はじめましてSci-Fiさん、エイリアンより

印刷

梗 概

はじめましてSci-Fiさん、エイリアンより

高校生のヒュウゴは大のSF好きの、SF研究会の男の子。ある日、転校生としてやってきた恵理好(エリス)という女の子に、超能力で殺されそうになる。エリスは別の惑星からやってきており、地球の文化を学びに来た宇宙人(スパイ)だというのだ。ヒュウゴが休み時間中に、やたらと惑星やら国家やらについて話しており(もちろんSFの話)、同じ宇宙人のスパイだと疑われたらしい。
 ヒュウゴはエリスをSF研究会に案内する。何冊かの本を読んだ彼女は愕然とした。地球滅亡ものや時代改変もの、海底ものや宇宙ものが登場するのが信じられないというのだ。これらの書物は「SF」と呼ばれるものらしいが、エリスの惑星ではSFは禁書とされていた。厳密には、エリスの惑星の文明は地球より進んでいたものの、惑星間戦争が長く続き、文化は大きく後退していた。SFの存在は一部の特権階級には認知されていても、「国民に非科学的な幻想を抱かせる禁書」とされていた。
 
「こんな空想に惑わされてはいけない! 連合国側の煽動だ、ニセ科学だ!
 こんな書物があってなぜ地球は滅亡しないのだ……!?」
 
 クラーク、アシモフ、ハインライン、ディック、イーガン……つぎつぎとSFの名作を読んでいくエリス。(とくにスペースオペラ、歴史改変、ディストピアものに執心)。読むたびに母国を思いだし、発狂したり泣いたり超能力で本を燃やそうとするものの、ヒュウゴや部員たちに止められる。SF研究会の他の部員、ヒュウゴのことが好きで彼女に嫉妬するマナ(恋愛SF、タイムトラベルSF好き)、彼女のことが生物学的に気になるリク(バイオSF好き)とともに、エリスは徐々にSFを認めはじめる。
 
 そんななか、SF研究会の部活指導として、教育実習生の男がやってくる。それはエリスと同じ惑星から来た、彼女を見張る上官スパイだった。エリスはそれに気づき、SF部員たちに真相を語る。今回の彼女の任務は、母星で長く続く戦争を有利にするため、地球への侵攻も視野に入れた偵察だった。地球が侵攻しやすい惑星と判明すれば、母星に報告されてしまい、地球侵攻が始まる。エリスはSF部員たちにひと芝居うつように頼む。つまり地球は侵攻に対する備えがあり、文明としても成熟した惑星であるように見せるのだ。部員たちはSFの知識を総動員して、エリスを普通の女子高生として扱い、エイリアンであると気づいてないふりをしながらも、スパイに向かって芝居をうつ。
 スパイはだまされたかそうでないのか、エリスに帰還命令を出して惑星に戻り、続いてエリスも惑星に帰ろうとする。地球侵攻が始まるかどうかはまだわからない。エリスはSFの存在を母国に持ち帰ろうとするが、おそらく自分は軍法会議にかけられ、処罰されるだろうと推測する。どちらにしても、自分はSFを知って後悔はないと言うエリス。彼女が母星に戻って数年、地球はまだ侵攻されていない。

文字数:1197

内容に関するアピール

作品で伝えたいことは、①SFのジャンルの広さと、②SFがもしなかったらどうなるか、です。① については、自分がSFを意識したのはごく最近のことで、それまでSFを読んでいてもそれをSFだと思っていなかったことがありました。(恋愛小説やミステリーと違って幅がありすぎるので……)。すこし納得したのは、SFのサブジャンルの一覧を見たときで、「これのどれかに当てはまってたらSFなのかな」という単純な納得でした。もちろんそう単純ではないですが、「こういうサブジャンルはSFなんだ」という意識と、「SFってこんな広いんだ」というのが書ければいいと思います。
 ②については、一般の多くの人が、エイリアンや未来のアンドロイドの姿を描けと言われたとき、幼少期に見たSF映画のそれを描いてしまうという話もあります。SF作品がなかったら、そういう未来の想像もできないのかな、ということと、現実世界と少しずれた世界を読んでおくのは、わりと生活に役に立つのかも、という感動です。
 SFって何?と聞かれたときに、これを読んだらいいで、と返せる作品になればいいかなと思います。 

 参考作品:新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー』。アニメ『学園戦記ムリョウ』。

文字数:515

印刷

はじめましてSci-Fiさん、エイリアンより

目次 
1.ファースト・コンタクト
2.スペースオペラ
3.タイムトラベル
4.ディストピア

1.ファースト・コンタクト 

「ヒュウゴくん、今日の放課後、空いてる?」
 ヒュウゴは名前を呼ばれて目を白黒させた。音楽室から自分の教室に戻る途中、廊下で女子生徒に声をかけられたのだ。
 振り返ると、女子生徒がひらひらと手を振っていた。彼女は、3か月前に転校してきたばかりの転校生、名を絵理好(エリス)と言った。すらりと長い黒髪と、大人っぽい容姿、ものしずかな性格で、普段はほかの男子生徒でも話しかけにくい雰囲気を漂わせている。なのに、今この時は、クラスの中でも特に目立っていないヒュウゴに話しかけてきたのである。
「え、あ、うん」
「じゃ、旧校舎の美術室って、空いてたよね。そこで話そうか。さっきの休み時間にきみが話してたこと、興味あるんだ」
 ヒュウゴは視線を宙に漂わせた。
「う、うん。じゃ、授業が終わったらすぐ行くよ」
 ヒュウゴがようやく答えると、エリスは微笑んで手を振り、ヒュウゴの先を歩いて教室に入っていった。何人かのクラスメイトが珍しそうにこちらを見ている。ヒュウゴは教科書と文庫数冊を抱えた手を震わせ、廊下の壁にもたれかかった。
 後ろから追いついてきた、眼鏡をかけた男子生徒が声をかける。
「ヒュウゴ、どうしてスライムのようにふやけてるんです」
 ヒュウゴは力なく首を振った。
「いや、なんか……異星人とファーストコンタクトが起きて」
「それならふやけもしますね。これから異星人と交渉ですか。それともすぐに戦争?」
「今日の放課後に密会だって。そこで僕がエイリアンに脳を乗っとられても、カジー、僕を見捨てないで」
「異星人検知器の用意をしておきます。君がエイリアンに乗っ取られたら、迷わず消火器をぶっ刺します」
 友人のカジオに促され、ヒュウゴはようやく廊下の壁から体を起こした。おぼつかない足取りで教室に向かう途中、ヒュウゴは先ほどの彼女の言葉を思い出す。
(さっきあの子、『休み時間に話してたことに興味ある』って言ってたかな……)
 隣を歩くおかっぱ頭の眼鏡少年、カジオを見やる。
「カジ―、僕、授業前の休み時間、なに話してたっけ?」
「銀河帝国の話でしょう? 君がその設定を妄想してたら寝不足になって、小テストの成績がさんざんだったと」
「その話、興味が出るようなところある?」
「さあ。君にとっては興味しかないでしょう。つまり君と同じSFオタクなら、興味が出るんじゃないですか?」
 ヒュウゴはうなずいた。そうか、彼女は自分に興味を持ったんじゃなくて、自分の話していたことに興味を持ったんだった。少しだけ残念に思ったが、すぐにヒュウゴは考え直した。

