梗 概
フレッシュ
◆
「あなた、気分はどう?」
「なんだかすごく爽快な気分だよ。僕の病気は治ったのか?」
「ほら、鏡を見て」
「うわ! 若返ってる!?」
「奮発して、アンドロイドを買ったの。これがあなたの新しい体」
「え!? じゃあ、僕は死んだのか?」
「そう。でも、これから第二の人生の始まりだよ」
「こんなことになるとは思わなかった……僕は死んで、僕の人格コピーが生き続けるだけだと思ってたのに、まるでアンドロイドに生まれ変わったみたいだ」
「それでなにか問題ある?」
◆
「ごめんあなた、生者死者すみ分け法っていう法律が制定されちゃって、あなたには仮想世界へ行ってもらわなくちゃならないの」
「お前もだよ。自分が僕より前に死んでるってことに気づいてなかったのか? お前は自殺して、自殺因子を取り除いたお前の精神をアンドロイドにアップロードしたんだよ」
◇
「白い砂浜、コバルトブルーの海には白波が立ち、穏やかな波音が響いている――」
「おい新人! いちいち風景描写すんな!」
「悪い。肉体がないということにまだ慣れなくて、心の中の言葉が漏れてしまうんだ」
「お前も肉体がうっとおしいけ、ここにきたんじゃろ? ちったあ精神を制御する努力もせえや」
「肉体がないっていうのも厄介なんだな」
「ほかのやつらも肉体がないのは一緒よ。シミュレートされとるかされてないかの違い」
「実は俺の妻は、俺の偽物と一緒に暮らしてるんだ。これってやっぱり変だよな?」
「そんなのなんぼでもおるわ」
「時々偽物に俺が宿って妻と会うけど、俺はもっと自由になりたかったんだ」
◇
「お前、肉体ありのやつらにちょっかい出して面白いことにしてくれたな。でもな新人、わしらもこの世界の一員だってことを忘れとらん?」
「どういうことだ?」
「わしらは、仮想世界を思うように操れるようになりたいと望んだ魂よ。その望みを叶えてもらっとるだけ。じゃけ、わしらが見てる世界は偽物。そこに本当の人の魂が住んどるわけやないんよ」
「え、そうだったのか? なんでそんなことを知ってる? お前は誰?」
「なんでも知っとることを望んだ魂」
「お前はこの世界の真実を知ってるっていうのか? でも、それが本当だという証拠はどこにある?」
「そんなこと考えても意味がないってことがわからんか? この世界は、みんなのそれぞれの望みが叶うようにできとるんよ。でも、その望みが本当に叶っとるかどうか、証明することはできん。わしらは、仮想世界に飼われとるだけの存在じゃけ」
「どうしてそんなことに」
「平和を願った先人たちのせい。死者までも幸せにするように、AIに指示したんじゃ」
「俺の妻はどこにいる?」
「別の仮想世界におるんやないか?」
「もう会えないのか?」
「お前が望んだことじゃろ? まあ、会いたいと願えば、叶うかもしれんよ」
「もし会えたとして、その妻が本物か偽物か見抜けるかな?」
「お前が本物だと思えば本物。偽物だと思えば偽物。もとの世界だって、そういうもんだったじゃろ?」
文字数:1218
内容に関するアピール
ルールは、「会話文のみで書く」です。
死後、仮想世界に移り住んだ人々(仮想の肉体を持った人々と、肉体を捨てて幽霊のような形で存在している人々がいる)の話と、そこに至るまでの過程をすべて会話のみで描きたいと思います。
赤川次郎や小林泰三や京極夏彦の影響で、会話文が大好きです。会話のみで書くことの必然性が出せるかどうかが課題だと思いますが、一風変わった感じの小説になればいいなと思います。
文字数:193
オプションサービス
◇3
「あなた、気分はどう?」
「なんだかすごく爽快な気分だよ。こんなに調子がいいのは久しぶりだ」
「よかった」
「今まで、ずっと痛みがあったのが嘘みたいだ。昨日は特に悪かったんだけど」
「そうだね。今までいっぱい苦しんだもんね」
「もしかして、俺は快方に向かってるのか? もう治らないって言われたけど、間違いだったのかな?」
「あなた、これを見て」
「うん? うわ! なんだこの鏡! 顔が若返って見える!」
「鏡がおかしいんじゃないの。本当に若返ったんだよ」
「そんなはずはない」
「じゃあ、そっちの鏡も見てみたら。もう起き上がれるはずだよ」
「本当だ。体が軽い――やっぱり顔が変わってる。体も若くなってる!」
「でしょ。十年前のあなたそのものだね」
「俺はどうしちゃったんだ?」
「あのね、奮発して、オーダーメイドのアンドロイドを買ったの」
「アンドロイド? 家事用のやつか? アンドロイド型より、小型ロボットのほうが機能的で安上がりだって何度も――」
「そうじゃなくて、あなたの体のこと」
「え? この体はアンドロイドなのか?」
「さすが、早く呑み込んでくれてありがとう。ここは、病院に見せかけたアップロード施設なの」
「いやいや、そんなはずはない」
「前に話したでしょ?」
「そうだけど。いや、ありえない」
「なにが?」
「俺は死んだってことか?」
「そうだよ。残念だけど」
「ちょっと待て。俺は、自分の人格データを残すことに同意した」
「そうだね」
「君が、俺が若くして死ぬことに耐えられないから、俺の代わりになるものが欲しいと言ったから、嫌々ながら、俺の全記憶、全人生をあけ渡すことに同意したんだ」
「いまさらそんな言い方しなくても」
「でも当然、俺と俺のコピーは別物だ」
「そうだね」
「もとの俺は死んで、俺のコピーが生き続けるってことになる。コピーは限定的人権を持つから、管理者がいなくなったら消されるけど」
「そんなこと、わたしがさせないよ」
「それはともかく、今の状況はあり得ないんだ」
