梗 概
碧(みどり)の雪は聖母の腐爛
どこまでも続く緑の砂漠を、テルルは必死に走る。彼は獰猛な人食い翼手竜の群れから逃げていた。間一髪のところで、メアと名乗る少女に助けられる。彼女に対して、テルルは自身がパテダ人であることを告げる。彼女は都市国家パテダが何百年も前に滅びたことを言い、砂漠の下に埋もれる都市の廃墟を見せる。テルルの記憶の中に存在する街の変わり果てた姿だった。
メアは彼女の居住地に案内する。うず高く伸びる砂漠の間にポッカリと空いた隧道。そこにはたくさんの人々が身を寄せ合って暮らしている。彼らは自分たちのことを「クスシウァ」と呼んだ。「最後の人々」という意味だ。クスシウァの民はテルルにエピキュリアについて記載のある古文書を見せる。それによると、何千年も前、緑の雪が降り始めたとき、人間は原因不明の奇病により大量死滅した。エピキュリアはわずかに生き残った人間を体内に取り込んだ。体内で人間は何百年も生き続け、肉体が死ねば複製されて、偽の記憶(人類が死滅しなかったと仮定した世界のもの)を植え付けられる。クスシウァの民は、事故死したエピキュリアの腹を破って逃亡した人々だ。テルルもその1人だった。
夜とともに、緑色の雪が降る。直後、隧道の中にエピキュリアの従僕である翼手竜の大群が襲いかかってきた。命からがら逃げ延びたテルルとメアは、人類の存在を脅かす存在と戦う決意をし、化け物の巣があると言われている西の大地に向かう。何日間も緑の砂漠を放浪した2人には、孤独の中で身を寄せ合ううちに愛が芽生える。
やがて、2人の目の前に大空洞が現れる。中に入ると、そこにはエピキュリアの腐爛死体があった。やがて、2人は言葉の通じない人間たちに取り囲まれる。一族の長であるセレンだけはテルルたちの言葉を理解できた。彼ら一族はゼモグ族と名乗った。エピキュリアを管理し、聖母として神格化している番人だという。なぜ神格化しているか理由を訊ねると、セレンは端的に答えた。「この世界を作った創造主だからだ」と。直後、テルルとメアはエピキュリアの奇襲に遭い、離ればなれになる。
この創造神はテルルと対話して、この世界の秘密を見せる。宇宙を作ったものの、この世界があまりにも不安定で壊れやすいものであることに幻滅していた。普遍世界を夢見ていた神はそれを知的生命体の想像力の中に見出した。長い試行錯誤の末、知的生命体を作り出し、彼らの作り出す普遍のイメージを取り込むために、安住の地である「胎内」と引き換えに人間との融合を試みた。
エピキュリアはテルルに融合を求めたが、彼は拒否する。理由はただ1つ、メアを愛していたからだ。彼は神の腹を手で裂いた。他の個体に取り込まれていたメアも同じことをした。テルルとメアは抱き合う。
目の前にはエピキュリアの巣が広がっている。テルルとメアは巣を焼き払おうとしたが、「神々」の腹にたくさんの人間がいるので、それを止めて逃亡を決意する。神々はテルルたちを取り込もうと追いかけてくる。命果てるその日まで、テルルは神の誘いを拒み、逃げ続ける。
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内容に関するアピール
映画をよく観ますが、中でも、ロードムービーと呼ばれるジャンルが大好きです。とりわけ、旅をしていく中で何らかの秘密が明かされるという筋書きならば、いやが上にもワクワクします。こうした話は世界や人間の存在理由と関わらせれば、SFとの親和性が高くなるのではないでしょうか。今回は世界の存在理由という哲学的な命題を心の中、イマジネーションに求めてみました。人間中心主義的ではありますが、元来小説は人間中心主義的なものだと思います。
せっかく長距離を移動し「続ける」というお題が設定されたので、主人公を脅かす存在に対して、闇雲に戦って傷つけるのではなくて、逃げ続けることで抵抗していく話にしてはどうだろうかと思い、物語を組み立てました。「少年ジャンプ」とかではダブン ダメだと思いますが、物語にキレイな落ちをつけるとリアリティが出ないと思うので、それはそれでアリではないでしょうか?
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