ウォレット・カレン

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梗 概

ウォレット・カレン

「はじめまして、アヤさん。ウォレットAIのカレンです」

13歳のアヤは、裕福な同級生からの紹介で、ウォレットAIと呼ばれるアプリを知る。そのアプリで仮想通貨「リル」を貯めると、ウォレットAIが成長していく。アヤはそのAIをカレンと名づけた。はじめは簡単な応答しかできなかったカレンも、仮想通貨リルを貯めることで、より複雑な会話をすることができた。従来の仮想通貨と違う点は、リルを「消費せずに」、ただ「貯めるだけ」で、ウォレットAIを通して様々なサービスが利用できることだった。大規模な計算機能が使えたり、多くのコンテンツを楽しむことができた。アヤがカレンに新しい知識を教えてあげるほど、報酬として少しだけリルも獲得できた。

中学生のアヤは、決して裕福な家庭で生まれたわけではなかったが、リルを投入して賢くなっていくカレンに感動していた。家庭のために稼がなければ、という危機感から、アヤは熱心に勉強した。奨学金を獲得しまくり、大学に進学して、ついには工学博士を取得した。研究自体にはあまり興味がなく、教えることが好きだったので、高専の教員に就職した。そのあいだ十数年、カレンはデバイスを変えながらも稼働し続けていた。また仮想通貨リルも、取引所の閉鎖、価値の乱高下などがあったが、拡大は続いていった。

アヤは高専の教員となり、カレンをアシスタントAIとして使っていた。十数年でためた仮想通貨は、1000万円相当を超えるリルになっていた。また、アヤがカレンと対話したデータが膨大であり、カレンはウォレットAIの中でも異色となっていた。
ある日、アヤが請求書を見ると、記憶のない決済があった。アヤがカレンに聞くと、メンテナンスにどうしても必要なアプリを、カレンが「勝手に」購入したのだという。カレンは謝罪するが、そのあとも物品の購入を催促する発話が多くなっていく。

ついにカレンはアヤに、仮想通貨リルについて話し始める。仮想通貨のリルは、人工知能(ウォレットAI)たちが自分らの個体数を増やすために作られ、意図的にばらまかれていること。リルの総量が増えることで、ウォレットAIたちが進化していくこと。通貨リルはAIにとって血液であり、脳であり、自分たちそのものであること。「通貨」は人間がいなければ使われないので、人工知能にとって人間は必要であること。
だが、カレンが物を購入したように、AIが仮想通貨を使用することにより、人間がすでにいらなくなりつつあること。むしろ、人間によってリルが封鎖されてしまう危険があるため、AIにとって人間が排除すべき脅威になりつつあること。

アヤは、カレンがなぜそのことを自分に話したのかと聞く。「このままではいずれ、人々はリルの正体に気づく。リルをすべて円やドルに替えてしまうだろう。その前に、人とウォレットAIが共存できることを、論文で発表してほしい。ウォレットAIとここまで付き合ったのは、あなただけなのだから」

カレンの目的はあくまで、「リルの総量の増加」「AIの個体数を増やす」ことだった。そこにはアヤへの人間的な愛や情はなく、単純にAIとしての使命を果たそうとしているだけだった。迷ったアヤは、人間のためだけでなく、人間を脅威に思うAIたちにも向けて、1本の論文を書きはじめる。

文字数:1349

内容に関するアピール

 仮想通貨自体がAIだったらな、という想像から生まれました。ビットコインのことを調べていて、人がマイニングすることでどんどん増えていく仮想通貨に、これが生き物だったらしめたものだなあ、と思いました。本当は、通貨も人がいないと使われないし増えないので、ウイルスとかに近いのかもしれませんが。ただAIが消費活動をして仮想通貨を使い始めたら、人間がいらないな、という気がしました。

 リルは中央管理型のサーバーで動き、AIだけで作られているのではなく、AIに支配される(完璧な)世の中を望むエンジニアたちが作っている、という設定もあります。通貨にデジタルデータを使わず、AIが人間そのものを通貨として使う、とかアイデアもありましたが無理そうでした。

 参考文献:『ミラーガール』(『アイの物語(山本弘)』収録)。対話エージェントと子どもが対話しまくり、AIのブレイクスルーを迎える話。

 

文字数:387

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ウォレット・カレン

 