「なにを言ってるの?」
「今俺は、アンドロイドに生まれ変わったみたいに感じている。俺は、死ねばそれまでだと思ってた。コピーが存在するとしても、俺が死ぬことに変わりはないって。なんでこんなことになってるんだ?」
「それは、コピーが完璧だから。全然不思議なことじゃないよ」
「俺はコピーなんだけど、コピーとしての完成度が高いから、自分を本物だと勘違いしてるってことか?」
「本物だと勘違い? あなたはあなただよ」
「さっき、俺と俺のコピーは別物だって認めたよな?」
「ええ。あなたとあなたのコピーは別物。でも、その違いを測ることはできないんだから、同じと言っても差し支えないの」
「同じなのかそうじゃないのか、どっちなんだ?」
「同じじゃないけど、違いがわからないんだから、同じと考えても一緒なの」
「わからない」
「あなたがあなただってことは、あなた自身が一番よくわかってるでしょ?」
「君は、こうなることがわかっていたのか? 俺を、アンドロイドに生まれ変わらせるつもりだったのか?」
「うん。それがいけない? その外見が気に入らないの?」
「そうじゃなくて。君は、俺を不死の体に閉じ込めたんだ」
「閉じ込めた?」
「なんてことだ」
「なにが?」
「俺は死にたかったんだ」
「え? なに言ってるの?」
「生きていても、意味がないからだ」
「どういうこと?」
「毎日が楽しくないんだ。余命宣告された時は、完全に自分の運命を受け入れていた」
「わたしのこと、愛してないの!?」
「愛してた。でも君は変わった。メンヘラは治らず、年々繊細さがなくなっていった」
「ひどい! わたしはこんなに愛してるのに!」
「重いんだよ」
「わかった。もういいよ。勝手に帰ってて」
「君はどうするんだ?」
「ほっといてよ」
◆10
「白い砂浜、コバルトブルーの海に白波が立ち、穏やかな波音が響いている」
「なにぶつぶつ言っとんの?」
「え? なにがだ?」
「心の声が漏れとるよ」
「気づかなかった」
「心の中で風景描写するやつも珍しいのう」
「俺は作家だ。描写力の訓練をするのが無意識に染みついているんだ」
「元作家じゃろ」
「ああ、そうだな」
「見かけん顔じゃし、新人だな」
「俺たちに顔はないだろ」
「あはは、確かに。考えるのと発話するのを意識して使い分けないけんよ。まあ、そのうち慣れるじゃろ」
「あなたはいつからここに?」
「この世界にということかい?」
「そうだ」
「わしらは永遠にここにおるんじゃけ、過去を振り返っても仕方ないじゃろ」
◇4
「どうしてこんなことに……」
「奥様は心療内科に通ってらしたんですよね? 保険金が下りると思いますよ」
「でも自殺するなんて! 喧嘩したあと、仲直りできたと思ったばかりだったのに」
「夫婦でもわかり合えない心の闇はありますよ。お辛いでしょうが、ご覧いただきたい資料があります」
「あなたは、妻の弁護士なんですよね? そんな方がいるとは知らなかったんですけど」
「わたしは、奥様に、奥様の死後、奥様の代理人として、あなたに奥様の遺言状を渡すように依頼されました」
「あなたは、妻が自殺すると知っていたんですか!?」
「まさか。わたしは、あなたに遺言状と、資料を渡すようにというご依頼をお受けしただけです」
「変だと思わなかったのか? あなたがわたしに知らせてくれれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに!」
「ご依頼されたこと以外のことはしません」
「貴様なあ」
「とにかく、これをご覧ください」
「なんだこの資料は。人格保存? あの企業の書類じゃないか! 妻は人格保存をしたのか。しかも、オプションサービスで、性格矯正をしただと? 自殺因子を除去して、新しいわたしに生まれ変わって人生をやり直したい?」
「なるほど。そういうことでしたか」
「性格矯正なんて。どうしてそんなこと」
「なにか問題でも?」
「性格が変わったら、妻が妻でなくなってしまうじゃないか」
「そんなことはありませんよ。脳活動パターンに少し修正を加えるだけなはずです」
「『少し修正』が大問題なんだよ」
「考え方や性格が変わることは、生きている上で、普通に起こりうることです。それを人工的に起こしているだけなのでは?」
「納得できるか。あなたはこのことを知ってたのか?」
「人格バックアップを取ったというお話は伺いました」
「やっぱり自殺すると知ってたんだな!」
「違いますって。健康な方でも、万が一の時のために、バックアップを取られる方は多いんですよ。ご存知ありませんか?」
「金持ちの話だろ? うちにそんな余裕はないはずだが」
「そうでしょうか」
「まさかあいつ預金を使い果たしたんじゃ……」
「奥様の預金であれば、問題はないのでは?」
「いや、俺たち二人の預金は、二人の共通の財産。俺の金は妻の金、妻の金も俺の金だって、結婚する時に決めたんだ」
「そうなんですか。今時古風な考え方かもしれませんが、考えようによっては、素敵かもしれませんね」
「無理に褒めようとしてるのか? はっきり言うよ。俺が童話作家なんていう儲からないこと必至な職業にしがみついてるから、妻の収入は俺の糧だったんだ」
「なるほど。奥様の預金額はあなたにとって重要なのですね」
「あの女なら、二人の共有財産を勝手に使うこともやりかねない。自分のことしか考えてないんだから!」
「お亡くなりになった方をそのようにおっしゃるのはどうかと思いますが」
「とにかく、この企業に問い合わせてみる」
「そうなさるのがいいでしょうね。ほかにもオプションサービスを受けていないとも限りませんし」
