梗 概
皿の外
人食いが管理している未来都市と、人間が住んでいる旧文明の村がある世界。
人の村で暮らしていた少女フーコは、親友であるエリウを追いかけ村を飛び出した。人食いの都市に連れて行かれたというエリウを取り戻すために、田園地帯を抜け、国境へとたどり着く。カバンの中に拳銃を忍ばせ、死を覚悟して向かった先はあまりにも平和で清潔な都市だった。
何の障壁もなくエリウと出会うことができたフーコ。フーコは都市からの脱出をエリウに提案するも拒否される。エリウは自分の意思でこの都市に来たと言う。
フーコはその意味が理解できず、無理矢理エリウを連れて帰ろうとするが、エリウの体はまるで幽霊のようにすり抜けてしまい触れることができない(仮想人格とホログラム)。エリウの口から「既にエリウは人食いに食べられてしまっている」と伝えられフーコは気絶する。
ベッドで目覚めたフーコは人食いだというネヴァンからこの都市のことを聞く。人食いによる恐怖の都市を想像していたフーコは、それがすべて偏見だったと知る。
そこで暮らす人々は人食いに強制的に食べられたりするわけでも、人食いによって都市に閉じ込められているわけでもなかった。
人間として幸せに生きるためのサービスと引き換えに、人食いに食べられるか否かを選ぶことができる。それがこの都市のあり方。食われた人間は天国に行くことができる。それは比喩や妄想ではなく、肉体を差し出す代わりに、演算器でシミュレートされた天国へといけるのである。天国へは肉体がある状態でも入居確認することができる。
また人食いのユートピアで受けられる一番の恩恵は調停装置による干渉拒否である。親や親族、他者から(人食いも含む)の過剰な干渉を拒否すること、自分を縛る様々なものから解き放たれ、自分のいきたいように生きることができる。
退廃した人々の村で生活するよりも、あまりにもメリットが大きい生活を目の当たりにし、フーコはエリウを食べた人食いネヴァンと共に、自分の人生と幸福について考え始める。
最終的にフーコは人食いに頼み自分のクローンを生成し、人々の村にいる自分の親元に送りつける。本体の方は人食いに食べられ、エリウと共に天国で暮らすことになる。
どちらが本当の幸せかという問いかけの形で物語は終わる。
文字数:936
内容に関するアピール
今まで書いてきた梗概がほぼほぼディストピアSFだったので、最後ぐらいユートピアSFを書こうかなと思って書きはじめました。
本作、皿の外は「人食いが管理している未来都市に親友を探しに行く少女のハートフルユートピアSF」です。主人公の少女フーコが、思い人であるエリウを人食いの都市から救い出そうとするのですが、「自分の意思で来た」と言われて拒絶されるという出来事から始まるエモ辛さが本作のウリです。
またディストピアものだと、生活維持省や約束のネバーランド等もそうですが、ユートピアかと思ったらディストピアだったみたいなパターンが割と多い気がします。
なので本作では逆にディストピアかと思ったらユートピアだったみたいなパターンの話にしようと思っております。
誤解を一つずつ解消していきながら、これまでの自分について自問し、自分にとっての真の幸福とは何か考えるみたいなストーリー構造にしようと思っております。
追記
自分がなぜディストピアものが好きなのかを分析してみた結果、もちろん古典的なディストピアのモチーフやお約束自体が大好物だというのもありますが、本質的に自由意志や幸せについて考えなくてはいけないジャンルだから好きなのではないかという仮説を立てることができました。
最終実作では、その仮説に基づいて自分の本当に書きたいもの、本当に好きなものについて突き止めたいです。
◆インスパイア元リスト
琴柱遙「人狼ファルファッレの最期」
八島游舷 文学カフェ「ユートピアとディストピア」
ぼくのりりっくのぼうよみと10人の“やってる人たち”による対話の記録
serial experiments lain
ハイディ グラント ハルヴァーソン『だれもわかってくれない: 傷つかないための心理学』 ハヤカワ文庫NF
マーク・トウェイン『人間とは何か』 (岩波文庫)
マーク・トウェイン『不思議な少年』 (岩波文庫)
ショーペンハウアー『幸福について』 (光文社古典新訳文庫)
「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学 (講談社選書メチエ)
文字数:867