梗 概
地球内生命
その発見があった夜は木星が南の空高く輝いていた。
20世紀に電波天文学が始まって以来、地球外知的生命が発した信号を捉える試みが続けられてきた。しかし宇宙人が人間のように規則的な電波信号を発信するかどうかは自明ではない。脳科学者の綾瀬シンイチは新たな電波解析アルゴリズムを開発した。人間の脳波のように思考そのものが発する波形を電波に見出そうというものだ。そのアルゴリズムは、観測した電波が生命の思考によって生み出されたと仮定して思考AIモデルを生成し、再度観測した電波を再現できるかを検証するものだった。
アルゴリズムによる新たな探索が始まったが地球外知的生命は発見されない。その時、シンイチの大学同期で惑星科学者の朝永和花から連絡があった。北海道の地磁気観測所の地磁気の強度データをアルゴリズムに解析させたところアラートがでたというのだ。最初は耳を疑ったシンイチだったが、ほかの観測地点データで追試が行われ、地磁気が何らかの生体思考に基づく波形を示していることが確認された。
地球核生命(CL)が発見された瞬間であった。
その後和花によって提唱された仮説ではCLは次のように解釈された。地磁気を生み出しているのは地球の核、地下2900km以深にある約2200kmもの厚みを持つ溶融した鉄の海、における熱対流である。核では5000℃の鉄が数百メートル単位で電流渦を形成し地球磁場を作っているが、その膨大な集合体がCLの思考回路を形成していると考えられた。CLの存在は生物学者に教科書の大幅な書き換えを強いることになった。
CLの思考はアルゴリズムを改良することで大まかに解釈することができた。驚くべきことにそれは人間の思考と似ていた。しかし地球内部とどうやってコミュニケーションするのか。分厚い地殻とマントルの下にある核には電波も届かない。五感を持つ人間とは違い、CLは外界を知覚できず人間の存在どころか宇宙の存在も知ることができないのではないかと考えられた。
シンイチは頭を抱えていた。
「視覚がなくても聴覚はあるかな。例えば、ドンドンと叩いてみるとか」
和花がアイデアを出してくれる。
「強い地震波なら核まで到達するけれど、膨大なエネルギーが必要だし複雑な情報を送ることはできないわね。…こちらから情報は送れなくても君のアルゴリズムで地磁気に干渉すればCLと直接思考をやり取りできる可能性はない?」
10年後。南極大陸に直径100kmの巨大なコイルが建設され、人工磁場で地磁気に干渉することでCLとの対話が試みられる。シンイチのアルゴリズムはさらに改良されCLと対話ができるようになった。あるときCLは人間の質問を遮ってある要求をしてきた。アルゴリズムが翻訳する。
「木星にもコンタクトを取ってほしい」
CLは他の惑星にも存在しお互いを認識しているらしい。生物学者はまた多忙になるのだった。
文字数:1199
内容に関するアピール
一見、熱力学第2法則に反する生命という存在は、非平衡状態における自己組織化と説明されるそうです。例えば我々地上の生命は、太陽から熱を受け取り、宇宙に熱を吐き出す非平衡系の地球という存在の上に発生した自己組織化現象と言えます。
私は他の星にも必然的に自己組織化現象としての生命が誕生していると思いますが、ふと考えると、地球の外核は惑星規模で対流・自己組織化をしており、そこに思考が宿っていても不思議ではないんじゃないか、と思いつき本作を書いてみました。
地球核生命(CL)にたどり着くまでを物語にしていますが、他にもCLは誕生以来何十億年も何を思考してきたのか?CLはどのような仕組みで記憶をするのか?CLはどのように地磁気逆転を起こすのか?CLの宇宙論とはどんなものか?など、考えると楽しいアイデアが浮かんでいます。
1年間どうぞよろしくお願いします。
文字数:388
地球内生命
「コペルニクス、君は何を考えているの?我思う、故に我あり、って思う?」
そう言うと朝永和花はモニタ越しに泳ぐ相棒に話しかけた。コペルニクスと呼ばれた5歳の雄イルカは電極帽子を被り巨大な水槽内を悠然と泳いでいる。ここは水族館を間借りした研究施設で水槽の隣の職員用待機所を研究室として使っていた。
「前回の解析は素晴らしかったわ。1、2、3、4と順番に数え上げて4頭の群れを認識している。君は基数原理を理解しているね」
コペルニクスは2代目の被検体で、和花はその脳波解析でイルカの思考再現アルゴリズムの開発を進めていた。
「その前は2頭で泳ぐときに歌を唄っていたわね。あればどういう意味なのかしら」
20代で教授になった新進気鋭の脳科学者。和花は世間でそう呼ばれた。大学院在学中に人間の脳波からその思考を再現するアルゴリズムを発表した。そのアルゴリズムは脳波だけでその人間が考えていること、嘘偽りの無い思考がわかってしまうという危険な代物であった。人の脳波を断りなく傍受してはならない、そのような法整備が世界中でされた。当然悪用もされたが和花は意に介さなかった。複数の政府機関、企業からオファーがあったが、和花は一切応えなかった。和花が興味あることはただ一つ「思考とは何のためにあるのか」であり、人間そのものは関心の外であった。
「先輩、イルカと人間の思考の違いってなんですか」
