梗 概
青白い顔
サンサの顔が青白くなった。慌ててやってきた大人たちがぐるりとサンサを取り囲む。ほほをつねられてサンサはびっくりした。
「全然赤くならない。よかったね!」
村では顔が青白くなった人間は、幸福を呼ぶと言われており、丁重に扱われる。早速、祭りの開催をしようと計画を立てる大人たち。サンサの母親が後ろで嬉し涙を流しているのが見えた。ただ、既に青白い顔に変わった子どもがサンサの他にいた。新しく誰かが青白くなると、元の子は他の村に行ってしまう。
サンサは自分の顔の青さがひどく恐ろしいことのように思えて、雪の中を思わず逃げ出した。昨日まで寒いところにいたらちゃんと赤くなったのに、外に出てしばらくするともっと顔色が悪くなった。耳鳴りや頭痛もする。
村の真ん中にあるナラの家の戸を叩くと、ナラはすぐに何が起こったのか理解した。サンサとナラは幼い頃から家族のようにずっと一緒にいる。二人が青白い顔を持つということは、ナラは出て行かなければいけなくなる。サンサは二人で逃げよう、と言うが、ナラは首を横に振る。
「他のところに行くなんてできないよ」
サンサはナラの言葉を優しさからくるものと思って、より強く外に出ようと誘う。ナラはそれもまた断った。そしてサンサの腕に触ると、肘のあたりを掴んだ。びっくりして必死で気がつかなかったけど、そこだけが熱を持っている。
「お母さん、泣いてたでしょう」
サンサはナラの思わせぶりな言葉にムッとする。そしてナラが青白い人になってから、村ではあまりよくないことばかりが起きるのはなぜだと問いただす。サンサのお父さんは落石事故で、仲間内で一人だけ帰らぬ人になっていた。それは、ナラが青白い人になった時の祭りの最中だった。
悲しそうにするナラの顔から突然ぶくぶくと気泡のようなものが出てきて、顔が膨れ上がり大きな音を立てて破裂した。ドロドロに溶けたナラを見て唖然とするサンサ。ナラはゆっくりと形を無くしていき、洋服が青色に染め上がる。サンサは大人たちがやってくるまで、ナラの亡骸の中にじっと立ち尽くしていた。お母さんがサンサの腕を掴み、連れて帰る。後ろで他の大人たちがナラの身体だったものを布に染み込ませているのが見えた。
後日、ナラの家から青白い顔になった人たちが細々と書き綴った手記が出てくる。サンサはそれを夢中になって読んだ。顔が青くなるのは、実際にはウイルスに侵されているからで、健康な子どもの身体を生贄にしている。
村のしきたりである他の村に移動させると言うのは実際には嘘で、新たに誰かが発症するとほとんどの人は亡くなってしまう。誰かがウイルスに感染するまで生き延びている。サンサの顔は、ウイルスに加え恐怖でも蒼白になっているようだった。
文字数:1129
内容に関するアピール
褒められ讃えられていたものが、実はそうではなくて、悪いものにより身体を蝕ばまれた結果であるというタイトルの反転にしました。なぜ村では祝福されるのかと言うのは、ドロドロに溶けた身体を肥料にすると、作物がよく育つから豊作になるため、という設定を考えています。
文字数:127
青白い顔
黄色い錠剤を噛み砕いた。舌が丸っこくなりそうな味がする。サキさんの動画で、サプリは水で流し込むよりも噛み砕いた方が良いと言っていた。今のところ大きく変わったところはないけど、美容系インフルエンサーが言ってるならと噛み砕くようにしている。高校の時に陸上部だった時の名残で、私はずっと色黒だった。なんとか美白になりたいと思ってこのサプリを飲んでから大体半年ぐらいだけどだいぶ効果が出てきている。ただ、ようやく白くなった代償に、今までなんとなく隠してきていたシミとかニキビ痕が目立つ。何より、左目のあたりのアザをどうしようか。指で押すとほんの少し痛いぐらいで実際には大したことはないけれど、見た目は分かりやすく怪我をした人になっている。
コンシーラーで隠した上にファンデーションを塗っているけど、所々紫色から黄色がかった緑色に変色しているから、まだ見えている気がする。ぐっと前に乗り出して、目の感じを見ていると、美奈、と声がした。