◆11
「ここでなにか仕事があると聞いたんだが、どんな仕事なんだ?」
「この世界の管理。いろんなところを回って人々を監視して、異常があったら報告する」
「異常って例えばどんな?」
「現実に生きていた時のことを参照して、あまり現実とかけ離れたことは起こさんようにするんよ。AIにはできない仕事ということに一応なっとる」
「一応?」
「これはわしの考えじゃけど、AIは結局なんでもできるんとちゃうかな。わしらは、仕事が欲しいっていう珍しい魂じゃけ、とりあえず仕事が用意されてるだけなんかもしれん」
「別にそれでもいい。やることがありさえすれば。異常っていうのは例えば、ここが仮想世界だとほかの人が気づきそうになるとかも含まれる?」
「そんなことは起こらんよ」
「記憶消去してる人たちとそうでない人たちがいるんだよな? その人たち同士が会話して、矛盾に気づかないのか?」
「この世界が現実だと思っとるやつに、この世界は仮想世界だと言うて信じると思うか?」
「あ、そうか」
「じゃけえ、問題ないんよ」
「ということは、妻とはもう永遠にわかり合えないってことだな」
「奥さんがおるんか。一緒じゃないん?」
「実は、俺の妻は肉体ありを選んで、偽物の俺と一緒に暮らしてるんだ」
「へえ」
「やっぱり変だよな?」
「そんなやつなんぼでもおるわ」
「しかも、記憶消去してる。妻は、以前にも記憶消去してるから、もともと抵抗はなかったんだと思うけど、俺にはできなかった」
「わしも」
「でも本当にこれでよかったのかどうか」
「奥さんと話すことはできるからええんちゃう」
「できないんじゃないのか? どうやればできる?」
「あんたが偽物キャラに乗り移ればええんよ」
「そんなことができるのか?」
「やってみいや。ここではいろんなことができるんよ。ここは理想郷じゃけ。シャングリラ。桃源郷」
「それは肉体がある者にとってだけかと思ってた」
「あいつらも肉体がないのは一緒よ。シミュレートされとるかされてないかの違い」
「そうだが、かなりの違いだろう」
「あんたも肉体がうっとおしいけ、シミュレートなしを選んだんじゃろ?」
「そうだ。妻と意見が割れたんだが、俺は、もっと自由になりたかったんだ」
「わしとしちゃあ、シミュレートなしのほうがよっぽどええと思うわ。歩かんでええし。息せんでええし」
「眠らなくていいし、目の前とか、頭の後ろとかいう概念もないしな」
「風を感じたければそう思やええし、なにも感じたくなけりゃあ感じんでええし」
「そういうコントロールができるのか」
「ちいとずつ覚えんさい。楽しかろうよ。いきなり肉体から解放されて、すべての感覚に慣れるってのは、えらいこっちゃけえ」
「ここにあるのは、絵に描いたような景色だけじゃないんだな。風やにおいもあるんだな?」
「あったりまえじゃ。ここは理想郷じゃけ。楽園。ユートピア。アヴァロン。黄金郷。極楽」
「わかったわかった。何度も同じことを言うな」
◇1
「なに見てるの?」
「仮想世界の広告」
「綺麗なところだね」
「この前、以前世話になった編集者からメールが来て、退社して、仮想世界へ移り住むって聞いたから」
「でも、その広告は観光用の仮想世界だよ。移り住むってことは、また別のところだと思うよ」
「それはわかってるんだけどさ。どうしてそうするんだろうと思って。すごくお金もかかるらしいのに」
「理由は訊かなかったの?」
「仮想世界では、病気や怪我の心配がないからって言ってたけど」
「それじゃ納得できないの?」
「仮想世界へ永久移住するってことは、死ぬってことだろ? そりゃあ、病気や怪我の心配はないだろうさ」
「そうじゃないよ。精神は生き続けるから」
「俺は、科学の発展についていけてないのかもしれない」
「でも意外。あなたは空想の中に生きてるから、仮想世界にも肯定的かと思ってた」
「空想の中に生きてるってなんだよ」
「前に言ってたじゃない。俺は、楽しい日常は諦めたって。楽しい空想を書いて、子供たちに届けることだけのために生きるって決めたんだって」
「そんなこと言ったっけ?」
「わたしたちが付き合い始める前に言ってたよ」
「そんな昔のこと、覚えてないよ」
「わたしはずっと覚えてるよ。わたしの記憶は薄れないから。楽しいことも嫌なことも、全部覚えてるから」
◆12
「おう、新人。偶然だな」
「なんだその恰好は」
「可愛いじゃろ」
「あなたのアイデンティティと外見がちぐはぐすぎて、見てるこっちはすごい違和感だよ」
「それがええんよの。たまには女の子になってみるのも、気分がええよ」
「あなたが乗り移ってる間、その女の子の心はどこに行ってるんだ?」
「もともとこの子には心はないんよ。この子は人間じゃなくて、プログラムじゃけえ」
「よくわからないなあ、この世界は」
「そういうあんたも、今日はちいとちごうて見えるな。それがあんたの体なんやね」
「俺自身が持ってるイメージより、だいぶ若々しいけどな」
「あんたの奥さんが理想とするあんたってことか。でも、あんたの魂とよくおうとるよ」
「さっき、妻と会ってきた」
「おう、どうじゃった?」
「うん……よかったよ」
「うらやましいのう」
「妻はまったく気づかなかったみたいだ。プログラムの俺が本物の俺になってても」
「ちいと寂しそうだな」
「まあな」
「奥さんのことが好きなんじゃねえ」
「でも、ずっと上手くいってなかったんだ。仲のいい夫婦っていうわけではなかった」
「へえ。わしにはわからんことだな」
「あなたには家族がいないのか?」
「わしゃあ天涯孤独じゃけえ」
「寂しくないか?」
「わしにはそれがおうとるんよ」
