梗 概
感情ゴミの持続可能性
1. 2052年
債権回収人の悲歌沢愛流(27)は相棒のエリオ・ソウザ(27)とストレス発散のため首都高C1芝公園付近でポルシェ911を駆っていた。AI技術が普及しようと、「訳あり」相手は人間のやるべき心を削られる仕事だ。「訳あり」たちの振る舞いを見て嬉しいときもあれば、AIを使った詐術で裏切られてその反動を食らうこともある。
自分の感情も「訳あり」の感情も全部、使い捨てできれば楽になるのに。加速を続ける中、天村紗椰(21)の運転するランボルギーニと小競り合いになり、追突され、両車体は大破する。自身らも「訳あり」の2人は治療のため、紗椰がCEOを務めるSEM社の施設に搬送される。
SEM社は内閣府神威計画「人類の限界解放による新社会の実現」にも参画するバイオベンチャーだ。CFOの東園寺嵩季は政府筋とつながりが深く、事故は揉み消される。紗椰は治療中の2人に、開発中のEmo:tra《エモトラ》を当てる。非接触体温計と同じくらいのエモトラを通じて、2人の感情と意識は引き出され、粘膜に包まれた液体化して瓶詰めにされる。
紗椰はクローズドな会合でエモトラについて話す。「液体化した感情に、遠心分離や濾過と言った物理的操作を行えます」紗椰は重さ順に並んだ愛流の感情から、古くから残り重たく燻るものを取り去った。「結局は、心身二元論的に肉体と意識を完全に分離することはできません」、言葉どおり、紗椰とエリオは液体のまま動き回り、隙を見て逃げようとするが捕まり、元の肉体に戻される。
目覚めた愛流はスッキリした心持ちで女装し、取立てに向かう。女の名をつけられ育てられた愛流は、それまでは自己否定していた女装癖を肯定するようになった。ボスや取立て先には大いに困惑された。身体に染み付いていた悩みの感情は消え去り、自由を感じた。
お礼のため紗椰の望みを叶えようと思った愛流は、SEMを訪問し、自分に身に何が起こったかを知る。タバコを吸いに裏へ出ると、ゴミ捨て場にエリオと仲間たちがたむろして、エモトラから引き出され捨てられた感情ゴミを集めている。クオリアの違いにより見るものによって色を変える感情ゴミは面白いからフリマアプリで売って儲けるのだという。恐怖に触れると逃げたくなった。歓喜を舐めると気持ちよかった。
愛流は感情を捨てるという望みを叶えられると思い、紗椰を言いくるめてエモトラを自由に使うようになる。「訳あり」な債務者たちのトラウマや暗い感情をエモトラで取り除き、捨てまくる。感情ゴミには良い値がつくと知ると「金じゃなくて感情で返してもいいぞ」と言いよる。エモトラを中心に貧しい者の中で感情経済が回り始める。
感情は使い捨てに、感じられては誰かに売られ、捨てられる。喜びは生産され、売買される。液状の感情は水に流され捨てられ、東京の地下に溜まっていく。紗椰は「感情を使い棄てにする」という望みを叶えて満足げな愛流に興味を持ち、実験も兼ねて液体化した自分の一部を愛流に入れ、愛流の身体に同居するようになる。
紗椰は愛流に秘密を打ち明ける。無感情症の自分は、目的関数に無数の意思決定を難なくこなせるが、感情や感情を理解する想像力に欠け、物語が理解できないのだと。愛流は意識に同居する紗椰の中に「物語を理解したい」という小さな感情があるのを見出す。
『感情のマネジメント』や『精神の健康』を謳う企業群も導入をはじめ、東京の地下には棄てられた感情ゴミが蓄積する。エリオは母の作ったポン・デ・ケイジョ(ブラジル風もちもちパン)に『喜び』や『怒り』を混ぜて売り始める。感情を発酵させる菌は地下に流される。若者たちはライブハウスの壁に感情を塗りたぐり、ライブを楽しむ。感情のインクで書かれた小説が世界中で売り出され、ヒットする。
貧困地区のアパートで地下から這い出したネズミや虫が感情ゴミを食べ、感情産物を並べてオブジェを作っているのを見かける。一方、液体化した後、肉体に戻らず液状人として過ごす者も増え、社会は混乱した。液状化状態では、代謝が減り寿命は何百年にもなる。
闇経済を加速させるエモトラに、政府筋と関係の深いCFOの東園寺は危機感を覚え、紗椰から経営権を奪うことを決める。メディアを経由した感情と世論の密かな統制で、彼らは恩恵を得ていたからだ。抵抗する紗椰と愛流はエモトラにかけられ、試薬瓶に詰められて試薬庫の奥底に仕舞われる。
多量の感情を得て知性を高めた地下のネズミたちは、液化人たちと結託し、都市をめぐるダクトに入り暴れはじめる。六本木は歓喜にわななき、世田谷は悲しみにくれる。地下で発酵し肥大化した感情は止まない暴動を引き起こし、都市はその機能を失う。
2. 2652年
300年が経過する。液化した愛流の中には紗椰がいたから、暗い試薬庫の中でも孤独に苦しまずに済んだ。水没した東京で、鼠と融合した液化人が愛流を目覚めさせる。紗椰の方の瓶は失われていた。液化人たち独自の文明を進化させ、かつて感情ゴミと呼ばれた物を代謝し、建造物をつくっていた。エリオの子孫もそこにいた。
愛流はかつては誰かのものだった感情が構成する都市を動き回る。感情の並びは物語だ。水を吸って、身を肥大化させ、感情のあふれる都市を歩くと、紗椰は物語に触れて理解することができた。
紗椰が感情を理解するには、長い時間と適した身体が必要だったのだ。
文字数:2201
内容に関するアピール
- 意識のアップロードという話を聞くたびに、身体性に関して感じている違和感をSFガジェットを用いて表しました。
- 「感情の物性」が似たテーマの先行作品と意識していますが、違うアプローチをします。
- 紗椰と愛流が、身体にまつわる自己決定をする話です。
文字数:118