時計の国、二人のしのび

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梗 概

時計の国、二人のしのび

 【経過時間;短針の国では398日、長針の国では4778日】

この世界は時計だった。
 短針の国と長針の国がある。
 短針の国で一年が過ぎると、長針の国では十二年が過ぎている。
 互いの国は、短針の国の時間で398日、長針の国の時間で4778日に1日だけ重なり、その日だけ行き来が出来るようになる。

アガリは短針の国の忍者であった。
 アガリは自らの中に、粛々と任務を遂行することに何の疑問持たない心と、そのことに嫌気がさす2つの心があることがわかっていた。
 彼は自らを、分身の術により2つの人間に分け、一方のアガリは長針の国へ移り住み、カタギの仕事につき、もう一方のアガリは、短針の国で忍者をやり続けた。

398日(長針の国では4778日)後、短針の国のアガリは、長針の国へ移り住んだアガリの元へ会いにいく。
 彼の住居へ行くと、もう一人のアガリの姿はない。そしてある女性に泣きながら抱きつかれる。
 彼女の名はミナ、長針の国に行ったアガリの恋人だった女性だという。

長針の国のアガリは、移り住んですぐねじ工場を経営し、それは順調だった。
 ミナという恋人もできた。
 すべてが順風満帆に見えたが、6年前(短針の国時間では半年前)にアガリは突然消えた。
 ミナは短針の国のアガリにそう伝えた。

アガリは、消えたもうひとりの自分を探す。
 その間アガリは、ねじ工場の者たちが自分に熱い視線を送っていることに気づく。
 「このままこちらの国に残って、工場長となってください」とそんな声まで掛けられる。
 いなくなった優秀な経営者が若くなって現れた。彼らは、アガリを強く渇望していた。
 そんな言葉をさまざまな人間から投げかけられ、アガリは戸惑う。
 また、そんな中、アガリは何者かに命を狙われる。

彼の命を狙ったのは、かつて、自分と敵対し、何度も命のやりあいをした忍者ジナバだった。
 彼は長針の国に移り住んだが、アガリもまたこちらの国にいることに動揺した。
 彼は言う「だから6年前にアガリを消した」と。
 シナバは当然のごとくもう一人のアガリも殺そうとするが、アガリはそれを返り討ちにする。
 アガリはもう一人の自分はジナバに殺されたのだたと納得しかけるが、何か腑に落ちなかった。

アガリは短針の国へ帰ろうとする。
 泣きながら「ここに残って」と止めようとするミナ。
 アガリは言う。「俺を殺したのはお前だな」と。
 ミナは頷く。
 6年前、アガリは突然自分や工場を捨て、再び忍びに戻ると言い出した。
 ミナは怒り、アガリに毒を飲ませて殺した。
 「殺したあなたが若い姿でもう一度目の前に現れて、また、やり直せると思った」と泣き崩れるミナ。
 アガリは彼女を抱くことも殺すこともせず、短針の国に帰ろうとする。

 
 短針の国の境界でアガリを待っていたのは、死んだはずの自分だった。
 死んだはずのアガリは言った。
 互いの針が重なる日以外に、長針の国と短針の国が一直線上に並ぶとき、国同士を行き来する方法がある。
 6年前(短針の国では半年前)アガリはミナの毒を飲んで死んだと見せかけて、短針の国へと渡っていた。
 彼は長針の国での平穏な暮らしの中で、周りの人々が自分に依存してくることに耐えられなくなり、それを捨てようとしたのだった。
 このまま平穏を楽しめ、忍びは俺がやる。という少し年齢を重ねたアガリに、少し若いアガリはイラつく。
 少し年齢を重ねたアガリも、目の前にいる少し若いアガリのことが生理的に気に入らない。
 お互いは言う。「生き残った方が好きに生きればいい」と。
 こうして6歳差のアガリ同士は長針と短針の境界で斬り合った。

