ナンバー・オブ・マイ・ルート

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梗 概

ナンバー・オブ・マイ・ルート

「5次元空間のあちこちにバップしたり、ヒップしたりする知的生命体ッピーンとンジィーッシィーは、セレブレールたちのメモワールがコロッキアムリストをオキュペルするカウンチャリズムに嫌気がさして、まだ誰も手をつけていないラコステロな4次元ケークオブピースを求めていた。」

 

 中学1年のたかしくんは、彼の誕生日の翌日でもある10月のある日の学校の帰り道、小学校の同級生だったウミちゃんとばったり遭遇する。ウミちゃんとは小学校の休み時間にいつも一緒に遊んでいたのに、卒業して別々の学校に通うようになってから一度も会っていなかった。久しぶりに会う彼女は少しよそよそしく、なにかを隠して言わないようにしているようにも見えて、話しているうちに少しはがゆい気持ちになった。帰り道の公園で日が暮れるのを待ちながら途切れ途切れに話した後、別れ際になってウミちゃんはどうやら両親が離婚するらしいということ、お父さんが浮気をしているらしいこと、新しい同級生たちになんとなくなじめないことを打ち明けた。たかしくんは彼女と歩道橋で別れるまでに、ずっと前から自分が彼女のことを好きだったような気がしてきていた。

 歩道橋を渡ると、たかしくんは同じ日の、中学の下駄箱の前にいる。再び帰り道で彼はウミちゃんと遭遇し、公園で話し始める。たかしくんが自分からウミちゃんに両親の離婚のことや、同級生とうまくいかないことで悩んでいるなら僕が力になるよ、と声をかけると、ウミちゃんは「なんでそんなこと知ってるの?」と訝しがって、その場で帰ってしまう。たかしくんはやり直しをしなければ、と思ってもう一度歩道橋を渡る。そのときに、誕生日に買ってもらったばかりの携帯電話を道に落としてしまう。

 歩道橋を渡ると、たかしくんは同じ日の中学校の下駄箱の前にいる。再び帰り道で彼はウミちゃんと遭遇する。何も知らないことを装って彼女と話し、駅まで歩いていこうとすると、誰かが彼に声をかける。たかしくんが振り返ると、自分とそっくりのもう一人のたかしくんが「落とし物だよ」携帯電話を渡す。怖くなったたかしくんは、とっさにウミちゃんの手をつないで走って逃げ、彼女と一緒に歩道橋を渡り終える。

 歩道橋を渡ると、たかしくんとウミちゃんは同じ日のたかしくんが通う中学校の下駄箱の前にいる。帰り道でたかしくんとウミちゃんはウミちゃんと遭遇する。三人は今、何が起きているのか整理するために公園を目指すが、たどり着くと公園には入口が一つもなく、出口が26個あり、動物の乗り物が30セット、鉄棒が24基、滑り台が7つ縦に積まれている。そして、十数人のたかしくんが彼の携帯電話を探している。彼らのうちの一人が「あった」と言って手を挙げると、すぐに電話がかかってくる。たかしくんの一人がそれに出る。

「もしもし。今頃、混乱していることだろう。状況を説明しよう。君にはまったく関係のないことだが、5次元空間のどこか遠く、###という知的生命体たちの間で、4次元空間の技術的な複製と消費が大流行している。彼らにとってそれは君たちにとっての音楽みたいなものなんだ。便宜的にその「曲」を「ケークオブピース」と呼んでおこう。彼らは、ちょうど君達で言うところの身体に相当する単位を、即席4次元空間の運動に合わせて集合したり拡散したりする。それはちょうど、君達が音楽に合わせて踊るのに似ている。『たかしくんの帰り道』は、たまたま大流行してしまった。君が奇妙な体験をしながら、同じ帰り道を何度も通るのはそのためだ。そんなところに閉じ込めてしまってさすがに申し訳ないと思った彼らは、4次元空間内に27歳になったたかしくんの姿をした『俺』を作り出し、状況説明のために送り込んだ。ちょっとした罪滅ぼしみたいなものだ。今、そっちに向かってる。」

電話は切れる。

文字数:1571

内容に関するアピール

おそらく私のSF原体験は「ドラえもん」と「バックトゥザフューチャー」にあるのだと思います。

 

課題に沿って

・主役を子どもにする

・個人的なSF原体験:タイムスリップもの に即す

というのをテーマに書いてみました。

 

文字数:102

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ナンバー・オブ・マイ・ルート

1、

 学校の帰り道にある郵便局の柱の陰から「僕」は姿を現す。何も言わずに見つめるだけだが、そうすればこちらが勝手に寄っていくと確信している。近寄ってあらためて僕は「僕」をよく見る。確かにまったく同じ顔をしている。同じ制服を着て、顔の同じ部分にニキビができ、髪の毛の同じ部分がはね、きっと年齢も同じだろう。昨日13歳になったばかりだ。ただ、声だけは自分で聞くのでは同じであるか判別できない。僕自身にはどうしても違和感のあるあの声が話しかける。
「ほら、言った通りだろ」
 僕にではない。彼には連れの女の子がいる。女の子は僕や「僕」と同じくらいの年齢で、デルタの反対側にある私立の女子校の制服を着ている。彼女は、何も言わずに二人の男を見比べ、僕の目をじっと見て、こう言う。
「ほんとだね。たかしくんが二人いる」
 「たかしくん」と言うニュアンスを聞いて、僕は初めて彼女がうみちゃんだと気が付く。うみちゃんは小学校の同級生で、親同士の仲が良かったこともあって、よく一緒に遊んでいたけれど、別々の学校に通うようになってからはほとんど顔を合わせていなかった。
 久しぶりに会うその女の子は僕の知っているうみちゃんとは少し違っていた。長かった髪を肩の上のところで切って、少し気の毒そうな顔をして笑うようになっていた。それでも僕を見つめる大きな黒目と丸い鼻、小さな八重歯、僕の名前に備わるニュアンスは確かにうみちゃんのそれだ。「僕」が切り出した。
「とてもびっくりしたと思う。それは僕も同じだ。どうしてこんなことが起きているのか原因は一つもわからない。けれど、今日起きたことをまずは僕から説明するよ。ついてきて」
 うながされるままに僕とうみちゃんは大通りにぶつかるまでまっすぐ北に歩き、彼の合図で立ち止まる。それから物陰に隠れ、目の前の薬局の自動ドアから中学生の女の子が出てくるのを待つ。「僕」が女の子を指差して、うみちゃんに「君だよ」と言う。そのうみちゃんは確かにこのうみちゃんにそっくりだ。僕が二人いるんだ。うみちゃんが二人いても今更驚かない。「声をかけるかい」と「僕」は尋ねたが、うみちゃんが答える前に、信号機の色が青に変わる。もう一人のうみちゃんは横断歩道を渡って通りを渡って北のほうに消えていく。「僕」は「もう行っちゃったよ」と返事をしなかった彼女に言う。

