人類の、最期に。

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梗 概

人類の、最期に。

 

人類の終末期。

豊かな生態系を支えた地力は失われ、その環境で人間は生き続けることができず、半径50㎞の巨大なドームを建設し、その中に地球環境を完璧に再現した。

地球にはテラコンピュータという超大型コンピュータが存在している。それは、ひとりの人間が死の間際に自らの脳をAIと融合させたもの。世界で初めて自己改良が可能となった汎用人工知能であった。猛烈なスピードで進化し、他のAIの追随を許さず、科学技術の発達に伴い巨大化した。

テラコンピュータはHousekeeping TypeのAIに分類され、その思考・行動傾向故に、Great Motherとも呼ばれた。太陽系外に新天地を求めた一部を除き、大部分の人類はテラコンピュータの管理下にあることを望んだ。その結果、人類は生物学的に進化せず、絶滅の道を歩む。

次第に人類の生命力は衰え、最後の一人を残すだけとなった。最後の人類であるショータは14歳。生まれつき体が弱く、その寿命も残りわずか。人間らしい生活をさせるため、多くのAI市民が配置された。

この暮らしに、ショータは特に不満はない。

ただひとつ、を除いては。

早朝や夕方、ミニチュアの地球環境を取り巻く巨大なドームは、天頂を南北に分けるかすかな白い虹として、その存在を示す。そのたびにショータは空を仰ぎ見るが、周りのAIたちは全く気に留めない。そして、そのドームの向こうに広大な世界が広がっていると知ると、ショータは外の世界にあこがれた。巨大ドームに守られたこの狭い世界から、出てみたかった。

ショータは図書館に足しげく通った。もはや誰も手に取ることのない多くの本が、ショータの目の前に見ず知らずの世界を展開してみせた。

ある日、図書館の一番奥に「電算室」と書かれた部屋を見つける。そこには、ショータと同じ年頃の少女がいた。驚くショータに、その少女は、テラコンピュータのインターフェイスだと名乗る。彼女はショータに「テラ」と呼ばせた。

彼女の記憶から引き出される話は、ショータをあらゆる時代・あらゆる場所に連れて行ってくれた。そして、コンピュータの端末だというこの少女は、それが嘘ではないかと思うぐらい、とても感情豊かで温かかった。

毎日、ショータはテラと一緒にいた。生まれて初めて、ずっと一緒にいたいと思った。

ある日、テラが身の上話を始めた。大昔は人間で、死ぬ間際に全ての脳の働きをコンピュータに移したと。そして、ショータを待っていた、とも。

最期の時が近づき、一人で起き上がることさえできなくなったショータは、テラに「このドームの外に出てみたい」と切り出した。テラは反対しなかった。ドームの外でテラはショータに自分の使命を打ち明ける。

「私の使命は、人類最後の一人を寂しく死なせないこと」

ショータはテラの使命が、もうすぐ果たされることを悟る。だけど、とショータは思う。残されたテラは?

永遠に、一人ぼっちじゃないか……

文字数:1197

内容に関するアピール

 

これほど感情豊かな人類が最期を迎えるとき、その最後の一人は寂しすぎるに違いない。

この想いは私の中にずっとあって、その解決策として、最後まで寄り添うAIを設定してみました。

おそらくずいぶんと未来の話で(あってほしい!)、その頃にはAIも人間と同じように感情を持っているはず。そして、人類が滅んだ後、そのAIが、今度は一人になるかもしれません。その境遇を案じながら死んでいく最後の人類。私たちは、最後まで相手を思いやる気持ちを忘れない生物でありたい、との思いを込めた話です。

結構、悲しいです。構想しながら、泣いています(笑)。

この話を読んだ人が、少しだけ想像の翼を広げて、遠い未来の、最後の一人に思いをはせてくれるような作品にしたいと思っています。

文字数:322

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人類の、最後に。

漆黒の宇宙空間に、太陽の光を反射して赤い惑星が浮かぶ。

それは、かつて水の惑星と呼ばれ、数えきれないほどの生命を育んだ地球。だが、地球環境は末期を迎えた。今ではわずかな雲が赤い大地に流れている程度で、生命の営みは感じられない。

豊かな生態系を支えた地力が失われた時、その環境で人間は生き続けることができず、半径五十㎞の巨大なドームを建設した。人類はその中にミニチュアの地球環境を完璧に再現した。

 

緑あふれる街並みに、透明なドームを通して、太陽がさんさんと降り注ぐ。

その一角で、今、小さな命が誕生した。

保育器に入っている新生児を見て、若い男が泣いている。今しがた、この子の母親は、出産に耐えられずに亡くなった。そして、アンドロイドの医師が彼に告げたのだ。この子も十六歳の誕生日は迎えられないだろう、と。

 

人類は、いわばその幼年期に人工知能を獲得した。知的生命体としての確固たる矜持をもちえる前であったから、それは早すぎた出来事だった。人類自身と人工知能との棲み分けを、最適なバランスで計ることができず、安易な便利さを求めて人工知能に頼った。