文字数:1480

内容に関するアピール

ベタですが、今回のお題を聞きまして時計が思い浮かびまして、それぞれの針に国があったらということを考えました。

互いの時間がズレながら、いっ時だけ同じ時間を過ごす。

さらに同一人物が別の時間を過ごすと、どういうことが起こるかなと考えました。

よろしくお願いいたします。

文字数:130

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白虎夜

今回の実作は、伊藤元晴さんの梗概を元に書きました。
https://school.genron.co.jp/works/sf/2018/students/1pagl1acc/2709/

※※※※※

「あら、イイ虎」と雌虎のティグリスは言った。
 彼女の目線の先にはホワイトタイガー。白くふわふわの毛並み。たくましい脚。ピンと立った尻尾。それは確かに客観的に見て美しい虎であった。
 そこは終電後の京王線新宿駅。酔っ払いたちがベンチや床にうっぷしている。
 ティグリスは、彼らの睡眠を貪ろうとしていた。そこにいたのがその美しいホワイトタイガーだ。その虎はひとりの酔っ払いの睡眠をむしゃむしゃと食べていた。
「こんばんは」とティグリスは声を掛けた。その虎はちらりとティグリスを見たが、そこから一歩も動かず睡眠をむしゃむしゃと食べ続けた。むっすりするティグリス。その白い虎はひどくお腹が空いているようであり、一心不乱に睡眠をかじり続けている。ひとしきり睡眠を食べたあとに虎は顔を上げた。
「すまない。何か言ったか?」
「こんばんは、って」
「そうか」
 それだけを言って虎はどこかに行こうとした。
「ちょっと待って」
「何か?」
「あなた虎でしょ」
「キリンには見えないと思うが?」
 ため息をつくティグリス。
「あなた睡眠を食べる虎でしょ」
「もしかして同胞か」
「やっと気がついた」
 その瞬間、白い虎に睡眠を食べられていた酔っ払いがむくりと起き上がった。目の前に二匹の虎がいることにおののき、叫びながら走り去る。
「少し夜風にあたるか」
 白い虎は言い、ティグリスはうなづいた。深夜の新宿、区役所通りを歩く二匹の虎。夜が深まった新宿は虎が並んで二匹歩いていようとも、ものともしない。道や店から狂った笑い声がひっきりなしに響いている。
「……実は死のうとしている」
 白い虎は言った。
「開口一番それ?ちょー引くわ」
 ティグリスは唇を尖らす。
「すまん。誰かに言いたかった。むしろそれ以外何も言いたくない」
「そんなこと言わずに、何か他の話をしてよ。『死にたい』だけじゃ話は盛り上がらないでしょ」
「盛り上げるつもりなどない」
「…………。じゃあ、せめて、なぜ死にたいか、そこから話してくれない?」
 ティグリスの言葉に白い虎は少し躊躇したが、間もなく観念したような表情になった。というより、最初から彼は彼女に話したかったのかもしれない。自分についてを。この夜に。
「それはな……」
 テールランプが二匹の虎の頬をかすめる。
「……そういえば、あなた名前は?」
「……」
「名前くらい名乗っても減らないでしょ」
「ハリマヲ……、ハリマヲだ」
 噛みしめるように言ったあと、ハリマヲは身の上話を再開した。ゆっくりと、重たい口ぶりで。