 誕生日の次の日の学校の帰り道。「僕」はもうすでに何度もそれを通っているという。
 1周目。さっきのドラッグストアの前で「僕」は、うみちゃんとばったり遭遇した。数ヶ月ぶりの再会だ。「僕」も僕と同じように、うみちゃんのちょっとした外見の変化に気づいて「雰囲気変わったね」と最初に口にした。うみちゃんは「ちょっとしゃべる?」と答え流ので、二人は近くの公園に寄り道して、ぶらんこでだらだら過ごすことになり、彼女は彼女の新しい同級生や、バスケ部に入ったことや、それをさぼりがちになっていること、そのせいで同級生になじめていないことを話した。そういうのを「ふーん、うん、うん、わかるよ。」と聞いていると「僕」は自分の側に大した話題がないような気がしてきて、次の言葉は途切れ、公園を出て、またとぼとぼ大通りのほうに向かって歩き始めることになると、うみちゃんは次の新しい話題を持ち出し「お父さんが浮気をしているかもしれないって、今朝、お母さんが言い出したの。」と思いつめたように打ち明けて、ついに「僕」はどんな返事もなくしてしまう。最後に2人は黙ったまま平和大橋の前に着きそこで別れた。対岸に渡るはずだった平和大橋の歩道橋を渡り終えると、「僕」はもう一度学校の校門のところに立っていた。
 2周目。さっきと同じ道を通って帰ろうとすると、同じドラッグストアの前でまたうみちゃんと出くわした。公園まではまた同じように寄り道。しかし今度は「僕」がうみちゃんの悩みについて一方的にべらべらしゃべるので、うみちゃんのほうが「なんでそんなこと知ってるの?」と不審がり、「こわい」と言って彼女はセブンイレブンがある交差点のところで、北に曲がって帰ってしまった。「僕」はまずいと思って、やり直しのために一人で平和大橋を渡った。そのとき、前日に誕生日プレゼントとしてもらったはずの携帯電話を帰り道で落としたが、それにはまだ、気づいていなかった。渡り終えると、やはり校門の前にたどり着いた。
 3周目。もう一度同じようにドラッグストアの前でうみちゃんと遭遇し、何も知らないふりをして彼女と話しながら公園へと向かった。1週目と同じような話をして、また1週目と同じように公園を出て大通りに戻り、セブンイレブンの交差点の信号が変わるのを待っていたら、誰かが「僕」に声をかけ「落とし物だよ」と携帯電話を手渡した。振り向くともう一人僕がいたので、驚いた「僕」はとっさにうみちゃんの手を握って走り出した。彼女は転んで膝を擦りむいた。「僕」は先に横断歩道を渡り終え、もう一人は後ろから追いかけてきた。彼女はしゃがみこんだままお横断歩道のあちらがわにもこちがらわにも同じ「たかしくん」がいることを確認した。「僕」は戻って彼女の手を握って引っ張り起こし、そのまま一緒に平和大橋の歩道橋を渡った。
 4周目。再び校門の前にたどり着いた。今度はうみちゃんも一緒だった。うみちゃんはカバンから絆創膏を取り出し、自分で膝を手当てした。「僕」は、平和大橋と中学校の校門が繋がっている話をした。つまり、自分はもう今日の帰り道を3回も通ったのだと伝えた。すると、うみちゃんは「じゃあこのままずっと橋を渡らなかったら、どうなるの」と質問したので、二人は校門の近くで少しだけ待つことにした。時刻を確認した。僕の腕時計は8時過ぎを指しているが、うみちゃんの携帯電話は17時18分だった。17時24分を過ぎると、時計の表示は16時12分に戻った。
「その瞬間、空の色が急に変わったんだ。雲の模様も一瞬で。ちょうど、映像が別のカットに切り替わるみたいに。そのあと、君が学校のほうから歩いてくるのをうみちゃんが見つけて、僕が君のほうを見たら、君は恐る恐るこっちに歩いてきた。」
 話しながら歩いているうちに僕らは平和大橋の前のセブンイレブンのある交差点の前にたどり着く。「僕」が先に
「渡るかい」と尋ねる。うみちゃんが、
「今何時?」と聞くと、「僕」は
「誰の時間で」と、即答する。
「君の時間で」
「僕の時間は9時少し前だよ」
「そうか。お腹空かない?」と、うみちゃんが言ったあと、僕が、
「お腹は空くんだね」と返す。うみちゃんは不思議そうにお腹を撫でる。それで、橋の前にあった尾道ラーメンの店の暖簾を3人でくぐる。注文を待つ間、僕はノートを取り出して一つずつ書き留める。

・平和大橋の対岸に渡ることはできず、その先は中学校の正門に通じる。

・ループの単位は2018年10月5日16時12分から17時24分までの72分間。

・橋を渡らなくても、72分が過ぎると自動的にループする。

・時間内に橋を渡らなかった場合、「僕」と「うみちゃん」は一つの時空に複数存在するようになる。

・電波時計はループの影響を受け、アナログ時計はループの影響を受けない。

 うみちゃんのラーメンが最初に運ばれてくる。ラーメンがカウンターに置かれる直前に17時24分になる。その瞬間、店全体が映像の編集が切り替わるみたいに目の前からラーメンを持った店員さんが消える。ラーメンだけではない。お客さんや店員さん、物の配置が一瞬で少しずつ切り替わり、最後に店の奥からさっきラーメンを置こうとした店員さんが出てきて、もう一度注文をとる。僕らは顔を見合わせる。そこで、僕はノートにもう一つ書き加える。