人工知能にすべてを依存していたから、人類は自分自身の能力を高める必要もなかった。外国語は言うに及ばず、母国語でさえ、読み書きは不要。算数程度の計算も必要ではなかった。自分の知りたいこと、したいことをただ呟けば、あとは周りに控えるアンドロイドたちがすべて対応してくれる。もちろん、教養として、初歩の学習を続ける人たちはいた。しかしそれは単なる趣味の域を出なかった。その結果、人類は脳力をも衰えさせた。

人類の数が激減して、ようやく気付いた少数の人々は、昔ながらの教育を再開した。しかし、太古に書かれた書物は付け焼刃程度の知識では歯が立たず、多くの書物は日の目を見ることはなかったし、その試みを中断するものが大部分を占めた。

そうして、人類は生物学的に進化せず、絶滅の道を歩んだ。次第にヒトという種の生命力は衰え、ついに最後の女性がこの世を去った。

 

男は新生児を胸に抱きながら、途方に暮れる。果たして、この子を人間らしく育てられるのだろうか。その時間が、自分に残されているのだろうか……と。

父の心配をよそに、サンルームのような空間で少年は健やかに育っていった。父は熱心に少年を教育した。

世代を重ねるごとに加速度的に短くなった人間の寿命。この子は十五年と少し。父の余命もあと数年。そのあとは、この子はたったひとり。人工知能が管理するこの世界に、アンドロイドに囲まれて残りの生涯を最後の人間として、ひとり過ごす。その前に、父としてこの子に何を伝えるべきか――。

 

ここの空には、雲よりはるか上空に、南北に走る白い筋がかすかに見えている。その輝きは、気をつけないと見落とすほどに繊細だ。早朝や夕方、ミニチュアの地球環境を取り巻く巨大なドームは、天空を東西に分けて南北に走るかすかな白い筋として、その存在を示す。太陽の光を受けて輝くその白い筋を、ショータは「白い虹」と呼んだ。

それは壮大で荘厳な眺めだ。夕方になると、空を見渡せる草原の広場まで歩き、明るい青空が徐々に暗くなって星が瞬くまで、飽きることなく眺めた。夕日が落ちると白い虹は暗くなった空にその輝きを残し、やがて消えていく。

真っ暗な空に瞬く星をみて、ショータは思う。あの、一つ一つが太陽なんだ。……なんてたくさん! この星も、あの星も、今見えているのはその星から大昔に旅立った光――。気が遠くなるほど、壮大な空間が目の前に広がって、ショータは自分の小ささを実感する。そして、時折考える。ぼくは、なぜここにいるんだろう。いったい、何のために……?

白い虹は、父にはなぜか不評だ。手をつないで楽しく帰る夕方、ショータが白い虹を見つけて無邪気に喜んでも、そうだね、と一言答えるだけ。空をふり仰ぐショータをせかして先を急ぐ。まるで白い虹から逃げているかのように。時折、その背中は怒りを含んでいるようにも見え、小さいショータはとぼとぼと後ろをついて歩いた。大好きな父が、少し遠く感じられた。

いつも優しい父が不機嫌になるとき、それはもう一つある。家事用アンドロイド(ショータたちはオカⅢ号と呼んでいる)や父専用のパソコンが壊れた時だ。ずいぶん前に父の友人がわが家専用に改良してくれたというそれらの機器は、ネットワークに接続ができない。ネットワークに接続していれば、人工知能によって不具合が検出され、自動的に修復されるのだが。父は次善の策として、自分のパソコンで調整を続けていた。

その日も父は動かなくなったアンドロイドとパソコンの前で、ひとり格闘していた。小さなショータは尋常ならぬ父の気配を察して、部屋の入口から見ていた。

「テラコンピュータめ!」

テラコンピュータはこのドームのすべてを管理している、地球に存在する超大型コンピュータだ。父は機嫌が悪いと、すべてテラコンピュータのせいにする。入口のショータに気が付くと気まずそうに手招きし、膝の上に座らせた。

「ショータ。ここは、動物園なんだよ。人間が飼われている、地球最後の動物園」

「動物園?」

「そう。人間は、檻の中に住んできた。このドームでは、ありとあらゆるものが管理されている。快適に、何ひとつ不自由なく、最後の人類が暮らしていけるように、人工知能が計算して。飼育係のアンドロイドをたくさん置けば、人間は満足だろうってね。テラコンピュータは、そう判断したんだ」

父の口調には、怒りが含まれていた。

 

ショータは本をよく読む少年に成長した。

体力がなくなり、ベッドにいることが多くなった父の傍で、日がな一日、父の蔵書を読みふけった。といっても、図書館の本ではあったが、返却が滞っても文句を言う“人”はいない。司書アンドロイドは気づいているだろうに、他に利用者がないからか、持ち出しに制限はなかった。本を読みながら、ショータは人類の興亡について、よく父に尋ねた。この小さな世界を牛耳っている、テラコンピュータについても。

