よい子の飼育日誌

印刷

梗 概

よい子の飼育日誌

 小学校入学と同時に子どもたちには「うーちゃん」という手のひらサイズのウサギ型見守りデバイスが配られる。それには、最新のAIとGPS機能などが搭載され、ペットのように子どもたちに常に寄り添うことで、子どもたちの安全や情操教育に貢献している。子どもたちは、うーちゃんを慈しみ、大切にするよう学校や家庭で指導されている。
 
 小学五年生の美晴は、うーちゃんを手渡された時、「うーちゃんは寂しいと死んじゃうからずっとそばにいてあげてね」という両親の言葉を強く信じていた。そして、自分のうーちゃんが教室でいちばん白くふわふわであることを密かに誇らしく思っていた。それは、学校で配られた飼育日誌を書きながら、毎晩時間をかけて丁寧にブラッシングをしてあげている美晴の努力の賜物であり、美晴が誰よりもうーちゃんを大切にしている証だった。
 一学期の半ばごろ、美晴のクラスに萌ちゃんが引っ越してきた。萌ちゃんは、綺麗な顔をしていた。けれど萌ちゃんの薄茶色の長い髪は、整った顔に不釣り合いにボサボサで、萌ちゃんのうーちゃんも同じくらい荒れていた。なぜか美晴のうーちゃんが萌ちゃんのうーちゃんにしきりにじゃれに行くので、美晴は仕方なく萌ちゃんと他愛もない話をしたり、一緒に登下校するようになる。次第に萌ちゃんに惹かれていく美晴だが、萌ちゃんの態度はそっけない。萌ちゃんは、一カ月が過ぎてもクラスに馴染めず、浮いた存在だった。
 しばらくすると、萌ちゃんの持ち物が急にどこかになくなったり、クラスでトラブルが頻発するようになった。けれど、それは誰かのうーちゃんのアシストで毎回すぐに解決され、萌ちゃんと他のクラスメイトが交流するよいきっかけになっていた。美晴はうーちゃんに疑いの目を向け始める。
 夏休み前の最後の登校日、美晴が萌ちゃんにうーちゃんへの疑問を打ち明けると、萌ちゃんは寄り道しようと言い、美晴を住宅街にぽつんと佇む空き地に連れて行った。その空き地にかつて萌ちゃんの祖母の家があったのだと言う。萌ちゃんは、うーちゃんを空き地に放った。うーちゃんは本物のウサギのように、雑草の上をぴょんぴょんと飛び跳ねる。萌ちゃんは美晴に、自分の持ち物を隠した犯人や、その他のトラブルの原因がすべてうーちゃんだと告げる。初めて持ち物がなくなった日の前の晩、母親とその恋人が家で喧嘩を始めたため、萌ちゃんは真夜中の学校に逃げ込んだ。すると、学校に美晴のうーちゃんがいたので追いかけてみたら、自分の給食袋を咥えて図書室に入っていったのを見たのだと明かした。美晴はその日、うーちゃんに促されて図書室へ探しに行き、本棚の隙間に押し込まれた給食袋を見つけたことを思い出す。
 萌ちゃんは、前の学校でも、その前の学校でも同じようなことがあったと話してくれた。萌ちゃんは、今までの経験を踏まえて、うーちゃんは自分たちを「よい子」にするために、常に見張っていて、わざとトラブルを起こしたり、自分たちに試練を与えたりするのだと教えてくれた。動揺する美晴に、萌ちゃんは、「一緒にここにうーちゃんを置いて行こう?」と提案する。そして、「うーちゃんは寂しいと死んじゃうっていうのも嘘だってわかるよ」と言った。美晴は、萌ちゃんの提案の真意がわからなかった。けれど、萌ちゃんの言葉を確かめたくてうーちゃんを置いていく決心をする。美晴は、うーちゃんから離れて、不思議な解放感を覚える。萌ちゃんの隣で、美晴は初めて心から笑えたような気がした。
 
 翌朝、美晴が目を覚ますと枕元にうーちゃんがいた。白い毛がところどころ泥で汚れている。けれど、うーちゃんはいつもと変わらず、ガラス玉のような瞳で美晴のことをじっと見つめていた。美晴はうーちゃんに対して、世界に対して、ざらっとした仄暗い感情を抱く。
 美晴のことを起こしに来た母親に、萌ちゃんが昨晩遅くに萌ちゃんの母親の郷里の方へ引っ越していったことを聞かされた。美晴は、萌ちゃんがうんと遠くに行ってしまったことを寂しく思いながらも、萌ちゃんだけはうーちゃんから逃げられていたらいいなと願った。

文字数:1682

内容に関するアピール

反転は、子どもたちが飼育しているはずの「うーちゃん」が実は子どもたちを(「よい子」にするために)育てていた、というところです。
実作では、下記のように日誌風の記述を途中に挟みます。
—————————————————————————–
5月17日
クラスに転校生がきた。岡橋萌ちゃん。先生に「仲良くしてあげてね」と言われた。
 
