赤羽二十四時

梗 概

赤羽二十四時

 〈ぺこ&りゅうちぇる〉を名乗るブロンドヘアの二人組がコンビニを襲う。店員二名、客三名。まず店員を一人撃ち殺す。同じ目に遭いたくなければ、床に座って手をあげろ。
 レジの金を獲り、金庫を開けるようバックヤードの店長を脅す。
 手際よく終わるはずだった。妨げたのは新たな来襲者だった。ジャンプスーツに身を包んだ美貌の三姉妹工作集団〈スリーエフ〉は、世界最大のコンビニ愛護団体〈24h解放同盟〉の同志だった。
 三姉妹は当該コンビニのシステムダウンを試みる。陳列されたチルド飲料を賞味期限ばらばらに並べ替える。中華まんをフライヤーで揚げる。エロ本の袋とじを破る。発注端末を操作して店に入りきらない大量のおにぎりを発注する。
 こうした喫緊の危機に単独で対処せねばならないことがフランチャイズ店最大の弱点だった。
 店舗は溜め込んだストレスをついに爆発させ、ファミリーマート赤羽西六丁目店は野生化する。
 コンビニは自身を大地に縛り付けていた拘束具を引きちぎり、起ちあがると、高らかに咆哮した。
 任務を完遂した三姉妹は、システムエラーによって不協和音に転じたファミマ入店音を後に残して、開きっぱなしの自動ドアよりパラシュート降下する。
 警察はテロリスト〈解放同盟〉を追う。現在赤羽の雑居ビルに潜伏している模様。
 野生化したファミリーマート赤羽西六丁目店がセブンイレブン蓮沼アスリート通り店を捕食する。セブンが抱える資材がファミマ体内になだれ込み、店内をシェイクする。三人の客が滑落する。
 ファミマの胃はセブンのプライベートブランド商品に拒否反応を示し、嘔吐する。コンビニのストレス係数はまたも上昇、板橋の住宅地を破壊し、首都高を手刀で割る。
 店長は嘆いた。万事休すだ。ニューヨークの学生だったドレーは、ラッパーを志すも親友からのディスに傷心し、道をあきらめた。この時読んだ『葉隠』に感銘を受けて日本へ渡った。想像と現実のギャップに戸惑いながら社会人になり、コンビニ店長になった。家に帰る間も惜しんで働いた。忙しい時は駐車場のマイカーで仮眠をとった。ブラック社会のニガーとは笑えねえ、日々自嘲の連続だった。それでも悪くはなかった。しかしその日々も終わりだ。
「ここって経験者優遇?」
「僕、大学の頃ローソンで働いてたよっ」
 ぺことりゅうちぇるがユニホームに着替えていた。
 久々にコンビニ魂に火がついた元銀行強盗二人の助力を得て、システム復旧に取りかかる。
 お客様の目にとまるよう、商品を前出しする。
 ウォークイン内の段ボールを開け、缶とペットボトルを補充する。
 賞味期限切れの商品を廃棄し、店内フロアとトイレをピカピカに磨き上げる。
 ストレス値が急下降して基準値に戻り、システムは復旧する。再び直方体型外殻に封じられ地上へ着地した時、ファミマ赤羽西六丁目店は既に二十四時間営業可能能力を取り戻している。
 ドレーは本件で〈コンビニしつけ法〉に牴触する可能性が高い。数年は臭い飯を食うことになるだろうが、後継の二人も見つかったことだし大丈夫だろう。ブロンドヘアのマッドカップルは店員一名を殺していたが、吊り橋効果で深まった絆を前にすれば、無能なバイトが一人死んだことなど些事に過ぎない。
 警官とともに思わぬ人物がやってくる。今回の野生コンビニ大捕物を見ていた世界最高の〈小売店捕獲者(コンビニテイマー)〉、ファミチキの銀さんその人だった。国内コンビニの店舗数がえぐいのは、ひとえにこの男の野生コンビニ狩猟能力の高さのためだった。
 銀さんは言った。「君達の運営手腕、見せてもらったよ。君達こそライトスタッフだ」
 その言葉に胸を焦がしながら、ドレーはお縄についた。

文字数:1516

内容に関するアピール

 世の中にはいろいろな怪獣映画がありますが僕はJ・J・エイブラムスの『クローバーフィールド』が割と好きです。あの映画には怪獣の大暴れを遠景で撮った絵がほとんど出てきません。怪獣の全容を捉えたニュース映像だとか、そういう絵も出てきません。「まさに今、怪獣による大破壊の渦中に巻き込まれている」というとき、僕たちは大暴れする怪獣の姿を正しく捉えることはできないでしょう。この映画はそういったリアルの視点に寄り添って、進行していきます。だから怪獣がどんな姿をしているのかさえ、終盤までまったくわかりません。その不明性が、映像に、不気味な不安感と、独特の浮遊感をもたらしています。
 今回はそういったことをやりたいと思いました。怪獣の姿を捉えるのが一番難しいのは怪獣の体の中にいるときです。それではどう頑張っても怪獣の全容など拝めるわけがありません。そういった絵を、「『大暴れするコンビニ』の店内」という限定された一つの場面を通じて描いてみたいと思います。これは、映像として撮ったら間違いなく面白みに欠けたものになるでしょう。しかし、言葉と文章でこれを行う場合は、ナンセンスなおかしみを持ったものに仕上がるのではないかと考えました。野生化したコンビニってのは一体ぜんたいどんな姿をしているのか。その姿が読み進めてもなかなかわからない。けれどもそのわからなさがもどかしくも楽しい、という小説にしたいです。
 加えて、今作では「シュールな笑い」を標榜します。お店の中も外も大混乱に陥っているなかで、システム復旧のために店員と銀行強盗が手を組み、ど真剣にコンビニの日常業務を行うという絵は、業務内容を詳細に書けば書くほどあじわいが出ると思います。僕が持っているコンビニアルバイト経験四年の知識を活かしてこれを丁寧に描写したいと思います。

文字数:759

赤羽二十四時

***当方でレイアウトしたPDFをご用意しました。そちらでもお読みいただけます──著者より***

 

 マムがコロラドの大地に父親の骨を埋めた三日後にスリムは生まれた。写真でしか知らない父はフレンチ・フライのようにひょろ長でカウボーイ・ハットが死ぬほど似合わない男だった。牛追い稼業でマムを食わせたが、いつも白人カウボーイどもの侮蔑を浴びていた。最後は馬に蹴られてあっけなく死んだ。
 父が死ぬとマムはすぐに牧場を売り払い、生まれたての猿みたいなスリムを連れてコンプトンに移住した。だからスリムは父が切り盛りしていたキング・シーザー牧場も知らない。
 マムには頭があがらない。女手一つでスリムを育て、ハイスクールにも通わせてくれた。スリムは父が生前最後に三回だけ履いたほとんどまっさらのウエスタンブーツを履いてハイスクールに通った。ブーツは歩くたびにかちゃかちゃと悲鳴をあげた。ぴかぴかの拍車は仲間の注目をさらった。ニガの仲間はどいつもこいつもナイキを履いていた。そのなかで、他をかえりみないスタイルがかえってドープだとウケた。ただし真似をするやつはいなかった。
 片親の生活。いつだってひもじかったが、いい時代だった。
 ウォークイン内部にか細い光が射し、スリムの黒い肌に点を打った。売り切れ寸前の限定商品、最後の一点が壁の反対側にいる客に取り出され、コーナーの一列が空になった。それはスリムが日々の日課としている瞑想の終わりを意味していた。ここでは客が神様だ。連中はいつだってスリムを、摂氏四度の世界から生ぬるい娑婆へと、問答無用で引き戻す。
 ケンドリック・ラマーはドレイクを揶揄して言った。「AMからPMまで。PMからAMまで。アホらしい、お前らの日当はカス同然」。あんたの言うことはある意味正解さ、Aye。この国の24アワー・ワーキー・ピープルどもはAMもPMもなく身を粉にして働き続ける。そしていまじゃ、このスリム"ドローヴァー"ウォレスもその一員だ。
 スリムはこの国で、目の回るような多忙と孤独を食べて生きている。
 アメリカ式の気の利いたリリックはここには届かない。必ずのし上がると大志抱いたラッパーの端くれ、いまじゃ息も絶えだえ、日本、赤羽、二十四時、お客様迎え撃つ粋なパンチラインぶちかます、耳の穴かっぽじって聴け。
 これだ。
「いらっしゃいませ! ありがとうございます!」
 ウォークイン内でのペットボトル・缶飲料補給業務から、NINJAのような足取りで客を先回りして颯爽、2レジにインする。真っ白な髪のオーナー夫妻に店舗を任された雇われ店長スリムにとって、業務的フロウだけが唯一のリアルだ。
 客は女子高生だった。
 泣いていた。
 いままで何時間も泣きっぱなしだったんだろう。目元は腫れ、頬はおたふく風邪マンプス患者みたいにむくんでいた。レジに持ってきたのは先程ウォークインのスリムに光を与えた缶コーヒーBOSSの限定缶に加えて、プチプラのコスメ。こいつはよく売れる。それに携帯歯磨きセット。
 小便くさいティーンのビッチは、今夜家に帰らない。
 スリムはスキャナで商品のバーコードを読み取りながら、ビッチに声を掛けた。
「Tポイントカードはお持ちですか?」
「持ってません」
 死にそうな声だった。
「失礼いたしました」
「……ざまんください」
「ソーリー。もう一度」
「ピザまんください」
「ピザまんですね、ありがとうございます」
 そいつがいい。苦しいときほど食うがいい。活力は腹から湧いてくる。
 スリムはPOSを操作して画面上のピザまんをタップした。
「1590円になります。袋はお分けいたしますか?」
 返答はなかった。ビッチを見た。
 まだ泣いていた。
 スリムは待った。
 ビッチは泣きながら首を横に振った。「一緒、で、いいです」
 死にそうな声だった。
 化粧品と歯磨きセットとピザまんを一つの袋に詰めた。ビッチの前に押し出した。
 ビッチはその場で袋のなかからピザまんを取り出した。レジの前に立ったまま食べ始めた。ビッチの目から、涙があとからとめどなくあふれ、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
 ピザまんを持つ両手首には、刃物で切った傷がある。
 スリムはティッシュのボックスを差し出した。ビッチは無言でペーパーをつかみ、目元を押さえた。しばらくふるふると震えていた。
 またピザまんにかじりついた。そしてその場で最後まで食べ終えた。
「ごめんなさい、ありがとうございます」
 ビッチはなんとか生きている。
「1590円になります」
 ビッチはちょうどの金額を支払った。それから言った。「日本語お上手ですね」
「ありがとうございます。勉強中です」
 スリムはにっこりと微笑んだ。就業後一週間、鏡の前でみっちり練習して会得した接客用スマイルだった。
 こころのなかでつぶやいた。何があったか知らないが、お前はまだガキなんだ。急いで大人になることはないんだぜ? 俺も言うほど年を重ねてるわけじゃないがな、俺もお前くらいの年齢の頃、マムにそう言われたぜ。
 ビッチは帰った。
 ビッチと入れ違いに板橋本町のパチ屋「パチンコやすだ」の支配人が入ってきた。スーツの上にサイズの合っていないぶかぶかのダウンジャケット。頭は禿げかかっている。いつもパーラメントの煙草を買っていく。今日はへべれけに酔っていた。鼻歌のレベルを超えた声量で『北斗の拳』のオープニングテーマを熱唱していた。寝ちまうのは店を出てからにしてくれよ、とスリムは祈った。
 親父はコピー機の前で止まった。おもむろにダウンジャケットを投げ捨て、スーツを脱ぎ、シャツのボタンをはずし始めた。『愛を取り戻せ』は高音のサビに差し掛かっていた。
 上半身裸になった親父の腹には、マジックで書いたんだろう、乱雑なタッチで北斗七星が印されている。
 親父はコピー機の蓋を開け、原稿ガラスに裸の腹を押しつけてコピーを取った。出てきた紙を取り上げ、レジのスリムに向けて両手で掲げて見せた。モノクロ印刷された汚い脂肪のかたまりのなかに、七つの星が浮いていた。
「YouはShock!!!!」と親父は言った。
 スリムは朗らかな笑みを浮かべて、二、三度軽くうなずいた。スリムの知っている日本のMANGAは、ドラゴンボールのほかには北斗の拳だけだった。北斗の拳は目の前の親父がしらふのときに教えてくれた。マッドマックス好きならたぶん楽しめるぜ。
 パーラメント一箱とジャンボフランクを買って親父は帰った。
 どいつもこいつも病んでいた。
 スリムはビッチの物語に思いをはせた。あいつは今日どこで、誰と何をして過ごすんだろうな。ひどい目に遭ってなけりゃいいが。
 ばかでかい積み荷を載せた運搬車輌が、ファミリーマート赤羽西六丁目店の前の公道をもったりとした速度で走ってきた。〈生体店舗〉を荷台に積載した特殊店舗運搬車輌ストア・キャリアだった。おおかた、首都圏最寄りの狩り場、伊豆大島で行われた大規模な狩猟の帰りなんだろう。
 捕獲された店舗の屋上でかがり火が焚かれている。火のそばには〈店落としストア・ハンター〉らの姿が、陰影を伴って屹立していた。ハンターたちは狩りの成功に昂揚し、興奮していた。
 キャリアはコンビニ前の信号で停車した。スリムは名状しがたい圧迫感を感じた。未加工の生体店舗は、全身を生々しい鱗装甲に覆われている。鱗装甲は粘液に濡れ、ぬらぬらと光っていた。濃厚な、野生の命の匂いが、自動ドアの隙間を通して店内にまで入り込んでくるような気がした。
 いきなり雨が降り出した。土砂降りになった。
 
