんだ」
 その声によって意識は再び現場へと引き戻され、警察が接近している現実が目に刻まれる。同時にダイバーはその原因が直感的にこの通話にあると思い至る。一方でここで通話を切ることが得策なのかダイバーには判断がつかなかった。
 そうこうしている内に警察らは2人の目の前まで辿り着き、次いで黒光りする銃口を向けてきた。ダイバーは恐怖から最早立ち尽くすことしかできず、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーも万策尽きたといった様子。
「お前のせいでターン制を感じられる体質の人間が苦しんでる。……この意味が分かるな」
 第三者であるダイバーには詳しい事情は分からないが。ニュアンスからして警察は一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーを今この場で蜂の巣にしようとしている、そのことだけは理解できた。
「待ってくれ。私は無関係だ」
「そもそもあんたは人間か?」
 ダイバーがその問いに返答しないでいると、警官が叫んだ。
「撃てぇ!」
 同時に銃声が響いた。
 次いでどさりと人の倒れる音がした。
 一寸の後、ダイバーは自身に痛覚が訪れなかったことを理解する。だが今何が起こったのか、いや起こっているのかをまだ理解していない。銃声が鳴り続けている。暫くするとそれも止んだ。そこに至ってダイバーは口を開いた。
「お前は――誰だ」
 転がる遺体の山の中、ダイバー以外に立っている見知らぬ男。ついさっきまでこの場にはいなかった筈のそいつは、わざとらしくにやりと気障な笑みを浮かべ、ダイバーの問いに応答する。
「聞いてねぇのか。俺が次のプレイヤーだよ」
 それを聞いたダイバーは咄嗟に周囲の遺体を見回すが、確かにそこに一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーの姿はない。それこそが一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーが次のプレイヤーへと入れ替わった他ならぬ根拠だった。
 次のプレイヤーからはどこか凡人にはない風格が感じられた。事実、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーがあれだけ難儀した逃亡劇を一瞬で終わらせたのだ。だが次のプレイヤーは冷静にその結論を否定する。
「まだ終わっちゃいねぇみてぇだぜ」
 次のプレイヤーの視線は遊歩道の入口に向けられていた。ダイバーもその視線を追うと、先程の倍以上の警察が応援に駆けつけていた。
「どうする」
「さーて、どうすっかなぁ」
 次のプレイヤーはそんな返しを口ずさみながら、すまし顔で質問主に顔を向ける。だがそれはすぐに真剣な眼差しへと変わり、間もなくダイバーへと歩み寄ってきた。そして許可も取らずに携帯電話を慣れた手つきで拝借し、それを耳に翳し、ただ一言こう発した。
「この状況を打破したい」
「分かりました」
 通話相手の関わるだけ時間の無駄なおっさんはその注文に応じる。それを確認した次のプレイヤーは携帯電話を顔から離して言った。
「あいつは頼りになる。俺の入れ替わる時間を少しばかり早めてくれたのも関わるだけ時間の無駄なおっさんのおかげってぇ訳さ」
 ダイバーはその事実に感心し、同時にどうりでタイミングが良かった訳だと納得する。
 とその時、遊歩道の入口付近に警察以外の人影が見えた。それは関わるだけ時間の無駄なおっさんだった。関わるだけ時間の無駄なおっさんは持ち前の〈関わった対象をターン制から解放する能力〉を自身に使い、止まっている警察らをすいすいと避けて、あっという間に2人の元へと辿り着いた。
 この時初めてダイバーと、関わるだけ時間の無駄なおっさんと、次のプレイヤーが集結した。
 その瞬間だった。
 あの感覚が……身体に、戻ってきて――
「堕ちる」


 II.