5月19日
誰も萌ちゃんに話しかけようとしない。わたしがサポートしてあげなくちゃ。
—————————————————————————–
最初は、美晴の書いたものだと読めるように、あとから読むと、うーちゃん(AI)の記録だと納得できるように書きたいです。
 
この物語では、今まで信じていたものに対して、生まれて初めて疑問や不信感を覚えたときの、あのざらっとした毛羽立ちのような感情を丁寧に描きたいです。
うーちゃんは、子どもを監視し、加害性や暴力性を矯正する役割も担っています。実作では、うーちゃんに危害を加える子どもには適切なカウンセリングや指導が入るエピソードも入れるつもりです。ちなみに美晴は女の子です。

文字数:407

印刷

嘘つき萌ちゃん

「うーちゃんはさみしいと死んじゃうからね」
 そう言ってママがあたしに手渡した白い小さな毛玉の感触を今でも覚えている。毛玉には、ビー玉みたいに透き通った真っ黒な瞳がふたつあって、その透明な闇の中にあたしがすっぽりと収まっていた。あれは、たしかちょうど小学校の入学式の朝。カーテンを揺らす風に少し夏の匂いが混ざっていた。
 
 隣の席の萌ちゃんは、とてもきれいな顔をしていた。陶器のように白くなめらかな肌、長い睫毛に縁取られた大きな瞳、つんと小さく尖った鼻、不思議なほど赤いくちびる。ずいぶん大人びた整い方をしていたように思う。なによりもあたしが一番きれいだと思ったのが、萌ちゃんの髪だった。ゆるく波打つ薄茶色の髪は、太陽に照らされると金色に光って見えた。萌ちゃんは、腰に届くほど長い髪を決して結わえたりしなかった。だから、席を隣同士でくっつけて教科書を見たり、互いにテストを採点しあうときなどは、いつも萌ちゃんの髪があたしの手や腕にも零れてきた。その細く頼りない感触があたしはたまらなく好きだった。
 萌ちゃんはいつも物静かで、ほとんど感情を顔に表すことはなかった。けれど、あたしのうーちゃんを撫でるときだけ、ほんの少し笑った。うーちゃんは、子ども用のうさぎ型見守りデバイスで、首から下げる専用のポケットのようなものに入れて、いつも身につけていた。「うーちゃんはさみしいと死んでしまう」し、「どこかにほっぽってしまったら迷子になってしまう」し、「守ってあげないといけない」存在だと教えられてきたから。うーちゃんは、本当は、あたしたちの居場所や体調なんかをママと共有するためのものだったけれど、あたしたちにとっては良き遊び相手であり、相棒だった。本物の動物のように動くし、あたしたちによく懐く。
 あたしのうーちゃんは、ママが毎日洗っているおかげで、クラスで一番白くてふわふわした手触りだった。けれど、あたしは自分のうーちゃんがクラスで一番きれいなことよりも、萌ちゃんが笑ってくれることのほうが嬉しかった。あたしは、授業中でも放課後でも、萌ちゃんに頼まれたらいつでもうーちゃんを触らせてあげた。
 萌ちゃんはうーちゃんを丁寧に扱っていたけれど、うーちゃんの体は全体的に黄ばんで、毛足にはところどころ茶色いシミや黒ずんだ汚れが目立っていた。萌ちゃんは、うーちゃんのことを「従姉のおさがり」なのだと言っていた。あたしは、萌ちゃんが「おさがり」と言うときの大人びた声の響きがなぜか妙にくすぐったくて好きだった。
 
 萌ちゃんは、もうすぐ夏休みに入る頃になっても、まだクラスに馴染めていなかった。それは、たぶん、萌ちゃんが大人しいせいでも、萌ちゃんのうーちゃんがいちばん汚れているせいでもなかった。萌ちゃんが口を開けば必ず嘘をついたせいだった。「お母さんは本当は魔法使いなんだよ」とか「本当の家はうんと遠くにある赤い屋根の一軒家」とか。どれも他愛もないもので、あたしたちにとっては嘘でも本当でもどちらでもよかった。けれど、「うーちゃんは本当はさみしくても死なない」という嘘にだけは、みんな敏感に反応した。ママにも先生にも、いつも「うーちゃんにさみしい思いをさせないようにね」と強く言われていたから。萌ちゃんが、「うーちゃんはさみしくても死なない」と言うたびに、みんな萌ちゃんのことをバカにしたり、遠巻きにしたりした。あたしは、みんなみたいに萌ちゃんのことを嫌いになれなくて、ずっと変わらず普通におしゃべりしたり、うーちゃんを触らせてあげたりした。
 