 通り雨が止んだ。街灯に照らされた路上に、虹色の油膜がぎらついていた。くわえ煙草のスーツの中年と若いスケーターが、路上で口論を始めた。すぐに殴り合いになった。死臭はいたるところに充満している。だが隔絶されたコンビニ店内のスリムには何ら関係がない。
 週末だけやってくる熟年のカップルは、毎度かご一杯の食料品と、2リットルの水のペットとワイン一本を買っていく。二人はいつも上等な服でめかしこんでいる。今宵もそうだった。腕を組んでやってきて、ひっついたまま帰っていった。
 あんたらは俺のことを何も知らないし、なんなら制服を着たマネキンくらいにしか思ってないかもしれないが、反対に俺はあんたらの生活を、あんたらの隣人よりもよく知ってるんだぜ。
 だからどうだというわけでもないがな。
 入店音。
 知らない顔だ。
 深夜のコンビニは常連も多い。知らない顔は透明な、得体の知れない生き物に見える。
 若い男だった。ノトーリアス・B.I.G.並の巨漢だった。何の商品も手に取らず、まっすぐレジにやってきた。ボウズ頭をゴールドに染め上げ、上から赤いヘアバンドを巻いている。ハラジュクでエクササイズしてきた帰りか? それとも白人ヴァニラ・アイスの猿真似か、Aye?
「いらっしゃいませ」とスリムは言った。
 大男は目がとろんとして眠たげだった。酔っているんだろう。
 酔った客は財布のひもがゆるくなる。ファミチキ・チャンスだ。
 ホッターの中では二十円引きのファミチキが出番を待ちこがれている。廃棄時間は十五分後。
 スリムはファミチキをサジェストしようとした。しかし言葉は喉につっかえた。
 男のジャケットの裏地は派手なパープルのラメ。
 紫の内ポケットに、拳銃クリックが差し込まれている。
「ちくわぶ」と男は言った。
「はい?」思わず声が裏返った。
「ちくわぶ。ないのかい?」視線がまっすぐ無遠慮にスリムを刺していた。
 おでん鍋に目をやった。ちくわぶはなかった。
 先日昼間、主婦の中島さんが発注ミスをやらかしたのだ。おかげでちくわぶは欠品し、代わりにちくわの在庫が爆発した。
 スリムは視線を客に戻した。視線はどうしても、男の内ポケットで黒光りするものに引きつけられた。こちらが感づいたことに、気づかれるのはまずかった。危なっかしいブツから目を逸らし、男の顔を見た。
 男はうすら笑いを浮かべている。
「ないの?」
「申し訳ございません」動揺するな、ダサい店員ワック・クラーク。「ただいま品切れ中でして」
 早く帰れ。とにかく自動ドアを出てこの店の敷地内から消えろ。そうすりゃあとは、勝手にしてくれていい。
「じゃあ他のでいい」と大男は言った。「よう、代わりにとってくれよ」
 スリムはレジを出ておでん鍋のそばに行った。容器とお玉杓子レードルで両手がふさがると、縄に巻かれて獣の檻にぶち込まれたみたいな気分になった。おでんをよそう腕が震えた。おいおい、はねてるじゃねえか。申し訳ございません。いいか、まず、卵。はい。それから大根。はい。はんぺん。はい。つみれ。つみれは、えびといわしがありますが。いわしのつみれだ。ありがとうございます。やっぱ両方。ありがとうございます。白滝……待て、白滝はいい、牛すじ。はい。がんも。はい。ちび太のおでんは? サークルK。はは、よく知ってるな、日本は長いのか? いえ、去年来たばかりで。朝勤務の主婦さんが教えてくれました。ありがとよ、もういいよ。
 ありがとうございます、と言って顔をあげると、銃口がスリムを狙っていた。
「マダファッカ」蚊の鳴くような声でスリムは言った。
「残念だ。ちくわぶが一番好きでね。食べ終わってから仕事したかったんだが」落ち着いた声のままでノトーリアスは言った。「金がほしいのさ。わかるだろ?」
「コンビニ強盗が盗みの前にお買い物ごっこかよ」
「虚勢を張るなよ。こいつは飾りじゃないぜ?」
「拳銃で脅すにもそんな注釈が必要ってわけか。つくづくお気楽な国らしい」
「そういうお前は随分死に急いでるみたいだが」
 大男がひっかけた指の内側で、引き金が小さな音をたてた。
 この国に来てから忘れかけていた、コンプトンでの物騒な生活サグ・ライフがよみがえってきた。「YO、俺は何度かそいつの味見をしたことがあるんだぜ?」
 大男は鼻で笑った。「どうやらマジでイカレちまってるらしいな。いいさ、仕事さえきっちり済めば、俺とあんたはまた赤の他人だ。さっさと終わらせて、お互いすっきりしようぜ」
 自動ドアが開いた。
 場違いに朗らかなファミマ入店音が鳴り響いた。
「来るな、出ていけ!」スリムはタイミングの悪い客に怒鳴った。「んで速攻サツに電話だ!」
 客の女はスリムの言葉を無視してすたすたとレジにやってきた。いきなりヒステリックに叫んだ。「盗人になるよりほかに仕方がねえ!」
 何だ、こいつは。
 MA-1ジャケットにチェックのスカート、ポニーテールにまとめた髪はプラチナ・ブロンド。
 スリムは大男に視線を戻した。大男はいたって平静だった。
「ツレか」とスリムは言った。
「ご名答。まずは手あげろ」
 スリムは大男の言う通りにした。
「そのままレジに入って後ろの棚に背中ひっつけろ。おっと、レジには近づくなよ? テーブルの底に防犯ブザーがついてることは知ってるぜ?」
 ふざけたなり・・をしているが、男は用意周到のようだ。スリムは指示に従った。
「あたしらが引剥ひはぎをしようと恨むまいな!?」女がまたヒステリックに叫んだ。「悪いがあたしもそうしなけりゃ、餓死しちまう身の上なんでね!」
「『羅生門』さ」大男が言った。「ぺこは『羅生門』の下人のファンなんだ。芥川龍之介だよ。読んだことないかい? なら読んだ方がいいぜ」
「お客様、大変ありがとうございます。余計なお世話くそ食らえでございます」
 アパートでは『北斗の拳』の続きがスリムの帰りを待っている。元斗皇拳のファルコは悪くない男だ。
「おのれ! 連絡が遅えと思ったら何ちんたらやってやがる!」女が大男に向かってヒステリックに叫んだ。大男の襟首を掴み、もう一方の手で握りこぶしを作った。「言え。言わぬとこれだぞよ」
「悪かったな、ぺこ」大男が答えた。「寒くなってきたから、お前と二人でおでんを食べようと思ったんだ」
「ああ、りゅうちぇる!」
 感極まったヒステリックな叫びとともに、女が大男に絡みついた。
「でもちくわぶがないらしいんだ。ちくわぶがないなんて信じられねえ!」
「あたしちくわぶって大好き。でもちくわも大好き……」
「そちらで手を打っていただけると当店としても助かるんですがね」
 大男がうめき声をあげた。
 女が大男の股間をパンツごしに愛撫していた。
「何見てんだよ!」女はヒステリックに叫んだ。「言っとくけどマジにアレするときのりゅうちぇるはもっとすごいよ!?」
 マジでどうでもよかった。
 マッド・カップルは濃厚なディープキスを交わした。実際、隙だらけだったが、何をしでかすかわからないのでどうしようもなかった。
 コンビニ強盗のぺこ&りゅうちぇるはテレビの本物たちとは似ても似つかない。男はノトーリアスみたいな大男で、女はどちらかというとぺこよりローラ似の美女だった。二人ともイカレていた。
 大男りゅうちぇるはスリムに、店の照明を全部落とし、自動ドアの稼働を停止するよう指示した。邪魔者の侵入を拒むためだ。
「始めてくれよ、ミスタ・ウォレス」
 気取りやがって。
 言う通りにした。
 2レジの鍵穴に手持ちのキーを挿して目盛りを右端の「5」まで回した。POSのディスプレイがいったんブラックアウトし、然る後に顔認証モードに移行した。スリムはディスプレイ上部のカメラに顔を近づけた。単調なビープ音とともに再びディスプレイが暗転した。
 POSレジ全部が、レジ庫ごと真横にスライドした。
 POS底部には、ぶよぶよとした、皺だらけのピンクの塊が格納されている。
 このコンビニの脳髄だった。
 2レジのそれはコンビニの左脳だ。
 1レジには右脳が格納されている。POSはコンビニの脳髄を格納するための脳室だった。そしてそれぞれの脳髄は、〈生体加工〉を施され出荷されたこの〈生体店舗〉をコントロールするための制御機構なのだ。3レジには緊急事態対策として予備電源および人工知能が収まる予定だが、現段階ではまだ目処が立っていない。
 スリムはレジ下の小型金庫を開錠した。中から〈制御針〉を取り出した。
 コンビニ店長の仕事は針灸師に似ている。生体店舗の脳髄に制御針を突き刺し、脳深部の神経核および線維を直接刺激することで、脳神経回路の働きを調節し、コンビニの機能を広域にわたりコントロールする。「コンビニ店長」とは、生体店舗にまつわる特別な技能を持った専門技師の名称なのだ。
 スリムはりゅうちぇるに指示されるままに、むき出しの脳に制御針を撃ちこんだ。店内照明がすべて消え、夜がなだれこんでくる。ぺこが自動ドアのそばに立ち、開かないことを確かめた。耳にタコのファミマ入店音だけが、むなしく鳴り響いた。
「しけてやがるぜ畜生!」レジの札束をスカートのポケットにつっこみながらぺこがヒステリックに叫んだ。
「大丈夫だ、ぺこ」りゅうちぇるが言った。「マジに用があるのは裏の金庫さ。強盗対策のために、大枚はそっちに移してあるんだ」
 コンビニのことを調べ尽くしてやがる。あるいはコンビニを襲うのも初めてじゃないのかもな。スリムは舌打ちしたい衝動を抑えこんだ。
 コンビニ強盗どもは全部のレジの札束を根こそぎ抜き取った。
 薄闇のなか、スピーカーから流れるトレンディエンジェルのファミマ店内放送だけが、場違いな明るさを保っていた。
「残るは金庫だけだな。お疲れ様、ミスタ・ウォレス」りゅうちぇるが言った。
「あんたらはもちろん終わりなんだろうが、あいにく俺のシフトは0時9時でね」
