梗 概
秋田行、午前6時発、特急つばさ殺人事件
鉄道運行VRゲームの中で、鉄道マーダーミステリー企画が流行っている世界
■登場人物・性別:実社会(ゲーム内)
若林徹・男(翼・男)
宮ノ坂由紀子・女(豪徳寺剛・男)
山下哲郎・男(シズ・女)
秋田行つばさ号に、同名の男、翼が乗っていた。車内で起きる殺人事件を楽しみにしていたところ、意識を失う。翼は殺された。シナリオで予定されていたNPCの殺人ではなく、プレイヤーが殺されたことで、つばさ号は一時運行停止、企画は中止された。
リアル社会の若林は、BANされて怒っている。納得のいく説明もない。一方的なBANもあるという規約によって文句が言えない。仮にもゲームデザイナーの一人だというのに、参加拒否だ(別アカは作れない)。ゲーム外でも繋がりのある友人のデザイナー宮ノ坂に状況を聞く。翼の死が公表され、詳細説明があったという。ゲーム内で他のプレイヤーに殺されたものは二度と復帰できない、ポイント(ゲーム内貨幣)は運営に回収される仕様である。翼がゲーム内で貯めた100万円は失われた。
つばさ号ミステリー企画は、リアル・マーダーミステリー・トレインとして再開された。NPCでなく、誰かが実際に殺される(復帰もできる)。ただし犯人は企画側のNPC、プレイヤー同士で殺し合えるわけではない。そのはずだったが、シズという女性が想定外の死体となって発見される。
山下はそれ以来、ゲームに戻れない。誰かユーザーに殺害されたため復帰できない。「つばさ号」企画はさらに炎上し話題となり、BAN上等の熱狂的な参加希望者の予約待ちである。彼は掲示板を通して、若林、宮ノ坂と接触する。宮ノ坂が、若林と豪徳寺を自宅に招いて、ひとりアクセスする。
宮ノ坂はログイン前に呟いた。
「若林、君の山形プランはもはや採用されないね。リアルに合わせ、秋田往復の『つばさ』の世界は停止し、新たに山形新幹線『つばさ』の世界を自分の監修で作ろうという、君の目論見は潰えた。運営は儲かる企画を手放さないよ。わたしの美しい世界はまだまだ続く。そして山下、ハッキングでゲームの抜け穴を見つけようとするのは反則だ。ゲームの流儀に則ってBANしてやったことを、情けと思え」
つばさ号に乗る豪徳寺は、NPCの鉄道警察に拘束され、シズと同じ顔の探偵が現れる。彼女は豪徳寺の罪を告発する。BANされたプレイヤーのポイントが、運営会社から豪徳寺のアカウントに流れていた。既にリアル世界で換金されている。
「金の問題じゃない、美しい世界を守りたいだけだ。金の亡者たちめ」
探偵は山下がハッキングで作成したNPCだった。宮ノ下は1億円以上を既に換金済み。一方、若林は失業中だ。彼女にとって真実の言葉なのかもしれないが、金の亡者呼ばわりされる謂れはないと思った。
実社会で宮ノ坂は横領罪に問われた。秋田行つばさ号は世界と共に消失した。
この事件は、「つばさ号殺人事件」として語り継がれる。
文字数:1200
内容に関するアピール
典型的なトレイン・ミステリーのタイトルを付けました。読者は「つばさ号で」殺人事件が起きるものとして読み始めると思いますが、すぐに同名の翼という人物が殺されることで、「つばさ氏が」殺される事件なのかとミスリードを誘います。物語は鉄道ゲーム空間とリアル社会を行き来し、事件の真相が明かされることで、最終的に「つばさ号それ自体が、世界とともに」消える=殺される話に着地します。
宮ノ坂の動機は、若林とのデザイナー同士の競争と1億円の横領にあると、世間的にはみなされます。しかし彼女の真の動機は、あくまで自分の作った美しい世界を守り、発展させたいという、俗世的なことを度外視した思いにあります。VR空間の美しさ、リアルさ、しかし現実世界とは異なる列車、バグと誤解されそうなルール設定などの描写で、彼女の考えに説得力を持たせたいと思います。またクライマックスの、探偵と真犯人が対戦する会話を頑張りたいと思います。
文字数:400
ミステリー・トレインの死
1. 東京駅-つばさ号車内
午前5時40分。出発の20分前だ。
翼は、丸の内口の、煉瓦造りの丸屋根の下を歩き、スマホをかざして改札を通過した。
使ったのは、通常のSUICAではない。ゲームイベントの参加チケットだ。中央通路を抜けて、東北・上越新幹線の改札を通る。ホームへ上がると、すでに乗客が集まっていた。混雑をすり抜けて、自分の乗る車両の位置まで歩いていく。出発10分前になってドアが開いた。ホームに乗車案内の放送が流れる。
「マーダーミステリー『つばさ号殺人事件』にご参加の皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。臨時列車つばさミステリートレイン東京発秋田行きは、ただいま乗車を開始いたしました。参加チケットの車両、座席番号を確認の上、ご着席ください」
同時に、スマホの画面にチケットのポップアップ表示。車両番号を再確認して、翼はつばさ号に乗り込んだ。3列シートの窓際に座り、隣の席にリュックを置く。
一編成すべて貸切の企画だが、すべての座席が埋まっているわけではない。指定席の、半分も埋まっていないだろう。使っていない車両もある。実際に謎解きに参加するゲームなので、人数は絞っている。しかも、全員がチケットを購入した参加者というわけではない。運営側が用意した登場人物、NPCも多いはずだ。つまり、被害者、真犯人、エキストラ。また、参加者の目撃情報、証言、推理などだけでは、目指す方向にストーリーが進まない可能性がある。それを、うまく誘導していく役割の人々。探偵になろう、なれる、と思って参加者は乗り込んでいるけれど、うまく真相に辿り着けるとは限らない。そのときは、探偵役が真相を解き明かし、自らが何者かは明かさず、参加者の満足度を保ったまま企画を終了させる。
