わたし、分裂

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梗 概

わたし、分裂

宇宙に人類が進出し、転移ゲートが普及しつつある未来。

十五歳の山越みゆせは、懸賞で、転移ゲート無料使用権利を獲得する。特殊な場合に主に使われている転移ゲートを一般の人にも気軽に利用してもらおうというキャンペーンの一環だった。みゆせは、さまざまな惑星をまたにかけて活動しているロックバンドのファンで、ライブに行きたいがために、懸賞に応募したのだ。

さっそく初めての惑星間一人遠征に旅立ったみゆせだったが、トラブルが発生する。転移ゲートの故障により、正常に転移がされたにもかかわらず、転移ゲートの入り口に、破壊されるはずのみゆせが残ってしまい、みゆせが二人になってしまったのだ。

転移ゲート管理委員会は、示談を申し入れる。二人のみゆせは、映話で話し合い、示談申し入れを受け入れることにする。のちに家族と話し合った結果、二人のみゆせは日替わりで交互に学校へ行くなどの日常生活を続け、一人の人間として生きていくことにする。

しかし、二人のみゆせには決定的な違いがあった。転移したみゆせは、転移ゲートの使用に抵抗がなく、残されたみゆせは、もう二度と転移ゲートを使う気はなかった。転移したみゆせは、多額の示談金と、転移ゲート管理委員会からお詫びとして進呈された、永久的転移ゲート無料使用権利を使い、バンドの追いかけを続けた。残されたみゆせは嫉妬に狂いそうになる。ライブの日には転移したみゆせが学校を休み、残されたみゆせが学校へ行くということがなし崩し的に習慣化されてしまったこともあり、ストレスを募らせる、残されたみゆせ。バンドがみゆせの家の近くの会場でライブをすることになり、二人のみゆせは一緒にライブに行くが、かなり気まずかった。

反発しつつも、二人はなんとか口頭や文章で記憶を共有しながら日常生活を続けたが、二人の違いは広がっていくばかりだった。残されたみゆせは、転移ゲートを使った人はそれまでと同じ人と言えるのかという疑問に囚われ、好きなバンドに、転移ゲートを使用しないようにというメッセージを送る。その後、二つの悲劇がほぼ同時に起こる。みゆせが追いかけているバンドの解散と、転移ゲートの故障による死亡事故だ。解散の原因は、みゆせが送ったメッセージによる意見の対立だった。

生きがいのひとつを失ったみゆせは、これからの人生について考える。転移したみゆせは、同じバンドを追いかけているうちに親友となった、ある大富豪の令嬢に、一緒に別の星に移住しないかと誘われていた。しかしみゆせは、家の近くにある名門大学に入学することを目指そうとも考えていた。

どうしても転移しなければならない人々のために用意された猶予期間ののち、転移ゲートは無期限閉鎖されることとなった。転移したみゆせは親友とともに新天地へ行くことを決め、最後の転移をする。転移したみゆせに家族を託されたみゆせは、大学進学という自分の夢へ向かって地道に進むことにする。

文字数:1201

内容に関するアピール

基本のアイデアはオリジナルではなく、そのままいただいたものです。分裂した人がバンギャだったらどうなるか?という話です。

本人同士の気持ち悪い関係を楽しんでもらえればと思います。残されたほうは、自分が事故による産物であるというアイデンティティの危機を迎えたことで哲学的な思考を持つようになるが、転移したほうは、自分の存在に事故は関わっていないし、目先に楽しみを突きつけられたので、そのような思考は持てなかったという違いがあります。とてもよくわかり合えるがゆえに、少しの違いのために反発し合う変人同士のツッコミ不在の関係に、読者の方がツッコミを入れてくれればと思います。

なにがその人をその人にさせているのか、ということをわからないなりに書きたいです。

文字数:322

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わたし、分裂

「ねえねえ、わたし、懸賞に当たったよ!」
 山越やまこしみゆせは、携帯端末の画面を弟の眼前に突きつけた。
「懸賞? ああ、ひたすらジュース飲んでシール集めてたあれ?」
 せあきは、学習机から体を離し、面倒そうに言った。
「そうそう。やったあ! リヴシネのライブに行けるよ!」
「月まで行くの?」
「うん! でもお父さんとお母さん、許してくれるかな」
「大丈夫じゃん? 懸賞に当たったってことは、無料で行けるんでしょ?」
「交通費はタダ。転移ゲートが往復無料で使えるチケットが当たったんだもんね!」
「宇宙船より楽でいいね。でもさ、リヴシネって、地球にも来るんでしょ? なんでわざわざ月に行くの?」
「早くライブに行きたいんだもん。地球に来るまで待てないよ」
「へえ、そう」
「ライブに行けるのもそうだけど、転移ゲートって、偉い人が使うっていうイメージだから、なんかわくわくするなあ」
「普通の人はなかなか使えないもんね。お金かかるし」
「だよね。リヴシネのメンバーとかスタッフさんは、いつも転移ゲートを使って、いろいろな星を巡ってツアーしてるんだよ」
「そりゃあ、売れてるバンドだからね」
「リヴシネのモモキさんやコンノさんが普段使ってるゲートを使えるんだあ。楽しみだなあ」
「はいはい」
「チケットは一人分だから、一人で行ってくるね。二人分だったら、せあきを連れて行ってあげたんだけど、ごめんね」
「俺は興味ないし」
「そっか。小六の子供にはリヴシネのよさはわからないか」
「別にわかりたくもないし―」
「このお!」