 ヒュウゴはSFマニアだが、恋愛にうといわけではなかった。謎めいた美人の転校生に呼ばれたら、色々と期待するくらいには男の子だった。恋愛どうこうもあったが、同じ話ができるのは最高である。
 放課後、緊張しながら旧校舎の美術室の扉を開くと、学習机の上に彼女が座っていた。すらっと長い髪が背中に流れている。絵になる、とヒュウゴは思った。夕日が木造の古い教室を照らす。床はきしみ、並べられた机と椅子は傷み、そこかしこに生徒が置いていった彫刻刀や絵の具のチューブが転がっている。
 エリスは振り向いて手招きをする。
「ヒュウゴくん、宇宙に興味があるんだってね」
「あ、うん。スター・ウォーズとかスタートレックとか。ひょっとして君も?」
 エリスはあいまいにうなずいた。ヒュウゴは心の中で飛び上がり、嬉しさを表情に出ないようにするのが難しかった。
「宇宙人とかについても知ってる?」
「まあね、だてにSF研究会の部長やってないよ。子どもの頃から宇宙人と戦ってきたし、いろんな生物の宇宙人見てきたし」
「じゃあ、地球に対してはどう思う?」
「僕から言わせたら、宇宙人に対する侵攻の備えがまだまだかな。宇宙人にスパイに来られたらどうするつもりなんだろう? スパイがすぐそこまで来てるかもしれないのにーー」
 ふと、首筋に冷たい感触があった。慌ててヒュウゴが手で払おうとすると、指がちくりと痛んだ。
「動くな」
 ヒュウゴの首元にあるのは、床に転がっていた彫刻刀だった。
 ヒュウゴは一瞬状況が把握できず、ぐっと彫刻刀を握った。
「動くなと言っている」
 その瞬間、壁際のロッカーの上から、1本の彫刻刀がふわふわと浮かんで、ヒュウゴの目の前に飛んできた。
 鋭い刃先をヒュウゴの瞳に向けて。
 ヒュウゴは目を白黒させながら、転校生の表情を見た。さっきまでの柔らかな表情とは違い、その顔からは笑みが消えている。
 エリスは立ち上がって、手を空中に伸ばす。ヒュウゴの首元の彫刻刀が震え、刃が肉を刺す。
「どこの惑星から来たスパイだ? エメット星か? デッカード星か?」
「えっ、えっ」
「言わぬと死ぬまでだぞ。事故に見せかける方法はいくらでもある」
 変わったエリスの口調に、ヒュウゴは彼女が何かに取り憑かれたのではないかと思った。つまりこの彫刻刀もポルターガイストで、なにか霊的なものが作用としているのではないかと。
 しかしどう考えても、目の前の彫刻刀は彼女が操っている。どちらにせよ、この喉元の痛みが本物であることは間違いなさそうだった。
 ヒュウゴは慎重につぶやいた。喉が動いて刃がちくちくと喉を刺す。
「きみ、もしかして……」
「私のことに気づいていなかったのか? どこのスパイだ」
「きみ、もしかして、宇宙人なの?」
 エリスはわずかに目を見開いた。口の端を上げる。ヒュウゴは場違いに、かわいい、と思った。
「なかなか笑えるジョークだな。宇宙人に宇宙人呼ばわりされるとは」
「本当に!? すごい。生きてる間にこんな体験があるなんて。僕もう死んでもいいかも」
 ヒュウゴは興奮してまくしたてた。両手をあげたまま、彫刻刀を首筋に突きつけられながら、目をキラキラさせている少年。エリスは渋い顔をした。
「死ぬ前に、お前がどこの星の生まれかを言え。連盟側か、連邦側か」
「すげえ。どこの星の生まれかって、一度聞かれたかったんだ。もう最高」
「いい加減にしないと殺すぞ!」
「待って待って。殺すなら超能力で殺して。普通の彫刻刀で死ぬなんてやだ」
 ヒュウゴは目を閉じた。死ぬならもっと複雑な感じで死にたい。脳に信号を送られて発狂して死ぬか、操られて窓から飛び降りて死ぬか、いっそのこと体内に卵を植えつけられて死ぬでもいい。いややっぱりそれは嫌だ。
「うるさい。情報を吐けば死なずにすむ。まずお前が何星人か言え」
「ぼ、僕は地球人です。ああ悲しい。地球生まれなんて本当につまんない」
「嘘をつけ。さっきおまえは、地球の侵攻がどうかと言ってただろう。休み時間中もペラペラとほかの惑星のことを話していたはずだ。地球はまだそこまで文明が発達していない。つまりおまえは別の惑星のスパイだ。そうだろう」
 ヒュウゴはこれまでの自分の言動を思い出した。ようやく、彼女が何を勘違いしているか、自分が何と間違われているかを理解した。しかしそれは全てSFのちからである。SF最高。いままで見捨てなくてよかった。SFの神様ありがとう!
 思わずSFへの感謝を話そうとしたが、エリスの顔がものすごくイラついていたと、首筋にあてがわれている彫刻刀が震えだして首筋がズキズキ痛みはじめたので、(たぶん少し血が出てる)、正直に告白した。
「あれは小説の話だって。SFの」
 エリスはしかめっ面をさらにしかめて言った。
「SF? なんだそれは」
 