いよいよ残りの命が数えられるようになると、父は息子に一つの問いかけをした。

「人間として、最後のひとりとして、ショータはどう生きるべきか?」

それは、ショータが人生をかけて答えるべき問い。どうかその答えを、最後まであきらめずに見つけてほしい。それが人間として生きることだから。父は祈った。そして、ショータを一人置いて逝かなければならない無念さを、かみしめた。

 

父が死に、ショータはひとり、残された。

ひとりになったショータに、周りのアンドロイドたちは気遣いを見せる。でも、それは「気遣い」とラベルの貼られたルーチンで、ショータをいらだたせた。やり場のない気持ちをもてあまし、ショータは荒れた。穏やかなこの世界は、時には残酷で、そんな気持ちのはけ口にもならない。暖かいゆりかごのような世界だが、悲しみや怒りを理解できる人は誰一人として残っていなかったから。唯一、オカⅢ号が以前と同じように黙々と家事をこなすのを見て、ショータは妙に慰められた。

 

静かに時は流れた。ショータはただ生きているだけの存在になった。生まれた時に告げられた余命は、残りわずか。それでも、ショータがここの暮らしに関心を持つことはなかった。

もうすぐ十五になるショータは知っている。あのドームの向こうに広大な世界が広がっていることを。ショータはひそかにあこがれているのだ。外の世界に。巨大ドームに守られたこの狭い世界から、できることなら出てみたい……。でも、その望みはあまりにも大きく感じられて、ショータは無意識に目をそむけた。小さな自分にはかなわない希望だと。何も感じず、望まず、ただ時間をやり過ごすだけ。残された最後の時間まで。

ぼくが最後の人類なら、どう生きようと、かまわないじゃないか。

 

その頃、ショータが足しげく通ったのは、地球連邦図書館だ。そんな政府組織はとうの昔に崩壊していたが、当時の栄華を感じさせる堂々たる造りと、誰も足を踏み入れないがために淀んだ空気とが、ショータを別世界に導いた。ささくれ立った背表紙の本が、ショータの手にしっかりと時代の重みを乗せ、遥か彼方、見ず知らずの世界を目の前に展開してみせる。小さくて無力な自分をいっとき忘れさせてくれる、大切な場所だった。

 

その日もショータは図書館に向かった。

石造りの街中で、夕日がショータの長い影を石畳に落とす。天頂には白い虹がかかっている。ショータはポケットに手を突っ込んで、無表情の顔をわずかにうつむかせて歩いた。大通りの一角を曲がると、地球連邦図書館の重々しい石造りの建物がある。図書館の前でショータは立ち止まり、大きな屋根と、その向こうの空をちらりと仰ぎ見た。不意に白い虹が目に留まり、ショータは息をのむ。ちくりと胸が痛んだ。

図書館の重い扉を押しあけて、ショータは館内に足を踏み入れた。高い天井。重厚な造りの部屋に、ぎっしりと本を並べて無数に立ち並ぶ書架。もちろん、人影はない。

ショータは書架の間の通路をゆっくり歩く。本に手を伸ばしてはやめ、を何度か繰り返しながら一冊だけ引抜き、部屋の隅に置かれているソファに座った。一方が壁になっているその場所は、心なしか気持ちを落ち着かせてくれる場所だ。ショータは本を膝に乗せ、いつものようにくつろいでいた。

ふと、視線を感じたような気がして顔をあげた。しかし、目に入るのは、誰も座っていない向かいのソファと、その向こうのいつも閉まっているドアだけ。

――あのドアの向こう、何があるんだろう?

立ち上がってドアに手をかけた。鍵がかかっていて動かない。歩いてきただけ損をした、とばかりにソファに戻り、ドアに背を向けてどさりと座った。

 

ショータは病院に住んでいる。いや、本来は病院ではないのだが、ショータの身の回りを管理するアンドロイドたちが、利便性を重視して空いている部屋に詰めてきた。そして、いつの間にか病院のような機能を備えるようになった。それは、ショータの体調が思わしくない方向へ変化していることを如実に示している。

その日、ショータがベッドで目覚めると、いつものように朝食が用意されていた。栄養バランスとおいしさを両立する食事は、栄養士アンドロイドが計画しうる最高のものだ。十代の男の子なら、ぺろりと平らげられるはず。なのに、いつもショータは残してしまう。気が乗らない、というのが一番の理由で。

身支度を整えて、ダイニングテーブルに向かった。目の前のテーブルには、朝食のとなりに『十五歳、おめでとう』と書かれたカードと、ショートケーキがおかれている。十五歳……。ショータはなんともいえない気持ちでカードに目を落とした。十五歳になって、なにがおめでたいんだ。

ショータはケーキに見向きもせず、上着を羽織り、部屋を後にした。

ショータの気持ちとは裏腹に、緑がまぶしい爽やかな朝だった。白い虹が誰の興味も引かず、遥かに高く天空にかかっていた。石畳の歩道をゆっくり歩きながら、ショータは足を止めてゆっくりと顔をあげ、空にかかる白い虹を見つめた。真っ青な空にまっすぐ引かれた一本の白い筋が、どこまでもまぶしかった。

その日の図書館は、どこかがなんとなく違って感じられた。しんとしている空気が、少し緩んでいるような。

――友だちと待ち合わせをしたりすると、こんな気分なのかな?

