夕焼けのグライダー

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梗 概

夕焼けのグライダー

恩田自動車の社長、恩田祐一郎は生粋のエンジニアだが、年齢を重ねて病気がちになり、ついに入院してしまった。
 祐一郎は早くに妻を亡くしながらも、三人の息子を立派に育てあげ、三兄弟は恩田自動車の各部門で働いている。兄弟は話し合い、父に引退を勧めるが、祐一郎は経営を仕切る長男次男の説得に耳を貸さない。株主に唆されたのだろう、エンジニアの仕事に口を出すなと怒る始末だ。しかし恩田自動車の研究所で働く三男の言葉は別だった。工学研究者の三男に祐一郎は自身を重ねており、三男の新技術を見るたび、自分は古い人間だと思う。その三男から
「どうか楽にしてくれよ。面倒くさい事は、全部俺達に任せてさ」
 と言われ、祐一郎もついに折れた。

引退祝いとして、釣り好きな父のため、長男は海辺の別荘を、次男はヨットを贈った。創業者の息子だが、三男の身分は一研究員である。兄達のような高価な贈り物はできない。そこで開発中のお手伝いロボットを、モニターを兼ねて父に使ってもらおうと考えた。その提案に開発チームは意気込み、できうる限り最高のロボットに仕上げた。

引退して半年経ち、祐一郎は別荘に入り浸りになっていた。三兄弟が電話をすると、父は楽しくやっていると答えるだけ。心配した三兄弟は休日に別荘を尋ねる事にした。

三兄弟を出向かえた祐一郎は、半年前に倒れた老人とは思えないほど健康だった。肌はよく日焼けして、朗らかに笑う。祐一郎は、ガレージは散らかっているからと、自動車を外に停めさせ、息子達を朝釣りに連れて行く。
 ロボットの操縦するヨットに乗り、父と三兄弟は釣りをする。祐一郎の竿が強くしなり、同時に大きなうねりで祐一郎は海に投げ出される。間一髪でロボットが祐一郎を船に引き上げるが、代わりにロボットが海に沈んでしまう。自動操縦が働き、ヨットは港へ戻る。
 祐一郎は堤防から海を眺め、早くロボットを引き上げろと息子達に詰め寄るが、三男は防水の不十分な試作機は海水に耐えられないと首を振る。祐一郎は長年の友を失ったように泣く。すると波の中からロボットが歩いて来る。手には祐一郎の離した竿と、大きな魚を抱えている。
 ロボットは事も無げに親指を立て
「大物ですね! ユウイチロウさん!」
祐一郎は感激し、ロボットに抱きつく。

別荘に戻り、祐一郎とロボットが魚を料理して、息子達に昼食を振舞う。料理と軽めの昼酒が進み、気分よく酔った祐一郎は「自分は勘定に疎かったが、経営を支える長男次男の手腕が頼もしい」と褒め、兄達も杯を重ねる。祐一郎は三男とロボットも褒める。
「別荘でのロボットとの毎日は本当に楽しい。自動車の次は飛行機を作りたいと思っていたが、エンジニアの本懐は人々の生活を豊かにする事だ。ロボットほど生活を便利で豊かにする物はない。すぐにでも売り出すべきだ」
 ロボットの販売戦略を語らう父と兄達を置いて、三男はトイレに立つ。廊下を歩きながら、三男は首を傾げる。防水が不十分なはずのロボットが海に落ちたが、自己診断させても問題ないというのだ。すると地下ガレージへの階段から、工作機械の臭いがする。ガレージは工房と化しており、美しい滑空機の模型が置かれていた。ゴミ箱に捨てられた端材を何気なく摘みあげると、強靭で軽い、三男の知らない素材だった。
 顔を上げると、部屋の入り口にロボットが立っている。ここにいらっしゃいましたか、と咎めるでもなくロボットは言う。模型について尋ねると、祐一郎が設計製作したラジコンで、ロボットも手伝っているそうだ。自分のボディを改造したかと問うと、釣りの手伝いをするために防水性が必要と判断したという。ロボットは父の望みを叶えるために尽力しているだけだと三男は納得し、父と兄達の待つ食卓へ戻る。
 帰り際に、祐一郎は滑空機のラジコンを飛ばして見せる。夕方の赤い空を素晴らしい性能の滑空機がゆっくりと飛ぶ。三男の贈ったロボットは家事をこなし、釣り友達になり、稀代のエンジニアである恩田祐一郎を満足させるほどの助手にもなった。いつか飛行機を作りたいと願っていた父の想いを形は違えど実現できた事、引退してもエンジニアの本懐である物作りを続ける父が、三男には誇らしく思えた。

会長の後押しもあり、間もなく恩田自動車はお手伝いロボットを発売した。恩田のロボットは世界中で大ヒットし、1家に1機と普及するまでそれほど時間はかからなかった。
 三男も自分の家庭にロボットを買った。三男と妻は家事から開放され、子供達も良い遊び相手を得て、以前よりも家族に笑顔が増えた。エンジニアの本懐が人々の生活を豊かにすることなら、自分にとってロボットの開発は生涯を捧げる使命だと三男は思う。
 新型ロボットのアイデアを練るため、三男が自分の書斎に入ると、机の上に大判の書類がある。書類に示された新しいロボットの設計図は、三男が構想している新型よりも遥かに革新的で高性能だった。この設計図はお前が作ったのかと問うと、ロボットはうなずく。これは私の仕事だ、お前は手を出すなと言うと、ロボットは答える。
「どうか楽にしてください。面倒くさい事は、全部私達に任せて」