 
 旧校舎の上の階、古くてせまい部室には先客がいた。隅の席で本に視線を落としている男子生徒である。部室には本がぎっしりと並べられた本棚、古い水道、ごちゃごちゃと書かれた黒板がある。
「やっと来ましたかヒュウゴ」
 カジオは顔を上げてヒュウゴを見、続いて後ろからついてきたエリスを見やる。
「あ、ええと、部活見学希望だって。知ってるでしょ、転校生のエリスさん」
「それはそれは珍しい。カジオです」
 カジオは席についたまま会釈をし、また読書に戻った。カジオはあまり人付き合いに興味がないタイプだった。これは『部の説明はまかせましたよ』というメッセージであり、長い付き合いのヒュウゴはそれをわかっている。
 ヒュウゴはエリスを、壁際の本棚に案内した。本棚にはびっしりと本が並べられている。SF研究会の部費は微々たるもので、これらの書籍のほとんどが部員の私物である。手狭になってきたのでカンパで新しい本棚も買おうかと検討中だった。本棚の3分の1はヒュウゴの私物である。
「これが全部SF」
 エリスは無言のまま本の陳列を凝視する。それから本を読みふけっているカジオのほうを見やった。
「あ、大丈夫。カジーは読書に没頭してたら何も聞いてないから」
「ここはどういう場所だ?」
「SF研究会の部室。SFはサイエンスフィクションの略。エリスの星では、こういうのないの?」
 ヒュウゴは本棚から『2001年宇宙の旅』を手に取り、エリスに手渡す。エリスは手に持ったまま表紙をにらみ、反対の手でこめかみのあたりをつっつく。
 エリスは、本の表紙を凝視している。ヒュウゴは苦笑した。
「そんなに変? 表紙」
「私はこのまま中を見ることができる。アナログの文字を読むよりは早い」
 エリスの目が青く光る。ヒュウゴはぽかんと口を開けた。
 彼女はセンサーで本の中の情報を読み取っている。もしかすると、彼女の脳には機械が埋め込まれているのかもしれない。目が監視カメラのようにぐいぐいと動く。
 
 突然、木造の床が揺れた。
 ヒュウゴは一瞬、なにが起こったのかわからなかったが、すぐにエリスが尻もちをついただけだとわかった。彼女が手に持っていた本は、部屋の隅にふっとばされていた。
「ど、どうしたの?」
 エリスは床を這い、よろよろと立ち上がって部屋の隅にある汚れた水道に飛びつく。
 そして激しく咳き込んだ。
 一瞬、古い本に虫でも挟まっていたのかと思ったが、エリスの様子はそうでもなかった。
 エリスは蛇口を握ったまま肩で息をし、歯を食いしばった。
「……これは、どこの惑星のことなんだ?」
「え? どこっていうか、空想のお話だから……」
「空想?」
 エリスはヒュウゴをにらむ。
「そう、空想。この本棚のなか、ほとんどがフィクションだよ」
 そんなまさか、という表情で、エリスは本棚を見やる。
「もしかして、彼女は初めてSFを読んだのでは?」
 突然、横から少年の声が聞こえてきた。読書にふけっていたカジオが眼鏡を上げている。
「聞いてたの?」
「SFワードを聞いて反応しました。宇宙人と聞いて黙ってはいられません。転校生さん、あなたの母星では、SFが禁じられていたのでは?」
「カジー、飲み込み早い……」
 しばらく無言だったエリスは、ハンカチで口元を拭いて、拳をぎゅっと握った。
「……そのとおりだ。我が母星では禁じられている。こんなものを読むことも、考えることも禁止だ。いや、こんなものが蔓延している地球のほうがおかしいのだ。全宇宙のなかでこんなものが許されているのは地球だけだ!」
「そんなことはないと思うけど……」
 ヒュウゴは苦笑しながら、内心では混乱していた。本当は彼女の星についてとても聞きたい。けれど、聞いたら聞いたで話してはくれなさそうだし、彼女が不機嫌になるのも嫌だ。何より、また彫刻刀で脅されては困る。
「でも今まで、SFをまったく見てこなかったってわけじゃないよね? エリスさんが転校してきてから3ヶ月は経ってるし、町中にSF映画のポスターだって貼られてるよ」
 エリスが下唇を噛む。横でカジオが頭を指さす。
「おそらく彼女の電脳には、フィルターがかけられているのではないでしょうか。エリスさんを派遣した人々は、地球に調査に行くのはいいが、余計な文化を学んでしまっては困ると。SF的なものを見ても聞いても、おそらく無意識に知覚しないようになっているのでは。先ほどの症状もフィルターによるものかと」
「よくわかるね。カジーのほうがよっぽど宇宙人に疑われそうだよ」
 ヒュウゴは自分の首筋を指で触る。彫刻刀でつけられた傷が痛い。
「でも、SFを禁止するのはなんで?」
「そういう文化なのでしょう。『華氏451度』のように、SFには有害な情報があると決めつけ、国民に読むのを禁止しているのかも。平和と秩序を保つために。とりわけ星が戦争中だったり、政治体制が独裁国家だったりすればなおさらです。鎖国状態なら、他の惑星について学ぶことも禁止しているかもしれない」
 ヒュウゴとカジオは、2人でエリスを見つめる。彼女はそうだとも違うとも言わなかったが、図星だったようだ。
 エリスは口元を手でぬぐった。その瞬間、部屋の真ん中に置かれていた学習イスが、ガタガタと揺れ始め、今にも浮きそうになった。
「やはりここは、他惑星のスパイの集まりだな? お前らの理解力はおかしい」
「あ、念力も使えるのですか。物体を浮かせるタイプでしょうか」
「カジー、どんどん勘違いされるから黙ってて」
 カジオはくいくいと眼鏡を押さえる。
「我々がスパイの集まりにしろ、何にしろ、SFを読んでみるというのはいかがですか。地球の文化を学ぶというのなら、母星ともっとも遠く離れた文化を学ぶのが一番です」
 エリスはそれを聞いたか聞いていないのか、荒い呼吸を整えて首を振る。
「反乱分子の集会場に、なぜ私が来なければいけない。仮にお前たちが地球人だったとして、危険因子の集まりなのだろう?」
「危険因子の集団だって。僕たちそうなのかな?」
「ずいぶんと小規模な集団ですね。ほかの部員はセナぐらいです。まあ彼女は幽霊部員ですが」
 エリスはよろめきながら部室の扉を開け、廊下に出ていった。不規則で危なっかしい足音が聞こえる。
 ヒュウゴとカジオが顔を見合わせる。
「彼女、宇宙人であることを僕たちに話してよかったのでしょうか。一応スパイなんでしょう?」
「うーん。でも、僕らがほかの人に「宇宙人のスパイがいる!」って言っても、誰も信用しないよね」
 その後の研究会は、もっぱら「エリスがどんな惑星から来たか」で話が盛り上がった。が、つきつめて考えるほど、「明日、記憶を消されるか、存在を消されるのでは?」という不安がどんどんもたげてきた。ヒュウゴはノートに日記を書きつけ、これも記憶を消されたら意味がなくなるのかな、とぼんやり思っていた。
 よって次の日の休み時間、青ざめた顔のエリスが、ヒュウゴの元にやってきて、震える声で告げたとき、ヒュウゴはとても安堵した。
「ヒュウゴ。私にSFを教えろ」