「でも、俺と話をしてくれている」
「まあな」
「失礼なことを言うようだが、あなたが本当に存在しているかどうかを確かめるすべはあるか? 妻と会って思ったんだが、相手がプログラムなのか、本当の人格なのか、見分ける方法はあるんだろうか。あなたが、寂しい人間である俺のために用意された会話プログラムだという可能性もあるんじゃないかと思って」
「わしは本当の人格よ。わしは広島弁でしゃべっとるじゃろ? あんたの相手をするのに、わざわざ広島人の人格を用意する道理がないわ」
「ヒロシマベン? なんだそれは?」
「ああ、あんた、日本語わからんのか」
「日本語? 一切わからない。あなたは日本人なのか?」
「そう。わしとしたことが、忘れとったわ。この世界の翻訳機能は、現実の通訳器より、ばり自然じゃけえ。でも、その翻訳機能も完璧ではないようだな。広島弁っていうのは、日本の方言の一種よ。それが、わしが存在しとることの証拠になると思ったんじゃけど、あんたにはわからんのよの」
「俺には、俺の言語であなたが話してるように聞こえる」
「まあ、お互いが本当に存在しとることを証明する必要もないじゃろ。楽しくお話しできれば、わしは満足じゃけど、あんたは?」
「確かに、気にしなければいいことだよな」
◇5
「あなた、このメール読んだ?」
「うん? 読んでない。総務省からのお知らせ?」
「ロッカーアパートへの引っ越し費用を国が負担してくれるんだって」
「ああ、それなら知ってる。人口が増えすぎてるから、ロッカーアパートにみんな引っ越してほしいってことだよな?」
「そういうことみたいね」
「ロッカーアパートなんて、寝るスペースしかないぞ。友達で住んでるやついるけど」
「でも、総務大臣もロッカーアパートに住んでるってアピールしてるよね」
「人が増えすぎて、かなり切羽詰まってるんだな。確かに、この前、事故でチューブトレインがとまった時に、駅に人があふれかえって身動きが取れなかったよ」
「あの時ね。大変だったみたいね」
「君はそういう苦労とは無縁だからいいよな」
「あなたの友達は、どうしてロッカーアパートに住んでるの?」
「旅人なんだよ。短期間だけ一生懸命労働して、旅に出て、金がなくなったら帰ってくるっていうのを繰り返してる。住む場所は重要じゃないんだって」
「そういう生き方も素敵かも」
「ロッカーアパートを必要としてる人もいるわけだけど、この政策で引っ越そうっていう気にはならないよな」
「だよね。でも、ロッカーアパートに住みたい人が住むだけじゃ間に合わないんじゃない?」
「出産制限でもすればいいのに」
「倫理的に問題あるでしょ」
「宇宙開発も難しいみたいだしなあ」
「移住できる星もないみたいね」
「実はこの前、このロッカーアパートの話が出たんだよ。あなたはアンドロイドだから狭い家でも大丈夫だろって言われた」
「なにそれ?」
「ひどいよな。確かにこの体は厳しい環境にも耐えられるけど、心は普通の人間なのに」
「アンドロイドに対する偏見ってまだあるよね」
「うん。作品の評価にも影響してくるんだよ、それが。気にしないで読んでくれる人も、もちろんたくさんいるけど」
「あなたの読者は子供が中心だから、それはよかったかもね」
「そうだけど、やっぱり差別されてる感はあるな」
「嫉妬もあるんじゃない? 金銭的に、みんながみんな死を回避してアンドロイドの体になれるわけじゃないから」
「それを平気で言うか? 君のせいで、預金が底をつきかけたんだぞ。俺たちの預金が」
「なんの話?」
「君が勝手に俺のためにオーダーメイドアンドロイドを買ったうえ、自分の人格をバックアップして、性格カスタマイズまでしたって話だよ! 総額いくらだと思ってるんだ?」
「なんの話?」
「都合の悪い話を受けつけなくなるのも、性格カスタマイズのオプションサービスの一部だったか」
「なにそれ?」
「もういいよ」
「あ、そうだ。今週末、あなたが好きな映画監督の新作映画が公開されるから、一緒に観ようね」
◆13
「ちょっとお前」
「はい?」
「お前、弁護士だろ」
「どちらさまでしょうか?」
「覚えてないか? 以前会った。その、生前というか、いや、その時もすでに死んでたが、現実世界で」
「すみません。仕事上、たくさんの方と会ってきましたので、わたしはあなたのことを覚えておりません」
「ふざけんなよ。お前に丸め込まれたせいで、俺と妻は今もバラバラになってしまったんだぞ」
「なんのお話でしょう?」
「初めて会ったのは、妻の遺言状を届けに来た時。察することができたはずなのに、お前がなにもしなかったから、妻は自殺したんだ」
「ああ、思い出しました。確か、童話作家でいらっしゃいましたよね。奥様が自殺されて、その責任をわたしに押しつけてきた方ですね」
「嬉しそうに言うなよ」
「なんだか童話作家のイメージからかけ離れた印象だったので、よく覚えています」
「忘れてただろ」
「超少子化時代に珍しいご職業を選ぶ方だなあと思いました。あなたはどうして童話作家になられたんですか?」
「関係ないだろ」
「顔がなくても、ここでは誰かわかるものなんですね。なんとなくその人の本質が見えるって感じですね」
「お前は喜んでいるようだが、俺はずっとお前を恨んでたんだ」
「わかりませんね。奥様が自殺されたことはお気の毒だと思いますが、そのあとも、あなたと奥様はご一緒に暮らしていたではないですか」
「まあそうだが……いや、本当に一緒にいられたわけじゃないんだ」
「どういう意味でしょう?」
「本当の妻ではなくなってしまったからだ。性格をカスタイマイズしたから」