「なんか顔色悪くない?」
おでこを鏡にぶつけた。自分よりも頭一つぐらい大きいから後ろに立たれると怖い、と何度言っても昨矢は止めない。今もニヤニヤしながら、鏡ごしに私のことを見ている。
「お化粧だよ。今日はちょっとブルベのメイクがしたかったから、ちょっと白っぽく見えるのかな」
「ブルベって何」
「ブルーベースってこと。肌の青みが強いとね、似合う色みたいなのがあるから、肌色も青っぽくっていうか黄味を少なくしてね」
ふーん、と昨矢が遮らなければ、ずっと喋り続けていた。昨矢にとってどうでもいい話なのに、そして私も大して聞いて欲しいわけではないのに、わざわざ説明をしてしまったのが恥ずかしい。
「なんか細々こまごましてるんだ」
私はチークを塗る時みたいに頬骨を上げて笑いながら、コンシーラーをもう一度塗った。厚塗りだから午後からヨレそうだなと思った。
「昨矢、今日はこっちに帰ってくる?」
「あー、今日……」
この沈黙を、読み取らなくてはいけない。自然と自分の顔に笑顔が広がっていく。なんでもいいよ、どっちでもいいよ、と会話にそっと流れを作る。
「ちょっとダメだわ。用事ある。これから仕事も忙しくなるから、あんまり来れないと思う」
分かった、と鏡ごしに微笑むと、昨矢はあからさまにホッとしていた。そういう変に小心者なところが、いろんな女の子に好かれる理由かもしれない。昨矢がいろんな人のところを渡り歩いているのは昔からのことで、一人で抱えるにはあんまりにも暴力的だから、分散していた方が却っていい。
私が出勤する前に昨矢はいなくなっていた。行ってくるとも言わなかったから、本当にしばらく来ないような気がする。
自分一人の家は朝出た時と変わらないのに、なんだかすっきりとしている。昨矢が来ないのをいいことに、値引きされたお惣菜を買ってきた。自分だけだと思うと、ご飯にあまり時間をかけたいとは思わない。お惣菜パックの蓋を外しながら、サキさんの動画を流した。昨矢は食べながら何かを観ることを嫌う。おすすめの美容器具を丁寧に説明しながらナイトルーティンをしている動画なんて見てたら、しばらく口を聞いてくれないと思う。不必要な背徳感を抱きつつ、動画を見る。毎日こんなに時間をかけて自分をケアできるってすごい。目が滑ってばかりで、あまり参考にならないと思った。けどサキさんの動画は必ず最後まで見ると決めている。『動画を見てくれてる皆さんが、今日一日、ずっとハッピーでいられますように』と最後に言ってくれるから。そこだけを見るのはズルしているような気になるから、ちゃんと全部通して見るようにしている。サキさんの卵みたいな顔が、フェイススチーマーによって艶やかになる。買ってきた揚げ物は、時間が経ってふにゃっとしていた。
ご飯を食べ終わった後サプリを噛み砕く。今日は一人だから、ソファに寝転がってお面のようなマスクの電源を入れる。赤いライトがついて、じんわりと顔全体が暖かくなった。サプリを飲んだ後にこれをやると、さらに美白が進む。今日は少しモードを変えて、一人じゃないと出来ないような、長めのケアをする。一時間ぐらいずっとマスクをつけていなければいけないから昨矢がいる時にはできない。『理想の自分になるって、いろんなものをすっ飛ばしてジャンプできる訳ではないですから。着実にやって行きましょうね』そんなことを言っているサキさんは、色白でも健康的に見える。次の動画をタップすると質問コーナーだった。
『サキさんにとって、理想のお顔ってなんですか?』
『透明感があるのが理想かな。なんか、内側から輝いている感じ』
『サキさんが、一番大事にしているものは?』
『やっぱり自分に自信を持つこと。自分に自身を持たないと、相手にも舐められますからね』
マスクの電源に手をやって止めようとした格好のまま、私は動画を見続けている。アシスタントの人はヤンキーみたいだと笑っているけど、そんなことはない。なぜか私はすごく傷ついていた。サキさんが冗談に持って行かずに、ただ次の質問に答えている。それだけでソファに沈み込みそうになる。都合のいい人でいることに慣れてしまった。
