宇宙を目指した檸檬レモンの記録:1924年5月〜1926年3月

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梗 概

宇宙を目指した檸檬レモンの記録:1924年5月〜1926年3月

1924年5月、カリフォルニアの晴れ渡る空の下、広大な農園で収穫されたレモンが、木箱に詰められサンフランシスコ港から貨物船で海洋へ乗り出した。
 ここに書かれるのは、何の変哲も無い一介のレモンについての記録である。レモンが引き起こした小さな革命と、それに協力した人々についての歴史だ。

 

貨物船乗組員のディックは、出航したばかりの船上から、二週間に渡る航海の好天を祈った。胸元で十字を切ってから、航海の時には必ず首に下げている十字架のペンダントを忘れてきたことに気づいた。彼はお守り代わりに、積み荷のレモンを一つ拝借した。素早くそれを上着のポケットに突っ込むと、再び十字を切った。

航海初日の夜は、見事な星空だった。デッキに寝そべると、瞳に映るのは一面の星空のみだ。まるで宇宙に浮かぶような夜の船上が、ディックは好きだった。
「私をここから出してくださらない?」
 どこからか可愛らしい声が聞こえた。
「ここよ、あなたのポケットの中」
 ディックがまさかと思いつつポケットからレモンを取り出すと、「ありがとう」とレモンが言った。
「喋るレモンか、面白いな」
 ディックはそれから毎晩、レモンと星空を見上げながら会話をした。宇宙の話になると、ディックは熱くなった。
「ロケットに乗って宇宙に行ける時代がやって来る。ツィオルコフスキーという物理学者が、液体燃料ロケットを考案したんだ」
 レモンは宇宙に憧れ、ロケットに乗ってみたいと思うようになった。

 

箱に戻され船を降りたレモンが次に表へ出たのは、京都市中京区寺町二条角の果物屋「八百卯」の店先だった。
 レモンは、基次郎という男に買われた。レモンを握る彼の手は熱く、蒸し暑い季節に敵わないなとレモンは思ったが、レモンの香りで精気を取り戻しつつある彼の様子を見て、レモンは一つ頼み事をしてみようと思った。
「宇宙に行きたくありませんこと?」
「宇宙! ぜひ行きたいね。借金取りも宇宙までは追って来られまい」
 基次郎は喋るレモンに驚きもせず答えた。レモンは基次郎に、ロケットに乗れる場所へ連れて行ってくれるよう頼んだ。
 彼はレモンの話をフンフンと聞きながら一時間程歩き回って、丸善の前に来ると不意に立ち止まり、店内へ入った。
 彼は画集を何冊も開いては眺め、それらを一所に積み上げた。
「君のための発射台だ。宇宙でも何処でも好きな所へ行くがいいさ」
 基次郎はそう言って、レモンをその頂きに据えつけた。

 

丸善京都支店長の大塚金太郎は、基次郎のいたずらを気に入り、レモンを支店長室に飾った。
 支店長室に夜一人でいた大塚は、「一緒に星空を見に行きませんか?」という声を聞いた。声の方を振り返ると、レモンがあった。まさかな、と彼は思った。
 それから毎晩、大塚は同じ声を聞いた。
 五日目の晩、ついに大塚はレモンの誘いに応じた。星空を見上げながらレモンの話に耳を傾け、これからの時代は「洋書と宇宙」だと、彼は直感した。
 翌日から大塚は、ロケット開発に関する情報収集に奔走した。米国のゴダード博士が設計したロケットモーターの図面や、ロケットが真空でも推進できることを証明した論文など最先端の情報を入手し、レモンに報告した。当時ゴダードの言説は酷評されていたことも分かったが、大塚もレモンもめげなかった。
 ゴダード博士に会いたがっていたレモンだが、夢叶わず、夏の盛りを迎える前に傷んでしまった。

 

1925年1月、同人誌『青空』に梶井基次郎の「檸檬」が掲載されると、京都丸善には八百卯で買ったレモンを置き去る人が度々現れた。
 大塚は、それらのレモンを支店長室に並べた。彼はレモンたちに宇宙の夢を語り、レモンたちは大塚と志を共にするようになった。

1926年2月、大塚は渡米の機会を得る。レモンを一つ上着のポケットに入れ、出立した。
 ボストンで洋書の買付けや大学見学を終えた大塚は、オーバーンでゴダード博士と面会した。大塚は博士から、じきに初の液体燃料ロケットの打ち上げを行う予定であることを聞き、人の腕ほどの大きさのロケットを見せてもらった。
 大塚は博士にレモンを差し出した。
「このレモンをロケットに乗せてやってくれませんか。あなたや私と同じ、宇宙を目指すレモンです」
 博士は曖昧な笑みを返し、レモンを受け取った。
 大塚の言う意味が分からなかった博士だが、彼はその晩レモンの声を聞き、多少の飛距離を犠牲にしてもレモンを搭載しようと決めた。

同年3月16日、雪の残る中、ゴダード博士はエフィーおばさんの農場で、初の液体燃料ロケットの打ち上げを行った。
 実験は成功。ロケットは約12メートル上昇し、隣のキャベツ畑に墜落した。レモンは美しく爆発した。
 たったの12メートルではある。しかし、レモンは満足だった。宇宙を目指すレモンにとって(勿論人類にとっても)、この12メートルこそが記念すべき第一歩となったに違いないのだ。

文字数:1999

内容に関するアピール

梶井基次郎「檸檬」の小説内の出来事を物語の起点に、「近代ロケットの父」と呼ばれるロバート・ゴダードによって行われた液体燃料ロケットの打ち上げ実験を物語の終点に据え、本来互いに関係あるはずのない史実の合間をレモンが渡り歩くことで、そこに一続きの時間を流してみたいと考えました。
 宇宙への第一歩がたった12メートルの飛行だったことや、ロケットがエフィーおばさんのキャベツ畑に墜落したことなどは、記録された史実です。
 2015年8月、種子島から打ち上げられた無人貨物船「こうのとり」5号機が、国際宇宙ステーションに初めて生鮮食品(オレンジとレモン)を運ぶことに成功しました。レモンも90年越しの夢をついに果たし、宇宙空間に浮かぶことができて、大いに喜んだのではないかと思います。

文字数:336

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宇宙を目指した檸檬レモンの記録

 

1900年10

「エリック、キース、お願いがあるの。レモンをひとつ取ってきてくれるかしら?」
 キッチンでサーモンに小麦粉をまぶしながら、ナタリー・ハンターは、隣のリビングルームにいるはずの息子たちを呼んだ。
 夕飯ができるまでの間いつものようにソファに並んで本を読んでいた二人は、同時に顔をあげた。
「OK、ママ! ぼくが行くよ」
 弟のキースがすかさず答える。料理に使うレモンを庭のレモンの木からもいでくるのは、以前は三つ年上の兄エリックの役目だったが、キースが小学校に上がった一年前から、キースもエリックに付いて手伝うようになり、今ではキースがひとりで率先してやるようになっていた。エリックが「一緒に行こうか」と声をかけるが、キースは「ひとりで大丈夫」と、急ぎ足で部屋を出ていった。