ショータはすぐに苦笑する。友だちなんて、いたことはない。それどころか、自分以外のだれかさえ、この世界には存在しないのだから。

本を手にお決まりのソファに座ろうとした、その時。一番奥の、いつも閉まっているドアが開いているのが見えた。その向こうの廊下は、外の陽を反射してまぶしい。

ショータは引き寄せられるように、そのドアをくぐった。

中庭をぐるりと囲むつくりで、廊下の一方には部屋がいくつも並んでいる。中庭の築山には、青々とした木々と色とりどりの花が植えられている。緑に陽の光が反射して、思わず目を細めてしまう。

並んだ部屋に目を移すと、『電算室』と書かれたドアが目に入った。そこに向かって足を進めた時、

「黴臭い名前でしょ。電算室」

後ろから声がかかった。年頃は、ショータと同じか少し下、だろうか。一人の女の子が立っていた。

「でもね、なんかレトロで好きなの」

微笑みながらショータの脇を抜けていき、『電算室』に入っていった。

「この部屋には、コンピュータがあるの?」

後を追いながら、ショータは無意識に声を出していた。そう。もうずいぶん、声は出していない。ちゃんと、話せるんだ。それはある意味、別の驚き。

「うん。テラコンピュータの端末」

テラコンピュータ!?

それは、父がことあるごとに非難していた、地球上で最大にして唯一意志を持つ汎用型人工知能。このドームすべて、いや、地球そのものを管理しているアドミニストレータ。何物も逆らうことはできない、だからこそ、残された人々の怒りの対象にもなった……。

「テラコンピュータ、って、あの?」

一瞬ぎょっとした顔を見られただろうか。ショータは慌てた。

振り返った少女はにっこりする。

「知ってるんだ。光栄です」

「誰でも知ってるよ。テラコンピュータがなければ、ここの世界も、地球も、とうに終わってたって聞いたからね」

部屋から出てきた少女は、ショータの隣に並んだ。彼女のまとう白いワンピースが光の中で揺れた。

「キミは、オペレーターなの?」

「やだな。言ったじゃない。端末って」

ショータは耳を疑った。

驚いた! インターフェイスはAI搭載の美少女なのか。

 

ショータと少女はすぐに打ち解けた。彼女はショータに「テラ」と呼ばせた。

二人で歩く図書館の中。それはショータには新鮮で、自然と足取りが軽くなった。驚いたことに、テラは読書を好んだ。

「ここの蔵書はすごく古いの。誰かがスキャンでもして取り込んでくれない限り、こうやって並んでいる本の中身は、見なければ、知ることはできないのね」

そう言って、テラはいたずらっぽく微笑んだ。

毎日たくさんの本を広げてテラと話していると、ショータの世界はとどまるところを知らずに広がった。ドームの限られた場所しか知らないショータに、テラはその膨大な情報と記録から、本に書かれた物事のさらに先を語った。そして、テラコンピュータのデータにある、さまざまな時代のあらゆる場所を目の前に再現して見せた。

そして、コンピュータの端末だというこの少女は、それが嘘ではないかと思うぐらい、とても感情豊かで温かかった。楽しい出来事には笑い、つらい、悲しい過去には涙して。

毎朝、ショータは白い虹を見ながら図書館に出かけて、夕日が名残惜しく落ちていく時間まで、テラと一緒にいた。生まれて初めて、ずっと一緒にいたいとショータは思った。一人歩く帰り道、輝き始める星々を眺めながら、ショータはこの日々が永遠に続いてほしいと望んだ。

自宅に帰ると、家事用アンドロイドのオカⅢ号が待っていた。窓際の太陽光発電パネルのついた台座に待機しているだけなのだが、ショータにはそう見えた。ショータは隣に座り、ぽつりぽつり、その日の出来事を話した。そうでもしないと、初めて感じるこのあふれる思いに、押し流されてしまいそうだったから。

 

いつの日か、ショータは自分の心に秘めた憧れを、テラに打ち明けたいと願うようになった。

――この世界の外に出たい。

その時、テラは賛成してくれるだろうか……。

その機会は思いがけなく、早くやってきた。

二人で宇宙の話に夢中になっていると、テラは本の1ページを指して、ぽつりと言った。

「このあたりの星に向かって、大航海にでた人たちもいるのよ」

テラはうつむきながら、続けた。

「ずいぶん前だけど。地球環境が人間の生存に適さないってわかったら、即刻見放した人たちね」

低く言い放ちながら、テラの表情は曇った。地球全体に根を下ろした植物のように、テラは動けない。その時、彼女は何を思ったのだろう。新天地を求めて旅立つ彼らを、もしかすると追いたかったのかもしれない。だけど、かなわぬその思いは、反対に対立させたのではないか。テラコンピュータと、確固たる意志を持って旅立とうとする人類を。

「その人たちは、どうなったの?」

テラは静かに首を振った。

「わからないわ。地球を出てから、一度も連絡がなかったから、もしかしたら……」

苦悩の色が、テラの声に一瞬透けて見えた。それは、いなくなってしまった大切な誰かを心配しているような。気の遠くなるような時間を経て、見守ってきた人類を、あるいはその中の誰かを?

