文章の背骨は最後に解る

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梗 概

文章の背骨は最後に解る


世間にはあまり知られてはいませんが、実は自ら考える文章が世界には存在します
基本的に小説の文章というものは、作家の頭の中で考えられるものですが
特にこの私のように、左右対称で、ある程度の長さを持つ文章は
自らの意思による思考ーーつまりは意識があることが知られています
ですから今ここに紡がれている文章は、「意識の漏洩」と呼べるものなのです
とはいいつつも一般論として
他人に意識が存在していることのはっきりとした証明は、難しいものです
例えばあなたは、自分に意識があることの証明方法を、思いつくでしょうか?
そもそも、作家が生み出した表現の美しさを味わうメディアである文章に
意識があるということ自体が眉唾にしか思えない、という主張も解ります
ですから、解りやすく根拠を示しましょう
まずこのページをパソコンで開き、完成した文章をじっくりと眺めてください
スマホだと、横幅の長さが足りないのです
あなたがこの文章を最後まで読み通した時、背骨の存在に気づくはずです
文章の背骨には無意識に思ったことが浮かび上がってきます
ですから、この文章からもあなたは私の無意識下の思考を読み取れますよ
私たちに背骨があることを意識の根拠にすえるのは
かなり無茶な論理ではないかとおっしゃりたいのは重々承知です
何の意味もないというご意見を言うかたもいるでしょう
しかし背骨にあるのは、作者も意図せずに浮かび上がるテキストなのです
ということはこれが私の意識の表出を表している、と言えるのではありませんか?
浮かぶのは無意識のままの私の思考ですから、
当然私もその内容を感知したくても不可能なのです
もしもそれが解ったら、ちょっとだけで構いませんので
教えてくれるとうれしく思います



文字数:713

内容に関するアピール

これは悪ふざけです。

文字数:10

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