「山越さん?」
 みゆせはゆっくりと目を開けた。白い天井。ごわごわした毛布の感触。ソファーの革のにおい。
「あれ?」
 みゆせはソファーから体を起こす。
「大丈夫? 気分は?」
 先程、ゲートまで案内してくれた係の女性が、心配そうにみゆせを見下していた。
「はい、大丈夫です」
 でも。係の女性が、中学生なのに一人で月へ行くなんて、しっかりしてるんだね、と言ってくれて、気をつけて行ってきます、とゲートをくぐったはずだけど――それからの記憶がない。
「ここは月なんですか?」
 みゆせは尋ねた。でも、なんでこの人がここにいるんだろう? ゲートの向こうまでついてきてくれたのだろうか。
「ここは地球ですよ。ちょっとゲートにトラブルがあったの」
「え? 月へ行けないんですか?」
「ちょっと待っててね。今、ゲートの係の者が対応してるところだから」
 それから、慌てた様子の白衣の医者がやってきて、みゆせの体をいろいろと調べた。なにも問題はないと言われたあとも、ずっと窓もなにもない部屋で待たされた。しびれを切らしたみゆせは、付き添ってくれていた係の女性に言った。
「あの、まだ時間かかりますか? ライブは明日なので、今日は帰って、明日また転移デートを使わせてもらうっていうことでもいいんですけど」
「そ、そうだね。ご両親に連絡して、迎えに来てもらいましょう」
「いえ、一人で帰れますから、大丈夫です」
「でもやっぱりご両親に連絡したほうがいいと思います」
「なにかあったんですか?」
 なんだか女性の様子がおかしい。
 その時、汗を滝のように流した中年男性が部屋に入ってきた。
「山越みゆせさんですね?」
 せわしなくハンカチで顔を拭く。でも、顔の濡れ具合は変わらない。
「はい」
「わたしは、転移ゲート管理委員会日本支部技術課主任の木下と申します。これからご説明することを、落ち着いて聞いていただきたいのです」
「はい?」

画面の向こうには、みゆせがいた。
 試しに、顔を左右に動かしてみた。画面の向こうのみゆせも、同じように顔を動かした。背景が違うのが気になるけれど、特殊加工の鏡みたいだ。
「「なんだ、これ、鏡じゃないですか」」
 みゆせが言ったのと同時に、スピーカーから同じようにみゆせの声が流れた。気持ち悪い感じ。
 木下は、ずっと顔をしかめている。
「そうじゃないんです。なにか話しかけてみてください」
 みゆせは、自分が映った画面に目を戻す。
「こんにちはー」
 みゆせが手を振ると、画面のみゆせは、ぎょっとした顔をした。それを見て、みゆせもぎょっとする。鏡じゃないの?
「あなたは誰?」
 向こうのみゆせが尋ねてきた。
「山越みゆせ。あなたは?」
「山越みゆせ」
「「AI?」」
 二人同時。
「さっきの説明、ちゃんと聞いてましたか?」
 木下が棘のある口調で言った。
「山越みゆせさん、あなたは二人に分裂してしまったんです!」

最初は信じられなくて、混乱したものの、二人のみゆせは、現状を受け入れ始めた。転移ゲートに不具合が起こったのだ。みゆせには信じがたいことだが、もう一人のみゆせは正常に月へ転移した。しかし、地球にみゆせが残されてしまったのだ。
「もう、最悪! せっかく月に来たのに、なかなか宇宙港から出してもらえない!」
 画面の向こうのみゆせは愚痴った。
「明日、ライブに行くの?」
 みゆせは尋ねた。
「うん」
 向こうのみゆせは、当たり前でしょとでも言いたげにうなずいた。
「ずるいずるい! なんでよ!?」
「はあ? つーか全部あんたのせいじゃん」
「はあ? なんで?」
「あんたは破壊されるはずだったのに、転移ゲートの不具合で、残っちゃったわけでしょ。あんたさえいなけりゃ、わたしは今頃ホテルに荷物を置いて、ルナタワーで買い物したり、おいしいもの食べたりしてたのに」
「わたしのせいじゃないし。てか、破壊されるはずだったっておかしいよ」
「なにが?」
「わたしはちゃんと生きてるもん。破壊されるはずだったのに残っちゃったんじゃなくて、わたしたちは分裂しちゃったんだよ」
「同じことでしょ?」
「全然違くない?」
「わたしはちゃんと転移したけど、あんたは残ったわけじゃん。明らかに、わたしが本当のみゆせで、あんたが偽物でしょ?」
「そういうことじゃないんだよ! どっちが本物で偽物っていう問題じゃないの!」
「なんでもいいけど、あんたは家に帰るわけ?」
「うん。悔しいけど、ライブは諦める。お父さんとお母さんと相談しなきゃいけないし。裁判になるかもしれないから」
「わたしの部屋に帰るってこと?」
「わたしの部屋だよ」
「あんたの部屋じゃなくて、わたしの部屋でしょ?」
「わたしの部屋だってば」
「勝手にいじらないでよ」
「だからわたしの部屋なんだってば!」

「ただいまー」
 自走タクシーから、晴れ晴れとした顔でみゆせが玄関先へ降り立った。
 出迎えに出た父と母と弟のせあきは、戸惑った顔で、みゆせとみゆせを見比べた。家族の隣で、みゆせを睨みつけるみゆせ。明るかった表情から一変し、眉をひそめて、もう一人の自分からのきつい視線を受けとめるみゆせ。
「お帰り」
 母の声を皮切りに、父とせあきも、お帰り、と言った。
「うん……」
 帰ってきたみゆせも、出迎えたみゆせを睨みつけた。
 すでにみゆせとみゆせと家族は映話で話し合っており、転移ゲート管理委員会から申し入れられた示談を受け入れることも決めていた。それはそれでいいのだが、先に家に帰ったみゆせは、どうしても納得できなかった。もう一人のみゆせが、予定通りにリヴシネのライブへ行ったことだ。こんなに大変なことが起こったのだから、ライブには行かずに、すぐに宇宙船を使って帰ってくるべきではなかったのか?
 月へ行ったみゆせは映話で、せっかく取ったチケットがもったいないと言った。確かに、それはそうだ。空席をつくるのがリヴシネに対して申し訳ないとも言った。そうだ。重要な問題だ。でも、このわたしがライブへ行けないのに! お小遣いからチケット代を捻出し、抽選に申し込んでチケットを取ったのは、山越みゆせだ。つまり、わたしなのに!
 転移したみゆせが月にいる間、父と母はなんとか事態を飲み込み、準備をした。みゆせの部屋に、もとからあるベッドとは別に布団を入れ、物置から引っ張り出してきた古い机を入れた。
 スーツケースを持って部屋に入ったみゆせは、その部屋の様子を見て、顔をしかめた。
「この部屋であんたと共同生活をしろってこと?」
「あんたは布団で寝て、こっちの古い机を使ってね」
「なんでよ!?」
「ライブに行っていい思いしたんだから、それくらい譲歩してよ」
「あんたは本来ならいないはずの子でしょ。あんたが譲りなさいよ」
「いないはずの子じゃないよ!」
「事故によってたまたま生まれちゃった存在じゃん。なんであんたがわたしのベッドで寝て、わたしの机を使うの!?」
「事故で生まれちゃったんじゃなくて、わたしはずっと十五年間生きてる山越みゆせだもん!」
「どうしたの?」
 母が心配そうな顔をして入ってきた。
「「お母さん」」
 二人のみゆせは同時に泣きそうな顔になる。
「「同じ部屋じゃないとだめ?」」
「みゆせ」
 母は、二人の肩に手を置いた。
「あなたは一人の人間なの。自分と喧嘩するなんて、変でしょ」
「「でも」」
「みゆせは双子になったわけじゃない。二人とも、同じみゆせなの。そうじゃないと、お母さんとお父さんは、苦しい思いをすることになっちゃうよ」
「「なんで?」」
「二人のみゆせが違うみゆせだとしたら、転移ゲートを通る前の人と通ったあとの人は、違う人だっていうことになっちゃうでしょ。だとしたら、みゆせが転移ゲートで月へ行くことを許可したお父さんとお母さんは、みゆせを違う人にすることに同意したってことになっちゃうでしょ。難しいかな?」
「「ううん」」
 みゆせは首を振る。
「「お父さんとお母さんのせいじゃないよ」」
「ありがとう」
 母は微笑んだ。少し頬がひきつっている。チラチラと二人のみゆせの間を視線が移動する。
「晩ご飯作るね。今日は、みゆせの好きな焼肉とマグロのお刺身とカレーとシチューだよ」

