梗 概
大吉中毒
明治2年、箱館戦争。五稜郭の近くで腹を撃ち抜かれた土方歳三は死の間際、お漬け者・石田三成を食ってから運命の歯車が狂ったと感じている。同時に沢庵の企みの意図を理解した。なにゆえ沢庵は石田三成をお漬け者にしたのかを……
*
遡ること数年。幕末・京。新撰組副長・土方歳三は今日も大量のたくあんで飯を食っている。剣の道に進んだ歳三は武士道の源流「剣禅一如」を説いた江戸時代初期の禅僧・沢庵に心酔していた。暇さえあればその著書「不動智神妙録」(※1)を読む日々。たくあん好きであることと武の道に進んだことは運命だと感じていた。
ある日、漬け物樽ごと購入した歳三は漬物屋の主人からひょんな噂を聞く。沢庵は関ヶ原の合戦で処刑された石田三成を弔ったのだが、本当は埋葬したのではなく漬けたらしい、三成はお漬け者になったらしいと。
夜半。歳三は三成の墓のある大徳寺三玄院に忍び込んだ。巨大な漬物石のような墓石を払い除け、土を掘ると長大な漬け物桶が出てくる。蓋を開けると味噌漬けにされた三成がいた。歳三は三成を持ち帰り、四肢を切り、しまう。
翌日、夜警に出かける前の晩飯に三成を食う。その瞬間、「大一大万大吉」の思想(※2)が神々しく脳みそを駆け巡り、多幸感が満ちる。その夜は倒幕派を見つけても殺さなかった。
翌朝、歳三は禁断症状に襲われる——殺したい——だが朝飯に三成を食うと再び多幸感が広がる。ホッとしたのも束の間、夜に禁断症状が現れて倒幕派を斬りまくった。
数日後、近藤局長に三成漬けの秘密がバレて新撰組全員で食すことに。隊員一同、昼に多幸感、夜に修羅と化す。新撰組の快進撃が始まった。近藤も大いに喜んでいる。だが歳三は日に日になくなっていく三成を見て焦り、耳を切り取り、自分用に隠した。
隊員たちは三日で三成を食い尽くしてしまったので、歳三は大徳寺の墓下から大量の味噌を持って帰り、倒幕派を次々と殺し、漬けた。隊員たちはお漬け者を昼飯に食べる。三成より「大一大万大吉」の効きは弱いが、むしろ好都合。「夜の禁断症状こそが至極」と鬼気迫る夜警を続ける。殺す、漬ける、食べるの無限ループ。そんな隊員を見て歳三は罪悪感を抱き始めた。
新撰組はもはや徳川の世を守るためではなく、お漬け者を食べるために倒幕派を殺戮する集団になっていた。ある夜、池田屋で大量の倒幕派を殺した新撰組は、京で一躍名を上げる。歳三は近藤から「お前のおかげだ」と感謝される。だが隊員は皆、餓鬼のような顔つきをしている……。浮かない表情の歳三を見て、近藤は「わかっておる。恨んではおらぬ」と言った。
*
あれから新撰組は崩れていった。鳥羽伏見の戦いから始まった戊辰戦争も連戦連敗。最後の決戦地、五稜郭も陥落寸前。歳三は「だがそこに沢庵の教えがある」と思った。沢庵が三成を漬けたのは、いつかそれを食らう者に大一大万大吉の表と裏——平和と戦、勝利と敗北、菩薩と修羅を見せるため。それこそが多幸感と禁断症状に込められた教えだ。不動智はそれを乗り越えた先にあり、またそのどちらにも囚われぬ心の持ちようであった。
歳三は懐に隠し持っていた三成の耳を取り出し、かじろうとしたが、捨てた。遠のく意識の中、若かりし近藤が目の前に現れ、「共に京へ上ろう。剣で一旗あげようぞ」と誘ってくる。歳三は空に手を伸ばす。
文字数:1372
内容に関するアピール
※1)不動明王の怒れる顔の奥に静まりかえった心を見るように、心は自由自在に動きながらも微動だにしないという、相反するもの、矛盾するものの中に真実を見出す教えを説いた書物。
※2)石田三成の理想を象形化した家紋。「一人が万人のため、万人が一人のために尽くせば、天下は幸せ(大吉)になる」という意味。
このお題をいただいた時に、なぜかわからないのですが沢庵和尚がポンと頭に出てきました。沢庵和尚を調べると、関ヶ原の合戦後に処刑された石田三成を丁重に埋葬したというエピソードを知りました。そこで、「ハハン、さては沢庵、三成を漬けたな」と思ったことがこの物語の設定になりました。そして土方歳三が漬物(特にたくあん)に目がなかったということを知りまして、新撰組の物語にしました。
反転という意味では、お漬け者に振り回されてきた歳三が最後に大吉中毒を喝破する、という流れです。
文字数:379
不動明王は顔を怒らし
砲撃の音が湾に谺している。
銃弾が嵐のように頭上を飛び交っている。
腹が熱い。腹から血が溢れ出てくる。
馬上で腹を撃ち抜かれ、崩れ落ちた土方歳三の目の前を兵士たちの足が駆け抜けていく。幕府軍の間道軍総督として新政府軍の函館総攻撃を迎え撃つため、五稜郭と函館山をつなぐ一本木関門を守備していた歳三は今、雑草の生い茂る十月の冷たい大地に転がり、腹から広がり続ける新鮮な血の海をうつろな目で見つめていた。
伸びてきた血の海が、歳三の頬に触れる。歳三は顔を起こし、血の海を覗き込むと、西洋式の軍服を着た自分と目があった。痛みをこらえたその顔はもはや憤怒にまみれていて、歳三はまるで不動明王のようだと、さめざめと笑った。
不動明王を見るとは、その怒れる尊顔に恐れを抱き、自身の煩悩を戒めることにあるのではない。その怒れる尊顔に心を止めることなく、その奥にある平安なる魂まで読み取ることにある。それは「不動智神妙録」の最初に書いてあることだ。