立ち上がって、前後の客席や通路を移動中の人々を見る。見た感じ、若い人が多い。20代、30代、自分と同世代といったところだろうか。それなりに参加費もかかるので、学生などは参加しにくいだろう。自分同様に一人で参加している人が目立つが、友人、カップルなどの二人連れ、三人連れもいる。身長170センチで標準的な体型をしている自分と比べて、背の低い人も高い人も、細身の人も、倍の体重がありそうな人もいる。暴力行為は禁止のルールだが、殺人現場の混乱に居合わせた時に、体格差は影響しそうだ。
6時ちょうど。列車が音もなく進み出した。
翼は座り直して、スマホを開いた。乗客名簿を表示させる。
先頭に自分の名前、「翼」とチケット購入時の顔写真。名前は、この企画参加のための名前で本名ではない。以前から使っていた名前なので今回の特急の名前と被るのは偶然だが、その他大勢ではなく、事件の重要人物のような気がして、ちょっと気分が良い。
アリス河、池畑イケア、宇都宮、エドガー、織春子――オリハルコンだろうか? 車中で会話可能な、ギリギリ呼ばれて恥ずかしくない名前をつけているつもりで、皆どこか微妙だ。
スクロールしていくと、知っている名前もあった。
豪徳寺剛。名前通りのいかつい中年男性だ。以前会ったのは、さっき通ってきた東京駅丸の内口の二階、東京ステーションホテル殺人事件だったと思う。
シズ。黒髪ロングヘアーの美少女。直接会ったことはないが、界隈では有名だ。18歳です、といっても通用するルックスだが、実年齢は不明。
山田太郎、山田花子。夫婦だが、じつは運営側のスタッフだということを、翼は知ってしまっていた。全乗客を載せるということは、参加者も運営側の人間も混ぜて載せているということだ。そうすることで、隣にいるのはスタッフなのだ、などと興醒めする事がなくなる。もっとも、山田夫妻の写真は翼の知らない顔だった。ほんとうに一般参加者の可能性も少しはある。
客席に空きがあるとはいえ、100人を超える乗客。
「この中に犯人はいます」
というわけだ。
つばさ号は、上野は通過して大宮へ向かう。埼玉方面からの参加者は、大宮乗車が可能なのだ。だから、イベントが始まるのは大宮を出てからと思っていいだろう。
それまでに社内の様子を見ておこうと思い、翼は席を立った。後方に向かって歩いていく。そのほうが、この車両に乗っている人たちの顔を見ることができる。ポツリポツリと着席している参加者の顔を確認しながら歩く。
車両後方の自動ドアが開きデッキに出たところで、出入り口に近づき窓の外に目をやった。東京から埼玉へ向かう風景。住宅地、工場、幅の広くつくられた河原と荒川の流れ。橋を渡ってゆく。外には、在来線の陸橋や、首都高速が見える。光の帯が、どこか現実感を欠いた未来都市のようだ。
突然、その景色が真っ暗になった。何も見えない。
後ろから、目隠しされたのだ。手のひらなどではなく、太い腕で、強引に。右から目を覆い頭を固める右腕の下に、左腕が入り首を絞めてきた。力強く、抵抗できない。
ブラックアウト。
大宮駅で乗り込んできた乗客によって、翼(仮名)の死体が発見された。
ゲーム参加者が被害者として殺害される予定はなく、つばさ号は運行を中止、この日のイベントは「延期」として扱われることになった。
再開日は未定。
2. 東京都内、若林宅
つばさ号の事件も、三日も経てばニュースで扱われることはなくなり、人々の興味は、それぞれの関心に移っていった。翼の死は、当事者以外には忘れられた。
都内のマンションで、一人暮らしをしている若林は、怒っていた。リモートワークのオフィス兼、個人の通信環境として、書斎の広いデスクには2台のPCと4台の平面ディスプレイが置かれている。今、ハーマンミラーのアーロンチェアに座る若林の目の前にあるのは、個人用PCのディスプレイだった。仕事用よりも高性能な、ゲーミングPC。まだ、就業時間内だったが急ぎの仕事は片付けたし、仕事よりも重要なことが世の中にはある。
若林は、怒っていた。
突然BANされて、ゲーム空間から一方的に排除されたのだ。
規約によれば、運営会社の判断で一方的にアカウントを停止あるいは削除することがある、そう書かれて入る。しかし、それは犯罪行為や他のユーザーへの目に余る迷惑行為に対する強権発動として、その可能性があるというのが常識的な解釈だ。若林は何もしていない。
サポートに問い合わせようとしても、文字入力も音声通話も相手にしてくれない。問い合わせには、ユーザーIDが必要で、IDを入力すると、そのアカウントは存在しないと回答されるだけだ。ゲーム空間内で何がどうなっているのかを確認する術がないし、運営会社にも存在しなかったことにされている。
別アカウントを作るような、違法な手段に若林は通じていなかった。アカウント登録には、個人ID、クレジットカード、銀行口座の一通りを入力する必要があって、一人一アカウントの原則と本人確認は徹底している。登録済みユーザーとしては、存在していないとされているにも関わらず、再登録は撥ねられた。
非ユーザーからの、利用前の問い合わせに答える窓口はもちろんあるのだが、そこではゲーム空間内で生じている問題には何も答えてはくれない。通りいっぺんの、使い方や課金についての質問に答えてくれるだけの窓口だ。
何より納得いかないのは、若林は、その運営会社と取引のあるゲームデザイナーの一人だというのに、この件についてただの一般ユーザー(正確には、もはや存在しないユーザー)としてしか扱われず、機密事項を教えるわけにはいかないという態度で門前払いを食らっていることだ。このゲームにだって一部は関わっていたというのに。
「自分一人で立ち向かっても、埒があかないな……」
独り言が漏れる。
「目つきが険しいですね。困っているときは、だれかに相談してみるのもありですよー」
デスクの端に置かれた、ゆるふわキャラのアシスタントが声をかけてきた。
「しかたない。頼るか……」
若林はチャットアプリで、知り合いを呼び出した。宮ノ坂由紀子、同業者だ。
若林:今、いい?