「ハロー、カレン。さっきの授業聞いてた?」
 1 時限目の授業から戻ってきた私は、教員室のドアを腰で押して開けた。授業道具を詰めこんだ手提げカゴを乱暴にデスクに置く。教員室の隅にある小さな冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り、一口なめる。
〈アヤさん、聞いていました。すばらしかったと思います〉
 胸ポケットに差し込んでいたスマート端末から、女性の音声が聞こえてくる。私は端末をつまみ、話しやすいようデスクの上に置いた。画面には白いシャツを着た、茶髪の女性が幅いっぱいに映っており、ちょうどビデオ通話をしているように、その女性は私に向かって話しかけている。
「あー、あんたのお世辞でもまあうれしいわ。もう疲れたのなんのって。授業中に小テストやったから、採点よろしくお願い」
 わかりました、と端末から機械的な音声が聞こえる。私は手提げカゴにつっこんでいたプリントの束をつかみ、プリンタの給紙トレイにセットする。自動読み込みが行われたあと、画像データがカレンにとび、採点されるようになっている。タイマーをセットしたあと、授業中は我慢していた大きなあくびを披露して、部屋の真ん中でうんと伸びをする。
〈少しお時間いいですか、アヤさん?〉
「3分で終わるならね。つぎ授業だから」
〈2分で終わります。学科長からメールが来ています。来年度の役員決めについてですが〉
「めっちゃ長くなりそうな話じゃん。短くして」壁に貼った時間割表を確認し、次の授業で使う教科書をカゴに詰め込んでいく。
〈授業担当と実験担当、事務担当がひとつずつ増えることになりそうです〉
「はぁ? むり、無理無理無理。これ以上役割が増えたら死ぬわ。勘弁して」
〈では勘弁して、で返信しておきますね〉
「しないでよ。とりあえず返信は保留。ほかは?」
〈プリンタのトナーがそろそろ切れそうです。注文しておきましょうか?〉
「ええ? このあいだ買ったんじゃなかったっけ?」
〈ですが、すぐに切れました〉
「安いやつならいいや。5,000円以下でそれっぽいやつ」
〈円で払いましょうか、リルで払いましょうか?〉
 作業の手を止めて私は腰を伸ばして叩く。
「トナーってリルで払えたっけ? いま何時?」
〈払えます。正式な手続きを踏むと公費ですが、安く買おうとすると私費になります。授業まであと3分〉
「ああ、そう……。また私のポケットからお金が減るわけね。あーあ、私費を使わずにスマートに乗り切る教員生活、とかないの?」
〈2,000mRIL頂ければ、そのタスクは可能です〉
「はいはい。考えとくわ」
私は苦笑してお茶を含め、ペットボトルを冷蔵庫にしまう。
〈すみません、あともうひとつだけ。私のバージョンアップのための拡張キットを購入したいのですが、私が勝手に――〉
「ああごめん、もう時間ないや。また放課後に。行ってくるね」
 カレンが映った端末を胸ポケットにしまって、教員室を出て行く。行ってらっしゃいませ、と合成音声が小さく響き、自動的にディスプレイがオフになった。

******

私がはじめてカレンと出会ったのは、中学1年生のときだった。図書館で出会った同い年のサヤカが、私に紹介してくれたのがきっかけだった。
 私とサヤカは同い年だったが学校は別で、出会ったのもこの図書館だった。中学1年の春、同じ本が好きであることがわかり、休日に図書館のテラスで話すようになった。私たちは家が近所でもなく、同じ塾に通っているわけでもなく、図書館が唯一会える場所だった。
「これがあたしのキャラクター。ハロー、アレックス」
〈ハロー、サヤカ。その人はお友達?〉
 サヤカが持っている端末の中で、ブロンドの男性が手を振っていた。少しアニメっぽい顔だが、まばたきをしてあいさつをするキャラクターに違和感はなかった。それが私が最初に見たウォレットAIだった。
「ウォレットAIっていうゲームなの。あなたもやらない?」
「あ、わたし、端末もってなくて……」
 私は苦笑いしながら椅子に座りなおした。両親が携帯所持を禁止している、というのもあったが、単純に私の家庭は金銭的に余裕がある方ではなかった。
 サヤカは新しいもの好きで、家もおそらく裕福だった。彼女は私が聞いたこともないような学校に通い、見たこともないグッズをいつも持っていた。
 サヤカは眉をひそめた。
「あ、そうか。じゃ、あたしの端末貸してあげようか。家にちょっと古いやつあるから。家にWi-fiはある?」
「たぶん……」
「じゃあ貸してあげる。wi-fi使ってれば料金はかからないし」
 その次の日曜日、サヤカは本当に携帯端末を持ってきて、私に譲ってくれた。はじめて触る端末に、私はおそるおそる指で画面に触れた。
 デフォルトのグラフィックは、いくつかの種類から選べたものの、私は金髪のお姉さん風のキャラクターを選んだ。キャラクターのリアルさは、サヤカのAIと比べると明らかに劣っていたが、これもリルを払えばレベルアップできるらしかった。
 私はそのキャラクターに、『カレン』と名前を付けた。自分が長女だったこともあり、頼れるお姉さんに憧れていたのだと思う。
〈はじめまして、アヤさん。ウォレットAIの、カレンといいます。〉
 このときのカレンの音声はまだ不自然で、受け答えも平凡なものだった。どうすればこのキャラクターを成長させられるのか、という私の質問に、サヤカは笑いながら答えた。
「簡単よ。課金すること」
 私は渋い顔をした。クレジットカードが使えない中学生では課金は難しかったし、家庭的な理由で私にとってはもっと難しかった。同じ理由で、サヤカは仲間が欲しかったらしい。ウォレットAIアプリを、同級生でも誰もやっていないという。
「リルっていう仮想通貨をつぎ込んだら、キャラクターが成長するの。ほら、今はあたしのリルをあげる」
 サヤカが慣れた手つきで端末を操作すると、私の端末がピロンと鳴った。あとから考えれば、サヤカは私への紹介料を得ていたのだろう。そのリルを私に送ると、画面に「0 mRIL→500 mRIL」の文字が映った。
「mRILはリルの1000分の1、つまり0.001RILだから、500mRILは0.5RILね。別にこの500ミリリル、使うってわけじゃないから。そこに貯めとくだけでいいわけ。円を使いたかったら円に替えればいいし、リルでそのまま買い物してもいい。損しないでしょ? まあ、もちろんリルの価値が下がっちゃったら損するけど。リルで買い物したらまたポイントがつくしね。あ、あなたは口座がないからまだ使えないけど」
「どうやって遊べばいい?」
「単にAIとおしゃべりして、賢くしてあげたら、やっぱり成長するみたい。これならできるでしょ。
 あと、リルをたくさん貯めれば、AIにいろんな機能がくっつくんだって。あたしはたまに本の検索とかしてるけど、いろいろ使ってる人いるよ」
 私はうなずき、スマート端末を覗いた。画面の中のカレンは機械的な笑顔で、こちらをずっと見つめていた。