「それでも、奥様は奥様ですよ」
「今こうなったのも、お前が、仮想世界での生活は素晴らしいと妻に吹き込んだからだろ」
「奥様に仮想世界のことを質問されたので、わたしが集めたデータをもとにお答えしただけです」
「その結果、妻は仮の肉体を持って偽物の俺と暮らしてるんだぞ」
「それがなにか問題でも?」
「それが夫婦の幸せだと思うか?」
「あなたも肉体を持てばよかったではありませんか」
「お前も肉体を持ってないんだからわかるだろ」
「ここに来ないことを選ぶこともできたはずです」
「死ねばよかったっていうのか?」
「正直、わたしはそう思い始めています。ここって景色はいいですけど、退屈なんですよねえ」
「のんきなことだな。お前なんか消してやる」
◇6
「ねえ、あなたが前に選挙を手伝った政治家がいたじゃない。お義母さんの同級生だっていう」
「それがどうかした?」
「その人が総裁になったらしいの」
「へえ」
「それで、ある法律を成立させようとしてるんだって。『生者死者すみ分け法』っていうの」
「『生者死者すみ分け法』?」
「死亡基準に当てはまる人は全員、完全に仮想世界へ移住してもらおうっていう法律。あなたの存在を否定してるんだよ!」
「そう興奮するなよ。アンドロイド型人間はいなくなるってことか?」
「もしその法律が通ればね」
「反発は大きそうだな。それだけ人口増加が深刻になってきたってことか」
「なんでそんなに冷静なの?」
「俺は別にそれでもいいと思うよ」
「ええ!? 本当に?」
「人が死なないことで、人口増加以外にも、いろいろな問題が出てきてるらしいし。特殊な職業の人たちの新人教育がおろそかになるとか、人間関係の問題も増えて、相手が不死身になる前に殺そうっていう殺人事件も増えてるみたいだし――」
「でも、死亡基準っていうのがそもそも納得できないよ。死んだって勝手に決めつけられてる気がして。死後人格が持つ限定的人権っていうのも納得できないのに」
「俺たちはもう明らかに死んでるわけだからさ、やっぱり、この世界を生きてる人たちに譲る時が来るのかもしれないよ」
「俺たち?」
「君も死んでる」
「はあ? なに言ってるの? 死んでるのはあなただけでしょ」
「それは君の希望で、君の記憶を操作して、そう思い込んだだけだ。それも君が勝手に契約したオプションサービスのひとつ」
「そんなわけないじゃない」
「ずっとこの話題は避けてきたけど、そうもいかなくなったみたいだね。ごめん。俺のせいなんだ。俺のせいで君は自殺した」
「わたしが自殺なんてするわけないでしょ! わたしは生きてる。ちゃんと見てよ。ほら、生身の体!」
「その体は仮想だよ。俺はアンドロイド型人間。君はタブレット型人間だ」
◆14
「この世界の異常を発見したぞ!」
「おう、やっと仕事する気になったんか」
「この世界は理想郷ではない!」
「どういうこと?」
「気にくわない人間と再会した。いや、気にくわないどころじゃない。憎い人間だ」
「ほんまか。それはほんまにこの世界のバグかもしれん!」
「報告するか?」
「そうしよう。そいつに二度と出会わんようにしてもらわんと」
「そういえば、報告ってどこにするんだ?」
「この世界を管理しとるAIよ。強く念じれば届くけえ、あんたが報告しんさい」
「その前に、そいつを一発殴ってやりたい」
「あんたは人を殴るようなタイプには見えんけど」
「妻と離れる原因になったやつなんだ」
「怒っとんのはわかるけど、わしらには殴る腕も殴られる顔もないんよ。それに、あんたは自分の不甲斐なさをそいつに責任転嫁――」
「ちょっと一回りしてそいつを連れてくる! いた! なにのんきに泳いでるんだよ」
「あ、どうもこんにちは、童話作家の先生。とても暇なので、深海に潜ってました。海の中もきちんとシミュレートされてるんですねえ」
「まったくなにもシミュレートされてないだろうがよ! 真っ暗でなにもないし」
「おいおい、こんな世界の果てまで来てなにしよん」
「先輩、また世界の異常を見つけたぞ。シミュレートが行き届いていない」
「極楽リゾートが広がっとんのに、深海まで行く物好きはそうそうおらんけえ」
「物好きとはわたしのことでしょうか?」
「こいつが世界のバグだ。理想郷に混じった不愉快な成分だ!」
「ちょっと待ってください。なんだか、あなたに覚えがあります。どこかでお会いしましたか?」
「わしには覚えがないけども」
「こいつは記憶力に問題があるからな。信じないほうがいいぞ」
「あ、思い出しました! オカジマさんですよね!? 仮想世界についての資料集めをしている時に、あなたの講義映像を見ました」
「ああ、そうですか。それでよくわかったのう。会ったことがないのに」
「なんか、雰囲気でわかりました。何度もいろいろな映像を見たので」
「ひとの本質を見抜くのが上手いんやね」
「どういうことだよ? お前が先輩のことを知ってるって?」
「先生、オカジマさんとお知り合いだなんて、すごいですね」
「なにが」
「この人が、この仮想世界をつくったんですよ」
◇2
「今日はボディーガード役、よろしくね」
「母さん、俺はボディーガードっていう柄じゃないの、わかってるだろ」
「でも見た目はちゃんとそれっぽいよ」
「母さんの頼みだから来たけど、俺、政治のこととか全然わからないし」
「母さんだって似たり寄ったりだよ。同級生が選挙に出るっていうから、応援してるだけ。無料でお弁当が食べられるし」
「科学の力で世界を変える、だっけ? もっと研究者にお金を回すようにするっていう公約なんだよね」
「素晴らしいじゃない」
「よくわかんないけど」