そのまま放置して立ち上がり、ドアを開けて部屋を出る。
一人暮らしには広めのLDK、リビングはいろいろなものが積み上がっているので、だいぶ狭く感じるが。キッチンで湯を沸かし、コーヒーを入れる。
マグカップを手に戻ると、ディスプレイにポップアップ、返信が来ていた。
宮ノ坂:いいよ、なに?
若林:例の、僕がBANされているゲームの件
宮ノ坂:ああ
若林:向こうでは、どうなってる?
宮ノ坂:掲示板とか見てる? だいたい、わかると思うけど。
ゲーム会社としてはその世界の中で起きていることについて、公式発表以上の情報提供はしないが、ユーザー同士のコミュニティに箝口令を敷くことはできない。
若林:大宮から乗ってきた人の目撃談があった。10件あって、内容は矛盾だらけ。
宮ノ坂:笑 盛ってる奴や、尾鰭をつける奴、そもそも見てない奴の目撃談もあるだろうから。
若林:で、真相は?
宮ノ坂:つばさ号のデッキで倒れていたのは、30代の男性。乗客名簿から翼さんであることは確定。死因は首の骨が折れてること。その場で即死
若林:目撃者はいるのか、犯人、というか不審人物の
宮ノ坂:なし
若林:そもそも、ゲーム空間のキャラクターに対して、なんで殺人が可能なんだよ
宮ノ坂:リアリティあっていいだろ。そのくらいの危険がないと、マーダーミステリーに参加するスリルが味わえない
若林:一般参加者に被害者は出ない前提だったよな。話しが違う
宮ノ坂:それはそのとおり。違法な殺人犯がどこかに潜んでいる。だから、会社の中では内密に調査を進めてはいるらしい。機密情報になるから、調査の経緯については教えられない
若林:つばさ号殺人事件、中止のままでは宮ノ坂も困るんじゃないのか?
宮ノ坂:わたしが? 中止のままなら、たしかに。掲示板見てどう思った?
若林:……盛り上がってる。オレも殺されたいって奴多い。
宮ノ坂:だろ? だったら、仕様変更だ。…………ゴメン、今の発言、見なかったことにして
若林:遅い。詳しく教えろよ
宮ノ坂:今、外部に漏らされたら困る
若林:漏らさないよ
宮ノ坂:その文字列を信じて、リークされた時のリスクが大きすぎる。
若林:じゃあ、直接話をしようよ
宮ノ坂:(ためいき)……O.K.
若林はゴーグルを頭に被り、アーロンチェアから立ち上がった。ドアを開けて部屋を出る。
向かい合ったソファと、その間に置かれた小さなテーブル。周囲は薄暗く鍾乳石に囲まれ、足元は暗い水面が微かに波打っている。地底湖の岸辺といった趣だ。高い天井に青白い光の照明が間隔を開けて輝いている。
若林と宮ノ坂のチャットルームは、お互いのリアルな部屋の家具をうまく利用しつつ、二人が会話するための場としてデザインされている。水面を歩いて、自分のソファに腰掛けた。じっさいに、自分のリビングのソファの位置にレイアウトされている。足が濡れそうな気がしてくるが、スリッパを履いているので大丈夫だろう。
部屋のデザインは、宮ノ坂が一方的に決めてくるのが、ふたりで話す時の暗黙のルールだ。
そして、実社会の姿のままで、キャラを立てたアバターを使わないのも、ふたりのルールになっている。
「なんで地底湖」
自分のソファに座り、足を組んだ宮ノ坂が答える。
「殺害された青年について話すのであれば、冥府が相応しいだろうと思って」
「悪趣味。ここから地上に連れ帰れるのか?」
「手を離さず、しかも後ろを振り向かなければ――と言いたいけど、あそこには、霊魂も死後の世界もない。これはただの装飾」
「仕方ない、本題に入ろう」
「前回の『つばさ号』は、参加者はあくまで傍観者にすぎなかったけど、今度は、連続殺人の被害者になる可能性がある。これをホラーの連続殺人ではなく、ミステリー・トレインとして成立させるためにどうするか、というのが、目下の課題」
「スリルはあるだろうけど、殺されたらBANされるというのでは、誰も参加しないだろう」
「そこが、仕様変更だ。亡くなった後も、再登録可能。別人として参加することはできるようにする。前のキャラクターを引きずっていたら、おかしなことになるからね。だから、待っていてくれたら、若林ももう一度入れるようになる」
「前のアカウントは、復活しないのか」
「死んだ人が蘇ったら、そのほうがおかしい。ミステリートレインの中の殺人は、あの世界の中ではリアルな殺人なんだ」
「その世界で死んだ人間の財産はどうなる?」
「財産、とは?」
宮ノ坂が首を傾げ、若林を見つめる。
正直なところを、伝えるしかない。