歳三は久しく読んでいなかったその本のことを思い出し、懐かしさが込み上げた。不動智神妙録は言う。十人が一太刀ずつ切り込んできても、その一太刀一太刀を受け流し、相手の所作に心を止めることがないならば、十人全てに働きを欠くことがない。十人に十度心が動いても、どの一人にも心を止めなければ、次々に応じても働きは欠けることがない。
敵の動きに心を置けば、敵の動きに心を奪われる。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を奪われる。敵を切ろうとすることに心を置けば、切ろうとすることに心を奪われ、己の太刀に心を置けば、己の太刀に心を奪われる。
放心せよ。心の置き所などどこにもない。心を自由に解き放つのだ——沢庵が説く、そんな剣の教えを夢中で追いかけた人生だった。
〈だが実際はどうだ。俺はたった一発の銃弾で死のうとしている。剣禅一如など時代遅れだった。そもそもお前を食ってから運命の歯車が狂い始めた……〉
歳三は血を失ったせいか重たくなった手でお漬け者三成の耳を胸ポケットから取り出した。食おうか、食わまいか。あの日、惜しくて残しておいたたった一枚の耳。歳三は遠のく意識の中で逡巡した。だが、その一瞬の揺らめきに閃くものがあった。
〈おお、沢庵よ。俺は今ようやくあなたの企みを理解できた。なにゆえあなたが石田三成をお漬け者にしたのかを……〉
*
遡ること六年——文久三年(1863)十月某日、早朝。新撰組の屯所・前川邸の奥の間に響き渡る声があった。
「おうい、飯のおかわりをくれ」
鼻息を荒くした歳三がかかげる空の茶碗を飯炊きの隊士が急ぎ足で奪っていく。歳三の膳には茄子ときゅうりの浅漬けが数切れずつ残っている。残っているというより、残している。早く飯を持って来い。時を逃すな。この熱狂が冷めぬ間に。歳三は漬け物を毎日、朝昼晩と貪るように平らげるが、いくら食っても食い足りない。むしろ漬け物を食うために飯があるようなものである。なぜこれほどまでに好きになったのか、もはや運命としか言いようがない。だがそんなことを考えている場合ではない。
飯がきた。山盛りの麦飯。歳三はきゅうりをふた切れまとめて箸でつまみ、飯をかっこむ。茄子を三切れ、頬張る。果肉からジュワッと塩っけと瑞々しさが口の中でほとばしる。飯ときゅうり、飯と茄子。大地の営みと人の営み、そのいたましいほどの謙虚さが口の中で弾け、滲み、豊かに溶けあう。
〈食った食った〉
歳三は天井を見上げると、満足げにふうと息を吐いた。だがその途端、後悔とも反省ともつかぬ一抹の感情がこめかみを針のように刺すのであった。
またやってしまった。沢庵の教えに背いてしまった——不動智。その基本理念はなにものにも、いささかもとらわれぬ心である。だが漬け物を前にしてしまうと我を忘れてしまう。これをどうしたものか……
歳三は今に始まったことではない悩みをもはや業として受け止めていた。
「お前、そんな腹いっぱいで朝の稽古ができるのか」
歳三より一足早く朝飯を終えた近藤勇があきれたように声をかけてきた。
「局長、俺をなめてもらっちゃ困るよ。俺は鬼の土方だぜ?」
「自分で言ってりゃあ世話ねえよ」
まるで江戸城の石垣のひとつを適当に割って首に乗せたかのような厳つい顔で近藤が笑った。
歳三は近藤のことを局長と呼ぶようになって数日が経つが、まだ慣れなかった。近藤が江戸の天然理心流道場「試衛館」四代目宗家であり、歳三がその門人という関係ではあったが、歳がひとつしか離れていなかったため、どちらかというと兄のような存在として心を許していた。二人は剣で身を立てるため今年二月に浪士隊に参加し入京した、同志と言ってよい存在だった。
浪士隊が壬生浪士組と名を変え、会津藩の外局として組み込まれても歳三はずっと「勇さん」と呼んでいたが、つい数日前、壬生浪士組は会津藩の由緒ある「新撰組」という名をいただいた。それは願ってもない誉であり、隊士の皆も湧き立った。その頭である勇さんを歳三が局長と呼び始めたのはその日からだった。
当初は十五名程度の組織だったが、八月に長州藩の過激派一掃にも貢献し、その功あって五十名ほどにまで拡大した。それに伴って先月、不祥事ばかり起こす不穏分子の新美錦と芹沢鴨をこの世から葬った。これで新撰組は安定して組織を運営していける。そんな確信を歳三は持っていた。
膳を隊士に下げさせた歳三は近藤を目の前に座らせ、
「新撰組の名をいただいてからずっと考えていたことなんだが」と小袖の胸元から一枚の紙を取り出し、「隊規を定めてはどうかと思ってな」畳の上で紙を開いた。
一、士道に背くこと
二、局を脱すること
三、勝手に金策を致すこと
四、勝手に訴訟を取り扱うこと
この四箇条に背く時は切腹を申し付ける
「どうだ」
歳三が近藤の目を覗くと、近藤は腹を引き攣らせるようにして笑った。
「お前、漬け物は禁じないのか。これほど資金を圧迫しているというのに」
「なにを言うんだ。漬け物を食うことは剣禅一如を体現すること。まだ気づかないのか。それじゃあ試衛館四代目の名が廃るぜ」
歳三は真面目に言い返した。