・ループを経験できる人間とそうでない人間がいる。

 もう一度同じメニューを注文する。店の奥に店員さんが下がると、うみちゃんが、
「72分以内に食べないといけないのか」とつぶやく。
「余裕だよ」と、「僕」が答える。
「君はね」と、抑揚のない声で言う。
「僕」が僕に、「ねえ、携帯ある?」と尋ね、
「あるよ」と答えて、制服のポケットの中を探ったが、中身は空だった。
「ないの?」
「今は」
「『今は』って。」と、言い捨てたが「僕」の目は笑っていない。
「じゃあ、ないじゃん」と、うみちゃんは割り箸の袋をいじりながら、
「ラーメン、食べたら探しに行こう。」と言い足した。それから、「僕」がいかにもいいことを思いついたという顔をして、
「ラーメン食べ終わってから、お金を払わずに72分になるまで待って、時間が戻ってから店員さんに注文するまでに店を出ればお金を払わなくていいんじゃないか。」と、言った。
「食い逃げだ。」
「食い逃げじゃないよ。逃げてない。」
「でもそれだと、お腹も膨れないかもしれない。」
「実験してみよう。」
「はあ…、お腹が減るのはわかったのに、膨れないっていうのは大変なことだよ。」
 今度も最初に運ばれてきたのは、うみちゃんのラーメンだった。


2、

 幸いお腹は膨れたようだ。僕らは注文する前に店を出た。
 電話がなくなっていることには、なにか重要な意味があるのかもしれない。僕と「僕」はうみちゃんに、電話という道具が使えるか確かめてもらうことにした。かけてみると、うみちゃんの回線はデルタの北大橋を渡った先にある住宅地のマンションに今いるはずのお母さんのにつながった。向こうでも時刻は、その電話の表示と同じ16時30分を指しているらしい。お母さんになにか変わったことはないかと聞いてもらうと、
「変わったことか。別にかな。なんで?」
「天気とか普通?」
「普通だと思うよ。天気なんて一緒じゃないの。」
「なんもないならいいんやけど」
 うみちゃんは、僕と「僕」に向かって首を振った。電話を一度切って、他にもかける。警察、消防、伝言ダイヤル、時報、天気予報。すべて試してみたがすべて通じた。きっかり僕らはその日の16時12分から17時24分の間に閉じ込められていた。しかし、閉じた時間の中で、社会はいつもと同じように機能している。
 じゃあ、空間はどうか。少なくとも、平和大橋の対岸には渡れないわけだけれど、同じように渡れないところはあるだろうか。そこで、平和大橋を渡る前のところで道に沿って南下し、隣の万代橋を東から西へ渡った。すると地図上の対岸ではなく、デルタの東側の栄橋にたどり着く。今度はその隣の上柳橋を渡ったら、万代橋の隣の隣の新明治橋にたどり着く。こういう感じでくたくたになるまでいくつかの橋を渡り、6つか7つの橋を渡ったところでどういう仕組みになっているかなんとなく予想がついてくる。僕らはこのデルタ、つまり猿猴川と元安川に挟まれた小さな島に閉じ込められている。

 橋は全部で27本あり、そのお互いが、この南北にやや細長いストリップのやや対岸同士でつながりあっている。最終的に僕らは入場券を使って新幹線に乗ったり、ヒッチハイクをして高速道路を通ってデルタの外に出ることも試みた。それでも結局対岸の道路や線路を通ってここに戻ってきてしまう。こうして26本の橋が13組のワープトンネルをつくり、ただ平和大橋一本だけが僕の中学校の校門に通じている。


 相生橋を渡っているときに僕らは僕らとすれ違う。向こうには僕が3人、うみちゃんが2人いた。向こうのほうが大所帯だった。こっちの「僕」が最初に口を開いた。
「帰るための橋を探しているのか」
「探している。帰り道は見つかったか。」向こうの僕の一人が答えた。
「見つかってない。全部対岸に繋がっていない。デルタから出られないんだ」、と僕。
「全部確認したか。」と、向こうの別の僕。
「全部じゃない。今何本だ。」と、「僕」。
「13本目。そっちは。」と、向こうのうみちゃん。
「これで最後だよね。」とうみちゃん。
「そうか。橋では帰れないのかもしれない。」と、向こうの最初の僕。
「いや。まだ別の可能性がある。」と、「僕」。
「別の可能性?」と、向こうの3人目の僕。
「同じ橋がいつも同じ橋と繋がっているとは限らない。」と、向こうの2人目の僕。
「『同じ橋がいつも同じ橋と繋がっているとは限らない。』」と、僕。
「じゃあ、何周すればいいの。」と、うみちゃん。
「つなぎ目の切り替わりがあるの。」と、向こうの二人目のうみちゃん。
「『嵐』が来たら、変わる。」と、向こうの最初の僕。
「『嵐』?」と、僕と「僕」。
「あ、そうだ」と、僕は思いついて、向こうの2人のうみちゃんに膝を擦りむいた傷がないか確認してもらう。二人とも怪我を負ってはいなかった。うみちゃんは、その場で絆創膏を張り替える。彼女のつるっとした膝の上に新鮮なかさぶたができあがりつつあるのが少しだけ覗く。つまりそこには彼女の時間が流れていた。ノートに書き留める。

