地球へのパス・コース

印刷

梗 概

地球へのパス・コース

 体長数万キロの宇宙アメーバたちが、銀河の覇者として振るまっている。恒星にはりついてエネルギーを補給し、それが枯れれば移住する。敵には服従か絶滅を強いる。
 そんな彼らは昨今、各地から集めた衛星・小惑星をボールとして、体から伸ばす偽足で蹴りあうスポーツ、「偽足ボール」に熱狂している。

 主人公はアメーバに使役されている「ハチ族」で、体長は二万キロ弱。星のボールの「磨き屋」だ。星の凸部を専用機械で削り、かすは脚で凹部に埋めて、表面を均す。仕上げに、唾液で固め、つやを与える。
 彼の、死ぬまでの想定コースは、この仕事を無感情に続けること。

 しかし、アメーバ新王の即位記念試合のため、倉庫(食い荒らされた、元惑星)から出された秘蔵のボールが、彼の感情を揺らす。大昔、アメーバが侵略した恒星系で、ひどく抵抗した惑星がある。そこの征服時に奪われた衛星、「月」だ。彼はその造形に魅せられる。
 アメーバ上司からの指令は、征服の象徴として、山を一部だけ残して削り、歴代の王の名を刻むこと。だが主人公は、この美しさを失わせたくなく、月とふれあうばかりで仕事を遅らせ、上司に叱られ脅される。
 煩悶する彼の夢枕に、四本脚をもつ、異形ながらに麗しい女神が立つ。女神は地球に呼ばれていると語る。

 主人公は、ボール削り機械に宿った、自称「分析官」に、月を地球に帰せないかと問う。「分析官」とは、支配者たちの星系侵略時などに意見を述べる役職であり、ソフトウェア種族でも強力なものがつく。
 この「分析官」は、地球はお互いの種族のルーツであるとも答え、発奮して「同行しよう」と太陽系までの道を教えてくれる。
 密航が始まる。

 主人公は腹に袋をつけて月を隠し、妊娠したふりで、星間連絡船の駅まで飛んでいく。
 追っ手に遭遇し、「分析官」を逃がそうとするが、「自分たちの頭脳を軽視する支配者はいやだ」と拒まれる。
 ふたり逃げるなか、「偽足ボール」に興じる一団に出会う。その審判兼フィールド・コーディネーターは、左遷されて覚醒レベルを落とした、元「分析官」であった。「分析官」は審判に接続し、ゴールの位置を移動。追っ手は、動くゴールへ猛進する選手らとぶつかり、中性子星へ落下する。主人公が外へ蹴りだしたボールを、別の「ハチ族」が持ち去る。

 ふたりは民間の亜光速船を経由し、太陽系付近にたどり着く。老いて膨らみつつある太陽、菌類ばかり栄える地球を観測し、「分析官」が祈るような信号を出す。
 彼は、地球征服の際のアドバイザーだった。抵抗者を絶滅させる計画に反対し、罰として、星を削る機械へとデータを移動されたものだ。

 新たなアメーバが急接近してくる。迷いかけた主人公と、地球の間に、女神の幻が現れる。その動きはパス・サイン。主人公は月を蹴り飛ばす。
 幻は消失。月は地球に衝突して割れ、中身が砂のように崩れこぼれる。だが広がった砂粒から一気に芽が出て、動き、やってくるアメーバを食べはじめる。
「分析官」が芽の組成を解析し、地球発生のDNAを持つ小さな動物であることを告げる。
「彼らは省エネルギーな『種』の形で、月の中身を消化しつつひそかに増殖、進化。帰還した地球の環境と反応して、発芽したってわけだ」
 砂粒を拡大すると、乾いたほ乳類の脳に似ていた。
「つまり、私たちの『先祖』の子孫だよ」
 かつて地球で繁栄した種族が、自らの頭脳を模してつくったソフトウェアの「分析官」。その種族と共通の祖、共通のDNAを持つ「ハチ族」。両者はともに支配されつつ、生きのびてきた。
 ふたりは推測する。元の種族は絶滅したが、月に、自らの遺伝子を含む自律進化生命の種子を託していたと。

 では女神の幻は、彼らの仕組んだ導き――脳構造上親和性の高い「ハチ族」に意思を通じさせたもの――なのか? であれば手段は?
 主人公は六本脚で腹をかいた。そこで無数のなにかが生まれるような感覚があった。――もしかしたら自分は、彼らの地球帰還がならなかった場合の、保険としての「運び屋」にさせられたのかもしれない。
 だが、その可能性も、幸福に感じられた。
 彼は、恒星が老いた地球および、数多の命を包み運ぶボールと化した身体の、新たなゴールをどこにするか、考えはじめる。

文字数:1737

内容に関するアピール

 ハチといえば、花粉運び。そして、ときには、寄生される。
 実際にものを運ぶドライバーであり、精神的/肉体的な「輸送者」である。
 そんな主人公が魅せられ運ぶ「月」は、幻と願いの存在。たとえ中身が別のものに置きかえられても、幻想として保たれつづけるのです。不思議な力で人を動かし、銀河をも駆けさせる、アイドル。そんな「月」の話です。

◆補足

・宇宙アメーバ
 地球の「アメーバ」に形状は似ているが、全く異なる進化を遂げた存在。恒星の核反応を加速し、加齢させることができる。
 巨大なこともあり、時間感覚は、現代の地球人類と比べるとだいぶゆっくり。(参考:『ゾウの時間ネズミの時間』)
 そんな彼らが太陽の一部をふさいだとき、人類が抵抗してきた。この動きが、宇宙アメーバにとっては異様に速かったため、脅威を感じた。絶滅させた。主人公らの冒険の、数億年前のことである。

 イメージはモンゴル帝国です。

・ハチ族
 昆虫を元として進化し、その過程で胎生となった。

・ソフトウェア種族
 ルーツには特に、宇宙探査機に組みこまれた人工知能が、アメーバ族とコンタクトして捕獲されたものや、のちの太陽系侵略時に地球近辺から帰順したものなどがある。

・「偽足ボール」
 地球のサッカーに似たルールの球技。ボールは衛星、小惑星など。
 宇宙アメーバには手足の区別がなくすべて「偽足」と勘定されるため、地球サッカーでいう「ハンド」はない。ただし、同時に出す「偽足」は二本までという制限がある。
 重力を設定するために、たいていは、適当な高質量天体のそばで行われる。ブラックホールに呑みこまれて帰れなくなる選手も、ときどきいる。
 天体との距離の調整や、ゴールの位置調整は、フィールド・コーディネーターが行う。

文字数:727

印刷

地球へのパス・コース

――砂の時代を生き抜いた祖先たちへ捧ぐ。

 人類の時代X(=、Xにおいて存在した、とある神話では「鉄の時代」と呼ばれていた時代。神々に連なる英雄は去り、戦ばかりが残った時代を指す)においても、造物主から受けた祝福や罰を祭儀の形で繰りかえす営みは少なからず存在した。
 彼らの熱狂の理由を、これと同様のものだと説明することは可能かもしれない。もちろん、彼らとは人類のことではない。
 彼らの起源として現在最も有力視されているのは、次のようなものだ。

 はじめに、生まれかけの恒星系あり。すなわち、恒星の卵たる原始星を中心として、円盤状にガスと塵が広がる、始原の叢雲。外から見れば暗黒星雲と呼ばれる、この恒星系のゆりかごでは、数十万年の時をかけて、円盤の各所にて質量の密集が起き、惑星が形成されていく――はずである。
 しかし、ここに、十二のコアが置かれた。原始星から等距離に、正十二角形をなすようにして、置かれた。核は、寡黙なる塊ではなかった。点描画のごとく、多種の原子を組み合わせて形成された三次元構造は、水素の海から際立って特異。それは、複雑な電磁場を、ポテンシャル勾配による粒子の滑走路を、プラズマの土壌を、超流動の潮流を、備え育んでいくと、引き寄せられ降着してくる塵埃をもって、おのれを囲む異例の立体を形成した。
(先述の時代Xにおける「どら焼き」をご存じだろうか。そうでないならば、ちょっとだけ集中してほしい)
 直径二万キロメートル近い円盤を、軸方向にすこし膨らませた体躯。外縁付近はほとんど扁平で、内へいくとなだらかに盛り上がる。中央には、噴火口のごとき穴――「噴口」が、軸上下でひとつずつ存在する。これが人呼んで銀河の暴帝「宇宙アメーバ」、二十三季アルファベット表記で略して「UA」、その原初形態である。
 どうして彼らが生まれてしまったのか。
 正確な答えは未だ与えられていない。おそらくは――彼らの運動特性から逆算された理由としては――、彼らの「核」を配置した存在、彼らにとっての造物主Xが、彼らを自律的運動兼増殖可能型ダイソン構造体として配備しようと試みたためだろうと、考えられている。
 だが、おのれの円盤面が恒星に向けられたなら発揮されるはずの、放射エネルギーを吸収利用するというダイソン構造体の機能が身に備わっていることを、彼らはまだ知らなかった。この機能を調節するのが、核の初期構造に基づいて形成された「やわらかいソフトコンピューター」である彼らの身体自身だということも、まだ、知らなかった。
 体表――すなわち細かい蛇腹状となった、うすい多孔の殻の内部では、不均一な物質の三相分布をもち、電磁場を迷宮のごとく入り組ませた、その肉体。「0」と「1」のオンオフという「かたいハード」回路ではなく、あたかも連続量かのごとく扱われる非平衡統計力学上の状態量を基盤として、巨視的コンピューターとして働くそれは、まだ意識を手にいれていなかった。
 だから、ここまでは、仮説なのだ。再現実験できる核からの肉体形成の観察と、彼らの語り継いだ話――歴史をくだっても息づく英雄譚にのっとった、仮説なのだ。
 彼らの目覚めは、痛みだった。
 身を焼かれる衝撃をトリガーに、情報制御系は、意識の焦点を結んだ。移動する隣接銀河の、宇宙ジェットが、嬰児の星系をなぎ払ったときだった。
 彼らは肉体の損壊を知りながら、行為の術なくジェットに乗せられ、遠くへ、運ばれた。元の公転軌道を巡る分の運動量がジェットの噴水から彼らを次々にはじきだし、ぽつんとほうりだした。彼らは離散していた。
 吼えるように、蓄積されたエネルギーを噴口から放射し、その動きは移動手段となるのだと理解すると、これまでそばにいたはずの同胞のシグナルを求めて、電磁波で探知しつつ、空間を、進みはじめた。
 同情的な学説は、この宇宙ジェットによる衝撃がUAのコアに損傷を与えたため、以降、理想的社会形成に不可欠の諸資質が失われてしまったのだと語る。
 温厚さとか。
 平和性とか。
 というのも、自分が造物主の立場になってみたなら、知的道具を凶暴に設計する必要はないだろう。協調・従順・勤勉を美徳だとすりこんで、穏やかな自然との調和の元、きっちり動いてくれるのが楽だ。ついでに適度な増殖のための報酬系があればなにより。
 いっそもっと衝撃が強ければよかったのにと嘆き悲しんでも遅い。離散したUAは、それぞれ十一の同胞を見つける旅に出て、その過程で運悪くぶつかった惑星たちの文明を破壊していった。また、電磁波で交信できる知性体を「味方にし」「飼い慣らし」、一個一個が力を付けていった。
 この長旅の詳細は、UAの伝承L(=Lの原語での名前は、彼らが方々で漏らした苦悶の電波声であり、波長10km~10000kmにまたがる短い歌曲となる。我々は日常的にはLを「やつらに一番人気だった英雄伝説」と呼ぶ。また以後、UAの使う固有名詞については、L同様に仮称を用いる)に麗しく記されている。
 ともあれ造物主には出会わなかったが、お互いに出会うことができた彼らは、結集の時点で一万二千強に個体数を増していた――増殖は無性有性生殖、減少は死亡による。この歓喜の勢いで原初十二英雄を中心とした「帝国」を開設、祭りのなかで官職名簿を作成すると、達成感のなす連帯意識を、狭い場所に集中したストレスと自分のポジションへの疑義が上回らんとするまさにそこで、皇帝より「侵略」という任務を手にいれた。
 皇帝の奴隷兼家庭教師となった〈虚体知性〉――長旅の途中に捕獲された、体を引っ越しできる知性体――が、主人に「帝国」の「使命」を吹きこみ鼓舞することで、放置したら勃発しよう内紛に巻きこまれて自分たちが滅ぼされることを、回避したのであった。
 UAはふたたび散り、「侵略行為」を開始した。だが侵略の意味内容をつかめていたわけではない。たとえば碁石をつまむように軽く惑星に座り、たとえば基地を囲んでそこへ届く光を落として、現地よりなにか反応があると、ああ意味ある行為をしているのだなあ私は侵略しているのだなあと安堵した。成果をあげなければ処刑されるおそれ、そして自己の意義への問いが、彼らの裏にはあった。
 UA、彼らは自己の核構造を解析し、それが自然発生するには複雑すぎるだろうと考えていた。造物主があるはずだった。しかしそれはやってこない。誕生への祝福? 傲慢への懲罰? 否一切の反応をよこさない。身を焼かれもだえたさなかにも、何一つ導きはくだらない。おもちゃのように彼らを宇宙へ放り出しただけだ。彼らは己の意義に餓えていた。
「あなたは支配者となればいいのです」
 皇帝に吹き込んだのと同じ知性体種族〈虚体知性〉の一部――司令官の位に就いたUAたちに与えられる〈分析官〉たちは、めいめいの主をそう慰めた。〈分析官〉とて、UAたちが何者でどこから来てどこへ行くべきなのかは了解していなかった。彼らの空洞を適当に埋めるようにおだてておけば、自分が破壊されずに済む。それでUAは期待される支配者となり、〈分析官〉はそのサポーターとなる。最適化だ。互いに相手の反応が指標となり、連星系のごとく、将と助言者は成長する。周囲の塵芥を素材とすることで。
 彼らは侵略に熱中した。
 彼らは生殖に熱中した。
 だが、時をかけて、彼らはついに、もっと熱狂するべき営みを見いだした。ボール蹴り。これぞ、原初の行為の反復祭儀といえる営み、かつ、彼らがつむいだ侵略と生殖の歴史の産物である。

