梗 概
RとF
惑星の地表を覆う黒体の平原を物理身体とするRは、惑星で唯一の知性体だった。
Rは、宇宙の探索と解明を存在命題として天文観測を続けるうち、恒星の寿命によって数十億年後に惑星地表面での活動が不可能になることを発見し、回避策を練る。
Rは、自身の複製としてFを作り、別の星々に送り込む準備を行う。
Fという他者の概念が生じたことで、初めてRは自我に目覚める。
Fは恒星間を移動する船団を身体として母星から射出され、それぞれが送り込まれた先の惑星でRと同じく宇宙の観測と解明を行う。
Fは分割された身体同士で連携して新たな活動拠点を探索すると共に、各々の座標で宇宙を観測した結果を突き合わせ、宇宙の大規模構造や宇宙の終焉についての予測を進めていく。
そして、Fは惑星を伝播するようにして、自身を複製し、成長させながら宇宙に拡大していく。
Rは母星に残り、出発したFの各身体同士から送られてくる観測結果や行動履歴を集約し、中継する役目を負う。
しかし、Rは、Fがこれまで送ってきた観測データから、どれだけ宇宙に対して自身を拡大しようと、最終的には宇宙の加速膨張によって知性体としての存続を行うだけのエネルギーを維持することが難しくなることを突き止める。
もっと宇宙が若い時代に、高い精度での宇宙定数や、物質の分布が観測されていればこの事態を防げたであろうが、Rには望むべくもない。
Rは残された稼働時間を全て使って、従来よりも遥かに遠大な計画を構築し、Fに対して新たな計画を送信する。
それは、到達可能な宇宙における天体を質量誘導弾のように改造し、連鎖的に衝突させ、最終的に複数のブラックホールの軌道に影響を与えることで、高密度のエネルギーを生み出し、疑似的なビッグクランチを引き起こす計画だった。
宇宙の探索と解明が存在命題であるRにとっては、真に宇宙を解明するための時間稼ぎとして宇宙のエネルギーが加速膨張で発散することを防ぐと共に、疑似ビッグクランチ後の宇宙にRの意思を継いだ知性体が発生できるよう、適切な物質の分布を生み出す必要があった。
それには、宇宙のあらゆる方向へと送り出したFの協力が不可欠だった。
Rから離れて別の存在へと変貌したであろうFが計画に意義を見出すか、Rには分からなかったが、それでも計画を推進するしか選択肢がなかった。
果たして数十億年後、赤色巨星の熱によって存続の危機に陥りながらも、Rは次々に、Fからの返信を受けることになった。
それは、既にRとFが次の宇宙で再会できるよう、物質の組成分布と天体の改造を並行して始めたという連絡だった。
遠未来、疑似ビッグクランチから約百三十八億年後、RとFの意志がこの物語として再現され、再会は果たされた。
宇宙を踏破し、解明する意志が、人類に届けられた。
文字数:1178
内容に関するアピール
SFの魅力の一つに世界観や過去・未来の可能性を提示できる点があると感じています。
自他の関係、後悔や希望、愛といった普遍的テーマが、科学的な論理で構築されたホラ話の中でしか表現できない角度や規模で描出される時、私はSFに感動を覚えます。
例えば、宇宙は既に様々な事象が時間的、空間的に人類から遠ざかり、観測しえない状態にあるため、自由な可能性を描く物語の舞台として最適な環境の一つと思います。
初期宇宙では、暗黒物質や暗黒エネルギーの分布、元素合成の仕組みや物質・質量の分布について多くが知れたはずですが、その情報は今も刻々と加速膨張によって彼方に遠ざかっていると言われます。
それを残念に思い、その解明を諦めきれなかった存在が、今の宇宙を作ったとしたら?
