記憶のビオトープ

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梗 概

記憶のビオトープ

 植物が編み出す情報ネットワーク『プラント・ワイド・ウェブ』が社会インフラの基幹を担う未来。公営の植物園で働く植物翻訳士の峰田カオリは現地踏査から戻ると同僚から訪問者がきていると聞かされる。
 ロビーで応接すると、従兄のミツキがそこに居た。祖父の葬式以来の再会で数年ぶりのことだ。訪問の理由を質問すると、ミツキは頼み込む。

「カオリちゃん、植物の声が聞けるんでしょ。おじいちゃんの言葉を植物から聞いてほしいんだ」

 ミツキのそばには、祖父が管理していたビオトープから持ってきたハンノキの挿木の鉢植えがあった。

 植物翻訳士は、植物の持つ知性、特に記憶に関する情報を抽出する技能職の一つだ。指先に装着した機器を通じて植物や土壌に触れると、化学物質の構成とスペクトルが解析され、特有の波形に変換される。その波形を人間の語彙と文法に当て嵌める──その行為を植物翻訳と定義している。得られる情報は多様で、カオリの勤務する施設では地域の植物ネットワークの特性を把握し開発の持続可能性を検討するために活用している。
 カオリがこの職業に就いたのは本意でなかった。大学で『植物情報技術PIT』を専攻し、農林水産業や建設業のコンサルタントを志望していたが、二一〇〇年代のPIT技師は人気の職種で希望する会社や機関に受け口はなく、卒業間近でやっと公営の植物園に採用された。関連する業界とはいえ、日々の業務は単調で、カオリは次第に情熱を失っていった。技術が目的化され、人間がそれに使役されているような猜疑心も芽生えていた。

 その背景もあって、ミツキの依頼には気乗りしなかった。確かにカオリの原点は祖父にあった。幼少期にビオトープの立ち上げに関わり、その経験がPITへの興味を喚起した。けれども、やはりためらいがあった。 
 しかしミツキが差し出した祖父の遺書の最後の一文を読むと考えが変わった。

『これより後はビオトープの植物に聞いてみなさい。じいちゃんの願いと、世界の関わり方に関することだ』

 遺書の全容を知るため、カオリは故郷を訪れることを決意する。挿木や鉢の土から得られる情報は断片的で完全には理解できなかったため、直接ビオトープに行くのが一番だと考えた。 故郷のビオトープで一本一本の樹木に触れると、祖父の思い出や遺志が植物に記憶されていた。中にはカオリの帰郷を待ちわびていたような個体もあった。
 結局、植物から聞き出せたのは思い出話とビオトープの管理法や事務仕事の進め方だった。拍子抜けだとミツキと笑い合った。けれどもミツキは指摘する、遺書にも書けることなのに敢えて植物の記憶機能に授けたのはカオリが唯一の後継者だからと。
 この経験を通じてカオリは植物が持つ実用的な情報以外の「言葉」を知った。この対話の過程こそが世界と関わることだと祖父は伝えたかったのかもしれない。カオリは実感した。そのために技術はあるのだと。

文字数:1198

内容に関するアピール

 自分が思うSF観は「ズレを感じる」ことだと思います。ズレとは自分と事物(=他者)とのズレです。世界的・宇宙的な規模の巨大な乖離だとしても個々人の認識や解釈などの微小な差異だとしても、現象としてのズレがまずそこにあって、それに相対する登場人物がどのように受け止めてどのように生きるのか、そういったものをフィクションとしてあけすけに語ってくれるのがSFの醍醐味だと思います。
 本作は植物生理学のトピックを下地に、技術を扱う主人公が技術に対して懐疑的になる描写を梗概に盛り込みましたが、疑念という距離感もズレの一種かと自分はそう思います。梗概を書いている時点でも物語に振り回されている感がありますが、なんとか形になるように頑張ります。
 これから一年間よろしくお願いします。

文字数:334

課題提出者一覧