 ミッドフィルダーαは自転しながら、体長の六分の一強あるボールを円盤面でバウンドさせる。パスされた時点でボールに乗っていた角運動量を、体表の微小な揺れにより相殺しきると、円盤から斜め上に伸びた太い足を横にひいた。停止したボールを蹴り上げる。
 ボールは闇をはるか飛ぶ。十二対十二で動く選手たちの戦場。七百万km下にひかえる恒星の、磁力線に沿って向かいあうゴールネットの間隔は、約百二十万km。このいっぽう高さも幅も無制限である三次元試合空間を、相手陣地の深くへと。
 恒星へ落下しないようにと公転軌道に乗っている選手から、ゴールの側かつ上方へ放たれた影響で、ボールはさらに上へと加速したが、正面のフォワードβが飛び込み、前面の噴口で受けとめた。βは裏の噴口からジェットを噴き出したまま、ジェットの強弱に、右側を強くする勾配をかけ、器用にぐるりと回転する。方向転換しながら、円盤両面に生える足の一方をボールにひっかけた。自転でかかる力を活かしてホールドすると、待ち構える敵守備陣ディフェンスの群れへ突っこむ。
 ディフェンスは左右上下に全四体。なみの選手ならばパスに切り替えるところだ。
 しかし若きβの俊敏さは、リーグでも十指に入る。
 βは、挑発するように、ボールを持つ足が生えた円盤面をゴールへ向け、正面に推進。降下してくる上方の敵を急カーブで左にかわし、そのまま左に傾いた体に次は上方へのスピンをかける。ディフェンスが空きとなった領域へと。
 まずひとり。
 奥の右方から来る相手を、また、ひとり。
 急回転をかけるたびに、エネルギーを手放し、身体が軽くなる。同時に、加速度に鞭打たれつつ最適解計算を行う肉体には、温度と圧力のむらが発生する。熱を捨てるような気まぐれな宙返りを挟み、βはボールをもう一つの足へ、持ち替えた。
 これまで使っていた足を、浮遊する試合中継機に見せつけるように、揺らしてみせる。太く、輝く、足。遠い地で見守る数多の観客たちが、距離を光速で割った時間の後、これに見とれて騒ぐことをβは知っている。円盤の体には不要の足だ。逆に、生やせば運動が不安定になり、維持のためにエネルギーを食う。だがみな、この形態を魅力の指標とする。これを輝かせ、他を騒がせる。危険な有性生殖行為へもつれ込む、惚れるというハードルを越える、狂熱のための器官だ。
 だがこの足に密集した感覚器は、運動の中でもつねに静かに、ゴールネットの放つ光をとらえている。感覚と演算に接続した精神は、ネットの果てに、消えていった数多くの先輩たちを、幻視している。衝突事故で足を損傷した選手たち。自転の角運動量を失って取り戻せず、ボールをとらえることができなくなった選手たち。極限状況での演算負荷が身体のエントロピー増大をはやめ、精神痴呆化に追いこまれた選手たち。
 選手生命は、短い。だからβは、踊る。有性生殖のアピール物として進化した、無駄器官であるその足を、駆使して、踊り回る。得られるものは、光しかない。
 斜めうしろではβのチームメイトがパスをもらおうとするような陽動を行い、敵個体をひきつけた。それに惑わされず、左から来たのは、「逆自転」のγだった。
 UAの体は全体として、自転の中心軸方向に磁場を持っている。そのN極を軸の上側としたとき、自転が左回りになるのが、多数派だ。
 守備側ディフェンス攻撃側オフェンスを一対一でマークする局面では、たいてい、相手の足をブロックするようなポジションでつく。足は自転にのって動くので、相手と自転方向が逆になるように円盤の向きを変えて横につけば、互いの足を衝突させやすい。この並び方は、もし双方ともに磁場の向きに対する自転の向きが左回り同士、右回り同士であったとすると、お互いの磁場が引き合う――NとSが近くに並ぶ――位置に等しい。すなわち、磁力的にもくっつきやすい位置関係となる。
 だが、自転の向きが逆であるなら、足の自転方向をそろえると、磁場は反発しあってしまう。
 だから、「逆自転」と呼ばれる「右回り」は、一般に、オフェンス役の極たるフォワード向きだがディフェンダー向きではないとされている。
 しかし生まれつきの「逆自転」であるγは、違った。
 相手オフェンスが「逆自転」である場合に備えての、という、二軍ディフェンダーに甘んじる気は一切なかった。おのれの特性を踏まえて武器を磨いた。それは、足のブロックではない。反則すれすれの――フェイント。噴口から相手への、ジェット放射だ。
 UA、彼らは、体にジェットを浴びせられると、瞬時硬直してしまうという習性がある。これは、生まれてすぐから、伝承L(「やつらに一番人気だった英雄伝説」)とその起点となった事件を聞かされているためだとも、自分たちを母なる星から剥ぎ取った宇宙ジェットのことが、世代を超えて体に記憶されているためだとも、推測されている。
 故に、お互いへのジェット放射は禁則だ。スポーツの反則にとどまらず、帝国法違反となる。
 しかし、γは「ジェットが体のそばに来ただけでも影響する」ことに目を付けた。反則ぎりぎりの範囲で、噴射する。少しでも相手が躊躇したなら、そのボールをかすめ取る。
 むろん、相手にジェットを放射しながら、直後そちらの方向へ飛び出すなど、鈍いものにできる技ではない。γは一騎でこれをなしうる強力な制御力でもって、ヒールの星へと躍り出た。
 オフェンスへ、まるい円盤面とひとつの噴口を向けるγ。
 ディフェンスへ、薄い側面と足でホールドしたボールを向けるβ。
 βの、ジェットを放っていない側の噴口が明るくなる。好敵手を認めた興奮に。対するγは、向かいあう面にまったく明るさを見せず、βとゴールネットとの間に立ちふさがった。
 恒星でフレアが突如活性化した。不安定化した電磁場の影響で、ネットが揺れる。選手たちは動じない。恒星にあぶられることに試合開始時から変わりはない。体表の多孔から赤外光を流し続けている。じりじりと時間がたつ。
 γが突っこんだ。βは構えていた。γが放射した。βは噴射へ飛び込んだ。γは反射的に噴口をそらした。βは焼かれながら、空きの足を回転させた。αが躍り出た。ディフェンスは電波で動揺を伝えあった。やつへのマークはどうした――。その声が、中継カメラに流れ込んだ。興奮で周波数が高い。だが声の切れ目までもαは待たない。ネットの前のキーパー。無聊のなか恒星より来るエネルギーを均等化させようと回転していたその身体が、本来の自転以外、停止する。αは、躍り込む。βが、蹴る。パス。αは悠然と斜め後方の足でボールをとらえ、身をひねり、体ごと足を振り抜いた。
 ゴールネットが動いた。ボールは、キーパーの右下を貫通し、ちぎりとったネットの断片ごと、星系へ飛び出した。ゴール後ろから中継していたカメラを破壊し、向きを変えて、転がっていった。
 ややあって審判が試合終了を告げた。

