梗 概
ちきゅみバーガーをおひとつ
世界の終りの日がやってくる、と言われた1999年の冬。人生に特に希望がなかった僕にとっては、世界が無くなろうと知ったことじゃなかった。エゴと欲にまみれたこの地球は一度お亡くなりになってしまったほうがいいと思ったし、どうせなくなるなら、みんな一緒に滅ぶのは好都合だった。部活の先輩に誘われるままに、初めて女の子をナンパした。結果はどうであれ、明日はみんな滅ぶんだ。
ナンパに成功して、僕たちは男女5人でカラオケにいった。
そのうち一人は、今僕の妻となっている。
つまり、地球は滅びなかったのだ。
20年前のことを鮮明に思い出そうとしても、なかなか思い出せない。
5人で話していた時間が、とっても楽しかったってことだけはよく覚えている。その日、僕がずっと見ていたのは、妻ではなく途中で現れた別の女の子だった。初めて会ったはずなのに、なぜだか懐かしさを感じる人で、ずっと彼女のきれいな横顔ばかり眺めていた。あんなに見つめていたはずなのに、こうやってあの人を思い出そうとすると、その顔は薄あかりに照らされて紗幕のむこうに佇む舞台女優のもののように心もとない。妻にその日のことを聞くと、そんな人いたっけ?と訝しまれる。妻の記憶では、僕たちはその日4人で遊んでいたことになっている。
今となっては、その人はまぼろしだったのかと思うしかない。
でも、僕は彼女を忘れたことはない。
その演劇をやっていると言っていた女の子は、小さなカラオケボックスを「宇宙」に変えてしまった。「みんなで地球の滅亡を止めに行こう」と言って、僕たちみんなを宇宙に連れ出したのだ。彼女のナビゲーションで月に着陸した僕たちは、まず、マックに行った。そこで「注文ハナニニシマスカ?」と聞かれて僕は「月見バーガー」と答えてしまった。怪訝な顔をする店員に彼女は「ちきゅみバーガーを」と言った。店員はにっこりと笑って「はい、ちきゅみバーガーをおひとつ」と言った。
そんな話をすると、妻はいつもゲラゲラと笑う。「なにそれ、コントのネタ?」と。
でも、僕も彼女も、いや、地球人みんなが、きっとあの日あの子に救われたんだ。
だって、彼女は月の上でぴょんぴょん跳ねて「ここに誰かが残れば地球は滅びなくて済むんだよ。私はここで餅をつき続けるから、あんたたちは地球に戻ってうそをつき続けて、月には人類なんかいないって言いつづけて。あの、月面着陸した人たちが、ここで分裂して分身だけを地球に返したこと、絶対に地球の人たちに言っちゃだめだよ」といって消えていったんだ。
今年もお月見がやってくると、僕はちきゅみバーガーの味を思いながら、空を見上げる。
天気がいいと、そこのマックでちきゅみバーガーをかじりながら、こっちを見ている5人の若者が見えてくるような気がするのだ。
文字数:1158
内容に関するアピール
自分が初めて読んだSFは何だったか?いまとなっては思い出せません。ただ、一番身近にセンスオブワンダーを感じさせてくれる存在はいつも「月」だったような気がします。
あと、一見くだらないものの中に真実が含まれている、という構造が結構好きで、心をつかまれたことが少なからずあります。言葉遊びのようなくだらなさが、ふだん読書に興味のない人をひきつけ、読んでみたら深かった…というようなことをやりたいなあ、といつも考えています。
文字数:208