梗 概
天岩戸の祈り
天照大神は、弟である素盞嗚尊の度重なるうざ絡みに困っていたが、機織殿に皮を剥いだ馬を投げ入れられたことで、意味がわからなすぎて天岩戸に引き籠ってしまう。ギャルである天照が姿を消すと、世界は闇に包まれ、混乱が広がる。そこで神々は団結し、天照を引き戻すための祈祷集団を結成することを決めた。
団長には、舞踏に造詣の深い、天鈿女命が就くこととなった。彼女にとって天照は読んで字の如く神推しだったので、適任と言えた。
知恵の神である思兼神は、かつて祈祷経験があり、伝説のOBだった。彼は祈祷の振りの基本は「突き、反り、回し」であり、祈祷集団にとって団旗は神以上の存在であることを告げる。天照の機織り仲間が張り切ったところ、団旗は180畳を超えてしまったが、力の神である手力男命はそれを振ることが出来、旗手となった。
もう1人の力の神である天手力男命は太鼓を担当することとなり、神具を司る布刀玉命は、機織殿で神具・学ランを編んだ。
多くの神が団員となる中、天鈿女命は苦しんでいた。超高速の祈祷歌に、身体が付いていかない。音速の”反り”による腰への負担が大きすぎるのだ。二人の力の神による過酷な筋力トレーニング、神々の学ランの着丈に対する異常な拘り、重要なパートを担うはずだった天児屋命の想定外の音痴、更には恋愛禁止の祈祷集団の鉄の掟に反して天手力男命と天児屋命の恋愛関係が発覚し、力の神同士での殴り合いが始まってしまう。祈祷集団は最悪の状態で、祈祷日を迎えることとなった。
当日、孤軍奮闘する天鈿女命に対し、神々の神威が高まらない。思兼神はあらゆる策を講じるが解決に至らない。世界の暗闇が深まる中、天鈿女命はその手に神具・奪いしものを手にし、おさげを切り落とした。絶句する神々。顔を上げた天鈿女命が口を開く。「もう、背中を押して下さいとは言いません。ついて来て下さい」。
瞬く間、神々の神威が横に繋がり、一つになる。一閃した団旗により、岩戸ではなく次元の扉が開く。
先の暗闇には、天照がいた。ネイルはボロボロになり、ブリーチした金髪はプリンになっている。濁流する空間の中、天鈿女命は手を伸ばす。天照は掴み返してくれない。それでも繰り返し、天鈿女命は手を伸ばす。そして叫んだ。「掴んで、 心を!」。
天照が目を覚ますと、岩戸の中にいる。外からは太鼓の音が、そして彼女の笑い声が聞こえる。天照は立ち上がると、岩戸の隙間から、外を覗いた。
文字数:1148
内容に関するアピール
TVが好きなのでTVばかり見ているのですが、日テレの『超無敵クラス』という番組の中で、高校の応援団に密着することがあります。そのシリーズが毎度青春スポコンでとても良いのですが、SF味は全く無く、「逆にこれがSFなのでは?」という困惑を、私に与えてくれます。時代錯誤な言葉や価値観が頻発し、同時代に生きているのに何かズレを感じるところが良いです。
私の中でSFというと、「変なアイデア」かなと思います。これまでに無かった掛け合わせとか。それを神話や宇宙でやってくれると分かりやすいですが、そうでなくても全然いい。
今回は、シスコンの弟にうざ絡みされすぎて引き篭もってしまった天照大神を、天岩戸から神々の応援団の応援で引っ張り出せたらと思います。やれることをやっていこうと思います。
文字数:337
天岩戸の 祈り
スマホのアラームが鳴っている。彼女が瞼を開くと同時に、山向こうから太陽が昇り出す。ゆっくりと闇が薄まり、小鳥たちが囀り始める。
「まだ眠いかも」。
ボサボサの金髪を掻き上げアラームを止めると、彼女は再び顔まで掛け布団を被り直した。小鳥たちは囀りをやめ、太陽も慌てて山向こうに沈んでいった。
太陽を象徴する神である彼女は名は、天照大神。彼女の気分次第で、世界は闇に包まれたり光に満たされたりする。
「朝は洗顔料とか使わずに、お水だけで顔を洗いま〜す」
SNS用のモーニングルーティーンを撮影しながらスキンケア。さりげなく、ちいかわでデコしたネイルをアピールする。
「今日はこの後、お着物を作るお仕事をするよ。みんな、また見てね〜」