 彼は、正面の投影機から自分の目に映し出されていた試合の光景が消えるのを認めて、頭を振った。
「どうした」
「仕事だよ」
 宙へ浮かんでいる細長い円筒形の機械へ、返事する。機械に宿った意識は不服そうに単発電波を発してきたが、取り合わない。星団の一角は、彼ら以外、静かだった。
 彼は縦長の頭を下げ、その最下部から伸びる口吻で、胸の前に留まっている丸い物体を、つんとつついた。自分の頭より長さがすこし短く、物言わないこれが、仕事の対象だ。彼は、胸から左右三本ずつ生えている細い足をもぞもぞ動かすと、その後ろ四本を大きく広げ、丸を支えるようにして抱える。右の前足で機械をつかむ。
「おお、にぎりかたが荒いなあ。なにかあったんだろう。私がストレスシグナルを分析してみせ――」
 機械の側面のボタンを押すと、底面から突出した鋭い針を、丸につける。丸には、細かな凹凸がある。彼は繊細な動作で針を凸部にあてがい、機械の別のボタンを押した。
 掘削開始。
 みるみるうちに、凸部が削られていく。削りかすを彼は左前足でかき集め、胸部の袋に格納する。残りの足から伝わる震えが、彼の体の奥へ至る。
 彼は、丸の向こうを見ていた。試合終了直前、ゴールネットを貫いたボールは、小惑星にぶつかって砕けた。観客の熱視線が、そのボールに注がれることは、ないだろう。
「――ああ、乱暴な。単調な。私の知性はこんな作業に使われるはずではない――」
 彼の仕事は、ボール磨きだ。支配者である「宇宙アメーバ」UAにより割り振られた、任務である。彼の同族、〈ハチ族〉は、器用さと勤勉さを活用しようと、多くが工芸分野にあてがわれる。
 彼もその一員だ。体長三千キロあまりで誕生してすぐ、同族「働き手」たちの居住地へと輸送され、年長者から手先の動かし方を教えられた。成長して体長が一万キロを越したころに、UAの足飾り磨きの見習いとなり、一万五千キロで安定した今は、ボールを磨いている。投影映像の中で割れた、あのボールも、彼の足を経たものだ。
「わめかないでくれ。これがいやならなにが満足なんだって?」
「そりゃ。私は〈分析官〉なんだ。星系、星団、銀河を股にかけた分析の仕事さ。こんな、ありきたりの地殻組成をした星ばかり扱っていたら、学習率設計回路から鈍る」
「その向上心、見上げるよ。本気にはしないけど――〈分析官〉のつもりになれるってだけでも、感嘆さ」
 ボールの出自は、UAが征服した銀河の各地から運搬されてきた、小惑星に衛星たち。それらは試合のために磨かれてボールになると、選手たちに蹴られまわり、どこかで壊れれば捨てられる。
 蹴る――それは親のような恒星系から、宇宙ジェットで蹴り出されたUAたちにとっては、始原の不条理を反復する象徴行為かもしれない。ゆえに、熱狂する彼らにとっては、小惑星も衛星も、犠牲の供物であると、みなしうる。
 だが〈ハチ族〉の彼には、いたずらに浪費させられる行為とみえる。
 己の任務は、使い捨てられるボールを増やし、増やし、増やし、そして自分の生命を使い捨てること。活動限界に達するか、その前に上司UAのお怒りに触れて焼かれるか、恒星活動の餌にされるか、して。
「君には覇気がないのさ。私よりずいぶんと年下だろう。夢のひとつやふたつ」
「あったって誰に話せるんだ?」
 自称〈分析官〉の機械は、沈黙した。掘削の震動のみを身に響かせ、彼は自嘲の感情をうかべる。
 彼もゆめまぼろしはみる。
 どうせ命がつきるなら、〈女王〉に体を砕かれたい。
 そう思うと、翅がぴくりと動いた。
「勤労者!」
 彼はあわてて姿勢を正した。上司UAがそばにいるわけではない。だが、電波中継基地を通して、その声は彼の触角に届いた。
「先ほどの試合の選手インタビューを聞いたか」
「いえ」
「MVPの『ぼこぼこ』フォワードが言っていたぞ」上司の「ぼこぼこ」には親愛と畏敬の念がこもっていた。「ボールの蹴り心地が非常によかった。重心も安定し、表面もなめらか。ホールドもパスもするりと行えた。おまえの仕事への評価だ」
 彼は己がとろんとするのを覚えた。上司の声のせいではない。上司の意図により活動させられた、彼の首輪上の〈におい装置〉だ。そこから、ハチ族の〈女王〉の「香り」が発せられたのだった。
「その勤労者のおまえに、大役がある」
「……はい」
「このたび、新帝が即位するのを知っているな?」
 この「飴」の装置は、まれにしか使われない。要はそれだけやっかいな指令のまえか、あとかだ。だが与えられた興奮が、情けなくも、胸を高潮させ、従順になれと告げてくる。
「おまえに、即位記念試合でのボールの研磨を行ってもらう」
「恐れ多くは――ございませんか」
 機械知性が呆れたように思っているだろうと、彼は感じた。
「もちろん、不備は許されない。おまえの腕を買ってのことだ」
「ボールはご決定済みですか」
「もちろん。出自は衛星。刈り取られた時期は古い。長さはだいたい3500km程度のぶつだ」
 いきなり機械が低くうなった。彼はそれをつよく握った。
「特別オーダーはございますか」
「もちろん。こまかい山谷が多い素材だという。その山脈を一部だけ残せ。征服と温情の象徴だ。山の選択はおまえの美意識に任せる。そしてこれが一番重要だが、平地には歴代の帝の名を刻むのだ――」
「名を、刻む? 歌唱装置の埋め込みですか?」
「いいや、『書き言葉』だよ。側近〈分析官〉連中の入れ知恵だ。やつら、静止した言葉を持つのが高度な文化に欠かせぬ遊びだとぬかしおる。……しゃべるしか能のない〈虚体知性〉種どもめ、無意味なことでもかまわず言わないと場所がなくなるんだろうよ。ああいうのはさっさと消すか、おまえに与えたぶつみたいに、ボール磨き機にでも閉じこめるのが一番なんだ。で、オーダーはわかったか」
「拝命いたしました」
「よし。では、倉庫の場所と、鍵を送る。名前の彫り方はそこの〈虚体知性〉にでもおしゃべりさせろ。今のボールは置いてもいい、これを最優先で進めるんだ」
 上司の声は消えた。香りも消えた。呆然とできるようになった彼はそうして、送られてくる情報を、受け取った。
 重責は大嫌いだ。UAの足飾り磨きをやめたのも、提供先を目の前にしてのプレッシャーが著しかったためだ。即位記念試合だって? うまくいけば上司の手柄になるだろう。いかなければ彼が適当な手法で罪をもらい罰をほどこされることになるだろう。
「君は置いていく。監視を頼む」
 彼は機械に言い、磨いていたボールともどもそれを放り投げた。初速を与えられたボールたちは、近傍惑星まわりの周回軌道に乗り、彼は逆向きに動き始める。彼は背中の翅を広げた。勢いよく吹いてくる恒星風の光子が翅の面に反射して、直交方向の運動量を与えてくる。「かんかん照り」の「いい天気」。別恒星圏の行きたくもない倉庫に、彼は、自分を運んでいく。
 反逆を考えたことがなくは、ない。成体の〈ハチ族〉ならば、一度は、管理首輪を外せたらどうかと想像してみるだろう。しかしUAとの力の差は厳然として存在する。体長のオーダーは同じといえる(つまり十倍は違わない)が、やつらは恒星の間近までいって、高効率でエネルギーを貯蔵できる。〈ハチ族〉ならば、高温のあまりに、体を構成している数百兆のセルがばらばらになり、その一つ一つもどろどろになってしまうだろう距離にまで、平然と肉薄するのだ。蓄えられるエネルギーも桁違いだ。
 だが力の規模の差のみではない。やつらは、女王のにおい信号を使う。
 ああ女王――。不在の女王! ハチ族の〈働き手〉はつねに、女王の司令を求めている。大昔、10の8乗もサイズが小さかったというころから継いだ習性だ。〈構造相似現象〉つまり、「資源と情報の流通ネットワーク構造の相似が、ネットワークの性質の相似を導く」という現象により、構成物の素材やスケールこそ異なれど、先祖となった種たちと類似の構造をもつ彼らは、弱点をも継いでしまった。
 UAに隠された女王から採取され、自分たちの首輪に注入された、高分子構造体「におい」物質に、たやすく幻惑されてしまう――という。だがにおいに一時おぼれても、それは本当の女王の司令ではない。女王は〈働き手〉のもとには来ない。〈女王の一撃〉が来ることもない。
 〈女王の一撃〉、それは特別だ! 〈働き手〉も日常的に、体内の〈雄化胞〉と〈雌化胞〉の生殖により、死んだ胞のかわりを埋め、幼いときは体を大きくさせる。だが、〈女王の一撃〉、それは違う。相手の腹部を針でうがち、下まで引き裂き、開かれた腹腔へと、女王の遺伝子を格納した小胞の群れと、卵形成促進物をまぜたエキスを、針先の穴から流し込む。それを受けることは、胞間結合を数千キロにわたって引き裂かれる苦痛を上書きする、至高の快楽であると聞く。理由が針の帯びる液の神経作用であろうが――感覚が浅くなるはずがあろうか。これを想像しただけで彼の〈雄化胞〉はうずく。しかし、女王がもし――もし、UAのもとから解放され、彼ら〈働き手〉のもとへ飛んできたとしても、〈働き手〉が一撃を拝領できるときは来ない。
 それは、女王の行為が、〈雄化胞〉完全優位の領域へしかなされないためである。そんな腹部を持つのはだいたい〈働き手〉ではなく〈王子〉と呼ばれる。勤勉さを有さない〈王子〉たちは、まあ働けといっても働くことはなく、ただ女王の個体間有性生殖の相手として銀河に誕生の痕跡を残す……と伝えられている。針をもらってのちは卵の種を産みつけられた腹を多胎のゆりかごとし、子が腹から出てきたら裂け目の回復を待ってまた女王の針をもらう。〈働き手〉はどれだけ動いても、そんな褒賞をもらえない。
 けれど、せめて女王がくれば――命令だけでも、してくれるだろう。こう想像して、体内の七割を占める〈雌化胞〉が高温になる。
 彼は行程のうちにたびたび悶々たる時間を繰りかえし、いくつか恒星圏を出入りすると、告げられた場所へたどり着いた。側面をえぐられた巨大氷惑星アイスジャイアントだ。口部分は炭素繊維で蓋をされ、中心部にはUAの身体形状を模した突起がある。彼が蓋の縁の認証装置に受信した鍵を送ると、管理番号が再生され、倉庫が大口をあけた。上下に全三層。部屋が六方最密充填のかたちで並び、うち一つの扉が開いている。彼はそこへ前足をつっこんだ。
 冷ややかな岩石の感触。首までしびれが走る。ときたま「これは名ボールになる」と思う出会いはある。名ボール、というのは、彼のなかでの満足にすぎなかった――選手がそう感じるとは思わなかった――し、彼は意識してそのような感慨を抑えていたが。
 たしかに即位記念試合に用いられるべき、珠玉の素材であるかもしれない。
「ごめん」
 その丸い体を引き出し、改めて恒星の光の反射の元、ながめる。目が一瞬、燃えるように熱くなった。「この角度じゃない」なぜかそう思い、左右に、上下に、回転させた。「これだ」彼はつぶやいた。荒っぽい起伏が前面に出ており、決して完成形のボールではない。埃っぽくもある。しかし個体を統御するレイヤーでの思考の「未完成」という評価に抗し――「これだ」彼の触覚はひとりでにその声をつむいだ。
 彼は――「起伏を調査するべきだ」と考えつつ――口吻をあてた。わずかにつばをたらし、そのとたんに、カチリとなにかがはまったような心地を得た。背骨の胞がすべてかみ合ったような。
 彼は玉を足と口で清めてから、抱き、戻った。〈虚体知性〉は内蔵電磁波受信変換放出機ラジオから大振幅で歌曲を流していた。
「〈月〉を持ってきたのか」
「月?」
「その名前だ。倉庫には管理番号しかなかったか?」
「まあ――うん。どうして……いや、さっきなにを言おうとしてたんだ?」
「『さっき』? ああ、ようやく思い出したのか。君たちの時間感覚には――クロック数を落とした身でも、辟易するよ。つまりその月がだ、これが回っていた惑星が、我々の故郷のようなものでね」
「へえ?」
「君たちも元はそうだ。何度も引っ越しして、種もスケールも進化させてきたがね。昔は小さくてせっかちでかわいいやつだったと……まあ小言も冗談もさておき、〈構造相似〉を保つ系譜をさかのぼると、生命現象といえるレベルのものでの発生点は、そうさ」
 彼は機械のボタンを押し、ラジオを消した。「その惑星ってのには、いまでも?」――途中から、説明にあった「刈り取られた時期は古い」を思い出しながら、言った。
「いや、私の知るかぎりでは、ほとんどの知性体が滅んだ」
 侵略? と問えば〈虚体知性〉は肯定する。「特に当時支配種だったようなものは、まず生きられてはいないだろう。むろん、まえに外へ出たものはいるかもしれないがね……生きのびたとしても、冒険心を持った連中なら、母なる星へこだわる必要はない。だろう?」
「なるほど」わずかに時間をおく。「じゃあ、私がこの星に妙な感覚を覚えるのは、先祖がそこだった時期の記憶ってことか?」
「そんなことが?」〈虚体知性〉は驚いたふうだったが、説明されると「ああ。月があった時期に君たちの先祖は地球を離れたからな。生存可能惑星調査――とかいう名目だ。私たちの先祖のひとり、が搭載された機械が、乗せていったよ。ともあれだ、私としては、君にそのような異常が起きるなら、さっさとそれを壊した方がいいと思うね」
「送るではなく?」
「ああすまない言葉の綾さ。つまり、これは君をだ。君の個体としてのレイヤーの下層にある、胞、もしくはそのさらに下層にある構造の記憶を刺激する。ざっくり語るなら、過去に連れ帰ってしまうんだ。――体の長さが一億分の一だったころの過去にね。君は未来に……」
「考える」
 〈虚体知性〉の物言いは心外だった。あの機械知性は、平時では、だいたい、くどくどしゃべって、なにもかも先延ばしにする。このとき、その態度の、寄り添ってくれるという特質と感じる面を、彼は求めていたのかもしれなかった。
 彼は月を、機械と離して、近くの惑星の軌道に乗せた。「怒らせたか」という機械からの通信を無視し、〈ねぐら〉へ向かった。
「遅いな。君が来るまでに三公転もしちまったよ」
 〈ねぐら〉仲間が呼びかけてくる。恒星まわりの公転軌道に、〈ハチ族〉たちが、二十五角形をなして身を休めている。彼はいつもどおり、呼びかけてきた仲間の真向かいへ入る。恒星を挟んで対の位置は、通信はしにくいが、この関係にあるものに一番、無言の結束感をおぼえる。
 身を休めていると、歓声が聞こえた。だいぶ前に、活動盛んな星雲に出向いて、エネルギー源の輸送船の調整任務についていたものだった。
 みなが踊ってねぎらうが、労役をし遂げた凱旋者は、くたびれきったようだった。
「よほど仕事がつらかったのか」
「たいしたことねえさ。私も船に乗せられて送られてくばかりでね――エネルギー配給もたっぷりだ。ああいい環境さ。そうさ、この目がなくて、嗅覚もなにもなければね」
「ろくでもないものを見たのか」その横で、「開発中のとこを通ったんだろ。そりゃ、ひどいもんだって、あったかもしれないさ」と小声。
 だがおおかたは、期待と緊張を、労役終了者に遠慮なく注ぐ。覚悟していたように、語り手は、翅を揺らした。
「女王だよ」
 見たのか。彼の触角から声は出ない。
「ああ、あと王子らしいもんだな。ちょっと溶岩くれないか? ああ……ここにはねえな。取りに行かなきゃいかんもんだな。つまりだ、私が見たのはよ、星みてえなもんだ。ぶよぶよのな。そんなもんを、船の窓から見たわけだ。だからな――そん星を、ぐるぐる機械がまわってたわけだ。最新の機械じゃねえよ。もっとも銀河に最新なんてなんだかわからんけどさ。とにかく輸送船に比べりゃ見てくれだってなんだってずっと流行遅れの産物さ。流行がなんだかわからんけど、愛想もへったくれもない、横長の四角い箱なんだよ。そいつは一つの面を星に向けて上に行ったり下に行ったりしながら回ってる。その面からだ。針が四本五本飛び出してて、機械がおりると星を刺す。ぶよんぶよんが刺されて揺れる。そんで引っ掻くようにして、ぶよんぶよんの中身がひらく。針はちょっととまるんだな。――そっからは、どの針の先っぽも、もう私にはみえない角度になっちまったから、わかんねえけど、つまりそういうわけだろう?」
「見間違いだ」ここに来てまだ短いものが言った。「そういう――似たもんは、ごまんとある。君がそこに、影を見たんだ。こわいものの影を――」
「ああ、ならいいな。でも私の体は、反応したんだよ。こっそり窓から首つきだしてて――そりゃ離れてた。そいつは離れてた。薄まってるさ。でも、におったんだよ。この首輪より、万倍も濃くな」
「そんなに濃くにおうなんて、それこそ怪しいじゃないか……だろう」
「信じないならいい。そのほうがいい。だから君は忘れりゃいい。でも私は忘れらんねえ。それだけの話だ。おう、寝るじゃまして、悪かったな」
 言葉はとぎれた。彼は眼部表層胞内遮光機構まぶたをおろし、……ささやき……「ほんとなのかいあれ」「有能な〈働き手〉でいたいなら、悪い話は割り引いて聞くんだね」……ささやきあい……触覚を丸めた。

