梗 概
秋の公園の罠
深見スグルは三十代の独身一人暮らし。仕事で大失敗して落ち込み「この世から消えてしまいたい」と思い悩みながらあてもなく歩く。
気がつくと公園に来ている。遊歩道やランニングコースがある大きな公園だ。気分転換によく来る公園だから思い悩みながらも無意識に足が動いたようだ。
五月の日曜日で公園の中央広場では多くの人たちが余暇を楽しんでいる。スグルだけが異分子みたいだ。そんな人々の中で、絵を描いている男の姿がスグルの目に入る。春なのに真冬のような黒い服に黒い帽子、そして、サングラスをしている。その男を見てスグルは幼いころの記憶がよみがえり恐怖を感じる。子供の頃に見た悪夢の中に現れた男に似ている。
スグルは男に気づかれないように近づいて絵を見る。それは色鮮やかに紅葉している秋の公園の風景だった。今は春なのに、どうして? とスグルが不思議に思っていると、男はスグルの視線を感じたのか、ゆっくり振り返ってサングラスをはずしてスグルを見る。次の瞬間、男の両目が光る。その光を見たスグルは眩暈がして気を失ってしまう。
意識が戻ったスグルは夕暮れのベンチに横になっている。あたりを見回すと、さっきまでは春の公園だったのに、紅葉している秋の公園になっていた。
その日からスグルはこの秋の公園に捕らわれてしまう。どんなに歩いても出口が見つからない。携帯電話は繋がらない。何日が過ぎたのか分からない。昼と夜はくるけれど、その間隔は一定していない。スグルの時間感覚は崩壊した。
公園の周りを取り囲んでいる柵の向こうの道路を行き交う人や車は見える。でも、行き交う人にスグルの声は聞こえないようだ。スグルの姿も見えないようだ。おそらく、この公園そのものが見えないのだろう。スグルは柵によじ登り向こう側に飛び降りてみた。眩暈のような感覚がして、次の瞬間にはスグルは再び公園の中に立っている。
ここにはスグルの他に誰もいない。いつまでも、秋の紅葉が続いている。落葉樹は、いつまでも葉が尽きることなく落ち続けている。ここはあの男が描いていた絵の中なのか? とスグルは考える。「この世から消えてしまいたい」という思いを、あの男は叶えてくれたのか? 余計なことしやがって!とスグルは憤る。
スグルは、自分がこの公園に捕らわれていることを誰かに伝えたかった。そこで、無駄だと思いながらも自分の運転免許証を落ち葉の中に埋める。持っていたボールペンで「絵を描く黒帽子とサングラスの男に気をつけろ」と書いて。
数ヶ月後の八月、近所の住人が公園の落ち葉(真夏なのに何故か落ちている)の中からスグルの運転免許証を見つけて交番に届ける。 巡査は行方不明届を提出していたスグルの恋人の杉本アヤカに連絡する。アヤカは公園の中をくまなく探す。しかし、スグルは見つからない。アヤカは公園で怪しい黒ずくめの男に出会う。スグルのことを話すと、男は不気味に笑う。
文字数:1200
内容に関するアピール
現代の日本で普通に生活している普通の人が、ちょっとしたことがキッカケとなって、 不思議な異常な怖い体験をする、というストーリーも私の中ではSFです。 科学性がまったくないので異論はあると思いますが。 今回の梗概も科学的な説明は無しで不思議で不気味で面白い実作になるように仕上げたいと思います。 連続受講しているので今回で55本目の梗概です。まだ1本も選出されたものはありません。 何処ダメだったのかを過去に書いた梗概と向き合って考え直して、8期こそは選ばれるように頑張ります。
文字数:233
秋の公園の罠
深見スグルは彷徨い歩いていた。
そこは、色鮮やかに紅葉している木々に埋めつくされている公園だった。不思議なことに、その公園の中をどんなに歩き回っても出口が見つからない。何故、公園の出口が見つからないのか、スグルには全く分からなかった。かなり広い公園だけれど、スグルの他には誰もいない。公園の周りを取り囲んでいる柵は見える。柵の向こうの道路を行き交う人や車も見える。スグルは眼の前を通り過ぎる人に声をかけてみた。しかし、スグルの声は聞こえないようで人々は知らん顔して通り過ぎていく。スグルの姿も見えないようだ。まるでこの公園そのものが存在していないかのようだった。それでも、スグル自身は今この公園の中にいるのだから、公園の出入り口は必ずあるはずだ。ないなんて変だ。と自分に言い聞かせてスグルは柵ぞいに歩いてみた。けれど、求める公園の門は見つからない。見落としたのかもしれないと思って、スグルはもう一度、黄色く色づいている大きな銀杏の木をスタート地点の目印として、今度は歩数を数えて歩き始めた。柵の切れ目がないまま約五百歩でスタート地点に戻ってしまう。よし、それならばと、高さが三メートルぐらいの柵によじ登り向こう側の歩道に飛び降りてみた。足が歩道に着地した瞬間、眩暈のような感覚がして、気がつくとスグルは再び公園の中に立っている。携帯電話が繋がらないことは一番最初に確認している。数時間でバッテリー切れになり、時間を確認することができなくなった。公園内に時計は見当たらない。スグルはこの公園に捕らわれてから何日が過ぎたのか分からなかった。夜はくるけれど、その間隔は一定していない。スグルの時間感覚は崩壊した。不思議と空腹感に襲われることはなかった。