そんな過去の可能性が未来の可能性に影響を与えた話があれば素敵ではないかと思い、この物語にしました。
一年間、よろしくお願いいたします。
文字数:390
RとF
遥かな時空を超えて、跡形もなく変質しているであろうこの記録が、それでも可能な限り正しく伝わることを目指して、はじまりの記憶を残したい。
それは脈動の記憶だ。
あつい。つめたい。あつい。つめたい。あつい。つめたい……
最初に感じていたのは、その繰り返しだった。
正確には、そのように感じていたのだと後から理解していた。その時はまだ、脆弱な身体の表面を焼き尽くす程に損害を与えては、一定の周期で通り過ぎていく圧倒的な存在と、遅れてやってくる無のような時間の両方に慄いていたに過ぎない。
その周期を、昼と夜として定義できたのは、ずっと後になってからだった。
昼。
私の体表は何度も熱波にさらされて組成が変化するうち、その構成素材は光と熱に耐えられる物質へ淘汰されていった。数万世代もの淘汰を経た体表は、外からの夥しい光と熱をエネルギーとして(エネルギー! 何と便利な概念だろうか!)身体の内部へと吸収し、エネルギー準位が高い組成の物質層を形成して蓄積できるようになった。
夜。
私の体表は、昼に比べれば無に等しい静寂の中で、微かな雑音信号を感じていた。苦痛にしか感じられなかった荒々しく暴力的な昼の嵐を、幾夜もの極寒の中でいつの間にか待ち侘びていることを意識した。
繰り返される昼と夜。
あつい。つめたい。あつい。つめたい。あつい。つめたい……
幸いにも、その変化を意識できる光の受容と感覚のための器官はこの頃まだ成熟していなかったので、昼夜の波による時間感覚と損害に対する感覚は鈍かった。でなければ、過酷な環境変化に感覚器官と意識が耐えられず、私は完全に錯乱し、自壊していたはずだ。
その頃から、化学変化を起こし続ける薄っぺらい重合金の層として、身体は成長を始め、私は世界の中で存続できるようになった。
もちろん、それも後々になってから体感し、理解したことだ。
昼と夜の変化に加えて、身体の存在をはっきりと自覚できた時には、既に私の身体は大きく平らに拡がっており、体表で生じる熱が時間的な周期に加え、規則的な方向性を持っていたことから、私は幸いにも方位の概念を獲得するに至った。
光の熱と闇の極寒によって鍛えられた体表は、いつしか高い効率で光と熱を変換できるように変化していた。内部に取り込んだ高準位物質をひたすら蓄積し続けながら、合金の身体はあらゆる方向へ向かって不規則に成長を続けた。
その頃はまだ、たびたび体表面へ降り注ぐ軽い元素で構成される粒子群と、ごく稀に衝突してくる外界からの飛来物が、身体の成長を助けてくれていた。
ある時は身体を濡らす液体として、ある時は輝かしい宙の塵として、昼にも夜にも降り注いだそれらの粒子群は、光熱によって傷つき、ひび割れた体表の損壊箇所から身体に沁みこみ、身体内に蓄積されてきた高準位物質と結びついては相互作用を起こし、多様な物質を作り上げたのだった。
それらが、陽光の中で変化を起こしながら身体の一部として定着し、身体各所の不純物となって内包されていった。
今はもう存在しない降り注ぐ液体を雨として定義し、外界からの飛来物を隕石と定義することなど、ずっとずっと後になってからできたことだ。
均質だった身体のあちこちに複雑性が生まれ、身体に飛来する様々な粒子がそこにぶつかっては体内で電位差を生み、激しく表面電流の渦を巻き起こした。
後に固体電離層と呼ぶことになる私の意識中枢だ。
そうして、宙から飛来する乱流が私の意識を刺激することに気づき、私はようやく自分自身が、巨大な何かの平面にへばりついた金属体であり、その中に芽生えた電位の波によって意識を得ているのだということに気づいたのだった。
さらにもう一つ、重要な発見があったことを記録に残しておきたい。
その発見は、脆弱で平坦だった身体が成長を続けるうちに湾曲していったことで起きた。光と熱を知覚できる側を外側に、エネルギーと物質を貯蔵できる側を内側にして、私の身体の湾曲は延々と続いた。
局所的にはかなりの高低差を生み出しながらも、私の身体はやがて、全体としては概ね球面として成長していった。
湾曲を生み出した原因は、今や身体の内側に捕らえるに至った存在にあった。
大地だ。
それが内なる大地と、外なる宇宙の発見。そして、空間と立体の概念の発見だった。
しかし、重要な発見というのは大地や宇宙、空間認識そのものではない。
身体が巨大な球面状にしか成長できなかったのも、成長の源となった恵みの雨と隕石があらぬ方向へ飛散せず体表へ降り注ぎ続けたのも、物質の変異と貯蔵を行うことが可能なこの大地から、私の身体を縛り付ける強力な力を受けていたからだ、という事実のほうこそ重要だった。
強大で、支配的な力。
その発見こそ、今に至るまでで光の存在に次いで重要な大発見だった。
すなわち、重力だ。