・デルタの外には出ることができない。

・27本の橋のうち、1本は中学校につながり、残りの13本は互いにつながりあっている。

・僕らのほかにも、このループについて調べている他の僕らが存在する。

仮説1:このループを経験しているのは僕とうみちゃんだけである。

 彼らと別れ、相生橋を渡り終え、最初の平和大橋の入口に戻ってきた。僕らは一度もデルタから出ることはできなかった。あとはショッピングモールのキャンプ用品店でゴムボートでも買って、川を直接渡ろうかという話になったが、「僕」はもうかなり疲れてぐったりしていた。彼の腕時計は3時を指していた。それはもう午後かも午前かもわからなかった。
 それから。
 千田公園のスポーツセンターの体育館までたどり着き、そこでは、僕らと同じくらいの中学生のグループがバドミントンをしていた。二階に上がり、客席のベンチに寝転んで眠ることにした。
 その間に何度かの72分間がめぐった。
 目覚めたとき、僕は一人だった。熟睡はできなかった。早起きしたときみたいな吐き気がして、頭も痛かった。腕時計は8時5分前を指していた。周りの景色は何も変わっていない。中学生、バドミントン、小さな掛け声、蛍光灯、窓越しの夕方の日の光、硬いベンチ。少しだけ窓の外がチカチカしていた。数分してうみちゃんが戻ってきた。僕に携帯電話を手渡す。
「はい。あったよ。」
 それは、本当に僕の携帯電話だった。
「どこで見つけたの。」
「君が見つけたの。」
「『僕』のことを言ってるの?」
「ううん。別の君。他にも君はいっぱいいた。」
「橋の上のみたいに?」
「橋の上のみたいに。もう一人のたかしくんは、私が起きた時にはもういなかった。私と一緒に平和橋を渡ったたかしくん。私はいつのまにか君と、もう一人のたかしくんを区別していた。でも、私が起きた時にはここで寝ていたのは君だけで、あとは窓の外がチカチカしていた。体育館から出ると、今度は建物が真っ二つに切られたみたいに廊下が途中で途切れてなくなっていた。一瞬、地震でもあったのかもしれないとも思うけれど、もしそうだったら、つまりもしそんなに大きな地震が本当に起きていたなら、いくら寝てたって気がつくはず。それに、その部分は専用の機械で切ったみたいに綺麗に切断されているから、自然にそんなことが起きたなんて思えない。
 センターの外に出て、千田公園の遊具がたくさんある広場にたどり着く。まず公園に入ったら、今入ったはずの入口がすぐに消えた。それから、出口が目の前で2個、4個、8個って増えていった。そうやって公園の景色はどんどん変わっていく。一つの遊具が数十秒で現れたり消えたりしている。千田公園には、大きな滑り台がある。水色のながいやつ。それが何重にも巻き上がって縦にどんどん積み上がる。次は鉄の棒にロープの網が取り付けられている遊具が私を取り囲む。だから仕方なく私はその網を登る。そうすると黄色い鉄製のてすりのついたやつで大きなバルコニーみたいなのがついた遊具があるのが見えてくる。ただ、それは上下逆さまに立っている。上に足があって、バルコニーは下向き。今度はバルコニーの上までそれを登っていくと道順はそこでもう行き止まりなので、次に辿るべき経路を探してその場でくるくる回る。でも一回転してもう一度同じ景色に戻る頃には遊具の配置が変わっているから、どこで私は自分が三六〇度回ったのか確認できない。バルコニーから地上を見下ろすと、赤ちゃんが乗ったベビーカーを引いている女の人と、その人が連れいている5歳ぐらいの男の子、赤ちゃんを抱いた別のお母さんがその人と話しているのと、向こうのベンチに座っているおじいさんが見える。それから、また大体一回転して彼女たちがいるところまで戻ってくると、今度は赤ちゃんを抱いた女の人はいなくなっていて、ベビーカーは3つになっていて、男の子は逆さまのバルコニーの上を走り回っている。私の立っている場所と彼女たちはおしゃべりしているところは上下が反転している。頭が下で、足は上にある」
「夢でも見たんだ」
「じゃあこれは何?」そう言って、うみちゃんは僕の携帯を指差す。
「話を続けてよ」
「逆さまになったバルコニーの上に君がいっぱい出てくる。たかしくん、って私が呼んだら、全員一斉にこっちを振り向いて、私のことをうみちゃんって呼ぶ。そこには見たこともない人数の君がいた。30人か40人。何してるの、って私が聞いたら、携帯電話を探しているって。そのうちに携帯電話の鳴る音がする。スマートフォンにもともと備わってる音の一つ。君たちのうちの一人が遊具の隙間から音の主を探し出して、電話に出る、しばらくして、うん、うんと頷いて、うみちゃん、君に話があるみたいだって言って私にそれを渡してくれる。
 携帯電話からは知らない男の人の声がする。その人は、ループのことだ。そういえばわかると思う、それについて可能な限りの説明をするから、一度体育館にもどってくれと言う。どうして、と私が言ったら、体育館にいる男の子と一緒に私の家に来てほしい。君たちは来ることになっている。体育館には男の子が2人いる、と私が言ったら彼は、いや、1人しかいない。その子とうちに来てくれ、そう言って電話を切る。私は、そこにいたたくさんのあなたたちにここから出してくれないかと頼む。それから出口に向かう。もちろん滑り台は完全に螺旋構造をしている。彼らが教えてくれたとおりに君たちのうちの何人かとそれにに昇って、お尻が痛くなるまで4分48秒かけてそれを滑っておりていくと、公園の外に出ることができた。出口のゲートを通るときに一緒に来ていたはずの4人のあなたが目の前で2人に減る。

 センターに戻るまでの道では今度は道路がところどころ途切れている。四角いフレームのようなものが公園沿いの舗道を少しずつ区切り、ところどころ地面の土がむき出しになったり、歩道のフェンスがなくなったり、形が変わったりしている。街路樹も成長度合いがずいぶんまちまちだった。芽だったり、切り株だったり、植えたばかりの新緑だったりする。タクシーが一台通るとその土の上を走る時だけ車のモデルが変わる。まるで、その部分だけその場所がタイムスリップしてしまったみたいに。
 体育館に着く頃に君はひとりもいなくなる。体育館に入ったら、そこには君が一人。もう目を覚ましていた。」
「終わり?」
「うん」
 携帯電話が鳴る。恐る恐る僕はそれに出る。うみちゃんが今話した男のものらしき声がそこから聞こえる。うみちゃんが、
「なんて?」と、聞く。
「今から、迎えにくるって」と答え、僕とうみちゃんは、男が指示した御幸橋駅の前まで向かい、電車が来るのを待つ。

 Y字路の真ん中にある御幸橋駅のところで立っていると、たしかにうみちゃんが言った通りに、カーブの内側に建っているガソリンスタンドや、駅のすぐ隣にある街灯がその場で現れたり消えたりしているのが見えた。それ以上に、空の様子が変は変化が大胆で、つぎはぎされた布みたいに、空には四角形の模様がところどころにできていちいち途切れ、その向こうが曇ったり、雨が降ったり、夕焼けだったりしている。うみちゃんが耳を抑えて顔をふっとしかめる。僕が、
「耳鳴り?」と尋ねると、彼女は何も言わずに頷く。


 男がやってくる。それがその男だということはすぐにわかる。男も僕とうみちゃんをすぐに見つける。男はぼろぼろのコートを着た白髪に白い髭を生やした60代くらいの老人といっていい風貌の男だった。身長は僕と同じくらいだ。
「大体時間通りだよね。」笑いもせず、おじさんは言った。時間通りも何も僕らは同じループする時間の中にいる。以後、僕らは彼をおじさんと呼ぶ。

