神宿る森

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梗 概

神宿る森

「神が住む」と言われる、霧に包まれた深い森に囲まれた村。その外れで、狩人と少年レンが野営をしている。
狩人はしばらく前に、この村にふらりとやってきたよそ者である。村人は彼を警戒し、迫害するが、かばったのはレンだった。
レンが小さな頃、父親が誤って神の使いである「神獣」に危害を与えてしまった。禁忌に触れた一家は村八分にされ、レンは辛酸をなめて成長した。
はぐれもの同士気が合ったふたりは、行動を共にするようになった。
狩人はこの森について何でも知っているようだった。
しばらくして、狩人はレンに本当の目的を話した。
「じつは、この森の神様を倒すんだ。協力してくれないか」
レンは驚くが、了承する。自分や家族を悲惨な運命に落とし込んだ「神」に報復をするのだ。

この森には一年に一度、「神」の使いである「神獣」が姿を現すとされているのだ。その日はすぐそこに迫っていた。
「神獣」を待ちながらレンと狩人はたき火を囲み、「神」について語り合った。
「この世界がどうなっているか、知っているか?」
狩人は、この森は樹々や土、そして動物たちが互いに情報を交換するネットワークを作っていること。そして「神」とは「森」の生態系ネットワークとひとびとの無意識が生み出したものだ、とレンに語る。
「何のことだか、わからないや」
レンは呆然と、狩人の話を聞いていた。

数日間の待機ののち、果たして「神獣」がやってくる。
それは森の梢よりひときわ大きい、巨大な獣だった。
狙いを付ける狩人に、動物の群れが襲いかかる。レンは狩人をサポートし、動物を倒す。倒した動物からは、ゼリーのようなものが流れ出した。
「ナノマシンだ」
狩人が言う、その言葉の意味はレンには分からなかった
「神獣」を射程範囲に収め、狩人は弓を放つ。「神獣」の急所に命中し、どうと倒れる。
そのとき、森を覆っていた霧が晴れる。ふたりの頭上、空の上にも森が広がっているのがわかる。この森は円筒形のコロニーの内部だったのだ。
「神獣」が斃れた瞬間、地は鳴動し、梢は激しく揺さぶられた。天変地異が発生する。しかし、狩人が手を上げると、一瞬にして静かになった。
狩人は光に包まれる。驚くレンに、狩人は言った。
「ありがとう、きみのおかげで本物の『神』になれたよ」
狩人の正体は、この地に自然発生した集合意識――「神」だった。
かつて人類は、地球から遠く離れたコロニー内部に生態系を移植し、植民した。しかし人工的に作られ、まだ安定しない生態系を継続的に監視、保全するシステムが必要だった。森の植物、動物たちににナノマシンを埋め込み、生態系、気候の恒常性を保つネットワークが作られた。そして地球との交流が絶たれ、科学文明が衰退するうちにそれは「神」と呼ばれてきたのだ。
しかし長い年月が経つうちに、森を崇めるひとびとの無意識は代を重ねて成長していった。森に張り巡らされた生物のネットワークと相互作用し、世界を統括する上位意識――「神」が生まれたのだった。
しかしそれが制御システムに取って代わるには、システムを統括するシンボル――「神獣」を倒さなければならなかった。
今や、機械仕掛けの偽物の神は屠られ、このコロニー――森は本当の意味で神宿る地となったのだ。

文字数:1316

内容に関するアピール

スペースコロニー内部に再現された「森」をひとつの舞台に見立ててみました。「森」は「バイオスフィア2」のような人工的な閉鎖空間で、ナノマシンのネットワークに調整されながらひとつの生態系を形作っています。
同時に、「森」は人間の無意識が投影される場所であります。そして「神」は日本SFの重要テーマのひとつであります。「神獣」は『もののけ姫』のシシ神様をイメージしています。
実作では、レンの視点で書きたいと思います。アニミズムをガイア仮説などで肉付けし、森の雰囲気、暗闇とたき火の灯り、樹々と獣の気配。そして「神」の雰囲気を出せたら、と思います。

文字数:269

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神宿る森

レンは、浅い眠りから覚めた。
近づいてくる物音に気がついたからだ。
足音だった。
下生えをかき分け、木の根元にうずくまって、様子をうかがう。方向からすると、村の外から歩み寄ってくるようだ。
男が街道を歩いているのが見えた。村人の顔はみんな知っているが、この男は見たことはない。
この道は一本道だ。行き先は――村だろう。
レンは訝った。
「おい、あんた」
声をかけると、立ち止まって振り向いた。
「村に行くのか」
「そうだ」
「……やめときな。よそ者を受け入れるところじゃない」
レンは間髪入れずに答えた。
その言葉を男は無視して、歩みを進めた。
レンはそっと後をつける。
人間に対する関心をなくしていた。そのはずだった。しかしなぜだか、あの男を見ると胸騒ぎがする。

