自己をめぐる嗣焼つぐやき梨子りこの奔走

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梗 概

自己をめぐる嗣焼つぐやき梨子りこの奔走

かつて平均年齢10.7歳の八人組アイドルとしてデビューし、およそ十年間トップアイドルとして活躍したP☆ベリー。彼女たちが無期限の活動停止をして五年が経った。メンバーはそれぞれ自分たちの夢を叶えるべく活躍をしている。

永熊舞子くまながまいこはその長身を活かしモデルとして活躍しているが、このたび海外のモデルエージェンシーとの契約がもちあがった。P☆ベリーが活動停止後、ブロックチェーンを使用したコンテンツ管理が主流になっているが、グループが解散していないためP☆ベリーを解散するか、永熊がグループから卒業しなければコンテンツの引き継ぎがうまくいかず、写真が使用できないことがわかる。

急遽集まったメンバーはグループの存続について話し合う。十年間のアイドル活動中、唯一の卒業者、石永千沙いしながちさを見送ったあと、彼らは誓ったのであった。P☆ベリーは永遠に七人で活動する、もし誰かが卒業するなら解散だ、と。

しかしここで問題が発生する。メンバーの一人、嗣焼梨子つぐやきりこがすでに芸能界を引退しており、P☆ベリーの状態を活動停止から解散へ遷移させることができなくなっていたのだ。復帰すればいいじゃないかという徳水万波とくみずまなみ

「ちょっと! ちょっと、万波まなみ、なにいってんの? やーだーよー! だって引退したんだよ、引退ライブもやったんだよ、それをさ、いまさら復帰してすぐ解散って、アイドルの美学に反するでしょ!」

「あれやればみんな許してくれるって、あれ。なんだっけ? ごめん……にゃん?」

「ちがうよ! ちゃんとやって!」

 梨子は復帰したくないというが手続き上の問題だとスタッフがとりなし、解散に向けて動くことにする。しかし一旦芸能界から引退した梨子のコンテンツ管理は、コンテンツルートが存在していないため、それぞれ勝手に登録が行われていた。

ひとまず嗣焼梨子(概念)に対してデジタル証明書を付与してコンテンツの集約を行い、引退(活動停止中)という矛盾した状態から引退(解散)に変更しようとするが、次々に野良嗣焼梨子(概念)が現れる。嗣焼梨子の過去の写真、等身大マイクロファイバータオル、キーホルダー、クリアファイルなどを基としたその数は膨大で、登録者と直接話し合わなければ取り戻せない。

分裂した自己を取り戻すために奔走する嗣焼梨子。嗣焼梨子(概念2048)と結婚した男、嗣焼梨子(概念65535)を教祖と崇める宗教団体――永熊の夢を叶えるためにどうにかして自己を取り戻したいが、嗣焼梨子(物理)の心はもうぼろぼろだ。

「よく考えないで引退しちゃうからでしょ」と菅藤桃奈かんとうももなに怒られる嗣焼。

「だって引退しときはブロックチェーンのコンテンツ管理なんてなかったもん……アイドルはみんなの心の中に平等にいるんだよ、鎖で縛るなんてこと、できないの…」

「ねぇ、マジで言ってんの?」

「ひーどーいー!」

 嗣焼と桃奈の会話を聞いていた清井麻美きよいあさみ、はっと妙案を思いつき、

「ねぇ、嗣焼の概念をそんなに作れるならさ、永熊ちゃん(概念:海外)って新しく作ればいいんじゃないの?」

世界的スーパーモデルMaiko Nagakumaはこうして誕生したのであった。

文字数:1343

内容に関するアピール

コンテンツ管理をブロックチェーンでするようになった時代、卒業後のアイドルが自己を取り戻すために奔走する話です。そういえば活動停止中なのに引退したやつがいるグループがあったけど状態が矛盾してないか? と思ったのと、初音ミクと結婚した男性のニュースで初音ミクの自己同一性の扱いはどうなってるのか気になったので書きました。自分でなにを書いてるかよくわからなくなってきましたが、勢いでいけるような気がします。今回のお題の「拘束下で書く」は節毎に一段落ずつ増やす、です。