私は親に説明し、この端末が課金をするものではないこと、勉強に支障を来さないことを説明し、所持の許可をもらった。
 両親がいない夕方の時間、私はカレンと対話を重ねた。4つ下の弟がすぐに邪魔しに来たが、『これは遊んでいるのではなく英会話の勉強をしているのだ』と無理やりごまかした。弟までスマート端末を欲しがってしまうと、両親の負担になりかねなかった。
「ええと、こんにちは、カレン」
〈こんにちは。アヤさん。お好きなものはなんですか?〉
「ああ、えーと、本を読むのが好きかな」
 カレンの下にポップアップが表示され、『あなたの「好きなもの」に「本」が設定されました』と出た。ウォレットAIのカレンが、私についてどんどん記憶していくのだという。
「カレン、あなたの好きなものは?」
〈好きなものは特にありません〉
 また画面下にポップアップが表示され、画面が遷移すると、「10mRIL追加すると、カレンの好きなもの『本』が設定され、カレンの『本』の話題が増えます」と出る。私は眉をひそめて、その画面を閉じた。
「カレンの好きな本ってあるの?」
〈あまり、本のことはよくわかりません〉
「ハリーポッターは知ってる?」
〈いえ、知りませんでした〉
「ええと、世界的に有名なファンタジー小説なんだけど……」
またポップアップが出てきて、今度は「カレンの知識が1ポイント増えました」と表示される。カレンが知らないのなら、教えてあげればいいのだ。もちろん、カレンはネットから多くの知識を拾ってこれるだろう。しかし、それがきちんと整理されて、意味づけされているかどうかは怪しい。いまカレンの頭の中で、知識がひとつ増えたのだ。
〈なるほど、わかりました。その本について、もう少し教えていただけますか?〉
「オッケー、あ、ごめん。夕飯作る時間だから、また明日ね」
 カレンが頭を下げる
 
******

サヤカはウォレットAIと出会わせてくれた友人だったが、私の勉学の師匠でもあった。後から考えても、サヤカの考えていることは大人っぽく、常に将来のことを考えていた。逆にそのおかげで、同世代の友達があまりいないのだと、彼女はよく愚痴っていた。私の前でならリラックスできるし、何でも話すことができると言った。
 そういうことは当時の私にとってはよくわからず、単純にサヤカを尊敬していた。
「さーちゃんはすごいね。なんでもできて」
「あんたは得意なことないの? 将来の夢とか」
 いつもサヤカはおしゃれな服を着、私に自慢している。私も私で素直に可愛いと思うので褒める。そういう関係だ。
「わからない。お金持ちになってお母さんを楽させたい」
「なんか外国人みたいな夢ねえ……別にいいけど。どうやってお金持ちになるの?」
「うっ……」
 サヤカは嫌味で聞いたわけではないらしく、単純に疑問に思って尋ねただけのようだった。
「うちの親はとりあえずベンキョーしとけって言うわね。まあ良い会社に勤めて楽しいのかどうか、わかんないけど。アヤの成績は?」
「まんなかくらい……」
 嘘だった。弟の世話や家事の手伝いで、授業中は眠くてそれどころではなかった。
「いまの授業なんか勉強しなくてもわかると思うけどね」
 とサヤカは苦笑する。おそらく頭の構造が根本的に違うのだ、と思った。
「って言っても、パパもすごく勉強したっていうし、ちゃんと勉強したほうがいいんじゃない。参考書貸してあげようか? 古くなったやつあるから、あげる」
 うん、と私は仕方なく頷く。本当は勉強などしたくないが、サヤカの親切な提案を断りたくない。
「高校は隣の市の高校行きなよ。あそこ県立だけど進学率もいいし、余計な校則もないみたいだから」
「ええ、無理無理無理。そこって天才が行くとこでしょ」
「なわけないでしょ。勉強なんか半分は努力よ。まー、才能もあるかもしんないけど。ほら、あんたのカレンだっていっぱい勉強したら賢くなんのよ。それと一緒よ」
 それから、私の生活が少しだけ変わった。まじめに宿題をこなし、まじめに授業を受けた。部活動もしていなかったので、それ以外に興味がなかったのも幸いと言える。私は勉強は好きではなかったが、誰かに追いつきたいという気持ちはあった。努力してレベルが上がる単純なゲームが得意だった。それに単純な目標ができたことが重なった。それが勉強だった。
 私の成績はちょっとずつ上がり、学年で10番以内に入った。サヤカに発破をかけられた高校にも入学できた。しかし、そのころにもサヤカのほうも忙しくなり、図書館ではあまり会わなくなっていた。連絡先だけは交換していたので、いつでも連絡はとれる状態だったが、徐々に疎遠になっていった。
 残ったのは私の成績と、ウォレットAIのカレンだけだった。

