火星の原節子

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梗 概

火星の原節子

 2258年、火星。人類の一部は、環境汚染によって作物の栽培が困難になった地球を離れ、テラフォーミングでできたこの星のコミューンに移住した。そこで歴史学者たちは、データからVR空間をつくるプログラマーたちと手を取り合い、火星の広大な荒野の中に仮想現実空間を構築。ヴァーチャル生活に参与観察することで地球の歴史上にあったあらゆる時代、あらゆる場所の細部まで再現しようと試みている。

 あるとき、日本史専門の歴史学者の「私」は、ドイツ系白人のプログラマー、ダミエルからオヅヤスジロウという人物が記録したとされる、それ以外の出自が不明な1950年代の東京の資料を入手する。21世紀後半の大規模な「文化革命」で多くの文化資料が失われた日本の近代史は大変貴重な資料とされていた。

 「私」は専用の「鎧」を装着して、1950年代のヴァーチャル空間に「巨大な老人」のアバターで降臨。仮想世界を幽霊のように徘徊して、こっそり市井の人たちの暮らしを観察しつつ、現実世界では鎧姿で廃墟となった火星の「ネオトーキョー」を歩き回る。

 「私」は、当時の日本人がいかに大学を卒業し、就職し、結婚し、転任し、子どもを育て、老年を準備し、死者を葬るかを知るようになる。しかし観察を進めるうちにあまりにも規則正しく当時の人間たちが精密機械のように動くこと、自分がなぜか当時の人たちとは似ても似つかない別の時代からきた「巨大な老人」の姿をしているかに違和感を覚え、これが本物の歴史ではなく作られた虚構ではないかと疑うようになる。

 「私」はハラセツコという女に調査の照準を絞り始める。彼女も自分と同じように日本人離れした巨躯を持っている。俳優のようにいくつもの経歴を渡り歩くハラセツコ。今は純朴な戦争未亡人だが、戦前は高級軍人の娘であったとか、軍の機関を爆破しようとしたテロリストの恋人であったとか相矛盾するいくつもの経歴の噂が彼女を付きまとう。「私」は次第に、矛盾の原因が彼女もまた自分と同じようにどこかからこの仮想世界に侵入した火星の住人だからではないかと期待するようになる。

 直接の接触を決意した「私」は、彼女とともに東京観光をすることになる。待ち合わせ場所の銀座で百貨店の外壁にハラセツコが写った巨大な資生堂の広告を見つけると、「私」の期待は確信に変わる。街を回った後、別れ際にハラセツコは「私」に切り出す。

「もう帰りたいんじゃないんですか」

「いやァ、お前じゃよ。お前が帰りたいんじゃろ。東京も見たし、熱海も見たし、鎌倉も見た。もう帰るか。あんたのこれからのことなんじゃがなァ、やっぱりこのままじゃいけんよ。いつまでもあんたにそのままでおられると、こっちが心苦しゅうなる。こまるんじゃ。」

「いいえ、そんなことありません」

「いやァ、そうじゃよ。あんたみたいないい人はない」

「私を買いかぶってるんです」

「買いかぶっとりゃせんよ」

「いいえ、私そんな、おっしゃるほどのいい人間じゃありません。そんなふうに思っていただいてたら、私のほうこそかえって心苦しくって…」

「いやァ、そんなこたァない」

「いいえ、そうなんです。私ずるいんです。でも、私も、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、いったいどうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が、何ごともなく過ぎていくのが、とっても寂しいんです。どこか心の隅で、何かを待っているんです。ずるいんです」

「いやァ、ずるくはない」

「いいえ、ずるいんです」

「ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で」

「とんでもない…」。

文字数:1501

内容に関するアピール

小津安二郎映画のVR空間というSF小説を書いてみたいと以前から構想しており、実在の人物のキャラクター化という点では、今回の課題にそぐうのではないかと思って、梗概を書きました。

 

参考資料:

蓮實重彦「監督 小津安二郎」筑摩書房、1992年

「小津安二郎全集」新書館、2003年

文字数:134

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火星の原節子

 誰もオヅヤスジロウを知らない。私たちが触れることのなかった地球の生活の構造物を構築し、一定の期間に一度だけそれで暦を確認し、私たちも記録の中にだけ生きる人たちも同じになる。それはファサードを持たず、中からしか入ることができず、私の見解では1950年の東京のそれは建築ではなく、神輿の役割を果たす振付である。その中を動くときにだけ構造物は存在する。

 中庭に面した廊下の戸はいっぱいに開かれている。窓から差し込む白い光が、外と中とを仕切るために設けられた柵である水平二本の板に当たって、右隣に束ねられたカーテン、それからその奥の木製の台に向かって斜めの黒い二本の影をつくる。廊下の奥に続く部屋に向かっても別の戸が二枚、段々になって開かれ、木の格子が付いた窓の向こうに隣の家の壁が見える。隣の部屋への通路の真上には白地に黒縁で扉が仕切られた観音開きの収納棚があり、その側面にも別の黒い影が薄っすらと二本斜めに差しているので、手前の左手の窓の真上にも別の小さな窓があるとわかる。中庭に面した窓の柵の上には白い手ぬぐいが一枚干してある。