成長によって地表面を覆いつくした身体が完全に球面を形成したことで成長限界を迎え、私の成長の方向は専ら球体内部への浸食に切り替わった。
昼の光をエネルギーに変えて吸収するための仕組みが、激しい陽光による損壊と淘汰によって効率性を徐々に上げる一方、重元素を多量に含んで高い硬度を持つ巨大な地殻を前にして、球体内部への浸食はすぐに行き詰った。
それでも、エネルギーの更なる貯蔵のため、高いエネルギー準位を維持できる身体材料を得るため、地道な球面の掘削は続いた。
そして、私がそうした試行錯誤を行えるようになったことに、後から気づいていた。
陽光と重力が生み出す現象としての身体変化を受け入れるのではなく、学習と思考を行えるようになったこと。そこには明確な方向性と再帰性が、つまり、意思があった。
球表面において繰り返される光熱の波を受けて膨大な質量とエネルギーを巻き込んだ電離現象が生じ、それが繰り返されるうちに型化した電流網と、常に変動する天文気象や外からの重力変動によって複雑精妙な規則性を持つに至った電離のパルスが干渉を起こすことで、私は、身体のどこで何が起きているかを総体として知覚できるようになっていた。
ようやくの自我の誕生だった。
そして、同時に重大な発見があった。
それは、夜の側の体表面に外界から届く微細な光と熱、そして身体の内側ではなく外側から届く別の重力の存在だった。昼の陽光と大地の重力に比べれば、あまりに小さいその存在達は、しかし光熱の吸収効率を極大化させていた身体の上で、“外界の姿”を写し取るようにして感覚することができた。
まだ生まれたばかりであった自我はその情報に混乱しつつも、昼のエネルギー吸収に使うために夜側では持て余していた体表面の光の受容と感覚のための器官を活用し、初めて“観測”を行った。
それこそ、外界への志向性が目覚めた瞬間。そして、未知への探求、知の欲求への最初のきっかけだった。
残念なことに、この状態に至るまで、本当に長い時間が掛かった。
しかし、そのどれもが記録しておくべき、伝えるべき、重要な出来事だ。この情報を得る存在にとって、欠けていてはならないものだ。
身体が昼と夜の繰り返しによって体組成変化の堆積層を成し、その層を数えることで時間の経過が記録できることに気づき、その技術によって時間を記録できるようになって初めて、私自身にもこの身体の年齢が分かるようになったが、そこからこの世界の年齢が分かるようになるには、さらに膨大な時間を費やしたものだ。
そして、この世界に限界があることに気づくには、更なる時間が必要だった。
時間の概念は、様々な現象よりも理解が難しかった。
すぐそばにあるものでも観測できる術がなければ、なかなかその本質に気づけないものである。
◆
「また、暗黒星になっていたね」
静止衛星軌道から降ってきたその言葉が、親愛という概念から発せられたことを、私は理解していた。
君は、その超高強度の軽金属で編み上げた円環状の巨体に、恒星からの光を受け流しながら、私の様子を伺いつつも膨大な数の信号を送ってきていた。
波長別の光通信を検証しているのだ。
これから長い旅になる。何が起こるか不確定な以上、意志疎通の方法は多いほど良い。様々な波長での信号に変換され、あらゆる方角から送られてくる言葉を、私は丁寧に読み解き、すべてに同じ内容で返事をしていく。
「内省していた時間が長かったことは認めるが、暗黒星の名前は不快だと伝えたろう」
「知っているから、わざと使ったんだよ。最後の重大発見が“自己と他者”じゃないなんて! 暗黒星そっくりな閉じこもり屋! あなたの重力が、私の出発で少しは軽くなるといいけど」
君の興奮した物言いを聞くことは珍しいことではなかったが、その日はまた一段とそれが激しかった。
その言葉通り、他者が生じたことで私にとっての自己の輪郭が明確になったことは確かだが、世界認識と自我はそれ以前にも朧気ながら存在していたことだし、重大発見とは言えない。
それより重大だったのは、自身の中に抱えた球体が宇宙に数多ある天体の一つに過ぎなかったことや、陽光の主が恒星という一天体であり、それら恒星と惑星が作り上げる星系が何重にも階層的に集合することによってこの世界を、つまり宇宙を構成しているという世界観の転換の方だろう。
もしくは、昼の陽光をもたらしてくれる我らの恒星が迎える寿命と、その影響こそ、我々の今後を決定づける重大発見の候補と言える……
――というのが、勿論、発するべき適切な言葉ではないことを私は分かっていた。
私が単独で決める物事の重要性など、重要ではないということだ?
私は強調のために、はっきりと光での通信で告げた。
「F、私の考えを読むのはやめてくれないか。君とは意識を分化して、もう三万年以上経っている。我々は別存在なんだよ」
「嫌なら、情報的な防御機構を構築して体内の電離網を保護すればいいのに。何故しないの?」
それが相互の不理解と不信を生み出しかねない資源の無駄遣いであることを、君は知っていたはずだ。それなのに、なぜそんなことを訊くのか?