 直後、辺り一面を純黒が覆った。
 次いでダイバーの身体に浮遊感が付加され、足の裏から硬質な感触が掻き消える。足元や周囲に目を向ければ、あらゆる物質が黒海に音もなく沈んでいく様子が映った。
 それをまじまじと観察していると、ダイバーの身体は重力の存在を思い出した空間の手によって闇黒へと放られる。
 重力に引っ張られ始めたダイバーの身体は、ものの数秒で落下と呼ばれる速度に到達し、ごおごおと風切り音がダイバーの聴覚をはたき始める。
 そうかと思えばそれもすぐ終熄し、次いであの刺激が再びダイバーを快楽へといざなった。
 ダイバーは再び堕落した。
 だがこの時、ダイバーはその堕落に至るまでの一連の流れに興奮を覚えていた。通常の飛び込み台からのダイブとはその過程が大きく異なっていたためだ。
 一方で釈然としないこともあった。久方振りのそれは他でもない待ち望んでいた刺激の続きだった……のだが、正直なところ、普段のそれと比べるとどうにも物足りない。恐らくは堕ちる感覚を途中でぶつ切りにされた影響だろう。そこに至ってダイバーは、ぶつ切りのない通しのダイブがいかに上質かを思い知る。
 そんなものだからどうにもダイブに熱中できず、頭の片隅ではつい先程までの出来事を思い返していた。
 そもそも関わるだけ時間の無駄なおっさんや、一定ターン毎に入れ替わるプレイヤーや、次のプレイヤーのいたあの世界は一体何だったのか。だが少し考えて、いやなにそんなに難しいことではない、とダイバーは一つの推論を導き出す。
 そもそもこの屋内遊戯施設がどのような仕組みか。聞いた話ではこの施設は実際に宇宙を創り出しているとか、それもダイブ一回につき一つの宇宙を。だが誕生から終焉までの過程が同じ宇宙など一つとして存在しない。とすればそんな何通りもの宇宙の中に、稀に時間に関する能力のある宇宙が存在していても不思議ではない。
 ……だがそれは言ってしまえばシステムの穴、不具合だ。そしてそんな不具合を抱えているこの施設は大丈夫なのか。
 勿論施設の安全性がどうであれ、今更ダイブをやめようなどとは1ミリも思っていない。されどだからこそこの不具合が放置されていて、一歩間違えれば大惨事に繋がりかねない現状には思うところがあるのだ。
 とはいえ一利用者が何を思ったところでどうしようもないし、それにこうしてダイブを繰り返していく内にきっと忘れていくのだろう。そういえばそんなこともあった、今となってはいい思い出だ、と。
 事実、もうどうでもよくなってきている。
 そうして堕落に身を委ねていると、目まぐるしく変わる溢れるような感覚も次第に安寧を見せ始める。今回のダイブももう大詰めだ。
 意識を陶酔の外に呼び戻してみれば、落下地点まで残り1割を切っていた。
 ところでその落下地点には複数の呼び名がある。宇宙の終焉、ダイブの終点……色々だ。けれどダイバー達は大体こう言う。
 零落と。
 気付けばその零落まで残り1パーセント。そして――


 2.

 ダイバーの身体は全速力で地面に叩きつけられた。怪我はなかった。
 すぐさま周辺の様子を見定めてみると、前回とは違いそこに明かりや色はなく、一面は床を含めて全て純黒。ダイバーを照らすスポットライトだけが唯一、それ以外の色を放っている。今度こそ零落に辿り着いたのだろう。
 ダイブが終わった。
 俯せのまま安堵の溜息を漏らしたダイバーは、それから一呼吸置いて立ち上がった。
 零落へ到達した者が次にすることは、この空間から屋内遊戯施設のロビーへと戻る出口を探すこと。出口はこの純黒の空間では異質な程に眩い光を放っていて、すぐに見付かる――筈だった。
 出口が無い。
 どこを探してもあの異質な光が見付からない。出口を潜る以外にこの空間から脱出する手段はなく、時間と共にこの純黒の空間が、まるで崩落した洞窟のような恐ろしさを有し始める。
 こんな時こそ冷静になるべきだ。出口が見付からない理由として考えられるのは、不具合によって出口が出現しなかった、あるいはここが実は零落ではなかった、そのどちらかといったところか。だが周りの景色はここが零落であることを主張している。となるとやはり不具合が原因か?