 とある女子校。2限の現代国語の時間。女生徒のひとりが前の席の生徒のひじをとんとんとシャープペンシルのおしりでついた。
「何?」
「あれ、虎じゃない?」
「は?」
「いや、みっくの背中」
 女生徒は見た。確かに、居眠りをしている胤井三久たねいみくの背中に大きな虎が乗っていた。女生徒はギョッとした。
「虎いるよね」
「うん」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 そこから、女生徒たちはこっそりとまわりの生徒に「あれ虎だよね?」と尋ねあった。
 3分後、教室の全生徒が三久の背中に虎が乗っているという事実を認識し「きゃあ」とパニックになった。
 構わず教科書を読み続ける現代国語の教師をさて置いて、生徒たちは教室の外に出て、戸から中を覗いた。
 すぅすぅと寝息をたてる三久のワイシャツの背中に、確かに虎が、白い虎が乗っている。
「虎」「とら」「虎」とスマホを向けて、写真を撮る彼女たち。
 教師が「じゃあ次の部分から胤井読んでくれ」と言い、「はいっ!!」と三久が起きた瞬間虎は消えた。
 「消えた?」「消えた!?」「消えた?!」と言い合う生徒たち。白い虎は影も形もない。
 生徒たちは、何だったんだろう?集団催眠ってヤツなの?そうなの?きっとそうだと首を傾げながら席についた。
 次の数学の授業で三久は再び寝息をたて始めた。そして白い虎が現れた。
 今度は教師もいっしょに驚いた。全生徒パニックになりながら、教室の外に出た。そして皆スマホで写真を撮り続け、♩てぃろん♩というシャッター音が鳴り続けていた。
 教師は急いで警察に通報した。
 校庭に数十台ものパトカーが到着し、警官が雪崩れこむ。ある警官は銃を向け、ある警官は捕獲器を向けた。ほとばしる緊張感。すぅすぅという三久の寝息。
 捕獲器から発射された網により白い虎は絡めとられた。混乱が轟々と渦巻く教室だったが、その中心にいる虎は、ここまで、剥製はくせいの虎のように一切微動だにしていない。
 三久が一言「おでんだいすき」と寝言を言うと同時に彼女の背中に乗った虎は連れていかれた。

 白い虎は実に大人しかった。
 運ばれる間も暴れることもなく、吠えることもなく、剥製の虎状態を続けた。白く揃った毛並みと大きな身体が雲を思わせた。
 檻に入れられた虎を見ながら大学教授は言った。
「この虎はその女生徒、胤井三久の身体から出たものです」
 虎を連行した警部補は「はぁ?」と言いたい気持ちを抑えて教授の二の句を待った。
 人間は眠るとき、体深部の温度は低下するが、それに対して身体の表面の温度は上がる。普通その上がる温度は微々たるものだが、三久の体表に発生した熱は凄まじいもので、約8000℃。太陽の表面と同じ温度である。そのままでは彼女は自らの発した熱で肌が焼けただれてしまうため、彼女の身体はその熱を圧縮させ塊とした。塊となった熱により空気中の水蒸気は励起され、一頭の虎を形どる。彼女はそのような体質なのだ。
 警部補が訝しげに「そのようなバカな話は聞いたことがありません」と言うが、教授はその口を差し止めて「あなたが無知なだけです」とそれなりに失礼なことを言い、話を続けた。
 このような体質を持った者は世界で数百人いる。
 ロシア東部の沿海州シホテアリン山脈に存在した少数民族にこの体質を持つものが多い。その民族では、睡眠中虎発現体質を持った者同士を狭い部屋に眠らせ、生じた虎同士を闘わせる『闘虎』の風習すらある。ちなみに『闘虎』に負けた者は鼻からウォッカを流し込まれ、苦しみにのたうちまわりながら起こされることになる。
 胤井三久。彼女の曽祖父の生まれは満州である。どうやら、その民族の遺伝子が彼女に伝わり、睡眠中虎発現体質が発現してしまったらしい。
「彼女は特別ではありません。いや、特別なのですが驚くべき特別なのではありません。というより人は誰しも何かしらの特別なのですから」
 大学教授はそう語った。
 そして、白い虎が消えた。
 お昼のチャイムとともに、三久が「おっひるー」とむっくり起き上がったからだ。