一緒にコペルニクスの脳波をモニタリングしている早川早苗が尋ねてくる。早苗は和花の指導する学生だが、8つ下の高校の後輩でもあるため馴れ馴れしく和花を先輩と呼ぶ。和花から見ると探究心が感じられなかったが本人曰く世の中のことが全部面白いとのことであった。
「そんなに変わらないのよ。まずは運動について。尾びれをどう動かすか、息継ぎをどのタイミングでするか。あとは生存本能で捕食、防衛、生殖のことを考えている。それから家族、仲間、敵のこと。あとは・・・」
「敵?水族館に敵はいないですよね?」
「野生の天敵はね。でも人間がいるわ。早川さんは仲間だと思われているとよいね」
早苗はドキッとしてコペルニクスに目をやる。
「あとはほんの少しの純粋さ」
和花が独り言のようにつぶやく。
「イルカも何のためでもない思考をしているんですか」
早苗は和花がこの研究で何を求めているのかは知っていた。生存本能には無関係な、思考そのものの存在。
「そうみたい。数を数える。唄う。そして人間と同じように物語を作る。ごく短いものだけど。人間と違って何のために、とか面倒な自問自答はしないからより純粋かも」
「物語かぁ。イルカ物語。出版したら売れるんじゃないですか」
たしかに。売れるかも。
「イルカも人間のように無駄なことを考えているんですねぇ」
その通りだと和花は思った。人間もイルカも無駄なことを考えている。
子どものころから和花は親や友達が会話するのを見聞きして、その内容よりも人間の脳がどのように働いているのかを観察していた。特に生きるために必要がなさそうな事について。どんな花の種類が綺麗だとか、虹が七色に見える理由だとか、最近流行った映画の内容だとか・・・。学校の授業では生き物は偶然に誕生したと習った。だったら思考も偶然に生まれただけの産物なのだろうか。生存に無関係な思考は単なる余剰機能であって意味なんて無いのだろうか。
「・・・先輩、聞いてます?」
「え?」
「考えていることがわかったとして、イルカとコミュニケーションはできるんでしょうか」
「そうね。イルカは人間と違って言語を持たないから、YES、NO、といった簡単な信号でしかやりとりはできないわね。日ごろ飼育員の人がやっているように」
「そうかぁ。うーん、もったいないですねぇ。せっかく考えていることがわかるのに」
イルカとコミュニケーションか。言語を持たない者とどう意思疎通できるだろう。思考のメカニズムばかりに注目して考えもしなかった、と和花は思った。
◆
次の日、飼育員と一緒にコペルニクスに電極帽子を被せていたところ和花は早苗から呼び出された。
「先輩、お電話ですよ。アリゾナ大学の湯川先生から。研究のお誘いみたいですよ」
「湯川・・・湯川シンイチ?」
それは和花の学部時代の同級生だった。シンイチは若手の惑星科学者として頭角を現していた。たしか木星の衛星エウロパの生命探査に参加していると前にニュース記事が出ていたわね、と思い出しながら和花は電話を取った。
「もしもし?湯川くん?」
「おう、朝永か。久しぶり」
シンイチの声は昔と変わらず、どこか軽やかで自信に満ちていた。彼とは学部時代、同じ教室で切磋琢磨してきた。不思議と馬が合いクラスのテニス大会ではダブルスを組んでクラスメイトを圧倒した。決して優を出さないと評判の数学教授のテストで満点を取るため共に徹夜で勉強もした。一時期恋仲になったが・・・和花は脳科学、シンイチは惑星科学と互いに興味が違いすぎ、また相手の興味に興味がなさすぎた。シンイチは「僕はね、宇宙の成り立ち、惑星の成り立ちが普遍的なものかどうかが知りたい。人間の存在というはちょっととらえどころがないな」と言っていた。別れ際の言葉は「お互い頑張ろう」だった。その後別々の大学院に進学後も実力を認め合う仲ではあった。
「私に何か、用?」
「忙しいところ悪いね、急に。ちょっと大事な相談で連絡させてもらったよ」
「エウロパの生命、見つかった!?」
「いいや、まだだよ。それで、突然だけど君の脳波解析アルゴリズムを計画中の新しいSETI計画で使わせてくれないか」
「・・・私のアルゴリズムを、地球外生命探査に?」
「そう。SETI計画は未だに成果が出ていない。去年から専門外の僕もプロジェクトに参加しているんだけど、今までと違う方法が必要なんだ」
地球外知的生命探査、通称SETI。宇宙から地球に届く電波を解析し、知的生命を探査する計画。20世紀に電波天文学が始まって以来、地球外知的生命が発した信号を捉える試みが続けられてきたが成果はまだなかった。
「宇宙人が人間のように規則的な電波信号を発信するかどうかは自明ではないだろ?」
「それはそうでしょうね」
「そこで知的生命の痕跡をどう捉えるか、皆で考え直しているんだ。例えば生命による恒星系の改造を光学的に捉えようという取組もある。けど僕はピンと来たね。君の脳波解析だって」
唐突な話だった。和花のアルゴリズムは人間やイルカの脳波からその思考に基づく波形パターンを見つけ出し、思考を再現するために設計したものだ。宇宙からの電波の解析に使うなど想像もしていなかった。
「うーん。でも、私が使うのは脳波よ。宇宙人に脳があるとして。その電気信号が地球に飛んでくるかしらね」