2.スペースオペラ
  
 ヒュウゴは驚いたものの、部員不足のSF研究会の部員が増えることはありがたい。それが美人の女子転校生とならばなおさらだし、記憶を消される心配もなくなった。
 ただ彼女は宇宙人で、念力が使えて、SFの禁断症状もちで、ヒュウゴを殺そうとした子だけれど。
 どうして入る気になったの? と彼女に聞くつもりはなかったが、聞かなくても向こうから答えてくれた。
「確かに地球のことを学ぶには、母星から一番離れたところを学ぶほうがいい」
「エリスさん、読むの、大丈夫? 昨日みたいにならない?」
「エリスでいい。おそらく大丈夫だ。訓練に比べればあんなものは何でもない」
 放課後、昨日と同じメンバーがSF研究会の部室に集まり、ヒュウゴとカジオが本棚を眺めた。エリスにまず何を読んでもらうか、授業中も休み時間も考えていたが、まとまらなかった。
「もしかしてこれがエリスにとって、一番最初に読むSFになるのかな」
「それは責任重大です。慎重に決めなければ」
 カジオがメガネを外して目をこする。どんなものがいいか、本人に聞くのも手だと思ったが、エリス本人がSFを読んだことがないし、読みたい、と思うことすら禁じられている。結局いろいろと議論したあと、『スペースオペラ』が彼女にとって一番とっつきやすいのではないかと結論になった。
「スペースオペラ、とはなんだ」
「宇宙もののこと」
「日本ではSFといえばスペースオペラ、と言う人もいるほどポピュラーです。映画やアニメでも映えますからね。スターウォーズやドラえもん、ガンダムや宇宙戦艦ヤマト、子どもにも人気です」
 何冊かを手に取り、エリスに渡していく。
「まあ、君にとっては未来の話じゃなくて、現実のことかもしれないけど……」
「別の惑星から来た宇宙人の方に読んで頂くのは、いささか恐縮ですが、身近であることに間違いないのでは」
「ええと、『星界の紋章』、『銀河英雄伝説』、『月は無慈悲な夜の女王』……海外物もあったほうがいいかな。新しいやつのほうがいい?」
 エリスはまた眼球のセンサーを使って読むのかもしれない。そうであれば、読むのもほぼ一瞬だろう。読書マニアにとってはうらやましい限りだ。 
「まあやっぱり、映像作品と親和性があるよね。僕、ディスクも持ってるよ」
「……読んでくる」
 エリスが本の山を両手で抱え、部室から出ていく。部室の扉は念力で勝手に開いた。
 部室の隣の部屋は、学校の備品置き場として使われていた。パイプ椅子や古い折りたたみ机が積まれている。
 扉を開閉する音が聞こえてからしばらくして、隣の部屋からうめき声が聞こえてきた。
 ヒュウゴとカジオは顔を合わせる。
「……あんなに命がけでSF読んでる人、はじめてみた。もっと楽しんで読めればいいのにね」
「それだけ厳しいのでしょう。彼女のフィルターがどれだけきついのかわかりませんが、徐々に慣れてくるかもしれません」
 ヒュウゴは振り返って本棚を眺めながら、自分がSFと出会った頃のことを思い出した。
 自分がいつSFと出会ったか、正確な時期は覚えていない。おそらくハマった時期は小学生のころで、市立図書館でたまたま見たSFマガジンがきっかけである。そのときはアニメや漫画目当てだったが、だんだんと活字にも興味が出てきた。
 いまヒュウゴは高校2年生。このSF研究会も、実はヒュウゴが立ち上げたものである。たまたま同じクラスにいたカジオと意気投合し、部員をかき集めて立ち上げた。この高校が朝の読書を推進していることもあって、申請は驚くほどすんなり通った。クラブ創設には部員が最低5人必要だったが、いま毎日来ているのはカジオくらいで、たまに来るのはクラブをかけ持ちしている、女子生徒のセナである。 
 そんな弱小クラブに、SFに興味を持ってくれた生徒が来てくれるのはありがたいことである。それが自称宇宙人というのならなおさら。
 自分は幸せ者だな、とヒュウゴは思う。毎日SFばかり読んで、周りにもそれについて話せる友人がいて、勉強はテキトーにしておいて。これほど好き勝手しているときはないな、と思う。
 けど、そろそろ受験のことも考えないといけないし、進路のことも考えないといけない。本当はエリスに構っている場合ではないのである。
(……エリスのことが終わったらまじめに考えよう) 
 なるべくエリスには長くいてほしいな、ヒュウゴはぼんやりと思った。