 

ちなみに作中のP☆ベリーの設定は下記のとおりです。

  • 清井麻美(きよい あさみ):ダンサー、女優
  • 嗣焼梨子(つぐや りこ):別アイドルグループに加入して活動していたが、2017年に卒業と同時に引退。
  • 徳水万波(とくみず まなみ):キャスター
  • 須戸茉理(すど まり) :女優
  • 夏友紀(なつ ゆき):歌手
  • 永熊舞子(ながくま まいこ):スーパーモデル。好きな言葉はEnjoy!
  • 菅藤桃奈(かんとう ももな):モデル
  • 石永千沙(いしなが ちさ):13歳で卒業し、芸能界引退

2004年に平均年齢10.7歳でデビューし、2015年に無期限活動停止。以後個人の活動をしているが、嗣焼梨子が2017年に芸能界引退。

文字数:520

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自己をめぐる嗣焼つぐやき梨子りこの奔走


永熊ながくま舞子まいこのくまらナイト1422! さあ、今夜も始まったわけなんですが! あのー……そう。気合入ってるでしょ。今日はねぇ、ちょっと気合入ってるんですよ。あ、レギュラーコメンテーターの紹介の前にいいですか? 大丈夫、ちゃんと後で紹介するから。それよりあのね、すっごい嬉しいニュースが一部情報解禁になったのでおしらせをしたくてぇ、あのぉ、実はぁ、モデルのお仕事でパリに行くことになったんです! 今までも行ってたじゃん? ってかんじなんですけど、なんですけど! 某ブランドの、あのー、これはまだ秘密、なんだよね……ま、とにかくコレクションに出れることになったんです! あーよかった。やっと言えたよぉ。さあ、では、今晩も永熊舞子のくまらナイト1422、最後まで聞いてください! あ、ごめん、レギュラーコメンテーターの紹介忘れた……」

 


 P☆ベリー、通称ピべはかつて平均年齢10.7歳でデビューした伝説のトップアイドルである。2005年の石永いしなが千沙ちさ卒業以降は清井きよい麻美あさみ嗣焼つぐやき梨子りこ徳水とくみず万波まなみ須戸すど茉理まりなつ友紀ゆき永熊ながくま舞子まいこ菅藤かんとう桃奈ももなの七人で活動していたが、2015年のラストコンサートをもって惜しまれつつ無期限に活動を停止した。活動停止後、永熊舞子は180cmを越える長身をいかしてファッションモデルに転身を遂げ、ついにずっと夢に見ていたパリ・コレクションへの切符を手にしたのである――
「え? 契約できない? なんでですか?」

 


「……ねぇ、あのさぁ、久しぶりに会えて嬉しいとか、なにしてたとか、最近どうよとか、そういうのないんですか? あー、そうね、まずはそれね。えー、このたびはですね、我らがくまここと永熊舞子がなんと! パリコレに出演します! くまこおめでとー! 拍手! 拍手して! 我らがピベのスカイツリーもついに世界進出ですよ。すばらしいですね。はい。で、私には? ないの? ないのね? ほんとにないのね? いいよ、もう! 麻美ちゃんがちょっと遅れてるので、わたくし、嗣焼梨子が司会をつとめさせていただきます。で、さっき言ったとおりくまこが世界進出するっていうおめでたいニュースがあったんですけど、いまね、ピべのコンテンツ管理の関係でくまこのコンテンツの権利が、そのー、まぁむずかしいことになっているので、ちょっと話し合いが必要らしいんですよね。この紙に――」
「まぁ、こういうのはだいたい梨子のせいだよね」
「ちょっとぉ、夏友紀さん。ひーどーいー! どうしてそういうこというの? だってさぁ、私がさぁ、引退したときはコンテンツ管理なんてそんなに真面目に、いやいや、厳しく、まぁとにかくそこまで厳密じゃなかったじゃん? なんかぁ、ブロックチェーンとかっていう――あ、はい。すみません。万波のスケジュールがあるから進行しろって怒られちゃった。とりあえず選択肢はふたつあります。ひとつはくまこがピべを卒業する。もうひとつは――ピべの解散です」