この公園は秋の紅葉が続いている。赤や黄色のサイケデリックな配色で彩られている。落葉樹は、いつまでも葉が尽きることなく落ち続けている。どうして、こんな状況に陥ってしまったのか、スグルは原因も理由も分からなかった。いや、原因は分かっている。あの黒い男のせいだ。この秋の公園に捕まった日のことは覚えている。その日のことをスグルは頭の中で再生した。もう何度も何度も何度も回想している。
五月のさわやかに晴れた日曜日の朝、スグルは憂鬱な気持ちで目覚めた。おとといの金曜日にスグルは仕事で取り返しのつかない失敗をしてしまった。客先に納品しなければいけない製品を、自分のミスにより納品できなかったのだ。納期トラブルを起こしたことにより、客先の担当者からは取引停止を言い渡され、上司からは叱責された。昨日の土曜日は、会社に提出する始末書と、客先に提出する謝罪文書の作成で、夜遅くまで休日出勤をしていた。帰宅してからの深夜に、恋人の杉本アヤカの声が聞きたくなり電話をしたけれど「早く寝てしまえ!」と冷たく言われてしまった。というわけで心も体もボロボロの最悪の状態でスグルは日曜日の朝を迎えた。今日は一日中寝ていたいと思ったけれど、なぜか朝の七時に目が覚めてしまい、二度寝しようとしても眼が冴えてしまって眠れない。窓から外を見ると見事なまでの五月晴れの青空が広がっている。奈落の底に落ちてしまった心を、元気を出せ! 外に出ればいいことがあるぞ! と励ますかような青空だ。落ち込んでいたけれど、スグルは素直な性格なので、青空に誘われるようにして一人暮らしのアパートのドアを開けて、あてもなく歩き始めた。時刻は午前九時ごろだった。
あてもなく歩き始めたスグルだったけれど、無意識のうちにいつも気分転換に散歩に来る公園に足は向いていた。遊歩道やランニングコースがあり、たくさんの樹木も植わっている大きな公園だ。
五月の日曜日で快晴ということもあり、まだ午前中なのに公園の中央広場では多くの人たちが余暇を楽しんでいる。誰もが幸せいっぱいの明るい笑顔を浮かべている。どん底に落ち込んでいるスグルは、こんな場違いなところにどうして来てしまったのだろう? 自分だけが幸せオーラの中に紛れ込んだ異分子みたいで、ますます落ち込んでしまう。もうこの世から消えてしまいたい! と心から後悔していた。そんな享楽にふける人々の中で、絵を描いている男の姿がスグルの眼に入った。春なのに真冬のような黒い服に黒い帽子、そして、サングラスをしている。この男も自分とは違った意味で、この場所には相応しくない異分子みたいだ、とスグルは思った。スグルは数分間その黒い男を見続ける。そうしているうちに、スグルの心の中に少しずつ恐怖心が滲みだしてきた。あそこで絵を描いている黒い男は、子供のころ見ていた悪夢の中にいた男にそっくりだ。無言で追いかけてきて最後には捕まって泣きながら目を覚ましていた、あの悪夢の中の男だ。スグルは成長するにつれて悪夢は見なくなり、黒い男のことは忘れていた。どうして今になって現れたんだ? スグルの心の中で警報が鳴り響いた。ここに居てはいけない! あの黒い男を見てはいけない! しかし、スグルの躰は固まり、そこから動くことができなかった。そのとき、スグルのジーンズの尻ポケットに入れていた携帯電話が振動し始めた。スグルは右手だけ固まりが解けたように動かすことができて、携帯電話を取り出した。恋人の杉本アヤカからだった。
「スグル、元気になった? 仕事のミスなんて忘れちゃいなよ。今日はいい天気だよ。部屋に引きこもってないで出てきなよ」
いつもの元気な明るいアヤカの声がスグルの脳を刺激した。しかし、躰は相変わらず動かせずに、黒い男から眼を離すことができない。
「スグル、聞いてるの? 寝てるの? 今からご飯食べにいこーよ」
スグルはなんとか声を絞り出した。
「アヤカ、前に話しただろ、あの、黒い男が、今、目の前にいる」
「え、どうしたの? 黒い男って? なに? あ、そういえば、前に言ってた」
黒い男はスグルに描いていた絵を見せる。黒い男とは十メートルくらいの距離があったけれど、その絵はよく見えた。そして、スグルは怪訝に思う。今は五月なのに、どうして、秋の絵なんだ?