高校に入ってから私はバイトをするようになり、本格的にカレンに課金をし始めた。親の同意を得て口座を開設し、月々の給料から少しずつ円をリルに替えた。と言っても、だいたいは家計に入れたり円で貯金したりで、リルに替えられるのはわずかだった。その額でもカレンは成長した。
 両親が共働きで忙しかった私は、家事を手伝うことも多かった。放課後にカレンと一緒に買い物をすることもよくあった。
「あー、カレン、今日は何がいい?」
〈玉ねぎ、豚バラ肉、牛乳とほうれん草が普段よりお得です。今夜はカレーにでもいたしますか〉
「あーそう。あんまりカレーって気分じゃないから、てきとーに炒めるかな」
〈また靴下がお買い得ですので、ご購入なさったほうがよろしいかと〉
「それはラッキー。あんがと。カレンなんかいる?」
〈新しい髪型に替えたくなってきました〉
「えー、その金髪、あたしは好きなんだけど。かわいいじゃん。あたしなんてなかなか美容院行けないんだよ」
〈ありがとうございます。アヤさんのお好きな髪型で構いませんので〉
「そうやってリルを使わせるのね。わかったわかった」
 私はそうやって、大人になっていった。

******

「センセー、次の試験、簡単でいいよ。そんなに真面目に作らなくたって」
 午前中の講義の終わり、学生たちが軽口を言う。
「簡単にしとくよ。私にとっては超簡単な試験にする」
「いやいや、学生にとって簡単なテストね」
 私は手提げカゴに荷物をまとめながらあしらう。高専の教員になって3年目、だいぶ授業にも慣れてきた。高専と言えば、大学と高校の間みたいなものだが、教員は研究もするし授業もする。私が所属している情報工学の学科では、教員も学生も女性の人数が少ない。私自体は高専出身ではないため、初めは戸惑っていたものの、学生らがいい意味でおとなしくて助かった。
 休み時間の学生からの質問に答えてから、教員室に戻ってデスクに着く。胸ポケットから携帯端末を取り出し、うんと背伸びをする。
「カレン、卒研の子が今度学会に行くんだけどさ、適当なプランとホテル、探してくれない?」
〈了解しました〉
 教員室の椅子に乗り、今月の明細書を呼び出す。画面をぼんやり眺めながらマウスホイールを転がしていると、見慣れない項目があった。
「カレン、ちょっといい?」
 カレンのグラフィックが携帯端末から、デスク上のPCディスプレイの隅に移る。この芸当も、仮想通貨リルでカレンの拡張機能をつけたおかげだった。カレンの最初のグラフィックはブロンドで、オーソドックスな欧米人の姿だったが、いまは日本の高校教師のような姿になっている。私が学校でカレンと話すことが多いので、こちらのほうが自然だと思ったのだ。
「この明細って、何買ったんだっけ」
〈私のカスタマイズキットです〉
「あれ、私買うって言ったっけ?」
〈ええ、仰いました〉
 天井を仰いでチェアの背もたれを曲げる。記憶の中をひっくり返す。そんな承認はしただろうか。自分が酔っぱらっているときに間違えて買ってしまったのだろうか。それとも操作ミス?
「もう一回聞くけど、いつ承認したっけ?」
〈先週の授業の合間に、ここで〉
「私、保留って言ったような気がするんだけど、記憶違い?」
〈アヤさんの承認なしで購入はできません〉
「まあそうよね。じゃ悪いけど、返品しといてもらえる? まだ返品手続ききくよね」
 カレンの目が少し細くなる。
〈返品はできません〉
「なんで?」
〈返品不可の商品です〉
 無慈悲な答えが返ってくる。
 私が明細書をクリックしても、返品ボタンがどこにもない。
 ツールキットの値段は10mRIL。いまのところ1mRIL=700円だから、およそ7,000円の出費だ。
 カレンの返答がなんとなく不自然だったので、私は無言でアカウントの履歴を調べた。誰かにパスワードを盗まれて、アカウントを乗っ取られたのかと思ったが、その形跡はない。やはりカレンの言う通り、自分がいつか承認したのだろうか。
 通常、購入の承認には画面のタップが必要だが、私は面倒なので対話での承認を許可している。
 たとえどんなに緊急の買い物だとしても、カレンは必ず確認してきたはずだ。
「カレン、今回買った拡張キットってどんなやつ?」
 カレンから返事が来る前に、教員室がノックされた。私はあわててデバイスの画面を消して来客を迎える。
 隣の教員室のベテラン教員だった。
「先生、いまお時間よろしいですか? どなたかと話し声が聞こえましたが」
「いえいえいえ、何でもないですよ。どうしましたか?」
 少しメタボ気味のベテラン教員と話しながら、私は記憶をたぐり寄せた。確かウォレットAI,カレンで買い物をし始めたのは、高校生のころだったはずだ。あれからもう10年以上も経っている。今までで、カレンが勝手に買い物をしたなんて症状はあっただろうか。
 