 


 話し合いは長引かなかった。全員が解散を選択したためである。
 彼女たちは2005年の石永千沙の卒業の際に固く誓ったのであった。ピベから卒業メンバーは出さない。七人の誰かが卒業したくなったら、その時は解散を選択する。活動停止発表前も何度も話し合ったことだ。
 2015年に解散しなかったのは、「小学生の頃から活動してきた自分たちのグループがなくなってしまうと、青春のすべてが消えてしまう気がした」からだったが、活動停止からすでに五年が経っている。嗣焼梨子は2017年に芸能界を引退、菅藤桃奈は2018年から育休に入っており、他のメンバーもそれぞれに仕事がある。解散を選択するのは勇気が必要だが、でも永熊の活躍の足を引っ張るくらいならグループを解散してかまわない。心の準備はもう十分にできている――
「え? 解散できない? なんでですか? 嗣焼がピベの現役メンバーなのに引退しているから、ステータスエラーが出る……?」

 


 デジタルコンテンツの所有権および所有権の移転を記録するためのデジタルコンテンツ管理システム(The Blockchain-Based Digital Contents Ownership Decenteralized System)のひとつ、METHOメソが日本で利用されるようになったのは2019年からである。METHOはブロックチェーンを応用したデジタルコンテンツ管理用分散型台帳で、登録されたコンテンツの譲渡、場所の移動が全世界の台帳に記録される。登録できるコンテンツは基本的にモノであり、提供者とコンテンツの関係性はMETHOでは管理しにくいため、より使い勝手を良くするためにMETHOのホスティングアプリケーションTHODソドが開発された。METHOもTHODもOSSオープンソース・ソフトウェアだ。
 彼女たちが所属する芸能事務所は国民的アイドルグループを擁することもあり、許可なく公式コンテンツを転用される問題にはずっとさらされているから、簡単かつ強力にコンテンツの管理ができるMETHOの導入にはかなり早い段階から乗り気だった。この金のなる木を放って置くわけにはいかない――もとい、老舗アイドル事務所として業界の先達となるべく最新テクノロジーを導入すべきだ。
「えっと、まとめると我らがP☆ベリーは活動休止中のステータスです。でもくまこがピベの現役メンバーだと、ヨーロッパと日本の権利関係が違うので写真使用とかに制限がかかって、向こうのエージェントと契約できません。そこで、解散することにしたんだけどぉ、今度はわたくし、嗣焼梨子が現役グループであるピベに所属しながら引退している状態になっていて、存在が矛盾しているために、解散ができない。つまり解散するためには一旦私が復帰して、解散して、それからもう一回引退しなくちゃいけない……? やーだーよー! だって引退ライブまでやったんだよ、それをさ、今さら復帰してすぐに解散って、ファンのひととの約束を破ることになるでしょ! ねぇ、万波、そんな目で私を見ないで……」
「復帰してすぐに解散すればいいじゃん。あれやっとけばみんな許してくれるって。あれ。なんだっけ? えっとぉ、ごめんな……サイ!」
「ちがうよ! それ、別のグループでしょ! ちゃんとやって!」

 