 とその時、ダイバーの〈感覚に従って探す能力〉が突如効果を発揮する。ここは零落……その認識はほんの少しだけ事実と異なっていた。厳密にはここは零落から89ターン前だった。
 だがそれが分かったところでダイバーの不安が解消されることはなかった。なぜならダイバーは懸命に仲間からの伝聞を思い出してみたが、今回のような事例は一度も聞いたことがないからだ。つまるところ、この状況を打開する手段はてんで分からない。
 手詰まりに陥ったダイバーの不安は増長し、次第に恐怖へと化けていく。その上こんなところでは誰の助けも――
 ダイバーの身体に振動が走った。
 その震源と思しき服の内ポケットに手を突っ込むと、何か硬質なものが指先に当たった。
 携帯電話だ。
 だが堕ちる直前それを所持していたのは次のプレイヤーだった筈。それがなぜ……。
 と考えていると携帯電話はすぐに震えを止めた。恐らく電話の着信ではなかったのだろう。取り出してみると案の定それはメールの着信だった。
 だがそれはおかしかった。新着メールの着信数が――89件。その上送信者は全てこの携帯電話自身からときた。
 これは何かあるなと悟ったダイバーはそのメールの1件を閲覧した。
 消えた。
 メールが……ではない、ダイバーが消えた。
「は? 何だここ」
 ……いや違う、入れ替わった。
 そこにいるのは携帯電話を持った次のプレイヤーだった。これには堕ちる直前まで大物感を漂わせていた次のプレイヤーも素っ頓狂。
 だがそこは大物、次のプレイヤーは冷静にこの状況を推測する。
「なるほどねぇ、つまりこの未読メールを見ればいいってことか」
 早速それを実行すると――また入れ替わった。
 次に登場したのは関わるだけ時間の無駄なおっさんだった。だが関わるだけ時間の無駄なおっさんは動揺の色を見せない。
 そして前の2人と同じように未読メールを閲覧すると、やはりまた入れ替わった。
 次に現れたのはダイバーだった。ダイバーは入れ替わったことで今起こっていることを概ね把握した。それを確信に変えるためにメール画面を見てみると、既読メールが3件あり、内1件は自分で開けたもの。つまり自身も含めた3人が順番に入れ替わっている。恐らく他の2人は関わるだけ時間の無駄なおっさんと次のプレイヤー。
 そこまで状況を整理したところで、試しに既読メールを閲覧してみた。……何も起こらない。つまり入れ替わりが発生するのは未読メール限定のようだ。
 ちなみに既読メールの内容は3件共全てただの空メールだった。恐らく他の未読メールも同様だろう。
 それともう一つ気付いたことがあった。ダイバーが今回着地したのは零落から89ターン前だったが、今いるここは零落から86ターン前だった。そしてその3ターンを進めたのは、恐らくこの3件の既読メール。
 つまり整理すると未読メールを閲覧すると1ターン進み、入れ替わりが発生する。そしてそれを続けていけば、残り86ターンで今度こそ本当に出口に辿り着ける。
 だがそこでダイバーは一転して青ざめる。もしも辿り着くのが自分以外の誰かだったとしたら……?
 ダイバーはその恐怖にしばし立ち尽くした。だがそれでターンが消費されることはなかった。となると現時点ではこの未読メールを閲覧する以外にターンを消費する方法が思い浮かばない。今やれることは恐らく一つしかないのだろう。残り86件の未読メール、その内の1件をダイバーは閲覧した。
 状況を把握した次のプレイヤーは考える。残り85ターンを3人で回していけば零落に辿り着けるのは関わるだけ時間の無駄なおっさん。だが今ターン制で動いているのは自身の〈時間をターン制にする能力〉の影響の筈。ならばそれを解除したらどうだろうか、と次のプレイヤーは勝利への軌道を想像する。
 だがこの能力は自分でも完全には操れていない。特に解除は難しく、実行してもすぐに効果が復活する。それもあってここで実行したらどうなるかも想像が難しい。だからこそどうなるかを早めに確認すべきだろう。
 次のプレイヤーは神経を尖らせ、能力解除を試みる。
 すると――1ターン進んだ。
 心の中でガッツポーズ。勝機が見えてきた。
 続けてもう一度能力解除を試みた……が、今度は失敗。どうやら続けての解除は難しいようだ。だが何ターンかすれば再び使えるであろう手応えはある。想像していた結果とは違ったものの、残りターンを調整することは十分にできる。