 まるで誰かが設計したかのように一つ一つの家具が規則正しい幾何学模様に並べられている。かつてなにかの思考実験のために作られた証拠かもしれない。あまりに整えられているそれは、いつも不確かさを捕捉し、観察しようとするあの科学の実験室に一番よく似ている。

 すぐ手前のカーテンを音もなく、ほふっ、と揺らして右隣の部屋から女が歩いてくる。白いシャツに色の薄い綿のスカート、腰から下にシャツと同じように白い小さなエプロンをかけた。女。廊下に立つと、今度はエプロンとスカートに日差しの線が入って彼女が光の背景になる。木でできた手すりに乗せて干してあったタオルを手にとって腹の前の空気を打つようにばさっと払い、二つに、もう二つに、さらにもう二つに三分の一の大きさに畳んで棚の上に置く。今度は足元においた金属製のバケツの中に手を入れ、その手が音をするので中に水がいるとわかり、雑巾が濡れたのを拾い上げてよく絞り、短いストロークで狭い廊下をしーっと、拭く。

 掃除が終わると、しまって、水の入ったバケツを抱え、すたすたと座敷を通って茶の間に入ると曲がり、やや暗いところにある台所の奥に消えていく。ここからは左手の半開きになった襖と、茶の間と台所を隔てるガラス戸越しに、台所のテーブルの上で作業をする女の姿が覗き、見えないところにある右側の棚から左側のまた見えないところにあるテーブルの上に、まずはさっきのバケツを片付けたり、手を洗ったり、食器を置いたりして何かの支度をして一心不乱に、それでも左足を軸足にしてくるくる踊るように女が動き回るのが、手を一度止めて私を見る。大きな目と鼻、真っ黒な髪、大柄な女は微笑みかける、彼女は知っている。

 がらがらと玄関の戸が開く音がするのでそちらに振り向くと、私の動きに合わせたかのように、三上さん、と家の奥に向かって叫ぶ年をくった女のしゃがれた声がする。ここが「三上」の家だとわかる。ここからは、茶の間ごしに玄関に入って来て、靴を脱がずに腰掛けたその中年女の着物の胸から下と革張りの大きくて薄い本を持った女の手元だけが覗き、私の背後から正面にどっ、どっと最初の女が歩いて玄関に向かうのが聞こえていく。

「婦人会の回覧、ここへおいてきますわよ」

「ア、どうも」

 二人がやりとりを始めようとすると今度は外から、体操着を着た子どもがやって来て、なにも言わずに家の中に入ってくる。子どもがそこで靴を乱暴に脱ぎ捨てるのを初めて見たとき、ここが脱ぐべき場所であることにも気付いていく。

「ア、お帰んなさい。ー」

「只今ァ」

 子どもは茶の間にカバンを放り捨てると、そのまま踵を返して同じ玄関から出ていこうとする。あっけにとられて二人の女はそのほうを見て、子どもの叔母に当たる私たちの女が、「どこいくの。またお向かいなんか行っちゃ駄目よ。お母さん、怖いんだから」と声をかけると、子どもは、足踏みをして、

「行きやしないよ。勉強するんだよ」とまごつきながら、さっき放り出したかばんのところに戻って英語の教科書を出そうとする。私たちの女は、中年女の訪問者に、

「本当に困っちゃうんですよ。テレビばっかり見たがって」と微笑みかける。

「アア、今お相撲ね」訪問者はさして面白くも、つまらなくもなさそうなほとんど機械に答える。子どもは、教科書をとって掴み、玄関の代わりに勝手口から外に飛び出し、

「幸ちゃん、先きィ行ってるよ」と、外の路地から隣の家に声をかけるのがここからに聞こえる。私は玄関で話し込んでいる女たちを袖にして、居室の間の狭い廊下を辿って、子どものほうを追いかけていく。視点は低く、奥の部屋の戸棚と手前の部屋の天井の敷居がぴったりいつも揃う。平面的な視界に慣れてくると、この空間は私たちのそれとは違うリアリティに私自分自身も折りたたむ気がしてくる。こうして私は空間の一部となる。この空間には私のような祭りの参加者である火星の住人と、記録の中だけに存在する者たちとがいる。私もまた小さな子どもとなって、おそらくテレビを見るためにその子どもの後を廊下を伝って追いかけていく。私が歩くせいで遠ざかる玄関にいたままの女たちの話す声が聞こていく。