 ***

 2時間後。夕日がだいぶ傾き、多くの生徒が帰路につこうとする頃。
 エリスは部室の隣室にこもったまま、姿を見せなかった。ヒュウゴは様子を見に行こうかと、廊下をうろうろしていたが、なんとなく気が乗らなくて足が運ばなかった。
 いや、新入部員の面倒を見るのは部長として当然のことである。決してやましい気持ちはない。
 と自分に言い聞かせながら、隣の部屋の扉をノックする。
「入りまーす……」
 がら、と扉を開けると、部屋の真ん中の席にエリスが座っていた。
 彼女の目が泣き腫れていた。

 どうしよう、とヒュウゴは思ったが、あわてて部屋を出ていくというのも変だし、扉の前で固まっていた。
 エリスは本を閉じ、ハンカチで涙を拭いた。
「かん違いするな。決して感動して泣いているわけではないぞ」
 ヒュウゴは頷きながら、向かいの席に座る。机には、ヒュウゴが渡したSF本が積み上げられている。
「わけのわからぬ言葉が飛び交ってるし、本当かどうかわからぬ科学が成り立ってるし、都合がいい話は多いし。故郷は思い出すし、頭痛はひどくて吐き気はすごいし、頭がどうにかなりそうだ」
 ヒュウゴは頭を抱えた。エリスにとってはSF制限フィルターのこともあるだろう。今まで良からぬものとして信じていたものを読まされたのだ。こういう反応にもなるだろう。ヒュウゴが想像していた、「SFが好きになってくれそうな女の子」というイメージが、音を立てて崩れていく。
「やっぱり、合わない?」
「だが、地球ではこれが当たり前に読まれているのだな?」
「当たり前かどうかはわかんないけど、まあ、禁書にはなってないよ」
「興味は、ある」
 エリスは腕を組んで天井を仰ぐ。
「それに……やはり、母星を思い出す」
 グラウンドから運動部の声が聴こえる。
「エリスの故郷ってどんなところなの?」
「話せない」
 ばっさりと切られる。そりゃスパイとして来ているのだし、そう簡単に情報は漏らしてくれない。
「私のことなら言える」
「じゃ、家族とかは」
「父と母は両方とも軍人だ。兄弟はいない。軍以外の仕事についたことはない」
「えっ、エリスって、何歳?」
「それを聞くか? 地球と歳の数え方は違うが、少なくとも君の数倍は生きている」
 ヒュウゴは両手で頬を押さえる。
「エリスの星は、戦争中なんだ」
「ああ」
「じゃ、歴史改変ものはまずいね……」
「歴史改変?」
 エリスが眉をひそめる。
「SFのジャンルの1つなんだけど、地球の歴史は知ってる?」
「多少はな」
「たとえば、もし第2次世界大戦で日本やドイツが勝っていたら、とか。もし織田信長が本能寺で死ななかったらとか、関ヶ原で徳川家康が負けたらとか」
「なぜそんなことを考える必要がある? 本当の歴史はひとつだろう」
「あ、いや、もしそうなったらどうなるかなっていうロマンみたいなもので……。それとか、戦国時代に自衛隊がタイムスリップしたらどうなるかなとか、中世ヨーロッパにもし機械の発明があったらどうなるかなとか」
「……」
 エリスが眉間にしわを寄せる。
「ほかにもディストピアとか終末ものとか……」
「もういい」
 エリスが両手で口を押さえ始めたので、ヒュウゴは慌てて口を閉じた。やはりエリスの国は、戦争中で、こんなことを考えることも許されてないのかもしれない。

 そのとき、廊下のほうから声が聞こえた。
「ヒュウゴー、いないの?」
 ヒュウゴはとっさに口元に人差し指を立て、エリスに静寂を求めた。
 部屋の外、扉のすぐそばに生徒がいる。とっさに隠れようとしたが、部屋には隠れるような場所もなく、ヒュウゴは観念してうなだれた。
 派手な音をたてて扉が開かれる。女子生徒の声が聞こえる。
「ヒュウゴ、何やってんのアンタ?」
「いや、何も」
 考えれば、エリスはまぶたを泣き腫らしているし、まだ口元を手で覆っているしで、なんとも恐ろしい光景だった。
 SF研究会の幽霊部員、セナがつかつかとヒュウゴの横に歩み寄る。彼女は部活帰りなのか、ジャージ姿だった。
「ヒュウゴ。その子、誰?」
「えっと、新入部員のエリスさん。4月にうちのクラスに転校してきて……」
「ふうん」
 セナが床を指さす。
「なんで、部室じゃなくてここにいて、新入部員泣かせてんの?」
「いや、あの、ええと、SFに感動したんだと思う」
「違う。ヒュウゴがいかがわしい本の話をするからだ」
 ヒュウゴは頭を抱える。セナがぎろりとヒュウゴをにらむ。
「あんたサイテー。新入部員にそんなことするなんて本当サイテー」
「ちがうちがうちがう」
 

3.タイムトラベル

 
 事情を話したあと、ようやくエリスとセナが落ち着いた。もちろんセナにはまだ宇宙人のことは話せないし、話す必要もなかった。
 セナはエリスを指さす。
「SF研究会に入るんなら、多少、タイムトラベルものは読んでるんでしょうね?」 
 ジャージ姿のセナが手を腰にあてる。
「セナ、エリスはSF初心者なんだ。教えてあげてよ」
「『夏への扉』は? 『タイムマシン』は? 『時をかける少女』は?」
 セナがずいずいとエリスに詰め寄る。ヒュウゴは、彼女が挙げた作品のほとんどが、自分が薦めた本だということを黙っておいた。
 エリスがヒュウゴを見やる。
「タイムトラベルとはなんだ?」
「映画でも見たことあるでしょ。バックトゥザフューチャーとかターミネーターとか」
「過去に行ったり未来に行ったりすること。自分の意思で行くのはタイムトラベル。偶発的に行くのがタイムスリップ。ずっとおんなじ時間を繰り返すのはタイムループ」
 エリスは腕を組んで思案するような素振りを見せる。ヒュウゴは口を挟んだ。
「エリスの惑星でも、タイムトラベルの技術はないんだね」
「それはそうだろう。過去に飛べたら色々とおかしなことになる」
 セナが手を腰に当てたまま眉根を寄せる。
「エリスの惑星って、なに?」
 ヒュウゴがあわてて首を振る。
「あ、ええと、エリスの故郷って意味」
「エリスの故郷でもタイムトラベルはないって、当たり前でしょ」
 セナは眉をひそめて、エリスに宣言した。
「とりあえず10冊は読んできなさい。そこから講義してあげるわ」