頭の隙間から、嫌だったことが染み出してくる。気がついたら手が出てしまったと、数え切れないぐらい謝られた。自分の殴ったところに手を当てて、痛いのにひたすらさすってくる。昨矢の手は分厚くて、なぜかいつも冷たかった。私は殴りやすいのかもしれない。でも最悪のパターンじゃないからアザになったぐらいで一々目くじら立てなくてもいいと思っていた。例えば私がカバンと紙袋を持っていたら、カバンではなく紙袋をひったくって叩こうとする。カバンだったらもっとひどいことになっていたから、一番酷くされた訳ではないと思ってしまう。その考えの先を辿っていくと、自分がずっと蔑ろにしてきたものが分厚い層になって溜まっている。何かが胸に詰まって、咳き込んだ。いくら咳をしてもつかえが取れない。その間もライトは私の顔を満遍なく照らしている。
光が落ちるのと同時に、私はマスクを勢いよく外した。長めにライトを当てていたしかなり効果が出ていた。鼻のてっぺんがヒリヒリする。皮膚は一度に頬のあたりまで気持ちいいぐらいに取れる。少しだけ目の周りのアザが薄くなってよかった。さらに数枚皮をめくってクリームを塗り込む。すぐ下にあるのは、自分の理想とする白さだ。
サプリには肌のターンオーバーを加速させる作用と、皮膚の下に真っ白い骨が出来上がるような作用がある。ライトを当てると骨が出来やすくなるから、自然と顔が先に白くなっていく。骨の白さが肌をより白く見せてくれるから、どんなに日焼けをしても、肌を入れ替えて美白を保つことができる。顔と首の境目にはくっきりと色の違いが出ていた。
「顔だけじゃなくてやっぱ全身かなぁ」
サキさんの健康的な骨の白さがあれば、何か変わるかもしれない。SNSを見ると、昨矢はどこかのクラブにいた。三十秒ぐらいの動画にガンガンと鳴り響くクラブミュージックと歓声が詰まっている。真っ赤になっている昨矢の口からアルコールの匂いがするのも想像できた。自分と会っている時よりもぐっと若く見えるのは、周りの女の子たちが若いからだろうか。女の子たちの白さは、薄暗い場所の動画では分からなかった。首から下も全部変えるのは、ここ二年分のボーナスは全部つぎ込めばいけそうだった。何か考える前に、メモしておいたクリニックに予約を入れた。
クリニックでの治療は、半日ぐらいかかった。人一人が入れるようなカプセルに立ってじっとしているだけだから、時間が永遠のように感じる。オーブンに入れられた鳥の丸焼きはこんな感じかもしれない。原理は自分の家にあるマスクと同じだけど、全身に使えるし威力も大きい。一発で全て解決するのは怖かったけど、部位ごとに分割していたら変に境目ができて気になると思う。ライトが消えた後も、スタッフが来るまで機械の中にしばらく閉じこもっていた。真っ暗な中で、昨矢の反応を想像する。最初は面白がるようにベタベタと触ってくる気がする。新しい家電が上手く動くのか確かめるみたいに。その後どんな反応をするのかはその日の気分だろうか。色んな光景が思い浮かんでくるけど、どんな想定をしても最終的に昨矢は機嫌を損ねる。自分でしんどくなった時に着地するクッションを作っている。昨矢が一生戻って来なければいいのにとすら思う。
お疲れ様でした、と開けてくれたスタッフは、私が涙でぐしゃぐしゃになっていても、表情一つ変えない。説明が終わるとすぐに出て行ってしまった。
「今回の施術はこれで終了になります。そちらに鏡がありますので、めくれているところからゆっくりと優しく皮を取り除いてみてください。痛みがある場合はスタッフにお声がけくださいね」
