異教徒の娘とその似姿に恋をした少年スレイマーンの話

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梗 概

異教徒の娘とその似姿に恋をした少年スレイマーンの話

 青年が、片想いの相手を空想しながら、次のような物語を綴る……。

 ムスリムの少年スレイマーンは、巡礼に向かう少女エヴァに出会う。スレイマーンの父ハールーンは疲れ切った彼女の一行を何日も屋敷に泊めてやり、物語を聞かせ(註:ここでもう一段階劇中劇が入る)、食料まで持たせる。兄、ダーウードはそれが面白くない。なぜならば、キリスト教徒が聖地を巡礼できる現状を誤りだと考えているからだ。エヴァは別れ際に、お礼として聖母をかたどった人形を渡す。スレイマーンはそれが何だかわからない。人形遊びに使うものだと思うばかりであった。

  青年はアラブ世界で人形遊びが可能なのかを疑いつつ続ける。

 それが宗教的なものであると教えてくれたのが母マルヤムだった。彼女は改宗してムスリムとなったため、キリスト教徒の風習についても理解があった。それでは、これはイスラームで禁じられている、神を具体的な形として表現する偶像崇拝ではないか、とスレイマーンは困惑する。しかし、それを捨ててしまうことができない。なぜなら、いつの間にかスレイマーンにとって、その像が彼女との大切な思い出の品になっていたからだ。よくみればエヴァにも似ていて、彼女よりもいとおしく思えてくる。

 兄はそれを意地悪くも見つけ、取り上げようとする。もみ合っているうちに母が割り込んでくる。それでも喧嘩をやめないので父が威厳ある態度で出てくる。父親はダーウードが暴力をふるったことは叱責したが、スレイマーンには人形は焼き捨てなければならないと諭す。

 たまらずに家を飛び出すスレイマーン。するとそこには巡礼から帰る途中のエヴァたちがいた。丁重にお礼を言う巡礼の人々たち。もし、エヴァがムスリムになってくれれば正式に結婚できる、と思うが兄に憫笑される。そして、結婚がかなわないのなら、そして大切な品を焼いてしまうくらいなら聖母像はいらない、とエヴァに返そうとするが、言葉が通じないせいか受け取ってもらえない。

 スレイマーンは泣きながら火の中に聖母像を投げ込んでしまう。何が起きたか他のキリスト教徒たちにはわからなかったし、エヴァは黙ったままだった。そして、所詮異教徒とは分かり合うことなどできない、と兄は笑うのだった。

 物語の書き手は、途中で時代背景を調べる苦労や、身の回りの出来事の愚痴を挟んできたが、ここでこんなラストは承服しがたいと考え、書き換える。

 だが、翌日になると火に投じられていたのはただの木切れだったことがわかる。母が気を効かせて、こっそりそれらしいものを渡していただけだった。聖母マリアは無事、エヴァのもとに返された。父親が巡礼者を再び歓待したのち(ここでも劇中劇が入る)、二人は別れる。その数年後、聖地は再び戦場となる危機が訪れるが、成人したスレイマーンによって防がれる。

 ご都合主義だ、と青年は自嘲するけれども、自分もまた慰められたように感じる。

文字数:1198

内容に関するアピール

 この講座を受けて知ったのは、自分の場合、論理的で硬い文章ではなく、語りかけるようでやわらかい文章のほうがウケる、ということでした。そのため、作中作の文体はですます調、枠物語はエッセイや日記に使うような調子で書きます。

 作中作はアラビアンナイト風の雰囲気にしますが、実際の年代や舞台は曖昧にするつもりです。宗教についても、ムハンマドやイエスといった名前には直接言及せず、「預言者様」「救世主様」とぼかします。

 実作全体を通して、虚構の過去を舞台にするとはどういうことか、幻想文学における歴史的な正確性とは、外国文化に対する誤解とは、についても触れます。そもそもアラビアンナイトを語っているシェヘラザードはアラブ人ではなくペルシア人ですし、アラジンの話だって舞台はアラブから見た中国です。

 さらに、物語の中の物語が現実に与える影響も描きます。現実が虚構を模倣する(侵食する?)瞬間です。

文字数:392

課題提出者一覧