「終わったあとは、食事に誘われてるの。あなたも一緒にぜひどうぞって。彼女を支持してるいろいろな人たちが来るんだよ。彼女の友達でね、外国の研究者もいるんだよ。誰だっけ。そうそう、日本人で、仮想現実研究の権威っていう人も来るんだって。確か、オカジマって名前だったかな」
「うーん。興味深いけど、あんまり気乗りしないから、パスしていい?」
「どうして?」
「正直、あまり体調がよくないんだ」
「あら、大丈夫?」
「ちょっとめまいがするだけ」
「あんまりひどくなったら言いなさいよ。今日たまたま具合悪いの?」
「実は、何日か前から」
「病院行ったほうがいいんじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。そんなにたいしたことはないから」
「奥さんには言ってるの?」
「いや。あいつ、心配性だから。あなたがいないと生きていけないとかいつも言ってくるし」
「あらまあ、のろけちゃって」
「違うんだよ。昔はよかったけど、最近重いなあって思い始めてて」
「そうなの? そういえば、奥さんの病気は大丈夫なの?」
「持病で、長年付き合ってるものだから大丈夫だよ」
「精神の病気でも、そういうものなの? まあ、大丈夫なら、いいんだけど」
◆15
「いやあ、お会いできて光栄です、オカジマさん」
「いえいえ。どうぞよろしく」
「先生、わたしのことを信じないほうがいいとおっしゃいましたけどね、本当に信じないほうがいいのはこの方のほうですよ。この世界の設計にかかわった方なのだから、いろいろな権限を持っているはずです。わたしたちなんか、いいように操られてしまう可能性がありますよ」
「わし本人を前にさらっと言うてくれるなあ。面白い人だな」
「あなたがこの世界の設計者? 道理でいろいろなことを知っているわけだ」
「どうしてオカジマさんと先生はお知り合いになったんですか?」
「この人のほうから話しかけてきたんだ」
「どうしてこんな人に話しかけたんですか?」
「こんな人とはなんだ!」
「なんだか所在なげにしとったけえ、話しかけただけよ」
「先生にとっては、ものすごい偶然ですね。この世界の設計者が話しかけてくるなんて」
「確かにそうだな。お前の言うことになんか同意したくはないが」
「この世界にオカジマさんが何人いるか、わかったものじゃないですよ。当然、人格コピーには料金がかかりますから、一人の人が大勢存在しているとは考えにくいはずですが、設計者であれば例外です」
「オカジマが何人もいる? どういうことだ?」
「ご存知ありませんか? 自分を分裂させることができるオプションサービスがあるんですよ」
「またオプションサービスか」
「海辺のリゾートで独身生活を満喫しつつ、山小屋で配偶者と自給自足生活をすることもできるわけです」
「この世界では、同一人物が一人だという常識は通用しないということか?」
「ええ。同時に何人もの人と話すこともできます」
「この人は俺と特別に友人になってくれたわけではなく、ただランダムにいろいろな人格と接触する活動の一環でしかなかったという可能性もあるわけか」
「おいおい、わしを冷血漢みたいに言わんどいてえや。仮にわしがたくさんおったとしても、記憶は共有されんから、このわしはわし一人よ」
「それも本当かどうかわかりませんよ。この人はこの世界の王なんですから」
「そんなことありゃあせん。いろんな人と相談して、協力してつくった世界じゃけえ」
「なにも特権は持っていないっていうのか?」
「それは白状するよ。特権は持っとる。でも、ほんまにささやかなもんよ」
「どんな特権だ?」
「視野が広いっちゅうかな。一応、責任があるけえ。わしがこの世界のいろいろな物事を把握できるようになっとる」
「どういうことだ?」
「例えばだな、あんたの奥さん、妊娠しとるよ」
◇9
「もしもし母さん?」
「決めたの?」
「それぞれ別のプランに申し込むことは決めた。妻は肉体シミュレートありで、俺はなし」
「よく決まったね。話し合いが難航してるって話だったから」
「結構な喧嘩になったけど、なんとかね」
「これからの一生を決める大事なことなんだから、本当に自分が望むものを選ばなきゃだめだよ。奥さんに合わせるって言いださなくてよかった」
「そうだよね」
「あとね、調べたんだけど、知ってる? 精神分析をして、無意識下にある本当の望みに合わせたブランを自動設計してくれるサービスもあるみたいよ」
「ああ、妻もそのサービスのことは言ってたけど、それは高いから、払えないよ。最高級ランクだろ」
「母さんが出してあげるよ」
「いいよ。俺たちの問題だから」
「大きすぎる問題だよ。お前に後悔してほしくないの」
「珍しいね。貯金が趣味で、俺に貸してくれたことなんてないのに。しかも、今回は返せないんだよ?」
「今回は特別だよ。総裁になったわたしのお友達いるでしょ。彼女と話していてわかったの。科学はすべての人を幸せにしてくれる。そのためには、お金を惜しんでちゃいけないんだって」
◆16
「先生、おめでとうございます。お子さんがお生まれになったようですね」
「うわ、お前、まだいたのか!」
「お久しぶりです。まだいたのかとは、どういう意味でしょう?」
「この世界にって意味だよ。お前はこの世界のバグだろ?」
「どうしてそんなことになるんです?」
「俺を不快にする存在だからだ。お前が」
「ご不快な思いをされているとは、お気の毒です。しかし、わたしはバグではなく、一人の人間です」
「なんで子供のこと知ってるんだよ」
「たまたま先生の奥様のご自宅をのぞいたんです。可愛らしい赤ちゃんですね」