村の入り口に当たる木の門で、さっきの男が村人数人と口論していた。
案の定、通ろうとするところを見とがめられたようで、言い争う声が聞こえる。レンが恐る恐る様子をうかがってみると、こんなやりとりをしていた。
「あんた、誰だ?」
「……見ての通り、狩人だ」
「この村を知ってるのかい」
「ああ」
「だったら、なんで来た? この村の森では、よそ者の狩りはまかりならん。なんてったって、神の森だからな」
「知らんな」
村人はさらに問う。
「何の用があって?」
「神を、殺しに来た」
その言葉に、村人の顔が歪む。
「なんだって……」
「お前、なにを言ってるのか分かってるのか」
「ああ、分かってる」
「正気の沙汰じゃないな!」
罵る男、嘲るように吐き捨てる村人たちを狩人は無視して、歩み去ろうとした。
狩人は、村人とは体格が全然違っていた。
頭ひとつ大きく、肩や胸には筋肉が盛り上がっている。
彫りの深い顔には紋様を描き、なめした毛皮を身にまとい、背中には弓を担ぎ、さらに槍を一振り携えている。
あれほど大きな弓は、この男ぐらいの筋力がなければ、矢をつがえることすらおぼつかないだろう。
「ここは、神の宿る地だ。お前のようなやつが踏み込んでいいところではないのだ。引き返せ!」
しかし狩人は歩みを止めない。
「おい、なめてんのか!」
つかみかかる。
男が裾をつかんで振り払うと、村人の身体はあっさり飛ばされた。
「おい、やっちまえ!」
そこにいた男たちが、狩人に一斉に飛びかかろうとした。
レンは、革の投石紐(スリング)を携えて藪をそっと抜け出した。
木の陰から半身を突き出し、ひゅんひゅんと振り回す。十分加速がついたところで、手を緩めて石を解き放ち、素早く藪の中に隠れた。
石つぶては弧を描いて飛び、村男の頭部に当たる。
「うげっ!」
仰向けに倒れた。
藪の中から飛んできた石に、男たちは相当びっくりしたようだ。
レンは、わざと大きな音を立てて藪の中から飛び出す。
「おい、こっちだ! お間抜けさんたち、ここまでおいで!」
男たちは忌々しげに言葉をぶつける。
「レンだ!」
「あの罰あたりめ、なにしやがる!」
狩人にレンは目で合図を送った。
(今のうちに逃げろよ)
狩人はそのメッセージを受け取った。
そしてレンは藪に飛び込んだ。
狩人はレンに続いて藪に飛び込む。急斜面になっていて、滑り降りると一気に村人の手の届かないところまで落ちる。
「くそっ」
村人たちは、追跡を諦めた。村を離れて森の中――神の領域――に入るのが恐ろしかったのだ。
斜面の下でレンと狩人は落ち合った。
「……助かった。礼を言う」
「おれはレンだ。あんたの名前は?」
「覚えていない」
「どっから来たんだ?」
「それも覚えていない。気がついたらこの出で立ちで、森の中を歩いていた」
「?」
「覚えているのは、自分が狩人ということ。そして、自分の狩る獲物は『神』だということ。それだけだ……」
「ふうん」
レンはいたずらっぽくいった。
そのとき、がさっと音がして、藪が揺らいだ。間髪を入れず、狩人は手槍を投げる。
四つ足の大きい肉食獣が姿を現した。手槍は胸のあばら三枚目、ちょうど心臓のあたりに突き立ち、口からは弱々しくうなり声を発している。
「レン、おまえ、やられていたぞ」
「ありがとう……このお礼は必ずする」
「構わぬが、知っているなら、どこか雨露をしのげるところを教えてくれないか」
「……おれの家に案内するよ」
「家」とは、巨木の根元に穿たれた洞だった。レンが素早く潜り込む。狩人も続く。
中は意外に広かった。ひんやりとしたかび臭い空気がよどんでいる。
「あいつらの知らない洞窟だ。ここにいれば大丈夫だ」
壁は土がむき出しで、木の根が飛び出していた。一部に掘った跡がある。天然のものを掘り拡げたもののようだ。
「食えよ。蒸し焼きだ」
焚き火の灰から、キノコを木の葉に包んだものを掘り出す。そばには口から尾の付け根まで串に貫かれたトカゲが刺さっている。
「すまない」
「こんなのもあるぜ……」
レンは瓶(かめ)を持ち出した。なにが入っているかは、匂いで分かる。
「祭壇から、ちょろまかしてきたんだ」
「酒か」
ふたりは白濁した液体を杯に注ぎ、口に運んだ。
「レン。それよりおまえはどうして、おれを助けた」
「さっき言ってたこと……口から出任せじゃないだろうな」
「ああ」
「信じるよ……おれと同じだからな」
レンは口を開いた。
「おれも、殺りたいと、ずっと思ってるんだよ」
「?」
「神様を、な」
熾火が薪に燃え移り、炎が大きくなった。照らされたレンの横顔が、やけに大人びている。次は狩人は口を開く番だ。
「聴いていいか」
「ああ」
「……レン。お前はどうして、こんな暮らしをしているんだ」
「話せば、長くなる」
揺らめく炎を見つめながら、レンはぽつりぽつりと話し始めた。
「いまでも思い出すのは、子供の頃のことばかりだ。こうしてたき火に当たっていると、あの頃の家が、昨日のことのようだ……」