 三久が寝ると白い虎が出る。三久が起きると白い虎が消える。
 その事実を三久や三久のまわりの人々は認識した。
 また、その白い虎が実におとなしく無害な存在であるとわかると、まわりは三久に恐れおののくこともなく、ほがらかに接した。むしろ白い虎に興味津々となった。
 ある日、三久が生物の時間に居眠りした際に、隣の席の女生徒が虎に触れてみた。
 その毛並みはもふもふとしていて実に気持ちよかった。女生徒は思いきって虎の身体に顔を埋めて彼女も寝た。その瞬間白い虎はむしゃりと彼女の頭上を噛んだ。女生徒はぱちりと目を開いた。
 女生徒の身体は爽快そのもので、まるで数十時間寝たあとのようであった。
「あなた今何したの?」
 白い虎に話しかける。
「ああ、睡眠を食べた」
 白い虎は答えた。
「あなたしゃべれるの!?」
「いや、話しかけておいてそれはないだろう」
「塀の上歩いているノラ猫に『おはよう』って話しかけるノリよ。まさか本当にノラ猫から『おはようございます。今日もいい天気ですね』って返答が返ってくると思って話しかける奴はいないでしょ……ってあなたしゃべれるの」
「ああ」
「じゃあ改めて聞くよ。あなた今何をしたの?」
「あなたの睡眠を食べさせてもらった。我々虎は、人の睡眠を餌にしているのでね」
 睡眠によって生まれた虎は自分の身体を維持するために、餌を食べる必要がある。その餌こそ人が寝ている間に放出される熱だ。つまり睡眠によって生まれた虎は、人の睡眠によって生まれた熱を食べる。
「そうだったんだ。ありがとう。おかげで昨日夜遅くまで起きてたんだけど、めちゃくちゃすっきりしたよ」
「礼には及ばない。ただの捕食行為だ」
「ふーん。それはそうと、あなたの飼い主のみっくの睡眠も食べてあげたら」
 机にうっぷして、軽く教科書によだれをかけている三久。
「うーん、宿主の睡眠を食べようとすると、かじった瞬間に私は消えるのだよ。想像つかないか?」
「たしかに」
 白い虎がしゃべれること。そして人の睡眠を食べれることはあっという間に仲間うちで伝わった。
 そのうち白い虎には名前がついた。【ハリマヲ】。インドネシア語で虎という意味だ。【ジョン虎ボルタ】【トラさん】【渥美清】という名前案と最後まで争ったが、その名に決まった。

 三久とその仲間数人は夜中じゅうスカイプを繋ぎ徹夜で喋りあった。話題はとりとめもなかったが、主に男性声優のヒップホップバトルについてだ。彼女たちは一睡もせずに学校へ行った。
 目にクマを携えて顔を合わせあった。
「さあ、みっくお願い。ハリマヲくんを出して」
 そう言い残して、みんなで机にうっぷして寝た。女子高生の寝息の多重奏。やがて三久の背中にハリマヲが現れる。現れたハリマヲはまわりの女生徒たちの睡眠をむしゃむしゃ食べた。女生徒たちは目を覚ます。
「んー気分爽快〜」
「これいいね。少しの睡眠でいいし」
「これ、毎日やろ毎日」
「やっぱ、池袋ディビジョン最強だと思うんだけどなあ」
「ヒプマイトーク、スカイプでもう十分しただろ!!」
「とにかく三久みっく三久サンキューだね」
「それ、みっくの持ちネタだから勝手にやったってわかったら怒られるよ」
「うん、後で謝っとく」
 その瞬間、古文の先生が教室に現れた。
 皆しゃんと席に座る。
「ハリマヲくんも三久サンキューね」
「ところで質問だが」
 ハリマヲは女生徒に聞く。
「何?」
「三久氏はこのままでいいのか?」
 三久は熟睡し、鼻ちょうちんを出していた。

 ある日、女生徒のひとりがユーチューブにハリマヲの姿をアップした。
三久の背中からむくむくと虎が発生し、他人の睡眠を食べ、人間の言葉を喋るようすをひと通り納めた動画をだ。
 その動画はバズった。
「ナニコレ、CG?本物?」とコメントが殺到した。
 女生徒は調子に乗って、ハリマヲにDA PUMPのUSAを踊らせ、TikTokに投稿した。それもバズった。
 ほどなくして女生徒にテレビ局からのコンタクトが来た。「この虎さんに出演願えませんか」と。女生徒たちははしゃいだ。
「ねー、みっく、ハリマヲくんテレビに出していい?」
「まぁいいんだけどさぁ、ハリマヲくんが出てるということは私は寝ているということだからさぁ、その様子録画して、あとでブルーレイに焼いてちょうだいね」
「大丈夫。ユーチューブにアップされるでしょ」
「違法アップロードに頼る人生よくないよ」
「そもそも、これ生じゃないから普通に見れるでしょ」
「あ」
 こうしてあっさりハリマヲのテレビ出演は決まった。