 ***

 おもしろくない。
 と、セナは頭の中でこの日何度目かの愚痴をこぼした。
 先週、久々に研究会に顔を出したというのに、よくわからない女子生徒を連れてくるとは。
 しかも美人の転校生だとは!
 べつにSF研究会に女子がひとりでないといけないわけではない。むしろ男だらけのクラブに女の子が入ってくれてうれしいはずなのに。なぜかおもしろくない。
 出会うタイミングがよくなかったのだ。なぜあのときエリスは泣いていたのだ。あの後、同じクラブのカジオに聞いても何も答えてくれないし。
 怪しい。何かあの3人は隠している。自分の知らないことが何かある。
「セナー、今日放課後買い物行かない?」
 休み時間中、教室で友人が話しかけてくる。セナはバレー部所属であり、かけもちでSF研究会にも入っている。この子は同じバレー部の子だ。
「ごめん。今日クラブ行かなきゃいけないの」
「そうなの? なんだっけ、超常現象研究会?」
 ちがう、SFだ、とセナは心の中でつっこむ。クラスメイトとSFの話をすることはほとんどない。というか、クラブのなかでも話すことはない。なんとなく、入っていくのが怖いのだ。
 そういう意味では、ヒュウゴとカジオは優しいと思う。自分はSF初心者だが、ふたりとも自分をバカにすることはない。
 セナは自席で携帯端末をいじりながら、そういえば、と声をかけた。
「ねえ、隣のクラスに転校生、いるじゃん。どういう子か知ってる?」
 友人は首をかしげる、
「ん? なんか、親の都合で引っ越ししてきたらしいけど。すんごいきれいな子だね。なんか、話してみたら意外とホワホワしてるって」
 ホワホワ? どうも自分が先日会った印象とは違う。やたら男っぽい口調だったし、あんな話し方だったらもっと噂になってるはずだ。
 まさか、ヒュウゴたちの前でだけあんなしゃべり方だとか?
(……おもしろくない)
 セナは机の上に置いていた飲料パックをすすった。
 
 先週、久しぶりにクラブに来たときとは違い、セナは部室の扉を開いた。
 そこにはエリスひとりだけが席につき、じっと本を読んでいた。セナは彼女の姿を見て、最初に自分がなんと言おうとしていたのか、すっかり忘れてしまった。
 エリスの目が青く光っている。
 と思った瞬間、エリスはぱっと顔をあげ、肩をすくめた。
「ヒュウゴとカジオは、買い物に行ってるよ」
 あ、そう、とセナは間抜けな返事をする。カバンを机の下に置き、エリスの読んでいる本を覗く。
「読んだ?」
「ああ。毎回思うのだが、実際にタイムトラベルができるわけではないのだろう?」
「理論的には、未来には行けるって言われてるけど。なんで?」
「なぜできないことについて物語を書く?」
 セナは顔をしかめた。
「なんでって言われてもね。それが物語ってやつでしょ。作家の誰かも言ってたよ。小説を読む理由は、人の人生が一回こっきりだからだって。自分が生きてる時代以外のことは体験できないし、未来に行くことも、過去に行くこともできないから、もしもの世界が見たいんでしょ。
 まあそんなこと言ったら、体験できる職業もだいたい1つだし、結婚もそうだし、入学できる大学だって大体1つだし」
 エリスが席から立ちあがり、窓際に歩いていく。ぽつりとつぶやく。
「そうか。私はずっと、『もしも』は必要ないと思っていた。もし勝ったら、もし負けたらを考える必要はない。勝つ以外の未来を考えてはいけないと、思っていた」
 エリスは振り返った。
「どうしてセナはSFが好きなんだ?」
 セナは机の上に座る。
「別に、あたしもそんなに好きなわけじゃないし」
「そうなのか」
「ヒュウゴが薦めてきたから読んだだけ。スペースオペラとかロボットSFとか全然意味わかんない。かろうじて好きになりそうだったのがタイムトラベルSFだっただけだから」
 セナは机の上でぷらぷらと足をぶらつかせる。壁際にある、自分の背丈よりも高い本棚を見やる。
「別に、あいつが、バカっていうか。SFとか、こんなどうでもいい本に夢中になって、何の意味があるのって感じ。受験にも将来にも役に立たないのにね」
 こんなことは、ヒュウゴやカジオの前では言えない。正確には、何回か言ったことはあるが、ヒュウゴはあいまいに笑うだけだ。
 エリスは机の上に本を並べる。
「私は、少なくとも驚いているよ。SFの面白さはまだわかっていないと思うが、読むことに意味がないわけではない」
「あなたさっき、『なぜ書くの』って言ったじゃん」
「ああ。ただ意味がないと思ってるわけじゃない。意味がありすぎて困っている。意味があるから、私は今まで読ませてもらえなかったのだろう」
 エリスは苦笑して、こめかみを指でつっつく。
 もしかして今まで彼女はお嬢様で、SFを読ませてもらえなかったのかしら?
「さっきから名前がよく出るが、セナはヒュウゴと付き合ってるのか?」
「なんでそう思うわけ?」
「この間、ヒュウゴが頭を抱えてたからな。見られてはまずいのかと思って」
 セナは首を振る。あれはヒュウゴが相当にバカなだけだ。
 そういえばあのとき、エリスはどうして泣いてたのだろう。
 彼女は苦笑した。
「私のことなら、心配しなくていい。おそらく1年くらいで、私はこの学校からいなくなる」
 セナは目を見開いた。
「嘘、また転校すんの?」
「おそらくな」
「ならいっぱいSF読みなさいよ。それとも、そんな暇ない?」
 エリスは首を振る。
「エリス、今までSF見たこともないわけ? 映画は?」
「全然、見たことがないんだ。いま驚いてるよ」
 セナはようやく、自分がエリスをなぜ面白くないと思っていたのか、なんとなくわかった気がした。
 素直にSFを吸収していく彼女が、うらやましいのだと思う。
 役に立つとか意味があるとか色々言いながら、結局はするすると吸収していく姿が。
 自分がそうなりたかったのかもしれない。SF研究会に溶け込んでいくのが怖かったのかも。
 ただ、エリスがすぐに転校すると聞いて、なんだかどんどんSFを薦めないといけない気がしてきた。
「じゃ、メトセラものとかは?」
「なんだそれは」
「不老不死とか不老長寿のこと。あたしわりと好きなの。『おもいでエマノン』とか『無限の住人』とか、知らない?」
「何がいいんだ」
「ずっと生きるほうと生きられないほうのすれ違い? みたいな? そんで不死のほうが無茶していっぱいケガする、みたいな?」
「結局、恋愛か……私にはあまり関係ないが」
 セナは机からとび降り、壁際の本棚を眺めた。
 エリスに見せようとしている本、『百年法』が、本棚の一番高い段にある。
(なんで一番上にあるわけ?)
 セナはバレー部に所属しているが、身長はあまり高くないほうである。部室の本棚の一番高い段は、ギリギリ手が届くかどうかの高さだ。いつもなら椅子に乗って取るのだが、面倒くさくなってジャンプして取ろうとした。
 そこで、目的の本が取れたのは良かったが、隣の本までずるりと抜けてしまった。