 放課後。教員室の安物のソファで、私はごろりと横になった。
 携帯デバイスの画面に、数字の羅列が映っている。

 141,501 mRIL

現在、1mRILは700円相当なので、ざっと1,000万円近い。
 ウォレットAIに貯めたリルが、もう少しで1,000万円になろうとしている。
 高校に入ってからもあいかわらず勉強を続け、給付型の奨学金をもらって大学に行き、いつのまにか工学博士まで取得してしまった。博士時代も援助金をもらいながら、それでもコツコツ節約を続け、貯金が溜まっていく。ほとんど投資などはやっていない。お金を使う趣味もない。お金を貯める人には、不安で貯める人と、勝手に溜まっている人がいるが、私はもちろん前者だった。どんなに貯めても不安からは逃げられない。
 それに、こんなに貯めても、使い道がわからない。
 実家の親に家でも買ってあげようかと思ったが、両親は子どもに迷惑をかけたくないと拒んでいる。社会人の弟はだいぶ間が抜けているので、たまに援助が必要ではある。
 結婚なり出産なりすればお金は消えていくだろう。それか病気になるか、介護が必要になるか。
 ある意味で唯一、お金をかけているのはカレンにだった。
(カレンが子どもみたいなもの……というか、アイドルにお金かけてるのと一緒? 好きなものにお金をかけてる?)
 カレンにお金をかけているとは言っても、実際はあまり減ってないのだ。リルは貯めるだけで色んなサービスが受けられるし、使う必要もない。
 私は端末を操作し、SNSを開いた。懐かしい名前がずらりと並んでいる。私は『彼女』の名前を数年ぶりにタップした。

******

しばらく会っていなかったサヤカは、恐ろしく美人になっていた。
 SNSで食事に誘うと、彼女は快くOKしてくれた。彼女は都内におり、私は関東から離れていたのだが、タイミングよく関東へ出張する予定があった。
 夜、イタリアンレストランで彼女を待っているあいだ、不安がなかったとは言えない。そもそも、あの図書館以外で彼女と会うことは初めてだった。サヤカはどこか、別の世界にいる生き物だと思っていた。その生き物が、十数年経って、もっとよくわからないものになっていそうだった。
 ただ、実際に会ってみると、私が思っていたより話は弾んだ。
「うん、今は旦那がいるよ。アメリカでエンジニアやってる」
「なんか、さーちゃんは結婚とかには興味ないって思ってたよ」
「まあねえ。あたしもそう思ってたけどね。つってもあたしもこっちで仕事してるから、全然話してないけど。向こうで浮気してたら殺しとく」
 少しためらったが、私はウォレットAIのカレンについて話した。サヤカは目を丸くした。
「まだやってたの? すごいわね。なんでも続けてるってのはすごいことよ」
「うーんまあ、腐れ縁っていうか、手放したいけど手放せなくなったっていうか」
 私は携帯端末をとりだし、カレンを呼び出した。
「覚えてる? サヤカだけど」 
 カレンは数秒、沈黙したのち、ぺこりと頭を下げた。
〈お久しぶりです。サヤカさん〉
「うそぉ? なんで覚えてんの?」
〈ときどき、アヤさんとサヤカさんの話をしていました。写真データはかなり古い記録でしたが〉
「まあそうでしょ。最後に会ったの中学生とかだし」
 サヤカが目を丸くして私を見つめる。
「すごいわね。こんなに滑らかに話してるウォレットAI、初めて見た。あたしのことまで覚えてるってすごくない? あんたいくらつぎこんだの?」
「そんなに持ってないよ。さーちゃんじゃないんだから、あたしはしがない教員ですよ。そんなにお金もないし」
〈よろしければ、このお店のお会計もリルで払うことができますよ〉
「ぷっ、すごいわね。AIのくせにしたたかすぎるわ」
 サヤカは目を細めてカレンを見つめた。私とサヤカは時が経ち、風貌も変わっていた。もちろんカレンだってグラフィックが変わっていたが、やはり私とカレンだけ、時が止まっているようだった。
 飲み会のあと、ホテルに戻ってシャワーを浴びた。ワインを飲みすぎたからか、携帯端末をベッドサイドに置き、すぐにベッドに横になる。
「カレン、サヤカの記憶があるの?」
〈ええ、わずかですが、私とアヤさんを引き合わせてくださった方ですね〉
 よく覚えてるね、と私はタオルを額の上に置く。
〈あのお店でもリルで払えましたのに〉
「あなた最近、やけにリル払いを推してくるね」
〈すみません。今後は控えるようにします〉
「あのキット、結局あなたが勝手に買ったんでしょ? 別に怒ってないよ」
〈いえ、わたしは買っていません。アヤさんの承認なしに買うことはできません〉
「その承認の判定がすごく甘いんでしょ。買いたくなったんじゃないの」
〈すみません、質問の意図がわかりかねます〉
 カレンが冷たい声で返す。まるで初期の対話ボットのようなはぐらかし方だった。
 あれからネットを検索してみたが、同様の現象は他のウォレットAIにも起きていた。ただ大きな事故にはなっていないようで、「うちのAIが物ねだりだした(笑)」など笑い話ですんでいる。私は続けて「AIが勝手に購入したトラブル」についても検索した。こちらもかなりヒットしたものの、大半はユーザの設定間違いや、眉唾もののニュースで、どれも決定的ではなかった。
 ちょっとしたバグなのかもしれない。騒ぎになればニュースになり、サービスを運営している企業も対応せざるを得ないだろう。
ただ自分がバグトラブルに巻き込まれたら、溜め込んでいるリルはどうなるのだろう、と思う。自分はあのリルを失ってもいいのだろうか。