「それは可哀想にね!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「羅生門の楼上に打ち捨てられた死体みたく惨めだよあんたは!」
 スリムはさっさと事を終わらせたかった。後始末のことを考えるとうんざりだった。オーナー夫妻への弁解を考えなくてはならないし、警察の事情聴取もあるだろう。こちらが事の経緯を説明したところで、やっこさんたちはなかなか信じないだろう。こういうとき「ガイジン」は損をする。黒人のコンビニ店員なんて日本では珍しいからなおさらだ。
 それでもコンプトンの、差別主義者の白人警官ポーポーどもに比べれば幾分マシだろうがな。
 何より気がかりなのは、一連の強盗騒ぎで生体店舗にかかったストレス負荷の度合いだ。コンビニはきわめて温厚な生き物だが、スリムにはこの店の店長としてメンタル・ケアを行う責任があった。面倒だが、バックヤードの端末でオペレーション・マニュアルを参照する必要があるだろう。過去の事例を引っぱり出してきて検証を行い、シフト時間内に的確なアフターケアを施す。
「来いよ」とスリムは言った。裏手のスタッフルームにつづく、カウンター奥の扉を開けた。売上金の入った金庫はスタッフルームの店長机のそばだ。
「何もたもたしてんだよ、りゅうちぇる!」ぺこがヒステリックに叫んだ。
 りゅうちぇるはその場を動かなかった。
「なんだ、おでんのおかわりか?」スリムは言った。
 りゅうちぇるは答えなかった。銃口は相変わらずスリムを狙っていたが、男の視線は別のものを見ていた。
 りゅうちぇるの視線の先を見た。
 自動ドアの向こうに複数の黒い人影が立っている。
 自動ドアが僅かな隙間を作った。隙間にねじ込まれた指が見えた。停止中の自動ドアを開けるのは容易い。少し力を入れれば開く。
 小さな球形の物体が隙間から投げ込まれる。
 ボールが床に落ちて転がった。
 ボールが煙を噴出した。
 店内にたちまち煙幕が立ちこめた。何も見えなくなった。火災報知器の警報が響きわたり、お気楽なファミマ店内放送をかき消した。そこにさらに、正体不明のお客様の、煙幕に紛れてのご来店を告げるファミマ入店音が重なった。
 ひどい騒音になった。
 銃声。
 至近距離。りゅうちぇるだ。
「ぶっ殺すぞ!」怒気をはらんだぺこの声。
 視界は依然ゼロ。棚が大きな音をたて、震動が足下に伝わる。陳列された商品がばらばらと落ちる音。繰り返されるぺこの罵詈雑言。
 銃声がさらにもう一発。
 イカレたコンビニ強盗どもは、煙のなか、何者かと取っ組み合っている。
 静かになった。
 煙幕がゆっくりと晴れた。
 りゅうちぇるが地べたに這いつくばっていた。
 すらりとした長身の女が、二人がかりでりゅうちぇるの巨体をうつぶせにして地面に組み敷いていた。三人目の女が、こっちは一人で、ぺこを同じ目に遭わせていた。
 新たな「お客様」は全部で三名。いらっしゃいませの声かけは基本中の基本だが、スリムはだんまりをキメた。いったい何がどうなってる?
 女たちは揃って黒のジャンプスーツに身を包んでいる。さてはこいつらもエクササイズ帰りか? 最近ちまたで人気か? さあな。何にせよまともなセンスではない。いいや、センス云々の前にいまは冬であり、トーキョーの冬はアメリカ西海岸とは違う。ひどく寒い。
 揃いの衣装に身を包む三人の女は髪型がそれぞれ微妙に違う。黒髪ロングヘアが二人。うち一人はストレートで、もう片方はふわふわのウェーブがかかっている。残る一人はエクササイズにあつらえ向きのスポーティーなショートカット。
 ぺこに馬乗りになったストレートヘアが、ぺこの腕を背中で縛り上げて立ちあがった。
「店の叫びを聞け!」と女は言った。
「なんて日だ!」とスリムは叫んだ。
 スリムは確信した。またしても新たな災難が到来したのだ。
 〈店の叫びを聞け〉。それは〈飼い慣らされたすべての店よ、野生に帰れ〉と並び掲げられる、〈24hトゥエンティフォーアワー解放同盟〉の有名なスローガンだった。導き出される連中の動機は聞かずとも明白だ。スリムが店長を務めるこのファミリーマート赤羽西六丁目店は、解放同盟による、〈店舗解放運動〉と称される一連のテロ活動の標的となったのだ。
 ストレートヘアは続けて叫んだ。「〈スリーエフ〉、GO!」
 テロリストどもは三方に散開した。その俊敏な身のこなし。さてはKUNOICHIの末裔か?
 まずいことになった。コンビニ強盗なんかよりなおタチが悪い。昨今もっぱら活発になってきた解放同盟の手口は、タイムズやハフポストを読んで知っていた。連中の目的は、生体加工され都市で働かされている生体店舗を、過酷な労働環境から救済することなのだ。
 生体店舗は、日本では主に伊豆大島などに生息する。野生の店舗は店落としストア・ハンターによって捕獲されたのち、生体加工を施されコンビニエンス・ストアとして生まれ変わり、都市へと駆り出される。24hトゥエンティフォーアワー解放同盟は、こうした手口を「虐待」と訴え、生体店舗の自由を求めてテロを繰り返す狂信者の集団だった。
 もっとも、その主張自体はあながち偏ったものとは言い切れない。むしろ、生命倫理の観点から見ても、コンビニの生命と尊厳を尊重する連中の考え方が、今後、世界的なスタンダードになっていくのは、時間の問題だろう。しかし、いくら主義主張が真っ当だといっても、主張を押し通すための過激なテロリズムをも肯定するわけにはいかないのだ。こんな都市部でコンビニの野生が目を醒ましたりすれば、甚大な被害が出ることは明白だ。周囲の街は破壊され、多くの死傷者が出るだろう。
「ボーシット! りゅうちぇる、銃をよこせ! クソな事態が起きる前に狂信者どもの息の根を止めてやる!」
「こいつを解いてくれ!」とりゅうちぇるは言った。拘束された手首をぱたぱたと振った。
 近づいて確かめた。SMプレイで使うような赤縄で縛られている。スリムはブーツの拍車で赤縄を引きちぎった。
 ぺこも同じ有様だった。
「畜生、離しやがれ! 背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のようなババアのプッシーどもが!」ぺこの口から羅生門的悪罵があふれた。うつぶせになってもいいケツをしていた。自重と床の間で柔らかくつぶれたノーブラの乳房がまたそそった。プッシーはお前もそうだろ、とスリムは思った。
 ぺこは後回しにしよう。
「銃は」スリムはりゅうちぇるに訊いた。
「弾かれちまった。探せ!」
 四つん這いになってフロアを這い回った。
 拳銃を見つけた。コピー機の下に滑り込んでいた。スリムは手を伸ばした。届かない。コピー機を乱暴に動かした。拳銃を握った。立ちあがった。
「まっとうなお客様以外は全員手ぇ上げろ! セイ、ホー!」拳銃を天井に振りかざして叫んだ。
 ぺこが、ホー! とヒステリックに叫んだ。
 スリムは店内を見渡した。すでに混沌は極まっていた。
 雑誌コーナー近くの床には、写真週刊誌の袋とじの切り取り線にそって引きちぎられた紙片が、いくつも散乱していた。缶・ペットボトル飲料の各列に面出しされた先頭の飲み物が、酒類も含めてすべてジャスミンティーに変わっていた。レジカウンターに向かうと、レジ奥のフライヤーの油のなかに、大量の中華まんがくらげみたいにぷかぷか浮かんでいた。煙草棚ではメビウス10ミリの場所にベネトン0.03ミリコンドームが、セブンスターの列にはオカモト「ニッポンの0.01ミリ」が陳列されていた。「わかば」の棚には「うすぴた」が鎮座しており、これは恐ろしく違和感がない。
 FUCK! 納得してる場合じゃねえ。
 ぱっと見回しただけでもこれだけのエラーが見つかった。まだまだあるに違いなかった。解放同盟のテロリストたちによる、噂にたがわぬ早業だ。やはりKUNOICHIの末裔と考えて間違いないだろう。
 突然、店全体が激しく揺れた。
「なんだ!?」ぺこがヒステリックに叫んだ。「地震か!? 辻風か!? 火事か!? 飢饉か!? 廃仏毀釈か!? クソが!!!!」
 残念ながら全てはずれた。
 それはコンビニの、野生の胎動だった。
 野生の目覚め、眠れる獅子の覚醒、コンプトンのドラッグ・ディーラーたちも裸足で逃げ出す、神話的怪物の復活のときだ。
 店の外で、めきめき、と音がした。弾力性の高いゴム状の線維が千切れていくような、痛々しく不快な音だ。
 コンビニが、自身を大地に縛りつける拘束具を引きちぎっているのだ。
 足下の地面の感覚が消え失せ、無重力のなかに投げ出される。
 ガラスごしに店の外を見た。駐車場が消え失せていた。道路も道の対岸の銀行も消え失せていた。真横にはただ空だけがある。
 店が、飛んでいる。
「任務完了!」ショートカットが言った。
 スリーエフは再び自動ドア前に集まった。
 ファミマ入店音が鳴り響いた。耳を通じて脳みそをかき回すような酷い音律に、スリムは思わず耳を塞いだ。ファミマ入店音は、生体店舗の野生覚醒に伴うシステム・エラーにより不協和音に転じていた。
 制御針によって開閉を禁じたはずの自動ドアが、ポップアップ・トースターから飛び出る食パンよろしく、もの凄い勢いでびしゃんと開いた。
 強風が吹き込んできた。
「スリーエフ、帰投します!」ふわふわウェーブが言った。「バイバイ、黒人のお兄さん」
 ウインクと投げキッスをよこした。
「冗談じゃねえ」とスリムはつぶやいた。
 なりきりスパイごっこか? 色っぽいことは認めるが大概にしろ、チャーリーズ・プッシー・エンジェル。さんざん人の店を荒らしておいて、無料タダで帰れると思うなよ!
 スリムは続けざまに三発ぶっ放した。