漬け物を食うことは剣禅一如を体現すること——歳三は本気でそう考えていた。剣禅一如とは江戸の初めに名を馳せた禅僧沢庵宗彭の思想である。沢庵はたくあんを作った人とも、関西で親しまれていたたくあんを江戸に広めた人とも言われているが、それだけではない。沢庵が駆け抜けたのは、戦乱の世が終わり、江戸幕府が安寧を築き始めた時代であった。それまでの剣は戦場で人を殺すことが何より優先される修羅の剣。だが、徳川の世ではその剣から脱皮せねばならない。放っておけば再び獣の道具と化すかもしれない。そんな不穏な時代の剣に、沢庵が禅の吐息を吹きかけたのだ。
その思想に蒙を啓かれた筆頭格は、当時沢庵と親交のあった柳生宗矩である。宗矩は徳川家康の剣術指南役を務め、三代将軍家光に引き立てられ、将軍家御流儀として柳生新陰流を確立した人物である。そのとき宗矩が柳生新陰流に剣禅一如の思想を血肉として取り入れたことが、今日の武道のあり方を決定づけた。剣禅一如は徳川の世で隆盛した武道全ての源流と言っても過言ではないのだ。禅僧であるにもかかわらず、修羅の剣を武道へと昇華させたのは武士ではなく、沢庵なのである。そしてその剣禅一如の極意を記したのが『不動智神妙録』である。歳三は試衛館で剣禅一如の思想に出会ってから今に至るまで『不動智神妙録』を穴が開くほど読み耽っていた。そして物心ついた頃から漬け物が、特にたくあんが大好きだったことに特別なものを感じていた。剣の道、禅の道、そして漬け物の道。歳三にとってはその三つが一如である。だから京にのぼる時は興奮した。京は禅の本場であり、漬け物の本場である。剣を志す歳三が京で漬け物にのぼせあがるのは無理もない話であった。
「とにかく俺たちはまだ金がないんだ。贅沢するな」
近藤がたしなめるが、歳三も言い返す。
「漬け物は質素だよ」
「あのなあ、この前、後院通を歩いてたら、漬け物屋の主人に声をかけられたんだよ。きっとこのダンダラ羽織でわかったんだろう。『いつも土方様にはご贔屓にしていただいて』ってニコニコしてたけど、最後には樽を返せってよ。お前、京でも樽買いしてるのか」
「いいじゃないか、こうやってみんなにも振る舞ってるんだから」
歳三がいきりたつと、近藤が皮肉めいた笑みを口の端に浮かべた。
「そんなこと言ってるとお前、そのうち、この『勝手に金策を致すこと』に抵触しちまうぜ?」
その一言に、歳三の目に炎が宿る。
「望むところだ。切った腹からたくあんが出てくるなら本望だね」
啖呵を切った歳三に、
「口数の減らない男だな、お前は」
近藤はため息を漏らした。
腹が落ち着いた歳三は、屯所の向かいにある壬生寺の境内で沖田総司と稽古に臨んでいる。沖田も試衛館から一緒に出てきた同志である。十代で免許皆伝したその天賦の才は誰もが知るところで、歳三も道場でまばゆいものを見るようにその剣さばきを目の当たりにしてきた。そして今、あらためて対峙してみると、その構えには一片の隙もなく、下手に打ち込むことができない。人が木刀を握っているのではない。木刀が真剣と化し、沖田が真剣の一部となる。だから怖いのだ。
自身の草鞋がじりじりと砂を噛む音を何度か耳で聞きながら、歳三は沢庵の不動智神妙録の一説を頭で呼び起こしていた——「間髪を入れず」とは、間に髪の毛一本入る隙もないということ。剣でも同じ。相手が打ってくる太刀にとらわれるならば隙ができ、その隙にこちらの間が抜ける。相手の打ってくる太刀と、こちらの動きとの間に髪一筋も入らぬようならば、相手の太刀は我が太刀となり、斬り込むことができる ——沢庵の言葉に心の中でうなづき、腕に力を込めた。
だがその瞬間、何かを感じ取ったかのように沖田がふいに木刀を下げた。
「歳さん、また自分と闘ってるだろ」
歳三は木刀を構えたまま体が固まった。
「それじゃダメだ。剣を構えた時に、自分と闘ってはダメなんだよ」
沖田がそう言って背を向けると、歳三は唇を噛んだ。
剣の悔しさは漬け物で晴らすにかぎる。歳三は昼飯で漬け物がきれてしまったので、夜の見廻りの前にたくあんを買いに出かけた。
後院通で三上屋の主人と目が合うなり、歳三は駆け寄って、
「旦那、局長に告げ口しただろ」と小さく憤慨した。
「いえいえ、世間話をしただけですよ。近藤様はなんか言うてはりましたか」
主人はとぼけた顔で鼻のわきをかいている。
「せっかく懇意にしてるんだぜ。京に来てからいろんな店を試したが、ここが一番うまいんだ。頼むから裏切らないでくれよ」
「ええ、それは誠にありがたいことで。今日は何にしましょ」
「そうだな、たくあんをもらおうか。俺は漬け物の中でもたくあんが大好きなんだ。京は漬け物がたくさんあって目移りするが、ここのたくあんが一番だ」
「お目が高い。うちの店は家康様の頃からやっておりまして、中でもたくあんの糠は沢庵さんから譲ってもろたのを二百年以上継ぎ足ししてるんですよ」
「おお、この店は沢庵の由来があるのか。それはうまいはずだ。俺は沢庵を誰よりも尊敬しているんだ」
「それは奇遇ですねえ。うちの初代は沢庵さんが大徳寺におらはった時に、よう寄進してたんです」
「大徳寺とな」
「ご存知ないですか」
「いや、知っている。知った名前が出て、びっくりしたのだ」
「沢庵さんは京で大徳寺で修行に励まれ、のちに首座にまでなってはります。地位や権力に興味がないゆうて三日で辞められたそうですが」
「おお、それも俺の好きな話だ。やっぱりいいなあ京は。話せる相手がいるなんて」