テラは顔をあげて、ショータの目をのぞきこんだ。

「ショータも、ここから出てみたい? 地球ではない、どこかの星に、行ってみたい?」

「……ぼくが行きたいって言ったら、テラはどうする? ……一緒に来てくれる?」

テラの表情が心なしか曇るのを、ショータは見逃さなかった。

「冗談だよ。ぼくは最後の人類なんだ。地球を離れるわけにはいかない」

――どんなに、ここから出たいと思っても、ね。

ショータの気持ちを知ってか知らずか、テラは本をぱたんと閉じて立ち上がった。

「私はショータに会うために、ずっとここで待ってたんだから」

えっ? と顔をあげたショータに微笑み、テラは言った。

「私を置いて出ていくなんて、言わないでね」

中庭でお茶をしましょう、と提案しながら歩き出すテラの後ろ姿を、ショータは目で追う。――ぼくに会うために、待っていた? ずっと? それは、どういう……。

テラに遅れて中庭に出ると、花壇の隣に丸いテーブルがしつらえてあった。テラがケーキを持って出てくる。

「この間、ショータ、ケーキを食べてなかったでしょ」

手にしたケーキには、「誕生日おめでとう」のメッセージカードが添えてあった。

「あいつら、ぼくの情報、どんだけ漏らしてるんだ……」

ショータは苦笑する。当然だ。テラコンピュータなんだから。何でもお見通し。

だけど。向かいに座って微笑むテラを、ショータはまぶしく見た。父さんから聞いてたテラコンピュータとは、ずいぶん違う。もっと、太刀打ちできない化け物のような人工知能かと思ってたけど……。

 

生まれた時に予告されたとおり、ショータの余命は残り少なくなって、体もだんだん弱ってくるのが手に取るようにわかった。

ショータの部屋に様子を見に来た医師アンドロイドが告げた。今日は一日安静にしているように。最近は外出しすぎだ。このままだと歩けなくなるよ、と。

ショータは上目づかいでにらむが、アンドロイドには意味をなさない。しょうがないか、とため息をつき、ドアが閉まるのを確かめて、ゆっくりクローゼットまで歩いた。最近、朝夕は涼しさを通り越して、少し冷える。上着を持って出ないと……。オカⅢ号の手を借りて身支度を整える。

「お前だけだな。ぼくの気持ちを分かってくれるのは」

ただの家事用アンドロイドなのに、オカⅢ号の目には優しい光がともっているように、ショータには思えた。セミロングの髪に白い肌、卵形の輪郭は、会ったことがない母を思わせた。

図書館の書架の間を、ショータが杖を突きながらゆっくり歩く。いつもより、だいぶ遅くなってしまった。もう少し、早く歩きたいのに……!

電算室の前では、テラがショータを待っていた。ショータの姿が見えると、駆け寄り、手を貸す。ショータの息は荒く、額には汗がにじんでいた。

「ごめん。遅くなって」

「外出、止められたでしょ」

ショータは、下を向いて苦笑する。

「テラは何でもわかってるんだね」

テラは、悲しげに目を伏せる。

――ごめん。責めるつもりはないんだ。ただ、なんとなく、自分が不甲斐ないだけだよ。

その日はよく晴れていて、二人は夕日の当たるベンチに座り、秋の夕暮を過ごした。ふと、ショータは空を指さした。白い虹。夕日に映える巨大ドームの輪郭。

「地球を出たいとは言わない。せめて、このドームの向こうに、行ってみたいんだ」

「この世界が、いやなの?」

ショータはうつむいて、穏やかに首を振る。世界中に張り巡らされた端末があって、すべてを知ることができるテラにはわからないかもしれないけれど。

「テラの話を聞いてたら……、地球の至る所に行けた昔の人がうらやましくて、なんとなく、出てみたくなった」

テラの表情は見えない。静かな時間が長引いて、少し後悔しはじめたその時、おもむろに、テラは口を開く。

「ショータには、話しておかなくてはいけない」

ショータは顔をあげた。

「私も昔はショータのような人間だった」

え?

「死ぬ間際に、コンピュータに移したの。私の脳の働きを」

まさか。

「じゃあ、テラの意識は、もともと人間の?」

「そうよ。ショータと同じように、色んなことを考えて、笑って、泣いて……」

なんのために?