二人のみゆせは、日替わりで交互に学校へ行くことになった。みゆせが同じ人間であるためだ。もちろん、学校へ説明はされたが、山越家は、なるべく周囲に混乱を与えないようにすることを目指した。
 二人のみゆせはじゃんけんをしたが、何回やってもあいこなので、せあきにくじを作ってもらい、くじ引きをした。その結果、夏休みあけ初日は、転移したみゆせが学校へ行くことになった。
 両親は仕事へ、せあきも小学校へ行ってしまい、みゆせは一人になった。今日は始業式だけだから、授業はない。授業が始まったら、自分が休んでいる日は、生徒だけが使える中学校のサイトで、オンライン授業を受けることになる。もう一人のみゆせが出席しているのに、自分も家で勉強しないといけないのはなんだか納得できない気もするけれど、記憶は共有されないから、仕方がない。一日おきに休みになるのはラッキーだと一瞬思ったけれど、これでは休みの意味がない。友達と会える日が減るだけだ。
 みゆせはずっと部屋で悶々としていた。せあきが昼頃に帰ってくると、思わず出迎えた。
「お帰り」
「ただいま。お腹空いた」
「じゃあ、なんか用意する」
 みゆせは、冷蔵庫にあったランチプレート二つを電子レンジに突っ込んだ。
 せあきと二人でいると、もとに戻ったような感じがして、思わず涙があふれた。
「なに?」
 せあきがみゆせの顔を見て、気味悪そうにする。
「ごめん。気が緩んだ」
 みゆせは涙をぬぐう。
「変なの」
 せあきは、温め終えたランチプレートを取り出した。
「だってわたし、二人になっちゃったんだよ? せあきだって嫌だよね」
「別に」
 せあきは気にしていない様子で、オレンジジュースを出してきて注いだ。
「え? 嫌じゃないの?」
「嫌だけど。みゆせが一人でもめんどくさいのに、二人とかもっとめんどくさいから」
「ちょっとお」
「でも、起こっちゃったことは仕方ないじゃん」
 せあきがオレンジジュースの入ったグラスをみゆせのほうに押しやり、みゆせは目をしばたたいた。
「俺は今まで通りにするから」
 その時、玄関のドアが開く音がした。制服姿のみゆせが入ってくる。
「なにしてるの?」
 ただいまもない。
「お帰り」
 と、せあき。
「昼ご飯食べてる。見ればわかるでしょ」
 みゆせは苛々しながら言った。
「せあきとなに話してたの?」
「なんでもいいでしょ。髪型乱れてる。ダサッ」
「風が強かったの!」
「みゆせが泣き出して、俺は今まで通りにするって話をした」
「せあき、言わなくていいよ」
「だめだよ、言わなきゃ。そっちのみゆせも、今日あったことをこっちのみゆせにちゃんと話さないとだめだよ」
「「なんで?」」
「みゆせは一人の人間なんだから、記憶を共有しなきゃだめだろ」
 せあきは、当たり前だという口調で言った。
「そっか」
 みゆせは言ったが、制服姿のみゆせは納得しなかった。
「こいつのためにそんなめんどくさいことしなきゃいけないの?」
「わたしのためじゃなくて、お互いのためでしょ」
「あんたさえいなけりゃ、わたしは普通に生活できたのに。今日は、ニュースでみんなわたしのこと知ってたから、質問攻めにされて大変だったよ」
「なんでわたしのせいみたいに言うの? 転移ゲートの事故のせいじゃん!」
「わたしは、あんたがわたしだってこと、まだ完全に納得したわけじゃないから」
「いろいろ話して、記憶が合ってることは確認したじゃん」
「でもやっぱり、あんたは事故のせいでできたゴミって感じがするの」
「ひどい!」
「わたしの知らないところであんたがせあきとかお母さんとかお父さんと話してるっていうのも、正直不快だし」
「わたしもだよ!」
「もう!」
 せあきは、テーブルに手をついて立ち上がった。
「うるさい! さっさと記憶共有をしなよ」
「でもさ、同じ記憶を持ったからって、わたしたちが同じ人ってことになるのかな?」
 みゆせは言う。
「「はあ?」」
 せあきと制服姿のみゆせは同時に言い、揃って首をかしげる。
「外見が同じで、同じ記憶を持ってたら、同じ人ってことになるのかな?」
「そうじゃないの?」
 もう一人のみゆせは、特に疑問を抱いていないようだ。
「外見が同じでも、同じ人ってことにはならないよね。なるとしたら、一卵性双生児は同じ人ってことになっちゃうから。記憶が同じ人っていうのは普通考えられないけど、記憶喪失になったらその人がその人じゃなくなっちゃうわけじゃないよね。だから、外見も記憶も、人の本質じゃないってことだよね。でも二つ合わさると、それが本質ってことになっちゃうの? なんか変じゃない?」
「外見とか記憶だけじゃなくて、体質とか癖とか、いろいろあるじゃん」
「そう。いろいろあるから、人の本質っていうのは、いろいろな要素が合わさったものっていうことなのかな?」
「そうなんじゃん?」
「軽く言わないでよ。大事な問題だよ。だとすると、ひとつの要素が変わっても、違う人になっちゃうわけじゃないってことだよね? でも、それが少しずつ積み重なって、全部変わっちゃったとしたら? どこからいつ変わったって、わかるのかな?」
「砂山がいつ砂山じゃなくなるか問題だね」
 せあきが知ったように言う。
「「なにそれ?」」
 と、みゆせ。
「砂山から一粒ずつ砂を取り除いていったとして、いつ砂山が砂山じゃなくなるのかっていう問題」
「そう、多分そういうこと」
 みゆせはうなずく。
「問題があるのはわかったけど、だからなんなの?」
 もうひとりのみゆせは、自分でオレンジジュースを注いだ。みゆせはもどかしく言う。
「わたしたちが記憶を共有することに意味はあるのかな?」
「じゃあ話すのはやめとく?」
「それはだめ。わたしたちの記憶が同じじゃなくなって、ほかの人に二人の区別がつくようになっちゃったら、お父さんとお母さんが悲しむもん」
「なにが言いたいの?」
「なんかこのままじゃ、もやもやする。記憶を共有することで、わたしたちが同じ人になれるっていう保証が欲しいの」
「最初から言ってるけど、わたしはあんたとわたしが同じ人だとは思ってないから」
「でもそれだとお父さんとお母さんが、自分を責めちゃう」
「わかってる。お父さんとお母さんの前では絶対言わない。だからあんたもマジで余計なこと言わないで」

