聖性毀損のベストエフォート

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梗 概

聖性毀損のベストエフォート

 窓からの眺めは海と空。その境界線は遠くで混じり、気をやって見なければ視界一面、青の世界に没入してしまいそうだ。
 無味乾燥な部屋には人造生命科から拝借してきたバイオロイドの男女一組とヒューマンの男一人、互いに向き合って椅子に座っている。ヒューマンの男、勝呂(スグロ)はぼんやりと窓からの景色を眺めていたが、ため息をついて制服の襟を立てた。
「寒くないか?」
 バイオロイド達はびくりと身体を震わせる。二人は裸だった。男性型バイオロイド、ポールが、栗毛のひげを震わせて呟いた。
「なぜこんなことを?私達の拘束を解いてください」
 バイオロイドの手首足首はワイヤで椅子にくくりつけられている。女性型バイオロイド、セシリアはひたいにかかった金髪を首を振って払い、制服の男を睨みつけた。
 あたふたしているポールを横目に見ながら勝呂は足元のかばんからするりとハンマーを取り出した。
 ハンマーを見てポールの瞳が不安にゆがむ。
 視線をハンマーに釘付けられながらポールは震えながら口を開いた。
「私は」
 そこから先は聞き取れなかった。横薙ぎに振るわれたハンマーがポールの下顎を粉砕したからだ。
 椅子ががたがた揺れる。そしてセシリアの声にならないショックの悲鳴。
 さて、久々の任務だ。がんばるとするか。勝呂は二打目の鉄槌を、今度はポールのひざに打ち込むためにハンマーをにぎり直した。
 
 一日かけてポールを精巧な擬似生体人形から肉塊に変える。アクリルっぽい骨が端々から飛び出し、夕日が作り出す陰影の中でポールは節くれだった枯れ木のようになっていた。
 すすり泣くセシリアに、次は君の番だと告げて勝呂は部屋を引き上げようとした。しかしセシリアが口にした神への哀願を聞いて足を止める。
「バイオロイドの君が神の存在を感じてるとは思わないな」
 瀕死のポールに再び歩み寄り、頭の割れ目に指を入れてめりめり頭蓋を引き剥がした。
「ここ、側頭葉のここらへんのパターンで神を認識できているかどうかチェックするんだけど」
 緑がかった脳が夕日に照らされて玉虫色に輝いた。
「君らバイオロイドの脳でそのパターンを創れたためしがないんだよ」
 ポールは死んだ。
 
 通信科作戦執務室から出た勝呂は医務室に向かう。
 医務室で暗い顔のキアラ神父に診察された。
「シナプス・パターンは変わらずです」
 幼い頃に両親を眼前で銃殺された勝呂は側頭葉のシナプス・パターンが変質してしまっている。9歳で勝呂は神を認識できない心因性認知障害者認定を受けた。
 神父の診断に勝呂は微笑んだ。
「そんな悲しい顔しなくても。認知できなくなったのは小さい頃からなんですよ?慣れています」
「そうじゃありません。あのバイオロイド達に……」
 勝呂は答えず医務室を出た。
 
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 大多数の人が神を認識できている世でそれを調べてもほぼ実利はなく、当時は神を認知できない人をいたずらに苦しませるだけのアカデミアの自己満足だと批判された。しかし軍の戦略研究所では実践的応用研究に転化しようと調査が進められていた記録が残っている。
 某国では陸軍第17師団内に施設された研究所で聖性毀損の基礎研究が実施されていたとある。
 
勝呂についての記録はほぼないに等しいが、近年公開された士官アーカイブを見ると入隊理由に「両親を撃った敵国の人間をもう一度見てみたいから」と記されている。
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 研究所に来る前、勝呂は敵国の沿岸部まで行き、哨戒中の敵兵を何人か撃った。
 それで自分の中の何かが変わるのではと期待したが何も変わらず、次の月には別隊への異動申請を出した。第17師団へ。
 