 3人は、電車に乗って、デルタを北上していった。電車は市街地を走った。そこでも、さっきのフレームによる断片的なタイムスリップは繰り広げられ続けた。日赤病院の表面の壁は新しくなったり、古くなったりを数十秒毎に繰り返し、上階のほうは現れたり消えたりし、消える度に上階の病棟の患者が空中を落下していくのが見えた。市役所、電力会社、そこから金融機関のビルが立ち並ぶ市街地が見えてくる。建物は新品になったり、建設途中になったり、瓦礫の山になったりそ数十秒ごとに繰り返す。古い景色と新しい景色がまだらになったところをプラカードを掲げたデモ隊がシュプレヒコールをこだまさせながらパレードしていた。彼らの列は僕らが今住んでいるのと同じ新しい景色の中では消える。今の時代がまるでカーテンのようになって、彼らのパレードを隠しているみたいに。うみちゃんが、
「これはなんなの?」と、男に聞いた。
「別の時代の景色だよ。街にできたマス目の一つずつがタイムスリップを経験しているんだ」と、言った。その後に、見たこともないツルツルした乗り物が隣を並走していき、路面電車を追い越したところで、よく見慣れたタクシーに変わった。列車は南北に走るが、東西に走る交差点で、さっきとは別のパレード、それぞれに真っ赤な野球のユニフォームを着崩した人たちの群がそこだけ暗くなった夜道の中を歩いていて、そのうちの何人かと目があう。よく見ると彼らはユニフォームだけでなくキャップをかぶっていたり、タオルを振り回していたり、酔っ払っているようだ。県庁の隣を通る時に一瞬だけ、車両の中が暗くなり、車両の先頭が出火し、車内はほとんど服を着ていない、髪の毛が半分なくなった人たちでいっぱいになる。うみちゃんは短い悲鳴をあげる。
 僕らは本通で電車を降りて地下に降りて別の路線に乗り換える。今度は白島駅で降りて、彼の家に向かう。僕らが電車を降りるとすぐに17時24分になり、プラットフォームからぱっと車両が消える。駅から歩いて数分の住宅地にある老人の家は白くて細長い地上2階、地下2階の庭のない一戸建て。正面には「胤井」という表札がかかっている。屋上には高さ2メートル、太さ1メートルくらいの鉄柱が置かれている。
「おじさんは『胤井』さんっていうんですか。」と僕が聞くと。
「おじさんの家じゃないよ」
「いつからここに住んでるんですか?」
「ループが始まる前だ」
 おじさんは、僕たちをそれぞれの部屋へと促す。家の中にはリビングと寝室が三つあった。三つの寝室は全てベッドメイキングが済んでいる。「たっぷり休んでいい。15時間後。君たちはシャワーを浴びて下に降りてくる。」と、告げる。僕らは交代でシャワーを浴び、それぞれの寝室で眠った。


 ここでは太陽が昇らないし、日付も変わらない。一度寝て、また起きると自分が何時間眠ったか確かめるすべがない。ただ眠ることで記憶は途切れ、いつかまた目覚める。一度眠ると、このループの中の僕とうみちゃんの人数は変わるようだ。それで結局「僕」は消えてしまった。もしくは今の僕が僕ではなく「僕」なのかもしれない。もしくはどちらかがどちらかを吸収したのかもしれない。つまり、一度寝てしまえば、自分の同一性というものが確認できなくなってしまう。寝る前の僕と今の僕が同じであることを、誰が保証してくれるだろうか。この建物の中に僕は一人、うみちゃんとおじさんもそれぞれ一人だ。しかし、少なくとも僕とうみちゃんは増えてしまうことがある。おじさんやうみちゃんは僕と他の僕たちを区別しているだろうか。僕はうみちゃんとうみちゃんたちを区別しうるだろうか。僕は膝に怪我を負ったあのうみちゃんを他のうみちゃんたちと区別している。僕にとってあのうみちゃんだけが一人のうみちゃんである。そう信じることでだけ、僕もまた一人だということを信じることができる。彼女の傷がこの世に一つだということが僕自身の存在への祈りとして返ってくる。瞼の裏に僕は祈り、僕は疲れ、僕は眠り、目覚めた僕もきっとそういうふうに僕であることを願って意識は途切れる。