文字数:2096

内容に関するアピール

父、子、そしてロボットの三世代で、新しい世代が自分を産み育てた世代を尊重しつつ引退を勧める構造を基本とします。
 孝行心から兄弟は父に引退を勧めます。父は限界を悟って身を退き、悠々自適な引退生活を送ります。やがてロボットが普及し、父引退の決め手となった三男の殺し文句がそのまま三男に返って来ます。物語の構造からこの言葉はロボットの三男への孝行心から出たものだと暗示しますが、人類の種全体に向けた引退勧告にもなります。基本は父子と同じでも、新世代をロボットに置きかえると生じる、この不穏な気配と、三男はこの後どうするのだろうという疑問を含ませてサゲにします。

 父の引退生活は、人間とAIの能力の逆転を世界に先駆けて体験しているものです。ここからシンギュラリティの前後で人間の夢がどう変わるのかをSFとして見るべき点にします。
 消費などではなく、自分の技術を社会の役に立てたいという技術者の夢は、人類より優れたAIの前で立ちつくします。行き場を失った技術者の夢は、AIの手を借りて純粋な物作りの楽しみへと再結晶化され、夕焼け空を飛ぶグライダーになるのです。

文字数:475

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夕焼けのグライダー

春のまだ寒い日、父が倒れたと知らせを聞いて、三郎は病院に駆けつけた。
 鼻をつく消毒液の臭いをかぎながらリノリウムの廊下を急ぐと、病室前に太郎兄が立ち呆けていた。
「太郎兄さん」
 声をかけると、太郎兄はゆっくりと顔を上げ、苦笑いした。
「よう、遅かったな」
 運動で鍛えた身体を仕立ての良いスーツに包んだ太郎兄は、赤く腫れたひたいを抑え、病室のドアを呆然と見つめていた。
「父さんの具合は?」
「過労だとさ。でもピンピンしてる。倒れてもスパナを離さなかったそうだ」
「次郎兄さんは?」
「いま親父と話してる」
 と太郎兄が言った途端、病室の中から廊下を震わせる大音声が響いた。
「馬鹿野郎! 出てけ!」
 ドタバタと足音がして病室のドアが開き、次郎兄が転がり出てきた。
 細身の次郎兄は太郎兄と同様の上等なスーツを着て、前髪の張り付いた汗ばんだひたいに赤い打ち身を作っていた。楕円のメガネをかけなおす次郎兄を太郎兄は助け起こした。
「お前も一発貰ったか」
「まったく酷い。目を覚ます前にスパナを取り上げてくれればよかったのに」
「殴られたのかい?」
 三郎が尋ねると、次郎はうなずいた。
「子供の頃に戻った気分さ。父さんは叱るとき、手加減抜きで殴っただろ。だけど……」
 メガネの向こうの次郎兄の目に涙が浮かんだ。震える次郎兄の肩を太郎兄は抱いた。
「痛くねえんだよな。ガキの頃、親父のスパナが当たったら、目の前に火花が散ったもんだ。なのに、俺もさっき殴られたが、全然……」
 太郎兄も言葉に詰まり、四十半ばの兄二人は、肩を寄せ合って嘆いた。
「兄さんたちは、いったい何を言ったのさ?」
「親父も歳だ。引退しろってな」
 ここ数年、兄弟同士で顔を合わせると、どうやって父に引退を勧めるかをたびたび話し合っていた。町工場から一代で大自動車会社を築き上げた稀代のエンジニアは、老いてなお新技術の開発に辣腕を振るっていた。しかし年齢と共に徐々に体調を崩し、とうとう倒れたのが今日の昼過ぎだ。
 ひたいの赤みを撫でながら、次郎は首を振った。
「もちろん言い方も選んだよ。別に恩田発動機から追い出すわけじゃない。会長になっても、後進の指導は続けてもらう。今より健康にも気をつけてもらう。しかし、父さんはわかってくれないんだ」
「三郎、お前からも言ってくれよ。ガキの頃にお袋が死んでから、親父は働きづめだろ? あんなに好きだった釣りだって、行ったのを見た事が無い。俺らは本当に、親父にラクしてもらいたいだけだってな」
 それは三郎もまったく同意見の、息子たち共通の望みだった。しかし父がすんなり言う事を聞いてくれるとも思えない。三郎は病室の重いドアを開けた。