子供の頃、レンは幸せだった、と思う。
父も母も妹のカナもそろっていた。父は頼りがいがあって、母はいつも優しく笑顔を絶やさなかった。ふたりとも働き者だった。カナは愛らしく、いつも自分について回っていた。
その頃から家には産と呼べるものはなく、村から土地を借りて耕し、わずかな収穫の分け前で生活していた。そこから年貢を出すといくらも残らなかったが、少なくとも一家が飢えることはなかった。幼いきょうだいは、生きることの辛さを思うことをせずに済んでいたのだ。
そう、あの年までは……。
レンがようやく、物心ついてきたころだった。
その冬は、例年になく雪が降り続いた。深い雪に埋もれてしまい、外出もままならない日々が続いた。
備蓄した食料で、細々と食いつなぐしかなかった。塩漬けの菜などを、惜しみ惜しみ食べた。
そんなとき、レンが病に倒れたのだ。高熱が続き、レンは衰弱していった。
よく効く薬などはなく、病を治すには滋養のあるものを食べて休養し、体力をつけなければならない。
レンは激しく咳き込むようになった。このまま放置していればレンだけではなく、家族に感染り、みな動けなくなる。そうなれば一家もろとも死を待つしかない。
両親が厳しい顔で話し合っていたのを、熱に浮かされたうつろな意識の中で覚えている。
次の朝。
――待っていろ。
数日後、父親は戻ってきた。大きな雌鹿を肩に担いでいた。
――あなた、それは……。
――聞くな。
そのまま捌くと、骨の髄まで料理して一家で平らげた。
数日後、レンは回復した。家族に感染することもなかった。
しかし――
この森で、定められた以外の殺生は禁忌だった。
程なくして秘密が村人に知られることになったとき、父は禁忌を犯したことを厳しく責められた。鞭で激しく打たれ、何本もの屈強な足が、父の肉体を踏みにじった。レンたち家族は、その有様を目をそらさずに見るように要求された。
このとき知ったのだが、父は村人の家々を回って、豚や鶏の肉を分けてくれるよう、懇願していたという。しかし聞き入れられることはなかった。村は貧しく、そんな余裕はなかったのだ。
一家は村を追われ、村外れにある粗末な小屋に住むよう命ぜられた。
そこは屋根も壁もボロボロで、隙間から雨や北風が容赦なく入ってくる有様だった。周囲の土地を畑として耕すように、とのことだったが、誰の手も入れられていない土地を、一家だけで作物の実る畑に開墾するのは、おそろしく困難なことだった。
血のにじむ労苦ののち、それでも春には畑らしきものが出来て、作物を植え、手入れをした。水をやり、雑草を抜き、しばらく経ったある朝、畑は何者かに荒らされていた。畑の作物はすべて引き抜かれ、うち捨てられていた。
収穫の季節が来た。無論作物など穫れなかったが、やってきた村のものは言った。
――年貢を出しな。
追放されても、村の掟からは逃れられなかった。
――堪忍していただけますか。この有様なので……。
必死に頭を下げる父親に、村のものは冷ややかだった。
――嘘をつけ。作物をどこかに隠してあるのだろう。探させて貰う。
そうして小屋をめちゃめちゃにして去っていった。
一家は、森の木の実やキノコで飢えをしのぐしかなかった。
夏には、父が倒れた。
命がつきたとき、村のものがやってきて、葬式だけは手伝う、といった。しかし、礼に則った葬儀はせず、亡骸を森の奥へ持っていった。行き先は教えてくれなかった。
男手のなくなった家は、さらに困窮した。
そして、冬を迎えようとしていたある朝。
カナが熱を出した。高熱にあえぎ、咳き込んだ。
あのときのレンと同じだ。
レンが取るべき行動は、ひとつしかなかった。手槍と投石紐を手にして、家を出た。
――待っていてくれ。
母親は言った。
――行かないでおくれ。お前まで罪を重ねないでおくれ
哀願に耳を傾けることなく、レンは森へ向かった。
村人に頭を下げる気は、さらさらなかった。
はじめから神域で獣を狩るつもりだった。
しかし、レンに狩りを教えるものはいなかった。父はその前に死んでしまったのだから。見よう見まねでやるしかなかった。
野を駆け、森の中で待ち伏せして、数日の苦闘の後、一羽のうさぎを捕ることが出来た。
獲物をぶら下げて帰りの道を急いだ。
――やったぞ。カナ。獲物を手に入れたぞ。食え。食って元気になれ!
足取りはしだいに慌ただしくなっていった。
家の前にたどり着いて、不審な雰囲気を感じた。
――!
家から煙が上がっていない。いつも煮炊きや暖をとるために火を絶やさないはずだ。
いやな予感を振り払った。
――気のせいだ。そうに違いない。
扉を開けて挨拶をすれば、母親は変わらず「お帰りなさい」の声を返してくれるだろう。
扉を開ける。
中は真っ暗だ。火の気も、ひとの温もりもなかった。
――ただいま!
沈黙のままだ。
――帰ってきたよ!
さらに声をかけても、なにも返事がない。
かすかに、異臭を感じた。
目が慣れると、それが何であるのかが分かった。
母が、梁に縄をかけて首を吊っていた。だらりと伸びた身体は、隙間風が入るたび、ぶらぶら揺れていた。
寝床には、カナが冷たくなって転がっていた。
髪の生え際が、石榴のように割れて、血と脳漿が垢染みたシーツをさらに汚していた。そばには鉈が転がっていた。
母親が身に纏っていた衣類には、血のようなものが飛び散っていた。