外はすでに暗くなっていた。家の窓から洩れる灯りと、南東の空にかかる紡錘形の月の仄かな光のほかに明かりはなく、手入れの行き届いた広い芝生の庭はひっそりとしている。
 ロサンゼルスでは、10月の夜でも日によっては半袖で外に出られるほど暖かい。生ぬるい夜風がキースのシャツの袖から袖へ吹き抜けると、彼はくすぐったそうに声を立てて笑った。
 庭の向こうには、ハンター家の所有するレモン農園が広がっている。キースの父ウィリアム・ハンターは、1870年代末からカリフォルニア州内に急速に広まった柑橘農業にいち早く目をつけ、現在では州内有数の農園主となっていた。陽光をたっぷりと浴びて色づいた黄色い実のなる木々が縦横に広がる開放的な農園も、しかし、夜になると人間の立ち入りを拒むように黒々としている。
 夜の農園は未知の世界だ。あの広大な闇には、人間なんて一口でペロリと丸呑みしてしまうような怪物が潜んでいるのではないか。あるいは人さらいの魔女がいるかもしれない。どこまでも追いかけてくる巨大な蛇に巻きつかれでもしたら……。彼の脳内には恐ろしいイメージが次々と湧いてきて、やっぱりエリックに付いてきてもらえばよかったと、キースは早くも後悔し始めていた。
 しかし、小学二年生にもなってこんなことで怖がっていては情けないと、キースはすぐに思い直す。庭と農園の境にはキースの背丈ほどもある頑丈な木製の柵が巡らせてある。だから怪物もここまでは来られないはずだと、キースは自分自身に言い聞かせた。

柵のこちら側に、二本のレモンの木が植わっている。背後に並ぶ農園の木々と比べて一回り小さい庭の二本の木は、ウィリアムがそれぞれエリックとキースが生まれた年に植えたものだ。
 キースは二本の木のところまで来ると、枝の低い位置についている実をひとつひとつ触って確かめた。これまでに何十、何百というレモンをもいできたキースは、色を確認しなくても手触りだけで食べ頃の美味しいレモンを見分けることができる。表面がでこぼこしているものよりもつるんとしているものの方が果汁が多く、硬すぎず柔らかすぎず張りのあるレモンが食べ頃だ。
 もいだレモンを手に握り、キースが家の灯りの方へ急ぎ足で芝生の上を歩いていると、何かがさっと彼の頭上をかすめた。彼は一瞬ぎくりとして立ち止まる。それからすぐに、多分コウモリだろうと思い直し歩き始めたが、再び立ち止まって後ろを振り返った。黒い影はすでに庭のレモンの木の上まで飛び去っている。
 黒い影はレモン農園の向こうへ姿を消し、後には紡錘形の月だけがやけにくっきりと浮かんでいた。キースは何気なく手に握ったレモンを頭上にかざした。それは夜空に浮かぶ月とぴたり重なった。彼は思わず「Lemon Moon!」と声に出して言った。それから彼は、駆け足で家の中へ戻った。

キースはエリックと一緒に、サラダボウルやパンの入ったバケットや取り皿をテーブルに運ぶのを手伝い、仕事から帰ってきたウィリアムのキスを頬に受けながら言った。
「今日のレモンもぼくが選んだんだ」
 ウィリアムは嬉しそうにうなずく。キースは得意になって、ウィリアムとナタリーがただいまのキスをしている間に、焼き立てのサーモンのムニエルが載ったそれぞれの皿に、切りたてのレモンを置いていった。
 家族四人でテーブルを囲み、祈りの文句を唱え終わると、料理を口にしたウィリアムは満足気にうなずいた。
「ナタリーの料理は美味しいし、キースの選んだレモンは最高だ」
 貧しい家で育ったウィリアムは、小さい頃に夢見た暮らしを自らの手で実現しつつあった。その努力と手腕を誉め称える者はあっても、非難する者は誰もいまい。
 彼が子どもの頃はまだ一般家庭にまで教育が普及していない時代であった。貧しさから抜け出すためには、軍人になるか新しいビジネスチャンスに賭けるしかなかった。彼は持ち前の行動力と決断力で運良く成功を掴むことができたが、その陰には無数の敗北者たちがいることも、生々しい実感をもって知っている。だから彼は、息子たちにはできるだけ危険な道を歩ませたくないと考えていた。そのためには今のうちにハンター家の農園経営を盤石な体制に整えておく必要があると、ウィリアムは農地の買収や販路開拓を積極的に行っていた。
 時代は帝国主義である。ウィリアムの果敢ぶりはさながら、ハワイ併合、米西戦争に続いてプエルトリコやフィリピン、グアム島などの植民地化を積極的に進めるアメリカ国家のようでもあった。

その晩、キースは真夜中にふと目を覚ました。枕元の時計を見ると、日付がちょうど変わる頃だった。いつもは一度眠りについたら朝起こされるまで決して目を覚ますことのない彼が、この時自然と目覚めたのは、カーテンの隙間から差し込む月明かりがちょうど彼の顔を照らしていたせいもあるかもしれない。
 遠くの方でフクロウの鳴く声がする。ひとしきりして鳴き声がやむと、辺りはしんと静まり返った。物音ひとつしない。月明かりが当たって床に伸びる椅子の影を、キースはじっと見つめていた。寝起きなのに頭が冴えている、不思議な感覚の中に彼はいた。
 するとどこからか、歌声が聞こえてきた。キースははじめナタリーが隣の寝室で歌っているのかと思ったが、こんな真夜中に歌う理由が分からないし、歌声は独唱ではなく合唱だったし、聞こえてくる方角が違うことにすぐに気づいた。声は外から聞こえるようだった。讃美歌にも似た美しい旋律で、透き通るように高く繊細な歌声だった。
 キースはベッドから出て、窓辺に近づいた。カーテンから漏れる月明かりが、先ほどよりも明るいような気がした。
 彼がカーテンを開けると、そこには信じられないような光景が広がっていた。庭の向こうの広大なレモン農園一帯に、無数の光が灯っている。ランタンの明かりよりも澄んでいて、月明かりよりもあたたかい色合いの光だ。よくよく目を凝らしてみると、光の正体は黄色いレモンの実であることが分かった。無数のレモンが自ら発光している。
 歌声は、光るレモンの木々全体から立ち昇っているようだった。かがやく実のひとつひとつから発せられているのかもしれないとキースは思った。歌声は光とともに繊細に空気を震わせながら、天に昇ってゆく。
 南西の空に、紡錘形の月があった。歌声は、その月まで届くようだった。