そういってスマホカメラ越しに笑顔で手を振ると、撮影をやめた。顔を上げた彼女の表情は、その名に反し晴れやかではない。
長い渡り廊下を渡って、作業場である織殿へと向かう。廊下から庭を見渡せば華やかに草花が咲き誇っている、はずなのだが、その多くが茎からへし折られている。何故こうなっているかを、彼女は知っている。おそらくまた弟、素戔嗚がやったのだ。
「天照大神さま!」
官女の一人が駆け寄って来た。その顔からは明らかに血の気が引いている。続いて大きな音が辺りにこだました。天照大神は嫌な予感、というよりは確信を感じつつも、急いで織殿へと向かった。
天照大御は追想する。弟も、子供の頃は可愛かった。岩戸の中でお買い物ごっこをした時は「安い!」とか言いながら私からガラクタを買っていたし、いつも「お姉ちゃんお姉ちゃん」と後ろを着いてきた。いつ頃からこうなったのだろう、弟の嫌がらせというかそれは、段々とエスカレートしていた。お買い物ごっこでお小遣いを根こそぎ奪い取っていたのが悪かったのだろうか。
織殿に入ると、予感は現実のものになっていた。倒された機織り台、散乱した糸と布。そして、中央にはなぜか皮を剥がれた馬が横たわっている。天照大神は目眩を覚えた。意味がわからな過ぎたのだ。
涙を浮かべる官女たちの背後で、ドタバタと走り去る半裸の男の姿が目に入った。弟だった。それを見た瞬間、天照大神は思った。「無理かも」。
「天照大神さま! どちらに行かれるんですか?」
「いやごめん、無理かも。お暇いただくかも」
天照大神は官女たちの制止を振り切りスゥエットに着替えると、大量のスナック菓子を持って岩戸に引き篭もってしまった。その瞬間、世界から光が消えた。
※ ※ ※
天鈿女命は混乱していた。スマホの電源が入らないのだ。「故障、故障なの?」。ケーブルを抜き差しし、何度も電源ボタンを押すが画面は暗いまま。TVはリモコンのボタンを押しても何も反応しないし、天井灯の紐を引っ張っても灯りは点かない。「なんで!」と軽く癇癪をおこしてカーテンを開けるが、窓の外も薄ぼんやりした世界が広がっている。このままではまずい。天照大神さまの、布教活動に課金させていただくことができない!
天鈿女命は慌てておさげを結って家を出ると、遠くで話し声がするのが聞こえた。暗がりの中、樹木に頭をぶつけながら進むと、3人の神が焚き火をしながら、話し込んでいた。言霊の神アメノコヤネと、占いの神フトダマ。そして知恵の神オモイノカネの三人だ。三人とも眉間に皺を寄せて、何か難しそうな顔をしている。天鈿女命は知性を感じさせる雰囲気が苦手だったのでその場を離れたかったが、スマホの電源が入らないという状況は一刻を争った。仕方なく声をかけた。
「あのお、スマホの電源が入らなくて、それに世界も暗くて大変です。どういう状況なんですか?」
するとオモイノカネが応えた。
「この世界の電力は自然エネルギーに依存しているのだ。その中でも太陽光発電による発電力がほぼ全てを占めている。それは分かるな?」
チッ。天鈿女命は舌打ちをした。何か難しい話が始まったからだ。オモイノカネは続ける。
「つまりどういうことか。太陽光に依存した発電システムということは、天照大神さまのお力に依存した供給システムである、とも言える。分かるな?」
天照大神さま! 急に神推しの名前を耳にし、黒目が大きくなった天鈿女命は前屈みになって聞いた。「つまりは?」
「天照大神さまがお隠れになってしまったのだ」
※ ※ ※
大松明の灯りに照らされ、天安河原には多くの神が集まっている。その前方でオモイノカネは語りかけていた。
「神々よ、天照大神さまがお隠れになったことにより今、多くの人々が苦しんでいる」
「そして私も今、とても困っています!」。拡声器を手にした天鈿女命がガヤを入れる。
「こういった時こそ人々のため、そして生きとし生けるものの為にも、我々神々は知恵と力を合わせ、団結しなければならない」
「そうです!天照大神様をお救いしなければなりません!」
「そこでだ。我々は岩戸を開く為、再び世界を光で満たす為に、応援団を結成することとする」