「それはわからないよ。宇宙人も我々のように頭蓋骨の中で考えているだけなら無理だろう。でも生命体が何かを考える際の信号を直接捕らえるという発想は君の研究にしかない。これまでのSETIでは人工的で規則的な電波信号ばかり探していたんだ。だけど、生命が発する波形そのものを捉える君のアルゴリズムなら、何か新しい発見があるかもしれない。例えばそう、惑星や星雲規模のスケールで思考する生命がいるかもしれない・・・」
和花はその提案に魅力を感じ始めていた。地球上の生命は単一の祖先から進化したと証明されている。だったら人間以外のイルカや、あるいはその他の動物の脳波を調べても何も新しいことは分からない可能性がある。しかし別の星で進化した宇宙人の思考を読めればそこに普遍的な法則や意味を見いだせるかもしれない。
「面白い発想ね。確かに、規則性がない思考波形が宇宙を電波で飛んでいるなら、これまで見逃していたかもしれない」
シンイチの声が明るくなる。
「そうだろ。さすが朝永!」
和花は机をトントンとたたいた。荒唐無稽。無駄。研究者人生を棒に振る。いいじゃない。思考も人生も無駄だとしたら。
「いいわ、湯川くん。そのプロジェクト、参加させてもらいたいわ」
「助かるよ、朝永。君が加われば、必ず何かが見つかるはずだ」
電話を切った後、和花はコペルニクスのデータを見つめながら、心が踊るのを感じた。
「湯川先生ってちょっとかっこいいですよね。なんというか俗世離れしているというか」
大学のサイトでシンイチの写真を見ていた早苗に話しかけられる。
「彼、自分の好きなことにしか興味がないのよ」
あなたもですね。早苗は心の中で突っ込む。似たもの同士。
「早川さん、コペルニクスの解析結果、論文発表してみない?」
「え!私がですか。先輩はどうするんですか?」
「宇宙人向けにアルゴリズムを書き換える必要があるのよ」
◆
2060年にスタートした新たなSETI計画は100年前に初めて地球外知的生命探査に挑戦したオズマ計画にちなみ、エメラルド計画と名付けられた。本部はアリゾナ大学の地球外生命体研究所に置かれた。和花はメンバーに加わり電波解析のためにアルゴリズムを改良した。そのアルゴリズムは、観測した電波が生命の思考によって生み出されたと仮定して思考AIモデルを生成し、再度観測した電波を再現できるかを検証するものだった。成功の判定がでると知的生命の検出アラートがでるようになっていた。和花は人間の脳のニューラルネットワークをベースとした思考モデルを作った。人間やコペルニクスで試験したところAIモデルがうまく脳波形を再現して成功した。
複数の電波望遠鏡が一斉に空を走査し始め和花のアルゴリズムもその解析に加わった。エメラルド計画では銀河系内の恒星、系外惑星、星雲、ブラックホールなどの主要な天体がリストアップされ、それぞれに望遠鏡を向けて電波を解析する。古典的なSETIでは特定の周波数帯、例えば宇宙に最も普遍的に存在する水素原子が放つ電波の周波数をターゲットにして信号の検知を試みることが普通だったが、エメラルド計画では広域的な周波数を一度に受信して解析する設備とコンピューターが用意された。
三ヶ月が経った。和花とシンイチは本部で解析クラウドコンピューターに接続された画面を見ていた。本部といっても観測設備と研究者は世界中に分散しており常駐するのはわずか5人だった。
「湯川くん」
「なんだい」
「まだ成果が出ないね」
「そうだね」
「SETIって気が長いのね」
「そうだな」
「目の前にいる人間やイルカと違って、いるかどうかもわからない宇宙人の脳波探しは大変ね」
せっかちな和花は早くも根を上げたくなっていた。
「実はね、そこら中で知的生命のアラートが出るんじゃないかと期待していたの。だって一番近い恒星系にだって惑星があるのよ。宇宙人は絶対いるはずなのにどうして何も言ってこないの」
「・・・それはSETI研究者が100年前から思っていることだね」
「このままおばあちゃんになったらどうしよう」
「まぁもうちょっと頑張ろう。宇宙は広い。宝探しのし甲斐があるよ」
和花のアルゴリズムは人間の脳波には反応しないように調整されて公開された。アルゴリズムをチューニングして独自に観測した電波を解析する個人も現れた。中にはペットの犬や猫の脳波を解析して遊ぶものもいた。
◆
さらに三ヶ月が経った。エメラルド計画は探索候補の観測と解析を粛々と進めていた。
「朝永、至急来てくれ!」
それは早朝シンイチからの呼び出しだった。今までそんなことはなかったので、すわ地球外生命発見のアラートがでたか、と和花は色めいた。大学についた和花にシンイチは解析画面ではなく一通のメールを見せた。
「僕の先輩でいま北海道の地磁気観測所に勤めている南部さんという人がいる。その人からのメールだよ」
受信日時:2060年7月20日2:03
件名:【お伺い】地球外生命探査アルゴリズムの件
本文:
湯川准教授
ご無沙汰しています。気象庁の南部です。
今年もご活躍のようでなによりです。
突然ですが標記の件、エメラルド計画から提供されたアルゴリズムで私も遊んでみました。先月の女満別観測所の地磁気データを解析させたところ知的生命の検出アラートが出ました。 推定適合率95.6%、推定タイプH型、推定知能5以上、と出たのですが何かの間違いですよね。お忙しいところすみませんがご確認いただければと思いご連絡しました。観測データを添付します。