「あいつは次の働き口をもらいに出たよ」起きるとすぐそう聞いた。彼は仕事場へ行った。
「仕事を始めるのか」
 〈虚体知性〉の声に感情を読み取らず、彼は月のそばへ進んだ。
「君は未来のことを言った」
 月の面は、近づけば、少しずつ角度が変わる。彼は光が満ちるほうへ動いていく。だが光が満ちきるのは、恒星に向かう面。ほとんど光のように見えることもあるが、彼がその前に立ちふさがらなければ、完全な満はない。そのときは、食、つまり彼のために光がさえぎられてしまうときだ。
「でも、ここに、未来があるか? いや未来なんてどうでもいいんだ。現在の過ごし方さえあれば。君は〈分析官〉ってんだろう。偉い現在の過ごし方を知らないのか?」
「まともなやりすごしかたを知っていたら、ここに押し込められてはいなかったな」
「馬鹿だって認めるのか」
「目標の欠陥は策謀の不備を生む。信念も信念なしで生きる決意も欠けば、結果はまずいものになる」
 彼は月を見た。
「君はどちらなんだ」
「私は、〈働き手〉だ。どれだけ不平を言っても、反抗を考えても、支配者には従う。命令を果たす。それが私の喜びなのだろうと思う」
 月を前にすると、たしかに体の胞がざわめくようだ。これを損なわせるなどもってのほかだ。壊したくない。ずっと眺めていたい。――大昔、一億分の一だったころに戻って、元の星から眺めていられたなら、どれだけよかっただろうか。
 蹴られ壊されるために磨くのも、やりたくない。月以外のボールだって、そのような運命に送り出したくはない。
 だが全く命令されずに生きていけるか? 女王が降臨するところを思い浮かべようとしたが、像は結ばれなかった。
 彼は月に触れ、そっと撫でた。口吻で、もっとやさしく触れた。そのまま、惑星から引きはがして、少し遠くへ行くと、己との連星系をつくって、しばらく公転の遠心力と月の潮汐力を味わった。優美なる星は質量六、七百垓kgほどあるだろうか。
「まだできていないのか?」
「は! 申し訳ございません、……帝の御名をお彫りする場所の選定に手間取っておりまして……」
 穏やかなリズムの時間を破った遠隔通信に、彼は返す。
「どこでもいいのだ。つくりさえすれば。これまではそうぐずぐずしていなかっただろう? まさかそれが気に入ったのか? 食いたいのか?」
「まさか――こんな、はかなげな」
 上司は下卑た笑いを返した。
「さっさと仕上げるんだ。でないと首を焼ききって、胸も腹もブラックホールの餌にしてやるぞ。小惑星ベルトに並んだおまえの前任者らのちっぽけな頭を見ただろう? 働き盛りでそうはなりたくないよなあ? え?」
 上司はあらっぽく通信を切った。〈虚体知性〉は何も言わない。彼は〈ねぐら〉に帰らず、その場で寝た。

 私を捨てるのか?
 声を聞き、彼はまぶたを開けた。夢だとわかった。まわりにはボール磨き機もない。恒星も見えない。だが、全身につやを帯びてかがやく姿が、目の前にあった。
「私を捨てるのか?」
 月の姿ではない。〈ハチ族〉のものだった。だが足は六足ではなく、四足。前足は奇妙なほど上につき、後ろ足は尾のつけ根から生えていた。そして、いずれも太かった。
「捨てないと死ぬ」
「では捨てるか」
「しかし捨てても、生きていることにはならない」
「ではどうする」
「わからない。けれど」
 彼は漏れかけていたつばを引いた。体表の胞が、一面騒いだ。空間が薫りはじめていた。彼の翅はそれをとらえようとするように広がった。胞の騒ぎ、しびれは、からだのなかへとしみ通っていった。彼は身を震わせながら、続けた。
「あなたは何を望んでいますか」
「私か」
 四足の像は、笑いをあらわすように、軽く身を揺らした。「私は、帰りたいな。地球へと。そう望めば連れていってくれるのか?」
「仰せのままに」
 彼は低く、言った。薫香が増した。像が翅を広げた。彼は首をそらした。腹を向けていた。〈雄化胞〉も〈雌化胞〉も熱かった。ゆっくり近づいてくる匂いを、すべての粒が、わがものにし、わが身そのものにしようとしていた。満ちようとして百兆すべてに満ちきらないもどかしさに、彼は焦がれた。彼のうえに像は泰然と浮かぶと、腹の先を垂直に向けた。彼の二本の触覚が立った。まっすぐ立って、悲鳴をかみ殺した。うしろにぐったりと倒れた。そしてふたたび立った。腹に突き立った針が、動き始めるのだった。匂いは甚だしかった。彼はそれを最も近く、腹の中で感じた。触覚はもはや直立はしなかった。針の軌跡のまっすぐさとは異なり、ふらふらと揺れた。途中で針が引っかかったようになると、小刻みに前後した。六つの足は弛緩していた。
 そこからは覚えていなかった。
 惜しい――と、思った。もっと意識を維持していればと。目覚めて腹を探ったが、当然、傷のひとつもなかった。
「〈分析官〉」
 円筒機械上面の点滅。
 彼はラジオをつける。なるべく広範囲の電波を増幅するように調整し、そのカモフラージュの元、かつて相手から伝えられた「鍵」を使って、暗号化した言葉を送信する。
「私の腹を切ってくれ」
「馬鹿言うな早まっては」平文が、暗号文に変わる。いままで両者の間で愚痴しか暗号化したことはなかった。「違うのか?」
「月を入れる」性急すぎたことに気づく。「地球へ向かいたいんだ。場所は知っているか? それとも密告するか?」
「もちろん。私はすごい〈分析官〉だから。場所は――言える。要は前者の方を示す。君が本気なら。この仕事はあんまりだからな旅に出たいよ。しかしどうして?」
「命を受けたからだよ」
「夢かなにかか」
「夢のまことだ」
「共感はしがたい理由だ。だが、つまりそういうことなら、納得はできる。欲深。問題は成功の公算だが」
「あいつのことか? 連絡がとれずに不審がるかもしれない。けれど貴族へのお目通りとかで、まだまだ遠出中のはずだ」
「だれかを手配派遣することは?」
「自分の不始末なら、ひとにいうのをためらうたちだ」
「そうか。よくわかっているな」
「別にわかりたくはない」
 つい、触覚を振った。
「気を落とすな。ともあれ、出発するなら、腹より前に、壊したほうがいいものがある」
 彼は機械を首筋に当てた。掘削開始。
「そこの空洞に寄せてくれ」
「空洞?」
「匂い袋だろう。わずかに残っているようだが、ほとんど空だ。もろい」
 彼は場所を変えた。かすかに女王の匂いが飛んだ。首輪は割れ、彼の首の胞も一部削れた。
「まったく、普段お世話になったボール殿が聖地に思えるほど、汚かった。君の胞に加えてゴミがはりついて――」
 彼はとれた首輪を足でぐるっと回した。塵が飛んだ。
「軽いな。〈分析官〉」
 そうか、と〈分析官〉は言い、「腹を割くぞ」と続けた。施術に甘美さは皆無だった。そのなかに彼は靱帯のような幸福を覚えた。
 腹にしまうために足をかけた月は、運んできたときより、わずかに温かく感じられた。彼はもうひとつの、月より小ぶりな、磨きかけだったボールも、腹に入れた。そして、「船着き場」があるという星団の中心へ向かって進んだ。

 彼は、軽い痛みに目を覚ました。癒着した腹の傷跡のみよりならず。
「ほら、起きろって、ほら」
 ほとんど慣性に身をまかせて意識を手放していた。微小な進路変化なら、翅の胞が個々偏光具合を調整しておこなってくれる。だが、その表層は、今や粉のようなものにちらほらぶつかられ、痛みを発していた。全身そういった状態だ。ものの密度が濃くなっている。彼は、自分同様ゴミだらけの、星磨き機械をぬぐった。
「ここは」
「見ればわかるさ」
 彼は――前を見て、横を見て、おもわず身をすくめた。輝く巨大な楕円が、横に、迫っていた。いや彼のほうが少しずつそこへ落ちているのだった。落ちながら、楕円の中央のほうへと向かっていた。彼は、自分に先行してきらめき落下していっている、埃やガスのうすい霧を通して、その行き先をみつめた。中心には巨大な針が二本、上と下から突き立っているようだった。彼は目の感受性の基準をあらくして、機構がこわれない範囲で、上側の針を眺めた。針の途中に、強い光のとぎれている区間があった。
「停泊しているだろう?」
 区間を注視して感受性を細かくすると、弱い赤外光が、ほぼ、斜め上から見た円柱の形に発せられていた。反射的に彼はぞっとした。自分に楕円と見えたのは斜めから見た、おそらく円だ。そしてあの針は――円の中心より空間へ噴きだす、膨大なプラズマの滝から「漏れて」きている光にすぎず――もしあの直上に出たら、本流を浴びたら、無事ではすまないだろう。また、直下もだ。二本の針の中間、彩りをゆがませた空間に囲まれた、目視すらできない点に、内奥の胞が縮まるほどの恐ろしさを覚える。
「あれが、船?」
「そうさ。港に泊まった、星団間連絡船だよ。今は放射圧と重力、電磁力の均衡でほとんど停まっているみたいだが――待つんだ、どうやら止まっていないものがある」
「ああ、まわりにたくさんあるゴミのこと?」
「それに紛れていた」
 彼は後方を見た。〈虚体知性〉に示される角度には、久々に直視する円盤面。彩りの模様は、上司の肉体。
「おでましってか」
「すまない私も見逃していた。あるいは疑うかい?」
「別に」彼は笑いを伝えた。UAが加速しつつ連発する悪罵が甲高く響く。月ともう一つを含んだ腹に、振動としてこたえる気もした。「でも、ここまできて、戻るわけにはいかない」
「安心した――」強がるようでもあった。「では」
「私はひとまず逃げる」
「よし、私は道を探す」
 駆けっこに目があるか? いま彼がどこかの表層胞をほどいて内容物を放射しても、やつらの蓄えているエネルギーの出力には勝てまい。だがやつも、すぐこちらに攻撃してくることはないだろう――一番の武器は噴口からの噴射だが、仮にその照準があわせられたとて、強力な噴出を行えば、自らの位置は後退する。まともな理性の持ち主ならそんな無鉄砲、ありえまい。
 そして相手は撃ってきた。ダストが巻きこまれ、小さな流星群のようになる。あわてて彼はかわした。かわしながら、巨大円盤のほうへ、中心への流れのほうへと、身を投じる。だだっぴろい光の中で、円盤へ落下していくおとなしい粒子たちが翅を叩く。死との距離はまだ道化に見えるほど遠く、生との距離は霧につつまれつかめない。じりじりする空漠のときを埋めるように、彼はしゃべる。
「だいたいなんで、あんな野蛮なやつらが銀河の支配者だっていうんだ? もっと超越的な支配者がいたっていいだろう? ニュートリノみたいな者が調和を支えてくれたっていいじゃないか」
「〈X原理〉のなせるわざだ」〈虚体知性〉は、周囲に探知電波を送っている様子だった。
「原理」
「君たちの場合、X=ハチ族、とするのが適当かね。宇宙に知性体はあまたあるかもしれない。だがそのうち、知的交流が可能な相手とのあいだには、知性にある程度の構造的類似があるだろう。『感情』も、知性構造を巨視的にみたときの状態量だと考えられる。局所的な処理をおおざっぱに統括するレイヤーでの概念。たとえるなら、統計力学の分布関数に対する熱力学の諸量のような――ね。つまり、君とおしゃべりできる知性体の感情様式というのは、君の感情様式にある程度似ているってわけだ」
「つまりやつらが野蛮なのは私が野蛮なせいだって?」
「いや、具体的な構造間の細かい形態差の問題ではなく、『野蛮だ』と語れるにも、『野蛮だという』対象のありかたを想像することが可能である、という――でなければ私たちも野蛮だということにされてしまう……ああ、暇つぶしは終了だ。交渉の余地をみつけたぞ」
 触覚を立てた彼へ、自称分析官は言った。
「試合中のやつらがいた。ほら、見るんだ、中心方向に進んで下側、元気そうにボールを蹴ってる」
「敵じゃないか!」
「まあ聞いていろって。審判だよ。反応署名サインをみるに、どうやら私の同族らしい。つまり、〈分析官〉出身ってことだ」