何かの拍子にとつぜん周波数がぴたりと合いラジオ放送が流れ込んでくるように、以来キースの聴覚はレモンの〈声〉を捉えるようになった。それはもちろん人間の話し声とは異なる。レモンは通常人間の聴覚では捉えることのできない周波数帯の超音波を発している。だが、音波が鼓膜を振動させ、その振動が各器官を伝わって有毛細胞を電気的に興奮させ、その興奮が聴神経を経て大脳皮質の聴覚中枢に伝えられ、そこで情報処理が施されることによって、ただの振動だったものが意味の塊として理解されるようになるという意味では、レモンの〈声〉を聞くのも人間の話を聞くのも構造的には変わらない。
 後にウィリアムの後継ぎとして経営者となったキースは、この〈声〉に大いに助けられることになる。彼がレモンの〈声〉から聞いたところによれば、地球の周囲をまわり続ける月は、世界中の国々の状況を観察し把握しており、レモンは紡錘形の月の晩に、月からそれらの情報を聞いているのだという。レモン経由でキースは、世界情勢に精通することができたのだ。

 

1924年5

カリフォルニアの晴れ渡る空の下、ハンター家の所有する広大な農園でレモンの収穫が行われた。
 この頃には、ハンター家は単に農園主であるだけでなく、食品を扱う貿易会社を経営する事業主となっていた。前年に還暦を迎えたウィリアム・ハンターはすでに一線から退き、長男のエリックが農園の経営権を、次男のキースが貿易会社を引き継いでいた。
 収穫されたレモンはすぐさま箱詰めされ、一部は州内のいくつかの主要な市場へ、一部は大陸横断鉄道でアメリカ中西部へ、そして残りはロサンゼルス港へ送られて、貨物船で海洋へ乗り出した。

二等航海士のディック・モーガンは、出航作業の一段落した船上から、澄んだ陽射しを受けて輝く穏やかな海面をしばし見つめ、これから約二ヶ月に渡る航海の無事を祈った。港の方を振り返ると、遠ざかっていく港湾都市の美しい街並みはすでに模型のように小さくなっていた。港湾に停泊中の蒸気船からたなびく幾筋かの煙が、かろうじて判別できる程度だ。
 ディックは妻ミシェルのことを思った。そして、これから生まれてくるはずの我が子のことを。予定通りにいけば、あと一週間ほどで出産を迎えるはずだ。
 一昨年の夏に第一子のリサが生まれたときも、ディックは航海中で出産に立ち会うことができなかった。あのときは帰国が間に合わなかったのだ。長旅を終えて家に帰ると、「一週間前に生まれたのよ」と出迎えてくれたミシェルの腕には、まだ目の開かない赤ん坊が抱かれていた。ディックが家を出たときにはまだそこまでお腹が大きくなっていなかったので、その後どのくらいまでお腹が大きくなったのか、いまいち想像ができなかったし、赤ん坊がミシェルのお腹の中から出てきたのだという当たり前の事実も、実感をもって受け止めることができなかった。ディックにとって子どもは「生まれた」というよりも「現れた」という方がしっくりくるものだった。もちろん彼はリサのことをこれ以上ないくらいに愛している。だが、出生の瞬間ときの空白だけは埋めようがなく、毎晩見上げている月について、私たちがそれの誕生した瞬間を知らないように、リサのことをそのような遠い存在に感じてしまうことがある。それは淋しいのとも少し違う、精神的なというよりは、抗いようのない、物理的な時間や距離の遠さだ。
 あのときとは違い、今回ディックはミシェルのお腹が尋常の域を超えて膨らんだ様子を知っている。このままではミシェルの身体が壊れてしまうのではないかと、ディックは不安な気持ちにさせられたが、確かにあの中に子どもがいるのだということには納得がいった。しかし、今回もやはり「生まれる」瞬間を見届けることはできない。

これから約二ヶ月を船上や諸外国の港町で過ごすことになるディックは、心の中で故郷にしばしの別れを告げると、再び前方に広がる海洋を見渡した。胸元で十字を切ってから、はたと気づいた。航海のときには必ず首に下げている十字架のペンダントがなくなっていることに。
 彼は動揺した。家を出るときに触って確認した記憶があるので、出航作業中に落としたのかもしれないと思った。船内に落ちている可能性に賭けてしばらく探しまわったが、見つからなかった。常に死の危険と隣り合わせにある航海士にとって、お守りチャームがないというのは相当な精神的打撃をもたらすものだ。
 ディックは両の拳を握り、親指をのぞく左右八本の指に彫られた「HOLD FAST」の文字を見つめた。これは索具を握る者を庇護してくれるという魔除けの文句で、十年以上前、初航海のときに入れたものだ。もうひとつ、左手首の内側には羅針盤をかたどった刺青タトゥーが入っており、これには無事故郷に帰り着けるようにとの願いが込められている。この二つの刺青と十字架のペンダントに、彼はこれまで守られてきた。
 ディックは何かお守り代わりになるものはないかと思案を巡らし、しばらくして積み荷にレモンがあったことを思い出した。レモンの箱には「Hunter Trading Company」と印字されていた。小学校のときのクラスメイト、キース・ハンターの会社である。キースには小学校卒業以来会っていないが、成功を掴んだ旧友の会社のレモンだったら、きっと航海の安全を守ってくれるような気がしたのだ。
 彼はこっそりと船倉に降りてレモンをひとつ拝借すると、再び十字を切ってから、それをズボンのポケットに入れた。

航海初日の夜は、見事な星空だった。深夜当直のディックは、船の高所に位置する船橋ブリッジで操舵手に操船の指示を与えながら、時折吸い寄せられるように星空に見入った。薄雲ひとつない。光の一筋ひとすじが見えそうなほど、空は澄んでいる。
 ディックは、後で当番を交代したら甲板デッキに出てみようと思った。こんな日は甲板に寝そべるに限る。一切の障害物のない太平洋上で、瞳に映るのは一面の星空のみだ。まるで宇宙空間を漂っているような気分になれる夜の船上が、ディックは好きだった。
 彼は昔から宇宙に憧れていた。学生時代にジュール・ヴェルヌの小説『月世界旅行』を読んだのがきっかけだった。以来SF小説にはまった。彼が船乗りになる道を選んだのも、宇宙とまではいかないが、外国という未知の世界を旅することができる職業に惹かれたからだ。最近は、ニューヨーク・タイムズなどの新聞や雑誌で取り上げられているロケット開発に関する記事の切り抜きを集めている。ロケットで宇宙に行こうなど非科学的妄想にも程があると一蹴する記事が大半だったが、ディック自身は、やがて本当にロケットで宇宙に行ける時代がやってくるのではないかと思っている。新しく登場した技術というのは、世間があり得ないと馬鹿にしている間に、予想以上のスピードで発展を遂げてしまうものだ。
 視界の前方斜め45度の位置に、紡錘形の月が浮かんでいる。暈がかからず、輪郭がはっきりとわかる月だ。
 ディックはふとポケットからレモンを取り出し、頭上にかかげた。それは夜空に浮かぶ月とぴたり重なった。「Lemon Moon!」彼は思わずそう呟いた。