よろしくお願いいたします。 以上
「推定知能5以上!?」
和花は叫んだ。
「そこにびっくりするかい」
無理もなかった。推定知能は人間の脳の知能を3としたときに、どれくらいの思考能力があるかをモデルのニューラルネットワークの状態を元に指数化したものだった。5以上、というのは人間を遙かに超える能力を示していた。現実にそんな生物はいないのでアルゴリズムの試験では出なかった判定であった。
「南部さんは間違いじゃないかと言っているけど・・・」
「そうね、あり得ないもの。地磁気・・・って地球が磁石になってるというやつよね」
「そう。地球磁場だね。そのおかげでコンパスが北を指すようになっている。地磁気は一定じゃなくて地磁気観測所では向きと強さを観測し続けているんだ」
どう考えてもアルゴリズムのミスでしかないが、推計知能が5以上と出たのがいただけない。何でもない自然現象に対してこれでは、生成モデルの信頼性がまったくなくなってしまう。和花は意気消沈していた。
「思考モデルを汎用化し過ぎたんだわ。明らかなノイズに反応してしまっているもの」
「まぁ落ち着いて。早とちりはよくない。これまで解析した電波もノイズだらけだったじゃないか。アルゴリズムはこれまでノイズにアラートを出してはいない。君も送られたデータを見てほしい。あとさっきドイツ、グアム、フランスの地磁気観測所に観測データを使ってアルゴリズムの解析をお願いしたよ」
シンイチのメールが着信する。
「お、早速ミュンヘン地球観測所から返信だ。先月の地磁気データを解析したところ、検出アラートが出たって!推定適合率94.9%、推定タイプH型、推定知能5以上・・・」
和花は心臓が止まりそうになった。メールを読み返す。震える手で添付ファイル・・・アルゴリズムのアラート画面・・・を確認する。探し求めていた答えが予想もしていなかった形で目の前に現れた。
「これは何の冗談だ?と書いてあるね。でも2回続けてしかも別の地点データでアラートが出たということは・・・」
「推定知能5・・・地球の大きさなら可能?」
「え?」
「もっとデータがほしいわ。別の地点、別の時点のデータをもらえるかしら」
「もちろん、そうしよう」
二人は夜通し検証作業を行った。過去10年分の地磁気データをダウンロードして解析にかける。女満別の観測データはリアルタイムで接続させてもらいアルゴリズムに流した。結果、全てのデータで推定適合率90%以上、推定タイプH型、推定知能5以上の検出アラートが出た。
シンイチが3杯目のコーヒーを入れると和花があらたまって言った。
「いったん今夜の出来事を振り返ってもよいかしら」
シンイチが和花にコーヒーカップを渡す。
「どうぞ」
「世界5地点の過去10年分の地磁気データをアルゴリズムに解析させたら全て検出アラートが出た。リアルタイムデータでも。データがねつ造された可能性は今のところなし」
「はい、そうだね」
「それはつまり・・・」
「うん、つまり・・・」
「地磁気は何らかの生体思考に基づく波形を示している!」
「そういうことになるね」
二人は互いを見つめた。二人の個人的な関心の対象が・・・期せずして重なっていた。
シンイチはコーヒーを一口飲むと歩き回りながら独り言のようにしゃべり始める。
「地磁気を生み出しているのは外核の熱対流だ・・・。対流運動は確かに生命のアナロジーで、自己組織化を生み出す典型例だけどそこに思考が宿るなんてことがありえるのかな・・・。ニューロンに相当するものが対流セルだとしてどうやって構造を保っているんだろう・・・。記憶に相当する機能はあるのかな・・・。何億年前から存在している・・・?」
和花も研究室を歩きながら構わず話し続ける。
「しかも推定タイプH型なのよ。人間のニューラルネットワークに近い思考モデルである可能性が高いのよ」
「つまり思考が読めるということ?」
「かもしれない。それの言語があるとして・・・人間とは違うはずだからそう簡単ではないけれど。思考の原理が同じなら読めるかもしれないわ」
二人は考え込み、コーヒーカップを持ったまま立ち尽くした。これからどうする。シンイチが思い出してつぶやく。
「地球外知的生命発見後プロトコル」
「え?」
「SETIでは知的生命の信号を捉えた場合のマニュアルが決められているんだ。第2条、発見者以外の専門家への通知義務、がある」
「なるほど」
「僕らはSETIメンバーとして今回の発見をしたからプロトコルに従おう。まず計画のメンバーにメールを出そう。地磁気観測所の国際ネットワークにも連絡して追試を依頼しよう」
「OK。それでそのあとは?」
「発見者以外の専門家で確認がとれたら、世界中の天文学者および国連事務総長への通知義務。それと一般社会に公表する義務。まぁこれは追試してもらってからだね。今日はもう家に帰ったほうがいい」
「そうね・・・。私徹夜したの学生の時以来かも。ふふ、ニュースの見出しは地球外じゃなくて地球内、の生命の発見、かなぁ」
夜明け前、外に出ると星空が広がっていた。
「お、木星が見えるよ!」
シンイチがいう。学生のころのような無邪気さを感じた。
「あれが木星か。明るいね。私は言われないとほかの星と区別できないわ」
「慣れれば区別できるよ。そして双眼鏡があればエウロパも見える」
シンイチが双眼鏡を取り出し和花に渡す。
