梗 概
リンガ・フランカ
アルレッキーノは、月面祝祭都市≪ルーナ≫で活動する演劇集団≪コメディア・デッラルテ≫の看板俳優だ。といっても集団は小さく、座長のパンタローネを除く団員たちは素人に毛が生えたようなものだった。
ある日、パンタローネが一体のヒューマノイドを連れてくる。ヒューマノイドの名前はインナモラートといった。新しい団員だという。インナモラートは、ある一定の感情下の人間の素振りや声色を完全に再現でき、たちまち人気者となる。逆にアルレッキーノや他の人間の団員たちの演技は不自然で、インナモラートと比べるとロボットのようだと評される。アルレッキーノの舎弟のカピターノや、女優のコロンビーナは、インナモラートのことをよく思わない。しかし、アルレッキーノは完璧に感情を表現する演技に強く惹かれ、自分のものにしたいと思う。
アルレッキーノは、インナモラートと共同生活を始める。インナモラートも、人間の感情を理解したいと受け入れる。日常では機械としての不自然さを感じたが、それは日々の生活と稽古の中で解消され、アルレッキーノはインナモラートには本当の感情があるのではないかと思い始める。パンタローネは否定し、あまり深入りし過ぎないよう忠告する。
≪ルーナ≫ではヒューマノイドによる演劇がブームとなり、インナモラートのような存在は特別ではなくなる。しかし、当初はその完璧な演技から人気を博していたヒューマノイド演劇だったが、人々はなぜか物足りなさを感じ始め、ついに不完全な人間の俳優へと人気が戻る。
アルレッキーノたちの集団でも事情は同じだった。インナモラートはやさぐれる。その結果、以前のような完璧な演技をしなくなるが、人間のような不完全な演技ができるヒューマノイドとして話題を呼ぶ。完璧な演技に憧れるアルレッキーノは不満だったが、インナモラートが人間に近づいているという確信を強める。
アルレッキーノは、メンテナンス中のインナモラートのログに不正にアクセスする。そこにはインナモラートが女優のコロンビーナと逢瀬を重ねている記録があった。集団内恋愛はパンタローネにより固く禁じられている。ヒューマノイドと人間がそういった関係になることも信じられなかった。何よりインナモラートが人間のようになっていく原因が、自分との生活ではないところにあったことに失望する。
アルレッキーノは、舎弟のカピターノや他の団員たちを焚きつけ、インナモラートを集団から排除しようとする。公演に差し障りがないよう座長のパンタローネには知らせずに、様々な嫌がらせをし、矛先をコロンビーナへも向ける。
アルレッキーノは、インナモラートに呼び出される。そこでインナモラートは、アルレッキーノが自分に対して「特別な感情」を抱いていたことに、ずっと前から気づいていたが、自分にはどうしたらいいかわからなかったと告げる。アルレッキーノはインナモラートが人間の感情を理解していることを確信し、自分のインナモラートへの仕打ちを後悔する。全てを打ち明け、二人は和解する。
インナモラートと心が通じあったことに浮かれているアルレッキーノの元へ、座長のパンタローネから連絡が入る。パンタローネは、カピターノから事情を聞いたことと、インナモラートを追放することを告げる。
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内容に関するアピール
初回の梗概にシェイクスピアを(一応)出したので、最終回は演劇で締めようと思いました。
人間と人間ではない存在が同じ舞台の上にいて同じ台詞を言ったときに、人間ではない存在の方が人間に見えたり、感情が全くないのに感情があるように見えたりしたら面白いな、というか実際にそういうことってありそうだ、と思い考えた内容です。
冷静に考えるとあまり目新しいアイデアではないような気がしますが、「演技する行為」に軸足を置いて、そこから人間ではない存在は感情を持てるのか、感情はどのタイミングで生まれるのか、感情って何、など、オーソドックスなテーマを見ていければなと思います。
人間ではない存在と人間のどちらが人間の真似が上手いか競わせようと思います。
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