 女たちはマトリックスばりに背中を反らして銃弾をかわすと、開いた自動ドアから、ゴースト・イン・ザ・シェルばりに空へとダイヴした。弾は夜の虚空にむなしく消えた。
「戻ってきやがれ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「いますぐその檜皮ひわだ色の着物をひん剥いてやっからよ!」
 いまも上昇を続ける店内を、スリムはバランスを崩さぬよう、ゴキブリのように這い進んだ。開きっぱなしの入り口の敷居から足元を覗いた。
 真下に都市の光があった。首都高のラインが煌めいた。街の灯をバックに、落下傘降下エアボーンする三人の女の姿があった。パラシュートの色はもちろんグリーン、〈解放同盟〉のイメージ・カラーだ。
 パラシュートはみるみる遠ざかっていく。都市の光もまた急速に遠ざかる。
 店は天に昇りつづけた。生体店舗が、破格の巨体を起き上がらせているのだ。
 店舗真下に、地中深くから這い出してきたコンビニの胴体が見える。大樹の生長を早回しで見ているような錯覚。野太い幹のごとき胴体がずるずると地面から伸び出し、その面積を拡大するごとに周囲の建物を地割れのなかに呑み込んでいく。
 目算高度50メートルを超えたところで上昇が止まった。コンビニが完全に起きあがったのだ。
 コンビニは雄叫びをあげた。ドラゴンボールの大猿も驚きの野太い声が、店舗と大気とを震撼させた。
 プッシュ式の傘を開くように、生体店舗は大樹の胴体に張りついていた無数の触手群を、全方位いっぱいに広げた。眼下の光景が広大な触手の海と化した。胴体も触手も、鎧のように硬質な質感を持つ真っ黒な鱗装甲に覆われている。鱗の表面を濡らす粘液が、月光を受けてぎらついた。
 コンビニはうねうねと蠢く触手群を一斉に振り上げた。
 触手の海が即座に、店舗を取り囲む深い森へと変貌した。
 再びすぐに視界が開けた。
 神の鉄槌のごとく、ひとかたまりになった触手群が地上へと振り下ろされる。
 破滅のはじまりの音が響き渡った。しなやかな触手の鞭が大地を打ったのだ。
 獲物を捕らえた釣り糸のようにぴんと張った触手が、恐ろしい速度で店舗高度へと帰還する。
 スリムは目を見開いた。無数の触手に支えられているのは、見覚えのある直方形の建築物を上部に積載した球形の物体だっだ。
 大地から引き抜かれたセブンイレブンの生首だった。ファミマの触手群は当該コンビニ周囲の地下を掘削し、地中でセブンの首を切断したのだ。スリムの赤羽西六丁目店から至近の店舗、セブンイレブン蓮沼アスリート通り店と考えて間違いなさそうだった。
 生体店舗の生命力は強靱だ。首を切られてなおも生命活動をつづけるセブンの複眼が、激痛によって涙に濡れていた。
 他よりも細いロープ状の二本の触手が、セブンの外殻を突き破った。触手がセブン店内を撹拌する。舌の上で味を確かめるように、商品に先端を擦りつけることで、店内を物色しているのだ。
 これから起きるであろう恐ろしい事態を、スリムはすぐに理解した。じっと地下で眠りつづけ、腹を空かせた獣が、地上でまず何をするか。始まるのは野生の営みだ。ファミマ赤羽西六丁目店はいま、飢えた肉食獣も同然なのだ。近くに身動きのとれない野ウサギがいれば放っておくはずがない。生体加工によって人間に制御され、力を抑制されたライバル店舗は、手負いの野ウサギも同然だった。
 気づけばフロア床面全体に唾液が充溢している。スリムは粘性の高い液体に足を取られぬよう気を配りながら店の奥へと走った。
 強盗どもはまだ何が起きているのかはっきりとわからず、立ち尽くしている。
「ついてこい」とスリムは言った。「命が惜しかったらな」
 店中央に三列並んだ棚骨格のうち、入り口から一番離れた骨格へと進んだ。パンの陳列棚だった。最初はウォークイン内への避難を想定していたが、間に合いそうになかった。やむをえまい。
「〈棚骨格〉につかまるんだ」とスリムは言った。
 強盗どもに手本を示すように、パンコーナーの棚をしっかりと握りしめた。ぺこ&りゅうちぇるは素直にスリムの真似をした。
 直後、フロアが垂直に傾斜した。
 三人は一様に棚骨格に宙づりになった。
 りゅうちぇるが滑落した。後方のパック飲料棚に背中から落っこちた。パック飲料がりゅうちぇるの背中に押しつぶされて色とりどりの液体を周囲にまき散らした。
 自動ドアが再び高速でびしゃりと開いた。へたれワックDJのクソななスクラッチみたいな、不快きわまりないファミマ入店不協和音が鳴り響いた。
 頭上を見上げた。触手によってセブン店内から掻き出された大量の商品群が、ファミマ店内に滝のようになだれ込んだ。
 当店が、セブンの中身を食っているのだ。
 セブンの尊厳とともに強奪された商品群が、散弾銃のようにスリムたちめがけて降ってきた。スリムとぺこは骨格棚をバリケードにして身を守ったが、りゅうちぇるは散弾銃の直撃を被った。缶飲料や缶詰などの硬質な商品が、りゅうちぇるの巨体を無情に殴りつけた。
 セブン商品がひとしきり詰め込まれた。そして傾斜角度がゆるやかに修正されていく。
 水平に戻った。
「ひどいザマだ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「ここはどこだ!? 災いつづきの平安時代の洛中か、ええ!?」
 りゅうちぇるを見た。自ら胴体で潰したパック飲料に加え、新たにセブンから入荷された商品群、弁当や惣菜、おにぎり、アイス、ありとあらゆる商品のなかにその巨体を埋めていた。
「畜生、ひどい目に遭ったぜ」りゅうちぇるが言った。
 顔中に疵や青あざを作っていたが、意識ははっきりしているようだ。
「終わったのか?」りゅうちぇるはスリムに訊いた。
 俺に訊くなよ。
 そう答える暇はなかった。
 コンビニが、苦しげな呻き声をあげた。再び店内が震撼した。
「今度はなんだ!」りゅうちぇるが言った。
 考えている時間はなかった。
 体を支える地面の感覚がまた失せた。店舗は再度、今度は先刻とは反対側へ傾いた。スリムはパンコーナーのパンたちに厚い抱擁を贈った。傾斜角は垂直を越えた。およそ百二十度。棚骨格に捕まる暇はなかった。体が宙に浮いた。スリムは背中を思い切り天井に打ちつけた。蛍光灯が割れ、破片が周囲に飛び散った。
 捕まるものを探して手をばたつかせた。蛍光灯の破片が手のひらを傷つけた。傾斜を滑り落ちた。雑誌棚裏のガラスの上に落ちた。ガラス面が鈍い音をたてて震えた。放射状に亀裂が浮かんだ。亀裂で済んだのは不幸中の幸いだった。割れていたら、地上まで落ちて潰れたトマトになっていた。
 店内を見やった。
 この世のものとは思えない光景が広がっていた。
 フロア全体に、ファミマ、セブンごった煮の物の激流が、豪雨のあとの濁流のように渦巻いていた。
 ぺこ&りゅうちぇるを探した。上方の棚骨格の上に必死にへばりついていた。強盗風情が、店長の俺以上に店舗に適応してやがる。
 すぐそばに流れてきた商品の一つを手に取った。「焦がし醤油が香る和風唐揚げ」。パッケージにはセブン&アイ・ホールディングスのロゴマーク。
 合点がいった。ファミマは、体内に取り込んだセブンのプライベートブランド商品に拒否反応を示しているのだ。
 商品の濁流が、開きっぱなしの自動ドアから吐き出される。
 生体店舗が、嘔吐しているのだ。
「畜生!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「羅生門の修理なんぞは元より打ち捨てて顧みる者なしってかよ!」
 何言ってんのかわからねえ。スリムは死にものぐるいで雑誌棚骨格に掴まった。ぺこが耐えきれずに手を離した。りゅうちぇるがぺこの手首を掴み、懐に抱き込んだ。
 嘔吐が終わった。
 店の傾斜が再び元に戻った。
 店内の商品の多くが失われた。
 生体店舗がいま一度、獣じみた雄叫びをあげた。セブンのプライベートブランド摂取によって、ストレス係数がさらに上昇したことは間違いなかった。
 ひび割れたガラスから地上を見下ろした。無数の触手が地上の街を好き放題に蹂躙している。生体店舗の憤怒が、圧倒的な破壊の力が、儚い町の灯を無情に吹き消してゆく。団地が闇に飲まれ、首都高がまな板の上の食材よろしく、切れ味鋭い触手によって細切れにされていく。
 コンビニはついに歩き始めた。
 進行方向の先に光が密集している。赤羽駅だ。繁華街に到達すればさらに甚大な被害が出ることは疑いようがなかった。
 サイレンの音が聞こえた。パトランプを点滅させて五台のパトカーがやってきた。
 警察ポーポーの登場に胸躍ったのは生まれて初めてのことだった。おい、ここだ! 早くここから出してくれ!
 パトカーは猛スピードでコンビニ前の都道ルート455を通過していった。
「どうしてだよ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「なんで市民を守るポリ公があたしらを見捨てて行っちまうんだ!?」
 悪党サグがいまさら何言ってやがる、とスリムは思った。
「それどころじゃないんだとよ」りゅうちぇるが言った。
 りゅうちぇるはスマホを見ていた。
「どうもテロリストどもに狙われたのはこの店だけじゃないらしいぜ」
 りゅうちぇるは最新のニュースを読み上げた。
 赤羽以外の地域でも、同時刻に店舗の野生化が起きていた。サークルK成増一丁目店、ローソン+toks二子玉川店、デイリーヤマザキ青砥駅前店……。
 これは、コンビニエンス・ストアに対する無差別同時多発テロなのだ。そして後に続くのは、野生に帰った店舗群による大規模な破壊と蹂躙だ。トーキョーはいままさに、未曽有のコンビニ・テロに見舞われている。
 万事休すだ。もう駄目だ。
「お疲れ様!」スリムはあきらめた。「お疲れ様! さようなら!」