「これはうちに伝わる話なんですけどね、いや、これ私、今まで誰にも言うたことないんですが。実は沢庵さん、大徳寺で独自に麹菌を開発してたというんです。でもなんぼ頼んでもそればっかりは譲ってくれなかったと、初代は悔しがったそうで」
「なんと。俺も沢庵のことはよく知っているつもりだが、お前には敵わんな。尊敬に値するよ」
「私も嬉しいですよ、こんな話ができて。では、大徳寺の三玄院に石田三成の墓があるのは知ってますか?」
「三成というと、関ヶ原の合戦の、あの三成か」
「ええ、そうです」
「なんと」
「でしたら、関ヶ原で敗れた石田三成が首を切られたあと、沢庵さんが弔ったことは?」
「それも知らん」
「実は沢庵さん、処刑された三成を丁重に埋葬してるんですよ。でもその時、徳川と揉めたらしいんです。土に埋めるのはいいが墓は作ってはいけないと固く禁じられたようで。それで今でも墓はないそうです。そういう曰くつきな場所なもので、三玄院は非公開」
「そんな逸話があるのか。ちなみに大徳寺はどこにある」
「ええと、そうですね。ここからですと千本通をまっすぐ北に行ってもろて、北大路通を右に曲がりますと、すぐに見つかります。大きい寺ですから」
「わかった。助かる。また来るよ」
「樽は返してくださいね。糠は継ぎ足しして使ってるんですからね」
そう釘を刺されて、歳三はくっと頷き三上屋を立ち去った。
非公開だ、入ってはいけないと言われるとその禁を破ってみたくなる。その夜、歳三は沖田率いる一番隊と見廻りを行い、屯所に戻ってくるなりダンダラ羽織から黒羽織へと着替え、ちょっと出てくると言い残し、再び夜に紛れ込んだ。
はやる胸を抑えつつ街が寝静まるのを待ち、大徳寺までやってくると、周りに誰もいないことを確認して塀をよじ登った。広い敷地に降り立つと、月明かりを頼りに夜目を走らせ、三玄院を見つけ、その塀も越えた。松の木や植え込みに囲まれるように続く小径に沿って低い塀がある。背伸びして中を覗くと見事な枯山水の庭園。鮮やかな月光に照らされた白砂の大海に小島のような岩が浮かんでいる。だが見惚れている暇はない。歳三は再び小径をいくと、松の木に隠れるようにして大きな岩が横たわっているのを見つけた。力士が寝ているのかと思うほどの大きさだ。歳三はそれを見つけた瞬間、ある直感に打たれ、ほくそ笑んだ。
〈ハハン、さては沢庵、三成を漬けたな〉
間違いない。合点がいった。これこそ禅の到達点だ。
自然の一部である人間は、動植物の命をいただく。きゅうりの、大根の、茄子の、鹿の、猪の、魚の命を、敬い、感謝し、食べる。つまり食べる命に区別などないということ。そしてこの巨石。漬け物石に違いない。これは沢庵からの時代を越えた伝言だ。漬けるなら、人も漬けろ——
歳三は岩の下の端を掴み、全身の力を込めて転がした。そして四つん這いになり犬のように土を掘り起こした。
一尺(約30センチ)ほど掘ったところで、歳三の指に固いものが当たった。手のひらで土を払いのけると、板が出てきた。
思わず笑みが溢れた歳三が掘り続けていくと、たちまち縦六尺、横四尺の板があらわになった。どうやら長大な箱が埋まっているようだ。
板を外した瞬間、まるで生乾きの雑巾を百枚も集めたかのような激烈な臭いが鼻を突いた。二百六十年分の糠のにおいである。目を落とすと、確かにそれは糠床であった。歳三は目を震わせ、糠床に手を入れようとしたが、土まみれであることに気づき、小径のわきで見つけた井戸に戻り、まずは手を洗った。
黒羽織で拭いた手を、糠床に入れる。粘土のような、味噌のような手触りの糠を何度も掻いていく先に、人の鼻が出てきた。もっと掻いていくと顔が出てきた。顔のわきに指を差し入れ、両手で掴み、グッと力を入れ取り出す。糠床の上に置き、顔についた糠を丁寧に拭い取る。現れたのは月代を作り、髪の毛を後ろで束ねた男の首——もともと丸かっただろう顔は二百六十年漬けられていたせいで、いくらか痩せ細っている。閉じた目は切れ長で、鼻は小さくツンと尖っているためか、どこか狭量で、融通が効かなそうな顔をしている。
ひとまず首を元の位置に戻し、他の部分を掘り起こすと、陣羽織こそ羽織っていないが、仕立ての悪くない裃をまとった胴体が出てきた。両の胸には『大一大万大吉』の文字が紋様化された刺繍が施されている。
三成で間違いない。大一大万大吉は三成の家紋である。
〈沢庵よ、俺はたどり着いた。お漬けものとはお漬け物であり、お漬け者であった。三成を食すとは、沢庵、あなたの思想に直接触れることにちがいない〉
歳三は三成の体の糠を拭いながら、
〈ふたつ、三上屋に返していない樽があるな〉
そう思い出すと、帰ったら庭の井戸で三成を洗い、脇差で細かく切って樽にしまおうと思った。
歳三は立ち上がり、三成の髪を掴み、胴を肩にかけた。
翌朝、土間に立つ歳三が三成の二の腕をまな板に乗せたところで、飯炊きの隊士に慌てて包丁の手を止められた。
「副長、それは私の仕事ですから。おやめください」
「これはいいのだ、俺が切る」
「いいのですか、恐縮です。ですが、それにしても変わった大根ですね」
「ああ、特別なのを譲ってもらったんだ」
「たまり漬けですか」
「まあな」
歳三はそう返事しながら、二の腕の断面を手で隠した。骨が見えては事だ。ここでは思うように切れそうにないと思った歳三は、庭の端にまな板と包丁を持って行き、しゃがんで切ることにした。