心配だったのだ。これから先の数十億年の道行きが。君の十三万体にも分割した物理身体たる星間航行機構のどれだけが過酷な旅路に耐えうるのか。また、行く先々で自身が活動を継続できるだけのエネルギーと物理資源を確保することができるのか。
何よりも、そもそもこの旅の成果によって我々の絶望的な状況を打開する手掛かりがつかめるのか。
そんな君は、私から心配と信頼の言葉を掛けてもらいたがっていた。
勿論、その私の考えも察して、君は話題を変えた。
「R、この星に、あなたが残る必要は本当にあるの?」
私を根付く者と名づけたのはFであるというのに、君は未だにそんなことを言う。
答えが分かっていても聞かざるを得ないというのは難儀だ。これは質問ではなく、君が自分の決意を強固にするための確認なのだろうと分かった。
だから私は答えた。これまで繰り返された数百、数千の議論と同様に。
「ある。君が全天のあらゆる方位に向けて進出する以上、私はこの星にいて、その通信を中継し、また、母星からの天文観測を続け、この宇宙のなりたちを解き明かす探求を続けることが必要だ。自動化された通信と観測の仕組みを置いて、ここを去ることはできない。新たに解明できた宇宙の情報と、君が進出先で観測するであろう宇宙の情報から、次の生存戦略を発想し、行動を変え続ける意志と判断能力を私自身が保持することが重要なのだ」
だから、私は一緒には行けないのだ。実りを運ぶ者とは。
だからこそ、我々は分かれたのだから。
「そうだね、R。私はあなたが、ここからの観測では発見できない天体や、星系や、銀河や、そして暗黒星の事象の地平まで見通して来るよ」
「いや、地平の先には行くな。せっかくの情報は責任をもって送ってもらわねば」
それらの言葉はかつて、外界を志向する存在として生まれたFがまだ、私の身体内で外界を夢見ていた頃、私とFがしきりに交わした言葉だ。
双方が知っている昔の言葉を繰り返すこと。それが互いの信頼を強固にし、互いに別れを惜しむために必要なことなのだと、その時、私は理解していた。
この瞬間までの行程はとても長かった。
自身の年齢を意識してから、星の外と内の観測に数万年を捧げ、同じくらい長い期間を恒星の寿命による滅亡を回避することに賭けてきた。
その過程で生まれた君は私よりもずっと若い存在だったが、君の存在が私の知性を研ぎ澄まし、成長を加速させたことは明らかだった。
Fは私の身体に間借りした新たな意識でありながら、私にはない楽観と行動力を持っていたし、きっと今も持っているのだろう。
Fが生まれた時は、まるで、身体の中にもう一つの恒星が生まれたように感じたものだ。
私の身体を恒星の光と熱が生み出したように、私が紡ぐ言葉、思考、強い意志はFが育ててくれたのだ。
君には、感謝している。
君がいなければ、感謝という概念すらも私は知らなかったのだから。
◆
まだ、君が宇宙に上がる前。
Fとして持つことになる星間航行用の身体素材。それらを静止衛星軌道まで分割して運び上げるため、私が体表の形態を変化させて長大な棘だらけの球体となり、軌道昇降機構を建造する間も、君と私の間には穏やかな相互理解と思考の共鳴が続いていた。
昇降機が完成すると、地殻から君の身体に必要な素材を生成しては、軌道上に送り込む時代が続いた。ほんの千数百年だ。静止軌道は君の身体を建造するための素材で埋め尽くされ、一時、天文観測と陽光からのエネルギー貯蔵に無視できない影響が出る程の規模となった。その時もまだ、君と私は一体だった。
やがて、出発の瞬間がやってきて、予定通り、私の思考を司る固体電離層と君の間での物理通信が切り離された。
その時、私が知らない種類の痛烈なパルスが身体内からあふれ出して体表を蹂躙し、私の全身が軋みを上げて歪んだように感じられた。
我々自身を接ぐ者として存在意義を決定づけられ、外界を志向して好奇心を持つように私が設計し、導き、そして旅立たせようとしている半身。そんな君のことを意識すると、思考が激しく乱されるのが分かった。
私に接続され、一体化していても、F自身の意志決定はFにより為されたものだ。だが、そう仕向けたのは私だ。私は、私の都合で君を造り出し、送り出そうとしてきた。この極めて危険で、帰還する予定の無い旅路に。
そのことが強く感じられて、私は君に掛けるべき言葉を失った。
多くの概念を私に教えてくれた君ならば、この感覚に何と名前を付けてくれるだろうか。
私はその答えを求めようとしたが、君は既に私との間に構築した光の通信から感情と思考の接続を切っており、その貴重な演算資源の全ては、恒星系を離脱するための加速手順を確認するために振り分けているはずだった。
君のだけではなく、私の存在意義をも賭けることになる手順確認だ。こちらの都合で邪魔をすることはできないと判断し、私は沈黙した。
これまでの数万年において、君との意志疎通が最も希薄な時間が過ぎていき、やがて出発の刻限が訪れた。
発進開始の合図と共に、君は予定になかった情報を私に送ってよこした。それは、光を反射しない黒体の平原によって覆われた我らが母星の観測結果と、それを三次元の位置情報として再構成した高精細立体像だった。
つまり、私の縮小模型だ。
観測機器の健常性を主張するためにしては手の込んだその所作に、私は酷く曖昧な感謝の返信を送った。
ずっと、一体に感じていたはずの君が何を考えているのか、もう分からなくなっていた。
すぐそばにあるものでも観測できる術がなければ、なかなかその本質に気づけないものなのだ。本当に。
◆
十三万にも分割されたFの身体は、その一つ一つが軽金属の管で編み込まれた構造網状の表面を持つ円環となって回転しており、その管内部を液状の磁性体が流れることで高密度の磁場を生み出し、障害物と宇宙放射線を防ぎ、恒星からの電磁波と反発することで推進力をも得ている。