3、

 確かに眠り始めてから15時間だとおじさんは言った。
 僕らは何度目かの16時12分に朝食を食べ始める。味噌汁と白米と焼き魚とスクランブルエッグがあった。おじさんが一番最初に食べ終わり、皿を洗いながら今度は君たちにも作ってもらうと告げた。うみちゃんはにこにこ笑っていたが、僕は、まだこのおじさんを信用する理由なんて一つもないと思っていた。おじさんは僕たちに新しい時計を渡した。時刻は午前9時を指していた。これからはそれがループしない新しい時刻になると言った。
 玄関のすぐ正面にある二階に登る階段の側面に小さな引き戸があった。それを開けると地下に伸びる傾斜の急な階段を降りていき、僕らは地下室に初めて入った。いくつかのコンピューターをたくさん繋ぎ合わせたような機器のの群れと本や紙の資料の山が広がっている。おじさんは、埃を払って、背もたれのついた椅子に僕らをそれぞれ座るように誘導し、
「どこまでわかったの」と尋ねた。
「まず、僕らはこのデルタの外には出られない。それから、16時12分から17時24分の72分間に閉じ込められている。あと、ループを経験できる人間とそうでない人間がいる。橋を渡ってデルタの外に出ることはできない」と僕は答えた。
「ループを経験できるのは?」と、おじさんは続ける。
「僕とうみちゃんだけ」と、答える。
「ここに来る途中に『嵐』は見たね。それについてはどう」おじさんの質問は、先に僕の答えを察知しているかのように間髪を入れない。
「『嵐』?」と、僕は馴染みのない言葉を聞き返す。
「空がチカチカ光ったり、道路のアスファルトが消えたりする。」おじさんはちょっとおちょくるような調子になって得意げだ。
「公園の遊具が増えたり逆さまになったりもする?」と、うみちゃん。
「場合によっては。嵐の現象は大きく2種類ある。街の中にできただいたい数メートル四方の立方体の中が、他の時代の街と入れ替わる。そのせいで道路が突然消えたり、電車が新しくなったりする。もう一つは、一つの場所で同じものや人が増えたり配置が変わったりする」と、おじさん。
「僕らみたいに」と、僕。
「君たちみたいに」と、おじさん。
「それを観測しているのは私たちだけなの?」と、うみちゃん。
「たぶんそうだ。例えばタクシーはその部分を走る時だけ旧式になり、元の道に戻ると、車体も元のモデルに戻る。つまりタクシー自体は、そのままの形でタイムをトラベルをしない。私はこの町中にフレームが現れる現象を『嵐』と呼んでいる。そこに時計があり、ループの外で時間を刻むことができるようになっている、長く使っているので正確なカウントよりは多少ずれているかもしれないけれど、ほぼ正しい。君たちにさっき渡した腕時計と連動している」そう言って彼は、彼は画面の中にあるウィンドウの一つ、デジタル時計の表示を指した。そこには9で始まる5桁の時間と2桁の分、2桁の秒と思われるカウントがそれぞれ刻まれていた。その時計はどこかの時点から経過し続ける「矢」のような時間、つまりループしない時間を示し続けている。
「『嵐』は平均して、72分のループ120サイクルごとに一回起きる。だいたい144時間、10日に1回くらいだ。これには前兆があって、私はそれを天候のようなものを計測して予測している。後で詳しく説明する。『嵐』は一度起きるとだいたい2サイクル、約2時間24分前後続く。
 「嵐」の中で何が起きているのか。一番最初に調べたのは市役所だった。一階の受付のところに日めくりカレンダーとデジタル時計がある。「嵐」の最中にそこにいると、長いときには数十分、短くて数十秒のインターバルでそれがくるくる変わる。そこに書かれた日付の時間と、一つの滞空の長さを記録してきた。市役所が終わると次は県庁、県立図書館、科学館、美術館。公共施設は取り組みがしやすい。その記録を一つずつ地図に書き起こして、立体のタイムラインを作った。途中からは君たちにも手伝ってもらった。ループから脱出したいのは私も君たちも一緒だ。なにより君たちは多い時にはずいぶん数が増えるから、人手には困らなかった。それで街のいくつかの場所に監視カメラを設置して、調べられる場所を増やしていった」
 画面上には巨大なデルタ全体の地図が映し出され、そこに格子が重ねられ、マス目ごとに色が少しずつ変化していく。色の変化に合わせて各マスに4桁の数字が表れる。
「『嵐』は過去や未来のこの場所をこのループの中に呼び込む。記録を集めていくと『嵐』のせいで現れるそれぞれの日付が、西暦で言うと1940年代から3730年代にかけての幅をとっていることがわかった。一番多いのが1960年代から2000年代にかけて。1940年代、つまり小さい数字に近づいていくほど、現れる時代にばらつきがあり、2000年代に近づくと回数自体は多くても、ある特定の日付ばかりを指すようになる。そして、数字が大きくなればなるほど、分布の範囲が広範囲でまばらになっていく。そこで、同じ特定の時間を再現している場所についてダブルカウントするのを避けて、より詳しいマッピングをした。するとタイムスリップに1945年より前のものは一つもなく、50年代くらいまでは頻繁に分布、70年代後半からどんどんまばらになっていって、2200年代以降になると数十年に1場面しか切り取られていなかったりする。これがなにを意味するかわかるか」と、突然注意が僕らに飛ぶ。
「さっぱり」とっさにそう答える。
「君、数学は得意か」おじさんは、僕だけに質問をする。
「どちらでもないです」これもとっさに答える。
「1945年を起点にすると、分布の範囲の幅は大体、値の幅が2000。それで数が大きくなるとどんどん分布が過疎になっていく。それぞれの数字の集合に中心の基点をつくって、分布の広がり方に規則性を見ると、2の乗数倍に範囲が広がっていることがわかる。こういう広がり方をするものは私たちのとても身近に一つある」

 おじさんは話しながら画面の中の分布図を操作し、平面状の複数の点だった分布図を螺旋を描く立体図形に変えていき、それを見たうみちゃんは、
「音?」と、答えた。
「そう。この分布図の形は私たちが音楽と呼ぶもの、楽器が奏でるような音階にとてもよく似ている。この町は楽器のように演奏されているんだよ。私は市役所で発現している時代を20〜2万ヘルツ、つまり可聴域の音声に合わせてサイン波に翻訳した」
 音が流れた。しかしそれはいくつかの単調な機械音がリレーしていくだけのものでとても曲とか音楽と呼べるような類のものではない。
「これが4時間続くのはさすがにかったるいので、60倍の速度で流すと、4分48秒の曲になる。」
 彼が速度をはやめて再生したその「曲」にはちゃんとメロディがあった。
「このデルタ中のあらゆる場所がこういうふうに時を刻んでいる。いくつかの場所を合わせると、それが同じ曲を奏でていることがわかる。これはついこの前完成したんだ。街中700箇所の音を一気に集めて全て一気に60倍の速度で流すとこうなる。つまり、タイムスリップのフルオーケストラだ」
 確かにそれは、いくつかの和音が折り重なる巨大な音楽になった。
「歌ってる」と、うみちゃんが言った。
「この曲がループからの脱出となんの関係があるんですか」
「別に何もない。これはただの遊びだ。」おじさんは呆れた表情で僕を見ていた。しばしの沈黙の後、
「私は面白いと思います」と、うみちゃんが言った。
「屋上の干渉計は見たか」

「いいえ」

「じゃあ、まず屋上に上がろう」
 それから僕らは地下を出て、2階のベランダから外付けの階段を登って屋上に上がった。そこには幅太い鉄の柱があった。
「これ、なんのためにあると思う?」おじさんは、大切そうにその表面を撫でた。
「わかりません」また、僕の答えはとっさだった。
「もうちょっと考えてから言ってほしい。この街には地上600メートルくらいの地点に一つの裂け目がある。そこから漏れてくる音をあれは拾っている」

 おじさんが「音」と言うとき、それは僕らの知っている「音」ではない、別の何かの固有名を指すようなニュアンスがあった。
「音ですか」僕は自分の知っている「音」しか発音できなかった。
「正確には音なのかはわからない。わからないことのほうがずっと多いのは君と一緒だ。ただ、そこにかける勇気があれば君たちはループから脱出できるかもしれない。あの干渉計はその裂け目からやってくるエネルギーのゆらぎのようなものをとらえ続けている。そうして放出されるなにかのゆらぎは基本的に不規則で何の役に立つかはわからない。しかし、「嵐」の前ぶれの中ではそれははっきりと規則性を獲得し、途中から同じパターンを繰り返す。パターンは次第にその周期を短くしていき、それが一定の間隔になったとき、いつも「嵐」が始まる。これを使って私は、いつ「嵐」が来るのかを予測している」おじさんは誘導するようにデルタの岸辺のほうに目線を移した。
「そのゆらぎが漏れてくる地点というのは空中の特定の場所なんですか」僕らはおじさんだけを見ている。
「そうだ。あれのすぐ上にそれはある」そこで言葉を止めて一度ため息をついた。
「『嵐』に取り込まれる一番古い時間というのは、1945年8月6日午前8時15分。『嵐』の直前には原爆ドーム上空、地上567mの地点から規則正しくそのゆらぎが漏れてくる。これだけ説明すれば君たちにも大体の予想はついて来ただろう」おじさんが話すのをやめたときに、僕らの頭の中には同時に巨大なキノコ雲のイメージが浮かぶ。僕らはデルタの端へと視線を移す。