「アヤカ、秋、秋の公園の絵だ」
黒い男はサングラスを外してスグルを見る。次の瞬間、男の両目が光る。その光を見たスグルは眩暈がして気を失ってしまう。
意識が戻ったスグルは夕暮れのベンチに横になっている。あたりを見回すと、さっきまでは春の公園だったのに、紅葉している秋の公園になっていた。
スグルは回想から現実世界に戻る。信じられない現実世界だ。この秋の公園に閉じ込められた原因は分かっている。あの黒い男のせいだ。でも、なぜ自分が此処に閉じ込められているのか、その理由は分からない。
あたりは黄昏時の色に染まっていた。沈みゆく太陽の黄色い光に照らされて、秋色に彩られた公園は、あの黒い男が描いていた絵のように美しかった。あの黒い男は、子供の頃に見た悪夢の中に何度も現れた男に似ていた。きっと、理由はそこにあるのだろうけれど、スグルには全く分からなかった。夜になり辺りは暗くなった。暗くなると自然に外灯に灯がともる。電気は供給されているようだ。もう何度も迎える夜だけれど、外灯の光に照らされた秋色の公園は、見飽きることのない異様な色合いの美しい光景だった。スグルはベンチに横になり眠った。ここはあの男が描いていた絵の中なのか? と思いながら。
《六か月前のこと》
「楽しかった秋の遠足」 三年一組 田村みゆき
まちにまった遠足の日は、朝から秋ばれで青空がひろがっていました。今年の秋の遠
足は山のぼりです。赤や黄色の山を見るのが、わたしはすごく楽しみでした。
行きのバスの中では、さとみちゃんとおやつのとっかえっこをしました。さとみちゃ
んは、新しく発売されたチョコレートを持ってきていました。わたしはそれと、わ
たしが持ってきた、これも新発売のクッキーと、こうかんしました。チョコレートは
とってもおいしかったです。
山のぼりが始まって、いちばん上にとうちゃくするまで、わたしはずっとさとみちゃ
んといっしょに歩きました。赤いもみじと黄色いイチョウのはっぱをたくさんひろいま
した。
一番高いところについたら、そこは公園になっていて、そこでさとみちゃんとい
っしょにおべんとうを食べました。とってもおいしかったです。
おべんとうを食べてからは、さとみちゃんといっしょに公園で遊びました。そこは
、すごく広い公園です。
いろんな色の葉っぱをたくさんひろったよ。おうちに帰ったら、おへやのかべにはり
たいと思います。とっても楽しい一日でした。こんな日がずっとつづいたらうれしいのに
なぁ、この公園にずっといたいなぁ、と思いました。
小学校教員の杉本アヤカはこの作文を持って田村みゆきの家に行った。
一週間前の遠足の思い出を、アヤカが担任を受け持つクラスの生徒たちに書かせた作文の中に、クラスには存在しない生徒の名前のこの作文は紛れていた。山本校長に報告すると「そうですか、ありましたか」と言って、田村みゆきの家の住所を教えてくれた。山本校長は事情を知っているようだけれど、アヤカには詳しいことを告げることなく「あまり気にしないように。毎年起きる自然現象だと思ってください」とだけ言った。
校長から教えてもらった住所に行ってみると、そこには庭に大きな銀杏の木がある立派な家が建っていた。インターホンを押して「××小学校の教師、杉本と申します」と言うと、返事はなく、数分後に五十代と思われる暗い影を宿している女性が玄関ドアを開けて出てきた。小学三年生の田村みゆきの母親にしては歳をとり過ぎているのではないか、とアヤカは訝った。しかし、訪問理由を告げると、「みゆきの母です。どうぞ、お入りください」とその女性は言った。
アヤカはリビングに通され待たされた。数分後、みゆきの母親と名乗る女性は紅茶とケーキを持って現れた。アヤカは紅茶とケーキに手をつける気にはなれずに、持ってきたみゆきの作文をテーブルに置いて「これは、みゆきちゃんが書いたものですか?」と女性に訊いた。女性は作文に手を触れることなく俯きながら「そうです。みゆきが書いたものです。みゆきの部屋を見てもらえすか?」と言って立ち上がり、アヤカの返事を待たずにリビングから出て行った。アヤカは慌てて立ち上がり女性の後を追ってリビングを出た。