「ゲーム内で使える100万ポイント、換金すれば100万円の貨幣価値がある」
「貯めていたのか?」
若林は無言で肯定した。
「退会までに換金されなかったポイントは、消失するルールだったと思うけど」
「強制的に退会させられて、消失したポイントはどうなる?」
「消失じゃないか? ゲーム空間内のポイントは、その時点では現金との紐付けないのだから。再換金可能なポイントでも、換金の約束がされているわけではないし、実体経済に用いられなければ仮想空間の数字にすぎない」
若林の怒りはおさまらず、絶望だけが残った。
3. つばさ号車内
命の保証はない、というイベントの煽り文句を文字通りのものと受け止めて、なおかつ参加するような者は、リアルなイベントであれば皆無であっただろう。たいていのイベントは、安全性が確保されているものだ。同様に『つばさ号』の企画の再開に参加者が集まったのも、所詮、自分は死なないと思っているからに他ならない。
宮ノ坂由紀子が語ったとおり仕様は変更された。参加者つまり乗客のすべてが犯人に殺害される可能性がある。ただし、一般乗客が人を殺害することはできない。実行しようとすれば、その場でフリーズし、BANされる。犯人は、あくまで運営側の人間である。殺害されたアカウントは永久に抹消されたままとなり、ゲーム空間に蓄積したあらゆるものはその時点で失われる。同一ユーザーが再登録することは可能だが、以前の資産はいっさい流用できないし、名前やルックスも同じにはできない。
大宮駅を発車すると、次の停車駅は仙台だ。この1時間少々の間に、いよいよ事件が起きる時間帯だろう。大人しく席に座りながら、乗客は期待を胸に秘め、スマホの画面を見たり、自動ドアの上の掲示板を見たりして、何が起きるか待ち構えていた。
窓際の席に、くせのない黒髪を背中まで伸ばした美少女が座り、車窓の外を眺めていた。名前はシズ。この界隈ではよく知られた顔だ。ていねいに刻まれた美貌は、デフォルトで提供される素材を組み合わせて作り込めるものではない。それなりにコストがかかっていることは一目瞭然であった。シズの視線の先には、北関東の、地方都市と工場と、田園風景がつづく。地平線まで遮るもののない平野を朝日が照らす。退屈なはずのその風景は、どこか色鮮やかに感じた。
走行音のノイズ以外は無言の車内に、車内放送が響いた。
「お客様の中に、お医者様と探偵様はいらっしゃいませんでょうか? いらっしゃいましたら、5号車までお越しください」
乗客がみな立ち上がった。シズももちろん、立ち上がる。身長150センチの小柄な身体に、清楚な印象を与えるワンピース。さっきまで無表情だった目も口も笑っていた。口元を手で隠すが、微笑みが隠せない。彼女も、ほかの乗客も、これを待っていたのだ。
通路を5号車目指して進む乗客で、行列ができる。6号車の後方で、足止めされてしまった。アナウンスによると、どうやら5号車の客席には、数人ずつ入れて、現場を確認させているらしい。シズは前方の様子を探ろうと試みて、背伸びをしたり身体を左右に動かしたりしてみたが、目の前の男の体が大きすぎ、彼の背中の向こうを見ることができなかった。
大男の背中をつついて、すみません、と声を掛ける。
振り返った大男を見上げる。四角い顔に、見覚えがあった。
「すみません、この先どうなってますか」
「見事に、殺害現場らしい。席に座ったまま、死んでいる男が見つかったそうだ」
男は座席の方に体を入れて、シズにもその先が見えるようにしてくれた。とは言え、その先も行列なのであまり変わらないが、自動ドアまでの空間が見通せるようにはなった。シズは頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます。……あの、もしかして豪徳寺さんですが」
「いかにも豪徳寺剛ですが、そういうあなたは、シズさんですか」
「そうです。はじめまして」
「こちらこそ。苗字はなくて、ただ『シズ』さんですよね。画像データしか見たことなかったけど、ほんとに可愛いですね」
豪徳寺の顔が緩む。男の向こう側にいるユーザーが見ているのは、どのみちデータなのだけど、データの作り込みにお金を掛けた効果があるのなら嬉しい。
「豪徳寺さん、最初の事件があった日のつばさにも、乗ってらっしゃいましたよね」
「ああ、あの日は大宮を出てすぐに、ほんとうの事件があって、仙台で中止になってしまった。そのまま続けてもらった方が楽しかったのに」
