すみれの天蓋

印刷

梗 概

すみれの天蓋

その街は”キ”と呼ばれる。

誰が名付けたものかはわからない。ただそういう名で呼ばれ、また呼ばれてきたという記録と規定だけが、街の中心部に位置する逆円錐塔の基底部に刻まれている。街にある文字は、それのみであり、ほかには一枚の紙もペンも存在しない。

街の床や建物はすべて、乳色の繊維が絡み合って形を成していた。それは足を置くと軽い弾力でたわみ、触れると人肌のようにぬるかった。中心部の逆円錐塔はそのまま広がって街の上空を覆い、それゆえ街は昼夜を問わず、すみれ色の天蓋で満たされている。

“キ”の住人は決まった名を持たない。群体の呼称として、ただ”ルゥ”と呼ばれている。

“ルゥ”たちの外見は人間と同じだが生殖器も頭髪も持たず、雌雄の区別もなく、成長や老化の概念もない。顔も体格も同一である。彼らは逆円錐塔の中から生まれ、死ぬことなく街で暮らす。

彼らの個性を決定づけるのは街の建築群である。

“ルゥ”たちが建物に入ると、壁の繊維がほぐれてその体を覆う。それは服となり頭髪となり、”ルゥ”たちをその場に見合った役割へと変える。飲食店であれば店員あるいは客へ。また医療従事者へ。自警隊へ。街のメンテナンス、あるいは拡張要員へ。あるいは――

また彼らは「わたし/あなた」という概念を持たず、かわりに全員が”キ”そのものと自己を同一視し、その目的――維持、拡張、そして機能の提供――のために自己を捧げている。

街の一隅、忘れられたように薄暗い一角に、三人の”ルゥ”が集まっていた。彼らは”キ”のシステムを逃れた「自我を持つ」者たちで、この街からの脱出を画策している。

彼らは何らかのエラーで硬質化した皮膚を持ち、それゆえにほかの”ルゥ”たちと異なる「他者」の自覚が生まれていた。

「ここは、<われわれ>のいる場所ではない」

そう誓い合った彼らは、理由もわからず、自らのことを”ドゥム”と呼んでいた。

「<われわれ>はここを出て、外にゆくのだ。”キ”の果てへ」

彼らは”キ”のうちにおいて異物であり、敵であった。

あまたの”ルゥ”たちが、姿かたちの違う”ドゥム”たちを排除するべき役割を持たされ、彼らを追ってくる。”ドゥム”たちは全身から硬質の繊維を出す能力を持ち、それを利用して”ルゥ”たちの追撃を排除しながら、街の中心にある「すみれ色の逆円錐塔」を目指す。そこはすべての”ルゥ”が生まれる場所であり、外界へとつながる唯一の場所だった。

塔の中に入った一行を無数の繊維が襲い、何人もの”ドゥム”が死ぬ。だが、生き延びたひとりの”ドゥム”がエレベータに乗り込み、天蓋を破って外へと脱出する。

荒野。歩くひとりの”ドゥム”が倒れる。その体から繊維が吹き出し、小さなすみれ色のドームを形作る。彼らは異物などではなく、”街”の生殖器官だったのだ。ドームは時を経て成長し、その中心――”ドゥム”の死体があった逆円錐塔から、新たな”ルゥ”が姿を現す。

文字数:1194

内容に関するアピール

拘束①――「わたし」「あなた」という言葉をつかわない。

拘束②--無数の”ルゥ”たちの視点から物語を記述する。

「才能や資質は個人ではなく、場によって規定される」という話や、ホラクラシー組織の話なんかを小説にしました。アクションも交えて面白くしたいです。

文字数:123

課題提出者一覧