 さて、この結果に対して他の2人はどんな反応を見せるだろうか。そう考えながら次のプレイヤーは未読メールを閲覧した。
 関わるだけ時間の無駄なおっさんは残りターンが、未読メールの件数よりも1ターン少ないことに気付く。残り83ターンなのに対して、未読メールは84件。仕掛けたのは恐らく次のプレイヤーだろう。だがそこまで理解していても尚、関わるだけ時間の無駄なおっさんの口元は不敵な笑みを浮かべていた。そしてそのまま未読メールを閲覧した。
 ダイバーは未読メールを閲覧した。
 次のプレイヤーは早速能力解除を実行した。すると1ターン進んだ。
 その事実に次のプレイヤーは歓喜した。つまりそれは一巡する度に能力を再び行使できる状態に戻れるということだった。
 しかし、と次のプレイヤーはそれに浮かれることなく冷静に考える。こうして何事もなく自分のターンがまた回ってきた、そのことに次のプレイヤーは逆に違和感を覚えていた。
 そこで気付く、関わるだけ時間の無駄なおっさんの存在と、その能力を。そう、関わるだけ時間の無駄なおっさんは〈関わった対象をターン制から解放する能力〉を持っている、そのことを次のプレイヤーは知っていた。そもそも未読メール見ると1ターン進むのだって恐らく関わるだけ時間の無駄なおっさんの能力によるものだ。……いやそれを言ったらそもそもターン制になっているのや、3人が入れ替わるようになったのは自身の影響なのだが。
 いずれにせよ関わるだけ時間の無駄なおっさんは必ず仕掛けてくる。ならば、とここで次のプレイヤーはある勝負に打って出る。次のプレイヤーは89件のメールを次々と削除し始めた。そして未読メールが残り1件になったところで、今度は携帯電話の残り電源を使用可能のぎりぎりまで消耗させた。そしてあるメッセージを添えたのち、残り1件の未読メールを閲覧した。
 関わるだけ時間の無駄なおっさんはすぐに異変に気付く。メール欄にあったのは既読メール1件のみで、残り電源も極端に少ない。つまりこの状況では未読メールを閲覧して次のターンに進むことはできず、一方で自分宛に新たにメールを送信することもできない状況。
 どうしたものかと関わるだけ時間の無駄なおっさんが考えていると、メールの下書きに何かメッセージがあることに気付く。そしてそこにはこう書かれていた。
「このターンで能力を発動してもらおうか」
 それを見た関わるだけ時間の無駄なおっさんは自身の思惑が破られたことを知る。関わるだけ時間の無駄なおっさんの作戦は、ターン数が残り僅かになった頃を見計らって〈関わった対象をターン制から解放する能力〉を発動させるというものだった。なぜならその能力は無限に発動できるような都合のいいものではないからだ。一度使ってしまえば体力の回復を待たなければならないが、それには少なく見積もっても100ターンは掛かる。つまりこのタイミングで能力を発動すれば、今後この駆け引きの中で能力を使用することはできなくなる。
 だが関わるだけ時間の無駄なおっさんは今、このタイミングで能力を発動せざるを得ない状況にあった。削除された未読メールを再度作成する必要があり、そうしなければ半永久的にターン消費ができなくなる危険があるためだ。だが新たにメールの送信を行うには携帯電話の充電が必須な状況で、更にそのためには能力を発動して充電時間を確保する必要があった。
 ちなみに〈関わった対象をターン制から解放する能力〉を持つ関わるだけ時間の無駄なおっさんのメールでなければターン消費はできないし、そもそも初めに89件の新着メールを仕込んだのも関わるだけ時間の無駄なおっさんの仕業だった。ちなみに関わるだけ時間の無駄なおっさん自身の携帯電話は、入れ替わりの際に関わるだけ時間の無駄なおっさんと一緒に消えてしまうため代用はできない。
 これにはさすがの関わるだけ時間の無駄なおっさんも観念した。関わるだけ時間の無駄なおっさんは携帯電話を充電した状態で時間を進めた。結果そこから一気に10ターン進み、残り69ターンとなった。次に時間を使って充電した携帯電話で、自分宛に69件のメールを送った。そしてその内の1件を閲覧した。
 ダイバーは未読メールを閲覧した。