翌朝、緊張して教室のドアを開けた。
 すでに多くのクラスメイトが登校していたけれど、みゆせに注目してくる人は誰もいなかった。
 席に着くと、心美が話しかけてきた。
「おはよう」
 みゆせは「おはよう」と返す。心美に不自然な様子はない。
「今日から授業だねー。いきなり数学とかだるいわー」
「そうだね」
「どうしたの? 元気ないね。あ……今日のみゆせは、昨日のみゆせと違うんだね」
「ま、まあそうなんだけど、気にしないで」
「山越、久しぶり」
 その時、教室に入ってきた千代が声をかけてきた。
「久しぶり」
 思わずそう返したけれど、それでよかったのかと混乱する。昨日会ってるんじゃないの?
「リヴシネのライブ、行けなくなっちゃったんだってね」
「そうなの」
「残念だったね。初めてライブに行けるって喜んでたのにね」
「まあ、行ったことは行ったんだけどね」
 学校でも、もう一人のみゆせと同一人物として振る舞わないと。お父さんとお母さんを悲しませないために、そうするって決めたんだから。
「昨日、またリヴシネのライブに行くって話してたよね」
 と心美が言う。
「え!?」
 みゆせは目を丸くする。
「転移ゲート管理委員会から、示談金と、永久的転移ゲート無料使用権利をもらったから、これからどんどんライブに行くんだって話してたんだよ」
 千代が説明してくれた。
「そんな」
 昨日、学校でどんなことがあったかはだいたい聞いたけれど、そんなことを言ったとは聞いていない。
「どうしたの? ショック受けたみたいな顔して」
 心美は心配そうにしてくれた。
「山越もライブに行けばいいんじゃない?」
 千代が言ったが、みゆせは首を振る。
「わたし、もう転移ゲートは絶対に使いたくないもん」
「そっか……じゃあ、近くに来てくれるまで待つしかないね」
 しおらしくする千代と、呆然とするみゆせを見て、心美は目をぱちくりさせた。

家に帰ると、留守番していたみゆせは、リビングでのんきにテレビを見ていた。
 ライブのことを問い詰めると、言い忘れてた、とだけ。
「お詫びに永久的転移ゲート無料使用権利とか馬鹿みたいってわたしが言ったの、聞いてたよね!?」
 みゆせはスナック菓子をつまみつつ答える。
「確かに馬鹿みたいだけど、もらったものは使わなきゃ損でしょ」
「また事故があったらどうするの!?」
「大丈夫だって。一度事故に遭ったんだから、事故に遭う確率は下がってんじゃない?」
「そうかもしれないけど」
「なに怒ってるの?」
「あんただけがライブに行くのが許せないの! あんただけがベッドで寝て、あんただけがいい思いして!」
「ベッドはあんたが譲るって言ったんじゃん」
「お母さんの手前だから譲歩したのおおお」
「一緒にライブ行く?」
「わたしは転移ゲートは使わない」
「じゃあ無理だね。地球でライブがあるのはまだ先だし、今は火星ツアーの途中だから。ライブには行くよ。もうチケット申し込んだし」
 本当は、行くな、と言いたかった。でも、言えなかった。ただ鼻息を荒くするしかない。
「あんたなら、ライブに行きたいっていうわたしの気持ち、わかってくれるよね」
 みゆせはなにも言えず、足音高くリビングを出た。

みゆせは、机に突っ伏して不貞腐れていた。
「二日間連続登校?」
 千代が話しかけてきた。
「千代おおおお!」
 みゆせは千代を引っ張り、廊下の隅のくぼみのところへ連れて行った。
「そうなの。あいつがライブに行くから、代わりに学校行ってって」
「転移ゲート使うなら、放課後に行けるんじゃないの?」
「火星との時差の関係。それがなかったとしても、転移ゲートがある宇宙港まで行くのに時間かかるし」
「あ、そっか」
「ああああああああああ!」
 みゆせは、嫉妬と悔しさと悲しみと怒りを込めて咆哮した。
「なんでこんな思いしなきゃいけないの!?」
「ひどいね、もう一人の山越」
「だよね。千代には、わたしたちの区別がつくんだよね?」
「うん」
 ほかの友達たちは、みゆせとみゆせの区別がつかなかったが、千代だけは、当たり前のように二人のみゆせを区別していた。最初の頃は、区別しないでと頼んでいたのだが、二人のみゆせの記憶共有の不備をフォローしてくれることもあるし、千代の態度があまりに自然なので、受け入れてしまった。やがて、千代が区別してくれることが、心の寄り所にもなっていた。
「千代は、わたしの味方になってくれる?」
「まあね。二人とも友達だけど、こっちの山越のほうに同情するかな」
「ありがとおおお」
「ライブに行かないでって言ってみれば?」
「それは……もし逆の立場だったら、わたしも行ってたと思うから」
「逆の立場?」
「うん」
 もし、自分が問題なく月へ転移できていたら。そして、もう一人の自分が地球に取り残されていたとしたら。その時の気持ちを想像することはできるだろうか。できないかもしれない。でも、少なくとも、ライブに行けるのに行かないというのは、今の状況をのぞいて考えられなかった。
「ごめんね、愚痴っちゃって」
「ううん」
 千代は笑顔で首を振った。
「わたしは山越の味方だからね」

