インヴィジブル・ハンド

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梗 概

インヴィジブル・ハンド

個々人が身体に埋めた”チップ”を<口座>とし、生体認証型電子通貨が経済の基礎となり、現金は滅びた未来。
ある日、電子通貨のブロックチェーン(BC)の起点、ジェネシスブロックが書き換えられた。
「我、再臨せり。以後、汝ら人が重んじてやまない金を以て治むる」との神の宣明だった。
分散型記録であるBCの書換は事実上不可能であり、書換は人智を越えた演算能力の証左となった。BCには次々<啓示>が書き込まれ、人々はそれに従うことで、対価の金が与えられると知った。
ただ神は、対話には一切応じず、電子通貨を与える以外に人との関わりを持たなかった。

技術者で小金持ちのリウは、神はようやく実利を解したと思った。
レストランで「かしずく者に価格の十分の一を与えよ」との啓示に従ってみた。結果、ウェイターに渡したより少し多い額が神から振り込まれ、ほくそ笑む。
電子通貨のマイニング方式になぞらえ、信仰の証プルーフオブピエティと呼ばれる仕組みだった。

電子通貨は二一世紀の仮想通貨を祖とし、中央銀行等の管理主体がない。これにより経済の自由度が高まった社会をリウは気に入っていた。最初は神が金を出すのが面白かったが、見張られている気もして、息苦しくなる。

リウは、古い友人のフーから、金を人の手に取り戻そうと声をかけられる。
曰く、人は金によって、神という超越的価値でなく、目の前の価値を重んじる自由を得た。
「金は尊い、神よりも」とフーは言う。
金を求める動きも加熱していた。
身体の一部を信仰の証として供犠した貧者が、途方もない額を与えられた。リウの知人にも続いた者がいた。
こうした出来事から神への嫌悪を覚えたリウは、フーに応じる。

フーは、神を「犠牲と対価のプロトコル」と定義する。
神は、犠牲を基礎とした規則性を持つ。対話に応じないのも、応じる機能がないためだという。
神は”チップ”を通じて、人の主体的行動に伴う「犠牲」に係る生体反応を計測し、信仰を定量化し「対価」を与えていると仮説を立てる。行動の善悪は不問。啓示の示すモデルとの近似性を判断しているだけだという。
信仰も金も、犠牲を払う点で似ている。金を媒介にしたのはそのためだろうと言う。

現行の電子通貨の三十年の歴史上、五件しかない侵入のうち二件がフーの行為だった。BC侵入技術は群を抜いていた。
フーとリウはBCへ侵入し神の切り離しを図る。
だが、失敗した。
ありえないはずのハードウェア異常が起き、BCから排除執行され、侵入口に用いた彼らの<口座>は凍結された。二人は有り金をすべて失った。

そのとき、リウ達の後ろの蛇口から砂金が溢れ出した。
主体的行動の結果、金を失うという「犠牲」。神は<口座>を失った二人に、現物の「対価」を与えた。
自らに仇なすリウ達に対しても、分け隔てなく。フーの想定通り、神はプロトコル的で、そこに善悪の判断はなかった。
だが神はBC内のみならず、現実にも干渉しうることがわかると、二人は呆然と、そして慄然とした。

文字数:1225

内容に関するアピール

神と金。
新約聖書に記された「山上の垂訓」にて、「神と富とに同時に仕えることはできない」と説かれたように、対蹠点にある二つの概念の接合が、この物語の軸を作っています。

この物語の神は、信仰を求めます。
かつては宗教を媒介にしていましたが、その試みは近代以降、頓挫しました。
この話において神は、人類最大の発明にして中心的概念となった金を通じて、再び信仰を得ようと目論みます。
神は信仰の証プルーフオブピエティ、Proof of Pietyに基づき、信仰の対価としての金を人に与えます。
このProof of Pietyは、仮想通貨の供給で用いられている方式、Proof of WorkやProof of Burnをモデルとして、神が金を支配した後、信仰の度合いによって金が与えられるシステムが生じるであろうと想像したものです。

仮想通貨は中央銀行の管理に服さないため、経済的自由を強く求めるリバタリアニズム的な社会構想に適合性が高いと言われています。そうした社会に、神という中央権力の権化のような概念が放り込まれたときに起こるであろう軋轢も題材としています。

物語の中には、仮想通貨の特性やそれがもたらす社会像、また通貨制度など、経済的なモチーフがいくつも出てきます。経済も、人間の作り上げた技術知テクネーであるという点で、SFとの親和性は高いのではないかと考えています。

文字数:575

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