実は昨晩、井戸で三成の体を洗う前に裃を脱がした時、全身に不自然なほど無数の切り傷がつけられているのを見つけた。指で舐めるとなかなかにしょっぱい。つまり、きゅうりの水を抜くように丹念に塩揉みして血を出しているのだ。ともすればそのあと干しているかもしれない。内臓は丁寧に抜き取られていて、そこに塩が詰め込まれていた。骨は随分と脆くなっていて、解体するために脇差を差し入れると簡単に切ることができた。だから歳三は今朝も骨を気にすることなく、二の腕をたくあんと同じように縦に半分に切り、半円筒状になったものを三十枚ほどに切り分けた。もしかしたら骨も食えるかもしれない。いや、むしろ骨まで余すことなく食うことが沢庵の教えを体現することだ。欲望を抑えきれない歳三は、つい一枚つまみ食いしてしまった。
口に入れた瞬間、強烈な酸味が舌を突き刺した。相当発酵しているようだ。だが生肉と干し肉のちょうど中間くらいの噛みごたえが心地よく、噛めば噛むほど塩っけとともに糠本来の甘味や肉の野生味が膨らんでくる。野菜の漬け物みたいにコリコリパリパリした食感はないが、いつまでも噛んでいられるのもまた一興。それに骨もちょっと複雑な味を醸し出している。骨そのものは濡れた砂のように無味だが、骨の中のかつて液だっただろう何かがところどころ魚の内蔵のように固まっていて、濃厚な甘さを加えてくれる。歳三はそのえも言われぬぬうまさの虜になり、二枚、三枚と食い進めた。
すると突如、目の奥がすんと透き通るような感覚に陥り、妙に辺りのざわめきが遠のいていった。最高に良い寝起きと、ほんのり酒に酔ったような感覚がひとつになり、何十倍と増したようだ。部屋や縁側では隊士が動き回り、しゃべりあっているのに、不思議と静寂を感じる。おお、そうか、静寂とは縁側の下に、木々の葉々の隙間に、自身の内側にあったのか。歳三はそこかしこに静寂を見つけ、おもむろに目を閉じた。途端、瞼の裏に光り輝く『大一大万大吉』の文字が浮かび上がった。歳三は目を閉じているのに眩しくて、思わず瞼を震わせた。
目を開けると、今まで感じたこともない幸せな感覚が満ち満ちていて、この世界を狂おしいほどに愛しく感じた。何のために剣を目指したのだろう。剣とは何のためにあるのだろう。世のために人を殺すことなどあっていいのだろうか。悲しむものに寄り添い、喜ぶものと笑顔を共にし、慈しみで愛を包み込む。それでよいではないか。
歳三が庭であぐらをかき、ぼんやりしていると、沖田が声をかけてきた。
「歳さん、大丈夫か? なんかぼーっとしてるけど」
「お、おう。大丈夫だ」
歳三は眠りから覚めるように我にかえった。だが、まだ大いなる安らぎに包まれている感覚は続いている。
〈悟りなど開いたことはないが、これはもはや涅槃の境地だな〉
歳三は朝飯を食うこともこざかしい煩悩も忘れ、ただ柔らかな陽の光を浴び続けた。
沢庵はお漬け者三成で大一大万大吉の境地を教えたかったのかもしれない。大一大万大吉とは、ひとりが万民のために、万民がひとりのために尽くせば、この世は幸せになるという考えだ。その考えが体の隅々にまで染み渡るこの喜びを、幕府と朝廷と、会津藩と長州藩と薩摩藩と分かち合いたい。皆で微笑みあふれる日の本にしよう。そもそも倒幕派も親幕派も、みんな尊王じゃないか。
半目を開けて微笑んでいる歳三のもとに、再び沖田が来た。
「歳さん、ずっとそこにいるけど、本当に大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
歳三は心配を微笑みで返す。声をかけてくる沖田のことを煩わしいとすら思わない。だが何度も話しかけられるのは本望ではないから結跏趺坐を組み、坐禅しているように見せかけることにした。
それから何枚か頬張っては坐禅を組み、すっかり昼飯も忘れ、午後の稽古や見廻りも行わず、また何枚か口に入れ、薄目でこの世の平安を夢想した。
ようやく立ち上がったのは晩飯前だった。何はともあれ腹は減るのである。いつものように麦飯と味噌汁、きゅうりと茄子の浅漬けが供されたが、今までにないほど舌が鋭く、甘さも塩辛さも何もかもが繊細で、緑茶ですら畑と水がうまいと思えた。お漬け者三成は世界をこれほど豊かにしてくれるのか。そういえば三成にはこんな逸話もある……と歳三は思い出した。
三成は処刑直前に喉の乾きを癒すため白湯を所望したところ、警固の者に白湯はないが干柿はあると差し出された。だが三成は「痰の毒になる」と言ってこれを断った。警固の者たちは「これから首を切られる者が毒を気にして何になる」と笑うが、「大志を持つ者、最期の刻まで命を惜しむもの」と言い返したという。なんと素晴らしい健康への意識だ。そうした徹底した健康管理が、お漬け者としての質を高めているにちがいない。歳三は時折ニヤつきながら飯を頬張った。そして、
「今日は体調がすぐれない」と近藤に言って夜の見廻りも回避した。
見廻りなどして何になる。怪しいものを見つけたら、拷問して謀議を吐かせたり、ともすれば斬り殺してしまうのだろう。俺は今、そんな世界とは無縁の浄土にいる。極楽にあるものが浄土ではない。本人の心持ちひとつで見出せるもの、それが浄土だ。
「先に寝かせてもらうよ」
歳三は縁側でまだ低い月を見上げ、背中越しに部屋番の隊士に言った。