 ハリマヲの最初のテレビ出演は、ネット上のおもしろ動画をひたすら流し、ワイプでどうでもよい芸能人たちがリアクションするという番組だ。話題のハリマヲの動画が流れたあと、司会者が「なんとこの虎さんがスタジオにやってきてくれています」とハリマヲを呼び込んだ。
 適当なアイドルが、頰に両手を当てて大げさに「きゃあ」とリアクションを取る。
「ああどうも」と低姿勢なハリマヲ。若手芸人からの「めっちゃ虎ですやん」のツッコミにも「そうです虎です」と低姿勢を崩さない。
「アーモンドには、アボガド10個分のビタミンEが含まれておりまして……」
 ハリマヲは他人の睡眠と同時に、その人間の睡眠が内包している知識を得るため、大変に博識である。その低姿勢と豊富な知識は今のテレビ界に大変ウケた。
 まずは色々なワイドショーにハリマヲは呼ばれた。そのルックスも虎であるがゆえの動物可愛さにF1層やF2層にも受け大人気となった。特に関西圏では「虎」というだけで大変ウケが良く、関西のワイドショーによく呼ばれた。ハリマヲと上沼恵美子を同じ番組で見ることが多くなった。毎週末関西に行けることに三久は喜び、たこ焼き、お好み焼き、土手焼きを堪能した。
 そしてとうとうハリマヲは、毎週日曜日の午前中に放映される「サンデーニュースワイド虎ブル」という番組の司会者を務めることとなった。
 また、人気の渦はハリマヲにとどまらなかった。
「みっく、まとめサイトにまとめられているよ」
 同級生が三久にスマホを見せた。【ハリマヲの大元の女子高生、かわいすぐる】という記事のタイトルで三久の画像が並べられていた。
「みっく、超人気じゃん」
「いやー、はずかしいよお。かわいすぎないよお」
「かわいいよお」
「かわいくないよお」
「かわいいお」
「かわいくないお」と、延々とやりとりを続けた。

 それは、突然だった。「サンデーニュースワイド虎ブル」の裏番組で特集が組まれた。
 【人気虎ハリマヲ、そのおぞましすぎる裏側】と題されたその特集。
 睡眠から虎を発する能力に目をつけたロシアの寝具会社が、その能力を持つシホテアリン山脈の民族たちを大量に自社の工場に連れてきた。
 寝具会社の社員が作ろうとしていたのは【15分の仮眠を一晩の熟睡に変えるマットレス】。睡眠によって生みだされた虎をマットレスに詰めて出荷し、マットレスの利用者の睡眠を虎が食べるしくみだ。
 このマットレスの効果はてき面であり、利用者の誰もがその驚きの効果を絶賛し、マットレスは口コミで評判が伝わり、大売れした。
 だが、その裏では少数民族に対する酷い仕打ちがあった。
 工場では毎日のように彼らに睡眠を強いる。一切のコーヒーの摂取を禁じ、環境映画以外の映画鑑賞とイージーリスニング以外の音楽鑑賞を禁じた。一度彼らが寝たら、起きないように暗闇に包まれたに程よい温度の部屋の中で監禁し、起きそうになったらオペラ歌手に子守唄を耳元で聴かせた。
 彼らの家族たちはこの仕打ちに激怒の声をあげ、企業を訴えていた。
 そして、これでも睡眠をずっと維持することは無理なので、虎がマットレスから消えはじめ利用者からもクレームが殺到するようになった。
 寝具会社は倒産したが、被害者たちの心の傷は治らない。今でも、子守唄を聴くと吐き気を催すPTSDに苦しむ者が大勢おり、事件の傷跡は残り続けている。
 VTRが終わったあとに、司会者は言った。
「我々は良識の中で生きています。いくら楽しいからといって、このような残酷な背景から産まれた虎を愛で続けていいのでしょうか」