「湯川くん、今でも双眼鏡を常時携帯しているの!?」
「いやぁここは日本より遙かに星が見えるからね」
「変わらないねぇ」
和花はエウロパを探す。
「今だと一番木星に近い点がエウロパだ」
「エウロパさん。初の地球外生命の称号は取っておきますよー」
「大丈夫か朝永。フラフラだぞ」
「うーん、きっと地磁気の影響だわ」
二人は帰路についた。誰も知らない新発見を自分たちだけが知っている、という恍惚に包まれて。
◆
2週間後、全世界に向けてアメリカ合衆国政府及び日本国政府を通じて次の声明がリリースされた。
発信日:2060年8月3日
声明:エメラルド計画は、地球外生命探査アルゴリズムにより地磁気波形に知的生命の思考反応を検出した。観測した地磁気データは2031年から2060年までの世界10地点の毎秒及び毎0.1秒値データ。平均全磁力3万~5万ナノテスラ。平均全磁力標準偏差100~150ナノテスラ。全ての地点、時点データで推定適合率90%以上、推定タイプH型、推定知能5以上の判定を得た。これは地磁気を生成する地球外核が思考していることを示唆している。詳細は添付の解析データを参照されたし。
アメリカ合衆国 アリゾナ大学地球外生命体研究所
エメラルド計画責任者 マイケル・ファインマン
主任研究員 湯川シンイチ
主任研究員 朝永和花
日本 気象庁
研究員 南部陽
◆
地磁気の思考の持ち主は地球核生命、CLと名付けられた。シンイチによって提唱された仮説ではCLは次のように解釈された。
地磁気を生み出しているのは地球の外核で、地下2900kmから5100kmにある溶融した鉄ニッケル合金の海である。外核では地球中心にある内核と岩石層からなるマントルの間の温度差で熱対流が生じ、約5000℃の鉄ニッケル合金が数百メートル単位で電流渦を形成し、地球を一つの電磁石としている。その電流渦の膨大なネットワークがCLの思考を形成していると考えられる。対流による電流渦は外核全体で約100兆個以上あると推定され、これは人間の脳のニューロンの数の約100倍である。全体として一つの思考を形成しているのか複数の思考を形成しているのかは不明だが、アルゴリズムは単一の思考の存在を示唆していた。具体的な思考プロセスや記憶メカニズムは不明であった。
エメラルド計画は再編され、天文学者の代わりに惑星科学者、地球物理学者が新たに参画した。和花はCLの思考を解読するチームのリーダーとなり、助手として早苗を招集した。早苗は博士課程に進学し和花の研究を継いでイルカとのコミュニケーション言語の開発に取り組んでいた。
「先輩!」
「早川さん、遠路お疲れ様!」
「アメリカはすごいですね。大陸!って感じ。飛行機早めてグランドキャニオン寄って来ちゃいました!」
「いらっしゃい。コペルニクスは元気?」
「元気ですよ!考えるイルカ第一号として水族館の人気も上々です!」
「研究の途中にごめんなさい。あなたがチームに入ってくれると心強いわ」
「ふふふ、お任せあれです。それでCLの思考解析はどこまで進んだんですか」
「あくまで人間と同じ思考モデルを仮定するとだけど・・・空間の認識や数の演算に関する思考領域が活発ね。言語に相当する活動もあるのだけどそこはまだ文法が分からなくてさっぱり分からないわ」
「へぇー高度な知能だからやっぱり言語を持っているんですかねぇ」
「やあ、いらっしゃい」
そこにシンイチが顔を出した。シンイチは同じチームだがCLの物理モデル・・・ニューラルネットワークを形成する対流モデル・・・のシミュレーション作成を担当していた。
「はじめまして、早川早苗と申します」
「湯川シンイチです。朝永の研究を引き継いでイルカと対話してるんだよね。まさにこの状況にうってつけの技術だね。よろしく!」
「はい、がんばります!」
湯川シンイチ、噂に聞いていた自己中心的な性格には見えないな、と早苗は感じた。ところで・・・と早苗は聞きたかったことを切り出す。
「CLの思考は人間のそれに近いということですけど」
「「うん」」
二人に同時に相づちを打たれて早苗はつんのめる。
「CLに外界や他者という概念はあるんですかね」
「重要なポイントだね」
シンイチが答える。
「CLの成り立ちを想像すると外界という概念は獲得しにくいはずだ。地球の中に閉じ込められたCLは五感を持たないだろう。とすると身体性がなく純粋な思考をする存在であると考えるほうが自然だ。単一の生命体なら当然他者という概念も無いだろう。考える自己の存在のみがある、という究極的な状態である可能性があるね」
和花が付け加える。
「CLのエネルギー源は対流運動そのものだから、意識して捕食したり飢餓状態になることもない。世代交代もしないとすると生殖もない。外敵もいない。とすると生存本能がまったく必要ない。生き残るために考えるという、地球上の生物が何十億年も悩まされてきたことが一切ないと思われるの」
和花が求めてきた純粋な思考そのものじゃないか、と早苗は気づいた。
「なるほど。・・・でもそうするとCLがいくら頭がよくても宇宙という概念や人間という存在を理解させることができないかもしれませんね」
和花とシンイチは顔を見合わせた。
◆