「だって……これ、手続きの問題なんですよね。手続きだけですよね? でも全世界に共有されてるんでしょ? 私が一旦復帰ってなったら、ファンの人、パニックになっちゃったりしません? だって梨子、みんなのアイドルだったから……」
 嗣焼梨子は追い込まれていた。永熊のためにもP☆ベリーは一週間後までに解散していなければならない。全世界で使われているTHODをこのためだけに改修するのは現実的ではなく、OSSコミュニティからも変更は難しいとの回答を受けたのだ。
 嗣焼梨子にはOSSがわからない。
 嗣焼は一般人である。教育を謳い、子供を導いて暮らしてきた。けれどもファンの心には人一倍に敏感であった。
「わかりました、わかりましたよ。一旦復帰します。でも手続き上、こうするしかなかったってちゃんとお知らせしてくださいよ、ほんと、ファンのひと、絶対びっくりしちゃうんで」
 しかし彼女たちはまだ知らなかった。これは騒動の序の口でしかなかったのだ、と。 

 


 青空の広がる朝であった。人々を焼き殺す太陽に一枚ベールがかかり、心なしか空が高くなったことが感じられる。朝の情報番組からは、底なしに明るい万波の声が聞こえているが、今日ばかりは嗣焼もその声を聞いていなかった。
「はい……なんとなくわかりましたけど、それって無視できないんですか? 言ってみれば全部、偽嗣焼ってことですよね?」
 順を追って説明しよう。嗣焼梨子は2019年の秋、THODに登録された。この時、活動停止後もピベを応援する「亡霊」と呼ばれるファンたちが色めき立ったのであった。完全に消息不明となっていた嗣焼梨子が帰ってきた――!
 しかし彼女は引退した身である。彼女が登録されたのは手続き上の処置であることは明らかであり、すぐにまた彼らの前から消えてしまうのも同様に明らかであった。「亡霊」は二度の死には耐えられなかった。そこで自らが作り出した嗣焼梨子を本物の嗣焼梨子のコンテンツとしてMETHOに登録してしまったのである。
 登録された嗣焼梨子を便宜上、嗣焼梨子(概念X)と呼ぶことにしよう。嗣焼梨子(概念X)はコンテンツであるため、所有が可能になった。正規の嗣焼梨子には肉体があり、本人がそう言っているように、みんなのアイドルだ。しかしコピーされた嗣焼梨子(概念X)なら所有権を主張できる。
 この亡霊のいたずらののち、正規の嗣焼梨子は事務所によってステータスを引退に変更されたため、嗣焼梨子に対して新しく概念を登録することはできなくなった。もちろんすでに登録されている概念やコンテンツに関してはその影響を受けず、取引が行われるたびにMETHOに記録が残る。タレントの引退後も所有権の移転は起こり得るので、これはシステムとして正常な動作だ。
 つまり正当な方法で登録された偽嗣焼は無視できない。さらにここにTHODの仕様もからみ、嗣焼は窮地に追い込まれているのだった。

 


 須戸が嗣焼から連絡を受けたのは舞台稽古がちょうど終わった時だった。普段はめったに人を頼らない嗣焼、それどころかめったに連絡をよこすこともなく、グループチャットにもほとんど現れない嗣焼の突然の連絡に、彼女は手にしていたリポビタンDを思わず握りしめて電話を受けた。
 ざわざわとした廊下にいても、嗣焼の声が沈んでいることはわかる。須戸もうっかり心配になって声をひそめた。
「大丈夫……?」
「大丈夫……じゃない! 大丈夫じゃないんだよぉ、すどすどぉ」
「ああ、余裕はあるのね」
「ないよ! ふざけないとやってらんないの! わかる? もう、まーちゃんだけが頼りなんだよ」
 須戸は直感した。こんなふうに嗣焼が泣きつくときは適当にふざけてやったほうがいい。深刻になって相談にのると余計にこじらせるパターンである。
「はいはい、誰も相手にしてくれなかったんでしょ、どうせ……はぁ? なに、もっぺん言って。御神体になってたあ?」

 


