マムルーク

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梗 概

マムルーク

戦争の闘争後に平和の闘争が始まるんだよ。

 

昔、妹のアイーシャが言っていた言葉だ。僕は今、平和の闘争の中にいる。チャドのンジャメナは今や敵のパグロム(AI搭載人型機動兵器)で埋め尽くされていた。敵はクッセリから進行してきた武装テロ集団で、僕らの武装しているアーキテクトは、兵器というよりは体2まわり大きいボディーアーマーに近い。

 

アーキテクトは、敵の行動様式やフィールドを変数とする強化学習によりプレイヤーの次の行動の最適解を導き、敵が有人兵器の場合にはフルオート・キル(全自動射出機能)によって、自動で敵に照準合わせ射撃することができる。僕らはアーキテクトのオプションから自分の戦術に合わせてコマンドを選択するだけで、敵のパグロムを撃破する。これが「マムルーク」の世界だ。

 

マムルークはテキサス州の米国最大手ゲーム企業ネストが開発したVR-FPSであり、僕はこのゲームのプレイヤーとして、MS(マムルーク・スタジアム)で戦闘している。

 

僕サイードはレバノンのベイルート生まれた。母は僕が生まれた時に亡くなり、父スルタンとアイーシャの3人で暮らしていた。

僕の生まれた2027年、アメリカでボストン・ダイナミクスがパグロムの開発に初めて成功し。以来、世界の軍事事業に確変が起こった。絶望と希望の象徴は、核兵器からパグロムへと大きくシフトしたのだ。

 

そして、その5年後にベイルートの悲劇が起こった。第5次中東戦争への対抗手段として、ベイルートで導入段階だったアメリカから輸入された新型のパグロムが暴走し数百名の死者を出す悲劇となった。そしてその混乱の中でスルタンは行方不明となった。

 

悲劇の後、僕とアイーシャは親戚のいるヨルダンに移り、僕はそこでエンジニアとし働き始めた。そこから更に数年たち、僕はスルタンがアメリカいるという噂をききつけた。そして、僕はアイーシャを置いてテキサス州オースティンに渡った。

 

その頃、ネストが「マムルーク」のサービスを開始した。

ベイルートの悲劇を経験した僕には、「マムルーク」のその圧倒的なグラフィックを誇るVR映像と、紛争や虐殺を鎮圧するシナリオが心地く、気づけば僕はエンジニアからネスト社専属のプロゲーマーになっていた。

 

今回のフィールドは皮肉にもヨルダンだった。VRに映るヨルダン・マダハは荒廃しきっていた。かつて東ローマ帝国時代の繁栄の象徴といわれたモザイク壁画は多くの建物から消し去り無残な形になっていた。ブリーフィングで敵軍にはパグロムの他に歩兵もいると聞き、僕はフルオート・キルをオンにした。

 

聖ジョージ教会付近に2機のパグロムが見えた。僕は直ぐに近くの建物に隠れたが、敵も僕に気づき射撃してきた。途中、歩兵が近くにいたのかアーキテクトのフルオート・キルが作動し、僕の腰元からサブマシンガンが射出された。

 

僕は歩兵の倒れたポイントを確認した。しかし、倒れていたのは、歩兵ではなくアイーシャだった。僕は混乱した。まず、このゲームではMOBに対しては、フルオート・キルが作動しないはずだ。そして何故MOBとしてアイーシャがいるのか。

 

ゲーム終了後、僕はヘッドギアを外し、MS内の開発スタッフに戦闘での不可解なできごとについて話した。スタッフ僕のゲームIDと顔を見て納得したような表情を浮かべながら、僕をネスト社内の会議室に連れ出した。

 

そこには一人の男見知った男がいた。父スルタンだった。

「サイード、久しぶりだな。」

スルタンは困惑する僕をみて、落ち着かせるように自身がここにいる理由を説明した。

スルタンはベイルートの悲劇前、ベイルート・アメリカ大学でパグロムの開発に従事していた。父は、ベイルートの悲劇で暴走したパグロムの異変を調べるため、そのままアメリカに移った。

 

スルタンがいた当時のアメリカは、第5次中東戦争を経て2つの問題を抱えていた。1つは採算のとれない多額の軍事支出。2つめは帰還兵の3割がPTSDによって自殺をするという問題だ。そこで、米国防総省高等研究計画局(DARPA)は当時VR技術の最先端であったネストと提携し、パグロムのニュータイプとなるアーキテクトと、それとリンクするVR-FPS「マムルーク」を開発した。マムルークは、MSで開催される大会限定で、実際の戦場とビジュアル及びアクションが連動した殺戮ゲームになっていた。PTSD防止のため、プレイヤーとオーディエンスにはオフレコで、あくまでエンターテインメントとして、実際の戦闘に参加させていたのだ。そして、あのベイルートの悲劇は「マムルーク」のテスト段階でリンクさせていたパグロムのプログラムエラーによって生じたものだった。僕は多数のオーディエンスの前で、ゲームとして多くの人々を、そして、アイーシャまでも殺していたのだ。

父はその後アーシャのことを悔やみ、僕のゲームの功績についていろいろ話していたが、もう僕にはそんなことどうでも良かった。あるのは怒りと罪の意識の2つだけだった。

 

僕はそれ以降スルタンとは会っていない。僕はマムルークから手をひき、ヨルダンに戻った。

 

平和の闘争によって生まれたテクノロジーが、次の戦争の闘争を生むことになる。世界の戦争と平和は産業の循環に合わせて、相互に生じている。

僕はできればアイーシャにこのことを伝えてあげたかった。

文字数:2171

内容に関するアピール

9世紀初頭、アッパース朝のマムルーク(軍人奴隷)は、自身が他国から購入された奴隷兵であるという自覚がなく、オスマン帝国軍と戦い続け社会的な評価を高めていったといわれています。本稿では、この構図をSF的なものに拡張できないかという着想から執筆しました。最終梗概ということもあり張り切ってしまったところ、少々長くなってしましました。どうぞ苦とせず最後まで読んでいただければと思います。

文字数:190

課題提出者一覧