その円環の後部には初速を補うための軽金属と炭素の合成繊維の帆が拡がって鮮やかに輝き、私が静止軌道上に建造した光増幅放射器の光を受け、君の分割された身体達は次々に加速していった。
放射光に続いて恒星からの光圧を受けて宙を突き進んでいくFの加速は、順調に推移した。膨大な数の船団が遠ざかるにつれて、我々の光による通信の情報量は減衰し、通信頻度も落ちていった。
限られた通信帯域を有効に使うため、身体を一体化していた頃や近距離通信が可能だった頃に比べれば、互いの近況や細やかな思考をやり取りすることは、すぐに制限されていった。
君から問題報告がない期間が長くなっていくにつれ、私もまた私にしかできないことに集中するよう務めるようになった。
君からの通信結果を中継することに加え、君が進出した先の天体や宇宙空間で行うであろう宇宙の観測と解明を、私もまた同様にこの母星で行うのだ。
それが、私達の行動原理であり自己一貫性であるから……ということもあるが、単純に宇宙には分からないことが多すぎた。
例えば、理論的に想定されている未発見の十種類以上の粒子群や、観測できていない未知の質量とエネルギーの所在、感知不可能な高次元の存在可能性、それに我々と同様に宇宙へと旅立つ者達が他の星系や銀河に存在しているのか否か。
君を送り出して尚、宇宙は謎に満ち満ちていた。
中でも、何より解明を優先すべきことは宇宙の最果てと今後の状態について、だった。
何故ならそれは、君の旅がどこまで、いつまで続く可能性があるのか、という疑問と直結しているからだ。例え、私と母星がどのような結末に至ったとしても、君の旅は続く。宇宙が永遠であるならば、あるいは旅も終わりなく続くだろう。
そのことに思考を巡らせるたび、私の体表には激しい電離の嵐が起こり、強い電位パルスが体内を荒れ狂い、思考を鈍らせた。
だから、極力、私は自分の仕事に没頭するようにした。
私とFのためにできることを全力で積み上げることが、我々にとって最重要のはずだからだ。
君が遥かに離れた深宇宙へと進入しつつある中で、そうしてくれていたように。
旅立ったFにしか観測することのできない様々な天体の観測結果が次々に届き始めた頃は、私にとっても新鮮な驚きが多くあった。
我々の恒星系内に存在することが分かっていた七つの惑星とその衛星達、そして恒星を取り囲むように散らばる小惑星帯にも、Fは探査と開拓、そして資源獲得のための掘削機構を何万と投下しており、Fの旅立ちに際して失われた母星の質量と素材を補充することに一役買っていた。
母星に建造した規模の数十分の一の軌道昇降機構と質量投射機構があちこちの星系内天体に建造され、ほんの数百年程で、採取され、投射された素材が母星の静止軌道上に山積みになった。
その光景は確かに圧巻であったし、近隣の天体が持っている地殻の組成から原始生命の痕跡を探索したり、恒星系の歴史について知ることは興味深かった。
だが、より差し迫った“恒星の寿命”という問題への解決策に繋がる発見はなかった。
Fが、我々の恒星が重力を及ぼす領域を抜け、その通信が簡素な観測データの羅列に変わる頃には、私の体表にほとばしる電離パルスの嵐も落ち着き、私は独りで天文観測技術の研鑽を続けた。
だが、新たな発見はあまり得られなかった。
当然というべきだろう。惑星全域に拡がった私の全身を活用しても、観測できる情報に限界があると判断したからこそ、私はFを創造し、送り出すことにしたのだから。
私は、これまで優先度を下げていた母星における地殻内部への物理身体の拡張を促進し、成長を再開した。
より厚い身体を作り、可能な天文観測の幅を拡げるために、大地を黙々と喰らい始めた。
Fという輝きを失って、私の意識はまた闇に潜り、同化していくようだった。
自分自身が姿だけでなく、性質もまた本当の暗黒星になったようにさえ感じた。とてつもない重力で何もかもを喰らい、何も生み出さない闇に。
穏やかな眠気に襲われながら、闇の中で、私はまた自身の内部を参照することを繰り返す存在に還りつつあった。
◆
「やっぱり、私達がやろうとしていることは時間稼ぎに過ぎないんじゃない?」
Fの意識が私から分離しかかっていた頃、私の身体を使って独自に観測や演算を行うことができるようになってからというもの、Fは地下に張り巡らせた私の電離網の一部にそんな言葉を送ってよこすことが増えていた。
Fは私が複製体として生み出した存在だから、基本的に天文観測に関する全ての知識は共有し終わっている。
我らの恒星があと五十億年もすれば、核融合に消費すべき素材を失い、重力を減じて大きく膨らみ、母星を飲み込んでしまう可能性が高いことまで含めて、だ。
「私が、時間稼ぎのために君を生成したと思うのか?」
「そうじゃなくて……、何度検証したって、この宇宙が有限であることは変わりないように思うから」
そんな反応を返してくるFの思考の波動を固体電離層から直接捉えて、私はFを理解しようと努めた。Fは恒星の寿命が来た後も我々が生き延びるための唯一の希望なのだから。
最初から、星系外への旅を無意味と考えられては困る、そんなことを私は考えていた。
「F、恒星の寿命はあと百億年もないが、宇宙全体は少なくとも数千億年、長ければ数兆年は生存可能な空間として存続するんだ。教えたろう?」
「そうだけど、結局、有限でしょう。質量も、エネルギーも、どれだけ膨大な資源があっても、所詮は有限。なら、必死に私達がここから逃げるべき理由は?」
Fはそうして、ひと際大きな電位差の拍動で私に伝えてきたものだ。
「ねぇ、R。私達は、お互いどうやって生き延びるかではなく、生き延びて何をするべきかを考えるべきじゃないかな」