火星へ行ったみゆせは、満面の笑みで帰ってきた。夕食の時、いかにリヴシネがかっこよかったか、いかに楽しかったかを両親とせあきに力説した。
 みゆせは、質問したい気持ちをこらえ、興味のないふりをして、黙って聞いていた。
 モモキさんとコンノさんの絡みはあったのかな?
「ボーカルのモモキさんとギターのコンノさんがめっちゃ絡んでてさ―」
 ほう! あの曲はやったの?
「わたしが一番好きな曲もやってくれた!」
 マジで!? じゃああの曲は!?
「聞きたかった全部の曲が聴けたわけじゃないけど。あの曲はやってくれなかったな―、ダイナマイト・イリュージョン」
 それは残念。って、別に残念じゃないけど。会場はどんな感じ?
「会場もマジでおしゃれで、音響もよくて――」
 夕食後も、みゆせがせあきの部屋に押しかけて話しているのが聞こえたので、みゆせも突撃した。
 みゆせは、スーツケースから、グッズの山を床の上に出していた。
「ふおおお! リヴシネのグッズ、マジでかっこいい!」
 みゆせはみゆせの隣に滑り込み、グッズのTシャツを広げた。ネットで写真は見ていたものの、実物はやっぱりぐっとくる。
「だよね! この色味が最高だよね」
 まったく同じことを思っていたみゆせは、みゆせにうなずいて続ける。
「このロゴのこの曲線がやばい!」
「だよね! この角度絶妙だよね。このタオルもさ」
「デザイン神じゃん!」
「メンバーマスコットキーホルダーも」
「「可愛すぎる!!」」
「でさーみゆせ。早く渡したら」
 せあきがあきれたように言った。
「あ、ああ」
 みゆせは、みゆせにパンパンに膨らんだ紙袋を渡した。中には、床に広がっているグッズとそっくり同じものが詰まっていた。
「これ、もしかしてわたしの分?」
 みゆせは目を見開く。
「そう」
「え? わたしってこんなに優しかったっけ?」
「買ってこないと、どうせブーブー文句言うでしょ。示談金は自由に使っていいことになったし、お金には困ってないわけだから」
「いくら転移ゲート使うっていっても、この量運ぶの大変だったでしょ」
「まあね」
「嘘! わたしがこんなに優しいはずない!」
「うるさいな! 会場で知り合った女の子と話してて、あんたの分も買ってあげなよって言われたの」
「なんだ。やっぱりね。あんたが自分の判断でわたしのことを思いやってくれるはずないもんね」
「少しは感謝しろよ、ブス」
「はいはい、ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいよ! ブス!」
 せあきはため息をついた。
 それにしても意外だった。もう一人のみゆせが優しくしてくれるなんて。みゆせは、みゆせに影響を与えてくれた、見知らぬ女の子に感謝した。

