梗 概
ガール・フロム・マーキュリー
僕は今でも覚えている。水星からきた女の子のことを。
地球で開催されたインナーサークル・サミットで14歳の僕らは出会った。当時、僕には地球人のガールフレンドがいたけれど、彼女はずっと魅力的な女の子だった。大人たちが愚かで退屈極まりない議論を交わしている最中に、「水星には夏がないの」とはしゃぐ彼女の手をとって外へと駆け出した。
僕らは一瞬で恋におちた。完璧な絵に似た、完璧な恋だった。
ふたりは結婚する運命なのだと、無垢な僕らは一点の曇りもなく信じた。そうして結婚に関する山積みの問題のなかからまずはいちばん巨大で厄介なもの、つまり地政学的な問題に、無謀にも取りかかろうとした。
地球は水星が嫌いで、同じくらい、水星は地球を嫌っていた。そして両惑星間の緊張が最高潮に達していることを僕は知っていた。なぜなら僕のパパは地球軍の参謀長だったから。外交官の娘だった彼女にとって戦争の親玉みたいな存在だった。
恋愛の熱に浮かされていたのは彼女も同じだった。だから「お父さんを殺して、一緒に水星で暮らそう」なんて荒唐無稽なアイディアを思いついたし、僕もそれに乗ってしまった。
パパを撃ち抜いた銃を握ったまんま、彼女に手を取られ僕は水星へと飛んだ。英雄として熱烈に歓迎されながら、水星人に謀られたのか?と不安になった。だけど水星の日々が疑心暗鬼を氷解させてゆく。彼女を育んだ首都ネクタリスの景色も、地球とは異なるこの星の文化や植生も、ひとまとめに僕は愛おしく思えてきた。
だけど戦争が始まり、とうとう地球軍が水星に降り立った。地球人と戦うことを決意して「君のために死んだって構うもんか」と勇ましく語る僕から彼女は銃を奪う。そして「私だって」と微笑んで、自分の頭を撃ち抜いた。
戦争は地球の圧勝に終わった。僕は裏切り者として処罰されるどころか優秀な諜報員として保護された。水星で最も冷酷な外交官とその家族を撃ったのは、本当は僕でなく彼女だったのに! そこまでして、彼女は僕を守ってくれたのだった。
*
薬が切れて、正気に戻ると、ここは水星でなく地球で、救護室のベッドの上だった。外の戦場で、水星軍のマークを上空に発見した僕はたしかに懐かしいと思った。そして懐かしさは水星人に対する僕の殺意を確実に宥めた。
その薬を戦場にばら撒いたのは胡散臭い軍医だった。かつては小説家だった彼がカプセルに込めた幻覚は強烈なリアリティを伴い、被験者には殆ど記憶と見分けがつかないそうだ。泥沼化してもつれきった状況のなか、戦争をとめる唯一の冴えた方法のように僕にも思えた。
リアルよりもリアリティがある嘘が、現実を食い破ることだってある。
今夜もまた美しい幻と共に眠ろう。そしてある朝、僕らは殺し合いをやめるに違いない。
だって、僕は今でも覚えている。そして今でも愛している。水星から来た女の子のことを。
文字数:1200
内容に関するアピール
夢に出てきた誰かを好きになってしまう。物語のもつパワーに撃たれた原体験は、子どもの頃のそんなあるある(ですよね?)だったように思います。それからずいぶん後、「ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ」という一説をとある小説のなかに見つけて、ああ私はいつか絶対にかならず小説を書こうって心にかたく強く誓ったのでした。私にとってSFとは荒唐無稽な想像力であり、嘘による熱力学であり、物語のパワーをとても純粋に発揮させる形式だと思います。
古典的なボーイミーツガール、舞台は絶対に夏。課題文を読んでそう決めて、プラスαを考える。フィクションに現在がなだれこんでくる、侵食してくるそのとき、嘘の力は現実の力に果たして立ち向かえるのだろうか? 戦争反対、絶対に絶対に反対。戦争を止めるために、殺戮を止めるために、私は小説を、嘘を、紡ぐんだ。もし黒人音楽に、韓国映画に、辺境文学に出会わなかったら、私は偏狭なレイシストに堕していたに違いない。
熱心に嘘を考える同士たちの存在が私を熱くさせ、奮い立たせる。
一年間よろしくお願いいたします!
文字数:462