梗 概
ここにいる
私は、25年も探していたレコードを偶然見つけた。レコードをターンテーブルに置いて、針を落とそうとすると、その短い間だけ、今はもういない歌っている「彼」がいた時の世界への蓋が開かれてしまう。
私は、現実には、手先に集中してレコード針を落とす動作をしているが、視界の隅では、25年前のあちらの世界を同時に体験することになる。
ただし、レコードに針が乗ったとたん、あちらの世界は消えてなくなる。かわりに、レコードから「彼」の声と音楽が鳴る。
私は、憧れの「彼」とその時代を見るため、会社帰り、夜は必ず、自分の部屋に籠もって、そのレコードを聞くことにする。
その間、妻や高校生の息子は別の部屋にいて、何をしているかわからない。会話は何年もほとんどしていない。
現実世界で日が経つように、「あちらの世界」も、断片的ながら、少しずつ順を追って時間が進んでいくようだ。
そのうち「あちらの世界」が見えている間、最初は遠くからみていた、手の届かない存在だった彼の日常生活まで、一緒に経験することができるようになる。
ある日のライブ終わり、彼の前に、初めて出待ちをしたときの若い自分が現れる。その時かかってきた親からの電話に怒る自分の声が聞こえ、その瞬間を生々しく思い出したとき、「あちらの世界」はふたつに分かれ、憧れの彼の日常と、当時の自分の日常とが体験できるようになる。
そんなことがひと月も続く頃、朝、出かける高校生の息子の表情に、当時の「彼」と似たものを見る。突然息子のことが心配になる。
その夜見た「彼」は、最高傑作と呼ばれるアルバムを制作していた。かつて、彼はそのあと亡くなってしまった。私は、今朝の息子と同じ表情も見て、つい、彼に声をかけてしまう。
「こっちへ来い、その場にいちゃだめだ。君が見られなかったものを見せてあげる。一緒に行こう」
しかし、過去の自分が現れ、必死に「彼」を引き止める。「行っちゃだめだ、そちらに行ったらいけない」。
そのとき、私は、何かがおかしいことに気づく。25年前、接点がなかったはずの「彼」と「自分」の日常がいつの間にか混ざり、場所が曖昧になっている。しかし、その日はここまでで終わった。
翌日、現実世界の私は、レコード針をもう一度落として「彼」に会う機会を作るかどうか悩む。
時間が「次」に進んでしまうと、彼はもういなくなっているかもしれない。でも、もしかしたらこれは、彼をかつての現実から救う最後のチャンスなのかもしれない。
その夜、悩んだ末に向かった自分の部屋で、私は、勝手にレコードを聞いている息子を見つけた。
レコードに針が落ちている。それを見て、息子に対して激しく怒るが、息子の表情を見てはっとする。
なぜ息子が急にレコードに触れたのか聞く。はぐらかして答えが帰ってこない。しかし、表情の中に希望を見る。レコードから、若くして去った「彼」の声が聞こえてくる。
文字数:1199
内容に関するアピール
「時間」や「場所」、「空間」が流動的で、固定されないことを、SFとして捉えているような気がします。特に、「時間」と「場所」のぶつかりあいのような感じです。
過去にあったことが、時間を経て「ああ、あれはそういうことだったのか」というような瞬間があると思うのですが、現実には、その「時間」を経ることができないことも、ままあります。
当時は大問題だったのに、あとから考えたら「たいしたことなかったな」というのもあれば、「なぜ、あんなふうになってしまったのだろう」ということもあると思います。
「見ているこの世界だけが現実ではないのだろうな」という思いはずっとあります。
感覚的にはあるとわかっているのに、まだ発見されていないこと、という意味では、科学かもしれませんが、サイエンス・フィクションではないのかもしれません。
今回は、「保存されるうちに変わっていく時間」について書きました。
文字数:384