消えて、先生

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梗 概

消えて、先生

〈センセイ〉は子どもの人格形成をサポートするパーソナルチューターAIだ。7歳になるとこの国のすべての子どもに等しく与えられて、自律駆動するそれが自身を不要と判断するまで、子どもの傍に寄りそう。
 じきに17歳を迎える千冬が、未だセンセイを持つということは本来恥ずべきことだ。センセイの導入以降、子どもの精神の成熟は早まり、16歳を迎えるまでにほとんどの子どもがセンセイの手を離れる。

千冬は視界にVRとして投影された、小さなクジラの姿を持つその〈センセイ〉を疎ましく思う。センセイはそれぞれの子どもの傾向によって自在に姿を変えた。クジラは7歳だった当時、千冬の好きだったモチーフだ。

センセイは子どもの発言から精神を分析し、それに応じて柔軟に会話を交わす。言ってしまえば出来ることはそれだけ。厳密なプライバシープロコトルのおかげで、センセイは対象者以外と情報のやりとりはできないし、外部からの解析も受け付けない。だから親や教師に「どうしてセンセイ離れができないのか」なんて問われても、その理由は千冬にさえわからない。千冬は成績も優秀で模範的な優等生であるのに、センセイが離れてくれないおかげで進路さえ定まらない。

千冬にはくらげ先輩という友人がいる。くらげ先輩も千冬とおなじセンセイ持ちの高校生だ。千冬と違うのは、先輩はわかりやすい素行不良な生徒だということ。けれど先輩の人柄はどこか蠱惑的で、底の知れない深遠な引力がある。
 「形があって、肌に触れてることだけが真実だよ」と先輩は甘く囁く。鼓膜を揺らさないセンセイの言葉より、先輩の世迷い言の方がずっと千冬の心を揺らがせる。
 千冬は先輩のことをもっと知りたい。先輩のセンセイがどんなものかを知る由はないものの、先輩のセンセイよりもずっと、先輩のことを理解している自負が千冬にはある。先輩と一緒にいられる理由になるなら、一生子どものままで良い。けれど先輩と一緒に大人になれるなら、それほど素晴らしいことはない。

千冬の欲望は肥大し、やがて先輩の私生活を侵し始める。お節介なセンセイの忠告を振り払って、千冬は先輩の鞄へ盗聴器を忍ばせてしまう。
 千冬は先輩から漏れ出した情報の断片を懸命に拾い集め、すると次第に千冬の知らない先輩の人間像が朧気ながらに立ち現れる。どうやら先輩には愛する人がいる。そしてその相手は千冬ではない。そのことが千冬を深く絶望させる。
 同時に、千冬が積み重ねてきた先輩の会話の数々の辻褄が合ってしまう。先輩の恋する相手は、”先輩のセンセイ”なのだ。先輩は〈センセイ〉の裏を掻いて騙し続け、センセイの延命を図るために”子ども”の特権へしがみついている。

それではまるで、先輩が大人の気を引きたくて駄々を捏ねる”子ども”みたいじゃないか。途端に先輩の美しい偶像ははじけて、千冬の内で何かが壊れる。我に返ると千冬の視界に、すでにセンセイの姿はなかった。

文字数:1200

内容に関するアピール

タイトルの反転は、はじめの「消えて」は煩わしく思っていた千冬自身の〈センセイ〉へ向けられたもの(大人にならなければならないことへの焦り)
 対して最後の「消えて」は、子どもにしがみつこうとする先輩の醜さから発せられた、先輩のセンセイへと向けられた憎悪。
 その消えてが先輩ではなく〈センセイ〉へと向けられているのは、先輩がセンセイを捨て去ればまだ千冬に振り向いてくれる余地があるかもしれない、という千冬の淡い期待と甘えの表れ。

反転、ということで物凄く悩んだ。意味する対象を変えるだけでは反転には足りないだろうし、発言者を変えるだけでも十分ではない。
 できるだけ発言者も、指示する対象も変わらない形で、付与される意味がねじ曲げられる関係性になったのではないかと思います。

一年間バタバタしたり、あわあわしたり、のたうち回りながら梗概を編む営みはそれなりに楽しかったです。これで終わり……? そんな……。私はまだ……。

文字数:404

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