「やばっ――」

 セナは頭への衝撃を覚悟した。ぎゅっと目を閉じて体を縮こまらせる。頭をガードしたかったが、何しろ片手に本を握っていたので反応が遅れた。
 ゴツン、と本が頭に直撃するか、床に落ちる音を待った。
 しかし、いつまで待っても、部室は静かだった。
 おそるおそるセナが目を開けると、まずセナが本を取った棚のスペースから、数冊の本がなくなっていた。代わりに、ふわふわと空中に浮いて、机の上に積まれていく本の姿が見えた。
 同時に、それに向かって手を伸ばしているエリスの姿も。
 セナはエリスと本を交互に見た。
 とっさにセナは、この現象を科学的に説明しようと考えを巡らせた。しかし、いくら仮説を立てても難しかった。『超常現象』『奇跡』『すこし不思議なこと』などのワードを使わずに説明することは不可能だった。
 代わりに、エリスの様子、部員の面々の様子を総合的に考えると、ひとつの仮説が浮かび上がった。
「いま、どうなったの?」
 セナが持っていた本を机に置き、間抜けな声を出すと、エリスは口の端をあげた。
「だから言ったろう。SFを読むのも無駄じゃない」
 セナが彼女に詰め寄る。
「もう1回聞くわ。あんたいま何やった?」
「何もやってない。時空の歪みが発生したんだ」
「ちょっと待ってエリスの惑星って、もしかしてアンタ本物なの?」
 その後、部室にヒュウゴとカジオが戻ってきて、セナに質問攻めにされたことは、細かく書くまでもない。

 

4.ディストピア

※ ◯月△日 スペースオペラ
 宇宙もの、らしい。正直、宇宙開発もほとんど進んでいない地球の、なにが宇宙ものだ、と思っていた。しかし、地球の今の文明にしては、宇宙についてよく書けている。ときどきよくわからない理論が出てくるが、これは実在する理論なのだろうか? ヒュウゴには、よくわからないところは飛ばして読んでいいと言われたが、気になってしょうがない。読み進めるごとに、頭のフィルタが鳴り響いて、吐き気がひどくなる。

※某日 タイムトラベル
 過去と未来を行ったり来たりする、らしい。セナはタイムトラベルというより、それにまつわるロマンスが好きなようだ。私はあまり興味はないが、読んでおくことにする。あとで教えてくれたメトセラ(不老不死)ものは良かった。我が星でも、不老不死の研究は行われている、と思う。おそらく秘密研究で、私が詳細を知るところではないが。

※某日 アンドロイドSF
 巨大ロボットものやAIもの、その他人気のジャンルらしい。カジオはこのジャンルが好きなようだ。地球のロボット技術は、正直、まだ発展途上だが、空想上のロボットについては悪くない。というか、我が星ではほとんど、ロボットは戦争に使われるものなので、なぜ地球でこんなに人気があるのかわからない。特に子どもから人気があるのは不思議でしょうがない。

※某日 ディストピア
 ユートピアの反対語で、あらゆるものが監視された未来の社会のようだ。このジャンルはどうしても読めなかった。読もうとするとフィルターが激しく鳴り響き、吐き気が止まらなかった。理由はわかっている。

 
 エリスはノートのページをめくった手で、ぎゅっと紙面の端を握った。握った部分がしわになる。
 いつになったら自分はこのページを破れるのだろう。こんなもの、残しておいていいはずがない。
 