当番を終えたディックが甲板に寝そべっていると、どこからか可愛らしい声が聞こえた。「私をここから出してくださらない?」
 それは遠くの方から聞こえたようでも、すぐ耳元で聞こえたようでもあり、距離感の掴めない聞き慣れない声だった。彼は上半身を起こし、辺りを見回した。
「ここよ、あなたのポケットの中」
 ディックはまさかと思いつつ、ポケットからレモンを取り出した。すると、「ありがとう」という声がした。
 彼はレモンを月明かりにかざして、しげしげと眺めた。もちろん目も鼻も口もないつるんとしたレモンだったけれど、その声は確かにレモンから聞こえた。それ以外に考えられないよなと、ディックはしばし首を傾げていたが、きっとこれは神のご加護に違いないということに思い当たると、納得のいった顔をして、神へ感謝の言葉をつぶやいてから、再び仰向けになった。レモンは胸の上にそっと置いた。
 船のエンジンから発せられる低いうなりと、海の水が船腹に当たる飛沫の音以外には、何も聞こえない。
 甲板に仰向けに寝そべっていると、星空と自分との距離が段々にわからなくなっていく。ディックは自分の身体が星空に吸い込まれていくような錯覚を味わっていた。

それからどれくらいの時間が経過しただろうか。ものの一分だったのかもしれないし、十分以上経っていたのかもしれない。強まってきた夜風を少し肌寒く感じ、そろそろ船員室に戻ろうとディックがレモンを手に立ち上がったそのとき、歌が始まった。
 透明感のある歌声。讃美歌のように清らかで心地よい旋律。手に握ったレモンが光っていた。
 光るレモンの歌声に、ディックは釘付けになった。彼は天に捧げものを差し出すように、両の掌の上に光るレモンを載せ、その場に立ち尽くした。
 圧倒的な歌唱の前に、人はひれ伏すほかない。どう感想を述べればよいのかわからず、歌の目的や意味を尋ねることも野暮に思われ、歌が終わって彼がなおも黙って立ち尽くしていると、レモンが自ら語りはじめた。
「これは私たちレモンが誕生した1500年もの昔から続く儀式なの。紡錘形の月Lemon Moonの晩に、世界中のレモンがこの歌を歌うのよ。あなた方も日曜日に教会でミサを行うでしょう」
 感動のあまり緊張の抜けないディックは、かしこまった口調で尋ねた。
「私たちは神に祈りを捧げますが、あなた方は一体何に?」
紡錘形の月Lemon Moonよ。月に祈り、月と交信を行っているの」
 月はもうまもなく西の地平線に沈もうとしている。レモンはディックに、外へ出してくれたことのお礼を言った。
「海の上から月に祈ったのは初めて。すてきな体験だったわ、ありがとう」
「こちらこそ素晴らしい夜をありがとう」
 二人は顔を見合わせて笑い(このような表現が相応しいのかはわからないが)、一緒に室内へ戻ると、それぞれ深い眠りについた。

ディックはそれから毎晩、レモンと星空を見上げながら会話をした。
 ディックは、船乗りの仕事の話や、これまでに訪れた諸外国の港町の様子について、この航海の最初の目的地である日本に行くのは初めてであること、また、家族の話やもうじき二人目の子どもが生まれる予定であることなど、レモン相手におしゃべりを楽しんだ。レモンも、月から聞いて知っている日本についてのありったけの知識と、その他の目的地についての最新情報をディックに伝え、またハンター家の農園で育てられていたときのことや、キースがいまどうしているかなど、たくさんの話をした。
 話題がキースのことに及ぶと、「いま思えば、あれは嘘じゃなかったんだな」と言って、ディックは小学二年生のときの授業の話をした。
「月について調べてきたことを発表する授業があって、そのときキースが、月は地球のまわりを回っています、だから世界中で起こった出来事を誰よりもよく見て知っています、と言ったんだ」
「先生は何て?」
「すばらしい想像力ねって」
 ディックとレモンはまた、しばしば宇宙のことを話題にした。
 あるときディックが「ロケットに乗って月へ行ける時代が、いずれやって来るかもしれない」と熱く語りはじめると、レモンが「えっ」と驚きの声を上げた。
「もちろん今すぐにじゃない。でも、コンスタンチン・ツィオルコフスキーという物理学者が、液体燃料ロケットなるものを考案したらしいんだ。ロケットで宇宙に行けることは、計算式でも証明されている」
「もしもロケットというものができたら、私たちも月に連れて行ってもらえるかしら」
「きっとね」
 レモンは「もしそれが本当なら大変な騒ぎになるわ」と興奮した様子で、その晩はうまく眠ることができなかったという。

そして航海七日目の晩、再び紡錘形の月が昇ると、前回同様レモンは月へ祈りの歌を捧げた。それから月との交信を終えたレモンは、開口一番、嬉しそうに言った。
「ディック、おめでとう。先ほど元気な男の子が生まれたそうよ」
 太平洋の真ん中でディックは喜びの声をあげ、それから長いこと祈りの姿勢を取っていた。空には無数の星が瞬いている。幾筋もの涙が、彼の頬をつたって流れた。

さらにその十日後、船は神戸港に到着した。船倉から荷卸しを行っている最中、ディックの十字架のペンダントが積荷の隙間から見つかった。ディックは他の船員たちに気づかれないようこっそりとレモンに感謝と別れの言葉を述べると、元の箱の中へレモンを戻した。

 

1924年6月〜7

神戸港で箱に戻され船を降りたレモンが、次に表へ出たのは、京都市中京区寺町二条角の果物屋「八百卯」の店先だった。廂の深い薄暗い店内で、古びた黒い漆塗りの台に並べられた。夜になると、店頭にぶら下がった幾つもの裸の電燈が暗闇に絢爛にかがやき、それはそれで美しい幻想的な眺めではあったが、深い庇に覆われ夜空が見えないというのは、やはりレモンにとって残念なことだった。レモンは仲間のレモンたちを元気付けようと、ディックから聞いたロケットの話をみなに語って聞かせた。レモンたちは騒然となった。月に行く乗り物って一体どんな形をしているのかしら、大きさはどれくらいで、どれだけのスピードで飛ぶんでしょう、鉄道なんかよりもうんと速いのかしら、月までどれくらいの距離があって……? 店内のレモンたちはその日、真夜中まで大騒ぎだった。