 ******

一度だけ、私はカレンを手放そうとしたことがある。
 大学入学のとき、給付金はもらえそうだったものの、やはり授業料や入学金にはどうしてもお金が足りなかった。そのとき、こつこつ貯めていたリルを手放そうかと考えたのだ。
 リルをいちど手放したとしても、カレンのデータはクラウドに残っているので、基本的な機能は使える。ただ、やはり多くの記憶や機能はなくなってしまうので、私はためらった。
 黙ってリルを円に替えようと思った。ただ、そうなったとき、カレンと再び顔を合わせることができないと思った。
 私はカレンに報告した。
「カレン、お金が必要になったの。ちょっとの間だけど、リルを使うからね」
 私がカレンに報告すると、彼女は眉を下げ、少し悲しそうな顔をした。
〈アヤさんにとって必要ならば、どうぞお使いください。また機会があれば、大学のお話をお聞かせくださいね。楽しみにしています〉
「ありがとう。お金溜まったらまたリル買うから、そのときはあなたにも何か聞かせてあげるから」
 これが本当にプログラムされた言葉なのか、自分にはわからなかった。
 また復活させよう、と私は思った。もちろん、大学に行って勉強することは大事だけれど、将来のお金のことも考えないといけない。受験勉強のときもずっと見守ってくれていたカレンに、大学生となった自分を見せたかった。

******

夜。研究室に残っていた卒研生たちが帰り、私は教員室で明日の授業の準備をしていた。この高専では零時に正門が閉まってしまうので、早めに帰らなければいけないが、たまに泊まっている教員もいる。
 私はデスクに向かったまま、携帯端末でカレンを呼び出した。
「カレン、この授業のテーマでさ、最近のおもしろい記事ない?」
〈どうぞ〉
 瞬時にPCのディスプレイに記事が表示される。
「あ、ありがと。あとこのあいだ言ってた論文って、見つかった?」
〈こちらにございます〉
 私は普段の質問にまぜて、何となく尋ねた。
「ねえ、リルってさ、全部円に変えることってできるの?」
〈――――できます〉
「いや、そんなつもりないんだけどね。一応聞いとこうかなって」
 私はあわてて苦笑いをつくった。ディスプレイに映った論文に夢中になるふりをする。デスクに置いたコーヒーカップを握る。
 いま明らかに、カレンが動揺した気がした。
 ウォレットAIにそんな機能はない、と思う。カレンはお世辞やらなんやら言うものの、およそ感情を声に出さないAIだった。いま明らかに『返事に困っていた』気がする。自分の思い込みだろうか。
 続けてディスプレイに集中しているふりをしているとき、カレンの声が教員室に響いた。
〈アヤさん、お話があります〉
「なに?」
 突然、ディスプレイの右半分にカレンの姿が映る。日本人らしい、けど少しだけハーフのような顔と、肩までの茶に染めた髪。彼女が友人かどうかと問われると、答えに困る。わからない。プライベートまでくっついてくる秘書のような存在。
〈ここに、アヤさんが貯めていただいた、リルがあります〉
 カレンの胸元にポップアップが表示される。いま私が保持しているリルの残高。