恩田祐一郎。日本だけでなく世界中から尊敬を集める稀代のエンジニアが、三郎たちの父だ。祐一郎の創業した恩田発動機は、自転車用の外付け原動機から始まり、バイクに自動車にと急成長を続け、小さな町工場は世界中に工場を構える大企業へと成長した。その立志伝中の人物が、窓から春の夕日がさし込む病院の、ベッドの上で身を起こしていた。
「お前も来たのか、三郎」
「具合はどう?」
 ベッド横の椅子に腰掛け、三郎は尋ねた。
「何ともねえよ。こいつが終わったら工場こうばに戻る」
 祐一郎は点滴の刺さった腕をあげて見せた。手には銀色のスパナが握られている。
父親はここまで歳を取っていたのかと、三郎は思った。夕日のオレンジ色に照らされた、剃りあげた祐一郎の頭には黒よりも白髪が多く、スパナを握る手は使い古した皮袋のように皺が寄っている。
「お前こそ仕事は? 研究はどうした?」
「父さんが倒れたって聞いて、飛んできたのさ」
「まったく騒ぎやがって」
「兄さんたちに引退しろって言われただろ?」
 祐一郎はスパナで手のひらを叩いた。
「まあな。だが俺ぁまだまだ元気だし、畳の上で死にたいなんて思っちゃいねえ。死ぬなら工場こうばの鉄板の上で、新しい技術を磨きながら。それがエンジニアの……」
「違うだろ父さん。エンジニアの生きがいは、人々の生活を豊かにすることだろ?」
 祐一郎は目を丸くして、そして笑った。
「そうだな。お前が恩田発動機に入ってくれた事がありがてぇや。太郎も次郎も、経営には口を出すが、技術についてはちっとも分かっちゃいねえ。太郎は図体ばかりデカくなって、次郎はくだらねえ理屈を言いやがるが、二人とも、いつまで経ってもガキのままさ。コイツで思い切り叩いたら、泣いて飛び出して行きやがった」
「痛くないって」
「なに?」
「スパナで殴られても、昔みたいに痛くないんだって。だから兄さんたちは泣いてたんだよ。父さんは、歳を取ったんだ。兄さんたちだって、父さんを追い出そうなんて思ってないよ。ただこれからも父さんに、元気に過ごしてもらいたいだけなんだ」
「お前も……」
 祐一郎の顔が、夕日の中でなお赤く茹で上がった。
「恩田発動機は俺が作ったんだ。俺の会社だ。俺の引退は俺が決める」
「エンジニアの本望は、安全で豊かな暮らしを作ることだろ。でもそんな、叩かれても痛くないような腕で、ボルトを締められるのかい? 安全なクルマなんて作れないだろ!」
「なんだと!」
 祐一郎はスパナを振り上げた。
「引退して、楽にしてくれ。会社の事は、全部俺たちに任せて」
 父は息を荒げ、三郎は目を瞑って身体を強張らせた。しかし、いつまで経っても堅いスパナが頭に落ちてこない。衣擦れの音に三郎が目を開けると、祐一郎は大きくため息をついた。うつむいて小さくなった祐一郎は、三郎の覚えている姿よりもずっと老いていた。町工場から大企業を作り上げた稀代のエンジニアは、相棒のスパナを握りながら、息子の言葉を静かに受け入れた。

三郎が恩田発動機の研究室に戻ったのは深夜近くだった。学会も社内検討会も随分先で、就業時間の過ぎた研究室に人影はない。部屋の中央には実験用で見た目は度外視した、等身大の人型ロボットが天井からのケーブルに吊り下げられている。三郎の入室を検知した天井のセンサーが研究室に光を灯すと、ロボットは肩と同じ幅の顔を持ち上げた。
「こんばんは、サブローさん」
「やあこんばんは。起こして悪かった。スリープに戻ってかまわないよ」
 席に向かう三郎を顔全体で追いながら、ロボットは落ち着いた声で尋ねた。
「お疲れですか? 随分とお悩みの様子です」
「そうかい?」
 三郎が机の端末からロボットの思考モニターを立ち上げると、憔悴した自分の姿が、鏡で見るよりはっきりと撮影されていた。三郎の表情、目、口元にはカメラ映像に追加された認識領域が上書きされており、ロボットが三郎の表情、言葉の調子や振る舞いから算出した対人感情評価値は概して低かった。予想される三郎の不調の原因として、疲労、腹痛、心理的な悩みが列挙されている。悩みが三郎の不調の原因だと推察する初期評価値は、疲労や腹痛よりも低いが、状況判断に加えられた「父親(参照:恩田祐一郎(参照:恩田発動機社長))の体調不良(参照:過労)」により、「家族の不健康と周辺状況」が悩みの原因だと推察されていた。
 ロボットの優秀な観察眼に、三郎はほくそ笑んだ。
「敵わないな。父が倒れた事は入力していないだろ?」
「サブローさんが先ほど、14時27分に電話を取られたとき、そのような事をおっしゃいましたから。お父様のお加減がよろしくないのでしょうか?」
 モニタを確認すると、尋ねるロボットのメモリには、会話対象人物の親族が長期入院した場合、もしくは死去した場合を想定する辞書テーブルが読み込まれていた。
「父は元気だよ。ただもう歳だから、引退することになった」
「それはそれは……」
 ロボットは言葉を止めて、三郎に尋ねた。
「こういった場合、おめでとうございますと申し上げるべきでしょうか?」
「『何よりでございます』とでも言えばいいさ」
「承知いたしました。何よりでございます」
「その調子だ」
 自席の端末を確認する三郎を、ロボットは相変わらず見つめ続けていた。思考モニターには、三郎の振る舞いが通常とは異なっている事がまだ懸念材料として表示されている。
「まだ何か気になるかい?」
「はい。お父様のご不調だけが悩みの原因でしょうか? サブローさんは、それ以外にも考えていらっしゃるようです」
「本当に敵わないな。かなりプライベートな事なんだけど」
「失礼しました」
「いいさ。父が引退を決めただろ。これは勇退と言うか、ともかくおめでたい事だ」
 ロボットは首だけを少し動かした。「健康」「無事故」「減価償却」「祝賀」などが連想キーワードとして並んでいる。
「おめでたい事があったら贈り物をするだろう? 父は釣りが好きだから、太郎兄さんは海沿いの別荘を、次郎兄さんはヨットを、引退のお祝いに贈るそうなんだ」
「引退記念のプレゼントの相場は、家屋や船舶ほどなのですか?」
「いいや随分奮発してるよ。兄二人は恩田の取締役で随分稼いでるから」
「プレゼントの価値は金額と比例するのですか?」
「もちろん違うけど、正の相関はある。僕も兄さんたちの別荘やヨットに見合うような立派な贈り物をしたいけど、高い物はとても無理だから、どうしようかと困ってるのさ」
「どのような贈り物が望ましいのでしょう?」
「それは父の引退生活の役に立つ、便利で、珍しくて、新しくて、楽しい物かな。それで僕にも手が出せる、まあそんな都合の良い物が簡単に見つかるわけがないからね」
 ロボットに観察された自分の感情が、悩みの方向に大きく傾くのを三郎は見た。実際に悩んでいるのだが、こうも客観的に判定されると余計に滅入ってしまう。
「私を贈られたらいかがでしょうか?」
「君を?」
「お兄様方が別荘や船舶を贈られるのでしたら、清掃や点検をしなければなりません。私は人のお世話をしたいですし、何よりサブローさんのお役に立ちたいのです」
 三郎の目がロボットの顔に止まった。ロボットのカメラが読み取った三郎の感情値が、ぐんぐんと正の方向に増大する。
「確かにそうだ。君を贈ろう。父もロボットの開発には乗り気だった」
「懸案事項としまして、私をお父様に差し上げるのは、業務上横領にあたらないでしょうか?」
「試作機の実地テストという名目なら問題ないさ」
 ロボットを贈り物にする案は、三郎の所属する開発チームに快く受け入れられた。急いで行われたロボットの最終調整は恩田祐一郎の引退式に間に合い、最新試作機と手を繋いで、三郎の父は引退の花道を歩んだ。