レモンが店に並べられた翌日、みすぼらしい身なりの若い男がひとりやって来た。彼はおもむろにレモンを手に取った。
「レモンですか。めずらしいですね」
 店の女将が愛想よく笑いかける。
「ええ、カリフォルニア産のレモンどす」
「ほう、カリフォルニア産ですか。いったい私はこのレモンというものが好きでね。絵具をチューブから搾り出して固めたようなこの単純な色も、丈の詰まった紡錘形の恰好も」
「基次郎はん、ええことをおっしゃる」
「このレモン、ひとつもらいましょう」
 レモンは早速基次郎という男に買われ、店を出た。昼間の陽射しを浴びて喜んだのも束の間、肺尖カタルを患う彼の異様に熱い手に握られ、蒸し暑い季節に敵わないなとレモンは思った。だが同時に、基次郎という男の謎の言動に興味をそそられてもいた。
 彼はどこへ行くつもりなのか、先ほどからうろうろと街中を行ったり来たりしている。歩きながら見ているのは、レモンのことばかりだ。レモンの冷たさがもたらす快さにひとしきり感心し、左右の手で交互に握り返していたかと思えば、今度は何度もレモンを鼻に持っていっては嗅ぎ、ふかぶかと胸一杯に空気を吸い込んで、憂鬱の晴れた幸福そうな顔をしている。それからまた、汚れた手拭を引っぱり出し、その上へレモンをのせて色の反映をはかったり、重さを確かめたりしている。これはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるという理屈までをも捻り出し、「つまりはこの重さなんだな」とひとりで納得したりしている。
 こんなにも熱心に一方的な愛情表現を示してくる人間に、レモンは今まで出会ったことがなかった。レモンは少々気圧されぎみだったが、きっとこの人なら〈声〉が通じるだろうと思い、話しかけてみることにした。
「もしもし、あの……」
「ん」
「えっと、あなたはロケットってご存じ?」
「知らないね」
 基次郎は喋るレモンに驚きもせず答えた。あまりの素っ気なさにレモンは少しむっとした。
「あなたは宇宙に行きたくなくて?」
「宇宙! ぜひ行きたいね。借金取りも宇宙までは追って来られまい」
 レモンには基次郎の言っていることの意味がいまいちよくわからなかったが、「ロケットに乗れば宇宙に行けるのよ」と、ディックから教えてもらったロケットの話を彼にも語って聞かせた。
 基次郎はレモンの話をフンフンと聞きながら一時間ほど歩き回って、丸善の前まで来ると不意に立ち止まり、店内へ入っていった。

丸善の店内では、赤や黄のオーデコロンやオードキニン、洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色の香水壜、煙管、小刀、石鹸、煙草など、洒落た小物が木枠のガラスケースの中にずらりと並んでいる。眺めるだけでも愉しい気分になれそうなものだが、基次郎は、それらの前を通り過ぎるにつれ段々と憂鬱な表情になっていった。
 美術の書棚の前に来たときには、彼の幸福な感情はすっかり逃げてしまっていた。重たい画集を抜き出すのもやっと、頁をはぐってゆくのも気が進まないという様子で、一度抜き出した画集は元の位置へ戻すことさえできない。それなのに次々と新しい画集を引き出して来る。抜いたまま積み重ねられてゆく本の群を、基次郎は呆然と眺めていた。
 すると突然、彼は何かを思い付いたように、散らばった画集をゴチャゴチャと一所に積み上げはじめた。崩しては積み上げ、気に入らないのを取り去っては新しいのを加え、積み重なる画集の色合いを調整していく。彼の瞳に再び昂奮の色が宿った。やっとのことで出来あがると、
「これは君のための発射台だ。宇宙でも何処でも好きなところへ行くがいいさ」
 基次郎はそう言って、レモンをその頂きに据えつけた。
 彼はしばらくの間じっとレモンを眺めていた。それから再び何を思い付いたのか、身体をぴくりと痙攣させた。「これをそのままにして出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」と言うと、レモンに断りも別れの挨拶もなく、すたすたと出て行ってしまった。
 思いもよらぬ場所に放置されたレモンは、基次郎という男に憤慨した。怒りで爆発寸前のレモンは、画集の上でふるふると震えた。

丸善京都支店長の大塚金太郎が外出先から戻ると、店員数名が書棚の前に群がっているのが見えた。彼はみなの元へつかつかと歩み寄った。
「君たち、何をやっているんだい」
「あ、大塚支店長。見てください、これを」
 店員たちが大塚のために場所を空けると、大塚の目には場違いのレモンがカーンと飛び込んできた。美術書棚の平台の上に、画集が無造作に積み上がり、その上にレモンがひとつ置かれている。
「何だね、これは」
「さあ……お客様のいたずらかと思われますが」
 大塚はまじまじとそれを見た。店員たちは大塚がこれを一体どうするつもりなのかと、息を凝らして見守る。大塚はすっと腕をのばすと、躊躇うことなくレモンを取り上げた。店員たちの間から「ああ」と、惜しむ声とも安堵の声とも取れるため息がもれた。
「画集は元の棚に戻しておくように」
 そう言い置いて、大塚はさっさとその場を立ち去った。

支店長室に入ると、大塚は未だに、左の壁一面にびっしりと並ぶ一万冊の蔵書に圧倒されてしまう。約半数が洋書だ。蔵書の多くは、丸善創業の立役者の一人、父の熊吉から譲り受けたものである。愛読家の熊吉は渡欧する度に、商品の買い付けとは別に自身のための書籍を山ほど購入した。また、熊吉は丸善創業者の早矢仕有的や福澤諭吉とも親交が深く、彼らから寄贈されたものも多い。父の偉大さの象徴のように聳える蔵書群を、大塚はほとんど手に取ったことすらなかった。
 支店長室の右手には南向きの大きな窓が切られ、今日のように天気のよい日中は、陽が射し込んで部屋全体が明るい。入口正面に黒い革張りのソファとテーブル、その後ろに無垢材の重厚なデスク、奥の壁沿いに低めの飾り戸棚があり、その上にはドイツの木工職人の手でつくられたというマホガニーの置き時計や、青い服を着た西洋人女性の横顔に金彩の小花が縁にあしらわれたオーストリア製の飾り絵皿が置かれている。これらも父が渡航先で仕入れてきたものだ。
 大塚は室内をぐるりと見まわし、手に持っていたレモンを飾り戸棚の上、置き時計と飾り絵皿の間に置いた。レモンがもたらす新鮮な空気感は、部屋中に漂う熊吉の威厳を緩和してくれるようで、大塚はそのことに満足がいった。