秋の午後の、柔らかな陽射しに照らされた階段をあがる女性の背中を見ながら、アヤカも階段をあがって二階に行く。みゆきの部屋は階段を上がってすぐのところにあった。みゆきの母親はドアの前で立ち止まり、一度アヤカを振り返った。それからドアノブを握りドアを開いた。彼女は部屋に入ることなく、体を入り口から除けてアヤカに道を開けた。部屋の中は、カーテンが閉められて明かりもついていないので薄暗かった。明かりをつけてもらいたかったけれど、アヤカは何も言えずに薄暗い部屋の中に、一歩二歩と慎重に入っていった。
アヤカは足で何かを踏んだ感触がした。それと同時に乾いた音がした。足がすくんでアヤカは立ち止まった。みゆきの母親が背後に近づいてくる気配を感じて振り返ると、部屋の中に光が満ちた。母親が灯りのスイッチを入れたらしい。アヤカは部屋の中を見た。大量の落ち葉で覆われている床がアヤカの眼に入ってきた。壁を見ると、赤や黄色の紅葉した葉っぱで埋め尽くされている。
「みゆきがこの部屋からいなくなったのは、二十年前の秋の遠足の日からです。その日からこの部屋は、ずっと秋なんです」背後に立つ母親の声をアヤカは聞いた。
アヤカは学校に戻り山本校長に報告すると、校長は穏やかな声で話し始めた。
「二十年前の秋の遠足の日に、当時の三年生の一人の生徒が行方不明になりました」
「田村みゆきさんですね」
「そうです。警察をはじめ大勢の人たちで探したのですが見つけ出すことができなかったそうです」
二十年前の記憶をアヤカは探ってみた。まだ五歳だ。なにも記憶に引っかかることはなかった。
「これは、私が前任の校長から引き継いだときに聞いた話です。行方不明になった翌年の秋から、秋の遠足の作文を生徒に書かせると、どこかのクラスの作文の中に、田村みゆきの作文が紛れ込むようになったんです。この話を聞いたとき、私は信じられなかった。そんなことが起こるなんて。でも、本当に起きるんですね」
山本校長は今年の四月に赴任してきた。アヤカも新任の教師なのでお互いが初めての体験だった。作文が紛れ込むだけで、他には何も悪いことは起きないので、二十年間この現象は放置されてきた。確かに奇怪な不気味な現象で、最初の数年は騒ぎになったけれど、毎年起きる無害な自然現象として取り扱われていた。しかし、みゆきの母親はこの現象を無視することはできなかった。毎年、作文が紛れ込むのだから、娘のみゆきは何処かで生きているのではないか? という希望捨てきれずにいる。何とかしたい、と思いながらも、アヤカは自分では何もしてあげられない、という失望感を抱えて一人暮らしのワンルームマンションに帰る。
それから、月日は流れて翌年の五月になっていた。ある土曜日の夜、アヤカは恋人の深見スグルから電話がかかってくる。どうやら、仕事で大失敗をして落ち込んでいるようだ。その日は疲れていたアヤカは「そんな失敗、ぐっすり眠って忘れちゃいなよ、おやすみ」と適当に励ましの言葉を言って電話を切った。
翌日の日曜日、昨夜はちょっと冷たすぎたかな? スグルをもっと励ましてやるか、と思ってスグルの携帯番号に電話をする。その電話を最後にスグルとは連絡がつかなくなる。スグルもまた田村みゆきと同じように行方不明になってしまった。アヤカの耳にはしっかりと残っていた。最後の電話でスグルが言った「黒い男が、今、目の前にいる。秋の公園の絵を描いている」という言葉が。
さらに月日は流れて翌年の八月。夏休み中でも学校に出勤していたアヤカの携帯電話に警察から電話がかかってくる。アヤカはスグルの行方不明届を警察に提出していた。電話をかけてきたのは近くの交番の巡査で、アヤカに確認してもらいたいものがある、とのことだった。アヤカは仕事を適当なところで終わりにして交番へ向かった。午後四時、真夏の熱い陽射しが照り付けていた。