「応援する、団です!」
「そしてその団長には、舞踏を司る神である、このうずめに就いてもらうこととした」
「そうです、私が団長……え?」
神々から大きな歓声が起こる中、寝耳に水のうずめは動揺が隠せない。オモイノカネはうずめに歩み寄り、語りかける。
「応援団の役割は何だと思う?」答えかねるうずめに、オモイノカネは続ける。
「一緒に頑張ることだ。歌と演舞で、相手を元気にするのが目的なんだ。天照大神さまに元気を取り戻していただき、岩戸から出てきていただくとしたら、どういった神が舵をとるべきだと思う?」
うずめは悩んだ後、答える。「天照大神さまへの想いが強い神、でしょうか?」
「そうだ。だとしたら誰が適任だと思う?」
瞳に輝きを宿した天鈿女命は答えた。「私じゃないですか!」
「そういうことだ。みんな、聞いてくれ」。
オモイノカネは神々の視線を集めると、天鈿女命の背中を押した。八百万の神々の前に立った天鈿女命は、拡声器を手にして叫んだ。
「天照大神さまをお救いするため、歌って、踊って、岩戸を破壊します!」
神々からはその日一番の喝采が起こったが、オモイノカネは「そういうことではない」と思った。
※ ※ ※
オモイノカネはまず、天鈿女命に応援の振りの基本を伝えた。それは「突き、反り、回し」であり、舞踏の神である天鈿女命にとって習得は容易に思えたが、天鈿女命は思いの外身体が硬く、「反り」が苦手であることが分かった。
また、応援団の象徴である、団旗の製作にも取り掛かった。「応援団にとって団旗は神以上の存在である」というオモイノカネの言葉に神々は首を傾げたが、織殿の官女達によって織られた旗は優に百八十畳を超え、榊の木を根っこから抜き旗棒とし括りつけたそれは、確かに神々しさを帯びたものとなった。しかしあまりの重さに誰も持ち上げることが出来なくなり。そこで目をつけられたのが筋力の神であるアメノタヂカラオだった。彼は旗棒を握るとふんぬと持ち上げ、悠々と団旗を振った。流石は筋力の神、ということになり、アメノタヂカラオも満更でもなく、旗手長の任に着いた。
旗手の座を虎視眈々と狙っていたもう一人の力の神であるタヂカラオは落胆したが、「太鼓長はどうだ?」と提案され叩いてみたところ、胸の奥が熱くなる感覚を覚え、「これは我に相応しいのではないか?」と繰り返し叩いたところ、血がたぎり、時間が過ぎ去り、自らの口角が自然と上がっていることに気づくまで丸三日叩き続け、太鼓長となることが決まった。
その頃、衣装を担当することとなったフトダマは、オリ殿で神具・学ランの作成に取り掛かっていた。学ランを身に纏うことで応援は熱を帯び、神威は高まる。この衣装の作成は、絶対に手を抜けない要素であった。
団長と団員がいてこその応援団。そう考えるオモイノカネは、選神会を開いていた。多くの応募があった中で、オモイノカネは二人の女神を応援団に加えることとした。一人はイシコリドメ。鏡作りが得意な彼女は「神具担当として力を発揮できる場が欲しい」と申し出たが、眼鏡をかけたそのビジュは完全に爆発しており、団員に加えないわけにはいかなかった。
また、サクヤビメも団員となった。彼女の溢れ出る生命力はその長い黒髪にも表れており、一挙手一投足に華もあった。
「この応援団の監督を担っているオモイノカネといいます。ぜひあなたの溢れ出るエネルギーを、天照大神さまをお救いするために貸して欲しい」。この頃になるとオモイノカネも何かテンションが上がっていて、自らのことを監督と名乗るようになっていた。
監督の元、こうして応援団の主要メンバーが揃うこととなったのだが、一人練習を続ける天鈿女命は苦しんでいた。超高速の応援歌、具体的には第一応援歌「尼巌山の峰」に、身体がついていかない。僅か0.3秒の中で激しく演舞し、神々を魅了する必要がある超高速の応援歌だ。やはり、音速の”反り”による腰への負担が大きすぎる。「こんなんで本当に岩戸を破壊できるのかな」。いつになく弱気になる天鈿女命。せめて天照大神さまの姿を一目、と思いスマホを手にし電源ボタンを押すが、やはり画面は明るくはならなかった。