 嗣焼がいつのまにか御神体になっていた経緯を理解するには、THODについて理解しておかなければならない。
 正規の嗣焼梨子、すなわち嗣焼梨子(物理)と等価的に扱われるジェネシスブロックインタフェイス嗣焼梨子は、THOD上で引退ステータスにある。THODではオブジェクトをpending(活動休止)、public(現役)、disuse(引退・卒業)の三つのステータスで管理しているが、再三説明があったとおり、活動休止と現役からステータスの遷移は行えるが、引退から他のステータスへ遷移することはできない。
 さらにTHODではコンテンツ管理において発現しうる複雑な権利状態を表現すべく、ジェネシスブロックインタフェイスどうしが関連付けられるようになっている。嗣焼たちの所属する事務所ではこれを利用して、グループとグループに所属するメンバーをそれぞれ別のインタフェイスとして登録し、メンバーとグループを関連付けていた。どうやらこの関連付けが曲者らしかった。
 たとえばP☆ベリーの夏友紀はピベとは別にGNOのメンバーとしても活動中である。ピベはグループのステータスが活動休止中のため、彼女もピベのメンバーとしては活動休止中である。しかしGNOは現役グループであるから、GNOのメンバーとしては現役ステータス、さらに個人で紹介される場合も現役ステータスとなる。もし彼女が引退するなら、まずはグループを卒業して、ステータスを変更するか、グループ自体のステータスをdisuseに変更して参照関係を切り離さなければならない。そのうえで自身のインタフェイスを引退へ変更しないと、グループとの参照関係の切り離しができなくなる。嗣焼はこの手順をふまず、強制的に自身のジェネシスブロックインタフェイスを引退ステータスへ変更したため、他のステータスを全くいじれなくなってしまったのであった。
 こういった問題が発生するのは、事務所が現状をしっかりと分析せずにとりあえずツールを導入してしまったというITにはありがちな間違い――見積もりの甘さ――あるいは――コンサルタントがVOCをないがしろに――環境の違い――慢心――とにかくこういうゴタゴタは先達にはありがちであり、本人たちの責任ではなく、さらにここで詳しく分析することではないので割愛する。
 嗣焼梨子のステータス変更ができないので、事務所はてっとりばやく嗣焼梨子を作り直すことにした。そしてすでに存在する嗣焼梨子に関わるコンテンツをすべて新嗣焼梨子へと関連させ直し、問題を回避しようとしたのである。METHOとTHODが分離されているおかげでジェネシスブロックから作りなおす必要はないが、ブロックに記載された内容が変更されるので、ブロックチェーンの肝である全ブロックのハッシュ値は作り直し、かきかえなければならない。
 かなりの荒業であるし、マシンパワーも必要だが、コンテンツの最初の所有者はすべて事務所だから正当性はあきらかだ、おそらく問題も起こるまい。コミュニティの協力もとりつけた。
 しかし――そう、読者の方がたはすでにお気づきだろう。彼らは、事務所が最初の所有者でない場合をまったく想定していなかったのである。最初の所有者でなかった場合、ここでいえば嗣焼梨子(概念X)のチェーンを作り直すには所有者との協議が必要なのだ。
 嗣焼梨子(概念X)は百八つ。ファンに言いなりにする最も有効な手段は嗣焼梨子本人が交渉の席につくことなのは、事務所も嗣焼自身も認めるところであった。

 