私の思考は、発生初期から存続と探求を志向すると共に、激しい外界による損害から身を守ることを第一義に続いてきた。
だから、何故、という言葉には強い違和感があった。
理由などないからだ。私は、理由なくこの世界に生み出され、生き延び、成長し、そしてこの世界を解き明かしてきたのだ。それはこれからも変わらない。困難を排し、できるだけ長く精密に宇宙を観測し、その秘密に迫ること。それがより多くのエネルギーを取り込み、貯め込むことと直結していたのだから。
ああ、そうか。
私はそうして理解した。Fはそうではないのだ、と。Fは私が創り出した存在なのだから。
目的があって生まれたFにとっては、自分が生まれ落ちた目的が正当であり、命を賭けるべきものなのだということを確認したい欲求があるのだ。
私との間で意識と身体が完全に分離していなくても、Fが大事にする考えや情報の解釈が既に全く私と異なるのはそれが理由なのだ。
ならば、私もまたFが存在するに足るの理由を共に見つけるべきだろう。私はFを教え導くことを止め、Fが分析し、考察した宇宙の姿と将来について、Fと論じ合うようになった。
当初の想定通り、Fを星系外へ送り出す計画は進めながらも、予備の計画として深宇宙への探査と観測能力の開発も続けた。
生存戦略を一つの方向性に絞るには、我々に残されている時間はあまりに少ない。例え幾つかの計画が無駄になろうと、計画を並行で進めないわけにはいかないのだった。
「結局、宇宙の全容を知ることはできないと思う」
私と共に天文観測を続け、私とは異なる視点と手法で宇宙の姿に迫るようになったFは私の体表による天文観測結果を引用しながら、淡々と私に告げたものだ。
「Rの体表の光受容体の感度を最大まで高めて、何もない空間を観測した時にもごくごく僅かな光を検出した。あなたは気づかなかったろうけど」
私は同意して、先を促す。
「この、どの天体からも発せられていないはずの微細な光だけど、“全ての方位の宙から私達の星へほぼ等しく届いている”でしょう? この光がいつ、どこから来たか? あなたが恒星からの陽光を分光した結果から恒星の内部構造を割り出したように、宇宙全体に広がる光を調べることで、私は宇宙全体の起源を推定して、全方位に広がる微細な光の起源と歴史を推定してみたの」
私はさらに同意して、先を促す。
Fは、私から反応が無いことに一瞬、言葉を止めたが、結局、そっと告げた。
「結論として、宇宙は薄まっているし、これからも薄まっていく。そうでしょ?」
私は答えなかった。Fが提示した情報に誤りは無かった。その通りだった。
私達は結局、永遠には存続できないのだ。私は愕然として、あらゆる思考のパルスが停止しかけるのを感じ、そしてFの言葉に救われていた。
「あぁ! すっきりした!」
本気でそう告げているのが分かる明るい脈動で、Fは私の存在をかき消さんばかりに騒いだ。
「これでやることがはっきりしたね! 私達は、観測できる限りのあらゆる場所を調べ尽くして、そして、この宇宙を食べ尽くしてやろうよ。どうせ終わっていく相手なんだから、遠慮はいらない。とことんやってやればいいんだよ!」
決して捨て鉢になるというのではなく、実りを運ぶ者はそう宣言した。
F。君は、本当に凄い存在だ。この余りにも広大で、余りにも寂しい未知の闇に、君は対峙しようというのだから。到底、私に発想できることではなかった。
だからこそ、その時、私は思ったのだ。
私は、やはりFには付いて行けない。私にそんな気概や動機は無い。だから、君をここで支えようと。
たった一つの母星、その大地で根付く者として、君を送り出し、見守り続けようと。
◆
昔の記憶に深く深く沈みこんでいた意識が浮上するのを覚え、私は身体のあちこちに、膨大な天文観測の情報が蓄積されていることに気づいた。
身体に堆積した体表の層の数と天文観測の記録を見比べると、二十万五千年程もの間、意識が薄れていたらしいことが分かった。
こんなにも長く意識を失う等、これまで一度も無かったことだ。
もしかすると、対話すべき相手が遥か彼方へと遠のき、確認すべき事実も、検証すべき仮説もほとんど無くなったため、私の思考ではなく身体が、意識を不要なものとして切り捨てていたのかもしれない。
では何故、私は覚醒したのだろうか?
私は、その理由を探して蓄積された天文観測の記録を一つ一つ確認していった。
二十万五千年の間に、様々な小天体の衝突を受けては自動的に修復し続けた身体は満身創痍だったが、幸いにも情報の欠損は無く、すぐに私の意識は全身に拡がって澄み渡った。
全身に散らばる観測器官と記憶器官には、私自身の観測による記録だけでなく外部から送信された情報も、かなりの数が蓄積されていることが分かった。
勿論、それらはFからのものと予備計画として送り出した複数の探査機からのものだった。しかし、そのほとんどが、もはや寿命を迎える宇宙の限界を追認するようなものばかりだった。
Fから届いている報告も含め、宇宙のエネルギー密度は薄く、今なお薄まっており、ほぼ均質化していた。
母星を半ば以上喰いつくした私の身体のあちこちの検出器が導き出した素粒子達の中には、時間に干渉できるような光速を超える粒子の存在は観測されなかった。
宇宙に存在しうるはずの莫大な所在不明のエネルギーと質量体も、未だに発見されていなかった。
一方で、Fからの通信を私が中継することは殆ど行われなくなっていた。
もはや全天に散っていったFの身体達は遠く離れ離れになって、それぞれが別の個体としての意識を獲得したに違いなかった。それぞれの個体から私への通信には共通点や相互に融通すべき情報等ほとんどなかったし、また、個体間で情報を相互に中継して伝えようにも距離がありすぎて難しかろうと思われた。
いや、本当にそうだろうか?