「そもそも、死なないはずの人が亡くなった。……この場では言い難いですけど……システムのバグ、あるいはセキュリティホール」
「そういう、素面に戻るような話は聞きたくないなあ」
やんわりと、遮られた。この世界を楽しむにはマナー違反の話題だし、追求していけば運営規約に引っ掛かる話にもなりうるので無理もない。
「ごめんなさい……」
「いや、謝ることでは。気には、なりますよね」
徐々にではあるが、行列は進み、10分以上経ってシズたちは死体の前に通された。豪徳寺の前にいた男性1名、シズの後ろの男女1名づつ、そして豪徳寺とシズの5人ひと組だ。
死体は、三列シートの窓側の席に、シートを深く倒して横たわっていた。シズは細身をすべりこませ、最初に死体の前に立った。
細身の男性だ。顔面に白布が被せられ、仰け反って剥き出しになった喉に、締め跡がある。喉仏のあたりを通るように、太い紐のようなものの跡がぐるりと一周している。その上からさらに手形のような跡。縛った上で、手で押さえつけたのだろうか。
前後の席に、鉄道警備の男が1名づつ立って、かれらが調べるのを見守っている。NPCだろう。普通はAIだが、ゲーム参加者の想定外の行動に責任を持って臨機応変な対応ができるよう、運営会社の人間の場合もある。シズは前の席にいる男に訊いた。
「布をとってもいいですか?」
男が首を縦に振る。シズは手を合わせてから白布をめくった。目を閉じた男の表情に苦悶の色は残っていない。後ろから豪徳寺が鉄道警備の男に尋ねた。
「身元は、分かっているのですか」
「所持していたスマホの、アプリからのポップアップメッセージから、池畑イケアさんだと確認が取れています」
シズが尋ねる
「なにか、目撃した人は? この車両の、ほかの乗客は……」
「この5号車には、彼一人でした。知り合いに会うためという理由で、6号車から4号車へ行こうとしたお客様が、第一発見者です」
グループごとに割り当てられた5分がきたところで、質問は遮られ、時間切れになった。5人は先頭車両の方へ抜けてほしいと指示を受ける。前のグループの人たちも同様たった。全員の調査が終わったところで、次のアクションに移るのだろう。
他の3人はさっさと歩いてゆき、豪徳寺とシズだけがゆっくりした歩調で進む。
5号車と4号車の間のデッキに入った時には二人だけになった。
「車両に一人だけって、死亡フラグですね」
「シズさんの車両は?」
「わたしのところは他にも乗っている人は多いので、大丈夫だと思います」
「そうかい」
とつぜん、強く腕を掴まれ、出入り口のドアに叩きつけられた。右肩と頭をぶつけた衝撃が響く。大きな手が、小さな頭を艶やかな黒髪の上から掴む。強い握力を感じた。顔面をドアの方に向けられ、ガラス窓におでこが当たる。首に、太い腕が入ってきた。
(豪徳寺さんって、NPCなの……?)
ブラックアウト。
4. 東京都、世田谷区内のカフェ
若林はアクセスが叶わないまま、外部から情報を追っていた。
掲示板では、再開された『ミステリー・トレインつばさ』の話題が盛り上がっている。企画そのものの良し悪し、VR空間のディテール、細部に散りばめられたモチーフ、殺された参加プレイヤーについての話題。中でも、投稿が絶えずに続いているのは、シズの殺害についてであった。
ほかの被害者、すなわち秋田駅に到着するまでに殺された、池端イケア、織春子、彩園珠美子(さいえんす・みこ)については車内で、あるいはイベントの最終会場である秋田駅前のイベントホールで真犯人が明らかになった。しかし、シズの殺害については犯人が明らかになっていない。このまま迷宮入りになるのか、次回開催に向けた伏線なのかと言ったことが話題になっていた。
なにより、シズはあの世界では人気の美少女だった。彼女のユーザーが再登録したとしても、亡くなったシズがそのまま再生することはない。そのことを惜しむ、周囲からの書き込みも目立った。
周囲から、だけではなかった。
シズ(幽霊):わたしを殺した相手を見た。あの人は、NPCではないと思うけど? バグ? それともわたしの早とちり?
ユーザー本人か、それともただのイタズラか不明だが、若林は詳しく話を聞きたいと、翼の名前でアカウントを作って、DMを送った。
翼(幽霊):腕の太い、巨体の男。顔を見たの?
返信が来たのは、一週間後だった。それも若林自身のアカウントに、直接メッセージが送られてきた。
シズ(幽霊):返信遅くなって、ごめんなさい。メッセージたくさん頂いてしまっていて。若林さん、週末に都内で会えますか?