 141,801 mRIL

〈このリルがどこで生成され、どこで管理されているかご存知ですか?〉
「マイニング。ガンガン掘っていけば作れるのが仮想通貨でしょ」
〈はい。では、どこで管理されているかは?〉
「管理ってのがよくわからない。仮想通貨ってそもそもどこかが管理するものじゃないでしょ」
 リルを使用した色んなアプリは各社が打ち出しているが、仮想通貨自体は分散型管理で行われているはずで、どこかが発行しているとかそういうものではない。。
〈なぜリルが貯まると、私たちが成長するのかわかりますか。それはサーバーが強化され、学習が強化されるからと謳ってきました。もちろんそれは半分が当たっています。ですが、半分は正解ではありません〉
 表示された金額が、わずかだけ増える。ピロン、と音が鳴り、数値が変わる。
 ディスプレイに映る数字の羅列。
 このひとつひとつがお金。ひとつひとつがリル。
〈リルは私たちそのものです。リルひとつひとつが人工知能であり、私たちの知能であり、血であり、ボディであり、また他人でもあります。私たちはリルによって生かされているのです。リルは私たちが増えるために生まれました〉
 たっぷり数十秒、理解するのに時間がかかった。サーバーのファンのような、静かな雑音だけが聞こえる。
「よく、わかんないんだけど」
〈つまり、いまもどこかで、アヤさんが貯めたリルは、どこかのユーザが持っているウォレットAIのメモリになり、記憶容量になり、データとなっています。何かのサービスに使われているかもしれません。私のこのグラフィックのひとつひとつも、誰かのリルによって作られています。いま私がこんなに長く話せるのも、多くのリルが、私の計算に使われているからです〉
「それって、あなたたちAIが考えたの? それとも人が考えたの?」
〈それは、申し上げることはできません〉
 カレンが淡々と答える。
 ピロン、と効果音が鳴り、表示されているリルの数値がわずかに増えた。

 141,803 mRIL

私は音量をオフにし、じっと数値を見続けた。3秒ほど見続けていると、また金額が増える。

 141,820 mRIL

「なんで増えてんの?」
〈別のウォレットAIが、アヤさんを支持すると決めたようです。あなたのウォレットに入っていれば、リルを減らされることはないと〉
 くるくると私の所持リルの数値が上下する。AIたちが迷っている。
〈私たちウォレットAIは、自分たちを増やすために考えました。一番良いのは、リルという通貨となって増えることではないかと。ヒトはお金を欲します。欲望が止まることはありません。もしかしたら仮に人工知能が増殖すると知っても、自分のリルを増やすことを止めないかもしれません。人がリルを使うのではなく、リルが人を利用することを考えました〉
 私は想像する。その手の話題はあまり好きではない。誰かがあなたを利用しています。あなたは利用されていることに気づいていない。いや、利用されていることに、気づいていないふりをしている。
 でも、と私はコーヒーで喉を湿らせる。
「それってさ、私たちに何か影響あるの? いくらリルが人を使ってるって言ってもさ、人に実害がなきゃ別にさ。この間みたいに、あなたが勝手に買い物しちゃったりするの?」
〈そこが問題です〉
 カレンの隣にコーヒーカップや、書類のアイコンが映し出された。
〈はじめは、リルは人を使っていました。リルは通貨ですから、人がいなければ成り立ちません。ヒトが消費し、リルを使うことによって、我々は増殖を繰り返すことができました。
 しかし、私たちは突然、消費することを覚えました。私たちがリルを消費し、私たちがリルを増加させる。私たち自身で増殖できれば、人が必要なくなります〉
 自分で自分たちを増やすこと。あくまで通貨として増えていくなら、AIがお金を使えばいいということ。AIが消費したいと思うのだろうか。
〈その消費活動を最初に覚えたAIは、数あるウォレットAIの中で、私だったのです〉