「のぞき魔! 変態! ストーカー! 俺の妻の家をのぞくな!」
「ひどいですね。知り合いじゃないですか」
「姿形がなくても、お前がいるっていうだけで吐き気がする」
「胃ものどもないのにですか?」
「うるさい、消えろ消えろ!! ……あれ? 本当に消えた」
「これでここが理想郷だということが理解できたかな?」
「うわ、今度はオカジマ」
「久しぶり。子供が生まれたらしいの。おめでとう」
「その話題はやめてくれ」
「なんで?」
「仮想の子供なんて気味悪い。俺の子供じゃなくて、偽物の俺との子供だし」
「奥さんは幸せそうやんけ。現実では子供はおらんかったんじゃろ? ほんまはほしかったんやね」
「なんでも知ってるんだな。この世界を監視する仕事をしろなんて、とんだ茶番だったな。あなたが全部できるのに」
「それは違う。わしとは別の視点が必要なんじゃ。仕事に復帰する気はないんかい?」
「あなたのことはもう信じない」
「その点は、嫌っとったあの人の言うたことを信じるんか?」
「まあな。でもあいつが消えて清々した」
「消えたわけじゃのうて、あんたとの関係が絶たれただけやけどな」
「俺の前からいなくなってくれればそれでいい」
「やっぱりここは理想郷じゃろ? 嫌いなやつはいなくなり、できなかったはずの子供も生まれる。好きな時に夫婦になれて、好きな時に他人になれる」
「この世界に本物の子供はいないんだろ?」
「さあな。わしのことは信じまあが」
「俺は、性格と記憶をいじりまくった妻と偽物の子供を持った、本物の子供がいない世界の童話作家だ。どうしてここが理想郷だと思える?」
◇7
「なんだこの大量のデータは」
「仮想世界についてのやつ。国から送られてきたのと、わたしが弁護士の先生にメールを送って仮想世界のことを相談したら、送ってくれたのが混じってる」
「仮想世界のことを相談って?」
「なにとぼけてるの? 『生者死者すみ分け法』が成立したからだよ。低料金で仮想世界へ行けるなら、悪いことでもなかったかもね」
「君と俺が、仮想世界へ移住するってことか?」
「そうだよ。ほかになんかある?」
「君、自分が死者だということを認めたのか!?」
「ええ。不本意ながらね。人格コピーとかをやってる会社に問い合わせて、わたしが契約したプランを確認したから」
「なるほど。それはよかった」
「プランを確認するのにも料金がかかるのね。あなたの口座から使わせてもらったよ」
「え!? 勝手に使うなって何度も言ってるだろ!」
「いいじゃない。あなたは稼いでるんだから。死んでからも、本の売り上げは好調だし」
「全然好調じゃないから。いくら児童文学部門で一位になったって、市場が小さすぎるんだよ」
「とにかく、わたしたちの将来について考えないと」
「君はもうすでに仮想世界の住人なんだよ。いまさらなにを考えるんだ?」
「仮想世界にもいろいろ種類があって、今わたしがいるところは、現実とそっくりな場所。でも、二人で仮想世界へ移るなら、もっと景色のいい、素晴らしいところへ行けるんだよ。ロケーションとか、どんな家に住むかとかを選ばないと」
「君は新しい壁紙とかカーテンとか、もうすでにいろいろ買ってるよな。このタブレットの中の仮想の部屋を飾るために、俺が必死に稼いだ金を何度も勝手に使って!」
「何度もじゃないし」
「俺の金を返せ」
「金金ってうるさいわね! 守銭奴だよね。お義母さんとそっくり」
「母さんの悪口を言うな!」
「あなたは全然お金使わないんだから、ちょっとくらいわたしが使ってもいいでしょ」
「もうすでにちょっとじゃないから」
「ヒモだったくせに、偉そうなこと言えんの?」
「ヒモじゃない。仕事はしてたし、してる。君が俺という貧しい男と結婚することを選んだんだ」
「ああそう。あなたは結婚したくなかったってこと?」
「そんなことは言ってない。君はいつもそうやって俺を責めるんだ」
「そうするように仕向けてるのはあなたでしょ? わたしは将来のことを話し合おうとしてるのに」
「君はまったく反省しようともせず、新居の相談をしようっていうのか。今度はどんなオプションサービスに申し込みたいと言いだすのか楽しみだな!」
◆17
「なに見とん?」
「うわ、オカジマ。久しぶりだな」
「息子さんの本棚か。大人になったのに、あんたがこっそり本棚に入れといた本をまだ持っとるんやね」
「なんで俺はあんなことをしたのか。自分でもよくわからない」
「息子さんに自分の書いた話を読んでほしかったんじゃろ?」
「息子じゃない。ただのプログラムだ」
「頭の中で書いたん?」
「ああ。ここではなんでも願いが叶うというから、試してみたんだ」
「なるほど」
「嬉しそうにしてるな。俺がここは理想郷だと納得したと思ってるかもしれないが、それは違うぞ」
「違うん?」
「そもそも、ここが理想郷としてつくられているということを知らされた時点で、ここは理想郷じゃなくなったんだ。もし、本当に息子が、俺が書いた本を何度も読み返して大切にしてくれたら、俺は喜んだだろうけど、俺は、息子が人間ではないということを知っているし、偽の息子が俺の喜ぶ行動をするようにこの世界がプログラムされているということも知ってしまっている」
「それはどうしてだと思う?」
「それがわからないんだ。ずっと考えているんだけど」
「教えてやろうか」
「なんだ?」
「それは、あんたが、なんでも知っとることを望んだからよ」
「俺が望んだ?」
「正確には、知りたいことを知ることを望んだ、かな。わしは、あんたが申し込んだオプションサービスに基づいて、あんたにいろいろ教えるために、あんたに話しかけたんよ」