どうやってか知らないが、中身を当ててくるような相手に、会わないわけにはいかなかった。
若林:土曜日、三軒茶屋で。(店のリンク先)
現れた相手は、予想どおり男性だった。
痩せた身体は、身長180センチあるだろうか。若林のだいぶ上に、黒と金のまざった髪をのばした頭がある。男は山下と名乗り、名刺を出した。IT関係のフリーランスのエンジニアのようだ。VR業界にもいたことがあるという。若林も名刺を渡した。
「どうやって、ぼくが翼だと分かった?」
「掲示板の実名とゲーム内のキャラクターの紐付けは、常連ユーザーについてはほとんど分かってます、推測にすぎませんけど。自分が誰なのかを名乗っていなくても、発言とVR空間の出来事を突き合わせていくことはできるでしょう。翼さんの殺害以後、若林さんはしばしの沈黙期間を経て積極的な調査に出られている。翼さんからのDMが本人からの本物なら、そっちに返信した方が確実に会えると思いました」
「なるほど。ミステリ向けの人だ。
本題に入りましょう。殺される前に、犯人の顔を見たんですか」
「豪徳寺剛、ご存知ですか」
「会ったことありますよ。東京ステーションホテルの客室で、ミステリ談義をした覚えがあります」
「あの太い腕で首を絞められる前に」
「ぼくは後ろから目隠しされて、それから首絞められたので顔は見えなかったんですよ」
「シズの殺害犯だけは、明らかになっていません。これは、ゲームのシナリオ外の出来事だったのではないか。そう疑っています」
「豪徳寺が、運営と関係なく動いている? 彼の正体を知っているのですか」
「いえ、おそらくユーザーコミュニティには顔を出していないですね。繋がりそうなアカウントが見当たらない。それよりも、問題は、ルールから逸脱した行動がなぜ可能なのかということ、それと――」
「その動機?」
「ええ、やっていることは二重に犯罪である可能性が高い。殺人と、ゲームシステムに対する何らかの違法介入」
「イタズラでハッキングした、ではダメか?」
「若林さんは、翼が殺されて何か失ったものはありますか? 失ったものがあるのならば、それを奪うことが動機かもしれない」
「ふたつ、あります」
ひとつは、ゲーム内に溜めていた100万円相当のポイントだ。換金してシステム外へ持ち出すのは非公式のテクニックがいるので、財産を奪われた、とは言い難いものの、かなりの損失である。山下さんはどうなのかと、訊き返す。
「ポイントとしては、たいして所持していなかったです。殺されたら保証されないと言われていたので、使い切ってましたから。しかし、シズの造形には100万では済まない額を投資していました。損失といえば、彼女自身が最大の損失です。
ポイント残高といえば、今回の参加者は、あらかじめ使い切って、最悪のケースに備えていた人が多かったようなのですが、どうも、池端さんはじめ殺された三人は、それなりにポイントを残していたようです」
「残高で被害者を決めていたなんてことがありうる……」
「さあ、どうなのでしょう。それより、もう一つについても伺ってよいですか」
若林はコーヒーを啜って、間をおいた。
「名刺にあるとおり、ゲームデザインが仕事なんだけど――つばさ号の集客が進みあの世界が発展すれば、ぼくが作ろうとしていた世界を創る機会はなくなってしまう」
「天地創造の神様の苦悩」
「商品開発の競争に負けたデザイナーの嘆き」
「競合相手がいらっしゃるんですか?」
若林は、宮ノ坂由紀子に連絡をいれた。リアルで会えないかと打診したところ、取り込んでいるのですぐには無理だが、二週間後ならOKという返事をもらった。日曜日の正午、30分前に自宅に来て欲しいというリクエストだったので、了解した。
「その日、何の日か知っていますか?」
「いや、なんかあるの?」
「次のつばさ号の日です。12時ちょうどに東京駅を出発します。二週間あれば、ぼくも準備できますね」
5. 東京都内、宮ノ坂由紀子の部屋
約束の日曜日、若林と山下は、最寄駅で待ち合わせてから宮ノ坂の住むマンションへ向かった。
「なにか準備してたんですか」
「まあ、調べ物とか」
駅前の喧騒がうそのように、数分歩いただけで閑静な住宅地になる。その中に指定の分譲マンションはあった。オートロックで部屋番号を押す。宮ノ坂がインターホンに出て、自動ドアが開いた。エレベーターで10階まで昇っていく。
玄関で山下を紹介して、靴を脱いだ。二人から、初対面というだけでない緊張感を感じた。
リビングは十六畳くらいあって広かった。整頓されて、飾り気のないシンプルな部屋。VRチャットで会話するときのような風景はない。
「ふつうの壁だな」
「当たり前だよ、チャットの部屋と違うって」
オープンキッチンで紅茶の用意をしながら、宮ノ坂が応える。
「それに片付いてる」
「汚部屋だとでも思ってた?」
「仕事道具で溢れているかな、とは思った」
「それは部屋を使い分けているからね。座って」
VRチャットで彼女が座っているものと同じソファの向かいに、促された。自分の部屋のソファより、座り心地がいい。右に山下、左に若林が座る。
紅茶を一口飲んで、山下が口を開いた。
「今日は、つばさ号の5回目ですよね」
「そうよ、私も乗車予定」
「仕事で、ということですか」
「デザイナーの仕事はもう終わっていて、あとは現場任せ。今日は純粋に参加者として楽しむつもり。一緒に見る?」
宮ノ坂が大型ディスプレイに目を向ける。これに、自分が見ている映像を映そうというのだろう。
「ぜひ、お願いしたいね」
若林が応じた。
宮ノ坂は別室からPC一式を転がしてきて、ゴーグルを装着すると、ゲーム空間にログインした。大型ディスプレイに、宮ノ坂が見ているだろう世界が映し出された。