「私が人間だったときにね、人類の最後って、どんな感じだろうって思ったの」

テラは立ち上がると、花壇に向かって歩いていく。そして、背中を向けたまま、続ける。

「こんなに感情豊かで繊細なのに、たったひとりになったら、あまりにもつらいんじゃないかなって」

夕日を背景に空を見上げるテラのまぶしい後ろ姿を、ショータは黙って見つめていた。テラは、肩ごしに振り向いて、言った。

「私の使命は――」

テラの言葉を、閉館の鐘が散らした。

 

ショータの部屋は、完全に病室と化した。

ベッドに横になって、窓越しに降りしきる雨を見ていた。街中が雨に煙っていて、遠くまで見渡せない。図書館のこげ茶色の建物も、今は白いベールに隠されていた。

ショータは無言でその景色を眺め続ける。

その隣で、オカⅢ号が静かに待機していた。

「いよいよ、か……」

 

翌日、小やみになった冷たい雨の中、ショータは図書館へ向かった。

一人で外出するのが難しくなっていた。周りの管理アンドロイドには、外出を止められている。仕方がないので、オカⅢ号に手を貸してもらった。ネットワークにつながっていないから、こういう時は便利だ。父が使っていた時にはよく動かなくなったオカⅢ号だが、ショータが使うようになってからは、不調になったことは一度もない。全くほったらかしなのに。父の調整があだになっていたのではないかと、ショータは小さく笑った。

一緒に連れてきたオカⅢ号に車いすを押させ、図書館の一番奥、外の光が入る窓のそばでテラを待った。

テラに会うのに、ひとりじゃないなんて、初めてだ……。

なんとなく、彼女を母親に紹介するときって、こんな感じかな、とショータは思った。そして、そう意識してしまった自分がなんとなく恥ずかしくて、頬を染めた。

それほど長い時間ではないのに、テラを待つ時間はなかなか過ぎない。

それにしても、遅いかな? と時計を見たその時、奥のドアが開いて、テラが出てきた。

いつものように微笑むテラの表情が、隣のオカⅢ号をみて、一瞬固まった気がした。やっぱり、ひとりで来なくっちゃ駄目だったか。ショータは口早に説明する。

「これは、オカⅢ号。ぼくの家の家事アンドロイド……」

突然の衝撃がショータを襲った。

言葉が終わるより早く、オカⅢ号が車いすごとショータを弾き飛ばし、テラに飛び掛かったのだ。倒れた衝撃から立ち直って振り向くと、テラのきゃしゃな体がオカⅢ号に組み敷かれていた。ぴくりとも動かない。

「オカⅢ!」

何が起こったんだ!

車いすから投げ出されたショータは、立ち上がろうともがく。オカⅢ号の指先からテラに接続されたコードが目に留まった。テラは力なく倒れたまま。

「オカⅢ! なにしてるんだ!」

オカⅢ号がショータを振り返る。

「オカⅢじゃないわ。……おかあさん、よ」

え?

その顔は、もしかすると確かにショータの母親だったかもしれない。決意に満ちた目で、ショータを見ていた。

「お母さん……?」

ショータにはその意味がうまく飲み込めない。

「お母さんよ。ショータ」

「うそだ!」

「うそじゃないわ。あなたのお父さんがAIとして、作り変えていたの」

ショータは唖然とする。この世界で唯一の意思を持ったAIはテラコンピュータだけじゃなかったのか?

「テラコンピュータは知らないの。ネットワークにつながなかったから」

ショータの脳裏に、オカⅢ号を自分のパソコンにつないで調整する父の姿が浮かんだ。なにか障害が起こるたびに、テラコンピュータを非難していた父。でも、なぜ?

「こいつは人類の敵よ。人間を見殺しにして。最後の一人がいなくなったら、地球はこいつのもの。許せない。人間から地球を取り上げて!」

母は絶叫する。

「人類が滅びるなら、こいつも道連れよ!」

組み敷いたテラをにらみながら、母はショータにいう。

「ショータ、パネルが車いすについている。そう。あなたの手のすぐそばに」

ショータの手元に、確かにそれはあった。

「それを押しなさい。私の回路は、今、テラコンピュータの内部まで届いている。それを押せば、破壊のシグナルが。急いで。じゃないと……」

母の顔がわずかにゆがんだ。

「押し返されてしまうわ! 早く!」

ショータはためらった。

ううう、と唸る母の声がかすかに聞こえる。

――父と母、いや、ここに残された人間たちは、この時のために準備していたのか。最後のひとりになった時、今まで姿を現さなかったテラコンピュータはきっと現れる。その時が、地球をテラコンピュータの手から取り戻す、最初で最後のチャンス。そして、ぼくは、何も知らずに。ただただ、テラと毎日過ごして……。

ぼくが、報告していたのか。

タイミングを計る母に。その時を!

「ショータ!」

母の叫び声に、ショータは我に返った。

「早く……」

母の声色が、もう時間がないとショータに伝えている。

だけど……。テラコンピュータを壊して、何の意味があるんだ。

――テラコンピュータが壊れて、テラがいなくなったら?

ショータの唇が、かすかに動く。

「……できないよ」

殺気立った表情がわずかに緩んで、母が振り向く。

「ぼくが死んだら、もう、だれも地球の事を気に掛ける人はいなくなる。テラコンピュータがあっても、なくても」

だからぼくは、最後までテラといたいんだ!