 ***
 
 エリスがSF研究会にきて、3か月が経った。
 ヒュウゴとカジオがだらだらと部室で過ごすなか、ヒュウゴはカジオの名を呼んだ。
「ねえカジー、僕、エリスになんかまずいこと言ったかな?」
「まずいと言えば毎日まずいですし、存在がまずいのでは」
「そんなにへこむこと言わないでよ」
 何があったのです、カジオは眼鏡をずりあげる。
「今日さ、エリスに、『しばらくSF研究会に来れない』って言われて……へこみすぎて死にそう……」
 ヒュウゴは机につっぷし、エリスと初めて出会ったときのように、スライムのごとくふやけていた。ふやける理由は、あのときはまったく違ったけれど。
 そのとき、廊下からどたばたと足音が聞こえた。それが誰なのか、声を聞くまでもなかった。がらりと部室の扉が開かれる。
「聞いてっ、重大ニュース!」
 まさか、とヒュウゴが顔を上げ、現れたセナの顔を見る。
「今日の授業でさ、あたしのクラス、教育実習生の先生が来たんだけど、超イケメンなんだよね!」
 ヒュウゴとカジオは顔を見合わせる。部室に台風が到来したようだった。
「すごいニュースだね。すごいすごい」
「あれ、エリスいないの? 絶対気に入ると思うんだけどなー」
「その教育実習生、なんという名前です?」
「んー、確か『アサクラ』って名前だったかな」
 ヒュウゴはまた机に突っ伏した。誰かが来たら誰かがいなくなる。考えたくもないことだった。
 
***

 エリスは強烈な違和感を抱いた。
 それは、ここにいてはいけない存在の。
 周りの背景が異世界のようで、その男だけ、こちらの世界に来ているような。
 いや、その逆だったか。
 旧校舎の廊下で、スーツ姿の男は、エリスが寄ってくるのが当然というようにぴたりと止まり、窓際にもたれかかった。
 エリスは無視することもできず、ずるずると男のそばに歩いて行く。
「ヴォルデ、久しぶりだ。ここではエリスと言ったか」
「――長官」
「女子高生の格好もサマになっているな。周りの若い連中の中にうまく溶け込んでいるよ。友人は作ったか?」
「『アサクラ先生』こそ、とてもお若い教育実習生に見えますよ」
 軽口を叩く余裕は、自分にあったようだった。いや本当は、本題に入るのが怖かった。
 なぜこちらに? エリスが尋ねると、アサクラと呼ばれた男は、手に持っていたファイルをぱらりとめくった。
「状況が変わった。おまえには地球への観察を任務にしていたが、本国が焦りだしている。今後、早急に地球への侵攻が可能か否かの結論を早くしてほしいと」
「まさか。本国はそんなに危機的な状況なのですか」
「旗色が悪い。敵国が地球に目をつけるかもしれぬ。実際、スパイがここに来ていてもおかしくはない。早急に観察報告をするため、任務を終えて帰還する必要がある」
 早すぎる。地球から母星へは連絡はできないものの、最初の連絡時期は早くても半年後だったはずだ。エリスは混乱していたが、この男に聞いても無駄だと思い、素直にうなずく。
「……わかりました。報告をまとめます」
「ひとつ聞く。君の生徒資料を見させてもらったが、君が所属しているSF研究会とはなんだ?」
 この男から、「SF研究会」という言葉が発せられるのがおかしかった。どこまで調べられているのだろう。まさか、ここ最近の学校生活を観察されていたのだとしたら、相当にまずい。
「私が地球の文化レベルを測るには、ちょうどいいかと」
「ほう、まさか、フィルターは解除したのか?」
「私にフィルターをかけたのは長官ですか」
 さてな、とアサクラは肩をすくめる。
 どうやら、ヒュウゴやカジオと話していたところは見られていないようだ。
 自分が信頼されているのか。それとも、それをする暇がないほど、時間が差し迫っているのか。
「わかってはいると思うが、いざというとき、君の正体を知った人間は消せねばならんぞ」
「わかっています。そんな人間はいません」
 自分の声が不自然でないかどうか、エリスには自信がなかった。
「ふむ、では早急に帰還準備をしたまえ。明後日、出発する」
 アサクラはそれだけを言い残し、踵を返した。
「アサクラ先生」
 エリスは彼を呼び止める。アサクラはフリ勝った。
「ディストピア、というのを知っていますか」
「なんだね、それは」
「SFのジャンルのひとつだそうです。ユートピアの反対語で、あらゆるものが管理された未来の社会だとか」
「フム、それが何か?」
 いえ、別に。エリスは頭を振った。

*****

昼。
 授業中、旧校舎の部室に呼び出されたヒュウゴは、久しぶりにエリスと話すことができた。実際、話せなかった時間はとても短かったのだが、ヒュウゴにはとても長く感じられた。
 エリスは着いていた席から立ち上がり、肩をすくめた。
「ヒュウゴ。私はまた転校することになった」
 ヒュウゴは目を見開く。校舎は授業中特有の、独特の静寂に包まれている。
「うそ? このあいだ来たばっかりなのに」
「ああ、親の仕事の都合だ。転勤族はつらいな」
 その一言で、ヒュウゴは全てを悟った。
 エリスは何かを隠している。彼女自身もその白々しい嘘に気づいている。それでもこの芝居に付き合えと言っている。
「他の部員にはよろしく言っておいてくれ」
 まるで普通の人間の生徒のように振るまっている。
 誰かに見られているのかもしれない。
「そうだ。このあいだ貸してくれたSF小説、面白かったぞ」
 何を貸したっけ、とヒュウゴは考えを巡らせる。
 エリスは壁際の本棚をなでた。
「こういう話だったな。『ある宇宙人は、観察のために地球に来た。だがそれは、母星が地球に攻め込むかどうか、地球の文明レベルを見るためだった』」
 ヒュウゴは肩の力を抜く。
「『宇宙人は地球でSFと出会い、友と出会った。宇宙人は地球との交戦を阻止するため、母星に帰ることになる』」
 結末が読めなかったのが残念だな、とエリスは笑った。
「また会えるさ。手紙でも書こう」
 エリスは部室の扉を開き、ひらひらと手を振った。
「うん。手紙で」
 ヒュウゴが手を振ると、エリスは部室から出ていった。
 出会ったときと同じように、彼女はふいにいなくなる。
 ヒュウゴは呆然と宙を眺めていると、机の上にあるノートを見つけた。
 ヒュウゴはぱらりとノートをめくった。

        (終)

 

参考文献

『クリエイターのためのSF大辞典』 ナツメ社
『翼をもつ少女 BISビブリオバトル部』 山本弘 東京創元社
『すこしふしぎな小松さん』 大井昌和 白泉社 (2017)

文字数:17042

課題提出者一覧