数日後のある日、支店長室でひとり仕事をしていた大塚が、何気なく窓の外に目を遣ると、夕暮れの空に紡錘形の月が懸っているのが見えた。大塚はそのときまですっかり忘れていたが、月を見た途端、飾り戸棚の上のレモンを思い出した。彼はレモンを手に取り、窓辺に立った。レモンを頭上にかざすと、それは月とぴたり重なった。「Lemon Moon!」彼は思わず口笛を吹くように言った。それから彼はレモンを鼻に近づけると、ふかぶかと息を吸い込んだ。レモンの香りが胸いっぱいに広がり、見慣れた眼下の街灯りが新鮮な色合いに感ぜられた。
 彼が再び仕事に打ち込みはじめたときだった。取引先から届いた英文の手紙を読んでいると、
「一緒に星空を見に行きませんか?」
 という可愛らしい声を聞いた気がした。大塚が声のした方を振り返ると、そこには時計と皿とレモンがあるばかりである。念のため室内を見まわすが、誰もいない。大塚はきっと疲れのせいだろうと思い、その日は早々に仕事を切り上げ帰ることにした。
 それから毎晩、大塚は同じ声を聞いた。振り向くたびに、そこには時計と皿とレモンがある。
 五日目の晩、ついに大塚は、まさかと思いつつある実験を行うことにした。飾り絵皿を正面の応接デーブルに、置き時計をデスクの左端に、レモンを右手の本棚に、それぞれ別々の場所に置いた。例の声の主がその三つのうちのどれかであるなら、今日は声のする方角がいつもとは異なるはずであり、同時にその正体もわかるはずである。仕事は全く手につかなかったので早々に諦め、大塚は椅子にじっと腰掛け腕を組んで、ただひたすら待った。
 時計の針がちょうど八時を指したときだった。大塚は「一緒に星空を見に行きませんか」という声を、時計と反対の側に聞いた。彼は右手にずらりと並んだ本棚の、本と棚板に挟まれたレモンを凝視した。まさかという思いと、やはりという思いが入り混じり、彼は困惑した。言葉を返すべきか返さぬべきか、散々迷ったのち、ついに彼は返事をすることに決めた。
「ヱー、こんばんは」
「こんばんは」
「……レモン、ですか」
「レモンよ」
「……そうですか。あ、私は大塚です」
「大塚さん、あのね、私をここから出してくださらない? さっきから窮屈で仕方がないの」
「ああハイ、ただいま」
 そう言って大塚はレモンを本と棚板の隙間から取り出し、自分のデスクの上に置いた。レモンと向かい合い、はじめのうちこそ恐る恐るといった感じでぎこちない大塚だったが、徐々に打ち解けてくると、和やかにレモンと談笑し、終いにはレモンの要望に応えて一緒に星を見に行く約束を交わすまでになった。

翌日、大塚は早速レモンとともに星を見に出かけた。東の空にそびえる寺塔の傍に、紡錘形の月があった。大塚はそこでレモンの祈りの儀式を目の当たりにし、レモンが月を崇めていること、その歴史の1500年に及ぶこと、そして宇宙にロケットで行ける技術が開発されつつあるかもしれないことなどを知った。夜空に月が少しずつ昇ってゆくのを見上げながら、大塚とレモンは宇宙飛行の可能性の是非について話し合った。大塚はレモンと話すうち、今までに感じたことのない情熱のようなものがふつふつと胸に湧き起こるのを感じた。これまで何をやっても父の二番煎じに思え、仕事に心からの愛情をもてずにいた大塚だったが、ひょっとして自分はロケット開発に目を付けた初めての日本人なのではないかということに思い当たると、使命感に身が奮い立った。
 次の日から大塚は、ロケット開発に関する情報収集に奔走した。彼は、米国のクラーク大学教授ロバート・ゴダードがツィオルコフスキーの考案した液体燃料ロケットの実用化に向けて動いているらしいという情報を得て、1914年に彼が設計したロケットモーターの図面や、増速量と質量の関係の理論をもとにロケットの実現可能性を理論的に示した1919年の論文『きわめて高い高度に達する方法(A Method of Reaching Extreme Altitudes)』など、可能な限りの資料を入手した。専門的な内容のため大塚には理解の難しい部分も多々あったが、できる限り概略をかいつまんでレモンにも報告した。今まで敬遠していた蔵書にも手を伸ばし、参考になりそうな本があれば、それらを片っ端から読んだ。当時米国ではゴダードの言説はなかなか信用されず、酷評されていたことも分かったが、大塚もレモンも真に革命的な発明はなかなか世間に信用されないものなのだとその境遇に理解を示し、レモンは大塚に「近々渡米のご予定はなくて?」「ゴダード博士に是非ともお会いしたいの」「彼を励ましに行きましょう」などと度々せがんだ。
 頻りにゴダードに会いたがっていたレモンだが、結局その夢は叶わず、夏の盛りを迎える前に傷んでしまった。ひとり残された大塚は、レモンの分まで益々研究にのめり込んでいった。

 

1925年1月〜1926年3

1925年1月1日、同人誌『青空』の創刊号が発刊され、巻頭には梶井基次郎の短編小説「檸檬」が掲載された。「檸檬」が文壇で評価されるのは幾年か後のこととは言え、印象的な小説のラストは耳目を集め、京都丸善には八百卯で買ったレモンを置き去る人が度々現れた。
 大塚はそれらのレモンを回収し、支店長室の飾り戸棚の上に並べた。彼は毎晩のように並べたレモンたちに向かって、最先端のロケット開発事情や宇宙飛行の可能性について語った。レモンたちは大塚の話に聞き入り、いつか自分たちの子孫が月に行ける時代がやってくるかもしれないという可能性に興奮し、大塚と志を同じくゴダードの研究を応援するようになった。

それから一年後、ついに大塚に渡米の機会が訪れる。渡米の予定が決まるとすぐに、彼はゴダードに面会申し込みの手紙を書いたが、返事の来る前に出立となった。2月初頭の寒空の下、大塚は外套のポケットにレモンをひとつ忍ばせ、神戸港を発った。
 マサチューセッツ州のボストンに滞在し、洋書や雑貨の買い付け、幾つかの大学見学を終えた大塚は、旅程の最後にボストンから西に約65キロメートル離れたウースターの町まで足を伸ばし、ゴダードの勤めるクラーク大学を訪ねた。