レンはたったひとり残された。
それからのレンは、一切の「人間らしさ」を放棄して暮らした。髪型や服を整えることもなくなり、時には殆ど裸の出で立ちで森を彷徨い、虫や小動物や小鳥を捕って食べた。それは、追放された代償として赦されているようだった。
しかし村人には、ひとりになったレンに情けをかけるものもいたようだった。食料や衣服が、時折家の前に置かれていた。置いたのは誰だか分からぬが、それでどうにか食いつなげたこともたびたびあった。
「……でも、感謝してるわけじゃない。おれのような外れものを生かさず殺さず、気まぐれに施しを与えて、楽しんでいるのさ。どうして礼を言う気になる?」
串刺しのトカゲを、頭から噛みつく。
狩人は問うた。
「お前は村のものが、憎いか」
「そりゃ、憎いさ……でも、それよりずっと憎いやつがいる」
「誰だ?」
「神さまだよ」
レンははっきりと言った。
「神さまの機嫌を損ねたら生きていけない。そう村人が固く信じて疑わない。神さまのおかげで、おれたちは、この世に生を受けて、与えられた命を全うできるんだとさ……」
狩人は黙って聞いている。
「……口惜しいじゃないか」
ぽつりと言った。薪をくべると、ひときわ大きく炎が上がった
「どうして、おれたちは神さまに従って生きなければならないんだ? 生まれても多くは病気や飢えで子供のうちに死に、運良く大きくなっても、ただ働いて、飢えて、老いて、死んで……何になる? 同じことを繰り返して繰り返して……いつまでもそうだ、というのか? 昔はそうじゃなかったんだろ?」
レンは問うた。その表情は、恐ろしいほど真剣だった。
狩人は言った。
「おれたち、『ひと』の先祖は罪を犯し、楽園を追放された。
「それまで人々は神に愛され、森や風とともに生きていた。種を植え収穫を喜び、
しかしそのうち知恵がつき、おごり高ぶった人間は、神の御業を真似た。しかしそれは不完全だった。土にも風にも水にも食べ物にも毒が混ざり、樹木や獣や人々の身体を蝕んだ」
「神の怒りに触れ、大きな災厄が人間を襲った。ついには楽園を追われ、この地にたどり着いた……」
レンは一気にまくしたてた。
「その話、お前はどこで知った?」
「村長(むらおさ)から聞いた。小さいころさ。村の子供を集めて、話していたよ……子供の頃のことは、懐かしいような、思い出したくないような……不思議な気分になるよ。
でもそのころから、村のやつらとは考えが違うと思っていた。村のやつらはみんな、昨日と同じ日々がずっと続けばいいと思っていた。洪水が起きても、ほったらかしにして、毎年同じところがあふれてしまう。何日か我慢して、過ぎ去るのを待てばいい。なんにもしないで、昔ながらのしきたりを守って、祈って、それを繰り返して繰り返して……何だというのだ? こんな惨めな人生を送れというなら、おれは……おれは……」
薪を手に取って、炎の中の燃えさしの薪を叩いた。薪は音を立ててはぜた。
「もう寝ろ。あとはおれが見る」
狩人は言った。