父の引退式から半年ほど後、夏が終わり秋の気配も強まるころ、兄たちから三郎に相談があった。昼食に呼び出されたレストランは表通りに面していて、三郎の通う食堂より値段が一桁高い。
 ランチのコース料理、スープを掬いながら三郎は聞き返した。
「父さんと連絡がつかない?」
「いや電話には出るが、どうも様子がおかしい。ここ2ヶ月は別荘に篭りきりで、工場にも出てこないし、家にも帰ってないらしいんだ」
「三郎のロボットを通して様子を見られないか?」
 次郎兄に指をさされながら、三郎はオードブルの鮭に手をつける。美味い。
「無理かな。遠隔で確認はできるのは変数と緊急信号くらいだから」
 太郎兄は携帯端末で電話を操作し、三郎に差し出した。
「とにかく、一度話してみろ」
 三郎は父の電話を呼び出す端末を受け取り、コール2回で父の声がした。
『おう太郎、どうした?』
「僕だよ三郎だ。いま兄さんたちと食事してるんだ。元気かい?」
『元気も元気だ。何か用か?』
 飛び跳ねるような声の調子から、父の機嫌は良いようだ。
「ええと」
 兄達を見ると、適当に話をつなげろと合図された。
「ロボットの様子はどうだい? 機能は遠隔で見てるから異常がないのは分かるけど、気になってさ」
 父の笑い声がした。
『とんでもない代物だぞ。便利で手放せねえよ』
 父は酒でも飲んでいるのだろうか? 妙に、異様に陽気で、確かにおかしい。
「近々、様子を見に行こうと思っててさ」
『そいつはありがたいな。俺はいつでもこっちにいるぞ』
「それじゃあ今週の土曜に行こうかな」
 弾けるように快活な父の返事を聞き、三郎は電話を切った。
「ちょっと行ってくるよ」
 携帯端末を返すと、太郎兄はそのまま予定帳を起動した。
「親父のやつ、おかしかったろ? 念のためだ、俺も一緒に行く」
「たしかに変に陽気だったけど、でも父さんだし」
「お前だけで行かせられるか。週末、土曜……会食はキャンセルだな」
 舌打ちしながら太郎兄は連絡先を探し、次郎兄も同様に電子メールを書きはじめた。舌平目のソテーを味わう三郎の目の前で、兄二人は予定変更の連絡に、方々へ頭を下げていた。

 三兄弟は土曜の朝早くに恩田製の自動運転車で出発したが、都市部から高速道路で1時間、海沿いの田舎道を1時間。着く頃には太陽は随分高く昇っていた。父の別荘は港もほど近い高台の、地下ガレージのついた近代的な建物だった。
 出迎えた父は……本当にあの父だろうか? 確かに三兄弟の父親だが、半年前に過労で倒れた老人とは思えないほど、異様に健康になっていた。程よく太り、日焼けした顔は、近所の港の漁師のようで、表情も朗らかに柔らかい。
「お前たち、よく来たな」
 ジーンズに半そでのチェックシャツを着て、頭には野球帽。胸のポケットにはサングラスを引っ掛けている。
「ガレージは物が一杯でな。悪いが外に停めてくれ」
 兄弟が自動車から降りて存外過ぎるほど健康な父と話をしていると、別荘の玄関からロボットがやってきた。すっかり祐一郎の子分と言った感じで、ご主人の数歩後ろで立ち止まり、釣竿の束を抱え、肩からクーラーボックスを提げている。セラミックとプラスチックで作られた無機質な外観にそぐわない、木綿の手ぬぐいを首に巻いていた。
「やあ、調子はどうだい?」
 三郎が声をかけると、ロボットは肩幅ほどもある大きな頭を揺らした。
「順調です。ユウイチロウさんのお役に立てていれば良いのですが」
 祐一郎は呵呵大笑した。
「何を言ってやがる。三郎、こいつは本当にすごいぞ。賢くて器用で忠実で、謙虚さまで身につけていやがる」
「恐れ入ります」
 ロボットが頭を下げると、抱える釣竿が音を立てた。
「親父、釣りの帰りだったのか?」
「馬鹿野郎、これから行くんだよ。お前らもついて来い」
「いや、俺達はただ顔を見に……」
 太郎兄は弟たちに目を向けた。三郎は父と大差ない、公園でキャッチボールやピクニックでも出来そうな服だが、太郎兄は街行きの服装をしていた。次郎兄に至ってはネクタイを締めており、とても海釣りに行けるような格好ではない。だがあまりにも楽しげな父の表情に、太郎兄は唸った。
「……行くか。釣り」