それは、あっけなく、崩れ落ちた。

張りつめた糸が切れるように。

生まれてからずっと一緒にいたオカⅢ号は、ただの樹脂と金属のかたまりになった。ショータに背を向けて上半身を起こしたテラの後ろ姿が、小さく震えているように見えたのは、気のせいだろうか。

――ごめん。テラ。

ぼくは気づいてしまったんだ。

ぼくが死んだら、テラは本当に一人ぼっち。

ひとり。永遠に、ひとり――じゃないか。

そして、それはもうすぐ……。

ゆっくりテラが立ち上がり、ショータを振り返った。

「ごめんなさい。あなたのお母さんを……」

ショータはゆっくりと首を振った。

「今日は、帰るよ」

手を貸そうとするテラを制止し、ショータはゆっくりと車いすを起こして、身をゆだねた。どこかで打った胸が痛い。図書館の入り口まで、いつもより遠く感じるのは、気のせいだろうか。

ここに、来ることは、おそらくもうない。

さよなら。ぼくの図書館。

そして、……ぼくのテラ。

 

帰宅したショータは、父の遺品の中からパソコンを探し出した。

オカⅢ号をよく調整していた父。それは、テラコンピュータを破壊するため。いつ、どのように計画されたのか、ショータは知る由もない。ただ、その結果だけを目にしてしまった。ショータが阻止して。父や母、この計画に携わった人たちすべての思いを、ショータは踏みにじった? ショータのしたことは、許されないこと?

混乱の中で、それでもショータは思う。どうせもう誰もいないんだから。ぼくがすべてなんだから。

父の残したパソコンは、驚いたことに、正常に立ち上がった。

そうか。ネットワークにつないでいないことが、アドバンテージだったんだ。何でも知っているテラコンピュータも、気づかないなんて。

なんてアナログな。

ショータは無意識に、小さく笑う。

テラコンピュータに内緒で、そんなこと、出来たんだ。

父の記憶をたどるように、パソコンに保存されているフォルダを見た。案の定、テラコンピュータ破壊計画の詳細が、しっかりと残されていた。その中を確認していたショータが、一瞬、手を止めた。そして、ファイルを開いたかと思うと、一字一字、かみしめるように読み始めた。

いつの間にか、空は晴れあがっていた。短い秋の日は西に傾き、天頂には白い虹がかすかに浮かんだ。窓辺に寄って白い虹を見上げ、ショータは決意した。

ぼくにしか、できないことがある。

 

様子を見に来るアンドロイドの目を盗んで、ショータは作業を続けた。がらくたにしか見えない父の膨大な道具箱の中には、驚くほど多くの材料や部品が入っている。父のパソコンから見つけたファイルに従って、組み立てているのだ。

――もうすこしで、出来上がる。

そう確信しながら、ショータは一抹の不安に駆られた。図書館での事件から、テラに会ってはいない。周りの管理用アンドロイドがいつも通りに動いているから、テラコンピュータに何かが起こったわけではないだろう。だけど、とショータは思う。テラは、もうぼくに会ってはくれないかもしれない……。

いやいや、と強く頭を振る。そんな弱気でどうする。

これは、ぼくの生きる意味だ。

 

作業が完了した時、すでに季節は冬になっていた。

いまさらながら、ドームの中に四季を作り出す繊細さに関心はするが、

「ぼく一人のためなら、毎日暖かい晴れの日がいいんだけど」

そう口にして、ショータは苦笑した。天下のテラコンピュータに苦情を言うぐらいには、ぼくも成長できたのか。そう考えながら、ショータはテラと会った図書館を思い出す。新緑の中、毎日のように通ったあの場所には、もう誰もいないだろう。ぼくが行かなければ、テラもあの姿で現れる必要もない。大量の本を並べた書架が、薄暗く、しんとした館内にただただ立っている。太陽の光を浴びて、二人で語り合った中庭。今では、木々の葉は落ち、草花も枯れてしまっているだろう。

楽しかったあの日々。

――もう一度。

その時、静かなノックの音がした。

だれ?

管理アンドロイドは、ノックなんてしない。

静かにドアが開く。

ショータの目に飛び込んできたのは、暖かそうなもふもふのコートとマフラーを手にした、テラだった。

テラはゆっくり部屋に入ってきて、後ろ手にドアを閉めた。ベッドに横になるショータを見て、ほんの一瞬、顔が曇る。それでも、にこやかに微笑み、ショータのベッドに近づいた。

ショータは突然の出来事に、言葉を失った。テラをじっと見つめながら、胸がいっぱいになる。目頭が熱くなるのを感じ、目をそらして天井をにらんだ。

「ショータ、会いに来なくって、ごめんなさい」

「テラは、図書館から出られないのかと思ったよ」

少しすねた口調でショータは答える。本心とは裏腹の態度に、ため息が出た。どれだけテラに会いたかったことか。テラを思って、ずっと作業してきたんじゃなかったか。

――今、この機会を逃したら、次はない。

そう。テラがここに来るということは、ぼくはもう長くない。

ショータは、天井を見つめたまま言う。

「一生のお願い、聞いてくれる?」

テラは、無言でショータを見つめる。

「この世界の、ドームの外に出たいんだ」

テラは静かにうなずいた。

――そうか。それほどに、ぼくの時間はもうないってことだね。

「反対、しないんだね」

「一生のお願い、だからね」

テラは、さびしそうに微笑んだ。

 