それからふたりは、その穴の中で寝食を共にした。幾度目かの日が暮れようとするとき、レンは奇妙なものを見た。
「……あれは?」
門をくぐった葬列が道を歩んでいく。
村のものが、総出だ。
先頭には、松明を掲げた若者。楽器を奏でる女。泣婆はとぼとぼ歩いている。続いて輿を担ぐもの。その輿には白い布に包まれた遺体が乗っていた。
旗が掲げられている。旗の中央に記された紋章には見覚えがあった。
「村長(むらおさ)だ……」
長年にわたり村を統べ、争いごとを調停し、皆に敬われていた。誰よりも長く生き、いろいろなものを見聞きして、深く考えていた。知恵と見識、人望を備えた存在だったが、その偉大な生命を終えたようだ。
身を潜めているあいだに、死んでいたのか。
「おれたちを追う動きが鈍かったので、変だと思っていたが……なるほど、それどころじゃなかったんだな」
正式な葬儀の式次第に則るなら、葬送の儀式は三日三晩続き、その後、「神」がなきがらをあの世へ連れて行くはずである。
レンは葬儀に参列したことがなかった。
この村では、成人の儀式を済ませて大人になるまでは、死の「ケガレ」に触れてはならなかったのだ。
「……ひょっとしたら」
レンの心の中に、なにかがひらめいた。
「葬儀が終わると、森に運ばれる。『神』がやってきて『あの世』に連れて行くというのだ。見たことはないが、もうすぐ、『あいつ』に出会えるかもしれない」
それまで、村人に見つかってはならない。これ以上破戒を重ねたら、おそらく、狩人もレンもただではすむまい。
葬列は森を突っ切り、川を渡った。
開けた場所で、葬列は止まった。
まばらに木の生える広場で、地面には大きな石があちこちむき出しになっていた。石と一緒に いくつも髑髏や大きな骨が転がっている。
「殯(もがり)場だ」
レンは言った。
ここに足を踏み入れるのは初めてだった。
死者を安置し、遺体が朽ち、この世の存在からあの世の存在になっていくのを見守る場所。しかるのちに「神」がなきがらを連れ去っていく。その有様を見届けてから墓を建てる。それがこの村のしきたりだ。
中央には石の台。村長の亡骸は、その上に安置された。
暗くなるとかがり火がたかれ、村人が車座になって囲み、拝み女が地べたに座り、死者を送る誄(しのびごと)を奉っている。
レンの父親は、こんなにも丁重に葬ってはもらえなかったに違いない。おそらくは、そのあたりの荒野に捨て置かれたのだ。
転がっている髑髏や肋骨は「神」が食い散らかしていった遺体の、なれの果てだろう。
風に乗って、かすかに死臭が漂う。
荒涼とした風景は、生者がみだりに立ち入ることを禁じられた不浄の地にふさわしい。
ふたりは森の中へ退却し、儀式が終わるのを待ち続けた。
三回目の夜が明けた。
空は今日も 白い霧で覆われている。今日は霧がひときわ濃かった。大木の梢さえ、かすんでよく見えない。
レンは、太くまっすぐ伸び、充分に乾いた枝を何本か拾い集めてきた。薪にするだけではない。
枝を削り、一端を鋭く尖らせる。片方の端に矢羽根を取り付け、矢を作った。
「こんなのでいいかい」
「上出来だ」
にやりと笑う。
「おまえはいいのか」
「おれは、弓はうまく扱えない。作法を教えてくれる前に親父が死んでしまったから。頼りになるのは、こいつだけだ」