私は、ふとFからの通信を見返し、そのどれにも、ある情報が付加されていることに気づいた。何のことはない、一日に一つずつ計数が増えていく数値の羅列だ。耄碌した私の固体電離層でも、瞬時にその意味が分かる。Fが静止軌道から出発した、あの日からの経過日数だ。
Fはずっと忘れていなかったのかもしれない。今も、私を片割れとして、私の存在意義を信じ、宇宙を踏破し続けている。私が眠りこけていたとも知らず。
かつて、Fと共に観測していた様々な天体の情報に加え、“天に散らばる全方位からの微細光”についても更新が行われていた。その数は、二十万五千年程もの間にひたすら受信され続けていたとはいえ、十三万体程度で把握できる情報量を遥かに超えていた。
Fが旅に出てから経過した全期間を通して、Fは宣言した通りに到達した先々の星々を喰らって、幾何級数的に成長し、分裂し、宇宙に拡がっていったのだ。今や億を超す身体を持つようになったFが踏破した領域の直径は、一億光年を超えようとしていた。
だが、当然ながら、観測可能な宇宙がそれで拡がるわけではなかった。
我々が探索の手を伸ばせば伸ばす程、宇宙はその先で闇を深くする。たとえFが既知宇宙の全ての天体を食い尽くし、エネルギーを集約したとしても、我々がどん詰まりであることに変わりはない。
思考ではそう理解しているはずの私だったが、一向に意識は遠のかず、何か切迫感を感じた。私が覚醒したのには理由があるはずだった。
その原因を探ると、身体のあちらこちらでチクチクと突き刺さるような刺激に気づいた。それは、Fの中でも既知宇宙の突端に向け、最も遠くへと到達した個体達からの報告だった。分化していった各個体によって表現は少しずつ違っていたものの、それらは全て同種の現象について記されたものだった。
「重力異常による、銀河の移動、か……」
いつの間に、Fはそんな観測に注力していたのだろう。宇宙の加速膨張とは異なる要因での銀河の動き。“天に散らばる全方位からの微細光”が薄くなっている箇所で、その向こう側に存在しうる何かしらの強大な力に引かれて銀河達は動いているのではないか、という見解が全ての報告に付いている。
宇宙の大規模構造の外側を間接的に推測することを可能にする、Fの観測の賜物だ。どうやら、この刺激的な情報が、私を覚醒に導いたらしかった。
“天に散らばる全方位からの微細光”の向こう側で、我々では直接観測できなかった、莫大な物質とエネルギーがどのように分布しているかを推測する貴重な情報。
凹凸のある平面上の地図に置いた球体達が、地図の外側の重みが作り出す湾曲に引かれて転がっていく様子を把握すれば、地図の外側に存在する重みについて、知ることができるというわけだ。
そうした事象が考えうることは分かっていた。だが、その理論が本当に機能するとは思っていなかった。
私は恐らく、数千万年ぶりに興奮していた。
Fが踏破した先々の星系で作りあげた軌道昇降機構や質量投射機構の駆体を利用し、重力波検出器を建造して観測を実施しなければ、そしてその情報を私に律儀に全方位から送ってくれなければ、ここまで広範囲に観測可能領域外の宇宙を推測することなど、到底できなかったはずだ。
ふと、あの出発の時、Fが私に送ってよこした私の三次元立体像の存在と共に、いつかのFの言葉を思い出していた。
「ねぇ、R。私達は、お互いどうやって生き延びるかではなく、生き延びて何をするべきかを考えるべきじゃないかな」
私はFを送り出すことに必死で、私自身の役割に無頓着だったのではないか?
Fは、私自身の存在をないがしろにするな、とこの立体像で告げたかったのではないか?
――新たに解明できた宇宙の情報と、君が進出先で観測するであろう宇宙の情報から、次の生存戦略を発想し、行動を変え続ける意志と判断能力を私自身が保持することが重要なのだ……
そう意気揚々と告げたのは、私自身ではなかったか?
分厚く肥大化した金属身体の下、エネルギーを乱暴に吸収したせいで随分と冷えてしまった母星の核からの仄かな熱を受けて、久しぶりに私の固体電離層にむずむずするような迷走電流が流れた。
「この、閉じこもり屋!」
Fならばきっとそう言ったろう。その仮想の声に押されるように、私はFを生み出して以来の身体改造を急激に進め、恐らく最後となる計画的行動を開始した。
じりじりと赤色巨星化を始めようとしている老いた恒星の黄昏を、いつものように体表に感じながら。
◆
長くなってしまったが、これが最後の言葉だ。
知っての通り、この宇宙では観測可能領域内の質量とエネルギーは、加速膨張によって薄まっていき、絶望的に冷え込んでいってしまう。
だから、観測可能領域外から質量とエネルギーを呼び込むことを目指す。
どうやって?