その日は朝から雪が降り続いていた。雪はゴダードが授業を終えた昼時になって、ようやく降りやんだ。水気を多く含んだ雪の表面に、雲の切れ間から差す陽光が反射して、キャンパス内の森も道も建物も、一帯が白く輝いている。授業を終えて研究室に戻ろうと建物の外に出たゴダードは、あまりの眩しさに思わず顔をしかめた。校舎前のまっさらな雪道に、彼は躊躇うことなく新しい足跡をつけながら、今日の授業の出席者がいつにもまして少なかったことの理由に今更ながら思い当たった。先ほどまで雪が降っていたことなど、まったく彼の眼中になかったのだ。彼にはいま、他に考えるべきことが山ほどあった。
 ゴダードの授業はもともと出席者が少ない上に、雪のせいで、その日教室に来た学生は数えるほどしかいなかった。その学生たちだって、決して興味をもってゴダードの講義を聞いているわけではない。学内事情に疎かったせいでうっかり履修してしまったという一年生がほとんどだ。入学して一ヶ月が経つ頃には、ほぼすべての学生が、ゴダードが「クレイジー・ボブ」と呼ばれるキワモノ学者であることを知る。「宇宙を夢みる妄想学者」「学生でも知っている基礎理論を知らないエセ科学者」「月に人間を送り込もうとしているヤバい奴」……そういった噂が、先輩から後輩へ、友人から友人へ、あっという間に広まる。一人また一人と出席者が減り、この時期になってもまだ授業に出てくる学生は、ここで単位を取っておいた方が得だという打算的な理由により出席しているに過ぎない。
 今日もゴダードの物理学基礎の授業は早々に脱線した。彼が黒板にロケットの図面を描きはじめると、学生たちはペンを置いて「また始まった」と言わんばかりに互いに目配せし合った。このような学生の反応には慣れているゴダードは、気にせず続けた。ツィオルコフスキーが考案した液体燃料ロケットの実用化に向けて、彼はこの20年ひとりで孤独に研究を続けてきた。いや、“ひとりで孤独に”できるなら、まだよいのだ。そのことを彼は、1919年に発表した最初の論文で嫌というほど思い知らされた。その論文は、質量一ポンドの機器を任意の高度に打ち上げることのできる最小質量を求めることを目的としており、増速量と質量の関係の理論および試験用固体ロケットモーターを用いた実験結果をもとに、ロケットを月に送り込む際に必要な有効排気速度や初期質量を算出したものだった。画期的な研究であるはずのそれは、しかし、研究者からもメディアからも大バッシングを受け、ゴダードは一時期その対応に忙殺された。以来彼は、研究成果の発表には慎重になっている。とは言え、自身の研究発表をする機会をもつことはやはり重要である。発表することによって、自分自身それを客観的に見つめることができるようになり、間違えに気づけたり、新たな道が開けたりするものだ。そこでゴダードは、自分の受け持つクラスを勝手に研究発表の場とすることにしている。学生が示唆に富んだ意見をくれることは滅多にないが、表立って批判されることもないため、彼にとっては都合がよかった。
 ゴダードの頭の中はいま、もうじき完成する予定の液体燃料ロケットのことでいっぱいだった。理論を積み重ね、実験をくり返し、ついに人類初の打ち上げ実験を行おうというところまで来たのだ。しかし、あと一歩のところで壁にぶつかった。今日も学生たちの前で一人ああでもないこうでもないと、黒板いっぱいに計算を繰り広げていたのだが、解決の糸口は見つからなかった。
 ゴダードは研究室棟の前まで来ると、ふと後ろを振り返った。雪道の遠くの方まで一直線に続くひっそりとした足跡を見つめながら、彼は、この平穏で孤独な日々ももうじき終わるのだと思うと、暗鬱な心持ちになった。もし例の問題が解決し、打ち上げ実験を行うことができたら、冷やかしと批判の声が再び彼のもとに殺到するだろうことは目に見えている。どこからどう噂が広まったのか、ここのところゴダードのもとには、連日のように「もうじきロケットの打ち上げ実験を行うご予定だと聞きましたが」「いったいどれくらいの距離を飛ばせるんでしょう」「月までですか」などと、からかい半分の電話や手紙が来るようになった。
 世間が満足するような飛距離をはじめから出せるわけがないのだ。だがその一歩がなければ、永遠に月に辿り着くことはできない。自明の理である。しかし、そもそもロケットが月に行けるなど誰も信じていない世の中で、その一歩の価値が認められることはまずないだろうとゴダードは思った。
 思えば、いま目の前にあるこの巨大な研究室棟の建物だって、レンガをひとつひとつ積み上げた末に出来上がったものだ。だが、そのひとつ目のレンガが置かれとき、いったい誰がその重要さを認識できただろう。いったい誰が、その上にこれほど巨大な建物が建つことを想像し得ただろう。何事においても一歩目の価値というのは、その時点では誰にも認識され得ないものなのかもしれないと、彼は諦めにも似た境地でひとり納得した。
 玄関ホールの石敷きの床に、彼の硬いブーツの底が当たって、冷たい靴音がたった。吹き抜けのホールの正面にあるステンドグラスから差し込む光が、螺旋階段へと向かう彼のオーバーコートに、赤や黄や緑の歪な影を映し出した。

 