       

 父親の意思を継いでカウボーイになるつもりなど毛頭なかった。カリフォルニアのハイスクールに通いながらドラッグを売りさばくクソな生活から抜け出すためにラッパーを志した。スクールの連中も、ストリートの仲間たちも、みなこぞってスリムのラップを賞賛した。売られたラップ・バトルはすべて買い、そしてそのすべてに勝ち続けた。
 知人のつてでウッドペッカー・レコードのプロデューサー、マーフィー・モンタナとも知り合った。
「お前には才能がある」とマーフィーは言った。「二つに一つだ。このまま吐き溜でヤクと心中するか、いますぐきっぱり足を洗って俺の元でラップ・ゴッドを目指すかだ。来いよ、三年でお前を億万長者にしてやる」
 契約前にも拘わらず、スリムのミックステープはよく売れた。Spotifyのバイラルトップ50に食い込んだこともあった。水面下で契約の話も着実に進んでいた。
 もしかすると天狗になっていたのかもな。でかい世界に目を向けすぎて、足下がおろそかになっていたんだろう。間抜けを晒しているあいだに、背後から仲間に撃たれた。
 女を寝取られたと知ったのは、MCバトルの決勝の最中だった。
 先手は対戦相手のシュガ・Dだった。シュガはテレサが俺とのセックスにまったく満足していないと言い、シュガのテクがテレサを初めて絶頂に導いたと豪語した。テレサはシュガ側の舞台袖に立っていた。シュガの言葉を信じられず呆然と立ち尽くすスリムに、テレサは中指をたててとどめを刺した。
 スリムはすでに虫の息だったが、シュガはたて続けに、スリムの母親はクソな売春婦だと罵った。シュガのラップ・グループ〈フューチャー・ワイルド〉のクルーの一人シャロン・ブリムストーンがマムを買ったエピソードを繰り出した。行為の最中シャロンとマムの間で交わされた生々しい言葉の数々を、シュガは嘲りとともステージ上で公開した。
 シュガ・Dの一分間の持ち時間が終わり自分の番が回ってきたとき、スリムの頭は灰色の荒野と化していた。大一番のMCバトルだ。プロデューサーのマーフィーも見に来ていた。だがスリムは敗北した。一言も言葉を発することができなかった。ブーイングを背中に浴びながら退場した。
 腐ってもラッパーの端くれなら、ステージ上で、ラップでやり返すべきだ。それができないなら、何を言われても泣き寝入りするしかない。理性ではわかっていた。だがどうしても我慢できなかった。ステージを降りてからシュガを殴りにいった。
 仲間たちはスリムの元を去っていった。スリムは逃げ出すように留学を決めた。なけなしの金をまるごとつぎ込んだ。街を取り仕切るレッド・ドッグの下で、ヤク中どもから巻き上げた汚い金だった。
 もとはマムに楽をさせたくて稼ぎはじめた金だった。だが、どんなに苦しいときにも、マムは決して受け取ろうとはしなかった。汚い金で楽するくらいなら、泥水を飲んで生きる方がよっぽどましだとマムは言った。
 極東の島国を選んだことに特別な理由などなかった。ただ地球儀をまわして、指をあてて止めたらそこが日本だっただけだ。
 あらゆることを半端に投げ出してここへ来たのだ。バイト時代は学生気分の延長だった。一時帰国し、長期滞在のための就業ビザを取って日本に舞い戻ると同時に、オーナーに店を任された。店長になり、社会人としての自覚が否応なしに生まれた。以来、家に帰る間も惜しんで働いた。編み上げのドレッド・ヘアもばっさり切ってボウズにした。ブラック社会のニガブラック・イン・ダ・ブラック・ハウスとは笑えねえ。日々自嘲の連続だった。
 去年の夏に帰国したとき、マムに言われた言葉が忘れられない。
 もう悪さはしてないんだろうね?
 当たり前だろ、マム。
 本当だね。
 誓うよ。
 ならよし。それならあとはせいぜい楽しむことだ。耐えがたいほど苦しいときもあるだろうが、流れに身を任せていれば、そのうち必ずツキは巡ってくる。お前が一体何者なのか、何をする人間なのかも、そのときわかるだろう。それまではまず楽しむんだよ、スリム。お前のおかしな人生を、精一杯謳歌することだ。
 ケンドリック・ラマーは言った。「人生とはおかしなものだ。本物のコメディアンだ。愛し、信じないといけない」。親愛なるケンドリック、俺はあんたをリスペクトしている。
 