 SNSで猛烈なハリマヲ叩きが始まった。
「あいつ、他人の睡眠食って得た知識でしゃべってんだろ。盗んだ商品メルカリに出して儲けてんのと同じじゃん」
「そもそもあいつが出ると画面がケモノ臭くなって嫌だった」
「上沼恵美子さんにはやく謝ったほうがいい」
 散々な言葉がネット上に踊った。
 ハリマヲは考えた。そもそも私は悪いのか?私が何をしたわけでもない。不正をしたのは私と全く関係のないロシアの寝具会社であり因果関係は希薄だ。私は普通に生きていただけだ。必要とされたからテレビにも出た。それなのに、なぜここまで酷く書かれなければならないのだろう。
 100歩譲って私だけが叩かれるならばいい。その矛先は三久氏にも及んでいる。
「ハリマヲの宿主の女子高生も調子乗ってたなあ。『可愛い』って騒がれて」「よく見ると全然可愛くねえぞ。土下座されてもヤリたいとは思わない」「鼻を隠せばまぁイケなくもない」
 無責任な言葉が行き交っている。
 当の三久は最初は気にせず笑っていた。が、ハリマヲは自分が睡眠によって生み出される時間が不定期になっていることに、宿主の精神的苦痛を理解した。
 ほどなくして、ハリマヲは全番組を降ろされた。「私のせいでお騒がせをして申し訳ございません。責任を感じています」という言葉をハリマヲは述べたが、本当のところ責任なぞ一ミリも感じておらず、誰に対しての謝罪しているのかすらわからない。空虚な形だけの謝罪だった。
 控え室に帰ると、三久が虚ろな寝顔で寝ているのが、ハリマヲは妙に悲しかった。
 しばらくして、三久は学校に行かなくなった。自分の部屋に引きこもった。
 ある日、午前10時に産み出されたハリマヲは思った。私が生きているから三久氏が苦しむのだと。
「死のう」
 ハリマヲは実にシンプルに思った。

 ハリマヲは三久の身体から発した猛烈な熱により生まれている。ならば彼女が自分を産み出さないように適切な睡眠中の体温を与えてやればいい。
 ハリマヲはヤマダ電機のサイトにアクセスし、最新式のエアコンを探した。【すっきり爽快ヤバ心地いい】という謳い文句のエアコンを買おうとした。お金はテレビ出演によるギャラがあるはず。そして今なら工事費は無料だ。が、このときにハリマヲは知った。テレビ出演によるギャラは一切自分に出ておらず、すべてエキストラ扱いであり、交通費のみで呼ばれていたということに。
 「私のギャラなどはどうなってますでしょうか?」と三久の母親に尋ねたところ、むっつりとした顔でその事実を告げられた。この事実はさらにハリマヲを愕然とさせた。
 ハリマヲは死ぬためのお金を稼ぐためにアルバイトをしようと思った。
 彼はまず、コンビニや飲食店に履歴書を出した。しかし「毛が落ちているとお客様が不快に思われるため」と拒否をされた。
 どうやら虎は、飲食店で働くのに向いていないらしい。ハリマヲは面接ガイドブックを読んで頭を捻らせた。面接ガイドブックには「一番大切なのは自己分析、自分の長所をちゃんとはあくしよう。そのために、自分の半生を振り返ったノートを書いてみよう」とあり、ハリマヲはさっそく三久の学習机に刺さっていた、白紙のジャポニカ学習帳〜じゆうちょう〜を開いて、自分の半生を書きつけはじめた。一行目でハリマヲは思いついた。自分の成り立ちは三久氏の睡眠によって発せられた猛烈な熱だ。これだ。これを使うのだと。