投石器をかざした。石礫を投げれば小動物の狩りには充分だろうが、大きな動物には心許ない。
夜になった。
ふたりで交互に寝て、ひとりが焚き火の番をする。
「代わろうか」
レンがうとうとしていたのを見て取った狩人は、声をかけた。
「眠くないのか」
「いや」
「レン。星を見たことがあるか」
「……なんだよ、それ」
「夜の空に輝く光だ」
「そんなものがあるのかね」
レンは吐き捨てた。
「ここの夜は、ただ暗いだけだ。夜は闇。ただそれだけ」
「いつも雲がかかって、空を閉ざしているからな……神がそうしているのだよ」
狩人の言葉に、レンは真剣な顔つきになった
「神とは、何だ?」
「ひとことでは説明できないな」
狩人は言った。
「この森は、生きているんだよ……」
狩人が、ぽつりと言う。
耳を澄ますと、闇の中にいろいろな音が聞こえてくる。
鹿がこっそり獣道を歩む音。トビトカゲが枝から枝をわたる音、蛾がコウモリの超音波を浴び逃げる羽音。芋虫が木の葉を食む音。キノコが木の幹に菌糸を伸ばしていく音。土竜もぐらが土の中を進む音。小動物が愛を交わす睦言。木々が気孔から水蒸気を発散する音。
「この世界の成り立ち、そして理(ことわり)がどうなっているか、知っているか?」
木の洞に一部分だけ、壁がぼうっと光っている部分がある。
びっしりキノコが生えていた。
狩人は手を伸ばし、その一本をもぎ取った。キノコの根元から光る菌糸が伸びた。
「神とは……人間が作ったものだよ」
「そんなことは分かっている」
レンは即座に答えた。
「レン、お前が思い浮かべたものとは違う。神とは、いわば人間の無意識の産物なんだ」
「ムイシキ……?」
「心の奥底には、自分でも理解できない部分がある。はるかな昔、人間が火も道具も使わない獣だった頃から引きずっているものだ。人間の心の中、記憶よりもはるか奥底に眠っている。その無意識は繋がっているんだ。無意識と森の無意識は共鳴しあう。
森の生き物たちは、会話を交わしている。生き物の会話を木々が受け止め、木々はキノコやカビの菌糸たちによって密やかにつながれているのだ」
あの広場から祈りの声が聞こえる。
「この木も、動物たちも、虫も。土の中の目に見えない生き物も、意識を交換し合ってひとつの大きな意識になる。森の意識は、人間の深層意識とも共鳴し合う。そして、神が生まれるのさ」
狩人は続ける。
「気がついているかも知れないが……この世界は、次第におかしくなってきている。夏は寒く、冬は暖かく、旱(ひでり)に悩まされたかと思えば、一転大雨が襲って家や畑を濁流に呑み込む。泥まみれ、糞まみれになった村には疫病が流行り、作物は虫に食い荒らされる。森だって、どんどん荒れているんだ」
「あんた……なんでそんなことを知ってるんだ。まあいい。おれも以前村長(むらおさ)が言っていたことを思い出すよ。昔はこうじゃなかった。もっと作物が穫れて、家畜も草原に放しておくだけでまるまる太って、食べきれない分を保存しておくことも出来た。今ではようよう冬が越せるかどうか。来年畑にまく種籾の分を残しておくことすら、おぼつかない有様さ」
狩人は言った。
「世界の理(ことわり)を調節する存在が必要なんだ」
「じゃあ、『神』を殺すのは……」
「調整し直すのさ」
「……何のことだか、わかんなくなってきた」
レンは呆然と、狩人の話を聞いていた。