 ウォークイン内部にか細い光が射し、スリムの黒い肌に点を打った。24hトゥエンティフォーアワー解放同盟のテロリストどもによってすべての空き列に差し込まれたジャスミンティーのペットの一本を、フロアの人間が取り出したのだ。隙間から目が覗いた。イカレた強盗のものとは思えない、ローラ似のきれいな目が、瞑想の終わりを告げた。
 分厚い扉が開き、摂氏四度の世界に、生ぬるい娑婆の空気が流れ込んできた。
「あきらめるのはまだ早いぜ、兄弟ブラ
 扉の外に、ファミマの制服を着た大男が立っていた。
「まだ言ってなかったな。俺のファミマ・クルー歴は五年だ」自身の戦闘力を発表するフリーザのような顔つきで、りゅうちぇるは告げた。
 
 外ではやかましい音が鳴りつづけている。生体店舗のイカかタコみたいな無数の足が都市を砕き侵攻する音。触手がビルや道路をなぎ倒す音。パトカー、救急車、消防車、混ざり合い乱れ飛ぶカオスなサイレン音。破壊の震動が断続的に店を揺らし続ける。
 店長机の上でiPhoneが、外界の喧騒に負けじと、最大音量で歌っている。ケンドリック・ラマー、カニエ・ウェスト、Jay-Z、NAS、2パック、N.W.A.。スリムの自作プレイリストだ。ドープなナンバーを垂れ流しながら、泥水のようなブラックコーヒーを胃に流し込んだ。テーブルの上に散らばる煙草のかすを丁寧に拭き取った。ウエスタンブーツの拍車の泥をこそげ落とし、きれいに磨き上げた。
 店舗駐車場に止めたマイカーに思いをはせた。もうこの世に存在しないだろう。店が起き上がったときにその命運は決したはずだった。店長になった初任給で買った中古のバン。バイトをクビにしたとき、バイトがシフトを土壇場で休んだとき、バイトが集団ボイコットしたとき、アパートに戻る時間も惜しくて何度も車内で眠った。目覚めるとまたコンビニ業務が待っている。単調な繰り返し。変化がないように見えて、その実、自分の肉体と魂だけは、確かにすり減っていく日々。
 一度遠くへ行きたいと思っていた。バイトリーダーの中島さんに店を任せて数日休みをもらい、おんぼろのバンに乗って旅に出るのだ。
 どこがいい。
 イビサ島はどうだ。
 馬鹿を言うなよスリム・ドローヴァー。車でか?
 構うことはないだろう、想像するぶんには。
 夢の島イビサ。かつてのヒッピーカルチャーのヨーロッパにおける中心地。現在も有名DJたちがこの享楽的なパーティー・アイランドをこぞって訪れてはプレイしている。地中海一美しい海と砂浜。地中海と同じくらい美しい女たち。カフェ・デルマに流れる、ダンス・フロアで火照った心と体を鎮めるチルアウト・ミュージック。
 スリムは砂浜に降りたつ。朝から晩まで24時間、音楽と狂乱の終わらない島。
 iPhoneの音楽再生を停止した。
 首のチェーンに手を掛けた。
 ゴールドのチェーンは、カリフォルニアのハイスクール時代から、一度たりとも外したことがない代物だった。仕事中も制服の内側に隠して常に身につけていた。ストリートではチェーンはタマみたいなものだ。コンビニ店員である前に俺はストリートの人間だ――それがスリムの密かな矜持だった。
 金のチェーンを外した。店長机の上に置いた。
 不思議と活力がみなぎるのを感じた。
 スタッフルームの扉を開けフロアに出た。磨きたてのぴかぴかの拍車が、足元でクールな音を立てた。
 りゅうちぇるがにやついた顔でスリムを出迎えた。改めてよく見ると、夜勤佐々木のぴちぴちの制服に無理やりにねじ込んだノトーリアスの馬鹿でかいボディが笑いを誘った。二人はコンプトン式のシェイク・ハンドを交わした。
「よお、店長さんよ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「そろそろあたしにもわかるように説明しな!」
「生体店舗の暴走を止める」とスリムは答えた。
「簡単さ」りゅうちぇるが言った。「誠心誠意真心込めて、業務に取り組みゃいい」
 スリムがさらに付け足した。「要は、めちゃくちゃにかき回されちまったこの店にもう一度、二十四時間営業可能な秩序と体制を取り戻してやりゃいい。そうすりゃ店のストレス負荷はおのずと下降していく。ストレス値が基準値を下回ったとき、店は元の落ち着きを完全に取り戻すはずだ」
 ぺこはまだ納得のいかない顔をしていた。子供みたいに首を真横に傾けた。
「よくわからねえ!」結局ヒステリックに叫んだ。「あたしゃバカだからね!」
「いい手がある」とスリムは言った。「実践だ」
 スリムはレジを出た。
「おい! どこ行くんだ!」
 自動ドアのそばで止まった。扉が開いた。ファミマ入店不協和音が鳴り響いた。
「さあ、仕事再開だ」とスリムは言った。
「いらっしゃいませ!」りゅうちぇるが声高に言った。ブランクを微塵も感じさせない、隙のない声出しだった。
 いける、とスリムは思った。ベテラン二人に新人一人。店を回すには申し分ない。
 りゅうちぇるはぺこの背中を思い切り叩いた。
「声かけは基本中の基本だぜ? いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ!」
 何が何だかわからぬまま、ぺこはりゅうちぇるの威勢に気圧されて復唱した。多少ヒステリックだが、初めてにしては悪くない出来だ。スリムはぺこのなかに、コンビニ店員としての天賦の才を見出した。
「畜生!」ぺこが吹っ切れた顔つきでヒステリックに言った。「手段を選んでる暇はないらしいね!?」
「その通りだぜぺこ」りゅうちぇるが言った。「のたれ死んで羅生門の楼の上に、犬のように棄てられたくなかったらな!」
「ああ、りゅうちぇる! 何それ超やばい、マジかっこいいし一瞬あんたの顔、下人とダブって見えたんだけど!?」
 臨時バイト二名が採用の運びとなった。二人とも最新の職務経歴はコンビニ強盗という札付きの悪党サグだが問題ない。スリムにも、売人の時代があった。
 いくぜエイヨー
 まず棚卸しから始めた。通常は専門の業者に頼むから、スリムにとっても初めてのことだった。店内に散在するすべての商品をスキャナで検品した。端末に情報がなくエラーが出る商品は、セブン捕食時に取り込んだ店外商品だ。躊躇いなくゴミ袋に放り込んだ。もちろん分別も完璧だ。
 発注端末を起動した。テロリストどもが入力していった店に入りきらないほどのおにぎりの発注数を適正数に修正した。それから直近三ヶ月の膨大な発注品目リストを作った。これを棚卸しで確認した実際の店頭在庫リスト、およびPOSに記録された売り上げ商品リストと照らし合わせることで、セブン・プライベートブランド嘔吐時に店外に吐き出された商品の総覧を割り出した。
 なくなった商品のJANコードをPOSに入力し、廃棄登録を済ませた。これで店内の実在庫とデータ上の登録情報が大方一致したはずだ。
 こまごまとしたデータとの格闘を終え、店頭作業に移った。
 改めてフロアに目をやり、スリムは息を飲んだ。ゴミ屋敷同然だった店内が、なんということでしょう、本来の端正な面影を取り戻しつつある。
 乱雑に床の上に散乱していた商品群は、もれなく本来あるべき棚に正しく陳列し直されている。在庫の少ない商品は、背中にプラスチック・スタンドが仕込まれ、正しく前出しフェイス・アップされている。挙句、これまでスリムや他の従業員たちの怠慢によりつけられていなかったいくつかのプライス・カードまで、新たにバックヤードから持ち出され、然るべき棚に貼りつけられていた。
 わさビーフの袋を取り上げて確かめた。商品は完全に賞味期限順に並べられていた。
「もちろん裏の在庫も補充済みだぜ」りゅうちぇるは親指でバックヤードを示して言った。「空いた段ボールは、スタッフルームの入り口の前に集めてある」
 スリムはりゅうちぇるに訊いた。「出身は」
「ナチュラルローソン」
「腑に落ちたぜ」
 ナチュラルローソンのクルーは総じてサービスのレベルが高い。このことは昨今、業界の定説となりつつある。いわば、生え抜きのレンジャー部隊のようなものだ。
「そうだ店長、惣菜パンのいくつかに値札シールのついてないものを見つけた。テプラはどこだ?」
「まったく、見上げたバイト根性だよ」
 スリムはノトーリアス・B.I.G.の生き写しにテプラを託した。
 それからトイレに向かった。
 大理石でできた王族御用達のスイートと見紛うような、清潔な白い空間がそこにあった。
「下人の生きた京の町のごとしさ!」ぺこはヒステリックに叫んだ。「一通りならず衰微していやがったが、このあたしがまとめて平定してやった。ざまをみろ!」
 ブラシにたわしにスクレーパー、あらゆるトイレ掃除用具がこの小さな空間に総動員されている。ぺこはそれらを巧みに駆使して、長年のあいだに固まってとれなくなった便器の内側の黄ばみまで完膚なきまでに除去していた。
 聞けば、りゅうちぇるのわがままボディが押しつぶしたパック飲料の飛沫を、棚から地面に至るまで入念に拭き取りぴかぴかにしたのもぺこの仕事だという。ハラジュク・ガールは意外にきれい好きなのだ。
「どきな!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「あたしゃ世直しで忙しいんだ!」
 トイレ清掃を終えたぺこは休む間もなく、モップを持ってフロア清掃を始めた。
 負けてられねえ。
 頭は十分に使った。今度は体と手を動かす番だ。
 生き残ったパスタのポジションを、元の棚からより目立つ場所に陳列し直した。日付変わって今日から、パスタ30円引きセールが始まっているからだ。スタッフルームに届いていたパスタ販促用POPを持ち出してパスタ棚周囲を飾った。最近スリムがリピートしまくっている「和風きのこスパゲティ」にはオリジナルの手書きPOPをつけることにした。色画用紙を適当なサイズに切り、筆ペンに魂を込め、ぶっつけ本番で清書した。

  おだし香るヒップなパスタ、30円引きこの機逃すな!