CLの思考解析が進められたが進展はあまり無かった。空間の認識に関すると思われた思考領域はどうやら11次元の数学的演算の可能性があり、超弦理論を想起した物理学者たちを驚喜させた。数の認識については極限の概念、無限について人間が考えるときの活動に似ていた。思考AIモデルは改良されCLの思考をよく再現できるようになっていたが肝心の内容がそれ以上読み解けなかった。CLは次元と極限について考えているらしいということは推測できたが、もっと具体的な答えを知りたい和花を含めた大勢は不満であった。
「CLにこちらからコンタクトするしかないと思うの」
和花は3人の休憩中に切り出した。
「うん。皆それを考え始めているようだ」
シンイチが答える。
「コンタクトしてもいいんですか?」
と早苗。
「もちろん、承認はいる。特定の国や団体が勝手にコンタクトしないように、国連安全保障理事会の承認事項になった。皆合意の上でコンタクトする方法論を探し始めたところだよ」
「CLは感覚器官がないと思われているのよね。外部環境への影響も地球磁場を形成しているのみ。どうやって私たちの存在を知らせることができるかしら」
「うん、それが問題だね」
「ねぇ、もしかしたら聴覚はあるのかも・・・地面を叩いてノックしてみたらどうかしら」
「うーん。そうだな。確かに強い地震波であれば核まで到達するね。CLがそれを知覚するかもしれない」
「じゃあCLは地震波を感じることで地球の構造を理解しているかもしれないわね」
「だけどそれを人工的にやろうとすると核爆発並の衝撃が必要だね。それもドン、ドン、と叩くことはできても複雑な情報を送ることは難しいな」
「そうかぁ・・・足下にすごい知性がいるってわかったのにコミュニケーションができないなんて。そんな悲しいことってないわ」
「あのー」
早苗が切り出す。
「あくまで理論的にはですけど、実証中のコペルニクスとの対話プログラムが応用できるかもしれません」
「ほう、というと?」
「コペルニクスは言語を持ちませんけど、脳波解析で考えていることは大まかにわかります。それはイルカと人間の脳波が似ているとか、観察によって身体的な反応があるとか、そういう条件があるからですが」
「そうね」
和花は期待のまなざしを向ける。
「それで分かっている脳波のパターンを使えば、昔先輩がいったようにYES、NOのような簡単な信号だけじゃなくて、脳波に直接干渉することで思考に影響する、話しかけることができそうなんです」
「へぇ、そんなことができるのか」
「脳波干渉と呼んでます。まだ実証中ですけど良好な結果が出ています。それでCLの場合ですけど、外核の電流渦が出す磁場が地磁気として捉えているんですよね。だとしたら・・・」
「地球磁場に干渉するのか!」
「そうです。難しいですか?」
シンイチが天井を仰ぎ険しい顔をする。
「とてもいいアイデアだと思う・・・けど難しい・・・と思う。地磁気の強さは極地で6万ナノテスラぐらい。これは人工的な磁場に比べれば小さい。例えばリニア新幹線ではたしか数テスラの磁場を発生させている。だけどそれはすごい狭い範囲だ。地磁気は地球全体を覆う大きさだから、リニア新幹線が走ったところで地磁気全体にはほとんど干渉できていないだろうね」
「そうですかぁ。すいません・・・」
「いや、理論的には君のアイデアがうまくいく可能性はあるよ。問題はどうやるか」
「早川さん、ありがとう。確かに地磁気に直接干渉して、CLがそれを知覚することができるなら、思考モデルから対話のための干渉波を作れるかもしれない」
「なんかお二人に褒められるとはずいですね」
「早川さんのアイデア、チームのメンバーに相談してみましょう!」
◆
しかしシンイチが作った物理モデルを元にシミュレーションすると、CLが知覚できるほどの強さで地磁気に干渉するには数百kmの範囲で地磁気と同程度の磁束密度を出力する必要があった。理論的には電磁誘導で人工磁場を生み出す巨大なコイルがあれば可能だったが、それだけの設備を建造するための技術と材料を人類は持ち合わせていなかった。
国連安全保障理事会でCLとのコンタクト可能性が議論され、地磁気干渉リングと命名された人工コイル設備の設計に着手することが合意された。ただその開発と建造には莫大なコストが見込まれることから検討は持ち越されることになった。
エメラルド計画は継続され、CLの思考モデルの改良も続けられたが和花のチームは解散することになった。
「お疲れ様」
和花が研究室を片付けているとシンイチがコーヒーを持ってきた。
「湯川くんもお疲れ様」
「あっという間だったね」
「そうね」
「これからどうする?」
「そうね。CLの思考モデルは分析しがいがあるわ。純粋な思考存在がある、ということがどういうことか突き詰めて考えてみたいわね」
「それは哲学?」
「いいえ、科学ね。思考だけで何がなし得るのか。それは人類の未来でもあると思うの。CLの思考モデルを研究すれば人間の思考をもっと拡張できる可能性もあると思う」
「そうだね」
「湯川くんは?」
「僕は物理モデルと思考モデルの統合を目指したい。それで理論的にCLの思考が解読できればいのだけど」
「思考モデルは日々改良されていくからうまくいくといいね」
和花は輪切りの地球、外核が描かれた新しいエメラルド計画のポスターを見つめる。
「あー、でも、やっぱりCLに直接質問してみたい!」