「いずれ『嵐』は原子爆弾「リトルボーイ」爆発の場面を再演する。我々はそのできたばかりだった、このループの原因そのものに飛び込む。成功するかはわからない。しかし、飛び込むことだけがおそらくループの外に干渉する唯一の方法だ」

 それからおじさんは、その「ゆがみ」へと突入するための乗り物を見せるためにもう一度地下に降りていくようにと僕らを促す。地下室には三人乗りのオートジャイロがある。おじさんの後を追って、2階に降りようとすると、うみちゃんが僕の肩を掴む。

「どうしたの」

「たかしくん、おじさんのことなんだけど」

「うん」

「たかしくんはおじさんが誰なのかきっと、わかってるよね」

「おじさんはおじさんじゃないの」

「たかしくん、本当に私の言ってること、わかんないかな。たかしくんはノートを付けてるでしょ。そこにも書いてあるはず。ループを経験することができる人間は私と、たかしくんだけ」

「うみちゃんは何かに気づいているんだね」

「おじさんはなんであんなに私たちがループの外に帰れることに自信たっぷりなんだと思う? まるで未来に起こることを知ってるみたいに」

「うみちゃん、僕は世界の秘密みたいなものなんて知りたくないよ。ここを出られればそれで十分なんだ。そういう話はあんまりしたくない」

「……わかった」

 僕らは黙って階段を降りた。



4、

 原子爆弾投下の再演は、その約1440時間後にやってきた。ことはほとんどおじさんの説明の通りに進んだ。「胤井」家の地地下室は核シェルターの役割を果たした。僕らは爆弾のさく裂を待ったが、もちろんそんなものの直撃を被ることは想定していない。しばらくは「嵐」が発生するたびに、いつ爆発が起きてそれに巻き込まれてもおかしくないと怯えて過ごしたし、発生を予測する干渉計がなければ、僕らは簡単に熱線か衝撃波で死んでいただろう。

 その日、干渉計と連動して嵐の予告を告げるアラームが家中に鳴り響き、僕らはいつものように地下室に逃げ込んだ。アラームが鳴っても「嵐」が来ないことがそれまでもあったし、はずれが続くほど僕らの油断も増してきてはいたが、実際に鼓膜の破れるような巨大な爆発音を聞くと、僕らはいよいよそのときが来たのだと察して緊張し始めた。おそらく、その日だって本当に爆弾が投下されるなんて3人とも思っていなかった。すぐ隣でうみちゃんは「きた。」と呟いた。そのあとすぐにおじさんの指示に従い、ヘルメットをかぶってオートジャイロへかけこんだ。

 
 このループの世界にエノラ・ゲイは飛来しない。世界はウラン235の核分裂から始まる。分裂は連鎖反応を引き起こし、ほぼ同時に爆弾の外殻の外に飛び出した中性子があらゆるものの原子核にぶつかり、次の放射線を発生させる。空中の炸裂地点に浮かび上がった半径約20mの火の玉はやがてキノコ雲に変わり、そこから四方に広がる熱線が地上を襲い、並行して広がる衝撃波が作り出した風速最大200mの爆風が周囲数キロを全方位に向かって走り抜ける。
 おじさんの右手のひらの中で、爆発と同時に開始したタイマーは1分を計測し終えるとアラームを鳴らし、地上を襲う爆風とガンマ線が収まって外に出ることができるようになったと私たちに伝えるので、それを合図に地下室と地上の部屋をつなぐ避難用のハッチを開いてオートジャイロを発進する。三人を乗せた座椅子に小さなタイヤが3つと巨大なプロペラが付いただけの乗り物は短いスロープを駆け上がり、不気味な曇り空の下に出ると、白島から市街地に向けて、破壊されたさまざまな時代の自動車が転がる一般道を、力強くプロペラを回転させながら走り抜け、数十メートルの即席滑走路を駆け抜けたところで横転した乗用車にぶつかりそうになりながらゆっくりと離陸を始める。
 そっと下を見下ろすと、街中にはあの嵐のタイムスリップの証拠である四角形のフレームに囲まれて点滅する景色が見える。爆発によって1945年から3945年までのあらゆる人や建物が被害を被る。ある者は服を焼かれて半裸状態のまま立ち尽くし、路面電車は炎を上げながら走り回り、廃屋の下では体の半分を下敷きにされた人たちがこと切れて倒れ、軽トラックが慌てて堤防に追突し、倒れた車から出てきた人が慌てて川に飛び込んでいく。その一つずつは、一瞬にしてフレームに切り取られ、別の時代の真新しい街の風景と活き活きとした人間に切り替わる。被災者は修学旅行生に代わり、避難所を探す女学生は外国人観光客に代わり、慰霊のために当地を訪れた老人たちはまだ見ぬ未来の広島市民に変わる。
 おじさんは徐々に高度を上げながら少しずつ老朽化具合を変えながら、いずれにしても廃墟である原爆ドームを目指す。おじさんの目線の先には写真の上にこべりついたインクの染みのような黒い点がある。
「どうやって出口に入るんですか」
「あれに体当たりする」
「どれですか」
「あの黒い点だ」
  オートジャイロはぐらぐらと強い揺れにさらされながらぐんぐん高度を上げていく。おじさんは僕の肩を急に掴んで座席から引き剥がし、こう言いながら思い切り蹴り飛ばす。

「あとで追いかけるから、先に突っ込め」

 僕はそのままジャイロから自分の体よりもずっと小さい穴に向かって落ちていき、同じように突き落とされてうみちゃんがこっちに向かって落ちるというよりも吸い込まれてくるのを目にする。それから強風に煽られたオートジャイロがよろめきながら高度を落としていく。機体が最後にどうなったかはわからない。そこで目の前が真っ暗になる。意識が途切れる直前に、おじさんは最初から自分がそこから抜け出すつもりなんてなかったんだ、格好つけやがってと思う。僕は暗闇におちる。

 

ぱち ぱち ぱち ぱち ぱち

 空気さえない暗黒にプラズマの弾けるような音がする。

 気がつくと僕は一人で宙を漂っている。

 それは水中に浮かんでいるのにも似ているし、スカイダイビングをして、パラシュートを開く前の状態にも似ている。とはいえ、僕はダイビングなんてしたことがないのだけれど。