 キアラ神父とは師団付き診療所で出会った。布教中に拘束されたらしい。聖性射影パターン観測の煽りを受けて、宗教的な所作と神の認知との相関が問われた時期である。宗教活動が活発化した時期だった。
 医療技術をもっていた神父は師団内では厚遇された。厚遇ついでに研究所に出入りしている士官達はそこで何をしているか面白半分に神父に聞かせ、それに対して神父が悲しんだり怒ったりするのを見て楽しんだ。
 
「とにかく一概には言えないんです。強姦犯でさえパターンを失わないことは報告されているのですよ?残酷な経験が原因とは言い切れないのです。そもそも非人道的なことはしてはいけない。」
 キアラ神父はことあるごとに残虐指向の実験を止めるよう反対した。
「そりゃ、上官の命令だからね」
 どことなく虚ろな士官達はキアラ神父が憤ってもへらへら笑うばかり。
 もしくは勝呂のように無表情に固まっているか。勝呂は神父のことをなんとなく見下していた。
 脳が健全なだけの口だけ野郎だ。
 
 強姦犯でさえ神を感じているだと?
 勝呂はセシリアを強姦して殺すと決めていた。
 
 ————-
 初期の研究所での仕事はたいがいどんな残酷なことをしでかすと聖性にダメージを与えるのか、それとも与えないのか、の調査に尽きている。バイオロイドをはじめとした人造生命体の研究も軍内部では聖性毀損の基礎研究として当時過熱の一途をたどっていた。
 
 聖性の毀損といえば弟殺しのカインの話が有名だが、当時流行の与太話で言えばインターネット・テクノロジーだろう。過去、インターネットというロストテクノロジーを持ち出したテロリストが捕虜処刑の映像を配信した。それを見た人間の多くが神を認識できなくなったというのだ。
 シナプス・パターンの射影技術は確立されていなかった時代の話であり、検証が難しい。
 
 通信技術とはメッセージの技術で、メッセージは神の御技。生殖器の研究に次いでマイナー・ジャンルの通信技術研究は発作的に勃興することはあっても長続きせずに終息してしまう。この傾向自体は現代のアカデミアの潮流を見てもうなずけるものがある。
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 セシリアを強姦して殺した次の日、勝呂はいつもの調子を崩さず診療室を訪れた。
 神父の手が震えていた。
「パターンはいつもどおりです。……神は射影されていません」
「あのバイオロイド達は、神様的にどうなんだろうか。天国に行けたりするのかな」
 こめかみのパッチをいきおいよく剥がして神父が激昂する。
「神の存在を認識できずとも神が存在しているのは事実です。そりゃ行けるんじゃないでしょうか?少なくともあなたよりは見込みがあると思いますよ!」
 珍しく声を荒げる神父に勝呂はニヤつきを隠せない。
「なんてことだ、神様はどん底の悪人ですら救いたもう最期の希望じゃあなかったのですか」
 キアラが叫ぶ。
「あなたがいつ救いを求めたのか!?あなたが聖性を失った理由が分かる気がする!」
 
 勝呂はこらきれずに笑い出す。
「カット。これはいい絵が撮れた。いいラストだ」
 神父は怒りでこぶしを震わせながら勝呂を睨みつける。
「あなたは……邪悪だ」
 勝呂は黙って神父を押しのけ、診療道具が入った棚の奥から記録用小型映写機を取り出した。
 神父が凍りつく。
 勝呂はポケットから取り出した揮発性ディスクと映写機から取り出した同様のデバイスを診察用端末に突っ込んだ。
 
 分割された二つスクリーンに早送りで映像を映し出される。海の見える部屋。もうひとつは神父の部屋。
「ま、もうひとつの映像は神父も勝手知ったるというところでしょうが」
 勝呂がポールを打ちのめすところから始まり、セシリアを犯して絞め殺すところで片方の映像は終わる。
 もうひとつの画面。神父の診察室。
 そこでは診療用端末の前にのめりこむように前かがみに座った神父が映っている。
「おや、だいぶ熱心に見ていらっしゃる。部下から苦い顔で受け取ったと聞いていたのですが。それにこの右手。診察前に手は洗ってくれたんでしょうね?」
 勝呂はわざと上下に動く神父の手をズーム・スローにして映し出す。
「なるほど、興奮してしまわれた。そういうわけですか…」
 飛んできたマグカップが勝呂のひたいを割いた。
 ふふん、と鼻で笑って勝呂はキアラ神父を組み伏せ、抵抗する神父の額にパッチを貼り付けた。
 やめろと神父が叫ぶ。
 もう楽しくてしかたない。勝呂も叫んだ。
「さあ、キアラ神父の聖性は毀損されたか、いかに!」
 