※ ※ ※
「団旗、礼! お願いします!」
団長である天鈿女命の声に合わせて、アメノタヂカラオが大団旗を持ち上げる。ドンドンドン! と豪快にタヂカラオが太鼓を叩く。うずめの後方でイシコリドメとサクヤが両腕を大きく前後させ、歌いながら拍手を送る。神具・学ランはまだ完成しておらず、練習はジャージで行われている。
太陽が出ないことによる気温の低下、下々の者への影響を考え、岩戸を開くための祈祷日は二週間後と決まった。それまでに神々の神威を高めるため、演舞の完成度を上げなければならない。
「破ー破ー破破破破ー!)」
最終応援歌『一神同体』の演舞練習が始まる。第一応援歌「尼巌山の峰」と並び、ネックとなっている応援歌だ。この応援歌の問題は、団長と他団員の動きが合わないこと。バック二人の動きが遅れてしまうのだ。
「もっと動きを大きく!」「要所要所で動きを止める!」「演舞の基本は突き、回し、反り!」
監督の指導もいよいよ熱を帯びてきた。どういうつもりなのか竹刀を手に指導するようになり、コンプラの時代にこういうのはきつい。
「監督、コンプラの時代にこういうのはきついです」
サクヤビメは実直な性格で、思ったことがすぐ口に出る。
「分かった、やめる」。そういうとオモイノカネは竹刀を捨てた。監督は素直さを持ち合わせている知恵の神なので、好感度が高い。
「太鼓《ドラム》楽しい! 我、今、太鼓《ドラム》が心の底から楽しいっす!」
タヂカラオは生き甲斐《ドラム》と出会ったようで、それは本当に喜ばしいことなのだが、気持ちが先走ってしまうところがある。リズム隊である以上、他の団員に合わせて貰わないと、役割を全うしているとは言い切れないのではないか。
「ねえアメヂ、四股が浅いってことはやっぱ太ももの力が足りないってことなの?」
「うん。太ももというか大腿四頭筋はそうだし、その反対側のハムストリングも鍛える必要があるよ。それに内転筋群もだし、ふくらはぎ含めて下半身全体を鍛えないと、綺麗に四股は踏めないんだ」
「そうなんだー!すげえねアメヂ。さすが筋肉の神だわ」
「ま、まあねえ。へへ」
イシコリドメの距離感が近い。眼鏡っ子なのに(筋肉)オタクに優しいギャル的雰囲気をその風貌で顕現させている。天鈿女命はゴクリと生唾を飲む。何か自らの琴線に触れる感じがあったからだ。いやいや! と首を振り、頭蓋の中を天照大神さまで満たす。時間は限られているのだ。
「問題点は整理されてきたように思う」。監督が話し出した。「一つは女神三人の動きが合わないこと。もう一つは団長である天鈿女命、お前のフィジカルだ。つまり、やらなければいけないことは何か、分かるな?」
天鈿女命は握った掌を唇に当て考え、合点がいったので答えた。
「女子会の開催、でしょうか?」 「違う」
年齢を感じさせない反射神経で監督は否定する。一体、それ以外に何が。天鈿女命は頭を抱えたが、その日から日々の演舞練習と合わせて、過酷な筋力トレーニングが始まった。
※ ※ ※
応援日当日。世界は相変わらず薄暗い。しかし岩戸前は多くの大松明で明るくなり、四本の柱を立てて祭壇が設けられていた。天鈿女命以下応援団は、完成した神具・学ランを身に纏い、その時を待っている。辺りには既に重低音の雅楽が鳴り響き、天照大神の熱心な布教活動登録者が万歳三唱を繰り返している。異様なムードが形成されていた。
「イシコリッチ、膝大丈夫?」
「うん、ちょっと痛いけど、演舞には無問題だよ」
「まじあいつ脳筋だから。このご時世兎跳びで筋トレって。時代錯誤も甚だしい」
「そんなこと言わないで。アメヂも悪気があって提案したわけじゃないから」
「悪気がないのが逆にタチが悪いというか」
サクヤとイシコリドメが話し込んでいる。今日に至るまでの練習で二人の間には微かな友情が育まれつつあったが、代償としてアメノテヂカラオの肩身が狭まった。
対し、もう一人の筋力の神であるテヂカラオの太鼓は正に才覚というか、その演奏はもはや主役を食いかねないレベルに達しつつあった。なんで太鼓が演舞より目立つんだ、というのは女神三人の一致した意見ではあったが、心から楽しそうに太鼓を叩くテヂカラオの顔をみると、何も言えなくなる。