長い廊下の突き当たりにあるゴダードの研究室の前に、大塚は長いこと立っていた。ゴダードは廊下の向こうからその人影を認め、嫌がらせの取材か何かだろうかと身構えた。近づいてみれば、やはり見知らぬ顔である。ゴダードは、早々にお引き取り願うつもりでぶっきらぼうに尋ねた。
「私に何かご用ですか。取材ならお断りします」
「あ、いえ……」
 無愛想で気難しそうなゴダードの風貌に、大塚は一瞬怯んだ。全身黒尽くめの服装も、愛想のない低く響く声も、気難しさを象徴するような口髭も、禿げ上がった額に刻まれた幾筋もの深い皺も、容易にひとを寄せ付けぬ空気を纏っている。しかし、大塚にとってはやはりゴダードに会えたことの喜びの方が大きかった。
「私、大塚と申します。先日お手紙を差し上げたのですが」
「取材ですか」
「……いえ、違います」
「じゃあ何のご用でしょう」
 ゴダードが明らかに自分の来訪を歓迎していないことを感じ取った大塚は、どう話を切り出すべきか、考えを巡らせた。そして慎重に口を開いた。
「あなたは、月を目指しているのが私たち人間だけじゃないということをご存じですか」
「……おっしゃることの意味がよくわかりませんが」
 ゴダードはこのとき初めて大塚を直視した。確かにメディアの人間ではなさそうだと思った。自分に対する敵意も悪意も嘲笑の色も感じられなかった。偶に現れる宇宙マニアの類かとも思ったが、それにしては品が良すぎるように感じた。色白で小ざっぱりとした身なりで、中国か日本かどこの国の人かはわからないが、きっと知的階級のよい家柄に属する一角の人物なのだろうと思われた。ゴダードはともかくこの大塚という男を自分の研究室に招き入れることにした。
 研究室は、北向きの日当たりの悪い間取りのせいか、昼間なのに薄暗く寒かった。両側の壁の本棚には大量の本が雑然と積まれ、正面奥の窓際のデスクの上には書類やらノートやらが散乱しており、部屋の中央に置かれた大きなテーブルは実験器具で埋め尽くされている。そのテーブルの真ん中に、人の腕の長さほどの細長い筒状の装置が置かれていた。
「もしかして、これが……」
「ロケットです」
 大塚は、これまで図面でしか見たことのなかったロケットの実物を見て、興奮の色を隠せなかった。
「いやあ、これはすごい!」
 ゴダードは再び大塚を見た。このロケットを見て素直に感動してくれる人に出会ったのは初めてだった。
「予想外に小さなロケットで、がっかりしていませんか」
「なぜ? がっかりなんかするわけないでしょう」
「いや、ね、もうじき打ち上げ実験を行う予定なんですがね」
「ほう、ついにですか!」
「あとひとつ問題が解決すれば、ですが」
 ゴダードは歯切れの悪い調子で言うと、ロケットの脇に置いてあった部品をごちゃごちゃといじり始めた。
「でも、世間は馬鹿にするでしょうな、このロケットを」
「なぜです?」
「あなたは、このロケットがどのくらい飛べると思いますか?」
 大塚はゴダードの論文にあった計算式を思い浮かべ、少し考えてから「100メートルほど」と答えた。ゴダードは声をあげて笑い、「そんなに飛びませんよ」と返した。
「ロケットで月に行けると豪語する人間が、100メートルも飛ばないロケットを打ち上げたら、世間がどんな反応をするかはわかっている」
 ゴダードは両手をロケットの上にそっと重ね、俯いて言った。
「だからね、今回は実験を見送ろうかとも思ってるんですよ」
 いずれにしろあの問題が解決しない限り飛ばせないわけだし、とゴダードは呟いた。大塚は、ロケットの上に重ねられたゴダードの節くれだった手指をしばし見つめ、いつになく強い調子で言った。
「でもその実験は、あなたにとって重要なものなんでしょう? いつか月へ行くためには、必要な実験なんでしょう? 先ほど、月を目指しているのは私たち人間だけじゃないと申し上げましたが」
 大塚はポケットからレモンをひとつ取り出し、テーブルの上のロケットの隣に置いた。
「これをあなたに差し上げます。今夜紡錘形の月が上がったら、このレモンをぴたり月に重なるようにかざしてみてください。そうすれば、必ずやこのレモンがあなたの力になってくれるはずです」
 大塚の言うことの意味がよく分からなかったゴダードだが、曖昧な笑みを返し、レモンを受け取った。

ゴダードはその晩、大塚に言われたとおり、レモンを紡錘形の月に重ねるようにかざした。彼は思わず「Lemon Moon!」と声を上げた。
 それから間もなく、彼はレモンの声を聞いた。レモンが発光しながら月へ祈りを捧げる儀式を目の当たりにし、その意味を知る。
 その後ゴダードとレモンの間でどのようなやり取りがあったのかは、もはや書くまでもあるまい。ゴダードはレモンのおかげでやる気と自信を取り戻し、残されたひとつの課題も間もなく解決された。

1926年3月16日、ゴダードはウースター郊外のオーバーンにある彼の伯母の農場へ向かった。まだ雪の残る畑に、四角錐形の鉄製の発射台を設置し、液体燃料ロケットの打ち上げ準備を行った。農場には、大勢の野次馬が詰めかけていた。
「ほう、あれがロケットか?」
「随分と小さいな」
「どれくらい飛ぶか見ものだな」
 見物人は口々に言った。わずかな期待と嘲りの入り交じった声が飛び交う中、ゴダードは淡々と準備を進めた。
 太陽が南の空高く昇った頃、ついに打ち上げが行われた。ゴダードはレモンを手に、ロケットの行く先を見守った。ロケットは2.5秒間で12メートル上昇し、56メートル先のキャベツ畑に墜落した。
 見物人たちが一斉にわいた。それは決して打ち上げの成功を喜ぶ声ではなかった。石ころを放り投げるよりも低い位置までしか飛ばなかったロケットに失望し、ほんの少しでも期待を抱いてしまった自分たちが馬鹿だったと言いながら、ゴダードに嘲笑の声を浴びせかけた。
 だが、ゴダードは毅然として、「実験は成功しました」と観衆に告げた。人々は彼の言葉に笑ったが、飛距離は予定どおり、実験は成功だった。
 レモンは、大満足だった。たったの12メートルではある。しかし、月を目指すレモンにとって(もちろん人類にとっても)、この12メートルこそが記念すべき第一歩となったに違いないのだ。
 それからゴダードは、さらにロケットの改良を重ね、ロケットの到達高度は、1930年12月には1440メートル、1937年3月には2700メートルにまで達した。ゴダードの傍には、何時でもレモンがあった。ロケット開発のその後の目覚ましい発展ぶりについては、みなさんがご存じのとおりである。

 

2015年8

2015年8月24日、種子島から打ち上げられた無人貨物船「こうのとり」5号機が、国際宇宙ステーションに初めて生鮮食品を運ぶことに成功した。届けられたのは、オレンジとレモンである。レモンもついに宇宙空間に浮かぶことができて、大いに喜んだことだろう。
 レモンが国際宇宙ステーションから眺めた月は、いつもよりほんの少しだけ大きかったはずだ。月は、レモンの祈りの歌声がいつもよりほんの少しだけ近かったことに、気づいただろうか。

 

 


参考文献

  • 梶井基次郎(1972)「檸檬」『檸檬・ある心の風景』旺文社文庫(初出:『青空』創刊号、青空社、1925年)
  • 木村毅/編(1980)『丸善百年史日本の近代化のあゆみと共に』丸善出版(PDF版:http://pub.maruzen.co.jp/index/100nenshi/index1.html)
  • 冨田信之(2012)『ロシア宇宙開発史気球からヴォストークまで』東京大学出版会
  • Robert Goddard (1919) “A Method of Reaching Extreme Altitudes,” Smithsonian Miscellaneous Collections, Vol.71, No.2, Smithsonian Institution.

参照ウェブサイト

  • 小野雅裕(2016)「なぜロケットは巨大なのか? ロケット方程式に隠された美しい秘密」『一千億分の八』連載第6回、宇宙兄弟 Official Web(https://koyamachuya.com/column/voyage/24461/)
  • 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター(2015)「油井宇宙飛行士、『こうのとり』5号機に入室、ISSへ物資搬入開始」宇宙航空研究開発機構(http://iss.jaxa.jp/iss/jaxa_exp/yui/news/150826.html)
  • 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター(2015)「『こうのとり』5号機(HTV5)ミッションを支えたJAXA宇宙飛行士の活動」宇宙航空研究開発機構(http://iss.jaxa.jp/astro/report/2015/1508/htv5.html)
  • Town of Auburn Massachusetts, “Robert Godard”(http://www.auburnguide.com/pages/AuburnMA_Museum/goddard)

文字数:19475

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