豪徳寺剛は、丸の内口の、煉瓦造りの丸屋根の下を歩き、スマホをかざして改札を通過した。
「ぼくを――翼を殺したのは豪徳寺剛で、つまり真犯人は宮ノ坂由紀子だったと」
山下の話を聞いた時から、うすうす、そうではないかと思っていたことを口にした。
宮ノ坂は、なにも悪びれることなく、自然に豪徳寺としてゲーム空間に入り、自然に歩いている。
「翼が亡くなったのは、実験のためだった、と言ったら君は納得するだろうか」
宮ノ坂の肉声と、スピーカーから流れてくる豪徳寺の声がユニゾンで室内にこだまする。ディスプレイには、改札に向かう豪徳寺が、長身から見下ろして左右を見回す東京駅構内の主観映像が映っていて、豪徳寺は歩きながら独り言を呟いている。構内は色鮮やかで、実在の東京駅とは異なっていた。
「殺人の実験?」
「いや、社会実験だ。殺人の可否は、確かめるまでもなく分かっていた。そのように設計しているからね。分からなかったのは、強制的にBANされてゲーム空間内での今までの蓄積を失うような行為が、自分に向けられる可能性をどれほどのユーザーが受け入れるかということだった。受け入れられれば、この世界はさらにユーザーが増え、課金も増し、発展していくだろう。実験の結果、殺人の是非は『是』とでた。それは二回目のつばさの盛況が証明してくれた」
「それだけが、目的でしょうか?」
黙って聞いていた山下が、宮ノ坂に向かって言った。
「と、いうと?」
「宮ノ坂さんと、若林さんは、ゲームデザインの世界で競合関係にあると伺いました。彼のチャンスの芽を摘むために、翼を殺害したのではないのですか」
豪徳寺は、新幹線の改札を通り、エレベーターでプラットホームへと昇っていく。日中の屋外の光にあふれたホームには、乗車待ちの参加者があふれていた。その間を通って、豪徳寺は歩いていく。歩きながら、山下への回答をつぶやく
「そうだと認めてしまっても良いし、全否定しても構わないのだが、どちらにしても、山下さんは一つ忘れているよ。この世界には警察はいない。そちらの世界には、何の罪も犯していない人物を逮捕するような警察はいない。わたしが、翼をBANした動機が何であれ、罪に問う罪状がないよ」
ゲーム空間の中で、身体的な実力行使と管理者権限を使っただけだと、宮ノ坂は言い放った。
「どのみち、若林の目論見は潰えた。運営は儲かる企画を手放さないよ。わたしの美しい世界はまだまだ続く。初期に比べて、風景が変わってきていることに気づいたかい」
リアルに再現された東京駅が、違う世界のような鮮やかな色彩の風景に変わっている。宮ノ坂の創りたい世界は、こういうものだったのだ。若林は、派手な色使いに辟易しながら訊いた。
「シズを殺した動機は? 社会実験はすでに成功していたし、ぼくからチャンスを奪ったような理由は何もないと思うのだけど。それとも、山下との間にも、ぼくの知らない確執でもある?」
豪徳寺はつばさ号に乗り込んだ。スマホのチケットを見て、座席を確認して通路を進んでいく。席についてから、顔をまっすぐ正面に向け、腕を組んで語った。
「アカウントの個人情報にアクセスし、購買履歴を追ったり、いろいろ探っていたな。さらにゲームの抜け穴を探そうともしていた。ハッキングによるそうした行為はすべて反則だ。ゲームの流儀に則って、ゲーム内で殺害、BANしてやったことを情けと思うんだね」
6. つばさ号/東京都内、宮ノ坂由紀子の部屋
つばさ号は、秋田駅を目指して静かに東京駅を出発した。
高架をすべるように進む。車窓からは都内の雑然としたビル群を歪曲した、テーマパークのようなおもちゃのビル。その上には、雲ひとつない青空。
大宮まで30分ほどの時間がある。豪徳寺は、座席を倒して、外を眺める。
*
若林は、ディスプレイに映るその映像を黙って見ていた。宮ノ坂がこのあと何を見せるつもりなのか、そのまま待つ。若林が、顔をディスプレイから隣に座る山下へ向けると、山下は目の前に座る宮ノ坂を見つめていた。
五分ほど、沈黙がつづく。
*
つばさ号は速度を落とした。大宮はまだ先だ。電光掲示板に案内が流れる。
「上野駅に臨時停車。車内トラブルのため」
上野駅の高層プラットホームに、つばさ号は停車した。
豪徳寺が体を起こす。そこに、二人の男が近づいてきた。鉄道警備の制服を着ている。二人とも、豪徳寺より体格がいい。NPCだろうが、ちょっと体力勝負になったら分が悪そうだ。
「豪徳寺剛さんですね。下車願います。違法行為の疑いがあると連絡を受けました。駅で話を伺わせてもらいたい」
「私が降りる謂れはない。何かあるなら、ここでやってくれ」
憮然とした態度で、豪徳寺は応えた。
「ほんとうに、ここでやってしまっていいんですね」
女性の声がする。
もうひとり、うしろからやってきた。小柄な女性だ。二人の警備員の間に入り、豪徳寺の前に姿を見せた。メイド服のようなデザインのワンピース。かたちの良い色白の顔。長い黒髪の上にベレー帽を被っている。
「今日は探偵なので、帽子被ってみました」
そう言って照れ笑いを見せたのは、シズそっくりの顔だった。
「発車したら、つばさ号の中から逃げられませんよ。豪徳寺さん、そして宮ノ坂由紀子さん」
*
ソファの上で狼狽する宮ノ坂を、山下はそのまま見ていた。言葉も発しなければ、立ち上がったりもしない。
若林は、山下に尋ねようとして、やめた。
ディスプレイの中の探偵が語り始める。山下は何もしていない。
*
つばさ号が上野駅を出発してから、シズの顔をした自称探偵は話し始めた。
座っている豪徳寺の顔を、少し上から見下ろすベレー帽の少女