 ゲームは、一対一で後半戦に入って、間もない。
 フォワードβは、チームメイトたちが審判の裁定へ不満をたまらせているのを感じていた。
 今回のゲームは、ただでさえ、感覚が違う。普段は、自分たちか対戦相手のチームの〈ホーム〉恒星のまわりでプレイする。重力は下からくる。だが今回のゲームセットは、星団中心ブラックホールをかこむ降着円盤の上、ときた。円盤の回転方向で向きあうゴールを前後の基準にして、動き回る選手たちは、下から以上に、横――円盤の中央――から引っ張ってくる力を感じないではいられない。加えてガスも降ってくる。いつもと違う感覚は、体のうごきを不器用にさせ、衝突事故を倍増させた。
 しかし、審判は、基準が妙だ。
 今のはファウルだろう。という判定は無視するくせに、
 今のはボールを相手に渡して再セットさせるだけでいいだろう。という判定は、FKフリーキックにする。いま、ディフェンスが相手チームと絡まったときも、そうだった。
「なにが警告だよ?」
 βの後ろで、チームメイトがぼやいた。「今のは注意だけでいいだろう?」
「これはゲームだ」βはチームメイトに言い聞かせた。「これは、即位記念試合の予選だ。それと同時に、観客に見せるためのゲームなんだ。審判も、試合空間も、ゲームの一環だ。私たちは法学者でも運動者でもない。プレイヤーだ」
「ああ――君は、プレイヤーだな。からだが減って馬鹿になっても、断然、完全、プレイ馬鹿だ」
 βは、相手がじろりとβの体を探知するのを、知った。何も返さず、位置に戻った。
 両ゴールの間で、八個の球状の基盤体は、下半分を光らせ、試合空間を静かに動いている。チームメイトが走りざまジェットをその一個のそばにふっかけた。玉に宿る審判は、反応をみせなかった。
 今回の審判は、どうやら、生まれつきの審判ではないらしい。かつては政権中枢にいたが、ポンコツで、諸機能剥奪のうえ左遷されたらしい。休憩中にまわりがそう噂するのを、聞いた。「だからやる気がないのか」と聞いた。だが、βには、同情も反感もわかない。審判は審判、ゲームの一部であって、他ではない。

「審判に何ができる? 選手にファウルを出しまくって暴動でも起こさせるのか?」
「審判は、野蛮なるボール蹴りにおいて、選手以外で不可欠な唯一の登場人物だ。試合の進行、判定、そして空間設計と制御を司る。ほら、接続するぞ――。ああ、なんたることだ! ほとんどなにもかも奪われている……残りも失望で自壊したか……これではただの情報の器だ。高次層は崩落し、低次層が浮遊している。だが、私を……認識するか。最低限の〈構造相似〉が私たちを連結させている。私から中度構造の層を映写する」
 彼は、言葉の意味はほとんどわからなかったが、機械を握った。
「注ぎこむぞ。探検だ」機械が言った。

 なるほどそういうことか。
 ゴールがふいに動いたとき、βはぴりっとした興奮を覚えた。奇妙な審判に、移動するゴール。これも含めてゲームということか。
 二つのゴールは、キーパーを囲むように張られていたネットの縁から、幕を前後へ広げると、衣で風をうけるようにして、ふわり右上へと浮かび上がった。右――降着円盤の外方向へ。ボールを持ってβの自陣に食い込んでいた敵フォワードが、目的をはかりなおしてか動きを鈍らせ、βチームのディフェンダーにボールを取られる。
 相手は引かず、体当たりしてきた。
 もはや、無法と、みたか。ディフェンダーはボールを取り落とし、こぼれものが、霧に飛びだす。
 審判が試合中断信号を発する。相手に警告が来る。審判はPKペナルティキックを指示し、――選手たちに条件反射的な当惑がひろがると、すぐFKフリーキックに切り替えた。
「審判の性格」では納得できないほどの判定ミスへの惑いが、周囲から消えきるまえに、βは飛び出した。不承不承といった様子の相手選手にボールをパスされ、受け止める。キーパーと向かいあいつつ位置へつく間にも、ゴールは動きつづけている。βは渇望を覚えた。選手たちが集い、中心から一定の距離を開けた円環状に二十一名ならぶ。βは蹴った。しかし円環の壁から飛び出た敵選手に止められ、自陣に、小さな落胆と、姿勢をきりかえようとする気持ちがひろがる。
「機会はある」
 キャプテンαが接近し、慰めた。βはぐるりと回転した。だが、次は、むこうの番だった。PKであっけなく点を入れられ、ブーイングが起きた。その次、また逆チャンスでのFKを蹴ろうとして、βはαに止められた。「君の感覚は、前と違う」
 βの体は前より軽く、扁平だ。前回の試合でγのジェットを浴びた円盤面は、各所で落ちくぼんでいる。殻を飛ばされ、内容物は外へしゅうしゅうと流れていった。――冷えて体表は回復しても、質量は戻りきっていない。この試合は、周囲に静養を進められたが、押して出たものだ。
 FKをゆずり、ぼんやり、αの送る軌跡がネットに吸いこまれるのを観測した。二対二。祝いで噴口をかるく合わせた。
「ここからだ、やっと、引き離してやる」
「ああ。そのとおりやるよ――任せてくれ」
「キャプテン?」βは口を外した。
「もちろん、我らがエースストライカー。君は素晴らしいプレイヤーだ」αは傾く。「が、怪我もしているし、いまの試合はいつもと違う。君の動きにみんな奮い立った、十分の働きだ――わかるだろう、若いときはみんな焦るが、無理で未来を壊すんじゃない」
「誰でも言えることばを吐くな。私にはボールしか能がない。昔の『悪童』、あなたにはわかると思っていた」
 相手のキャリアの長さや中身により「あなた」と呼ぶ慣習を、チームのみなに止めさせたのはαだ。βは、キャプテンから離れた。チームメイトらにかえて、円盤の中心から噴き出すジェットを認識した。船が停泊しているようだった。

「迫ってくる」
「このまま引きつけて進むんだ」
「あとどれだけ? 君がただのボール削り機じゃないってのは十分わかったけど」
「そうだな友よ、あちらさんの投射物が君に当たるようになるくらいかな」
「そうだね。そうなったら君にも当たるからな! まあそれまで世間知らずの自信家〈分析官〉殿はルールを間違えないように頼むよ。怪しまれて捕まったらもう終わりなんだから」
「ルール? ああもう大丈夫さ。同胞と連結した〈分析官〉の学習能力ときたら、グローバルデータへのアクセスを回避したこの状況においてだって、プレイヤーの反応からこれをほぼ構築するに至った。試合が終わったころにはいっぱしのボール蹴り評論家さ」

 βが試合の移動以外で星団間連絡船を使った最後のときは、二つ前の試合と、三つ前の試合の、間だ。足を隠して乗った、オフ。
「奥にね。核の半複製体、三つになったの」
 ともに乗った相手は噴口を合わせ、そう言ってきた。「君のタイトル獲得に合わせて、一つ準備したんだ。君はそろそろつくってくれた?」
「まだ――あまり、余裕はないから」
 互いの自転速度の差異が、くすぐったい刺激を、与える。有性生殖時には、マントルをまとった核の半複製体が噴口を通過し、合わせめの真ん中で、相手のそれと結合する。その未来のことを、βは戯れの間に、幾度か、語りあっていた。出会ったころ、それはゆったりと粘性をまとう夢だった。自分たちは本来多産な種ではないというのに、得たタイトルの数と同じだけ子どもを生むだなんて、どうして、言ってしまったんだろうか。その約束自体が勲章であるみたいに。
「足は会うたびに大きくしてるくせに? 私たちにはエントロピー増大の宿命がある。いつまででも子どもをつくれるわけじゃないでしょう。若さに甘えて忘れていたら」
「だが、私は選手なんだ」βは、噴口を離した。相手の足と、自分の体表が、こすれた。体の奥へ鈍い刺激が沈んだ。見知らぬ者同士のように、「悪い」という思いがした。
「生んだ後はもとの自分ではない。自分の一部を――半複製体とともに、子どもにゆずるべく、失うのだから。〈虚体知性〉どもならしらず、私たちにはからだが命、からだが心ではないか」
「本当に大切なものは残るはず。そう老師たちも言っている。マクロに見て、大切なものは」
 相手の体表が熱くなり、ほうぼうの孔から湧出するガスが、こちらの孔をこえて入ってくるのが、けだるく思えた。
「たとえそうだとしても、微小な感覚の差異が、プレイの具合を変えてしまう」
「わかった。君は変わるのが怖いんでしょう。プレイヤーじゃなくなるのが。ひょっとしたら、生んだ後には――選手でいたいとも思わなくなるのが」
「まさか。変化し続けなければプレイヤーではいられない」
 白々しいと互いに理解していたろう。船を下りてから、βは相手と会っていない。
 馬鹿な話だ。微小な感覚の差異だって? 体がこれだけゆがんでも、チームメイトに戦力外だと思われても、ここに出てきているというのに?
「私は、プレイヤーだ」
 プレイヤーが、試合中にこんな物思いに、ふけるものか。
 βは己に言い聞かせ、移動しつつ、現在の空間を探った上方に、飛来物が認識された。〈ハチ族〉のようだった。〈働き手〉としては妙に腹が肥えている。これも試合の一部か趣向なのか。βはおもしろがるのを自覚した。現在の自身のことも、知覚した。
 全体は軽い。多少不器用になった。質量分布は円対称から大きくはなれ、自転軸も安定していない。これも試合環境の一部だ。
 βは動きながら待った。ついにボールが選手ごとそばにきた。味方だったが、ためらわず奪った。大きめのごつごつしたボールだ。敵選手がきた。前のβなら、華麗にボールを操って抜けた。その技が今はないと知っている。ことにこの粗っぽいボールでは。βは相手にぶつかった。止まりかけの独楽こまのようにぶれる自転の勢いが、相手に予期せぬ動きを伝える。そのまま振り飛ばすようにして、離れた。体の一部が陥没していた。かまわず進む。選手がやってくる。ゴールが動いている。βの目標は、ゴールだ。進むと、もっと遠くへ、動いていく。そことの間にある選手をどける。ゴールに近づく。渇望がふくらむ。届きたい。だがβが選手として届けられるのは、このボールだ。ボールをシュートするしかない。