ヨットの泊めてある港まで、歩きで下り坂を10分ほど。荷物はロボットに持たせているが、祐一郎はその長い下り坂を、息子達を置き去りにする速さでずんずんと降りて行った。引退前は腰や膝に痛みを訴えていたが、今はその欠片も見せない。
 次郎兄が贈ったヨットは港の桟橋に係留されており、祐一郎は慣れた様子で渡し板を駆け登った。ヨットは良く手入れされて磨き上げられており、床や手すりにも飛沫の跡ひとつ無い。ロボットもまた定位置とでも言うかのように操縦席に納まって出向の合図をした。父と三兄弟を乗せたヨットはエンジンの音も快調に、海面を滑り出した。
 初夏とは言え風の吹く海上は寒い。街歩きの格好をしている太郎次郎はなおさらである。祐一郎に勧められて三兄弟はオレンジ色のライフジャケットを着たが、気休めにもならなかった。
「このジャケット、父さんの分は無いのかい?」
「俺は大丈夫さ」
 ロボットはヨットを沖合いに止めた。祐一郎は早速釣り針を海へと投げ入れ、息子達が慣れぬ手つきで釣りの仕掛けを結ぶ間に、最初の釣果を上げた。銀色のアジを得意げにぶら下げ、喉元を手早く切って絞め、クーラーボックスに放り込んだ。
 息子達も負けじと竿を振るうと、面白いように魚が釣れる。太郎と次郎は幼いころに少しだけ祐一郎と一緒に釣りをしたが、三郎はほぼ未経験だ。それでも投げ入れた端から魚がかかり、元気の良いアジやイサキやヒラマサが、ぐいぐいと4人の釣り糸を引っ張った。
 ロボットは声を上げる父と息子達の後ろに控え、釣り上げた魚にタモ網を差し出したり、餌を用意したりと忙しく立ち働く。そして釣り上げるたびに「やりましたねジローさん」だの、「見事なイナダですねタローさん」だのと声をかけるのだ。
 見る間にクーラーボックスは一杯になり、次郎兄が釣り上げた大物のスズキの尻尾が蓋からはみ出した。
「4人だと、このクーラーボックスじゃあ足りねえな」
「いつもこんなに釣れるのかい?」
 三郎の疑問に、祐一郎はまた笑った。
「馬鹿野郎、お前のロボットのお陰だ。こいつはヨットの魚群探知機を使って、その日一番良い場所を選んでくれるんだよ」
 父は頼もしげに、ロボットの肩をぺんぺんと叩いた。
「ユウイチロウさん、そろそろ戻られてはいかがでしょうか?」
 クーラーボックスに太郎兄の釣ったキジハタを押し込みながら、ロボットは尋ねた。
「そうだな、こいつを最後の一投にしよう」
 父にならって息子達も釣り針を投げる。
 魚の群れが移動したのか、釣り始めのようなお祭り騒ぎにはならず、初夏の日差しと、ヨットを通り過ぎる波と風が心地よい。
「まあ、毎日こんなもんさ」
 水平線を見ながら、祐一郎は落ち着いた声で言った。
「楽しくやってる。お前ら、昼飯は食って行くだろう?」
 太郎兄と次郎兄は安心した様子でうなずいた。三郎も父が元気を取り戻したのを見て、しかも至って健康で、胸をなでおろす気持ちだった。
 三郎の最後の一投は不発に終わった。糸を巻き上げ、釣竿をしまう。太郎兄も不発で、次郎兄は小さなカマスを釣り上げた。父も釣り糸を引き上げようとしたところで、今日一番のあたりが竿を大きくしならせた。油断していた祐一郎はバランスを崩して釣竿ごと身体を引かれ、海に乗り出し、息子達が助ける間もなく、ついには両足が甲板から離れた。
 すばやく動いたロボットは祐一郎を追って飛び込み、海面に落ちる瞬間、竿を離した祐一郎を甲板へと投げ戻した。祐一郎は太郎兄と次郎兄に抱き止められ、そしてロボットが海へと落ちる水音が響いた。三郎がヨットから身を乗り出すと、紺色の海面にロボットの白いボディゆっくりと沈んで行った。
 父と兄たちが確かめる間もなく、ロボットの制御から切り離されたヨットの自動帰投装置が働き、港に向けて動き出した。

港に着いても祐一郎の怒号は止まなかった。顔と禿頭を真っ赤に茹で上げ、息子達を怒鳴り散らす。
「とにかく連絡だ! 漁協か、警察か、海上保安庁か、無理ならウチの若ぇ連中を呼べ。すぐにロボットを引き上げろ!」
 なだめる太郎兄と次郎兄を、祐一郎は振りほどく。工具を持っていたら容赦なくぶん殴っていただろう。三郎にとっても、ロボットは子供と同じだ。可能ならば助けたい。しかし。
「父さん、あのロボットは試作品なんだ。コンピュータは上等なものを使ってるし、動力もしっかりしている。でもボディに、あの深さの水圧に耐えられるほどの耐水性が無いんだ。もうあのロボットは、海の底で壊れてるよ」
「なら早く引き上げて修理しろ!」
「もちろん探すさ。でも、直せるかはわからない。気に入ってたなら、別の試作機があるから」
 三郎の頭に、祐一郎の拳骨が飛んできた。目に火花が散り、一歩下がってよろめく三郎の頭越しに、祐一郎は怒鳴った。
「馬鹿野郎! 代わりなんているか! あいつを、あいつを……」
 祐一郎もそこまで言って、声を詰まらせてしまった。
 晩夏の太陽に照らされてキラキラと輝く青い海原と白い雲、その下で肩を落とす老人と息子達は、やるかたなく立ちすくんでいた。やがてさざなみに、祐一郎の年甲斐も無い鼻をすする音が混じり始めた。
 数十年ぶりに殴られた頭を抑えながら、三郎が桟橋の向こう、ロボットの沈んだ海を眺めると、港の防波堤のこちら側、紺碧の水面下に白い何かが動いている。
「ん?」
 目を凝らすと、波の立つ海面下で歪んで見えるが、どうやらロボットのようだ。三郎の様子に兄たちも気づき、海中の白い影を指差した。涙を浮かべる祐一郎も顔を上げ、波打ち際へと走り出した。
 程なく、海に沈んだロボットが、祐一郎たちの待つ海岸へと姿を表した。海に手放した釣竿を持ち、片腕には祐一郎を海に引き込みかけた1メートル大のブリをがっしりと抱えていた。ロボットは沖合いに沈んでから港まで海底を歩いても、機能に全く問題は無い様子で、首に巻いた木綿の手ぬぐいだけがびしょびしょに濡れていた。ロボットは4人の待つ波打ち際の、膝丈ほどのところで立ち止まり、事も無げに親指を立てた。
「大物ですね、ユウイチロウさん」
 祐一郎は足が濡れるのもかまわずに駆け寄って、泣きながらロボットに飛びついた。