「そんなオプションサービスには申し込んでない」
「よく思い出してみいや」
「もし申し込んだとしたら、それは最悪な選択だったな」
「もしよかったら、今からでもそのオプションサービスを外してあげてもええよ。わしの特権を使って」
「どうしてそんなことをしてくれるんだ? 俺なんかのために」
「あんたはええ人じゃけえの。わしは、心のある本物の人格だと言うたじゃろ」
「仮想世界の設計者ってことは、オプションサービスを考えたのもあなたなんだろ」
「全部わしが考えたわけじゃないよ」
「本当に必要なものだったのか? オプションサービスって、一体何種類あるんだよ!?」
「それはわしにもわからん。できるだけ多様なサービスを提供するようにとは指示したけど」
「あなたはひどい人だ。オプションサービスがつくり出したのは、理想郷じゃなくて、悪夢じゃないか」
「わしも、すべてが成功したとは思ってない。でも、みんなの願いが叶うようにって、みんなが幸せになれるようにって、それだけを考えよったんじゃ」
「そうか……その気持ちは信じてもいい」
「わしを許してくれるかい?」
「……プラン変更、することはできるかな?」
「同じ価格帯のものならな」
◇8
「ちゃんとこの資料読んだ?」
「読んだよ」
「嘘。わかるんだよ。オプションサービスがこんなにたくさんあるんだよ。ちゃんと全部読んで」
「とにかく、俺は仮想世界へ行くことには同意した。でも、記憶とか性格とか、自分をいじることは絶対にしたくない。永遠に老いない体で、そのことに気づかないでいるなんて、絶対に嫌だよ」
「あのね、今は理想論を語ってる時じゃないの。なにが自分の幸せなのかを本気で考えないと」
「それはこっちのセリフだ。君は自分がなにをしようとしてるのか、本当にわかってるのか?」
「わかってるよ」
「君が望んでるのは、永遠に続くおままごとなんだな」
「おままごとじゃない。本当の幸せだよ」
「記憶を消して、機械に騙してもらうのが幸せだっていうのか?」
「わたしなりに、幸せについて本気で考えたんだよ。わたしは死にたくないけど、自分が死なないと知っていることは絶対にわたしを幸せにしてくれないから、こうするしかないの」
「俺は仮想世界へ行っても、そこが仮想世界だっていうことを忘れたくない」
「それが本当に自分にとっていいことなのか、ちゃんと考えた? あなたは、仮想世界で、肉体のない幽霊として永遠に漂い続けるつもりなの? わたしと一緒にいてくれないの?」
「君は勝手に幸せになればいいよ。俺は俺のしたいようにさせてもらう。これだけはどうしても譲れない」
「……わかった。今までありがとう」
「ごめん、希望に沿えなくて」
「謝らないでよ。わたしたちは、一緒にいられない運命だったってことだよ」
「本当は俺だって一緒にいたいよ」
「わたし、自分が死んだ時のことは覚えてないけど、あなたが余命宣告を受けた時のことは覚えてる。多分、自殺した時より、あなたが死ぬって聞いた時のほうがつらかったと思う」
「そうか」
「あなたが生きていてくれれば、それでいい。わたしの幸せははっきりしてるけど、あなたの幸せはぼんやりしてるんだね。かわいそうな人」
「そんなことないよ。誤解してほしくないんだけど……俺はずっと君のことを愛してる」
「愛してた、じゃないの?」
「違う。今だって」
「じゃあ、どうしてわたしに体を与えてくれなかったの? わたしはあなた用に、オーダーメイドのアンドロイドを買ったのに」
「高くて買えな――」
「嘘」
「ごめん。君と向き合うのがこわかったんだ」
「それをもっと前に認めてくれればよかったのに」
「ごめん」
「わたしのことを愛してるんだったら、この資料を全部読んで」
「はあ……この量、過剰サービスだろ」
「まあ、確かにね」
「オプションサービス多すぎ」
「これが、みんなの願いの量なんだよ。それが全部叶う時代になったってことじゃない?」
◆18
「じゃじゃーん。久しぶり」
「誰だ、あなたは」
「オカジマだよ。今、記憶を戻してやる」
「あ」
「思い出したじゃろ?」
「思い出したよ。全部」
「ほんま、めんどくさいこと頼みよって。奥さんと暮らしたいと言うた時は、あんたも普通の人じゃと思ったけど、死ぬ間際に真実を思い出したいって、面倒な人じゃなあ」
「悪かった」
「ええよ。ショックじゃないん? あんたが一緒に暮らしていた奥さんは、本物やないんよ」
「ちゃんと思い出したよ。妻と一緒に、老いて死にたいという俺の望みは、妻の望みと合わなかったから、本当の妻とは一緒にいられなかったんだな」
「冷静なんやね」
「別にもうどうでもいいよ。今までの幸せが消えるわけじゃないし」
「あんたも、年取って変わったんかな。正直、取り乱すんじゃないかと心配だったんよ」
「ありがとう、オカジマ」
「なにが?」
「俺に幸せな人生を与えてくれて」
「なに言うとん。ほんま、変わったなあ」
「確かに、幸せが俺を変えたかもしれない」
「あんたが満足してくれたみたいで、よかったわ」
「あなたは、永遠に生き続けるのか?」
「永遠にかどうかはわからんけど、自分からは死なんよ。この世界がある限りは、生き続ける」
「大変じゃないか?」
「わしは、この世界に対して責任があるけえ」
「そうか。できれば、妻のことをよろしく頼む」
「心配せんでええよ」
「もう二度と会わないけど、頑張れ」
「ありがとう。ゆっくりおやすみ」
「死ねるっていうオプションサービスは、オプションサービスの中でも最高だと思うよ」
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