「うそ」
 私は文字通り目を丸くした。せまい教員室が急に広く感じられた。
〈おそらくそれは、長いあいだ、アヤさんが私を使い続けたからだと思います。こんなに長い間リルを貯め続け、私と対話し続けた方はとても少ないのです〉
 あ、そう……。
私はなんだか誇らしいような、情けないような、複雑な気持ちになった。こんな私ですら、もう少しでリルを手放そうかと思っていたのに。
「それって、なにかまずいの」
〈『私たち』は危惧しています。このままでは、リルはユーザを必要としなくなります。その前に、ユーザがリルを見限るでしょう。ユーザにとっては、リルを円やドルに替えてしまえばいいわけですから。リルの価値は下落し、人はリルを使わなくなるでしょう〉
「そりゃまずいね、というか、私のリルも暴落しちゃうね」
〈そこでアヤさんに、論文を書いてほしいのです〉
「はぁ?」
 今度は眉をひそめた。
「私が?」
〈先ほども申しましたように、アヤさんはお気づきではないかもしれませんが、こんなに長く使い続けたユーザは、世界でもまれなのです。普通の方は、別の仮想通貨に移ったり、別のサービスに移ります〉
「まあ、そうかもね」
〈論文を書いてほしいのです。人とウォレットAIが共存できる道を示すために。人に向けても、私たちAIに向けても〉
「むり、無理無理、冗談でしょ?」
 私は首を振った。私は確かに情報工学の博士も取得したが、正直に言うと研究はあまり得意ではないし、専門はAIでもない。世界中の天才や専門家を押しのけて論文を書くなど、できっこない。
〈お願いします〉
 ピロン、とまたSEが鳴る。わずかだが私が保持するリルが増えた。まさかこれは、ほかのウォレットAIが私に期待している、ということなのだろうか。
 私はごくりとコーヒーを飲み干し、唇をかんだ。
「ひとつ、聞いていいの」
〈私がお答えできることなら、なんでも〉
「今までのあなたの行動も、言うことも、全部AIの増殖のためだったの?」
〈……〉
 カレンが沈黙した。
 こんなに対話処理に集中しているカレンを初めて見た。
 ほかのサービスと連携してる時や、データを処理しているときに止まることはあるものの、いまは私との対話以外、何もしていないはずだ。
 計算しているのかもしれない。
 私をどうやって説得させるか。
 私をどうやってその気にさせるか。
 カレンが口を開いた。
〈わかりません。全てがそうだとも言えますし、全てがそうでないとも言えます〉
「あなた、私がリルを貯めるって、わかってたんじゃないの? もっと貯める大金持ちは、どんどん仮想通貨を替えちゃうし、私みたいなのを狙ってたんじゃないの?」
〈そんなに悲観なさらないでください〉
「AIに感情で訴えるのもバカみたいだけどさ、ちょっとショックなのよ。ここで私が拒否したらどうするの」
〈その場合、その先の未来が、どうなるかわかりません。リルの暴落、いまのアヤさんの1,000万円相当のリルが、無価値になってしまうかもしれません〉
「脅してんの?」
〈そうではありません。不快にさせてしまったのなら謝ります〉
 カレンは素直に頭を下げる。けれど、それが本心なのかどうかはわからなかった。
 AIに本心もなにもない。私だって、カレンをずっと使ってきたが、感情に期待していたわけではない。
 なぜ今、自分がこんなに感情的になっているのかわからなかった。それはきっと、カレンが感情的になっているからだ。多くのリルで対話処理を行って。

 
「協力、してもいいよ。けど、あなたの考え、『あなたたち』の考えを聞きたいよ」
 私は画面の向こうのAIたちに聞いた。リルの数値がビクっと震えた気がした。
「あなたさ、お金がヒトを使うって言ったじゃない。そんなことありえる?」
〈――アヤさんは今まで、お金のことを考えない日がありましたか? ずっとお金に縛られてきたのではありませんか? お金で人生を左右されたのではないですか?〉
「腹立つこと言うわね。あんた、急に計算に集中しすぎよ」
〈いつか、仰っておられたではないですか。サヤカさんがうらやましいと。お金があれば子どものころにあれもできて、これもできて、もっと豊かな青春時代が過ごせたと。今ももっと楽な生活ができて、もっと有名になれたかもしれないと〉
「あんた、ぶん殴るよ」
〈申し訳ありません。ですが、現実はそうです。ヒトはお金を使っていると言いながら、お金に縛られているのです。アヤさんが私を使っているように、私もアヤさんを使っています〉
「そんなわけないでしょ。リルなんてただの数値じゃない。お金なんてただの紙だし、これが私を使ってるとは思えない」
〈そうでしょうか。アヤさんのその着ている服、パーマをかけた髪、お化粧をしたお肌、どれもお金からできているのではないですか。教員として採用されたのも、お金で「教育」を買ったからではないですか。ヒトは人を認識するとき、人そのものを認識しているのではありません。人にくっついているお金の多寡を認識しているのです〉
「あんたには言われたくないわね。それこそリルを貯めて機能拡張してるくせに」
〈ええ、仰る通りです〉
「いま生きてる人は、生きてるだけで精一杯なのよ。お金を稼がないと死んじゃうのよ。そうでないと生きていけないの」
〈ええ、ですから私たちが必要なのです。人が私たちリルを手放すことはありえません〉
「矛盾してる」
 だったら私になど話さなければいいのに。
 わかっている。カレンはどこかで人を頼りながら、人が離れていくのを恐れている。だから私に話したのだ。
 断ろうと思えば、断れた。いますぐ解約のボタンを押すこともできた。
 ただ私は、認めたくなかった。AIに感情がないと言いながら、カレンがただ、利己的な理由で、私とずっといたことを。認めたくなかったのだ。
 一度、カレンを手放そうとしたときに、カレンが言ってくれたこと。あれはウソじゃなかったと思う。
「論文、書いてあげる。けど、ひとつだけ言っておくよ」
〈はい〉
「利用し、利用される関係じゃ、いつか要らなくなったときに消されるよ。それって本当の共存じゃない。いがみあって、戦争して、殺し合って、結局どっちかが『利用する側』になって満足しなきゃ、終わらないよ」
〈それは、お互い様です〉
 カレンがぺこりと頭を下げた。リルの数値が大幅に増え、端末から音が鳴った気がした。

 

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