 次のプレイヤーは関わるだけ時間の無駄なおっさんとの駆け引きに――負けた。
 訪れたのは入れ替わる時間。3人の……ではない、元々ここに来る前からあったあの入れ替わりだ。結果次のプレイヤーは消え、次の次のプレイヤーが現れることとなる。
 しかし次の次のプレイヤーはこの空間には来れなかった。いや寧ろ来れる方がおかしいのだが。
 だがそれでは困る入れ替わりのシステムは身近なところから代理人を探そうとした。しかし入れ替わりのシステムは同じ人同士の繋がりを重複して結ぶことはできず、既に別の入れ替わりで繋がりを結んでいる2人は代理人として不適合。そうはいってもこんな空間に他に代理人となり得る者などいる訳がない。
 ……いや1人、たった1人だけいた。
 それは――私だった。

 そう思った瞬間、私は純黒の空間に注ぐスポットライトを浴びていた。残り66。そして手には携帯電話。残り65。それらの事実は私がこの駆け引きの中に加わってしまったことを否が応でも理解させた。残り64。
 さて、まず真っ先に説明しなければならないのは私の能力のことだろう。残り63。勘の良い者なら既にお気付きかもしれないが、私には〈発言の度にターンを進める能力〉がある。残り62。
「但しNPCとして発言した場合、ターンは消費しない。例えばこんな風に」
 その上で次に私が何者であるかを明確にするが、私はこの屋内遊戯施設のシステムだ。残り61。そしてこの文章は私がこの屋内遊戯施設を監視し、記録したもの。残り60。ちなみに監視はある程度であれば人物の内面を推し量ることも可能だ。残り59。
 その割には随分と情緒的な記録だと思う者も多いだろうが、それにはそれ相応の理由がある。残り58。私は生まれてこの方ずっと屋内遊戯施設のシステムとしての責務を全うしてきた。残り57。だがそんなことを何年も続けていれば、どうしても飽きを感じてしまうもの。残り56。そこで私はこの屋内遊戯施設で監視した出来事を、小説のように記録して暇を潰そうと考えたのだ。残り55。
 だた今回はダイバーが零落の89ターン前に着地するという不測の事態が起こったことで、三人称の視点を一定させることに注力できず、今後この記録を読む者に対して混乱を与えかねない文章になってしまった。残り54。そのことに関しては私も大変申し訳なく思っている。残り53。……といっても別に反省はしていないのだが。残り52。
 いずれにせよこうなってしまった以上、全力で勝ちにいく所存だ。残り51。
 とはいっても私のこのチートじみた能力を駆使すれば、勝利を掴むことなど造作もないことだろう。残り50。
 但し何も語る出来事がなければターンを消費させられないのがこの能力のネックだ。残り49。そしてここからずっと語り続けて最後まで持っていくのはさすがにきついので、とりあえず一度彼らに回すことにした。残り48。
 さすがの関わるだけ時間の無駄なおっさんもこの状況には困惑を隠せなかった。残り46。関わるだけ時間の無駄なおっさんは先程の自身のターンで〈関わった対象をターン制から解放する能力〉を次のプレイヤーも巻き込んで発動させていた。残り45。そうすることで次のプレイヤーに元からあった入れ替わりのタイミングを早めさせることが狙いだった。残り44。そしてその狙いは目論見通り達成された。残り43。だが誤算だったのはそれによって入れ替わった人物が、恐らく大物である次のプレイヤー以上に厄介な者であったことだ。残り42。
 それでも関わるだけ時間の無駄なおっさんはすぐに状況を飲み込み、とある作戦を導き出す。残り41。その考えに従って以前次のプレイヤーが行っていたように、携帯電話にあるメッセージを書き込んだ。残り40。そしてその後すぐに未読メールを閲覧した。残り39。
 ダイバーはこの状況に戸惑いを顕にする。残り37。それはそうだ、先程まで未読メールを閲覧しない限り、急激にターンが経過することはなかったにも拘わらず、突如としてそのルールを覆されてしまったのだから。残り36。そうはいっても今のダイバーにはそれに対して何も打つ手が思い浮かばない。残り35。
 とそこでダイバーはメールの下書きにあったメッセージを発見する。残り34。そこにはこう書かれてあった。残り33。