そっと様子をうかがう。
「そろそろ、来てもいい頃だ」
ざわっ。
森の向こうから、音が聞こえる。
梢を震わせ、木の枝を塒(ねぐら)にしていた鳥が飛び立つ。
次第に近づいてくる。
「いたぞ!」
姿を現した。
そいつは、レンがいままで見たこともない姿をしていた。
二本足で立ち、肩から下がった二本の腕を振る。ひとの形をした、しかしひとよりもはるかに大きく、ひととはあきらかに違う。
その頭は、梢の上に突き出ていた。全身は赤銅色で、服の類いは纏っていない。
剥き出しの背中や足には、緑色の苔がむしていた。
村長の身体を取り上げ、口を大きく開け、噛みついた。
白い布にくるまれた遺体を咥えたまま、そのまま森の奥へ消えようとする。
大股で歩んでいくとき、
行く手にはふたつの髑髏が転がっていた。大きいものと、小さいもの。レンにはそれが、母親とカナの遺骨のように思えた。
「神」は大地へ足をおろす。地響きとともに小さいほうの髑髏が踏み潰された。破片が飛び散る。それを目の当たりにしたとき、熱いものがレンの胸の奥から湧き上がってきた。
「こ……殺してやる!」
声の限り叫んだ。
「殺してやる! 殺してやる!」
そして駆けだし、「神」の跡を追った。
「待て!」
レンが先を鋭く尖らせた槍を振りかぶると、狩人はレンの背中に向かって叫ぶ。
「落ち着くんだ。まだとどめを刺せる間合いじゃない」
「このやろう!」
槍を投げつけると、槍は手前に落ちた。
狩人は立ちはだかる。
「神」は歩みをわずかに乱した。一瞬、戸惑ったように思えた。
「今だ、撃て!」
狩人は矢をつがえ、狙いを定めて、射た。
ひょう、と空気を裂く音が耳を打つ。
矢は弧を描いて肩に突き立った。
「神」は一瞬立ち止まり、驚いたような反応を見せたが、すぐに歩みを早めて立ち去ろうとする。傷口からはどくどくと血が流れている
「レン、なにをやっている!」
村人が駆け寄る。
「おまえら、手を出すな!」
レンは立ちはだかる。
すかさず、村人に棍棒で頭を強打された。倒れたところに数人が飛びかかり、レンは取り押さえられる。
「この罰あたりめ!」
「ちくしょう!」
「な……なんてことを!」
老婆たちは、目の当たりにしたあまりの罰当たりな行為に、へたり込んで動けない。
「レン。お前は『ケガレ』を受けてしまった。もう村人があいつに関わることは、まかりならん。そいつまで『ケガレ』を受けてしまう」
このまま村に連行されるだろう。末路は八つ裂きか火あぶりだ。
片腕を抱えている男が、レンに話しかけた。
「だれにも教わらず、森の中でそれだけの腕前を身につけたのか。お前はさぞやいい狩人になれたはずなのに。残念だな、これだけ破戒を重ねては」
軽蔑のまなざしになる。
「おれはひとりぼっちで生きるおまえが可愛そうだと、情けをかけてきた。悪さを見のがしたり、こっそり食い物を置いたりしたのも、おれだよ……それは間違いだったな。恩を仇で返しやがって」
「うるせえ!」
レンは怒鳴りつける。
「今になって、そんな恩着せがましいことをほざくのか」
「違う。お前が苦しんでいるのは、村のみんなは知っていた。大人になれば赦して、村人に迎えてやろうと思っていた。村長が生前、そう言っていたのだよ……残念だな、生きてさえいればな」
「嘘をつけ!」
レンはその言葉の、あまりの卑劣さに頭が沸騰しそうになった。そういえば、おれが尻尾を振って言いなりになるとで思ったのか。涙を流して改心するとでも思ったのか。たとえ村長がほんとうに言ったとしても、願い下げだ。
今まで散々苦しめておいて、これが、これが、こいつらの正体だったのか!
そのとき、低いうなり声と遠吠えが、どこからともなく聞こえる。
藪の中から、声の主がゆらりと現れる。
肉食獣だ。
体型からすると猫の仲間のようにもみえるが、大きさは仔牛ほどもあろうか。その口元からは巨大な牙が、口を閉ざしてもはみ出している。
「『けもの』だ! 神の使いだ!」
村人は叫んだ。
この前レンを襲ったような普通の肉食獣とは違う――神の使いだ。森を守護し、近づくものを容赦なく襲う。時折村の周囲を徘徊して、禁忌を破ったものを屠るという。
レンも森の中で、それらしきものを見ることはあった。しかし、その全貌を目の当たりにするのは初めてだ。
『けもの』は列に飛びかかり、ひとりの村人に食らいついた。瞬時に喉笛を食いちぎられ、おびただしい量の血が噴き出す。
「……!」
縛められたレンにも熱い息がかかった。
矢が飛んだ。矢は正確に、肉食獣の延髄を射貫いた。
『けもの』は痙攣を続け、しばらくの後に動きを止めた。
口から、どろりとした液体が漏れ出た。薄いピンク色で粘度の高い、血とはあきらかに違うそれは、生き物のようにもぞもぞと動いた。
「なんだ……」
その様子を見た狩人は、ぽつりと言った。
「ナノマシンだ」
レンの知らない言葉だった。
「なのましん……それはなんだ?」
「あとでゆっくり説明してやる」
「……?」
「レン、こっちだ」
レンは縛められたままその場を走り去った。狩人の元に寄ると、狩人は手槍をひらめかせた。手首にかかったロープは切れて落ちた。
生き残った村人たちに叫ぶ。
「あんたらも知るがいいさ。あれが、神さまでも何でもないってことをな!」
「あとでどうなっても知らないぞ!」
村人は退却していった。