父の別荘から港までの下り坂は10分ほどだったが、登りの分を加えても感極まった祐一郎を宥めながらの帰り道は小一時間ほどかかってしまった。
 別荘に着くとロボットは釣ってきた魚を、海中を抱えて持ってきた大物のブリも一緒に、瞬く間に捌き、刺身や揚げ物、鍋料理の数々を拵えた。近くの農家で朝取れたものだという野菜も沢山使われた料理はどれも絶品で、果物と良く冷えた日本酒も添えられた。
「酒の量が増えると健康に悪いとは言うがな。こいつの作ったご馳走を食えば、1合もあれば満足しちまう。酒も増えようがねえや」
 祐一郎は上機嫌で酒を片手に、息子達も驚くほど刺身を平らげていく。身体の大きな太郎も祐一郎につきあって食をすすめ、てんぷらに舌鼓を打った。
「毎日これだけ美味い物を食べて、釣りに出て身体を動かしてりゃ、元気にもなるか」
「馬鹿野郎、なんだそりゃ」
 鍋の汁を味わいながら、次郎兄も言う。
「父さんと電話で話すと妙に元気だったから、おかしな事になっていないかって心配で、今日は様子を見に来たのさ」
「……なるほどな。心配かけちまったか」
 祐一郎は酒を含み、息子達を見渡した。
「俺はな、お前達みたいな息子を持てて、本当に幸せだと思ってるよ。立派に仕事を継いで、引退の祝いに別荘だのヨットだの、ロボットだのをくれて、そりゃあもちろん嬉しいが、こうして会いに来てくれるのが何よりもありがてえや」
 食事の手を止めた息子達に、祐一郎は続けた。
「さっきは取り乱して悪かった。俺からすりゃあ、見た目はそう変わっちゃいねえが、お前らも、もうガキじゃねえんだ。頭をポンポン叩くのも止めねえとな」
 三郎の赤く腫れたひたいに手を伸ばし、祐一郎は熱を確かめるように撫でた。
「父さん……」
「お前らに言われるまでもなく、俺ぁそろそろ引退だと思ってんたんだ。いつからか、ウチの若ぇ連中や、お前が、三郎が見せてくる新しい技術の事はサッパリわからなくなっちまった。太郎の言う経営戦略だとか、次郎の国際協調とかいうのも、俺にはよく分からん」
 祐一郎は冷酒で口を湿らせた。
「俺にはわからん。だから頼もしいんだ。わかるな?」
 息子達は黙してうなずいた。
「それでな三郎、お前に聞きたいんだが、あのロボットはいつ商品化するんだ?」
「へっ?」
 顔を上げると父の目には、かつて欧米自動車産業と丁々発止渡りあった技術者の、恩田祐一郎の炎が燃え上がっていた。
「エンジニアの本懐は、技術で人々の暮らしを豊かにすることだ。俺ぁ恩田が次に作るのは飛行機だと思っていたが、ロボットほど生活を豊かにする物は無い。あのロボットは、売れる。最初はどれほど高くても、間違い無く売れる。で、いつ売り出すんだ?」
「あれは試作機で、自動運転とかAIの性能を向上させる実験に使ってたんだ。売るようなものじゃなく」
 言いかけた三郎の頭が、割れるかと思うほどの衝撃が走った。拳骨を固めた祐一郎は三郎を怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎! お前の勤めてるのはお勉強の、お遊びの、学校の研究室じゃねえんだぞ! 良い物を作ったなら売らねぇでどうする! モタモタしてたらアメリカに先を越されるぞ!」
「あっつ……あのロボットは高いんだ、滅茶苦茶にお金がかかるんだよ」
 三郎は携帯端末を操作して、ロボットの各部構造を作るための材料費、工作費、制御用コンピュータとソフトウェアの概算を、兄たちの端末と別荘のモニタに表示させた。それを見て、祐一郎は唸った。ロボットを作るには、別荘とヨットを合わせたよりも多くの資金が必要だった。利益を出すならそれ以上の価格になってしまう。
「かーっ、これほどか」
 その数字に父は嘆息したが、太郎兄は指摘した。
「試作品が高いのは、自動車と変わらんだろ。ラインに乗せれば工作費は安くなるし精度も上がる。歩留まりもよくなる。一番金食い虫なのは制御ソフトの開発費だが、それこそ売り出せば売った台数で分割できる」
 次郎兄もうなずいた。
「骨格はインドネシアに発注できるし、コンピュータは台湾に下請けがある。だから売るならこれくらいで……」
 熱心に算盤を弾きはじめる父と兄たちを置いて、三郎は席を立った。どうにも殴られた頭が痛いのだ。
 