 ハリマヲは西武池袋線に乗り、一番近くの火力発電所に行った。そこの所長に会わせてもらえるように頼んだ。受付嬢は「多分無理だと思われますが……」と怪訝な顔で取り次いだが、何と話をしてもらえることになった。所長は「あのテレビによく出ていた虎さんですよね」と迎えてくれた。ハリマヲはどうやら自分がテレビに出ていたことは全くの無駄ではなかったと思えた。
 ハリマヲは切り出した。
「私は猛烈な熱により生まれました。私の熱を利用して多くの電気が発電できると思います。どうか、私を使ってください」
 発電所所長は想定外の提案に戸惑った。ハリマヲは「お願いします」と土下座をして頼んだ。虎の土下座は人間の土下座よりも、遥かに普段と似た姿勢なので誠意は伝わりづらいのだが、それでもハリマヲは頭を床にこすり続けた。
 「じゃあ、ちょっとやってみようか」と所長は言ってくれてハリマヲは歓喜の笑みを浮かべた。そして、部屋に通された。そこには水がたっぷり入った金属製のタンク、それとパイプでつながった蒸気タービンがあった。発電所の中央にある巨大なしくみのミニチュアだった。
「とりあえずそれで試してみて、もしイケるようならメインで使うから。メインでいければ年俸1000万を考えるよ」と所長は言う。ハリマヲは早速タンクに抱きついた。ハリマヲの熱で回るタービン。しばらくしてハリマヲはメーターを見つめる所長に目線を向けて聞いた。
「どうですか?」と。
 所長は言った。
「お前の発電力ボタン電池以下じゃん」
「……え?そんなはずは」
「それはこっちのセリフだよ、虎くん」
「あの、大学の先生によると僕は太陽の表面に匹敵する熱で産み出されていて、すごいエネルギーをもっているはずで……」
「いやあ、全然ダメだよ」
 ハリマヲは狼狽した。そういえば、三久氏や三久氏の友人たちが自分の体をもふもふしても、そんなに熱そうな素振りは見せていなかった。産み出されるときは猛烈な熱が出ていても、恒常的には平熱なのかもしれない。それはビッグバンによって産まれた宇宙自体がそうであり、だからこそ我々生き物が生きていける。
「とにかくこれじゃねえ」と言う所長。ハリマヲは「超頑張ります」と食い下がった。「じゃあやれよ」と言われたので、体を思い切り動かし、タンクに必死に体をなすりつけて頑張ったが、結局アイコスを一本吸うくらいの電力しか作れなかった。
 わずかなお礼のQUOカード500円分を握らされて帰されたハリマヲは、失意のまま新宿のホームに倒れこんだ。帰宅ラッシュが終わり、人の波が消え、気がつくとホームにいるのは酔っ払いだけだった。ハリマヲはむしょうにお腹が減っていた。