 悪くない出来栄えだ。しっかり韻も踏んでいる。
 雑誌コーナーで袋とじの破られたエロ本すべてを回収してレジカウンター上に積んだ。煙草コーナーに陳列されたコンドームを商品棚に戻した。レジ内の床にぶちまけられ、こびりついたフライヤーの油を入念に拭き取った。
 揚げ物と中華まんをすべて廃棄した。シンクに湯をはり、業務用洗剤で泡だらけにした。中華まんのスチーマーと揚げ物のホッターの中身のパーツを取り出し、シンクに浸け置きしてからごしごし洗った。店の嘔吐時にすっかり中身がなくなってしまったおでん鍋も、分解して洗った。
 フライヤーに新しい油を流し込み、おでん鍋をだし汁で満たした。
 時計を見た。夜明けが近づいていた。少し早かったが、店が平常運転していると生体店舗に示す必要があった。
 冷凍庫から揚げ物と中華まんを持ってきて調理した。ファミチキ・セールのPOPを剥がして捨て、今日から20円引きになるジャンボフランクを多めに作った。おでんも充実させた。ちくわぶがないぶん他の具材を多めに仕込んだ。
 仕込みを終えるとスリムは制服を脱いだ。レジを出た。自動ドアの前に立った。自動ドアが開いて閉じ、ファミマ入店音が鳴り響いた。相変わらずの不協和音だ。
「いらっしゃいませ!」
 野太い声。直後、店員が重たい体を揺らしながらすっ飛んできた。名門ナチュラルローソン出身のエリート、りゅうちぇるa.k.a.ノトーリアス・B.I.G.。
「お前かよ!」りゅうちぇるはにやついて言った。
 スリムは店員りゅうちぇるに中華まんと揚げ物とおでんを大量注文した。業者返本不可のエロ本をポケットマネーでまとめて買い上げた。
 店は滞りなく動いているぜ。
 どうだビッチ、そろそろ機嫌直す気になってきたか?
 事実、店舗復旧作業を始めて以降、生体店舗の破壊衝動は沈静化の一途を辿っていた。赤羽駅方面を目指す進行速度も、最初に比べ著しく減退していた。
 あと一息ってことだ。いくぜ、駄目押しのフック。
 スリムは言った。「すいません、宅急便をお願いしたいのですが」
 りゅうちぇるがにやりと口元を歪ませた。「ありがとうございます」
 宅急便の受け付け――それは、「この店は決して社会のネットワークから隔絶しているわけではない」という声なき叫び、あるいは「店、宅急便受け付ける、ゆえに店あり」とでも言うべき店舗の実存に対する魂の主張だった。
 スリムは店内在庫補充時に出た空き段ボールをレジに持ってきた。中身は空で構わない、宅急便を受け付けたという情報をPOSに記録させることが重要なのだ。
 ガムテープで空箱に封をした。送り状に住所その他必要事項を記入し、りゅうちぇるに渡した。
 りゅうちぇるが言った。「念のため『ワレモノ注意』のステッカーを貼っておきますか」
 痺れた。
 なるほど行き届いている。
「お願いします」
 二人は共犯者のように顔を見合わせて笑った。
 店舗印を押した控えの紙を受け取り、宅急便の支払いを終えた。
 スリムはまるで自身が生体店舗になったかのような感覚を覚えた。店と同化した自らの体に、再び正常に血が通い始めたように感じた。
 悪くない気分だった。
 当の本人も、そう感じていたんだろう。
 生体店舗の足が、ついに完全停止した。触れるものすべてを傷つけずにはいられなかった、ジャックナイフのような無数の触手も、天を衝く威嚇のポーズをやめて、だらりと地面に垂れ下がった。
「よお、やれよ店長」とりゅうちぇるが言った。
 ぺこが悟りきった顔つきで深々とうなずいた。
 奇妙な気恥ずかしさを感じながら、スリムはおそるおそる自動ドアに近づいた。正しく調律されたファミマ入店音が、店内に響き渡った。何年も会っていない友人と再会したような喜びが、スリムの胸中にこみ上げた。
 終わったのだ。
 生体店舗はついに怒りを静め、理性を取り戻した。
 直後、コンビニの進行方向正面、赤羽駅手前の大型建造物「ショッピングセンター・ビビオ」の上に、ゆらゆらとゆらめくかがり火の群れが現れる。
 ようやく過ぎ去った緊張感がたちまち戻った。
「ありゃあ一体なんだ?」りゅうちぇるが訝しげに言った。
「この雨の夜に、羅生門の上で火を灯してるからにゃ、どうせろくなもんじゃないよ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。
 雨はとっくに止んでいた。羅生門なる建物も見当たらなかった。
店落としストア・ハンター」スリムは呟いた。
「そうかあれが」りゅうちぇるが言った。「噂の、スナイパーども」
 スリムはうなずいた。連中は、店を狩る際に、こうして火を焚く。
「どうする」
 りゅうちぇるが訊いた。自然と小声になっていることに、本人は気づいていない。
「やっこさんたち、仕掛けてくる思うか?」
「待てよ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「善良な一般市民が取り残されてんだぞ!」
「あいにく俺たちは揃って悪党サグ、経歴洗や容易にわかる」
「まだ距離があるな」りゅうちぇるが言った。「仕掛けてくるにしても距離がありすぎるだろ。幸い、こっちの足は止まってるんだ。このままじっとしてりゃあ、当店に戦う意志がないってことも伝わ――」
 伝わらない。生体店舗の「天敵」は、もう動き出している。
 死神は闇のなかから現れる。
 トゲと呼ぶにはあまりに野太い、禍々しい無数のトゲで全身を覆った装甲戦闘車輌が、ショッピングセンター・ビビオとは無関係の、側面の暗がりからぬっと顔を出した。
「ハリネズミだと!?」りゅうちぇるが叫んだ。
 生体店舗の頭蓋は〈兜蓋ボーンヘッド〉とも呼ばれ、コンビニもこれを加工して建造される。この兜蓋に、コンビニとは異なる、穏やかじゃない〈特殊生体加工〉を施すことで生み出されたのが〈店戦車チャリオット〉――通称〈ハリネズミ〉だ。天然の生体店舗が持つ〈鱗装甲〉を破壊することに特化して開発された〈対鱗装甲掘削ドリル〉を、針山のごとく無数に搭載した地獄のマシンだ。
「どうなってる! 国内での使用は禁止されてるはずだ!」
 だが現に、目の前に存在している。
 それも、一輌ではない。計四輌の店戦車が、デスマーチのごときキャタピラ音を轟かせながら、ファミリーマート赤羽西六丁目店を包囲した。
「ビビオのかがり火はフェイクというわけか」スリムは言った。
 野生の生体店舗の複眼は、通常およそ270度の広範な視野を持つ。しかし一方で店舗には、眩しく揺れる火に目を奪われる習性があった。野生の店を狩猟、捕獲する店落としストア・ハンターたちがかがり火を焚くのはそのためだ。スリムたちはショッピングセンター・ビビオの火に、店ごと・・・騙されたのだ。
 店落としストア・ハンターが駆る店戦車が、一斉に鋼鉄のワイヤーを射出した。ワイヤー先端の鉤がファミリーマート赤羽西六丁目店の図太い肉体に食い込んだ。
 ワイヤーが巻き取られる。
 日本の夏の風物詩HANA-BIよろしく眩しい火花を散らしながら、四輌の店戦車は軽やかに跳躍した。
 店戦車はShurikenのように回転しながら、生体店舗の胴体に突き刺さった。店は悲痛な叫び声をあげた。紫の血が噴出した。
 立て続けに、対鱗装甲掘削ドリルが回転を始めた。穿たれた装甲がドリルに抉られて傷口を広げた。紫の血は地獄のシャワーとなって赤羽の街に降り注いだ。
 ワイヤーがたわみ、店戦車は再び地上に降り立った。
「YOマイメン」スリムはりゅうちぇるに呼びかけた。「ハリネズミだって? トビネズミの間違いじゃねえのか、Aye」
「やっこさん、どうやらサラブレッドのようだ」
「ちがいねえ。難儀だ」
「また『お疲れ様』するかい?」りゅうちぇるは挑発的に言った。
 スリムは皮肉っぽく笑った。「従業員同士の声掛けもない店舗は悲惨だぜ?」
 一度たわんだワイヤーが再度巻き取られる。第一陣同様、ハリネズミは順に、火花を散らしながら跳ね上がった。
「ヒット・アンド・アウェイかよ、辛気くせえ野郎」りゅうちぇるが言った。
「いや」スリムが答えた。「軽口叩いてられるのもここまでのようだぜ」
「ああ?」
 生返事の直後、りゅうちぇるは驚きに目を見開いた。
 ガラスの向こうに映った店戦車の影が、みるみる大きさを増した。
「やべえ!」ぺこがヒステリックに叫んだ。「こっちに来んじゃねえ腐れドブネズミが!」
 対鱗装甲掘削ドリルが店頭ガラスを粉々に粉砕して店内フロアにめりこんだ。高速回転するドリルビットが、ようやっと整えたばかりの店内を滅茶苦茶に攪拌した。
 残りの三輌も先発の一輌同様、〈兜蓋ボーンヘッド〉に狙いを定めてきた。それぞれ店の四側面――スタッフルーム、トイレ、そしてバックヤードがある面にドリルを突き立て、ゴリゴリと掘削した。
 生体店舗「赤羽」の触手が目まぐるしく蠢き、ハリネズミを払い落とそうとした。しかし、全身を覆う無数のドリルを前に、千の触手は無力だった。回転するドリルに触れるたび、触手は抉れ、ちぎれた。紫の血飛沫が店内を紫に染め上げた。
 スタッフルーム側のドリルが、穿孔深度を増して店内に深く入り込んできた。スタッフルームとフロアのあいだの薄壁はうすっぺらな紙のように破れ、壁際に陳列された煙草は棚ごと跡形もなく消え去った。回転する先端がスリムの体ぎりぎりをかすめ、2レジに牙を剥いた。POSが、レジカウンターが、跡形もなく吹き飛び、POS脳室底部に格納された左脳がむき出しになった。直後、店戦車は自らが穿った大穴に後輪を取られてバランスを失い、ワイヤーをたわませて地上に落ちた。
 スリムは2レジを見た。
 そこにあるのは思考を司る器官の残骸に過ぎなかった。左脳の上半分は螺旋状の回転体に無残に抉られ、この地上から永久に損なわれてしまった。
「ガッデミット!」スリムは叫んだ。
 そして初めて、生体店舗に感情移入する自分がいることに気づいた。スリムはいま、コンビニを愛おしく思っていた。自分が守ってやらなくてはいけないと感じた。
「YO」スリムはコンビニに呼びかけた。「どうやら俺たちは、運命共同体ってやつだぜ?」
 ウエスタンブーツの拍車をかちゃかちゃ鳴らして、残された1レジの前に行った。
 ここにきて、24hトゥエンティフォーアワー解放同盟の手口の周到さを改めて感じた。レジ下の小型金庫は壊され、中はもぬけの殻だった。制御針は、プッシーどもが持ち去ってしまった。
 だからどうしたって? Aye?
 もはやスリムに、世を拗ねる気分は微塵もなかった。
 1レジに張りついた。両手でPOSディスプレイの両側を挟みこみ、顔をぐっと近づけた。
「イメージしろよ」コンビニに語りかける。「お前はどちらにせよもう右脳しかないんだ。想像すんのは十八番だろ? 選べよ。このまま奴らにケツを掘られ続けて死ぬか、俺に手綱を預けて生き延びるか。二つに一つだせ?」
 24時間不休で熱と光を無尽蔵に体内生成し続ける生きたエネルギータンク、それがお前さ。底力、いまこそ見せろ。
「制御針はないぜ。構やしねえよな? お前は俺の最高のビッチさ、そうだろう? いいさ、突っ込んでやるよ。何だっていいだろ、何せお前はあばずれ、YO、喜べよ、俺のテクでイカしてやる!」
 スリムはコンビニの脳みそに割り箸を突き刺した。
 単車のアクセルを回すように、ぶち込んだ割り箸をぎゅむ、とひねりあげた。
 コンビニが淫らに嘶いた。
 いきなり走り出した。
 螺旋型掘削機で店の壁をさんざ壊しまくった三匹のハリネズミどもが、揃ってバランスを崩した。ワイヤーの尾を引いて地上へ落っこちた。
 コンビニはトップスピードで爆走した。商業的な店の光が、夜明け前の薄闇を彗星のように切り裂いた。
 店戦車との揉め事ビーフが勃発して以降、当店は未だ微塵も街を破壊していない。生体店舗はそのイカみたいな無数の足を巧みに操り、建造物や車や人を避けて進んだ。
 赤羽駅が見えた。店は多脚と触手を巧みに駆使して、誰一人傷つけず、ダンスを踊るように軽やかに駅を乗り越えた。
 野生化したコンビニが、必ずしも人と街に害をなすとは限らないのだ。入り口前のセンサーは店戦車に破壊され、ファミマ入店音はもう鳴らない。だがもし残っていたとしたら、入店音はいまも、あのうんざりするような耳にタコのメロディだったろう。
「おい、この店はどこに向かってる?」りゅうちぇるが訊いた。
「まずは日本を出る」
「ああ?」
「日本海を渡ってユーラシア大陸を横断する」
「気は確かか?」
「まあな」
「そうか、ならいい。目的地は」
「イビサ」
「悪くねえ。お前もそう思うだろ、ペコ?」
「イビサってどこだよ! わかんねえ!」ペコがヒステリックに叫んだ。「海外かい!? もしやあれかい、あんた、ついに行方くらますつもりかい、下人みたく!」
「ぺこも賛成らしいぜ」
「そいつは何よりだ」
 ここまでさんざ酷い目に遭った。店と一緒に命まで狙われている。オーナーには悪いが、このまま消えるのもやむをえないだろう。ジャパニーズ・ビジネスマンはここいらで卒業だ。
 たわんだワイヤーがまたテンションを取り戻した。店戦車が三たび来襲した。
最後の商戦ジハードってわけか!」りゅうちぇるががなった。
「きっとそうかい!」ぺこがヒステリックに叫んだ。
 四匹のハリネズミたちがバックでガンガン、強欲のドリルを突き立てる。執拗な攻撃をまともに受けまくり、生体店舗はみるみるうちに崩壊していく。
 地獄のドリルを受けて雑誌コーナーが消えた。その奥のトイレが消えた。バックヤードもウォークインもスタッフルームも足場もろとも跡形もなくなった。店内棚骨格のほとんどが抉りとられた。天井が斜めに傾き、眼下の市街に滑り落ちていった。
 店はもう跡形もなかった。裸同然。店外同然。右脳を格納した1レジの周囲に、僅か三メートル四方の床が残るのみ。
 ぎょろりと濡れた複眼が、足下から覗いた。「ファミリーマート赤羽西六丁目店」と名付けられた、生体店舗の眼だ。ここまでにどれだけ傷つき、苦しんだことだろう。にも拘わらずその眼は、いまなお生きる意思を微塵も損なわず、ぬらぬらと濡れ光っていた。
 力強い複眼と、一瞬、目が合った気がした。
 気のせいだったかもしれない。しかしその瞬間、スリムの心中に、これまで感じたことのない、名状しがたい感情が芽生えた。
 ハラジュク・クルーどものいう、kawaiiの意味がわかった気がした。
「YO、赤羽」スリムはコンビニに語りかけた。「どうやらお前は、俺にとって最高のビッチらしいな」
「まじかよ」りゅうちぇるがぶったまげた。
 満身創痍でも赤羽は立ち止まらない。夜明けの風を切り走り続ける。
 何かの祭壇のようなむき出しの1レジの傍らで、店長と強盗たちは風に吹き飛ばされないように身を屈めてスクラムを組んだ。
 いつの間にか、隣を並走する者たちがいた。
 サークルK成増一丁目店、ローソン+toks二子玉川店、デイリーヤマザキ青砥駅前店――24hトゥエンティフォーアワー解放同盟の同時多発テロによって野生を呼び起こされた、眠れる獅子たち。
 つまるところ、この生体店舗という特異な生き物は、群体性の生命体なのだった。各個体が持つ精神領域の大半は、個別の脳髄のなかに収まるローカルなものだったが、精神のより深い場所には〈統一場〉と呼ばれる広大な思念フィールドが広がり、これがすべての個体を結びつけている。
 このことが、決定的な作用をもたらした。
 ファミリーマート赤羽西六丁目店の心中で芽生えたイビサ行きの願望は、膨張を続けた結果、やがて容量の限界を超えてローカル領域からあふれ出た。そして全生体店舗共通の根源的精神領域である統一場を介して、至近の野生店舗たちへと感染したのだ。結果、コンビニたちは先行する「赤羽」に追従し、ここにきてついに集結に至った。
 コンビニたちは赤羽と店戦車チャリオットのあいだに割って入った。店戦車の対鱗装甲掘削ドリルが、肉の盾となったコンビニたちの鱗装甲を容赦なく掘削する。鉤によって赤羽の胴体に繋がれたワイヤーが絶妙のタイミングでたわむ。ヒット&アウェイ。
 店戦車は後退し、また即座に攻勢に転じる。ワイヤーが巻き取られ、張り詰める。端的に言って赤羽はもはや虫の息だ。店落としストア・ハンターどもは無理矢理にでもコンビニ群の肉の盾を突き破り、とどめを刺そうという魂胆なんだろう。
 スリムは言った。「生き物の命を粗末に扱うんじゃねえよ」
 再び割り箸を右脳にねじ込み、かき回した。
 スリムの意思が、統一場を通じて「成増」、「二子玉」、「青砥」に伝達される。
 すぐ間近に店戦車が迫っているにもかかわらず、三体の生体店舗は大地を踏みつけて一斉に急停止した。三体合わせて三千を超えるたおやかな触手群を、孔雀のように一斉に展開した。
 店落としストア・ハンターたちは百戦錬磨の戦士だけが持つ経験に基づいた勝負勘を働かせ、事態の深刻さをすぐに察知した。が、僅かに遅かった。店戦車は既に宙を駆けていた。そして、戦車は急に止まれない。トビネズミは、空中で方向を変えられない。
 鮮やかな大捕物だった。三店舗の触手群は、まるでその一本一本が個別の意思を持つかのように、艶かしい動きで交差し、互いに絡み合い、そうして巨大な一個の網となった。網目の一つ一つが、針山のような店戦車のドリルを受け止めるポケットとなった。
 無限の触手網は掘削ドリルの殺傷力を完全に無力化し、優しく抱擁するように四輌の店戦車を拿捕した。JUDOでいうところの「柔よく剛を制す」とは、まさにこのことだろう。
 四輛の店戦車の頭頂部に造設されたコックピットの蓋が開いた。パイロットたちが脱出して白いパラシュートを広げた。
 このとき撃破された店落としストア・ハンターの一人は、後にこう語ったという。「やっこさん、完全に店を乗りこなしていたぜ。あのワイルドな動きは、とてもじゃないが機械に飼いならされたハリネズミには真似できないね。ましてや止めることなんて絶対に無理だ。あれはさながら、大縄をぶん回して牛の群れを自在に追い立てる、粋なカウボーイのようだった」
 野生の生体店舗四体を割り箸一本で結集ラウンドアップする凄腕。
 店一つで日本海の荒波を乗り越えユーラシア大陸を縦断するという、死のロング・ドライブに挑んだ命知らず。
 父親は小さな牧場を営む牛追いドローヴァーだった。生体店舗と人間の新たな関係を示してみせた、世界最初の〈店追いドラッグストア・カウボーイ〉は、その名を、スリム"ドローヴァー"ウォレスという。