期末テストが迫っていた。二人のみゆせは、四日間のテスト期間を半分ずつ受け持つことにした。学校側は、あくまでもみゆせを一人の人間として扱っているからだ。二人のみゆせは、自分の担当する教科を集中的に勉強した。
 みゆせは、前々から、自宅近くにある名門大学にあこがれを抱いていた。もうすぐ志望高校を決めなければいけない。あの大学に入るためには、それなりの高校に合格しなければ。
「「わたしたち、二人で勉強すれば、いい線行けんじゃない!?」」
 というのは、テストについて話し合った時に言った言葉だ。この点に関してだけは、分裂してよかったかもしれない。みゆせは、勉強に精を出した。
 しかし。テストの三日前、突然、みゆせがみゆせに話しかけてきた。
「あのさ、友達が、リヴシネの無料トークライブの参加権利を譲ってくれることになったの! それがテストの一日目なんだけど、代わってくれない?」
「え!? それって、アナログ盤購入者だけが応募できるやつ?」
「うん。わたしは外れちゃったけど、レイカちゃんが家の用事で行けなくなっちゃったんだって」
「レイカちゃんって誰だよ?」
「ライブで知り合った友達」
「一日目はあんたの担当じゃん! そんなのわたしが行きたいわ」
「あんたはレイカちゃんの友達じゃないでしょ。それに、月だから無理だよ」
「今から宇宙船のチケット取れば――」
「そんな急に取れないし。サイト見てみ」
「もしかして、それを知っててぎりぎりまで黙ってたんじゃないの!?」
「そこまでわたし性格悪いと思う?」
「思う!」
「とにかく、一日目、よろしく」
「はあ!? 一日目は数学と理科と保健体育でしょ? 全然勉強してないし! しかも苦手科目だし!」
「わたしはせっかく勉強した成果が発揮できなくて残念なんだけど、リヴシネには代えられないよね」
「まあそうだけど……っておい」
 結局、みゆせは折れてしまった。予想通りではあったのだが、テスト一日目の結果が散々だったこともあり、みゆせは今までにないほど怒りに燃えた。しかし、いざみゆせが帰ってくると、トークライブの内容を詳しく尋ねてしまい、聞いた内容からその場面を想像して、にやけてしまったのだった。
 それから、レイカという人のことが気になって、自分のSNSをチェックした。二人のみゆせは、同じ種類の携帯端末を持っている。くじ引きにより、残ったみゆせが新しく買ってもらったほうの端末を持っていた。でも、SNSなどのアカウントは共有している。今まで気づいていなかったけれど、密かにレイカという人とやり取りしている履歴があった。
 レイカのページを見てみると、なんだかすごかった。ほぼ全通の勢いでリヴシネのライブへ通っている。グッズは全種類買ったらしい。それだけではなく、高級ブランド品の写真やら、高級リゾート地の写真やらがたくさん投稿されている。フォロワー数もいいね数も、自分とは桁違いだ。
 とりあえず、別世界の人間だということはわかった。もう一人のみゆせは、こんな人と友達なのか。
 その後も、もう一人のみゆせは、レイカと頻繁にやり取りして、リヴシネのことや、自分たちのことを話していた。みゆせには、こんなに仲良さげな友達は、リアルにもネットにもいたことがない。
 やはり、自分ともう一人のみゆせとの違いは広がっていくばかりらしい。そんな中、みゆせにとって、待ちに待った日がやってきた。リヴシネが地球にやってきたのだ。火星ツアーを終え、地球ツアーに突入。そして、みゆせの家から、チューブトレインで一時間ほどの会場でも、ライブをしてくれるのだ。
 みゆせは、自分の名義で、二枚チケットを取った。同行者は、もう一人のみゆせだ。名義を共有しているから、こうするほかなかった。いつも行っているからといって、もう一人のみゆせが遠慮するはずがない。そこに相談の余地がないことはよくわかっている。
 隣の席に座るみゆせも、もう一人の自分と一緒にライブに来ていることが不本意だということはひしひしと伝わってきた。はたから見れば、仲の悪そうな一卵性双生児が無言で開演を待っているように見えただろう。
 しかし、いざ客電が落ち、オープニングSEが流れ出すと、もやもやした気持ちは吹っ飛んだ。鼓動が高鳴り、自分とステージしかこの世にないみたいな気がした。そしてメンバー登場。近くはないけれど、ちゃんと見える。そこにいるんだ。あれ? こんなにかっこよかったっけ? 衝撃的かっこよさだぞ!
 そして、何曲目かに、みゆせが一番好きな曲が始まった。みゆせは思わず、変な悲鳴のような歓声を上げてしまった。それと同時に、隣のみゆせもまったく同じような声を出していて、一瞬、テンションが下がりかけた。
 さらに、今回のツアーでやるとはまったく思っていなかったレア曲が始まり、あまりの驚きに、口に手を当てて体を折ってしまった。すると、隣のみゆせもまったく同じ動きをしていた。恥ずかしすぎる。
 ライブが終わり、二人は無言で一緒にチューブトレインに乗った。脱力してなにも考えられない。いや、ひとつの疑問だけが頭に浮かぶ。
「あのさ」
 みゆせはみゆせに声をかけた。
「なに?」
「あんたって、いつもリヴシネのライブに行ってるわけでしょ?」
「そうだけど?」
「なのに、いつもあんなにオーバーリアクションしてるわけ?」
「オーバーリアクション?」
「わたしが一番好きな曲だって、もう何回もライブで聴いてるでしょ? 慣れないの?」
「リヴシネの魅力に慣れるわけないじゃん」
「そっか」
 そう言われると、より一層、行くなとは言えないじゃないか。

ライブに行ったことで、さらにリヴシネのことが好きになってしまった。勉強する時もずっと曲を聴き、何度も同じライブ映像やMVを観て、もう一人のみゆせが買ってきたインタビュー集などの書籍も舐めるように読んだ。気がつくと、歌詞をほぼすべて暗記していたし、数あるMVをシャッフルして流すと、どの場面でも、消音していても、一秒以内で曲名を答えられるようになっていた。どのライブ映像も、観た瞬間に、日付とタイトルとセットリストを答えられた。ネットで「リヴシネ」、もしくはメンバーそれぞれの名前で画像検索をして、片っ端から、画像の出典を答えることもできた。そして、そのほぼすべては自分の端末に保存されていた。メンバーの好きな食べ物などの趣味嗜好やミュージシャンや有名人との交友関係、様々な逸話はもちろん、メンバーが愛用している機材の種類や特色、スタッフの顔と名前も憶え、リヴシネが影響を受けた音楽やリヴシネから影響を受けた後輩の曲もできるだけチェックした。みゆせは、生けるリヴシネの辞書だった。
 しかし、リヴシネのことばかり考えてもいられない。二人のみゆせは、地元の進学高校に出願することにした。父が学校に問い合わせ、みゆせを一人の人間として扱ってくれることを確認してくれた。みゆせの担当は、国語と理科だ。さすがに、もう一人のみゆせも、自分の将来にかかわることだから、自分の担当教科をそれなりに頑張って勉強しているようだ。
 でも。隣の机で、みゆせがカリカリと勉強していて、自分は一息つこうかなと思った時や、夜中にふと目が覚めて、ベッドの上でもう一人のみゆせが寝息を立てているのを聞いた時など、心臓の血が冷えるような不安に襲われることがある。
 やっぱり、自分ともう一人のみゆせは、違う人間なのだ。同じ部屋で過ごして、同じクラスに通っていても、違う毎日を過ごしている。だから、違うタイミングで休憩したくなったり、眠ったり起きたりする。違う知識を詰め込んでいったら、もっと違う人になってしまいそう。
 そもそも、同じ人間として振る舞おうとしたこと自体に無理があったのかもしれない。みゆせが二人になってしまった瞬間に、もう二人は完全に別人になってしまったのかも。
 でも、そんなことは認めたくなかった。考えないようにしてきた。それはなぜかというと。
 転移ゲートを通る前と、通ったあとの人は、違う人ということになってしまうから。転移ゲートは殺人機械。人を殺して、そっくりな新しい人をつくる。もう一人のみゆせは、何度も転移ゲートを通っているから、何度も生まれ変わっていることになる。そして、リヴシネのメンバーも。
 そんなはずはない。転移ゲートから出てくるのは、そっくりな新しい人ではなくて、まったく同じ人だから。でも、そうだとすると、どうして自分ともう一人のみゆせは、違う人のように思えてしまうんだろう。
 もう一人のみゆせが前に言った通りだったのかもしれない。わたしさえいなければ、なにも問題はなかった。わたしさえいなければ――
 涙がこぼれた。落ち着け、わたし。涙をぬぐう。わたしにも、なにかできることがあるかもしれない。わたしにも、なにか存在価値があるかもしれない。