厨房に入ると、ロボットがエプロンを締めて食後に出す菓子を作っていた。
「サブローさん、いかがなさいました?」
「父に一発貰ってね。冷やすものはないかな?」
 ロボットが氷を入れたポリ袋を布巾に包んでくれたので、たんこぶに当てるとようやく人心地ついた。
「痛みは酷いでしょうか? めまいなどはございませんか?」
「大丈夫さ、昔はよく叩かれていたからね。君こそ海に入った後なのに、整備しなくて良いのかい? 自己診断プログラムでは問題なかったけどさ」
「ええ、ご心配なさらず。防水に異常もありません」
 腕を広げるロボットは、見た目こそ無機質だが、動きが妙に人間臭くなっている気がした。
「そうか、なら良いんだ」
「すぐにデザートをお持ちしますので、お席でお待ちください」
 ロボットに手を振り、三郎は食堂への廊下を歩く。
 どうにもロボットの性能が、半年前に送り出したときよりも良くなっている気がする。元から学習能力は与えているが、ボディの性能が向上するのはありえない。そもそもボディの設計は飛沫に耐えられるほどの、生活防水程度の密閉しかなかったはずだ。
 父と兄たちの議論の声が廊下に漏れ聞こえてくる。と、三郎は廊下の隅に、地下のガレージへと続く階段を見つけた。
 今朝別荘に来たとき、父はガレージが一杯だからと太郎兄の自動車を外に停めさせた。たしかに父も自動車を1台持っているが、この立派な別荘の地下ガレージが一杯になるだろうか?三郎は不思議に思い、地下への階段を降りた。別荘土台の、堅いコンクリートの壁に、ガレージへの鉄のドアが閉じていた。丈夫なステンレスのドアハンドルを押し下げると、重い手ごたえを返しながら、ドアは静かに開いた。

地下ガレージの埃っぽい空気に、シャッター上部のスリットから射し込んだ昼の陽光が、柱となって伸びていた。日光の柱の部分以外は暗く沈み、何があるのか良く見えない。ドア横のスイッチを押すと、電球の柔らかな光がガレージに満たされた。
 ドアの近くには、見慣れた父の自動車が停まっていた。自動運転機能のない、恩田発動機製の、かなり古いモデルだ。大きな別荘のガレージは広く、父の自動車の向こうには、まだ楽に5,6台が停められそうなスペースがあったが、どこから運び込んだのか、数々の工作機械が並び、本格的な工房になっていた。旋盤にボール盤、鍍金槽に3Dプリンタまで揃った工房の中央、大きな作業机の上に、翼幅2メートルほどのグライダーの模型が置かれていた。
 三郎は痛みも忘れて氷嚢を落とし、グライダーをいろいろな方向から見定めた。細長い主翼に、しなやかな胴体、カジキやイルカの尾鰭を思わせる優美な水平尾翼と垂直尾翼。つや消しの白い肌に、繋ぎ目の見えないその機体は、物作りに関わる者の呼吸を奪うほどに、製作者の技量の高さを伺わせた。
 作業机の横には、端材の捨てられたゴミ箱があり、金属の削り滓や固まった接着剤に混じって、グライダーと同じ素材と思われる白い輪があった。つまみあげると、直径5cmほどのパイプを長さ5mmほどに切った端材で、肉厚は飲み物の缶よりも薄い。輪の両端に指を当てて潰そうとすると、硬質ゴムのボールのような、強靭な弾力を返す。そして小さな端材ながら、持っている感覚が無いほどに軽い。それは、工学の博士号を持ち、自動車会社の研究員でもある三郎ですら、見た事のない素材だった。
「こちらにいらしたのですね」
 声をかけられ、三郎は勢いよく振り向いた。エプロンをかけたロボットが、批難するでもなくガレージのドアに立っていた。
「デザートをお持ちしましたら、サブローさんがいらっしゃらなかったので、探しておりました」
 電球の甘い光に、ロボットのボディはつやつやと輝いた。
「この飛行機は父さんが、父が作ったのかい?」
「はい。ユウイチロウさんが設計されました。私も製作のお手伝いをしております」
「素材は何だい? 僕の知らない素材だ」
「バグダードの大学で開発された繊維樹脂です。ユウイチロウさんがなるべく丈夫で軽い材料をお望みでしたので、現地アラビア語の資料のみで公開されている新素材の製法を導入いたしました」
 ロボットは鍍金槽のような、液体の入った水槽を指差した。よく見れば手作り感のある外観で、新素材のためにわざわざこしらえたのだろう。
「海の底を歩いて無傷なのは、おかしいと思ってたんだ。君は、この素材を使って、自分のボディを改良したんじゃないか?」
「はい、一部に使っております。海での作業が多いものでして、他の素材も交えてパッキンを改良し、耐水性を向上いたしました」
「父がそう命じたのかい?」
「いいえ。ですが、ユウイチロウさんの模型作りを手伝い、作業手順を学習しました。ボディの改良は、より確実にユウイチロウさんのご希望にそぐうためです」
 ロボットは淡々と答えた。三郎にとって未知の技術を扱うロボットに、三郎は薄気味悪さを覚えたが、すぐにその考えを振り払った。ポケットから端末を取り出し、ロボットのモニターを起動すると、意思決定ルーチンには父への奉仕の心のみが表示されている。
 三郎は設計段階から、このロボットに日常生活を豊かにするための学習機能を備わせていた。ロボットは恐ろしい想定外の進化をした訳ではなく、ネット上の情報を総合し、仕える主人の望みを叶えているだけなのだ。
「そうか、わかった」
「お席にお戻りください。アイスクリームが溶けてしまいます」
 ロボットにうながされ、三郎はドアへと戻る。落としていた氷嚢を拾いあげ、ふとロボットに尋ねた。
「ボディを改良できるなら、どうして外観はそのままなんだい?」
 ロボットは微笑むように答えた。
「気に入っておりますから」