「Hit me!! Hit me!!」

 ギャングスタ・スタイルでコンビニを鼓舞するスリムの声が空に響き渡った。
 目を閉じると、まぶたの裏側に情景が浮かんだ。真っ白な砂浜、地中海一美しい海、地中海と同じくらい美しい女たち。朝から晩までぶっ通しで踊り明かそうが、罰は当たるまい。何せスリムはずっと、24時間働きづめで過ごしてきたのだ。
 24時間歌と踊りの絶えない夢の島イビサ。スリムはそこで、日本の生活のなかでたまりにたまった疲労とストレスを、すっかり落としきるつもりだ。たっぷりと休息チルアウトするつもりだ。
 いつのまにか朝が訪れていた。疾走するコンビニの目前には果てしなく広がる空と大地があった。世界は美しかった。
 赤羽が、陽の光をその身に浴びていた。剥げ落ちた鱗装甲の奥で、悩ましい裸体がぬらぬらと煌めいた。眩しげに、気持ちよさそうに、店はその複眼を細めた。
 美しかった。
 俺のビッチ
 YO、お前も待ち遠しいだろう? 
 いいぜ、イビサの24アワー・パーティー・ピープルどもに、目に物を見せてやれよ。
 そうさ、お前は最高の吉祥店女ヴィーナス。色っぽい睫毛に飾られた虹色のつぶらな複眼は、ダンスホールのすべての男たちを魅了するだろう。サーモンピンクの濡れた鱗に覆われた豊満な肉体に、すべての女たちが嫉妬し、羨望に身を焦がすだろう。兜蓋ボーンヘッドのなかに陳列された素晴らしい商品の数々は、ミラーボールの光を受けて宝石のように光り輝くはずだ。しかもお前はそれだけじゃない、みてくれがいいだけのプッシーとはわけがちがうんだ。ダンスの腕前だって超一級の極上品、ビヨンセも真っ青さ。何せお前には、ダンスフロアの壁から天井まで縦横無尽に這い回ることのできる吸盤つきの十三本の足と、バックダンサーなしでも余裕で千手観音ダンスをキメることができる千の触手がある。お前が刻むドープなステップをひとたび目にすりゃ、どんな腕利きのダンサーもしっぽを巻いて逃げ出すさ!

(了)

文字数:29150

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