涙で濡れたままでも、顔の皮は簡単にめくれた。顎先からおでこに向かって引っ張ると、玉ねぎの皮のように簡単に剥ける。手で触れると少しだけ温かい。自分の顔の形そのままなのに、真っ白になっている。首から下は、少し力が必要だった。指を骨と皮の間に滑らせてゆっくりと離していく。ある程度まで剥がれると皮の重さで、剥がすことができるようになる。ジャンプすると自分の腕の皮膚が手を振っている見たいに揺れた。どんどん白い部分が現れてきて皮膚が全て取れると、鏡に映る自分は細長くてえのきみたいだなと思った。
クリニックを出る時、段差に気がつかずに勢いよく躓いた。自分の身体がポンと跳ねる。膝を強かに打った。履いていたタイツも破けている。けれど不思議と痛くない。慌てて駆け寄ってきたスタッフに支えられながら立ち上がる。
「痛くないですね」
「はい、骨で覆われてますので」
膝を手で払うと、擦り傷もなかった。カプセルの中で考えていたあらゆるパターンは、自分の身体が硬くなるということを考慮していなかった。昨矢が機嫌を損ねたところで、私が気を遣う理由はなくなった。
自分の白さにだいぶ慣れた頃、ようやく昨矢が家に来た。顔に薄ら笑いを浮かべて、わざわざお土産を持ってきてくれた。
「なんか、やっぱ顔ちょっと白くない? 調子悪いの?」
私は昨矢の手を取って、自分の頬を触れさせた。
「これ、私の新しい顔なの」
目を細めると笑顔のように見えるのは、最近学んだ小技だ。昨矢はポカンと口を開けたまま私の顔を見ている。見たことないのだろうか。鼻を高くするとか二重にするとかよりは少ないかもしれないけど、真新しいものでもない。ブルベがもてはやされているのは、作りやすいからだ。サプリで作られる骨は青みがかっている。
すでにキメの整った状態から始めるから、お化粧も楽になった。リキッドタイプのものであれば、前と同じものを使える。毛が生えないから眉だけはちゃんと書かなければいけないのが難点だけど、サキさんが出している動画の描き方をみたらできるようになった。慣れたらなんてことはない。毎日顔にペイントを施しているみたいで楽しい。
ねぇ、と呼びかけると、昨矢は私の頬をつかもうとした。もちろん今までのようにほっぺたは伸びたりしないから、摘めずにいる。昨矢の額に汗が滲み出てきた。ファンデーションがつくのもお構いないし、ベタベタと私の顔を触る。
「本当に言ってる?」
「うん、全身やったの。貯金ほぼ下ろしちゃった」
表情が分かりづらいから、明るい声で喋るようにする。しばらくなるべく節約しようと色々やりくりしていたから、買ってきてくれたのがご飯で助かった。慌てたように昨矢が私の胸に手を当てる。
「全然柔らかくない……」
臓器を守るためなのか、身体を覆う骨の中で胸のあたりが一番分厚いらしい。
「え、なんで胸だけ柔らかいと思ったの」
面白いぐらいに昨矢の顔が強張っている。手を上げるのがスローモーションのようにゆっくりに見えた。目さえつぶれば避ける必要はない。コロンと床に転がるだけで、もう傷もアザもできない。テーブルから物を落とした時と、同じ音がする。都合が良い訳ではなく、受け止めてあげるという選択ができる。
「何回殴っても痛くないからね。強く叩いたっていいんだよ。もう私大丈夫になったから」
「やだよ」
「殴れよバカ」
私は昨矢の胸ぐらを掴んだ。頬を突き出す。
「ねぇ、今まで私のこと散々殴ってきたじゃん。いいよって言ってんだよ。早く殴ってよ。私の身体、もうどこ殴ってもアザできないし、丈夫になったんだもん。脛でもいいよ? お腹でもいいよ? 全然痛くないから、泣いたりしないし」
昨矢の腕を掴んで殴らせようとしても、腕に力がない。昨矢の顔から血の気が引いて、顔色が濁った。色んな感情が裏で動いては消えていく。皮膚がなくなってから、人の表情に目がいくようになった。
「もー、ちょっと頑張って力入れてよ」
「なんでそんな……」
昨矢がのろのろと手を顔で覆ってしゃがみ込んだ。縮こまった芋虫みたいに背中を丸くしている。その背中を軽く爪先で突いてみた。力が強すぎたのか、昨矢は前につんのめって頭をぶつけていた。
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