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「え? りこりこ本人なんですか? うそ、りこりこ生電……? え、そんな、夢じゃ……えっ! これお金とるんですか!? そんなあ!」
「詐欺、じゃないんですよね……? いや、急だったからびっくりして。掲示板で盛り上がってて一応作ってみたってだけだったのですっかり忘れてたんですけど……あ、一応とかすみません!」
 P☆ベリーのファンはかつて、精鋭部隊と恐れられた有機生命集合体であった。どこへいっても、どんな場所でも、たとえどんなにアウェーであったとしても、場を盛り上げ、たまたま訪れただけの人間さえもピベのファンとして取り込む彼らの唯一の不安要素は加齢だ。そんなP☆ベリーのファンだが、嗣焼梨子の概念を作ってしまうファンとなれば、かなり面倒――コアなファンであるのは間違いない。交渉の難航が予想された。
 電話を終え、頬を撫でるたびにザラザラとした感触がある。忙しさのためか、ストレスのためか、あるいは芸能界から引退して以来容姿にあまり時間をかけなくなったためか、肌がかさついている。うなるクーラーの風をあびながら電話をしている自分に現実感がうすれ、彼女はこめかみをもんだ。
 残り14件。
 嗣焼本人からの電話で強襲をかけたことが功を奏したのか、おもいのほか反発は少なかった。しかし、まったくなにもないというわけではない。
 まず、鬼籍に入ったものが七名、金品を要求するものが三名、なんとなく嫌だと断った者が二名。ここまではまだ光がある。
 問題があるのは二件。嗣焼梨子(概念5B)とは結婚している、妻を取り上げないでくれとうわ言のようにつぶやく者一名。よく聞けば彼はブロックチェーン先進国のマルタ共和国で嗣焼梨子(概念5B)を国籍登録し、その後国際結婚の手続きを踏んだと言う。つまり、正規の行政手続きを踏んだ結婚であるというわけだ。しかしそんな彼も霞むさらに驚くべき団体もあった。嗣焼梨子(概念3E)を本尊とする新興宗教である。
「なんなの……御本尊って、結婚って、どういうことなの……!」

 

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「そっかぁ……」
「そうなんだよ。御本尊だってさ。ほんと、もうね、なんていうの? 愛が、愛が重いよ。私のこと好きなのはわかるよ、わかるけど神にするのはちょっと飛躍しすぎじゃない?」
「うん……気持ちはわかるよ」
「でしょぉ……桃奈、お母さんになって優しくなったねぇ……」
「え、なにそれ。意味わかんない」
 嗣焼はうっかり笑った。現役時代は若さゆえかなにかと正論で嗣焼を追い詰めた菅藤だが、ずいぶんあたりが柔らかくなった。それでも時々現役時代と同じような表情をすることがあって、嗣焼は当時を懐かしく思うのだった。
 スタッフの尽力により、故人の家族より了承がとれ、所有者が鬼籍に入ってしまった七名全員の件は解決した。金銭の要求については二名が解決、残り一名は交渉中、どうしても存在を手放したくないというものには、所有権が変わるわけではなく、内容が少し書き変わるだけだと説明し、納得してもらう。しかし強敵である、嗣焼梨子(概念5B)、嗣焼梨子(概念3E)の二件は手付かずである。概念3Eとは交渉が成立しておらず、概念5Bにいたってはジェネシスブロックインタフェイスの変更が可能なのかどうかすらわからなかった。
「でもさぁ……梨子も意外と……あ、違うの。意外とってのはそういう意味じゃなくてね、ね! 引退してもずっとファンでいてくれた人がいたってわかったわけじゃん? よく考えたらすごいことだよね、御本尊はちょっとあれだけど……すごいなぁ」
「桃奈にまた歌ってほしいって人いっぱいいると思うよ。ディナーショーとかやればいいのに」
「でもしばらく歌ってないから……それにさ、私さ……覚えてる? ラストコンサートの挨拶。私、あの時、楽しいこともいっぱいあったけど、正直辛かったって言っちゃったでしょ。いろいろファンのひとを裏切るようなこともしたし……そういうの、昨日思い出しちゃってさ、梨子のファンのひとはずっと幸せだったんだろうなって思ったんだ」
「そう……? まぁりこりこはみんなのアイドルだからね! ただ御本尊はやめてほしかったなあ。あーあ、卒業注意事項[1]でりこりこの偶像崇拝禁止って書いとけばよかったぁ……」

 