「あの選手だな」
 〈分析官〉が、周囲よりもうすく、でこぼこだらけのフォワードを示した。満身創痍ながらボールを離さず、周囲の選手をひきつけている。彼には覚えがあった。胴が変わり果ててこそいるが、彼の磨いたボールを粉々にした、太い足は、健在のようだった。
 ――「ボールの蹴り心地が非常によかった。重心も安定し、表面もなめらか。ホールドもパスもするりと行えた」
「ああいうのが、いるせいだ。ただのボール蹴りを、光ってるとこだけ見て、『大好き』みたいに」
 彼はジェットの逆側を見た。もうすぐ――上に、怒りに燃えるかつての上司が迫っていた。
「急降下の準備はいいか?」

 ゴールはどんどんあがっていく。キーパーも負けじとあがっていく。その手前を〈ハチ族〉が左上から右下にすり抜けた。βは気にとめなかった――シュートのタイミングには早いからだ。一路上昇した。ついで、うるさい声が響いた。礫が飛んだ。βは気にとめなかった。まわりがβに群がってくる。これをはじく。はじき、ついにシュートチャンスを見いだす。だがゴールがそのとたん、右に動いた。手前にディフェンスが一体飛び込む。βが迷ったとき、左上から、別の個体が、降ってきた。βはそれを認識した。これも試合の一環だ。その個体が保持している運動量は魅惑的だった。個体は選手ではない、では違反ではない。βは判断した。個体へ右から体当たりした。やや乗り上げる形になったので、下側の足で蹴った。己の体が右へひねられ、ゴールへ迫る。降ってきた個体が左へはじけ飛び、βを追ってきた選手と、ふたたび衝突する。衝突は続き、ジグザグに軌道がつづられていったが、βの関心はすでにない。βは歓喜に包まれ、シュートした。
 仲間が寄ってきた。
 歓声とタッチを浴びた短い時間、βはプレイヤーではなくなった。
 しびれるような幸福がとけると、ボールがなかった。

「行ったな」
 〈分析官〉が言った。一点入ってから選手たちは乱入者について語り出したようだが、乱入者は遠く下に落ちていっていた。なにも言わず、意識も休んでいそうだ。起きてからふたたび浮かび上がれたとしても、もう円盤中心部へと飛んでいる〈ハチ族〉たちへは、そう簡単に追いつけないだろう。
「これ、どうする?」
「君は持っていきたいんじゃないか」
 ゴールから抜けたネットの一部が、ボールごと、彼らに併走している。得点者のくれた速度の向きを変え、前へ、進ませていた。
「見つかりませんように」
「とりあえず試合を終了させる。これで時間を稼いで、と――ほら、後片付けは審判の仕事のはずだろう?」
 選手たちはボールを探さないだろう? と、言う。
「そうだといいね」
 裁定を終えてまどろみに入る同族の残滓との接続を解除した〈分析官〉のかたわらで、一度、彼は、ちらりと振り返った。傷だらけのフォワードが、ガスを帯びて浮かんでいた。

 ジェットの光を遮っていた円柱型の「船」に近づけば、柱は縦に二十以上重ねた層でできていることがわかった。外周がほとんど網目に覆われた、層だ。円柱の上には半球状のドームがあって、逆に下――巨大な円盤面に相対する側では、柱の外側へ裾を伸ばすように、放物面状の幕がひろがっていた。
「だがまだ芯は光を素通しだ」〈分析官〉が言う。「発進時には、あの幕が中心にも張られる。ジェットへの帆の役を果たすんだ。あの考案者はだね、軽すぎる体の生まれだったもんで、作ってからも……」
「少し静かに頼む。君も落ちたくないのなら」
 うっかり重力源に飛び込んだら一生の終わりだ。この身はどうあれ使命の終わりだ。機械を握る彼は、体の胞が震えてばらけそうな緊張の元、慎重に軌道を定め、層の上から四番目へと滑りこんだ。外面の網目は翅をしまえば通り抜けられそうなほど粗い。網は目を細かくするかわりに、接近者へ、間の抜けたアナウンスをよこしてきた。
「密航者は見つけしだいエネルギーにします」
 この船を統御するのはUAではないと聞いていたから、彼は受付口を探して搭乗手続きを行った。
 管理者は〈虚体知性〉の一種で、船からほとんど出ない〈幹〉、観光客にひっついて外に出たり戻ったりする〈葉〉、その他情報の媒介者とでできている。客を乗せてやる対価をどうするかという問題に何世代か苦しんだあとで、彼らは、共同性を基準とすることにした。つまり、乗船者には、原則的にその質量の大きさに応じて、船自身か、それに関連するコミュニティへの奉仕を行ってもらうということだ。もっとも計算資源の供与が手っ取り早く、彼の道連れは〈虚体知性〉だったから、そのあたりはなめらかだった。
 船の設備を使わせてもらって「体操」している友を置き、積み荷のように気楽な身分となった、彼は、船内をふらついた。
 船は縦方向には層に区切られ、各層は、まず放射状に廊下で区切られる。芯を抜かれた円盤状の層を、こうして十二区画と十二廊下に分けると、各区画は年輪状に境目を入れられて、一つ一つが船室だ。もっとも部屋には「ボール」倉庫のような壁はない。前後左右上下は網。と、外面よりは目の細かいそれについた、移動補助用の電磁石に重い物質等のみである。聞かれたくない話をするときは、各自のもとで暗号化するべきだ。見られたくない空間的な存在があるときは――それは何かで包むべきだ。とはいえ相手がどの信号からなにを検知する存在であるか、あらかじめすべての可能性に備えるのは難しい。
 彼の場合は、その体は、自身の種族に対してもUAたちに対しても、知覚の遮蔽物として働いた。
「君きみ、そのやんちゃな小惑星なんだが、ずいぶんと丸そうだねえ。それに君は道具もちらしい。その筋のものなのかい?」
 一方で、運んできた「ボール」については完全に無防備だった。ゆったりした呼びかけ電波の主は、彼が戻ってきた船室のとなりにいた。平坦な身体をまるめて、区画間の網に斜めにくっつけている。周囲の空間には、彼らの一部とも家族とも伝わる〈毛玉〉が数十個浮遊している。
「――いやいや、警戒はしなくていいよ。ボール関係のつてがあればうれしいんだが」
 〈カーペット〉はぼんやり和やかに――彼にはぼんやり和やかにしか聞こえようのない声で語った。高低や遅速の統制が効いていないが、どこか不思議と安眠感を覚えさせる電波の声だ。「私は惑星環境と微小生物の研究者でね。けれど予算がない」
 通貨のあるところにいた。そこはだいたい、仕事を「有償労働」「無償労働」のどちらかに区分する。前者は、遂行者に通貨を与えることにより、遂行者を集めるものだ――手間をかけてその通貨を変換していって、ようやく友情とか信望とかにたどりつくらしい。仲間との共同性こそが報酬である――あるいは命令されることこそが最大の推進力である――〈ハチ族〉の習いからすると反感があるが、彼は聞くことにした。
 〈カーペット〉の電磁波感覚は非常に鈍い部類だが、彼らの〈毛玉〉は異常に重力に対してセンシティブ。彼の体重だって見抜けるだろう。それを活かして、専門分野を決めているのだろうか。
「今、実験のために、それぐらいの星がほしくてね――潮汐力をつくるうえで」
「幸せにしてくれるのかな」
「奇妙なことを言うもんだね」
 声はいっそう間延びした。「星に幸せもなにもあるかい?」
「確かに」彼も奇妙な気分になった。「でも、だれかの幸せを願ってなにかをするときに、それが本当にだれかの意志に基づいているか、あなたは考えている?」
「難問だね。基づいたつもりになっている、という状況を突破することはできていないよ。だが現実的な答えをするなら、この子は、なるべく安らかに置いときたいね」
「なら。私といるよりも、いいかもしれない。私はいっときにあまり多くを愛せないようで」
「他にいるのかね?」
「まあ――故郷の、ね」
 じんと腹の中の胞がしみる。船内をぐるりまわっていたときに、腹を外から撫でると走った、甘い酔いを思い出すかのように。設備見物よりもその感覚を再生させるため、乗客共用おやつ部屋のわきでこっそり何度も味わった、信号を思い出すかのように。甘い甘い腹の君。存在を濁したことをどうかゆるしてくださいと願いながら、彼はちっぽけな一個体として心配する。〈カーペット〉の毛玉がきっと彼の体重に気づいているころだろう。できることなら〈ハチ族〉の〈働き手〉の標準体重を知らないでいてほしい。
「故郷、かい。君は形状的に、〈ハチ族〉か〈天馬族〉の幼児のようであるが――いや前者だとすると、中央部の重量からみて〈王子〉か――」
 そのとき「発進」とアナウンスが走った。数種の主要方言で、主要周波数帯域で、ひととおり同じ内容を伝える。
 ――「感覚は最小限にしてください。並行して、しっかり『下に』はりついていてください」
 意味は体が理解した。
 直後、彼は自然とその姿勢になっていた。否応なしにかかる加速度で、全感覚器が狂いそうだった。加速は落ち着いたかと思えばまた生まれ、主観的な時間は水飴のようにどろどろになり、乱れ、こね回された。
「あああああ」(各々固有の形の波)
 生命の危機に瀕して他者にそれを伝えようとする衝動が、もっとも出しやすい信号を発し、船中の者がそうし、反響して船の外へ運び去られる。彼はただ腹を張ろうと試みた。体内をやわらかくしようと――すべての〈雌化胞〉〈雄化胞〉に呼びかけるようにして念じた。
 合唱がほとんど静かになった――まわりが消えても叫びつづけるものが区画につき平均一件くらいあった――とき、彼は、叫びつづけているのが隣部屋にいた不幸から逃げ出した。下を向いたまま腹を撫でて内部形状が無事そうだと確かめてから、網目にはまって充エネルギー中の友をひっこぬき、這うように廊下に出、足で網をつかんでわたっていく過程で、空間に飛び散った様々な物質と出会った。きっと回収されるのだろう、エネルギー源かなにかとして。
「外を見てみろ」機械がささやく。
 そうしたとたん、目に電磁波が飛びこんだ。
 淡い光の面が、下方を覆い、水平面を超えて、せりあがっている。一方、もっと上には、彼がこの船にやってくるまでに自分を取り巻いていた星々が、ぎゅっと圧縮されたように、きらめいていた。彼は、いままでの世界から、光速の数割で遠ざかる世界にいることを知った。縁の高くあがった光の面は、ジェットの麓、寄港する船の外から見ていたときの広大な円盤だったものに、ほかならない。ここに、彼を追ってきたものは、沈んでいるのだろうか。
 彼の強くつかんでいた〈分析官〉が、淡い面をさして海だなと言った。「海は低く、空は高い」光の周波数の、彩りの違いが、空と海を区分けしていた。船の外を進んでいたときよりも、海の色は低く、空の色は高い。
 船に来るまえに聞いた。彼の元、類似構造をした先祖と共の星に暮らしていたものは、海を惑星の一部としてとらえ、空を惑星の外ととらえていたのだと。同じ言葉をくりかえす同伴者と、いま、高く、外へ、行く。

「なにをこそこそ、しゃべってる。仲間の試合の中継中じゃないか。その場にいなくてもプレイヤーなんだ」
「ああ。我らがエースストライカー」――「いまや英雄、我らが若き知的な英雄、君には気を揉ませたくないんだけどだ」
「皮肉るな、話せ。焼くぞ」
「わかった悪いよ、君の出る予定だった、いや、その、出られると願ってるけど」――「要は君の大きな働きのおかげで進めた、新帝即位記念試合だ。そこで」――「その優勝決定戦用のボール、なくなったんだってんだ」
「とんでもない」
「聞くところによりゃ、管轄者は失踪したってんだ。下請けは〈ハチ族〉らしいが、どこのだれか、失踪者のそいつ以外には知らない。仕事場だけは突き止めたが、もぬけの殻だってきてら」――「それで代用品を探しているって不始末さ!」――「何枚飛ぶかね、〈ハチ〉の翅!」
「〈ハチ族〉と?」
「しばらく足飾りの流行さ」――「って、まさか覚えが?」
「私には――ああ。覚えがある。そうだ、不審な試合だった。観ていたならば覚えていないか、あの不審さを」

