梗 概
魂のランナー
土星の環でのマラソン大会に参加している間に、僕の体が殺されてしまったらしいので、僕の意識は“土星の環でマラソン大会ができる世界”に取り残されてしまった。なんとなく空想していただけなのだが、これでは完走しなくてはならない。コースの土星の環は、めんどくさいので真円という設定にしてある。唯一の救いは並走者にかわいい女の子を選んだことだ。完走まで平均で5年かかるそうだ。こうなったら10年だって20年だって走り続けてやるさ。
「ところがそういうわけにもいかないの」
「どうして?」
「あなたの話を信じるとすると、この世界はあなたの頭の中の世界ということになるでしょ。でもあなたの体は死んでいるはず。これっておかしくない?」
「だから、意識だけが別の世界、土星の環で走ることのできるこの世界に来ちゃったんじゃないのかな」
「意識なんてのは脳が生み出したただの幻想。つまりわたしが言いたいのは、あなたの体はまだ生きているんじゃないのってこと」
そうなると話は別だ。僕の体はまだ生きていて、たぶん家族は僕の“意識が戻る”のを待ち望んでいる。とすれば、きっと元の世界に戻る方法があるはずだ。でもどうやって……。
「……円周率」
「え?」
「円周率って、すべての可能な数列を含んでいるのよね」
「それがどうしたの?」
「ひょっとしたら、その中にあなたの世界につながる数列があるんじゃないかしら」
「どういうこと?」
「そうだ!この大会の優勝者は、ウィニングランとして土星本体を突っ切って反対側まで走るのよ!」
「だからなんなんだよ!」
「まだ分からないの?優勝者はこの環の円周と直径が手に入るのよ!つまりこの世界での円周率を求める権利が手に入るのよ!」
「ということは……」
「走りましょう!誰よりも速く土星の輪を一周するのよ!」
僕はひたすらに走った。途中で馬に乗ったカウボーイとか、インディアン風の男とか、ハーレーに乗った女がいたが、みんな追い抜いてやった。土星からは、急に追い上げてきた僕を応援する声がする。その中に懐かしい声が混じっていた気がする。僕はさらに加速する。
5年とかからずに、僕は一周走りきった。さあいよいよウィニングランだ。土星へ向けて氷の橋がかかる。僕は直径を手に入れるためにまっすぐ走り出した。土星の中に入ると、土星人が出迎えてくれた。みんな帽子をかぶって祝福の声をかけてくれた。みんなが僕の名前を呼んでいる。背中を叩いてくる厚かましいやつもいた。やめろよ、直径からずれたらどうすんだ。
「着いたらすぐに円周率に飛び込むのよ」
反対側のゴールテープを切ると、円周率が目の前にあった。神々しい光をはなっていて僕のことを呼んでいた。彼女の言葉に従って僕はすぐに飛び込んだ。僕は数列の海に飲み込まれた。途端に息ができなくなった。
「あなたの世界を探すのよ。そう長く息は続かないから急いで!」
「どこを向いても同じにしか見えないよ」
「じっと耳をすまして。あなたを呼ぶ声がするはずよ」
目を閉じるとたしかに僕を呼ぶ声がする。その声が僕の手をとり、僕の体を円周率の海のなかを引っ張ってくれた。声が大きくなってくる。だんだん大きくなってくる。僕の耳のすぐそばで叫んでいる。ひとりではなくてたくさんの人が僕の名前を叫んでいる。
気がつくと、僕は汗びっしょりで病院のベッドにいた。横には家族がいて、僕の手を握りながら名前を呼んでいた。僕は元の世界に帰ってこれたらしい。見渡すと、一緒に走ってくれた女の子は、当たり前だけどここにはいなかった。また空想して呼び出そうかと思ったけど、やめておいた。彼女へのありがとうは、何十年後のためにとっておこう。
僕はとても幸せな気持ちになった。
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内容に関するアピール
臨死体験を書いてみました。
制限は「タブレットで書く。歩きながら」です。
文字数:35