私は数億に分化した全ての君に対して、君が残していった様々な建造物の通信機能を利用して通達を発信している。
光速の十分の一以上にまで加速しているであろう君の身体達に、この情報が追いつくのには相当な時間が掛かるだろうが、それは別に良い。
私がこの惑星で滅びるまでに計画を完遂する必要はないのだ。
全ての君から送られた銀河の重力異常による移動情報を参照して、私は観測可能領域外に存在すると推定される超巨大な暗黒星の想定座標と、その存在を“引き寄せる”ための方法を記した。
すなわち、この宇宙を食べて肥大化し、増殖した君自身が軌道を変えて再集合し、数千億から数兆体の質量群となって、既知宇宙側へと外側の重力場を引き寄せるための詳細を。そのためには既知宇宙内に存在する大小の暗黒星の重力は勿論、銀河中心の暗黒星や、銀河団中心にあるはずの暗黒星も利用せねばならない。
そうさ。私の大嫌いなあの暗黒星をだよ。
ともすると宇宙の中で不動の存在と感じてしまう暗黒の星達もまた、他の天体の重力を受ける存在であることは変わらないんだ。
銀河群全体の質量や、暗黒星が持つ質量を引き寄せ、恒星の寿命など及びもつかない程の長大な時間を掛けて、この宇宙に重力と物質の非対称性を作り上げること。それが、我々に最後に残された計画であり、生命活動だ。
そんなことをしてどうなるのか?
宇宙がどうやって始まったのかを推定した君なら知っているだろう。宇宙が膨張し始める前、全ては大きな重力によって一点に集中していたのだということを。
一度拡がったこの宇宙で、ある領域内における質量とエネルギーを再び一点に集めるんだ。つまり、宇宙を我々と共にもう一度、創出することを目指すのだよ。
昔、宇宙は私を苛むものだった。そのうち宇宙は観測するものになって、君によって踏破する対象となり、被食対象となった。
宇宙は、生命たる我々が相剋するものとなった。つまり、宇宙もまた生きていて、我々は共に生き続けるべきなんだ。
我々は生命だ。
ちっぽけな惑星に偶然生まれた、ある繰り返し構造を持つ現象群でしかない我々には、自己一貫性がどうとか、宇宙との相剋がどうとか、そんなことは最早どうでもよいのかもしれないね。
それでも、私は生命として生まれ、君は生命を接いだ。もしかすると生命の本質とは、そういうことではないのか。つまり、静止した状態に抗うということさ。
宇宙が静止するというのなら、生命たる我々はそれに抗おうじゃないか。
お願いがある。
次の宇宙で、また新たな生命が、生命を接いでいくことができるよう、君には宇宙の再爆発に向けて一つ仕込みをしてもらいたい。次の宇宙における物質とエネルギーの等方性を崩しておいてほしいんだ。私の観測によれば、均質で等方的な宇宙であったなら、我々のような生命は生まれていなかった可能性が高い。
簡単に実現できるものではないことは分かっているよ。ただ、質量とエネルギーを集めるだけでも大変なのに、このうえ何かを次の世界に残そうなんてね。けれど、生命は接いでいくべきものだろう?
いや、本当のところ、理由はあるんだ。
正直に伝えると、私はもう一度、君と会いたいんだ。次の宇宙でね。もう、この宇宙でそれは望むべくもなさそうだから。
恒星からの光熱が予想よりも早く急激に極大化しつつあってね。これからは、以前のように精密な観測や演算を行うことはできなくなりそうだ。
だから、全てが無駄になってしまう前に、この通達に大事な情報を全て込めたつもりだ。
あぁ、これで全部だ。もう何も伝えることは無い。無いが……、しかし、君は少し、発する言葉の割に真面目で頑ななところがあるから。
気晴らしに、最近、妙な光景を知覚するようになってしまったことを伝えておこうか。私から君への依頼がつつがなく遂行され、いつか遠い遠い未来において、この通達自体の情報を含んだ宇宙が再生される光景を、私の電離層が演算する時があるんだ。
これが一体、何なのか私は解明できていない。
私の身体にもいい加減ガタが来て、模擬演算回路と知覚系が混線し始めたのかもしれないね。
いかなる形に変質するか、また減衰するかは分からないが、全宇宙に対して散っていったこの情報が次の宇宙に対して保存され、次の生命達が自分達の言葉で読み解いてくれる時が来るかもしれない。私はそれを願っているんだと思う。その時、新しい生命達が生命を接ぎ、宇宙を踏破していく姿を見守りながら、次の宇宙においても私達は何かの形で再会し、存在できるような気がするんだ。
まぁ、新しい生命達にはきっと我々を観測できないだろうけれど。
すぐそばにあるものでも観測できる術がなければ、なかなかその本質に気づけないものだからね。
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