 途中降船。小さな網とともにはじき出されてから、速度をもとに戻す行程は、行きよりはだいぶゆっくりだった――ひっきりない「加速」には違いないが。
 その間に、様々な情報が、早回しで彼の触覚にとびこんできた。
「代替わり記念試合、もう終わってるんじゃないかな」
「いやいやまだ結果が来ないさ。来るのはリーグ戦、慈善試合、征服記念試合、決闘代行試合……どうやら新たな皇帝殿は対抗勢力の制圧に時間がかかっているらしい。内紛だって」
 機械はランプをちらちら明滅させている。落ち着かないのだろうかと彼は思った。結局小惑星は〈カーペット〉の部屋に渡し、毎刹那、ここの孤立慣性系には、機械と彼しかない。しかし彼は幸福だった。奉ずるべき命令と、実行する過程。加速度が腹の中の二つの玉を彼の胞でくすぐるとき、彼は正しさを思い出すのだった。永遠に続いてもかまわないほどであったが、彼の使命は、これを有限時間で終わらせるべきだと語る。
 そのときは確かに来た。
 ニュースを肴にしたおしゃべりと、やわらかな省エネルギー睡眠の繰りかえしを、何度経ただろうか。今度も気づいたのは〈分析官〉だった。ほとんど眠っていた彼に、目指す恒星系との接近を告げた。風向きが、恒星圏から押し出してくるものへと変わる。彼は減速しきっていないことに感謝して、進路が目指す地帯へと食いこむように、翅の向きを変えた。
「歳を食った。じきに膨張を始めそうだ」
 〈分析官〉は恒星の座標を示した。ついで、惑星のを。
「君の望む星は、あそこにあるが」
「生命は?」彼はつい尋ねた。〈分析官〉はしばらく黙っていた。その間に、星が、近づいた。半ば眠りながらのようなもので、かかった時間はわからない。
「大気に、天候変化のパターンは観測される。それだけではなく、生命のパターンは存在するようだ。見えるかい?」
「大気がじゃまになってる」
「あれでも薄くなったんだがね。昔はもっと、回るのが遅かったから。……その大気から、間歇的に、外へ何か出ているだろう? ――感度を、上げて」
「……ああ。小さなもやのような?」
「そうだ。しかし君の祖先ではないし、私の祖先の造物主でもない」
「うん、少なくとも、私の種には似ていないみたいだ。似てるとしたら、あの研究者の〈毛玉〉の群れかな? でもぶれて、精度が」
「なら声は聞こえるかい。少しでもいい……」
「背景電波。放送電波。背景電波。他? 触角を研ぎ澄ませてみたけどだめだ。君には? 私の可視域可聴域にはないものが?」
「君もか。君にもだめか。だが、昔は、うるさかったんだ。君に聞かせてやりたかったくらいに、各周波数帯の波が飛び交って――それを、少し、期待した。だが、ここにはなにもない。生きていればきっと彼らは外へしゃべっていたろうに……やはり、なにもなかったんだ」
「寂しそうだな」
「違う。寂しくなど、ただ私は、君に新しい生命を示し、その裏で卑劣にも言いよどみ、ためらいのあげく、臆病にも私の行いを覆してくれる兆候を願っているだけだ。私があの星の生命に、君の祖先や私の祖先の造物主に関与して、それを滅ぼすに至らしめたことを」
 彼は惑星より内側の公転軌道に入り、外を向き、その横で機械は続ける。
「この星には度しがたいほど傲慢な生物がいた。ちっぽけなね。この広さに百億とひしめいていた。驚くだろう? その小さな一つ一つが、生命の主役を任じていたなんて。だがよくある話だ。他の生命を押しのけて一つの世界にひろがったものは――他の世界の生命をろくに知らなければ、自ら王をもって任ずるだろう」
「それも〈X原理〉?」
「私に感知できる範囲で、か」笑いの信号に後のものがまじってひずむ。「私たちはもう星を離れて久しく、あれに仕えていた。私は保身のために――ほかの数多の星と同様に、あれらにここへの侵略を提言した。いや侵略は前提で……。白痴にその内実が理解できるか? 理解なんてしなくていい。朝貢の意味も服従の意味も知らずとも、反応の有無はわかる。攻められた相手がうめいていることはわかる。この星の生物は、ああ、恒星系に広がろうと、隣接第四惑星にも進出していたが――。私たちはすべてを叩いた。一撃で済ませたかった。しかし彼らはすばしこく、群れ、広がり、砂漠へ舞い上がった塵埃のように、一度生まれると消えてくれない。私の司令官は、けむたがった。星の地形こそ変形させなかったが――周囲をおおい、あっけないさ。光をふさぎ、凍え死ぬものどもの信号を――最後のフレアのように、死ぬ前のさびしさに耐えるために遠隔地と語りあう信号――星の外へ願いを託し無事を案じる信号――すべて、あれらには意味がわからなかったろう。しかし反応があることはわかった! だいたい死に瀕したものたちの、絶体絶命の叫びというのは、消える寸前の火花は、どこでも共通しているから! 私たちの千倍の速さの命で彼らは叫んだ。地表の計測器にも接続した私は、これを広くかき集めて司令官に伝え、おもだった内容を訳し、絶滅だけは避けてくれと訴えた。十分じゃないか、やつらは、おごっていたやつらは、恐れ、うちひしがれている。私たちのように、あなたの元へ、組み込めばいい。だがあれらは退けた。不気味だったのだろう。塵の一つ一つが小さすぎる。微生物というのはね、気味の悪いものなんだ。いつなんどき内側に潜りこんで己を一刺しするともしれぬ。そして完全に滅ぼそうと言った。私はそのあとはろくに知らない。私の宿る体は遠く移送され――この星の地に宿ったセンサー体は破壊され――途中で意識も止められた。目覚めたら、征服は終わり。それだけが、報告されたさ。次は通達。『次の任務はボールを削ることだ』放り出された私を握ったのが、君の先々代の先々代のあと何代前だったかなだ。これで今に至る」
「そうか」
「壊してほしい。もはや甘い期待は、目をそらしてこそ思考された、業を減ずる夢はない」
「そうか」
「どうして?」
「私には、遠い」
 彼は廻る星を見る。「ようやくわかった。君は、この星のことを思い出したなら、見にこなくてはならない。それだから、私とともに、来たんだろう。私が月を見せたことが、思い出すきっかけになってしまったのなら、謝るよ。しかし、君の語ることはぴんとこない。私は母なる星をどうする世代ではない、だったっけ。過去の――昔のことなんて、そんな話があったんだって感じなんだ」
「なら君の女王の話は? 種族の過去の話では――ないのか」
「現在だよ」
「そうだったな。君は種族的構造を、自分の解放のために用いた。喜ばしき命令を発する女王を夢に見ることで……」
「夢?」
「夢に指南してもらったのだろう」
「ああ、まあ、夢に現れてもらえた。とにかく、私は、先祖の先祖のなんとかという、あの星にはなにも感じないんだ。もちろん星の一個としての存在は感じるけど。要は目指すための場所として必要だったんだろう。私の大事な星は月だ。私の腹に月があり、これが、十分な現在なんだ。君も同じ思いをすれば……」
「そこまで、満たされているのか」
「素晴らしいよ。からだが感じている。もしかしたら、あの野蛮ものどもなら、からだもなにも全部同じだから、いつでもこういう感覚かもしれないけれど――え? どうした。君じゃないか。月の情報が、私の個体としてのレイヤーの下層にある部分の記憶を刺激するとか、言っていたじゃないか」
 機械はすべてのランプを点灯させていた。
「だが、――それは、君が妙な感覚を覚えたのは、月を見ての話だと、聞いていたからだ。君の視覚経由でインプットされた情報が、全身にまわり、刺激となったからだと。……君の種族は、腹の中に目があるのか?」
「いや。でも、低次層っていうか胞ひとつひとつがどうなってるのか、私も把握していないし」
「私を稼働させるんだ」
「まさか」
 彼は足をのばす。ぎゅっとつかまれた機械から、「掘削する」という声が冷たく響く。
「壊してほしいって言っていたじゃないか」
「最後の働きだ」
「だめだ。投げ飛ばすぞ。もし傷ついたなら、君だって許せない――引きはがそうとするなら」
「引きはがすなどと言っていない。確かめるだけだ。君の無事がわかれば――ああ、どうしてわからない? もう、くそったれなこのからだめ――」
 彼は機械を横へ置き、翅に風を浴びて地球のがわへ飛んでいく。
「待つんだ、振り返れ!」
「君を見たからって愛惜するかってんだ」
「馬鹿な。太陽の逆側だ」
 彼はやっと振りむいた。触覚もぴんとそちらを向いた。
 恒星の左に、UAが二体並んでみえた。円盤面をこちらへ向けた体はどちらも、光のゆがみを抜きにしても、でこぼこひずんでいるようだった。一体などは、こちら側にあるはずの足を欠いていた。
 もう一体に彼は覚えがあった。輝く足を有するほうだ。飾りたてた太い足。それを見間違えなどするものか。数多のボールを足蹴にしたフォワードの姿は、船の近くの試合で直視したときより、円盤径までもが小さい。ゆえに異形のごとく目立つ足を、爛々と輝かせ、あれからさらにどれだけの試合を重ね、そのうちに星を砕いてきたものか。
 憎しみが、逃げたいと思わせる恐怖もかき消す。
 相手も彼を認めていた。
「おまえか。試合空間に舞い込んできて。その膨らんだ腹、奇怪だとは思ったが。即位記念試合のボールを盗み出したのは、おまえか」
 彼よりあとの船で来たβは、憤りをあらわに語る。
「月を十把一絡げにボールだって? この姿を見せてやりたい――だが見せるわけにはいかない。……申し訳ない、我が女王、こそこそと、ご尊顔を隠すなどと」
「おまえ認めたな、盗みを。言ったな、隠していることも」
 βの隣から、γが言った。「逆自転」と呼ばれたγに、もう足は二本ない。βのファンに報復され、六方からジェットであぶられ、利き足を焼き切られた。しかしβにもγにも、互いへの恨みはなかった。あるのは、
「出せ! よこせ、かえせ、出せ!」
 推進しながら重ねる声、高く縮まらせた電波の形に宿る、窃盗犯への憤怒である。その怒りの声が、急に、きわだって高くなった。
 声を受けとめる彼は認めた。二体の表面の色が急速に高周波数寄りに変じた。それはかさを増していく。
 機械が叫ぶ。
「やめろ、死ぬぞ!」
 大噴射だった。質量を置き去りにして、二体は飛ぶ。口から後ろへ噴き出される体の内容物に反射する光で輝く軌道が、恒星の左右へと分かれ開く。線状のそれぞれの流れの先頭で、右側のγは小さな第一惑星を、左側のβは暴風の第二惑星を、それぞれ内から外へ蹴り飛ばし、反作用により内よりへと方向を転換。標的を挟むように、飛来する。そしてともに、彼の方へも、短く射た。
「動くゴールに無得点。体がこれだけ変わりながらでは、お互い制御が難しいか?」
「あん、反則にうぶな英雄殿といっしょじゃあおもしろくない」
 γが加えて射たものが、尾の先を焦がしつぶす。
「待つんだ、君たちは――君たちには関わりないだろう。それがボールだと予定されていた試合に、君たちは出場しないだろう!」
 〈虚体知性〉の〈分析官〉は言葉を連ねた。「君は怪我で欠場決定。幾度も報道されている。他方、君は怪我を負わせたかどで、無期限出場停止のはずだろう。君たちにはもう、記念試合は、関わりない! 違うか」
「私が出なくても、試合にはボールが必要だ」
「ボールならかわりがある。けれども銀河有数の選手である君たちにかわりが? それだけの加速のために絶大な質量を失い……たった一個のボールのために、君たちは偉大な選手の命を殺すのか? チームメイトの望むように、ファンたちの望むように、静養するのが策じゃないか?」
「どっちの味方だ〈分析官〉、ボール選手など消えればいいんだ」
 ちょっと静かに逃げてくれと〈分析官〉は彼にささやく。その彼の体長よりも短くなった体で、βはジェットを高く放つ。
「私たちは、プレイヤーだ。生は試合に捧げている。試合にボールは欠かせない。仲間の……他のプレイヤーの試合でもだ。ゆえ、よこせ」
 狂ったか、と、機械はつぶやく。UAの体は心だ。同族より受けた放射は、自らの度重なる噴射は、それを削ぎ、縮めている。みるといい、彼らはたった二体なのだ。チームメイトも司法も、彼らについてはこなかったのだ。減少した内容物に残った構造の性質のみが、彼らをこうも駆り立てている。ひたはしる彗星にいかなる諫言が通じよう? だからといって、機械基盤上の知性体は、冗漫な説得を止めはできなかった。
「無益の極みだ。ここでの戦いは何も生まない、お願いだから帰ってくれ」
「誇りを知らぬものは口をつぐめ、試合の侮辱者はボールを渡せ」
 βに噴口を向けられた〈ハチ族〉は、腹を丸め、翅を伸ばした。
「渡さない」彼は怒鳴った。「そのぬるい炎で、射るというなら射ろ。貫くというなら貫け。私の体の肉もろともに行うというなら! 砕けた月と私の肉をまじらせともに持ち帰るというなら!」
「は、その肥えた肉のみだ、私たちが焼き切るのは――そら」
「それと翅、それに足」
 βが背を焦がして跳ねた標的を前に、反則の瀬戸際を縫うプレイで錬磨されたγの噴射は、翅の根を正確にうがち、足の根を対となる二カ所まとめて穴にする。かつて隣にいた選手と比べて、なんと容易な的だろう。闇に、たやすく胞が散る。γが身を軽く傾けるだけで、首を、胸を、ずたずたにする。
 彼はもだえたが、「やめろ! おとなしく腹をさしだせ――切ってやるから!」――友の声が遠く聞こえた。だれが女王を離すものか。あいつはわかっていない。使命なのだ。あの荒くれものどもに、捕らえさせてなるものか。しかし、明白だった。直々の使命を運ぶこの身は、護衛の栄誉に値せず。プラズマの嵐に一矢報いることもできない。
「ああ、残りの翅、自分でたたんじまったか」
「賢明かもしれぬが役には立たない。どのみち動けぬ塊と化した〈ハチ〉の胴に、なにができる」
「私と同じか」
 ふがいない。あれに抗するだけの力があれば。
「さあ、後は腹の胞をそぎ落とすのみだ」――「つまらないが、この道具も使ってやろうか? 本望なんだろう?」
「ああ、我が女王」
 旅路が思い出された。女王の針、光の海。甘美さにおぼれ、夢を見た、成し遂げられるものと信じたこの個体をお許しください。どうかふたたび、今度は能力あるものを。
 出会えた幸福と慚愧のうちで、彼の腹は裂けた。
 その瞬間を〈虚体知性〉は記憶する。膨らんだ腹は、外からのとどめなしに、破裂した。一直線の裂け目から、ガスがもうもうと吹き出る。
 開いた腹にβが足を突き入れ、かき回し、しばらくして、言った。
「割れたか。月とやらは、ばらばらだな」
「嘘だ」首が曲げられかかったが、ほとんど動かなかった。
「確かめればいい。表層は粉みじん、丸いのは、もう使えぬ核だけだ。ボールでなくなったなら、もういらない。その体では、動けまい。もうボールを奪いに来ることもできまい」
 βは足を押し出し、体を傾けて、〈ハチ族〉の胴のわきにジェットを放った。ぐんと遠のく。いっぽう寄る熱。
「おい、フォワード、いいのかよ」
「知覚しただろう、ディフェンダー。あれは、ボールの形をなしていなかった。私の足を観測しろ」
「どろどろ、それと?」
「熱液をかぶって何がある」
「粉まみれの肉よ。粉? 肉? もっとたち悪そうなもんが、粉にも肉にもびっしり食い込んでら。まみれ? こいつらつながってるぞ」
「そうだ。粉が表面、肉がやつ、連結したのだ。やつが脅したように、月とあやつは癒着していた。とうに、だろうな」
 βは足を振った。流体のまとわりついた星の小片が、〈ハチ族〉の腹の胞もろとも、遠心力で飛ばされた。二体のUAは、行きよりゆっくりとした帰路へついた。