監督が近づいてくると、応援団五人に円陣を組ませ、話し出した。
「今、頑張らないと未来はないということ。頑張り続けることが難しいことだとすごく分かっている。でも、頑張らないと始まらないことを忘れないでほしい」
モチベーションを上げるためなのか、何か名言っぽいことを語り出したが、元ネタが分からない。監督は、皆の目を見てから言った。
「心に太陽を!」
「「「「「押忍!」」」」」
祈祷集団の五人は、祭壇へと上がった。
※ ※ ※
祭壇に上がったアメノテヂカラオは、大団旗を持ち上げにかかる。演舞を勢いづかせる最初の演技だが、アメノテヂカラオはよろめいてしまう。
練習でもミスしたことなかったのに! 天鈿女命は思うが、よく見るとアメノテヂカラオの顔は強張り、冷や汗が流れている。彼は自らのトレーニングでイシコリドメに怪我をさせてしまったことで、ナーバスになっていた。そのフィジカルに対しメンタルはナイーブだったのだ。
入りは上手くいかなかったが、続けて第一応援歌「尼巌山の峰」の演舞へと入る。90度で礼をした天鈿女命は、「はい 元気よーく!」と叫ぶと、両手を天に向けた。0.3秒の中で激しく演舞し、神々を魅了する必要がある超高速の応援歌。練習の成果で、天鈿女命の”反り”は綺麗に決まり、左右のおさげが地面に着く。続いて突く。突く。突く。突く。突く。回して、反る。天鈿女命の演舞は、ほぼ完璧に決まる。が、太鼓が先走っている。テンポが速い。
第二応援歌に入る。が、変わらず先走る太鼓についていけず、片膝を庇ったイシコドメの四股がバランスを崩す。
「速いよ! 太鼓長!」。サクヤが叫ぶ。これでは神々の神威は上がらない。天鈿女命は思う。「せっかく神様が一杯集まってくれているのに、これじゃ岩戸を壊せない」。焦る天鈿女命だったが、次の瞬間、再びよろめいたアメノテヂカラオは団旗を倒してしまう。舞い降りてきた百八十畳の旗が、辺り一体を覆い隠す。
暗闇の中、より深い暗闇が、祭壇を覆った。
※ ※ ※
|天鈿女命は何故か、子供の頃を思い出していた。あの頃の天鈿女命はおてんばで、でも今と変わらず踊りは好きで、よくクルクルと回っては、転んでいた。「小動物みたいだな」と大人の神に言われては、チッ。と舌打っていた。なんせ私は神なので。子供とはいえ神なりの自尊神はあるのだ。
ある日クルクルと回りながら、その日も踊っていたところ、足を絡ませて転んでしまったことがある。その場所はたまたま坂道で、天鈿女命はコロコロと転がり落ちていった。そこは黄泉比良坂という坂で、黄泉の国と現世を分ける境界だった。天鈿女命はよく分からないながらも、なんとなく感じていた。「あ、これもう踊れないかも」。なんとか止まろうと地面に指を引っ掛けるが、止まらない。駄目かも、と思った時、その小さな手を、掴んでくれる存在があった。派手なお着物と、派手な爪が目に入る。天照大神だった。
「駄目だよ〜、こんなところで遊んでたら。戻って来れなくなっちゃうよ〜」。
そういって手を繋ぐと、私のことを坂の上まで連れ帰ってくれた。
その日から天鈿女命にとって、天照大神は神推しになった。心を持って行かれたのだ。そして翌る日から、推し活が始まった。天照大神さまを見ると元気が出る。いつかお礼を言わなければならない。あの時のことを、いつも元気を貰っているよということを。だから私は——–。
※ ※ ※
大団旗の旗の下から這い出してきた天鈿女命は、辺りを見渡す。団員もよろよろと旗の下から這い出てきている。腕を組んで見守るオモイノカネの顔が目に入る。世界の暗闇はより深まってきている。団員が全員旗の下から出てきたのを確認した天鈿女命は、その日一番の大声で叫んだ。