「この純黒の空間のどこかにあるシステムを探して、システムがNPCとして発言できないように設定してください。その際、設定が戻されることのないようにもしてください」
 私はまずいと焦りを覚える。残り32。私が安易に彼らと入れ替わったのは、いざとなったらNPCとして発言し続けて、ターンを消費させないようにすればいいと考えていたからだ。残り31。だがNPCとしての発言が封じられればその作戦は通用しなくなる。残り30。
 しかしまさかここにきて2人が手を組もうとは。残り29。いやこの圧倒的に私が有利な状況の中ではそうなるのも必然か。残り28。
「いずれにせよこのままではまずい。私はそう考え、とりあえず今後は暫くNPCとして発言することにした」
「ダイバーは関わるだけ時間の無駄なおっさんからのメッセージに従うことにした。この状況に困惑しているのは恐らく関わるだけ時間の無駄なおっさんも同じ筈で、だとすれば手を組むのは悪いことではないという判断だ」
「早速ダイバーは〈感覚に従って探す能力〉を使ってシステムを探し始める。ここまであまり活躍の出番がなかったが、ダイバーの強みは能力だけでなく、高速で時間を進めることも忘れてはならない。それを使えばこの純黒の空間のどこかにあるシステムを探すことなど造作もないことだ」
「その読み通り、目的の代物はすぐに見付かった。早速ダイバーはそのシステムの設定を弄り始める。やはりそこでも〈感覚に従って探す能力〉は活躍した。そうしてシステムがNPCとして発言できないように設定することに成功した」
 関わるだけ時間の無駄なおっさんからの指示を遂行したダイバーは、そこに至って改めて今後の方針に頭を巡らせた。残り27。このまま粘ってターンを消費していくか、それとも一度他の2人に回してターンを消費させるか、選択肢はそのどちらか。残り26。駆け引きもいよいよ大詰め、今後の選択は勝敗に大きく直結するだろう。残り25。
 だが残りのターンを全て1人で消費するのはさすがに無理がある、そう判断したダイバーは未読メールを閲覧した。残り24。
 久々に私に順番が回ってきたかと思えば状況は大きく様変わりしてしまった。残り22。
 私がここでまず行うべき行動は、本当にNPCとして発言できない設定を戻すことができないかどうかの確認だ。残り21。
 だがそれを確認して私の淡い期待は脆く崩れる。残り20。どうやら本当に設定は戻すことのできないようにされたらしい。残り19。
 とはいえまだ策はある。残り18。例え他の2人が色々な行動を起こしてターンを稼ごうとしても、それらを「誰々は色々な行動をとってみたが、特に意味はなかった」といった感じに一まとめにしてしまえばいいのだ。残り17。なのでまだ他の2人に回しても問題はないだろう、そう考えた私は未読メールを閲覧した。残り16。
 勝者が決まった。残り14。
 この戦いを征したのは関わるだけ時間の無駄なおっさんだった。残り13。
 私は油断していた。残り12。関わるだけ時間の無駄なおっさんは私がNPCとして発言できないように設定する作戦だけに留まらず、最後の切り札としてエピローグをシステムに仕込んだのだ。残り11。結果的に私はそれを語らなければならなくなった。残り10。
 関わるだけ時間の無駄なおっさんの目の前に、異質な光を放つ出口が顕現した。残り9。関わるだけ時間の無駄なおっさんはその光の中に躊躇うことなく身を投じた。残り8。
 ダイバーが戻ってくるのを待っていた仲間達は、関わるだけ時間の無駄なおっさんの出現に驚き困惑した。残り7。こんなことは今まで一度もなかったことだ。残り6。だがそんな万一が遂に今起こってしまった。残り5。
 関わるだけ時間の無駄なおっさんの出現は瞬く間にニュースとなって広がり、世間を震撼させた。残り4。ダイバーの消息は掴めずじまいで、事故は当然のように企業の責任問題にまで発展した。残り3。その後問題を起こした企業は業績不振により倒産。残り2。同業者も事件以来収益が伸び悩み、堕落事業からの撤退を余儀なくされた。残り1。その後法改正も行われ、堕落は全面的に禁止となったあー……が、それでもダイバーは伝説の存在として今も尚、我々の心の中で生き続けている終わり。残り0。

文字数:17614

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