12
 気分転換でも、と近くのコンビニにでかけた嗣焼と菅藤がアイスを手に戻ってくると、須戸から事情を聞いて駆けつけた清井が二人を待っていた。
「ねー、ちょっと、写真撮られちゃうよ。週刊誌の人はファンの人と違うんだから……大丈夫なの?」
「大丈夫だよぉ、芸能人オーラ出さなかったもん。ねー、桃奈ぁー」
「大丈夫じゃないでしょ、それ……あと、まーさんから聞いたけどさ、まーさん、ゲネプロで会いに行けないからってすっごい気にしてたよ。どうにかなりそうなの?」
「やだなぁ、みんな私のこと心配しちゃって……やっぱりりこりこは永遠にみんなのアイドルなんだね、照れるなぁ」
 清井はため息をついて答えなかった。
 嗣焼がいない間に彼女も詳しい事情は聞いた。嗣焼がへらへらして現実逃避しているのは無理もない。アイドルを神格化するファンが全く存在しないわけではないが、それでもあくまでもアイドルはアイドルだ。信仰の対象にされるのとはわけが違う。
 でも。
「……くまこになんて説明すんの?」
「それなんだよねぇ。待って、アイス食べてから考える。ほんとに考える」
「アイス食べながら考えな……ねぇ! 梨子さん、あなた、いつも子供に教えてんでしょ。座ってから食べなさいよ。行儀悪いよ」
「むぅーりぃー、だってさ、なんでこうなるわけ? 意味わかんない! ほんと意味わかんない! なんでこうなんのかもうほんと、意味! わかん! ない! もうわかんないから全部やり直せば良くない? だって私が二人に分裂してても問題ないわけでしょ、だったらさあ、よくわかんなくなっちゃったやつはほっといて全員分あたらしくしちゃえばいいじゃん。新生P☆ベリー! 爆誕! ……え? 麻美ちゃん、なに? 私、なんか変なこと言った……?」

 