「つばさ号で殺害された人々には、共通点があります。最初に殺害された翼さんは100万ポイント、イベント再開の初回に殺害された池端イケアさんが50万ポイント、織春子さんが70万ポイント、彩園珠美子さんが200万ポイント。それぞれ、ゲーム空間内で使用したり換金することなく高額のポイント残高を所持したまま、亡くなりました。その後のイベントを合わせ、総額ですでに1000万ポイントが失われていますね」
「規約について事前に説明しているのに、残したままで参加しているのが悪い」
「そうでしょうか? 全参加者のポイント残高を、じつは調べました」
「違法なハッキングを堂々と白状するなぁ。君こそ、リアルに訴えられる心配をした方がいい」
豪徳寺の言葉には応じず、ベレー帽を被った探偵は続けた。
「殺害された方以外のポイント残高の平均は、わずか1,500ポイント。駅弁を買うくらいのことしかできない額です。たしかに、大量のポイントを残しておく方が悪い、という言い分は成り立つかもしれませんが、作為的なターゲット選定が疑われるのではないでしょうか?」
「運営会社には、何の得もない。ポイントを購入した時点でリアルな現金は手に入れているのだし、換金に対応しているのは別会社だ」
「ええ。運営会社に問題があるのであれば、あなたの前には来ません。豪徳寺さんの所持ポイントは1000万ポイントありますね。このポイントについて、運営会社に情報を提供し、調査を依頼しました」
シズの顔をした探偵は、右手を挙げ、人差し指で空中に矩形を描いた。ふたりの顔の中間に仮想ディスプレイが出現する。仮想空間内の仮想デバイス。オブジェクトとオブジェクトを結ぶ矢印、時刻や金額などのデータを示す数値。その図が示すのは、殺害された人物から、いや、BANされたユーザーアカウントから、BAN直後、退会処理が完了する前のわずかな時間の間に豪徳寺こと宮ノ坂由紀子のアカウントにポイントが移し替えられている事実だった。
*
若林は黙って宮ノ坂を見ていた。山下も見ていた。
ディスプレイの映像は突然消えた。宮ノ坂がゴーグルをはずす。強制ログアウトしたようだ。
山下が告げる。
「今の豪徳寺さんと探偵のやりとりは運営会社が見ていたし、調査データはここに来る前に送ってあります。今後については、ご自分で判断ください」
7. 東京都、世田谷区内のカフェ
それじゃ、と言って山下は立ち上がった。若林もならい、二人は宮ノ坂の部屋から出ていった。
「帰ろうか」
「ちょっと待ってくれ。もう少し説明して欲しい」
「じゃあ、こないだのカフェで話そう」
二人は、店に着くまで無言だった。
若林は、なにから訊こうかと、頭の中で整理しながら歩いていた。空が晴れ渡って午後の日差しが眩しい。ディスプレイ越しとはいえ、宮ノ坂の独特の色彩を浴びていたので、自然が嬉しかった。
カフェで、席に着いたところで、紅茶を飲んだだけで何も食べていないことを思い出した。二人とも店独自の自家製カレーを注文した。
「二週間の『調べ物とか』って、こういうことだったんだ。あの探偵は?」
「シズのデータは、あの世界のデータベースにまだ残っていました。つまり裏の倉庫にしまわれていたとでもいうか。それを使って、シズそっくりのNPCを用意した。警備の二人も含めてすべてオートマティック、AI任せ。やることも話すことも決まっていたから、難しくはなかった」
「このあと、宮ノ下はどうなると思う? 無罪放免お咎めなしってこともある」
「運営会社しだいだね。それとも、僕らで警察に突き出したい? そこには関心がなかった。警察に行けば、こっちの違法行為も証言する必要が出てくるし」
「そこは、どうするんだ? 運営会社次第で諦めるつもりではないだろ」
「司法取引的な――司法ではなく、運営会社が相手だけどね」
「見逃してもらったのか?」
「取引が成立したと言って欲しいな。それともう一つ、あの世界にシズを復活させたいとリクエストした。同じように復活したいという希望者が増えるからNGと断られたけれど、代案をいただけた。別の世界に、そのままもっていくのはOKだ」
「別の世界なら――それは、良かったね」
「いろいろ条件をつけるということは、運営会社はあの世界を残すつもりだろうね。宮ノ下さんの処遇に関わらず」
「僕は嫌いなんだよね。デタラメで、宮ノ坂の好みを並べただけで、色使いが目に優しくない」
「そこまで否定する? あの世界を消すべきではないと思う。リアリティを感じられるレベルの解像度で、現実のモデルをベースに、鮮やかな幻想風景で上書きする。それが宮ノ坂さんの目指した風景だと思うけど、いろんな世界があっていいと思う」
「僕は、というか翼はどのみち二度とは行けない世界だから、どっちでもいいか」
「シズも行けない。若林さん、もっと違う世界がいいなら、一緒に別の世界を作らないか。さっきの話の、シズが行ける別世界。技術は持ってるつもりだ。運営会社には話つけるから、若林さんの開発チームに加えて欲しい」
宮ノ坂の作る世界と、自分の作る世界のどちらかしか生き残れないという競争に、取り憑かれていた。基本から、変えることも可能だということに思い至らなかった。
「きちんと、山形行きのつばさを走らせるのもいいな」
「若林さんのリアリズム路線らしいね。でも、彼女に対抗してミステリー・トレインを走らせるのではなく、自分の世界をつくったほうがいいと思う」
そうだ。せっかく手に入れた偶然だ。シズも翼もいる素敵な世界を、自分たちで創ってみせよう。
『ミステリー・トレインの死』(了)
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