翌朝、井戸で顔を洗う歳三の手が震えていた。
おかしい。寒い。風邪でもひいたのだろうかと歳三は訝しんだ。だが悪寒とは別の、何かに憑かれたような震えだ。腹の底で何かが咆哮している。殺したい、剣を抜きたい、斬撃を浴びせたい、血を浴びたい、獣になりたい。体が獰猛になることを求めている。
〈これではいけない〉
たまらず庭に埋めていた樽を出して、しゃがんでまな板と包丁で三成の腕を切り、三、四枚を鷲掴みにして食ったところ、
「何をしているのだ」
近藤が話しかけてきた。
「なんでもないよ」
歳三は平静を装い、三成を飲み下し、まな板を背中で隠した。
「何を食ってるんだ?」
近藤は歳三の背後に首を伸ばした。
ふっと震えが止まった歳三は、
「バレてしまったか」とパッと笑顔を咲かせた。
「昨日も何か様子がおかしかったが」
「おかしかっただなんて、局長、人が悪いよ。俺は最高のお漬けものと出会ったんだ。素晴らしいから食ってみろ」
近藤は歳三が差し出した一切れに眉をひそめながらも口に放り込み、しげしげと吟味してから飲み込んだ。
「熱燗を飲んだような、不思議なあたたかみが胃の腑に広がる」
近藤は岩のような顔に柔らかい笑みを浮かべた。
「皆にも食わせていいか」
「もちろんだ。皆で食おう。たっぷりあるからな」
歳三はそう言って樽から三成の四肢を取り出した。
近藤がその不穏な物体に目をみはらせたが、歳三は、
「これが何かはきちんと説明する。だからまあ、もう一切れ食べてくれ。話はそれからだ」と素朴な笑みを浮かべた。
「おうい、みんな。これは歳三からの振る舞いだ。食ってくれ」
半目でにやけた近藤が居間で飯を食い始めた二十人ばかりの隊士に声をかけた。歳三は大皿に盛ったお漬け者三成を隊士の小皿に取り分けていく。
「おっ、なんだなんだ」と隊士たちが嬉しそうに皿に顔を近づける。最初に「うまいっ!」と言ったのは二番隊組長・永倉新八だった。続けざまに隣の三番隊組長・井上源三郎が「飯もいらぬうまさだ」と膝を打つ。その向かいで四番隊組長・藤堂平助がわきに並ぶ自身の平隊士に「飯が何杯でもいけるぞ。お前たち、これでしっかり精をつけろ」と鼓舞する。食べ終わる頃には皆、すっかり上気した様子で、口々に笑みを浮かべて立ち上がった。そして空いた座布団に残りの三十人ほどが座り、次々とお漬け者三成で飯をかっこんだ。
半刻もすれば畳という畳に、そして縁側の隅々に隊士たちは寝転び、夢見心地で平安に包まれていた。昼になると、全隊士がもう一度お漬け者三成で飯を食い、無為な午後を過ごした。
夜になると皆、震えていた。震えを抑えるように、いや震えに身を任せるように黒羽織を小刻みに踊らせ、目をたぎらせている。近藤が仁王像のような顔で出動を命じると、隊士たちの獰猛な魂が雄叫びを上げた。
その夜の見廻りは過去にないほどの収穫となった。一番隊が六角通を歩けば不意に目を逸らす一組がいた。二番隊が歩く油小路通では、慌てて背を向ける者がいた。どちらも捕らえて素性を吐かせたら、長州の過激派の末端で、幕府を罵倒したのでその場で斬った。また四番隊の見廻りでは、殺気に吸い寄せられるように愚かな長州の過激派がわざわざ隊士たちの肩にぶつかり喧嘩をふっかけてきた。言わずもがな、即座に藤堂の一太刀が頭蓋を割った。
屯所に戻ってきた隊士たちは、血を浴びた黒羽織を灯火にてらてらと照りあげながら高揚の後味をたしなんでいる。手柄を挙げられなかった隊士たちは異常なまでに悔しがり、この殺気を明日の殺気に上乗せすることを誓った。
隊士たちはせんべい布団に転がってもまだ目が爛々と輝いていたが、しばらくして潮が引くように震えが消えると、静かに眠りに落ちた。
翌朝、毒が抜けたようにすっきりした顔をした隊士たちは、歳三に三成を食わせてほしいと直訴してきた。組長連中よりも、むしろ平隊士のほうが血気盛んだ。その多くが地元で食い詰めて一旗あげようと新撰組に志願してきた者たちである。歳三もその気持ちは痛いほどわかる。
「わかった。食ってくれ」
歳三は庭から樽を掘り起こし、縁側に三成の四肢を並べた。「俺が切り分けるから、座って待ってろ」
その言葉に小躍りした平隊士たちは膳の小皿を空にして待った。三成の様々な部位を三枚の大皿に山盛りにした歳三が「囲んで食え」と隊士たちの間にポンと置く。隊士たちは待ってましたとばかりに集まり、次々に三成を箸でつまみ始めた。「尻がうまい」「いや太ももには敵わんぞ」「あばらは滋味深いなあ」など口々に感嘆していたが、静かになるのにそう時間はかからなかった。皆、薄ら笑いを浮かべながら黙々と箸を上げ下げしている。ひとりが三成の親指をしゃぶり尽くし、口に入れると、皿が空になった。
朝飯に一切れしか食っていなかった歳三は、それでもほんのりと幸福に酔いしれながら三成の首を見つめている。昼飯にまで三成を供してしまったせいで、残ったのは首だけとなった。これを食わせてしまったら三成はこの世からなくなる。それではあまりにも惜しい。歳三は最後の一枚にと、三成の片耳を切り取り、袖の内に隠した。そして三成の首を大皿に乗せ、「昨日、手柄を上げてない隊に食わせる。精進せよ」と広間の真ん中においた。
その夜、三成の頭蓋まで喰らい尽くした隊士たちは目を畜生のように見開き、一刻も早く見廻りの号令を近藤が出すのを待っていた。だがその時、隊士のひとりがぶるぶる震えて切実な疑問を口にする。