「そりゃお相撲見たがるのはいいわよ。でも明日この家にいくと、ろくなこと見てこないのよ。教育上、困るのよ」

「でしょうねえ。うちはあんまりつきあいないけど……。どういうの、ご夫婦そろって昼間っから西洋の寝巻着てー」

「池袋のキャバレーに傷んだって言うから無理もないけど……」

「へえェ、そう言人? 道理で……。じゃ、どうも……」床が微かに軋む音が聞こえ、訪問者が腰を上げて去ろうとしているのがわかる。

「ア、このおソースおいくらでしたの?」

「いいわよ、あとで。ーうちも立て替えて頂いてるから。一緒にしましょう」

 彼女たちが別れる頃、発砲後に散り散りになった銃弾の破片のようにいつの間にか別の居室、隣家の居間に紛れ込んでいた私は、子どもの目的地にたどり着き、彼らの好きな、まだ市販のものとなったばかりのテレビを目にする。小さな分厚いてかてかの黒い箱に三本の足が生えた家電を、近所から集まった何人かの子どもが畳の上であぐらをかいて囲み、格子柄のガウンに赤いスカーフを巻いて椅子に腰掛けた家の主人と一緒に北洋山、冨樫の取り組みを見ている。玄関と茶の間をしきる赤いチェック柄のカーテンがあいて、また新しい子どもが一人やってくる。

「こんにちは」と、抑揚のない声で子どもが言うと

「アア、おあがり」と、主人が彼のほうを見ずに入室を許可するので、子どもは

「うん」と上ってくる。

 彼らはテレビに釘付けになったまま、相手のほうを向かずに声だけを頼りに緩やかに会話する。

(善一に)「実ちゃん、まだか」

「うん、まだ。ー今日、いいぞ若乃花」

「幸ちゃん、どっち勝つと思う?」

「そんなこと決まってるよ。なァ善ちゃんー」

「決まってるさ。上手投げ、凄げえンだもん」

「そうか。ほら、おたべよ」と、男は畳の上においた木製の器に入った南京豆を笑顔ですすめる。今度は、奥から、ガウンを着崩した家主の女房が出てきて旦那に、

「あんた、もう出かける時間よ。」そして子供たちに「お隣の坊やどうしたの? 来ないの?」と、声をかける。次は玄関があいて、ごめん下さい、という声とともに、また別の女が家の中を覗き、その子どもたちの中に自分の息子を見つけ出し、「幸三、また来てたのね! 駄目じゃないか」と短く叱り、奥の寝室からガウンの上半身と首から先を出している家主の妻に「こんにちは」と声色を変えて挨拶して、「いつもいつもお邪魔ばっかりして、本当にご迷惑ですわねえ」と、大人にはあいさつ代りに謝罪を続け、子どもには「英語どうしたの? いかないのかい? 実ちゃんもどうしたの? 善ちゃんもお母さんにおこられるわよ、こんなとこへ来てて。」と叱り、「本当にご厄介ですわねえ、お宅も……」と、また家主の妻に戻る。

「うちは構わないんです、ちっとも」と家主は言うが、訪ねてきた一人の子どもの母親は、家主がいくら構わなかろうが、このテレビという見知らぬ箱に近所中の子どもが釘付けになっていることそれ自体が気にくわないといった様子で相撲の観戦に水を差して、

「さ、みんな! みんな!」と、子どもたちを家から追い出そうとする。

「ぼくァいいんだ、英語行かないんだもん」と、ある子どもは言い返し、子どもたちの腰は重いが、それでも女に、

「何言ってンの! 言いつけるわよお母さんに! さ、おいでおいで!」と言われると、しぶしぶ立って行く。他の子どもたちが一人もいなくなった後に、テレビの前に私だけが残されるが、しばらくして玄関に紀子がやってきて、私に話しかける。屈託のない笑顔を見せる大柄な女が私を見るときの視線に介入することで、私自身もまた子どもとしてそこにいることができる。火星に来る前に二度の離婚歴があって、地球を出るときに戦争で両足を失っていることを考えれば、それがこの祭りが許す奇妙だわかるだろう。

「ねえ、お父さんどちらへお出かけかしら」

 そんなこと、知らない。私だって彼女と共有している情報の量に差はないのだ。

「お父さん、このごろ、よく出かけてるのよ。ちょっと怪しいンだけど。ちょっとお父さんのあとつけて下さらない」

 なんだって、そんな面倒くさいことをしなければならないのか。

「それでお父さん、どこ行ってるか調べて来てほしいの」

 確かに私はこれに調べるために参与した。1950年の民家たちは入り組み、お互いに乗り入れ、彼女たちは同じ話を「そうか」「そうだよ」とヤギのように繰り返す。私たち祭りの参加者は祭りが終わるまで、あるいは何かを決意するまで外に出ることができない。これは何かの転送装置であるというのがもっぱらの私の見解だ。多くの場合、それは25歳の独身の人間の女を別の場所に転送することを目的にしている。ときには間違って老人や子どもも別の場所に転送することがある。私はこれまでに29回、家の中で女が消えるのを確認しているし、それは予定通りに、しかし彼女たちの自由意志に基づいて遂行される。タイミングはあらかじめ決まっている。

 

 

 

参考資料

井上和男編「小津安二郎全集」2003年、株式会社新書館

文字数:4229

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