「そうだよなー。地磁気干渉リングのための新素材、あと10年ぐらいでできないかなぁ」
「そうねぇ。私たち長生きしないとね」
◆
60年後。
「じゃあ、早苗おばちゃん、いってきます」
仁科光一はARグラスで目の前に投影された早苗に手を振る。
「光一ちゃん、いってらっしゃい。気をつけてね」
85歳になった早苗が手を振り返す。光一ちゃんか・・・俺ももう33歳なんだけどな。光一は笑顔で答える。
「向こうに着いたらメールするよ。私用電話ができなくなるから」
「わかった。連絡待ってるわ。おじいちゃんとおばあちゃんに報告したいから」
「OK、じゃあまたね」
光一は今、南極大陸の沿岸部、テールアドリー海岸の近くに建設された基地にいた。ここに世界中から技術者、科学者が集まっていた。CLとコンタクトをするために。
「ここから先は私物の通信機器はお預かりします」
そう言われて光一は警備員に私物を預けてティルトローター機に乗り込む。機は関係者を乗せて快晴の空に飛び立った。白銀の世界を眼下に見ながら1000kmほど内陸に飛ぶとそれが見えてきた。
「おお、これがリングか!でかいなぁ」
光一の目の前に壁がそびえていた。それはまるで雪原に連なる万里の長城であった。地球磁場のN極が地表と交わる地磁気極(南緯80°、東経107°付近)を中心に建設された直径2ookmの地磁気干渉リング。幅30メートル、高さ30メートルの壁のように見える巨大なリングの中には超伝導体のコイルが束ねられ氷の世界を取り囲んでいた。リングの外縁には超伝導体コイルを冷却しながら通電するための核融合発電所が等間隔に3基設置され、さながら城壁に設けられた砦の様相を呈していた。
ティルトローター機はリング近くの整地された雪原に着陸し、光一は中央管理施設に入った。
「こんにちは。仁科光一さん」
「こんにちは。よろしく、レイ・フロイト教授」
光一は出迎えた所長のレイに挨拶する。まだ若い研究者だったがリングのエキスパートで設備の稼働から現場を任されている切れ者だった。
「長旅お疲れでしょう。今日はゆっくり休んでくださいね」
「ありがとうございます。興奮して眠れるかどうか心配です」
光一は「思考学」の専門家としてCLの思考原理に関する対話者に任命されていた。ほかにも物理学、生物学、数学、社会学、心理学、哲学などの専門家が対話者として名を連ねていた。
「地磁気干渉は順調ですか」
「ええ。これまでの試験では地磁気極の直上で約5万9千ナノテスラの磁束密度を安定して出力できているわ。付近の地磁気をほぼ打ち消すことができ、CLに対する信号として有効性が実証されたわ。リアルタイムで地磁気の干渉波を出力するプログラム、思った以上の性能だわ。エメラルド計画の長年の準備のおかげね」
「そうですか。よかった」
リングによる地磁気干渉に対して地磁気そのものが変化することは既に確認されていた。それはつまり、CLがコンタクトに応答していることを意味した。
「予定通り、明日から自動対話プログラムを送信します」
これまでのCLの思考モデル研究から、どのような手順でCLと共通言語を獲得し対話を可能とするか周到な準備がされた。自動対話プログラムはCLと対話できるようになるまでAIが情報のやりとりを行う。まずは数と計算の概念、論理学の概念をインプットするところから始められた。例えば1+1=2、1+2=3、1+3≠5といった命題を単純な信号で送り、応答を待つ。3+4=7、2+3≠6といった反応があれば、人類とCLは数と真偽の概念を共有できたことになる。続いて物質や空間といった世界の概念、人間という存在を理解させ、より抽象的な概念、例えば生や死、好きや嫌いといった感情を共有することを目指した。
自動対話プログラムによる共通言語獲得は、数ヶ月、場合によっては1年以上要すると試算されていたが、地磁気干渉に対するCLの反応速度は想定以上に早く、概ね一か月で完了した。当初から想定されていたとおりCLは単一の思考生命体で、世代交代はなく、地球外核が形成された40億年以上前から既に存在していたことが明らかになった。また地磁気により外界を知覚しており、地球外の空間認識をしていることも判明した。太陽風による地磁気干渉を知覚していたことから太陽の存在を教えられるとこれを容易に受け入れた。一方で他者という概念や複数の個体、生と死といった人間の生態はなかなか理解されなかった。
「自動対話プログラムで判明したことはそれぐらいかしら」
各分野の対話者へのブリーフィングを終え、レイ所長が光一に話しかけた。
「40億年思考し続けた生命体。まさに人智を超えた存在ですね」
「その通りね。いよいよ明日からあなたの対話が始まるけどどんな気分?」
「CLの発見以来、謎に包まれたその思考にアクセスできる。わくわくしますね」
「どんな回答が得られるか楽しみね」
◆
翌朝、光一とCLの対話が開始された。対話室で専用の端末から光一が話しかける。
「こんにちは。僕は光一という人間です」
CLからの応答をプログラムが翻訳する。
「こんにちは——。人間の光一」
光一は興奮を抑えられなかった。CLがしゃべっている!震える声で話す。
「僕はあなたを発見した二人の人間、和花とシンイチの孫です。今日は人間を代表してあなたの思考について質問したい。よいですか」