汗をかきながら交番につくと四十代と思われる制服警官がアヤカにある物を見せてこう言った。
「これは、あなたが行方不明届を出している深見スグルさんのもので間違いありませんか?」
それは、スグルの運転免許証だった。
「はい、まちがいありません。これ、どこにあったんですか?」
「この先に大きな公園があるでしょ。そこの植え込みの中に落ちていたんですよ。犬の散歩に通りかかった人が見つけましてね。あ、最初に見つけたのは犬のほうですけどね」つまらないジョークなのに制服警官は少し笑いながら言う。
「これも一緒にですか?」真剣な表情でアヤカは質問した。
スグルの免許証は一握りほどの色づいた銀杏とモミジの葉に包まれていた。
「そうなんですよ。こんな真夏に、何処から取って来たんでしょうね」まだかすかな笑みを浮かべている。
「どうして、公園なんかにあったんでしょうか? 調べてもらえるんですか?」
「事件性がありそうな気もしますね。行方不明届も提出されてるし。もちろん、調べます」笑みは消えたけれど、アヤカはこの制服警官の言うことは信じられなかった。アヤカの頭の中ではスグルの最後の言葉が繰り返されていた。黒い男、秋の公園の絵。
アヤカは交番から田村みゆきの家に急ぎ足で向かった。みゆきの母親に会って確認したいことがあった。夏の熱い西日を全身に浴びて、アヤカは汗だくになり息が切れた。十分ほどでみゆきの家に着きインターホンを鳴らす。
「××小学校の杉本です。お聞きしたいことがあるんです」
「お待ちください」
玄関ドアが開くなり、アヤカはその場でみゆきの母親に質問した。
「みゆきちゃんは、黒い男のことについて話していませんでしたか? 夢に出て来るとか、言ってませんでしたか?」
突然の質問に母親は戸惑っているようだった。それでも、思い出しながら、
「そういえば、男の人に追いかけられる怖い夢を何度も見る、ってみゆきは言っていました」と言った。
「やっぱり、みゆきちゃんも見ていたんですね」
「はい、あ、でも、怖いだけじゃなくて、そのおじさんは願いを叶えてくれる、とも言ってました」
「突然、すみませんでした。ありがとうございました」アヤカは礼を言って帰ろうとする。
「あの、みゆきのこと、何かわかったんですか? みゆきはまだ何処かで」
「いえ、それは分からないんです。でも、他にもいなくなった人がいて、もしかしたら、その人と一緒に」
「何処かで、みゆきは生きていいるんですね」
「すみません。まだ分からないんです」
そう言い残してアヤカはみゆきの母親を振り切るようにしてその場を後にした。スグルの免許証が見つかった公園に行ってみよう。他にも何か見つかるかもしない。沈みゆく夏の太陽を背に受けてアヤカは公園に向かった。
朝の眩しい光に照らされてスグルは眼を覚ました。寝ていたベンチから起き上がり伸びをする。何回目の朝を迎えたのかスグルには分からない。また一日が始まる。何処までも澄みきった青空と色鮮やかに彩られた秋の公園に、捕らわれの身となった退屈な一日だ。空腹感もなく渇きもない、出口を求めてひたすら歩きまわるだけの一日だ。あの黒い男はいったい何者なんだ。もう何度も考えているが答えは出ない。この公園を作り出して僕を閉じこめた張本人であることは間違いない。でも、なぜ僕をこの秋が続く公園に縛りつけるんだ。僕をここに閉じ込めることによって、あの男は何か得をするのか? スグルは考えすぎて意識が朦朧としてきていた。ただひたすら出口を求めて彷徨い歩く、それしかできなかった。そんな朦朧状態でも、ひとつの考えが頭に浮かんできた。この公園に捕まった日、仕事で大失敗した僕はどん底に落ち込んでいた。そして、もうこの世から消えてしまいたい、と本気で思っていた。もしかしたら、あの黒い男は、僕の消えてしまいたい、という思いを叶えたのか? この秋の公園に閉じ込めることによって。余計なことをしやがって! とスグルは憤った。