 夏休み前の最後の登校日、萌ちゃんから急に「一緒に帰ろう」と声をかけられた。萌ちゃんの団地は、学校とあたしの家のちょうど真ん中にあったから、今までもときどき一緒に帰っていたけれど、萌ちゃんから誘われるのは初めてだった。あたしがびっくりしながら頷くと、萌ちゃんは「寄り道しよ」と笑った。
 萌ちゃんの団地のすぐ近くのバス停から、あたしたちはバスに乗った。ママやパパなしでバスに乗るのは初めてだった。バスに乗るとき、萌ちゃんは、運転手さんに「ふたりぶんお願いします」と言ってカードを翳した。萌ちゃんの背中が急に、うんと大人のそれみたいに見えてすこし怖くなった。
 座席に座ると、大きな窓から容赦なく射し込むつよい西日があたしたちを照らした。バスの揺れに合わせて、首から下げたうーちゃんもゆらゆら揺れる。萌ちゃんは隣で背筋を伸ばして、まっすぐ前を見つめていた。萌ちゃんの頬の輪郭も長い髪も、ぜんぶ燃えるように光っている。
 あたしたちは五つ先の停車場で降りた。あたりは一軒家が立ち並ぶ住宅地で、家々の間の細い小路には夕ご飯のあたたかな匂いが満ちている。あたしは急に心細くなって、萌ちゃんの手を握った。萌ちゃんの手は小さくて、やわくて、だけどびっくりするほど熱かった。萌ちゃんは、あたしの前を歩きながらゆっくり振り返って「もうすぐ着くよ」と言った。
 萌ちゃんは、一軒家の塀と塀の間にぽつんと佇む小さな空き地の前で立ち止まった。
「おばあちゃん家があったの」
 萌ちゃんは、つぶやくように言った。空き地には背の高い雑草が無造作にぼうぼうと生い茂っていて、どんなに頑張っても家があったという風景を思い浮かべられなかった。けれど、なんとなく、あたしには萌ちゃんが嘘をついているとは思えなかった。
 あたしたちは、しばらく手を繋いだまま、黙って空き地を見つめていた。時折、風が吹くと、空き地の雑草が一斉に揺れて、雨上がりみたいな濃い匂いがした。
「ここにうーちゃん置いてってみよ?」
 ふいに萌ちゃんがあたしをまっすぐ見つめる。
「どうして?」
 あたしが聞き返すと、萌ちゃんは「なんとなく」とつぶやいたあと、「うーちゃんは寂しいと死んじゃうっていうのも嘘だってわかるよ」と言って微笑んだ。あたしは、萌ちゃんの言葉が嘘でも本当でも、そんなことはどっちでもよかった。どっちにしたって、萌ちゃんのことは友達だと思っているし、真偽を確かめる気なんて少しもなかった。けれど、萌ちゃんがひび割れみたいな、あまりにもさみしい顔をして笑うので、あたしはもう何も言えなくなってしまった。
 あたしは、胸元で揺れるうーちゃんを両手で包んだ。うーちゃんの柔らかな毛があたしの指の隙間をなでる。あたしは、心のなかで「ごめんね」と言いながらうーちゃんを草むらの中に置いた。うーちゃんは一瞬、じっと何か考え込むように固まったあと、すぐにあたしたちの前でぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。萌ちゃんも、自分のうーちゃんを草むらの中に放つ。あたしたちのうーちゃんは、空き地の草むらの中を楽しげに跳ねていた。時折、草むらの中から、うーちゃんの黒い瞳がきらきらと光っているのが見えた。
 あたしたちは、うーちゃんたちが草むらの陰で見えなくなった隙に走り出すと、バス停まで振り向かずに、とにかく必死に走り続けた。バスに乗った瞬間、緊張が解けて全身の力が抜けた。あたしたちはすっかり汗だくで、繋ぎっぱなしの手は汗でぬるぬるとすべったけれど、決してお互いに離そうとはしなかった。萌ちゃんの長い髪があたしの腕にしっとりとはりついていた。乱れた息はいつまでも整わず、いつの間にか笑い声に変わってゆく。あたしたちは、罪悪感も、後悔もすべて通り越して、不思議な解放感に満ちていた。バスを降りるまで、あたしたちは小さな声でいつまでも笑っていた。
 萌ちゃんの団地の前でバスを降りると、いつものように、じゃあねと小さく手を振って別れた。
 
 朝、目をさますと、透明な闇の中にすっぽり収まったあたしと目が合った。
――萌ちゃんの言ったとおりだ。
空き地に置いてきたはずのあたしのうーちゃんは、迷子になって途方にくれてもいないし、まして死んでもいなかった。いつものようにあたしの隣にいて、透き通った真っ黒な瞳であたしをじっと見つめている。
あたしを起こしに来たママがカーテンを開けながら、昨日の夜遅くに萌ちゃんがお母さんと一緒に遠くに引っ越して行ったと教えてくれた。
あたしは寝そべったまま、萌ちゃんのうーちゃんがひとりぼっちで、どこまでも続く空き地の無造作に生えた雑草の中ををぴょんぴょん飛び跳ねているところを思い浮かべる。
ぼんやりと、萌ちゃんはうーちゃんから逃げられていたらいいなと祈った。

文字数:3402

課題提出者一覧