「明日から俺たち、何を食えばいいんですか」
「そうか、確かにそうだな」
歳三は悩んだ。悩んだ挙句、
「長州を、漬けよう。糠床は俺が用意する」と呟いた。
その言葉に近藤が乗ってくる。
「歳三、ありがとう。糠は任せた。だがみんな、聞いてくれ。あまり盛大にやってしまうと会津藩や幕府に迷惑がかかる。朝廷や長州、薩摩、俺たちを預かってくださっている会津藩は微妙な力関係を保っている。揉め事を起こすのはよくない」
「ではどうすれば」
歳三が尋ねると、近藤は不適な笑みを浮かべ、
「闇で、間引け」と言った。
新撰組の鬼気迫る夜狩りが始まった。倒幕派なら過激派だろうが穏健派だろうが関係ない。長州は長州。だが昨夜のように市中で斬るような真似はしない。街ですれ違い、その家紋を確認したら、その方言を聞き取ったら、人気のない道で攫う。目隠しをし、縄で縛り、籠に入れ、屯所へ運ぶ。粛々とそれを実行した。帰還した一番隊から八番隊は、総勢八名の長州藩士と浪士を攫ってきた。
そして彼らが屯所に戻ってくる少し前——大徳寺の僧侶たちが寝静まる頃、歳三は身のこなしの軽い二名の隊士とともに空の樽を背に結びつけ、再び寺に忍び込んだ。三成が漬けられていた糠床を根こそぎ奪うのだ。三上屋の主人が言っていた沢庵が独自に開発した麹菌、それを使っているとしたらあの糠床以外にないだろう。三上屋の糠、三玄院の糠。同じ糠なのに、なにゆえ三玄院の糠で漬けた三成だけ食べる者に特別な作用をもたらすのか。もちろん三成の大一大万大吉の思想が影響を与えていることは間違いない。だが果たしてそれだけだろうか——お漬け者三成を食べた今ならわかる。お漬け者三成とは、沢庵の独自開発した麹菌を使った糠床と死せる三成の共同作業——そう考えを巡らせながら歳三は、三成の漬けられていた糠床を背中の樽に移し替え、二人の隊士と屯所へと早駆けした。
庭に転がる長州浪士をよそ目に、歳三は隊士たちにお漬け者の作り方指導を始めた。お漬け者三成をもとに自分で工夫した作り方である。まずは首を切り、四肢を切り、手足を関節の部分で切り、三成と同じように無数の切り傷をつけ、塩で揉む。腹から臓腑を取り出し、洗い、塩を大量に入れ込む。腕、二の腕、太もも、ふくらはぎ、切開した箇所を糸で結んだ胴など、各部位を釣り針で引っ掛けて軒先から吊るし、干す。そしてここは我慢のしどころだが、三日待つ。三日経ったら晴れて糠床に漬ける。すると翌朝、一夜漬けが出来上がる。
その朝、隊士たちはまるで祝宴のようにお漬け者を食した。それから翌日、その翌日と、残りのお漬け者は少しずつ漬かり具合が深くなり、隊士たちは朝昼に幸福を堪能し、夜なれば修羅となった。
隊士たちは狩る、殺す、漬ける、食すの怒涛の輪廻を作り上げた。その間、歳三が発見したことは、長州浪士のお漬け者は多幸感が三成より弱いということだった。お漬け者三成においては、やはり大一大万大吉の思想がその激烈な幸福感につながっていたのだろう。だが、隊士たちはそんなことは一顧だにしない。「朝昼に感じる鳩の安穏などいらぬ。修羅が発現する夜こそ至極」と自身の鬼を礼賛し、夜狩りへと繰り出していった。
そうして一月、二月、三月と長州浪士を攫う日々が続く。隊士たちは皆、長州浪士のお漬け者を貪るように食らい続けた。心の臓に近い部位の方がより修羅になれることもわかり、手柄を立てられなかった者に優先してばら肉漬けを食わせる習慣もできた。誰ひとり落ちこぼれの修羅は作らぬ——結束は真っ赤な鉄を打つように鍛え上げられていった。新撰組はもはや徳川の世を守るためではなく、お漬け者を食べるために倒幕派を殺戮する集団になっていた。
修羅の季節は年を越す——元治元年(1864)六月五日、爪の先のような鋭い月が赤く輝く夜。鎖帷子をつけた新撰組の隊士たちが腹を空かせた野犬の目つきで市中を闊歩していた。
数日前に捉えた長州浪士をお漬け者にしようとしたところ、命乞いをしてとんでもないことを口走ったのだ。前月より長州の過激派を中心とした倒幕派が京に四十人、伏見に百人も潜伏し、会津藩藩主松平容保の殺害や市中への放火を計画しているという。その要となっているのが、今朝、武田率いる七番隊が捕縛した薪炭商の枡屋喜右衛門であった。枡屋を家宅捜索したら、武器や甲冑、倒幕派からの手紙などがごろごろ見つかった。近藤が会津藩にその結果を報告したところ、今夜大掛かりな掃討作戦を決行することとなったのである。
新撰組は近藤隊十人、土方隊二十四人の二隊に編成され、土方隊はさらに二分できるようになっていた。近藤隊は木屋町通、河原町通を、土方隊は祇園の繁華街や鴨川東岸の縄手通を見廻りしていた。
近藤隊は河原町通の一角で民家を一つひとつ周り、不審者の聞き取りを始める。そのうち二、三軒から池田屋で何やら人の出入りが激しいという情報を得た。池田屋は長州藩の定宿である。池田屋の前まで来た近藤は、表口と裏口に隊士を三人ずつ配置し、戸を開けた。そして池田屋の主人に、
「御用改めだ。手向かいすると容赦なく切り捨てる」と大喝し、沖田、永倉、藤堂の三人を連れて乗り込んだ。近藤は奥の階段を慌てて駆け上る主人の襟元を掴み、顔面を拳で殴り飛ばし、階下へと吹っ飛ばした。その脇を沖田と永倉と藤堂が駆け上がる。