狩人とレン、ふたりは、「神さま」が残した体液の後を注意深くつけていく。大きな生き物が通ったあと、折れた枝やかき分けられた下草がつけた道をたどっていく。
山道をずいぶん歩くと、不意に目の前が開ける。
「なんだ、ここは!」
森の真ん中に、大きな穴が開いていた。中は暗く、見渡せない。
中から風が噴き上がってくる。
「ここだ!」
「ゆくぞ!」
狩人は先を切って飛び込んだ。土の斜面をものすごい勢いで、地下に降りていく。壁の材質は土でもない。石でもない。木でもない。金属か――しかしこんなに大量の金属を、レンは見たことがない。
土や岩の下に、こんなものがあったとは。
地面の材質は土から金属に変わり、レンが見たこともない白い物質に変わった。その一角が、氷か水晶のような透明のなにかが材質になっている。
狩人は言った。
「世界の外だ。透けて見えているのだ」
真っ暗な空間には、光の粒が輝いている。
「これが、星なのか……まだ夜じゃないのに、どうして?」
狩人はいった。
「これは、宇宙だ」
「ウチュウ?」
「この世界を取り巻いている虚空だよ。おれたちの住んでいる世界は、この虚空に浮かんでいるんだ」
「……なんだって!?」
暗闇の中にひときわ大きく、青く光を放つ球体があった。
「おれたちは、かつて、この青い球の上に住んでいたのだよ。森も動物も人間も、この星の上に生まれ、育ち、子孫を増やし、そして星を構成するものに還っていった。その繰り返しが乱れ、絶たれたとき、星の上にひとは住めなくなった。ひとはひとの手で虚空の中に新天地を作り、そこに移住することにしたのだ」
森も、木も、土も、誰かが作ったものだった。壮大なからくり仕掛けの上で、自分たちは生まれ、死んでいったことを。いつしかそのことをみんなは忘れ、言い伝えの中だけに歪んだ形で語り継がれていたことを。
(これが……「神」だったのか!?)
手負いの「神」を見つけた。動きがゆるやかになり、そして動きを止める。
がくんと膝を折り、両手の甲が地べたにつき、前屈みにへたり込む。
「レン、とどめを刺せ!」
「おうよ!」
背中に乗り、手槍を延髄の部位に突き立てた。
傷口からどろりとした液体が飛び散る。それはさっき「けもの」から漏れ出たものと同一のようだった。
ビクビクと痙攣する。
不意に、一陣の風が吹き渡る。
「……!」
皮膚からなにかがぼろぼろとはがれ落ちて足下に降り積もった。
ぼとり、と大きい塊が顔から落ち、中のものが露わになった。金属の骨組みが露出し、やがて、骨組みだけになった。
「やったぞ!」
レンは歓喜した。
周囲が明るくなった。
「……なんだ?」
穴の上に拡がる世界に漂っていた霧が、しだいに薄くなっていった。
空を覆っていた雲が、切れぎれになっていく。初めて見る空だ。
頭のはるか上には、緑色の帯がある。よく見ると――
木々だ。梢をこちらに向けている。逆さまに生えているのか。まさか、それは――
「なんてことだ。空の向こうに、森が……」
森だけではない。
光っている部分はよく見ると、キラキラと乱反射し、さざ波が立っている。湖――海なのか。
規則正しく開けている平地は、農地か。
頭上に拡がっていたのは、逆さまの世界だった。
愕然とするレンに、狩人はいった。
「この世界は、宇宙に浮かぶ円筒の中に作られたものなのだよ」
人間が作った新世界。
もともと住んでいた大地を離れ、虚空の中に新しく作り上げた、こぢんまりとした世界――。そこには無理があったのか。エネルギーと計算をつぎ込んだ強引なまでの力業で安定させるしかなかった。
そのためには、人体も例外ではない。葬儀の次第はこの名残だった。
「神さま」は骨組みだけになっても、動き出す。
ぎしぎしと音を立て、
「けもの」たちに囲まれている。
低いうなりのような音が、穴の奥――地の底から響いてきた。穴の中に土が崩れ落ちていく。
大地は揺らぎ続けた。
狩人が不意に手を上げた。
なにがしかの合図を送ったのか。と、そのとき、大地の揺らぎと轟音は、うそのように止んだのだ。
一陣の風が吹いた。埃が目に入り、レンは目を伏せる。
目を上げると、狩人はいなかった。
気がつくと、レンは地上に戻っていた。
さっきの広場だ。
狩人の姿は、どこにもなかった。
目の前には、巨木があった。
梢ははるか頭上に有り、幹の太さは家ほどもある。幹にはこぶが盛り上がり、まるで岩のようだ。あまりにも大きく、圧倒的な存在感。まるで、世界の始まりからそこにあった、ような――
どこからともなく、声が聞こえる。
「レン、ありがとう。きみのおかげで本物の『神』になれたよ」
戸惑うレン。
「どういうことなんだ……」
空気がゆるゆると動き出す。
湿気を帯びた空気はレンを取り巻くように、渦を巻いた。
「わたしは『神』――森の生き物たちが作り出した集合知性が、ひとつの意識を持ったものなんだ。きみに話したろう。森は生きている、ものを考えていると。森の意識と人間の集合意識が融合し、ひとつの意識をもったもの、それが、わたしだ。これからこの世界は、わたしが統べることになる。わたしこそ、この世界の理(ことわり)であり、秩序である……」
狩人の正体は、この地に自然発生した集合意識――「神」だった。
かつて人類は、地球から遠く離れたコロニー内部に生態系を移植し、植民した。しかし人工的に小規模、短期間で作られ、まだ安定しない生態系を継続的に監視、保全するシステムが必要だった。森の植物、動物たちににナノマシンを埋め込み、生態系、気候の恒常性を保つネットワークが作られた。そして地球との交流が絶たれ、科学文明が衰退するうちにそれは「神」と呼ばれてきたのだ。
自然全体のシステムがまだ未熟だった段階では、再利用は意識的に行わなければならない。遺体が「神」に食われるのは、遺体をリサイクルしていた頃の名残だったのだ。
しかし長い年月が経つうちに、森を崇めるひとびとの無意識は、代を重ねて成長していった。文化が成熟していくうちに、森に張り巡らされた生物のネットワークと相互作用し、世界を統括する上位意識――「神」が生まれたのだった。
しかしそれが制御システムに取って代わるには、システムを統括するシンボル――現在君臨する「神」を倒さなければならなかった。
今や、機械仕掛けの偽物の神は屠られ、このコロニー――森は本当の意味で、神宿る地となったのだ。

やがてレンに「神」の声は聞こえなくなった。
空は再び雲に閉ざされ、森は深い霧に包まれた。
鳥が梢を飛び交う。下草のあいだを発光昆虫が舞う。木々の吐き出す息。森には花や果実の甘い香りと、精霊の気配が満ちる。
巨木の前にレンはただ、立ちつくしていた。

 

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