公園をめぐるスタート地点の大きな銀杏の木にスグルは戻ってきていた。太陽は早くも西の空に傾いている。朝起きてから、体感では五,六時間しか経っていないような気がする。体感も狂ってきているので、その時間感覚にはまったく自信がなかった。
スグルはなんとかして今の自分の現状を、恋人の杉本アヤカに伝えたかった。伝える方法をまだ見つけられない。そんな手段は無いのかもしれない。
アヤカとの最後の電話で「黒い男と秋の公園の絵」は伝えられたと思う。勘がよくて行動力のあるアヤカのことだから、その言葉から、二人でときどき散歩した公園と、アヤカに話したことがある、子供のころ見ていた悪夢の黒い男、を関連付けて、僕のことを探してくれているのではないか、とスグルは期待をしていた。しかし、見つけるのは難しいだろう。向こうの世界からこの公園は見えないようだから。それに、この公園の時間の流れは、向こうの世界とは違うようだ。自分がいなくなってから向こうの世界ではどれくらいの時間が過ぎているのだろう? まるで浦島太郎になったみたいだ。ここには乙姫はいないけど。沈みゆく太陽の光を浴びながらスグルは途方に暮れた。そして、ひとつの方法が頭に浮かんだ。
こんなことをしても、きっと無駄なんだろうなぁ、と思いながらスグルは自分のジーンズの尻ポケットに入れている定期券入れから運転免許証を取り出した。そして、いつも胸ポケットに入れて持ち歩いている、アヤカから誕生日プレゼントにもらったスグルの名前入れボールペンを右手に持って、免許証に「秋の公園。脱出できない。絵を描く黒い男に気をつけろ」と書いた。そして、スグルは大きな銀杏の木の根元まで歩いていき、黄色い銀杏の葉の中に免許証を埋めた。
夕暮れの茜色も弱くなり辺りは薄暗くなってきた。免許証がアヤカに届きますように、と願いながらスグルはベンチに横になり眠った。
夏の夕暮れ時の公園は昼間の暑さがほんの少し和らいでいた。少しでも涼を求めてなのか、散歩している人が何人かいる。アヤカはスグルの免許証が落ちていたという大きな銀杏の木を見上げていた。葉は濃い緑色で黄色くなる気配はまったく見えない。木の根元まで歩いて近づき、木の周囲を地面を見ながらぐるっと歩いてみる。黄色い葉は落ちていない。免許証を見つけた人が全部拾って交番に届けたのだろう。この銀杏の樹の下では、スグルに繋がる物は何も見つけられなかった。アヤカは銀杏の木を見上げる。夏の太陽が沈む前の夕暮れの黄色い光を浴びているけれど、葉は黄色には見えなかった。大きくため息をついて、近くにあるベンチまで歩いて座った。
スグルとの最後の電話で「秋の公園」とスグルが言っていたので、アヤカは何度もこの公園に来ていた。公園内を歩き回って、スグルに関係するものがないか探し回った。残念ながらそんなものは見つからなかった。スグルが行方不明になってからもう一年以上が過ぎている。何故、今になってスグルの免許証が出てきたんだろう? 最後の電話でスグルが言っていたもう一つのキーワード「黒い男」は、スグルに出会ったころに聞かされた話だった。「子供のころ見ていた怖い夢の中に現れる黒い男、大人になってからは夢に出てくることはなくなったけど、ときどきふと思い出して怖くなる時がある、夢の中ではなく目覚めているとき振り向いたらそこにいるんじゃないかと思って」とスグルは笑いながら話していたけれど真剣な目をしていた。その黒い男が現れてスグルを連れて行ってしまったのか? 二〇年前にいなくなったみゆきちゃんも黒い男に連れていかれたのか? みゆきちゃんが、いつまでもずっといたい、と作文に書いていた秋の公園に。そこまで考えたとき、アヤカの眼にキラッと反射する光がさした。沈みゆく太陽の最後の光が反射したようだ。座っているベンチから二,三メートル先の地面に何か落ちている。アヤカはそこまで歩いて行って、そこに落ちている物を拾った。それは、二年前のスグルの誕生日にプレゼントした名前入りのボールペンだった。