近藤がその背中に声をかける。
「ぬかるなよ」
「おう!」
三人の声が重なった。
この掃討作戦は会津藩との合同作戦である。いずれ池田屋急襲の報は会津藩にも入るだろう。だから会津藩の応援が来る前に、お漬け者用に何人か攫っておかねばならない。近藤が二階に上がったところ、沖田と永倉、藤堂が剣を抜いていた。畳にはすでに三人の長州浪士が倒れている。四、五人が奥のひさしから飛び降り、二、三人がこちらの隙を見て、階段を駆け降りていった。
だがそんなことは重々承知。ひさしから逃げた浪士には裏口の奥沢、新田、安藤が、階段を降りた浪士たちには表口の武田、谷、浅野が待ち構えていている。
近藤たちに十人ほどの浪士が刀を抜いて襲いかかってきた。刃がぶつかり合う甲高い音が響き、誰のものともわからぬ吠え声があがる。沖田も永倉も藤堂も近藤も、この時を待っていた。真剣で相手を袈裟に斬り落とすたびに、顔に血潮が吹きかかるたびに、血がたぎる。沖田が踊るように斬撃を躱し、相手の手首を斬り落とす。永倉が幽霊のような足取りで間合いを詰め、切先で相手の喉を割く。瞬く間に長州浪士の死体がふたつ増えた。
「新八さん、あんた俺より活躍するのやめてくれよな」
永倉に一目置いている沖田が大粒の汗を滴らせて言った。
その時、沖田の顔が青いことに近藤が気づいた。
「どうした、沖田。お前、顔色が尋常じゃないぞ」
「すまん。景気づけにと、お漬け者を食いすぎてな」
そう言うと、沖田は突然ひきつけをを起こしてその場に崩れ落ちた。
沖田が打ち上げられた魚のように畳の上で痙攣している。近藤は二人に闘いを任せ、沖田を抱いて階下に降り、表口の武田に預けた。
階上での戦いは近藤が抜けたことにより均衡がやぶれ、長州浪士たちが階下になだれ降りてきた。永倉と藤堂が追いかけてきて、戦いは階下に移された。その時、歳三の顔が入り口に現れた。池田屋での闘いを聞きつけた土方隊が到着したのだ。
「待たせたな、局長」
「ああ、これで大勢捕縛できる」
歳三は土方隊を屋内、屋外に分け、戦闘に入った。人数でも長州浪士を上回った新撰組にもはやつけ入る隙はない。
階上で死んでいる浪士のひとりを二人の土方隊隊士が手足を掴んで持って降りてくる。
「大八車に乗せてくれ。表に籠と一緒に用意してある」
歳三の言葉に頷いた隊士たちは、
「うまそうだな、こいつ」
「俺もそう思う。ちょっと太ってるお漬け者っていいよな」
とこぼれ落ちそうなほど目を剥いて笑いあった。
歳三たちが生きた浪士四名を縄で縛っている最中、
「命だけは、どうかお助けを」
ひとりの浪士が歳三の足にすがりついてきた。
「心配するな。お前はお漬け者となり、我らが命となるのだ。それが沢庵の教え」
歳三は義理堅い顔をして浪士の肩に手を乗せた。
池田屋屋内は大体片付いた。だが逃亡者どもを追わねばならない。
「野兎を捕らえよ。夜を徹して捜索するぞ」
池田屋の外にまで響き渡るように、近藤が雷のような大音声を張り上げた。
*
歳三は三成の耳を見つめている。
あれからほどなくして、お漬け者どころではなくなった。時代が新撰組の手に負えなくなったのだ。長州藩との闘いは会津藩と長州藩との正面衝突となり、幕府軍と新政府軍の戦いへと発展していった。幕府軍は連戦連敗し、幕府軍に付き従った新撰組は糠床を運び出すこともできず、敵を攫うこともできず、隊士たちは気が抜けたような状態になり、戦場が東へ北へと移り続ける間に脱走する者も増えた。それでも気丈に振る舞っていた局長も流山で捕えられ、のちに首を斬られた。沖田はあれ以来体調を崩し、いまだに床に伏せっているという。そして俺は函館にまで来てしまった。五稜郭ももうすぐ陥落するだろう。だが、そこにこそ沢庵の教えがある——歳三はそう思った。沢庵が三成を漬けたのは、いつかそれを食らう者に大一大万大吉の表と裏、つまり平和と戦、勝利と敗北、菩薩と修羅を見せることにある。ありとあらゆる相反するものの両端を見せ、その間を体験させること。そしておそらくは、そこにいながらにして心を止めるな、なにものにもとらわれてはいけない、そう言いたかったのだろう。それこそが剣禅一如を生きるということ。だが俺は、俺たちは菩薩と修羅に心を止めてしまった。
〈三成、聞こえるか〉
歳三は三成の耳を口元に持ってきた。
〈新撰組はお前を食ったぞ。お前の心根の優しさを、お前の修羅を。お前は時代の敗者であった。俺もそうなるだろう。沢庵が俺とお前を繋げてくださったのだ〉
歳三は三成の耳を食ったら穏やかな気持ちで死ねるかもしれないと思い、放っておいても閉じそうな目を自ら閉じて、三成の耳に歯を立てた。
だが、やめた。
近藤が心配そうな顔でこちらを覗き込んできた。
すうっと顔を引く近藤の周りに試衛館の道場が広がった。
「おい、大丈夫か。お前、沖田に打たれて気を失っていたんだ」
そう話しかけてくる近藤の顔が若い。
「ところで今日は嬉しい報がある。幕府が浪士隊を結成するそうだ」
近藤が顔に興奮を滲ませて、
「京にのぼろう。ともに剣で一旗あげようぞ」手を差し出した。
おお、行こう、京へ行こう。勇さん、一緒に夢を叶えよう。
歳三は三成の耳を捨て、空へ腕を伸ばして懐かしい手を握り返した。
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