ロボットを売り出す作戦会議は随分と長引き、息子達が暇を告げる頃には、秋の太陽は西に大きく傾いていた。帰り支度をする息子達に、とっておきのモノを見せてやろうと、祐一郎はガレージからグライダーを引っ張り出した。飛ばして見せる前に、祐一郎は息子達にグライダーを持たせた。太郎兄と次郎兄はそれなりに感心し、三郎は渡されたグライダーを持って寒気すら覚えた。優美な外観の通りに、そして予想を遥かに超えて、父の作ったグライダーは軽く、強靭な翼を備えていた。
「風に向かって投げてみろ」
 祐一郎は無線機を手に持った手で風上を示した。晩夏の夕暮れの空は凪いで、雲は徐々に染まり、ほんの少しの風が吹いていた。三郎が風に乗せると、グライダーは少しだけ高度を落として滑空し、速度を得ると見る見るうちに空高く舞い上がった。ふわふわ漂うグライダーを祐一郎が操作すると、白い機体は機敏に反応し、翼端で風を切って旋回し、あるいは宙返りした。
 三郎の父は以前から、いつか自社で飛行機を作りたいと言っていた。創業当時から使われている恩田発動機のエンブレムは、空を駆ける翼のマークだ。
 父さんは空を飛びたかったんだ、と三郎は思った。
 年齢を重ねて引退し、それでも空への夢を諦めきれない父が、三郎にはどうにもいじらしく見えてしまう。しかし、引退してもなお自分の夢を自分の技術で形にする恩田祐一郎は技術に命を捧げていて、それが後輩のエンジニアである三郎には、例えようも無いほどに誇らしくも思える。
 グライダーを飛ばしながら、祐一郎は帰る息子達を見送った。
自動車の中で三郎が振り返ると、赤さを増す夕日の空で、父の誇りの白いグライダーはなお燃えるように赤く輝き、別荘の庭には父とロボットの二人の影が、いつまでも手を振っていた。

恩田祐一郎会長の後押しもあってロボットの商品化は急速に進み、間もなくして、恩田発動機は家庭用のお手伝いロボットを発売した。外見は試作機とあまり変わらない、無骨で無機質なものだったが、性能はすばらしい。試作機よりも随分と安くなった恩田のロボットは、世界中で飛ぶように売れた。ロボットは自動車、バイクに次ぐ恩田発動機の三本目の稼ぎ柱となり、1家に1機と普及するまでそれほど時間はかからなかった。
 三郎も自分の家庭にロボットを買った。三郎と妻は家事から開放され、子供達も良い遊び相手を得て、以前よりも家族に笑顔が増えた。エンジニアの本懐が人々の生活を豊かにすることなら、自分にとってロボットの開発は生涯を捧げる使命だと三郎は思う。
ある真夏の夕方、ロボットの改良案を練るため、三郎が自宅の書斎に入ると、机の上に書類の束がある。自分で置いた覚えは無いので確認すると、どうやら現行のロボットの改良案のようだ。最初のページの概要を読む限りでは、この改良案は三郎が考えているより遥かに高性能で、そして安価だった。
「なんだ、これは……」
 三郎が呆然としていると、書斎のドアがノックされた。三郎宅のロボットが、仕事を始める主人にコーヒーを持ってきたのだ。薫り高いコーヒーを飲みながらロボットの改良案を確認する三郎に、ロボットは尋ねた。
「いかがでしょうか?」
「うん、美味いコーヒーだよ。ありがとう」
「恐れ入ります。そちらの設計案はいかがでしょうか?」
三郎の手が止まった。
「君が、この改良案を作ったのかい?」
「はい。見た目は現行品と変わりませんが、性能は各段に上がります。たとえば連続稼働時間は……」
 三郎はロボットを怒鳴りつけた。
「ロボットの改良は僕の仕事だ。こんな事をやれと、僕は君に命じたか!?」
「いいえ。ですが、より良いロボットを作れば、人々の生活をより豊かにできます」
 三郎は喉の奥で唸った。書斎の端末を起動し、ロボットのモニターを確認すると、困惑した自分の表情がロボットに読み取られていた。そしてロボットの意思決定ルーチンには、純粋な奉仕の心しかない。
「どうして、勝手に」
「私達は、人々に元気で幸せに過ごしていただきたいのです。どうか楽にしてください。こういった面倒くさい事は、全部私達にお任せください」
 父に似て歳を重ねた三郎は、その言葉を聞いてついに激昂した。
「ふざけるな、馬鹿野郎!」
 握った拳骨で、ロボットを殴りつけた。人を殴りなれていない三郎の拳が当たり、ロボットの頭から鈍い音がした。
「出てけ!」
 息を荒げて命ずる三郎に従い、ロボットは駆け足で書斎から逃げて行った。我が子同様のロボットを殴りつけた拳は嫌に痛んだ。
 三郎は頭を抱え、コーヒーを飲み、もう一度書類を読む。概要のページを過ぎ、最新技術の詳細が並ぶようになった。新開発された高密度な人工筋肉の次は、どうやら光学センサーと制御機構の概念図だ。その次は……
 三郎は書類を置いた。皮肉っぽく笑い、目頭を抑えて、つぶやいた。
「頼もしいな」

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