スグルは夢を見て目を覚ました。この秋の公園に来てから初めて見る夢だった。それは、少女の夢だった。正確に言うと少女のような子供の声だけが聞こえる夢だった。この公園のどこかに少女がいるのだろうか? この公園内はどこもかしこも歩き回っている。少女どころか虫一匹見つからない。それとも、何か変化が起きているのだろうか? スグルは今日も彷徨い歩く。昨日、銀杏の木の根元の葉の中に埋めた免許証は無くなっていた。いつも胸ポケットに刺しているアヤカからの誕生日プレゼントのボールペンもいつの間にかなくなっている。
突然、空から少女の声が聞こえてきた。
「わたしの名前は田村みゆき。小学三年生です。遠足の帰り道で、黒い服のおじさんに会ったら、公園にされちゃったんです」
「この公園そのものが、みゆきちゃんなの?」スグルは驚いて少女に訊いた。
「そうみたい。閉じ込めちゃって、ごめんさない」少女は泣き声になった。
「この秋の公園を作ったのは、あの黒い男だ。みゆきちゃんも、ここに閉じ込められてるんだよ。みゆきちゃんは悪くない」
スグルは少女を励ますように言った。
「わたしが、遠足で行った公園にずっといたいって思ったから、黒いおじさんが願いを叶えてくれたんだと思ってました」
やっぱりそうか。あの黒い男は、叶わなくてもいい人の願いを叶えてしまうお節介な奴なんだ、とスグルは思った。
「みゆきちゃん、自分の意志で、この公園の中のものを動かすことできる?」
「それは、分からない、やったことないから。あ、でも、この公園と、わたしの家のわたしの部屋を繋げました。それから、作文も学校に」
「それは、どういうこと?」
「わたしの部屋もずっと秋、紅葉した葉っぱと落ち葉でいっぱい。それと、頭の中で書いた作文を、学校に届きますようにって念じてるの。誰かに気づいてもらえるように」アヤカは小学校の教師だ。もしかしたらと思い、スグルは少女に何処の小学校に通っていたのか尋ねた。少女の答えはアヤカが務めている学校だった。アヤカが作文に気づいてくれますように、とスグルは心から祈った。
「ここから、みゆきちゃんの部屋に行くとはできないのかな?」
「どうすればいいのか分からない。わたしは秋の公園になって、ずっとここに居ることしかできない」少女はまた泣き始めた。
「泣かないで、みゆきちゃん。僕がみゆきちゃんの部屋への出口を探すから。何処かにきっとある。さいわい時間はたっぷりある。必ず見つけるよ」
免許証とボールペンがなくなっているのも、きっと、向こうの世界に届いたからだ。出口は必ずある。そう心に強く思いながらスグルは歩き続ける。みゆきと言葉を交わしながら、いつまでも続く秋の公園を彷徨い続ける。
「おまえも秋の公園に行きたいのか? それならば、連れて行ってやるぞ」
突然、背後から声をかけられてアヤカを驚いて振り向く。黒い男が立っていた。
「あなたは誰? スグルとみゆきちゃんを何処に連れて行ったの?」
「彼らの望むところへ」不気味に笑いながら黒い男は言う。
「二人とも望んでない!」アヤカは叫んだ。
黒い男は無言でアヤカに持っていた絵を見せる。大きな絵だ。写真のように精彩に描写されている。アヤカは男に近づきその絵を凝視する。そして、驚いた。
「これ、絵じゃない。写真でもない。動いている」
そこに描かれている公園の木々の葉は風に揺られてひらひらと舞い落ちていた。
「この中に二人を閉じ込めたの? あなたは何者? 人間じゃないの?」
アヤカは怯えながらも黒い男の眼を見て問い詰めた。
「二人は仲良くやっているようだ」
黒い男は不気味に笑い続けるだけだった。
了
文字数:10634