「へぇーそうだったんだ」
 ティグリスは答える。2匹は歩き疲れたので、深夜のネットカフェに入りこみ、泥のように眠る人間の睡眠を貪りながら話した。席同士の仕切りの上に野良猫のように座り、水割りを飲むように睡眠をかじる。
 深夜のネットカフェに渦巻くうらぶれた睡眠は、アルコールのように2匹を酔わせた。
「ねぇ、死にたいなら、いっそ私と行かない?」
 ティグリスはそう言った。
 ティグリスの宿主はアムステルダム在住のオランダ人男性であり、彼は眠り病にかかっていた。そしてずっと眠ったままでいる。だからティグリスはほかの虎と違い消えることがない。
「私が生きているのは白夜なの。ずっと暗闇が訪れない世界」
 宿主のオランダ人は眠り病の治療のために日本に搬送されてやってきたが、治療が成功する様子はない。そしてまもなくオランダに搬送されることになるだろう。日本に来たという実感もないまま。
「ハリマヲ。あなたは私と来ればいいの。そうすれば変な罪悪感にさいなまれることなくよりそって生きていける」
「そうなるかな……」
「あなたの悩みはつまりは、あなたという異質の存在が同質の中に投げ込まれてしまったから起きた悩みなの。ジンジャエールの中にコーンポタージュスープを一滴入れたような感じ。何のカクテルにもなりはしない。でも私と一緒にいれば大丈夫。コーンポタージュスープに入ったコーンポタージュスープはどこまでもコーンポタージュスープだから」
 ハリマヲは一瞬天を仰ぐ。
「なぁ、ずっと起きているってどんな感じだ?」
「え?」
「単純に気になった。ずっと起きている状況というのはどうなのかと。この世の主のように愉快なものなのか、それともひとりでいる孤独に耐えられないものなのか」
「退屈……」
 ティグリスは唇を尖らせる。
「退屈……その一言につきる」
 天を仰ぐティグリス。じっと彼女を見つめるハリマヲ。エアコンの音がじーっと鳴る。
「だから私、アムステルダムでは寝たきりの老人の睡眠を食べていた。彼、彼女らはね、生きていることに眠りしかないの。だからね、おかしいんだけど、私が睡眠を食べた瞬間に死んでしまうのよ」
 吹き出すティグリス。真顔のハリマヲ。
「だって、彼、彼女らも私と同じように本当に退屈そうだったから。私が睡眠を食べたお陰で彼、彼女らは退屈から解放されたし、私もほんのちょびっと退屈から解放された。ウィンウィンってやつでしょコレ」
「君、死神と言われたことは」
「ははは、すっげえ言われてるかも」
 睡眠に悪酔いしているのか、ティグリスはお腹を見せてごろごろと笑いながら転げまわった。「【アムステルダムの死神】、映画のタイトルっぽくてかっけえ〜」と戯けながら。ハリマヲは一口だけ、泥睡するサラリーマンの睡眠を口に含んだ。
 ひとしきり笑ったティグリスは虚ろな眼をハリマヲに向ける。
「だから一緒に来て欲しい。あなたが一緒なら少しでも退屈が和らぐ」
「『少しでも』、『退屈が和らぐ』、ねぇ」
「言い方が悪かった?でも、重要なこと。私はそう思う」
 ハリマヲは考えた。今の自分は死ぬことすらできずにいる。けれども目の前にいる雌は自分を求めている。このまま求めるがままに応えていくことに溺れていれば、この虚しさと苦しさから逃げられるかもしれない。
「だから、私と一緒に」
 そうティグリスは前足を出す。ハリマヲはその前足に自らの前足を重ねようとした。
 その瞬間だった。
 ティグリスの前足は消えた。ハリマヲはふと前を見る。そこには虎はいない。ただ、うらぶれたインターネットカフェの仕切りと、泥のように眠る人間たちが見えるだけだ。
 ティグリスの宿主……眠り病のオランダ人が目覚めたのか。
 ハリマヲは思った。それでいれば、そのオランダ人と、退屈に押しつぶされそうになっていたティグリスにとっては喜ぶべきことかもしれない。めでたいことだ。けれども自分は……。
 そもそもティグリスという雌は本当にいたのだろうか?もしかしたら同胞を望む自分が生み出した幻かもしれない。そう考えると、さらに自分自身が気持ち悪くなって来た。
 白夜が終わった。そして、外は太陽が昇り始めていた。

 ハリマヲはとぼとぼと家路につく。よろよろとした虎の足取りでも、1時間も歩けば新宿から三久の家につく。ベッドではすぅすくと三久が寝息を立てている。
 ハリマヲは思った。そういえばティグリスの要求に乗って一緒にアムステルダムに行ったとしても、三久が目を覚ますたび、自分はここに戻される。三久の元へ。三久の表裏として。
 結局私たちはずっと一緒にいるしかない。
 それは苦しみでしかないだろう。でも、そもそも生きていること自体が苦しみ以外であるはずがあるのだろうか。
 勉強机に乗った三久のスマホのホーム画面にラインのポップアップが浮かぶ。
「みっく、ハリマヲくん元気?私はいつも思ってるよ。『ふたりにサンキュー』って」
 ハリマヲは三久の身体に戻り、三久は目を覚ました。
 三久は身体を起こすと、久しぶりに居間に降りて朝ごはんを食べた。

文字数:10649

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