もう一人のみゆせが学校へ行っている日。みゆせは、リヴシネの公式サイトから、ファンメールを送ろうとしていた。
 今までも、ファンメールを送ろうとしたことはあったが、文章がまとまらなくて、実際に送信するには至らなかった。
 でも、今回は本気だ。気合を入れて、手紙を書いてみようかとも一瞬思ったが、メールのほうが確実に届くだろう。リヴシネの事務所へ向かう手紙は転移ゲートを通ってしまうが、メールは通らないわけだし。
 リヴシネのメンバー全員及びスタッフに届く公式アドレスに、みゆせは、何時間もかけて書き直しながら書いたメールを送信した。

はじめまして。初めてメールを差し上げます。
 わたしは、山越みゆせと申します。ファン歴五年の十五歳です。
 先月、オーシャンドームでのライブへ初めて行き、とても感動しました!
 今までも大好きでしたが、もっとリヴシネが大好きになりました。これからも応援します。

ところで、メンバーさんとスタッフさんに、お伝えしたい大切なことがあります。
 実は、わたしは、転移ゲートでの事故で、二人に分裂してしまいました。わたしは、もう一人の自分と一緒に暮らしていますが、表向きは、わたしたちは一人の人間として振る舞っています。
 こちらが、事故についての詳細が書かれているニュース記事です。

わたしは、特殊な境遇になって、わかったことがあります。
 まず、結論から言いますと、リヴシネのメンバーのみなさんに、転移ゲートを使うことをやめていただきたいのです。
 みなさんは、日常的に転移ゲートを使われていると思います。転移ゲートを使わなくなったら、なかなか大規模なツアーができなくなってしまうこともわかっています。不便になります。わたしを含めて、たくさんのファンが、なかなかリヴシネに会うことができなくなってしまいます。
 でも、やめていただきたいのです。

 それは、転移ゲートを通る前と、通ったあとの人は、別の人になってしまうからです。
 うまく説明できませんが、わたしはそのことを実感しました。
 同じ人とはどういうことか、別の人とはどういうことか、わたしにはよくわかりません。
 でも、わたしともう一人のわたしは、別の人間なのです。
 それは、違う生活をしているから、だんだん別の人になってしまったとも言えるかもしれません。
 だからといって、事故が起きず、分裂しなかったからといって、転移ゲートを通る前と通ったあとの人が同じ人であるという保証はどこにもないのです。
 転移ゲートでは、人も物も、一度、分子レベルまで分解されるそうです。
 それは、わたしは死んだことと同じだと思います。

わたしは、リヴシネが大好きだから、メンバーのみなさんが大好きだから、もう転移ゲートは絶対に使ってほしくありません。
 そうすると、もうわたしはリヴシネのライブに行けないかもしれないけれど、それでもいいです。

ただの子供のたわごとと思われるかもしれませんが、一度、このことについて、真剣に検討してみてはいただけないでしょうか?

では、みなさん、お体にお気をつけて、これからも素敵な曲をたくさん聴かせてください。

送信してからしばらくは、馬鹿みたいにドキドキしていたが、家族が帰ってきて、ご飯を食べて、お風呂に入って出てくると、自分のメールなんて結局無意味だという気になってきた。
 リヴシネの曲を聴いたり、映像を観たりするたびに、メンバーの同一性が心配になって、本当に胸が苦しくなって具合が悪くなりそうだった。しかし、ツアーが終わり、しばらくリヴシネから情報が上がってこない時期になり、気持ちも落ち着いてきた。とにかく、今は受験勉強に集中しなければ。
 冬休みに入り、みゆせ同士の記憶共有が必要な場面が減ってきて、二人の会話がぐっと減った。もう一人のみゆせは、レイカとメールや電話をして息抜きをしているようだったが、みゆせはろくに息抜きもせず、勉強に集中した。将来、憧れの大学に入るため、いい高校に入るためだ。
 そんな中、大事件が起こった。
「ちょっとこれ見て!」
 リビングで一人で昼食を食べている時、もう一人のみゆせがどたどたと階段を降りてきて、携帯端末を突きつけてきた。
「なに?」
 みゆせは驚き、画面に表示された文章を読んだ。

リヴシネからのお知らせ
 リヴシネは、このお知らせの発表をもって、無期限活動停止をすることを決定いたしました。
 メンバー間の哲学的意見の対立により、ツアーの敢行が難しくなったためです。リヴシネはライブバンドであるというのが、メンバー全員の一致した見解です。ファンの皆様に求められている規模でのライブ活動ができない中、リヴシネの活動を続けることはできないということで、メンバー全員の意見の一致を見ました。
 なお、現時点での活動再開の見通しはございません。

その下に、メンバー全員の名前が書かれていた。
 繰り返し三度読み終わった瞬間、過呼吸になった。こんな体の状態になったのは初めてだ。
「それ、わたしもなった」
 とみゆせの声が聞こえ、収まった。カラカラに乾いた口で叫ぶ。
「哲学的意見の対立ってなに!?」
「わたしが訊きたいよ!」
 泣きそうになっているみゆせの顔を見ると、猛烈にムカついてきた。それは相手も同じだったらしい。
 二人は、泣きながら叩き合い、つかみ合った。

