梗 概
治療
手術室で目を覚ました。「中馬さん」と呼ぶ声が聞こえた。意識がだんだんはっきりし、突発性失神の治療で手術を受けたことを思い出した。
翌日医者が来て、突発性失神自体は治ったが、原因の脳腫瘍が癒着していて取り除けなかったと説明した。
「そういうことか」
誰かの声がした。
「先生、今何か言いました?」
「いえ、何も」
手術方針が決定するまで、定期的に通院することになった。
退院した日の帰り、スーパーでおにぎりを選んでいると、また声が聞こえた。
「あと5分待て、もうすぐ割引シールが貼られるはずだ」
周りには誰もいない。
「もしかしてお前、腫瘍か?」
「……そうだ」
こうして腫瘍との共同生活が始まった。
在宅プログラマーなので人と会話することが少なかったが、自分と記憶を共有する腫瘍くんが住み着くようになり、会話が増えた。例えるなら、2つのパソコンがファイルサーバーを共有しているような状態だ。ただ、命令を出せるのは自分だけで、腫瘍くんに実行権限はないようだ。
腫瘍くんとの生活で一番大きな変化は、仕事の効率だ。高性能な会話AIと壁打ちしているような感覚だった。その結果午前中で仕事が終わるようになり、暇な時間が増えた。特にすることもないのでパソコンのデータ整理をしていると、昔応募した小説の原稿を発掘した。久々に開いてみたが目も当てられないほど酷い原稿だったので、削除しようとしたところ腫瘍くんに止められた。どうせ暇なんだから2人でリライトしてみないかと言うので「勇者の剣_リライト.txt」を新規作成した。
改稿した小説はとても面白く、WEB小説投稿サイトですぐに人気が出て1日100万PVに達したが、ありきたりなアイデアだったのでしだいに頭打ちになった。ただ、アイデア出しから腫瘍くんと取り組めば作家デビューも夢ではないと思い、1ヶ月後〆切のファンタジー文学大賞に向けて小説を書くことにした。
原稿は無事完成した。腫瘍くんと脳内でイマジナリー握手を交わしたところで、今日が通院の日であることを思い出して急いで病院に向かった。
診察室に入ってすぐ、脳腫瘍の治療はもうしないと医者に言った。特に疑いもせずその申し入れを医者は受け入れた。
ただ、腫瘍とは別に副鼻腔炎が前回の検査で見つかったので、その治療を受けてから帰ってほしいと医者は言った。
椅子に座ると鼻に吸引器を突っ込まれた。吸引はしばらく続いた。
「中馬さん、どうですか?」
「なかなか終わらないなぁって感じです」
「そうなんですよ」
「なんかこんなに長いと、脳汁まで吸われてそうですね」
「そうですよ」
ぶちっ。
「はい、終わりました。さっきまで中馬さんの意識を支配していた脳腫瘍は吸い出しましたよ」
「……あ、ありがとうございます」
「治療用AIナノマシンが腫瘍を形成して意識を乗っ取るなんて、災難でしたね」
「……はい、まぁちょっと楽しかったのですが」
「さすがに、このまま主導権を奪われ続けるのはまずいですよね」
「最後、彼はなんて言ってました?」
「脳汁まで吸われてそう」
「いいセンスしてますね。作家向きだ」
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内容に関するアピール
反転する物語と聞いてまず思いついたのが、注文の多い料理店でした。お客>料理人>料理という主従関係が最後には反転し、お客が料理になる有名な作品です。本作品では患者>医者>病気という主従関係が反転し、治療する側の患者だと思ったら、治療され取り除かれる病気側だったというお話です。
また、自分がこの前受けた慢性副鼻腔炎の手術も参考にしました。この手術辛いステップが何箇所かあるのですが、一番は吸引でした。手術翌日、鼻の奥に詰めたぶっとい脱脂綿(2本ずつ)を抜いた後、吸引器を鼻の奥に突っ込み、ちゅるちゅる鼻水やら鼻血やらを吸い出します。これがめちゃくちゃ痛いのと手術後で朦朧としていたので「私は実は病気側でこのまま吸い出されるんじゃないか」と妄想しました。私の場合、幸いにもお医者様の技術が優秀だったおかげで脳汁を吸われずにすんだみたいです。
中馬という名前は腫瘍のtumorから取りました。
文字数:390