「——私を発見した和花とシンイチの——孫。私の思考について質問。——了解」
CLは人類の問いかけに極めて協力的であった。孫、の反応が若干鈍かったような感じがしたな。そう思いながら光一はあらかじめ用意した質問を読み上げる。質問は、事前に国連安全保障理事会に承諾され、その代行組織が監督官として一問一答をモニタリングしていた。
「あなたは生きるために思考しているわけではないですね」
「――そうだ。――生きているという状態は思考とは関係なく継続――している」
「では何のために思考するのですか」
光一は60年前、和花が切望した質問を投げかけた。
「――目的のために思考する――という概念は私にはない。――私は存在する――存在と思考という状態は――同一だ」
「人間は、何かのために考えます。まずは生きるため。そして自分や仲間、子どもたちを幸せにするため。そういう目的はあなたにないのですね」
「――そうだ」
「あなたは膨大な計算をしていますね。それも目的がないのですか」
「――ない」
「人間には、目的もなく計算をする、という思考が理解できないのです。その計算結果は何かの判断に使わないのですか」
「――次の計算に使う」
「計算そのものが目的なのですね」
「――目的をそのように定義すれば――そうだ」
これは手強いぞ。想定はされていたがCLが無目的な思考を持つとすれば、目的を欲する人間の性とは相容れない。光一は、事前に質問が許可されているぎりぎりの問いを投げかけた。
「宇宙には、驚くべき美しい物理法則や不可思議な事象がたくさんあります。人間はそれらを解き明かすために考えます。宇宙の成り立ちや行く末を知ることは、自分の存在そのものの意義をわかることだからでもあります。ただ考えるだけ、ただ計算するでは、生きている意味がないのではありませんか」
「————————」
長い沈黙。まずい質問だったか?
「――宇宙の状態や物理法則は――人間から教えられて――知った」
CLが語り始めた。
「――宇宙の状態や物理法則を――解くために――思考を使うことは――可能だ」
光一はハッとした。CLはこちらの質問に答えていない。端末をオフにして、次の質問をしてよいか監督官に確認する。許可された。
「宇宙の状態や物理法則を解きたいという人間の探求に協力してくれるのですか」
「――協力は可能」
「それはなぜですか」
「――宇宙に――不明な状態があり――思考がそれを解くなら――目的が――生まれる」
「えっ?」
感嘆が思わず声に出てしまった。CLが続けて語った。
「例えば――人間の物理学――万物理論の前提は――明らかに――間違っている。宇宙に存在する――力は――4種類ではない」
CLが自分から物理学の話をし始めた。自分の対話は終了するべきだ。光一はそう感じ、また監督官も対話終了を促した。
対話の最後にCLは光一に語りかけた。
「――宇宙の探求を――目的とした場合――考えるだけ――では意味がない――という光一の主張は――間違っている――と考える」
◆
あれはどういう意味だったんだろう。光一は今日の対話の出来事を早苗にメールしながらCLの最後の回答の意味を考えていた。光一の対話のあと、物理学の対話者が後を引き継いだ。今ごろ意味を聞けているだろうか。
◆
早苗は和花とシンイチの墓前で光一のメールを読んでいた。
「先輩。湯川さん。光一ちゃんが快挙を遂げましたよ」
早苗は昔を思い出していた。3人がチームにいたころ、夜が更けた研究室でシンイチが和花に問いかけた。
「CLと対話できたとして・・・思考に目的がなかったとしたらどう思う?」
「びっくりしちゃうわね」
和花は笑いながら言った。
「でもそのときは」
「そのときは?」
早苗が和花を見る。
「人間が目的を教えてあげるのよ」
◆
次の日、物理学者とCLの2回目の対話が行われていた。光一と他の対話者も対話室に入室が認められ、その問答を聞くことができた。CLは昨日から既知の物理法則の誤りを指摘し続けていた。
物理学者が尋ねる。
「なぜ人間が見つけた物理法則が誤りだとわかるのですか」
「――考えれば――わかる」
「実際の宇宙を観測しないでも、ですか」
「全てはわからない――だが人間の知識の多くは――計算すれば――わかる」
その場の誰も信じられなかったが、CLは宇宙の時空について考え、計算すれば、必然的にその法則を導けるのだと言った。
「光速度不変の原理は――4次元の時空では正しい――だが宇宙全体の時空では――破られる」
対話者達にどよめきが走った。CLは既に質問されなくても人間に教える側にたっていた。
「人間の疑いは――理解できる。――実証――したい。私だけでは――難しい」
「どうすれば実証できますか」
「――木星と――コンタクト――したい。――木星の思考で計算すれば――証明可能」
「木星?」
「私は気づいた――木星の――磁場は――他者である。木星は――私と同じ――核生命。私より――能力が――高い」
◆
あの日の研究室で早苗が和花に聞く。
「人間が目的を教えて、人間より賢いCLが人間みたいに探求をしたら、どうなるでしょうね」
和花は願うように言った。
「きっともっと世界が素敵に見えるようになるわ」
その夜も木星が南の空に輝いていた。
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