 真っ暗な空間にどこか遠くから電車が近づいてくるような音がして、目の前の線路を通過するときの轟音を立てながら目の前の風景を照らし出す。すると、そこには広島市の上空を落下する無数の僕が上下、前後、左右に無数に広がっている。まるで鏡の部屋に閉じ込められたみたいな風景だが、それはどうやら鏡ではない。一人一人の僕の動きには少しずつ時間のズレがあるようだし、彼らと僕の間に鏡面に相当するような平面の境界がない。隣で、ある僕がもう一人の僕に触れると一瞬二人は両手のひらを合わせて空中に静止するが、一方がもう片方を強く押すと押されたほうが押したほうに渦を巻いて吸い込まれるように消えてしまい、強く押した方だけが最後に残って前につんのめる。怯んだ僕の背中に、君は一頭ずつの虎だ、と声がかかる。それが、ッピーンとンジィーシィーとの出会いだった。

 彼らこそが、僕の下校路をおもちゃにして好き勝手ばらばらにした張本人だ。僕らとは別の次元に属する彼らは僕らが距離や重さを扱うように時間を切り刻んで組み立てる。僕らとは別の次元に暮らす彼らの身体を僕らの言葉で厳密に表現することはほとんど不可能に近いのだけれど、その身体らしき総体を分解したり交換したりしながら彼らは僕らのような時空間を使ってダンスを踊る。彼らにとって時間とは、僕らにとっての「曲」なのだという。彼らは僕のことも「時間」だと言った。君たちは時間を直接知覚することはできないかもしれないが、ときには君たちが時間そのものである。ある作家は時間は虎であり、君たちを飲み込もうとするけれど、君たちもまたそうした虎であると言った。そういうふうに、時間そのものでもある君たちは、互いに分岐したり混ざり合ったりし続ける。そう言って彼らは遊びのお詫びに僕に帰り道を示してくれる。君たちは時間でもあるが、君たちは君たちが置かれた状況というまた大きな時間に飲み込まれる。その状況もまたジャングルの中で出会ってしまった巨大な虎たちのように争いを回避するために額をこすり合せる。その敵対でも親愛でもない、親密な身振りの奏でる音が君たちの置かれた街の上空に音楽となって降り注ぐ。楽しみをありがとう、遊びをありがとう、人生のいくつかをありがとう、君たちの言葉で話すのにはあまり慣れていないから、これが正しい表現かどうかはわからない。でも僕らの言葉を翻訳するとこういう言い回しになるんだ。この中から君たちの虎を一頭、好きなのを選んで飛び込んでくれ。そう言われて僕は膨れ上がって虎になろうとするもう一人の僕を強く押す、するとするすると体は馴染み、滑り台の上を滑るように僕はどこかに流れていく。そして、もちろん滑り台は螺旋状だ。それにしてもずいぶん大雑把な帰り道じゃないか。こんなことで本当に元にタイムラインに帰れるんだろうね。帰り道にかかる時間を僕ははっきり知っている。4分48秒。だって僕こそが時間そのものなのだから。

5、

 学校の帰り道に平和大橋の右岸で、一人で倒れているところを発見された。通りかかった郵便局員の男性がそれを発券して、その場で救急車を呼び、近くの病院に運ばれた。病院で目を覚ましたときには母親が泣きながら心配をしていて、会社から駆けつけた父がちょうど病室に到着したところだった。そのあと1泊だけ入院したが、検査の結果どこにも異常が見られないということだったのですぐに退院した。そんなことがあったことは、そのあとずっと忘れていた。


 付属の高校に進学したあと大阪の大学の文学部に合格して一人暮らしを始め、そのまま大阪の広告代理店に就職してウェブデザインの仕事についた。三〇歳のときに、当時付き合っていたクライアント先の人と結婚して、それから子どもが二人生まれた。40歳のときに独立して小さな事務所を持ったが、相手は上の娘が中学を卒業するときに、高速道路で玉突き事故に遭って突然死んでしまった。仕事はその後も細々と続いた。50歳のときに突然のくも膜下出血に襲われ手術することになり、幸運にも後遺症は残らなかったが、仕事の量自体はそれをきっかけに少し減らすようになった。

 倒れたのは娘の結婚式の数日後だった。自分のことで手一杯なはずの娘が、こちらの体調を気にかけるようになってくれて申し訳ない気もしていた。彼女と宅地開発の会社に勤めていた彼女の新しい旦那の勧めで、彼がとても良い条件だと言って見つけてくれた一軒家に引っ越すことになった。何十年かぶりに広島に帰って暮らすことになったのはそういうきっかけだった。娘に、「ずっと帰りたがっていたでしょ」と言われると、確かにずっとそうだったような気もした。
 その家は新白島駅から歩いて15分くらいのところにある、屋上付きの2階建てだった。不動産屋と下見に行ったときに、隠された地下室があることがわかった。誰にも気づかれずに一人でこっそりそこに降りていった。地下室のことは不動産屋も知らなかったようで、そこには前の所有者のものらしき荷物が大量に残されていた。たくさんの資料と大きな画面、プロペラ付きの自転車のような乗り物さえ残っていた。そんなにたくさんのものが残されている物件がそのまま売りに出されるなんてことがあるんだろうか。それに、なんでこんなことをずっと忘れていたんだろう。私はあれからずっと、たかしくんに会っていないのだ。私はあの後、たかしくんがどうなったかということを一つも知らない


 私は巨大な画面の装置を起動して、キーボードに打ち込み、デスクトップから音声ファイルを一つ選んで再生した。それはいくつもの楽器が奏でる巨大な音楽だった。音楽が鳴って初めて、私の周囲にいくつもの真っ黒なスピーカーが備えてあることに気が付いた。いや、思い出した。再生すると画面上に湾に面する三角州の地図の一つが現れ、そこに振られたマス目が一つ一つ、カラフルに色を変えた。1階にいるはずの他の人間が地下室の存在に気がつくのではと気兼ねしたが、結局誰も下には降りてこなかった。ただ、曲がクライマックスに差し掛かると、地下室には冷たい風が吹き、温度が下がっていくような感じがして、部屋の中に私の他に誰かがいた。そのもう一人はきっと私の家族でも、不動産の営業担当でもない。
「誰?」私は可能な限りの穏やかさを備えた声でその人に尋ねた。本当な彼が誰かちゃんとわかっていた。

「うみちゃん?」
 13歳のままの姿で現れた彼はとても久しぶりに私の名前を呼んだ。

文字数:19079

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