「押忍!」。その一言で、どよめいていた神々、やかましかった岩戸前に、静寂が訪れる。「神々、注目!」。大きく天に向けた彼女の掌の中には、何かが握られている。それを見た神々に、再びどよめきが起こる。それは峯岸だった。神具中の神具、後世の伝説に残らなかった宝具。草薙の剣以上の祭具。「何故おまえがそれを!?」。オモイノカネも驚愕を隠せない中、天鈿女命が何かを唱えると、峯岸は爆音を奏でた。そして、天鈿女命はそれを側頭部に当て、左右のおさげを切り落とした。峯岸が放つ爆音は、局所的に空間を歪める。
「もう、背中を押して下さいとは言いません」
天鈿女命が言葉を発する。 その言葉の響きは、明らかにこれまでの彼女の神格ではない。導かれるように、学ランを身に纏ったイシゴリドメとサクヤの二人は、天鈿女命の背後で腕を組む。テヂカラオは 桴を投げ捨てると、両の拳を握りしめる。微笑みながら立ち上がったアメノテヂカラヲの持ち上げた団旗は、大松明が引火し、赤く燃え盛っている。
「着いてきてください」
瞬間、圧縮された空間が細長く広がるかのように、八百万の神々の神威が一つになる。
「破ー破ー破破破破ー!)」。最終応援歌、『一神同体』が始まった。
テヂカラオの太鼓のひと叩きの度に、高天原に地響きが起こる。それに合わせて繰り出される天鈿女命のひと突きごと、空間が歪む。歪んだ空間を更に歪めるかのように、イシゴリドメが”反り”を繰り出す。そして、サクヤの”回し”によって歪んだ空間が攪拌される。燃え盛った大団旗をアメノテヂカラヲが一閃した時、岩戸前の空間が割れ、次元の扉が開いた。
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静かな場所だった。さっきまでの喧騒が嘘のように感じる。真っ白だ。真っ白で、伸び縮みする空間。天鈿女命は意味のない場所のように思ったが、そうではなかった。その白の奥、ずっと先に、天照大神が居たからだ。天鈿女命は手を伸ばす。手を伸ばすと、光が屈折して、すぐ指の先に天照大神がいるように感じる。でも、掴めない。天鈿女命は叫ぶ。「天照大神さま!」。彼女は振り向いてくれない。横からみる彼女のブリーチした金髪は、天辺のところが黒くなり、プリンになっている。両膝を抱えたその手の指の先、ネイルはボロボロで、デコされたキャラクターの表情は泣いているように見える。天鈿女命は悲しくなる。「天照大神さま! 天照大神さま! 天照大神さま!」。伸ばした手の先が、天照大神のスウェットの、袖のところに触れる。が、掴めない。「天照大神さま!」。天鈿女命は何度も繰り返す。「いつも元気を貰っています!天照大神さまがいるから毎日が楽しいです! いつも、動画も全部見て、応援しています! 」。天鈿女命は手を伸ばすが、掴めそうになるとまた、元いた場所に戻ってしまう。「天照大神さま!」。天鈿女命は手を伸ばす。「あの時みたいに、繋いで下さい、手を!」。天照大神は掴み返してくれない。だが、彼女の目が、少し動いた気がする。「覚えてますか? あの時のお礼を、いつかしたいと思っていました! だから!」。天照大神の顔が、少し上向いた気がする。「だから!」。視線が、天鈿女命に向けられた気がした。「だから!」。天鈿女命は、引きちぎれるくらい、その手を伸ばし、叫んだ。
「掴み返して! 心を!」
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お尻がすごく痛い。天照大神は目を覚ますと、岩戸の中で、尻をさすっている。ずっと地面に座っていたので、臀部が痛いのだ。口の横も痛くて、触ってみたら吹き出物が出来ていた。スナック菓子を食べすぎたのだ。「やだな〜、潰しちゃおっかな」。天照大神が逡巡していると、岩戸の外から太鼓の音が聞こえた。いや、聞こえたというか、よく考えるとかなりうるさい。相当な爆音で雅楽も奏でられている。その音楽に混じって、何か聞き覚えのある声がする。どこで聞いたのだろう、悪い気分にはならない声だ。「破壊します!」。何か物騒なことを言っている。「もうこうなったら、物理的に破壊します!」。物騒なことを繰り返している。「はは。なんかヤバいじゃん、ここ居たら」。
ヤバさを感じた天照大神は、尻をさすりながら立ち上がり、岩戸の隙間から、外を覗いた。
文字数:9010