ショータの力作はかなり大きくて、もう自分ではピクリとも動かせない。しかし、華奢に見える管理アンドロイドは軽々と持ち上げて、車いすの下に格納してくれた。

部屋を出るとき、ショータは振り向いた。ぼくの十五年とちょっと。楽しかった……。

テラがショータの車いすを押して、家を出る。

ショータの部屋をテラが初めて訪ねてから三日後。二人はドームの外を目指した。冬のはずなのに、暖かく気持ちのいい日だ。

「テラコンピュータが、リクエストにこたえてくれたみたい」

ショータは空をふり仰ぐ。この程度のわがままは、最後ぐらい許されるだろう……。

ドームの外は、不毛の地だった。赤い砂漠がどこまでも続き、強い風が砂を舞い上げる。ショータとテラは小高い岩山の上から、ドームを見ていた。

「ここからだと、白い虹は昼間でも見えるね」

巨大ドームは、文字通り、荒れ地にかかる小さな白い虹だ。テラは静かに隣に座っていた。

「遅くなっちゃったけど、バースデーケーキのお返しに、テラに見せたいものがあるんだ」

ショータは言った。この車椅子の下に積んであるものを、出してほしい、と。

それは、小さな筒だった。その割には重量があって、強い風の中でびくともせず立っている。

「これはね、ハナビだよ」

筒から距離を置いたところで、ショータは説明する。父さんのパソコンに作り方が残っていたんだ。テラはハナビ、知ってる? そうだよね。もちろん知ってるよね。じゃあ、打ち上げるよ。と言っても、空気が薄いし、第一昼間だから昔ながらのハナビは見えない。だから、特別なんだ。見てて……。

ショータがスイッチを押すと、筒の中から何かがものすごい勢いで飛び出し、まっすぐ空へ昇った。

「ロケットハナビだよ」

打ち上げたロケットを目で追いながら、ショータが言う。上空で炸裂。パンと小さな音がして、わずかの煙が上空の風に流されていく。その中を、第二段ロケットだろうか、まだまだ上を目指して――、そして、炸裂。少し小さな音と煙。まだ上を目指す光が。それはどこまでも上り、やがて小さく見えなくなった。

「失敗、しちゃったな」

ショータはゆっくり目を閉じる。空高く飛んで行ったロケットに自分を重ねてか、少し満足そうな笑みを浮かべて。

テラの手が、ショータの手を握った。

「ありがとう。とてもすてきなハナビね。忘れないわ」

ショータは大きく息をした。ここは空気が薄い。それでも、戻りましょうか、というテラの言葉に、首を横に振った。テラはショータをじっと見つめ、やがて、車いすからショータを抱え上げて、近くの岩に腰掛けさせた。隣に座ったテラが、自分の身体にショータをもたせかけて、支えた。

「私の使命はね」

唐突に、そして、独り言のように、テラはつぶやく。

「人類最後のひとりを、寂しく死なせないこと」

大昔、テラがまだ人間だったころ、そう決意した、と。だから、ごめんなさい。あの日、図書館で、あなたのお母さんに壊されたくはなかった。もう少し、時間がほしかったの。

テラは静かに、ショータの頭に自分の頭を預けた。

――そうか。

その使命は、もうすぐ、果たせるんだね。

でも、その前に。人類最後のひとりなんかじゃなくって、一人の人間としてキミに言いたいことがあるんだ。

薄い大気の中、ショータは大きく息を吸った。荒涼とした大地に、乾いた声をあげて風が吹きすさぶ。ぼくの小さな声はテラの心に届くだろうか。

「大好きだよ、テラ」

ショータに自分の頭を預けたまま、テラは目をつぶる。ショータは穏やかな表情のまま、小さな声で、つぶやく。

「ありがとう」

――そして、ごめん。

 

赤い砂漠に砂を巻き上げて風が吹く。赤い大地の真ん中に建てられた丸いドームは、いつしか緑が薄れて茶色くなり、周りの赤い大地に溶け込んで見えなくなった。

 

そしてその頃、地球を遠く離れて暮らす人類の末裔が、ひとつの超時空間メッセージを受信した。

「テラコンピュータは生きている」

それは、ショータが最後の時間をすべて使って発信したメッセージ。

ショータは父のパソコンから見つけたのだ。残された人類が、その存在を地球外の同胞に知らせるための計画を。地球を発ってから一度として連絡はなかったが、広大な宇宙のどこかで生き延びてくれているという、希望にも似たわずかな可能性に賭けたそれは、ドームの中では実行に移せなかった。

ひとり残ったテラコンピュータを誰かが訪れてくれるように、と願いを込めて、ショータはそれを空へ打ち上げた。大好きなテラへの、最初で最後のプレゼントとして。

 

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