その後、リヴシネのメンバーのSNSが更新され、それぞれから説明がされた。やっと冷静になったみゆせは、情報を総合した。
 一部のメンバーが、今後、転移ゲートを使うことを拒否しだしたらしい。そのことが、メンバー間の決定的な対立を生んだのだ。
 なぜ突然一部のメンバーがそんなことを言いだしたのかについては明らかにされなかったが、みゆせには心当たりがあった。自分が送ったメールだ。いや、そんなはずはない。でも、そうとしか考えられない。絶対そうだ。
 メールを送ったことは、誰にも話していない。もし、自分がリヴシネの解散の原因になったともう一人のみゆせが知れば、どうなるだろう。殺されるかもしれない。
 もう一人のみゆせでなくとも、ほかのファンが知ったら殺しに来るかもしれない。SNSに書き込んで告白しようかな。いっそ処刑してくれれば、この苦しみから解放されるか。
 いやでも、そのためには住所とかをさらさなければならないから、家族に迷惑がかかる。なんとかして自分の居場所だけを公開できないか。
 でもよく考えてみると、メンバーの同一性を守るという本来の目的は達成できたのではないか? それが一番大切なことだろう。でもやっぱり悲しい……などといろいろ考えているうちに、数日が過ぎた。
 模試で最低の点数を取ってしまってから、現実逃避モードに移行した。いや、現実に帰ったといったほうがいいかもしれない。リヴシネのことを考えるのが嫌で、勉強に打ち込んだ。もう一人のみゆせと無言で協力し、リヴシネ関係のものはすべて箱に入れて物置に押し込んだ。音楽プレーヤーからリヴシネの曲は全削除し、携帯端末の中の画像も消した。リヴシネという文字を見ることすら嫌だった。
 ある日、再び事件が起きた。夕食の席で、もう一人のみゆせが、大事な話がある、と切り出したのだ。
「わたし、惑星メシアへ移住したい」
 父も母もせあきもみゆせも、大混乱した。そもそも、そんな惑星があるとは知らなかった。もう一人のみゆせによると、新開発された星らしい。そこへ移住する移民第一団に加わりたいと、みゆせは言いだした。。家族の中で、自分一人で。なんと、宇宙開発企業の会長である父を持つレイカの誘いだというのだ。
 惑星メシアには、豊富な資源があり、テラフォーミングも最高の技術を使って大成功していて、今後、宇宙の中心になるかもしれない可能性を秘めた星だという。レイカの父は、メシアの発展を推し進めるため、自ら家族を連れて移住することを決めたのだ。レイカは、親友であるみゆせを専属使用人として連れて行きたいと考えているという。
 父と母は、大富豪の令嬢の奴隷にされてしまうと言ったが、みゆせは、そんなことはあり得ないと言い張った。みゆせの仕事は、空いている時間に、レイカの話し相手になること。それだけで破格の給料を約束されているというのだ。
 それからしばらく、もめにもめた。みゆせたちの両親は、レイカの父とレイカ本人と連絡を取った。両親だけで直接会いに行きもした。みゆせは、二人で協力して勉強して進学するという計画はどうなったんだと詰め寄った。
「あのさ、そもそも、そんなズルは無理があったんだよ」
 もう一人のみゆせは、冷静に言った。
「そんないまさら」
「今からでも間に合うよ。あんたが一人で進学すればいいよ」
「でも、移住って」
「レイカちゃんもわたしも、リヴシネがなくなって落ち込んでる。環境を変えるのは、いいことだと思うの」
「確かに、誰も住んだことがないところに住むって、わくわくするかもしれないけど……あんた、家族に会えなくなってもいいの?」
「転移ゲート使えば、いつでも会いに来れるし」
「あのね、あんたは気にしてないみたいだけど、転移ゲートを通るってことは、一度死んでることとたいした違いはないと思うんだよ。あんたとわたしが違う人間なら、そう考えたほうが自然じゃない?」
「でもさ、便利なものを使うのをやめるって、なかなかできないよ。危ないけど、便利だからみんなが使ってるものなんていっぱいあるじゃん」
「そうだけど」
「あんたがなにをどう言ったって、あと数年もすれば、偉い人とかお金持ちだけじゃなくて、みんな転移ゲートを使うようになるよ」
「そうかな……まあ、あんたが何回死んで生まれ変わろうと、わたしはどうでもいいけどね」
「わたしは転移ゲートを使うから、移住してもさみしくない。それに、お父さんとお母さんとせあきのそばには、あんたがいるわけだし」
「え?」
「あんたは、もう一人のわたしでしょ?」
「そうだけど」
 メシアのことを調べ、考えれば考えるほど、移住は魅力的なことだと思えてきた。転移ゲートのことを別にすれば、気持ちはわかる。今、みゆせは大好きなバンドという生きがいを失い、心がぐちゃぐちゃだ。そんな時こそ、なにかに新しく飛び込みたくなる。
 でもやはり、自分だったら、絶対できない。別の土地に住んだこともないのに、いきなり別の星へ行くなんて。しかも、家族と離れるなんて。
 もう一人のみゆせは、自分とは違った経験をたくさんしている。みゆせが行ったことのない場所へいくつも行って、みゆせには別世界の人間としか思えない人と仲良くしている。もう一人のみゆせは、自分とは違う。自分よりも、ずっと勇気があるのだ。
 悔しいけれど、それって、なんだかすごい。

みゆせは、初めて地球外旅行へ出かけた。千代と二人で、同じ第一志望の大学へ受かったお祝いの卒業旅行だった。
 宇宙船から降り、月の人工楽園にそびえる銀色のルナタワーに驚嘆。人工の海で泳ぎ、自然保全された月面広場を歩き、満天の星空を見上げて楽しんだ。
 そして、ルナタワーの中のライブハウスにも足を運んだ。みゆせが、できれば行ってみたいと言ったのだが、千代は喜んで付き合うと言ってくれた。
 ステージに現れたのは、元リヴシネのモモキとコンノだった。この二人が再びともにいるところを見られるとは思っていなかった。しかも、自分から十メートルくらいの距離で。みゆせは涙をこらえることができず、ろくに曲が耳に入ってこなかった。
 ライブが終わり、ライブハウスの外へ出た時、千代がみゆせをつついた。
「あれ、山越じゃない?」
 見ると、見覚えのある顔がいた。自分とは、髪型も服装もメイクの感じも違うけれど、確かに自分だった。二年くらい前に会った時から、それほど変わっていない。
「あ、だね」
 みゆせは苦笑した。もう一人の自分は、隣にいる同い年くらいの綺麗な女の子と、なにやら熱心に話していた。二人とも、目を赤くし、興奮した様子で手を取り合い、ぶんぶんと振っていた。
「話しかけなくていいの?」
 千代の言葉に、みゆせは千代に目を戻す。
「そうだね。メシアの話とか聞けるかもしれないしね。あいつも千代に会ったら喜ぶだろうし」
 千代は笑った。
「驚かないんだね」
「こういう偶然もあるでしょ」
「それにしても自然だね」
「あいつが離れる時、せあきが言ったの。やっぱり、俺は別々の姉が二人いるって思うことにしたって。それで、お父さんとお母さんも、娘が二人いるってことを受け入れてくれたの。だからわたしも、姉か妹か、まあどっちでもいいけど、姉妹だって思うことにしたんだ」
「へえ」
「もやもやが晴れたわけじゃないけど、受け入れなくちゃいけないこともあるよね」
 その時、もう一人のみゆせとレイカが気づき、もう一人のみゆせが、「みゆせ!」と手を振った。
 二人は自然と笑い合った。

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