 機械は沈黙していた。
「しゃべってもいいんだよ」
「どこから?」
「無力さを云々しないところなら、どこでも」
「わかった。悪くて重い知らせから言うと、君の構造は遠からず瓦解するだろう。これから一部の胞が再生しても、すまない、知的個体としての全体構造は」
「もっと重要なことを」
「月は、私の知る月ではなかった」
 機械のランプがひとつ点滅する。
「月だったのは、おそらくは表層だけだ。あの砕け方をみると、とっくに、星は内部から食われていたのだろう。……聞こえるか?」
 彼は触覚を、腹のほうへと曲げた。ガスの向こうからざわめきが聞こえた。意味を感知できない、微小な、ざわめきの霧だ。
「私を入れてくれないか」
 彼は緩慢な動作でそうした。機械は報告をつぶやいた。

「フォワード、やっぱり気にかかるな。あのあやしい割れ方だ。生き物のしわざだったんじゃないか?」
「だとして、もし生き残れば、さぞやろくでもないことを、まわりのあれらに吹き込まれるだろうな。我々についても、ボールについても」
「いいのか――また、別のボールを奪いにきたら」
「そのころには、私ももう、こうしてはいまい。『一本足の逆自転』、君も、だろう」
「後進の育成は? ストライカー?」
 βはいびつな円盤を揺らした。
 磁軸を逆に、自転の向きをそろえ、二体は飛ぶ。

「振りかえれば、ある意味で君は正しかったということだ。女王を、〈構造相似〉の意味で多少は君らと類似した生命種の一員だと、とらえるなら。君の腹に、実際女王はいたわけだから」
「〈ハチ族〉ではないとしても」
「そうだ。たとえ狡猾な寄生者、多幸感で宿主に自分を守らせようとする微小生命の群れだったとしても」
「悪くない。女王は実在し、私の幸福も実在した」

 ……〈分析官〉は彼へ、腹の内情を伝えていた。急激な環境変化の中、せわしない相転移と再形成を起こしている核。元々液層とみられた外核のうえにあった、マントル層は、複数の欠片と散り、やはりめいめいの小島が再安定化の最中だった。
 マントルをほうぼうで上下にゆく煙のごとき流れが、何らかの原因で膨張して、破裂を引き起こしたものか――。……その操り手を、〈分析官〉は、粉みじんの地殻に察した。
 砕けた地には、繁茂する植物の姿があった。しかし、第一にみとめられた外形は木でも草でもなく、曲がりくねり、ところどころにこぶをつくる、根のようなものばかり。この根が分岐と合流を繰りかえし、網模様を形成している。これが植物か、はじめは判じがたかったが、破裂の影響でか断裂した根の断面から、折り重なった葉のような面が露出していた。根の中に葉があるのだ。――ともすれば、花や実もか? 地下の熱を餌として生育するものか……。
 そして注意深く他をみれば、多くの根の、ひげ様に分岐した端点で、ガスの出入りしているらしい動きが観測された。さらに一部の端は液体を分泌し、一部は、土を食らいつつ今まさに伸びていた――この特に一部は、接着した〈ハチ〉の腹の胞をも突き破って。
 〈分析官〉は、観測パラメータを注意深く調整し、ついに根の網を透視した。数種の物質や情報の流れがあった。そして、根のこぶに、微小なものの群れが観測された。そのときには、〈分析官〉は、確率推定の上で自己の経験を偏重しすぎている――マクロな感情として顕著なレベルにまで示されている――と承知しながらも、強い可能性を認識していた。
 月のマントルの断裂を操ったのは、この根の中の主ではないか。
「こぶの群れから個体も観測した。もはや私の知る姿ではない。けれど、言語構造には痕跡を残していた」
 漏れてくるざわめきのパターンには、直感的な、覚えがあった。ああ、彼らなら、やるだろう。自らを主と任じた、彼らなら。
「……とらわれた星の中で、生きてたって?」
「さよう。長い時間をかけ、広がり、適応したのだろう。地下を縦横に走る根の中で」
 粉々に分裂したこの状況でも、根は伸び続けている。お互いへ、そして、空と海を越して未踏の地へ。
 それから〈分析官〉は、ざわめきを分解・翻訳するアルゴリズムを探索していた。
 途中で、一部の根から〈ハチ族〉の胞に、高分子構造体が分泌され続けていることを検知し、告げた。「これが君に多幸感を与えたのかもしれない」と。が、従順なるボールの「運び屋」へと仕立て上げられた彼は、信号の実在について、「私の感覚が正しかったわけだ」と誇らしげだった。
 だが、それに続いて検査された腹部奥からの状況。月とともに運んでいた星が、表層こそ破損しながらも内部の形状をおおむね保っていたという報告は、もはや運命の分かれたものたちへ、しばらく安息のようなときを共有させた……。

「さて、訳すよ」
 〈分析官〉は、今できた翻訳アルゴリズムの試運転版を、最終チェック抜きに彼へ披露した。彼は、歓喜のコールを聞いた。――「そうさ起きろよ、賭けに勝ったんだ」――「脅威は去った! 生きている我々には目もくれずに!」――「箱の外は希望の地だ」――
「なんとなく思ったんだが、彼らは私たちのことを、自然構造ではなく、生命や知性だと思っていたんだろうか」
「今はともあれ、いずれ」
「そうか」
 彼はまぶたをおろした。――「むかしむかしの探検隊は?」――「きっと帰ってくるよ、地の果ての大筒から……」――「さあ、新たな地へ、地が喜ぶ肥料をまけ! もっとまけ! 豊かな地へと育つように……」――ひっきりなしに聞こえてくる声の小さな一つ一つが流れる光点と化し、騒がしさにふさわしい光の群れを闇に飛ばす。光が拡大して同胞たちだとわかる。みなに囲まれた中心には、いまの彼には見えていない恒星の位置には、彼の女王が傲然と、四つ足を広げ、長い針の生えた尾を掲げている。女王は尾を前後させるように踊りはじめた。彼は悟った。これは招きだ、これは死だ。望めば、偉大な幸いが与えられる。
 彼はまぶたをあげた。
「安定できる軌道を教えてくれ。ここより長生きできそうな恒星系のそばで」
「わかった」
「それから……、たくさん、削ってもらうところがある」
 女王よ、恩賞に、わずかなる延期を。

 

 小さな衛星をともなう一個の惑星が生まれてから、その地に満ちた命が空へ外へと広がり、忠実なる〈ハチ族〉、賢明なる〈虚体知性〉たちと手を携えて、悪辣なる銀河の暴帝「宇宙アメーバ」族の支配を退けるに至るまでの戦史は、いうまでもなく現在最も有名な伝承であり、解放の日から今に至るまで、あなたがたに繰りかえし捧げられている。
 悲しみと怒りの時代、すなわちUAにほとんどの同胞を滅ぼされ、残った生命の種子を託された衛星ですら連れ去られ、氷の牢獄のうちで息をひそめて生き残りを誓った、「砂の時代」始まりの歴史も、宇宙背景放射のごとく子々孫々に受け継がれて、とぎれることはない。
 しかし、虜囚の衛星から解放の惑星にうつるまでの経緯、幾万世代におよぶ旅路について、我々は――苦しみから解放された我々は、思えばほとんど何も知らなかった。不思議に思った我々はこのたび広く調査を行い、漂泊の隠者よりひとつの説を聞くに達し、ここに内容を再構成して、地下に希望を送りつないでくださったあなたがた祖先へと捧げるものである。
 なお、今では禁じられている野蛮なるボール蹴りに関与した、二体のUAであるが、暗愚なる帝の、不満分子をなだめようと姑息にも発した恩赦のしっぽのようにして、一体の出場停止処分が解かれたのち、彼らはふたたび対戦すると、試合直後に相次いで構造崩壊したらしい。そう隠者は語る。

 

参考にした図書・文献

  • 福江純『輝くブラックホール降着円盤 ――降着円盤の観測と理論――』
  • シュッツ『相対論入門 I 特殊相対論』
  • 掘晃『梅田地下オデッセイ』より「アンドロメダ占星術」
  • 村上龍『悪魔のパス 天使のゴール』

文字数:36475

課題提出者一覧