13
 目もくらませる強烈なスポットライト、一挙手一投足を見つめる観客の眼差し、星のようにまたたくフラッシュ、歓声、胸の奥を震わせる万雷の拍手、きらびやかで奇抜な衣装――MAIKO NAGAKUMAはランウェイに出る前、いつもアイドル時代を思い出すと語る。子供の頃からこの世界に生きる彼女は、緊張したことが一度もないそうだ。始まる前は早く始まってほしいと願うし、終わったあとはもう次のショーが待ち遠しい。
「アイドル時代はちゃんと練習していかないと大人にステージに出さないぞって怒られるので、それがいやで練習してたところはありました。代わりはいくらでもいるんだぞってよく言われましたし、ファンのひとは私に会いに来たって言ってくれるけど、でも私じゃなくてもほんとうはいいんじゃないかっていつも疑ってましたね。グループさえあればメンバーがかわっても続いていきそう、みたいな」
 アイドルグループのメンバー入れ替えはもはや「常識」といえよう。ビジネス的な利点もあるが、二十代半ばになるとアイドル自身も別の人生を模索し始めるからだ。そのときに新人をすでに知名度のあるグループに加入させてファンをのは、新たなグループを立ち上げるよりずっとで確実だ。P☆ベリーはその戦略をとらなかったが、だからといって彼女たちが「常識」を知らなかったわけではない。もっと「私」を見てほしい。P☆ベリーのメンバーとしてではなく「永熊舞子」のファンになってほしい――アイドル時代、永熊はそう思っていたという。
「モデルって、服が主役の、動くマネキンだって思われることも多いんですよね。アイドルも似ていて……なんていうんですかね、キャラを演じるというか、そういうのを求められるところがちょっとあります。それで昔、自分でどうしたいのかわからなくなって大泣きしたんですよ。どうしたいかわかんない、どうすればいいかわかんないって。身長があるからモデルになったらどうかってのはよく言われたし、モデルなら『私』になれるんじゃないかなって、思ったんです。で、私が抜けるならピベも解散しようってなって」
 しかしP☆ベリーは解散しなかった。解散騒動は二度あった。一度目は突然の活動停止発表、そして二度目は永熊舞子がMAIKO NAGAKUMA名義でスーパーモデルとして活動をはじめる直前だ。二度目の解散騒動は、ファンをかなり不安にさせた。嗣焼梨子から直接ファンへ釈明の電話があったことからピベの解散疑惑へ、そしてピベの所属する事務所がアイドル事業をやめ、全グループを解散させるつもりなのではないかという疑惑――公式な発表は一切なかったが、なかったからこそ噂は噂をよび、ファンクラブイベントで永熊もファンから疑惑の内容と不安を伝えられた。そのことについては申し訳なかったと彼女は言う。
「いや、ほんとに申し訳ないなって思ってるんですよ。もとはといえば私のライセンスのためだったのに、いろいろうまくいかないことがあって話が大きくなっちゃったんです。たまにあるじゃないですか、事務所を移ったあとに名前が使えなくなるとか、過去の作品を紹介できなくなるとか……私の場合はそういうのじゃなくて、単に手続きの問題です。騒ぎになっちゃったのは本当に申し訳ないんですけど、でもあの時、ピベを解散できなくてよかったなって今は思うんです。嗣焼がややこしいことになってなかったら、残りのメンバーの登録をやり直したほうが早いし簡単だってことにはならなかっただろうし、そしたら私は『永熊舞子』としてランウェイを歩くことになってたはずです」
 P☆ベリーとしての「永熊舞子」、スーパーモデルとしての「MAIKO NAGAKUMA」、その二つの顔が完璧に別れたことによって永熊舞子としての活動でモデルを意識することがなくなった。逆にMAIKO NAGAKUMAのときはアイドル時代を意識しない。気持ちを切り替え、仕事に全身全霊で取り組むうちに、彼女は理解した。
 モデルとは表現者である、と。
 服を着て、歩くだけの仕事ではない。モデルは、服を作った人間でも言語化できなかったなにかを表現し、見る人の心から感情をえぐり取る。その表現は本人でさえ意識できるものではない。だから、「私」ではないと思ってしまうこともある。けれどもそこに立ち現れるは、彼女の中に、あるいはデザイナーの中に、もしかすると観客の中にも眠っている感情に違いないのだった。
 アイドルも同じだったと彼女はいう。若く、あらゆる可能性を秘めている少女は表現者としては未熟だ。宝石の原石であると信じ、表現者となるべく磨きあげなければならない。彼女がデビューしたのはちょうど十歳のときだった。それ以来ずっと表現者としての道をたどってきた彼女がモデルの仕事で緊張したことがないのは、そして歳を重ねてもトップモデルとして活動できるのは、他のモデルよりも長く表現に対して向き合ってきたからではないか。
「MAIKO NAGAKUMAって、最初はちょっと恥ずかしかったんです。英語読みしただけなんですけど、自分じゃないみたいで。でもそのおかげで自分にこだわらなくなったのかな。MAIKO NAGAKUMAはモデルをやるときの――なんていうんですかね、人格、みたいな、そう考えたらいろいろと吹っ切れたんですよね」
 仕事で海外に行くと嗣焼からお土産を催促されると彼女は笑うが、今もいい関係にあることは言葉にするまでもないだろう。このあとも食事に行く予定だという。
「あの時簡単に解散できたら――もしかするとまだ自分にこだわってたかも……自分にこだわってたら、たぶんトップモデルとしてはやっていけなかったと思います。自分って表現じゃないですからね。だから本当に嗣焼には感謝してるんです」

 

おしまい

 

[1] 嗣焼梨子は引退前のファンイベントで、「卒業後は見かけても声をかけない」「写真を撮らない」「SNSにアップしない」などの注意事項を発表した。のちに彼女の動向が一切漏れなかったことから、ファンの忠誠心の高さが伝説として語られるようになったという。

文字数:10711

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