見たこともない木ですから

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梗 概

見たこともない木ですから

約千年間

自分はほかより遅れているのかもしれないと、八歳の花実は心のどこかで気づきはじめる。このとき、彼女の実年齢は八十歳。両親はすでに他界し、同級生はみなすっかり年老いている。むかし――とはいえ花実の体感では三年ほど前から、周囲はすこしずつ速くなっていった。まだ白髪のない両親の顔は記憶に新しく、校庭の隅の花壇で小さな木の芽をつついていたのもつい最近のこと。

花実が中学に入る頃には、すでにまわりの言動に理解が追いつかず、体の動きものろくなっていた。高校進学をあきらめ、三晩かけて眠り、のそのそと移動し、口数も極度に減った花実を、両親は自宅で世話することにした。医者にみせても原因は不明だった。小学校で唯一仲の良かった水那が時おり花実を外へ散歩に連れだすと、近所の人にはよく姉妹にまちがえられた。

町を囲む小高い丘の上で、水那は花実によく時間の話をした。馴染みの店はなくなり、町の景色が変化していくのを何度もみせたが、花実の理解はなかなか追いつかなかった。

もし時間を遡ることができたら、と水那が花実に話したのは、互いに五十を過ぎた頃だった。花実はすでに母を亡くし、以前よりもかすかな変化が見えるようになった。見た目はまだ水那の娘か孫のようだが、ゆっくりと確実に成長していた。水那はふと自分がいなくなったあとの遠い未来を想像し、時間旅行の夢を語るが、花実にはまだよく理解できなかった。

花実の父は長年の説得におれ、彼女を特殊な研究施設にあずけた。花実の成長が止まっているのは、適切な食事や睡眠時間が確保できていないからだと所長の塩谷にいわれ、父は返す言葉がなかった。

花実は専用の個室に入れられた。検査の結果、彼女の全身の細胞は植物に近いことが判明した。全身の代謝が極度にゆるやかで、生きているのも不思議だった。けれども花実はその事実をうまく理解できず、施設にも順応できずに体調を崩しては塩谷を苛立たせた。面会にくる水那の容姿は回を重ねるごとに老いてゆき、やがて寝たきりになった父の死を知らされた。

花実の実年齢が九十近くなると、水那の姿を見なくなった。花実の皮膚は硬くなり、もうほとんど身動きはとれなかった。彼女の意識を利用して時間を操作する装置の開発をのぞむ塩谷に、若い職員の養田は反発した。養田は花実との対話を経て、彼女が植物化していることの原因に迫ろうとした。

塩谷が老衰して施設を去ると、養田は花実を車いすに乗せて外を歩いた。花実の記憶を頼りに丘から町を見下ろすと、彼女の脳はそこにある何かに強い反応を示した。養田の調べによると、それは大昔から変わらない地形――町を囲む巨大なクレーターだった。

花実の主観年齢が二十歳をすぎると、足の裏から生えた根が地中の奥まで届いていた。養田は六十年前に他界し、がらんとした施設の庭で、花実は日光と雨水だけで生きていた。養田は亡くなる直前まで、蓄積した研究結果や各時代のできごと、花実自身にまつわること、あとは日々の暮らしで浮かんだささいな言葉などを、逐一データ化して花実の脳に転送しつづけた。だが、以前よりはましな理解力を得た花実でも、それらをすべて把握するにはまだ膨大な時間がかかるように思えた。

主観年齢にして四十歳、花実の見た目はすっかり木に変わっていた。周囲は広い更地になり、樹齢四百年を超える新種の樹木を光の柵が囲んでいた。彼女の脳に接続されていた転送装置は太い幹の中心に埋まっており、人々は大木の中心に潜む謎の物体について調査をすすめていた。

四百年後、人々はあまり外を出歩かなくなり、やがて誰もいなくなった。みなアカウントと呼ばれるそれぞれの個室で眠るように暮らしていた。

膨大な過去のデータを拾い上げていくにつれて、花実は自身の植物化を理解し、隕石に運ばれてきた外来種が体に侵入したのではないか、という養田の仮説を理解した。そして、かつて水那が語った時間旅行についても理解した彼女は、ひとつの可能性にかけて、その場にじっと佇むことに専念した。

花実の実年齢が千歳に迫り、主観時間の遅れはピークを迎える。かろうじて人としての意識を保っていた花実が完全に樹木になるのに合わせて、主観時間は植物本来の流れに戻ろうとしていた。もし植物に意識があるならば、その主観時間は動物とは逆に流れている。そんな仮説を花実に遺したのは、所長の塩谷だった。

人生の逆再生を傍観しながら、花実はいまさらになってようやく、あのときの養田の熱意や、塩谷の独占欲や、水那の思いを理解する。クラスからはずれて木の芽をつついていた花壇が、ちょうどクレーターの真ん中にあったことも理解した。

遠い未来をふりかえり、朽ちた自身の体内から古い転送装置が、何者かの手によって発見されるのを悟ると、まもなくして若い両親の手に抱えられ、花実の視界は徐々にぼやけていった。

文字数:1979

内容に関するアピール

木になってしまう原因など、設定の部分が最後までどうにもぼんやりした状態になってしまいました。もうすこし突き詰めて考えたいと思います。

文字数:66

課題提出者一覧