 射影されていた。勝呂の脳には映らない陰影が、しっかりと映っていた。
 神父は笑っていた。泣きながら笑っていた。
 今度は勝呂が呆然としていた。
「そんなことって……神父?うなじに神の存在を感じながら強姦殺人で自慰したんですよ?」
 泣き笑いの神父が呟いた。あなたには分かるまいよ。分かるまい……。
 
 ほんとうに、分からない。
 分からないが任務なのでこの映像はパケットとかいう単位でビット分解して伝送しなきゃならない。
 通信科で保存している一組の端末、捻じり銅線ケーブルと光回線変換器。
 活きているのかわからないが、活きていればどんなに遠回りしようと必ず他の大陸に届くはず。これから半年かけて敵国ドメインに相当する数値組み合わせ先とやらにこの映像を分割しつつ送信するのだ。
 インターネット。再送を前提にした、一度失敗しても届けることを諦めない粘り強い伝送方式が特徴だ。開発黎明期にいくつかの国に伝送用の機械が作られたまま頓挫している。
 第17師団通信科では他国の機械が活きていればこれを利用して聖性破壊的メッセージを送れるのではないかと研究しているのだ。
 勝呂とキアラ神父のフィルムはその試行の1つだ。
 
 神父のシナプス・パターンが無事だったとこまで撮らなくてよかった。
 フィルムを映像科に渡した勝呂は行くあてもなくポールとセシリアを殺した部屋からぼんやり海を眺めていた。
 気が抜けてしまって、海と空の区別がつかない。視界一面の青さの中で考えた。
 
 届くかな。
 敵国で殺した男のことを考えた。彼の家族を想像した。彼らがあの映像を観る場面を頭の中で再生してみた。金髪の美少年があれを見て何を感じるか考えた。
 
 なんとなく頭が重く感じて勝呂はこめかみを人差し指でぐりぐり押した。
 
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 (補遺)
 2xxx年、某国陸軍第17師団の勝呂清兵曹長が除隊したという記録が残っている。後年の彼の健康診断書には聖性認知障害についての記載がないが、具体的な詳細は残っていない。
 2xyy年、某国ドメインで残酷描写を連ねた映像が細分化されて伝送されてきたが、見た者のシナプス・パターンが損なわれたという記録は残っていない。
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文字数:4290

内容に関するアピール

 補足1
 神の存在している世界でどのような技術が発達しないか考えて、通信技術は発展しない世界を考えた。神を特徴づける事象としてこの世界では遠方や逝ってしまった人の声が聞こえることがある。ここにはいない、でも会えないものとつながりの媒介、心の拠り所としての役割を神は果たしている。メッセージを司るのは神の業の1つであると考えられており遠距離通信の研究は忌避されている。
 補足2
 神が存在しているとして、それをどうにかして利用したい人が出てくるだろうなと考えた。だいそれたものを使うお題目として戦争はとりつきやすいと考えた。リアルな世界になってないので今回のお題に沿えていない。
 補足3
 勝呂はシナプス・パターンを復調したいとか、救われたいという願望はなんとなくあるものの、何かを伝えたい、何かを受け取りたいという自身のメッセージ性に関する意思がまったく欠落してしまっている。この世界の神と密接に関係するこの精神指向性がないためシナプス・パターンは復調しないし、良く発信する神父キアラに苛立っている。残虐フィルムを伝送したことでなんとなく発信者になったので後年は神様を求めるベクトルでシナプス活動が見られたかもしれない。

文字数:508

課題提出者一覧