梗 概
ホモ・シリコーン
2113年、日本の海洋研究開発機構 (JAMSTEC) 横浜研究所に設置されている地球規模の環境変動を予測するスーパーコンピュータシステム「地球シミュレータ」によって、地球の大気が減少している事実が明らかになった。原因は21世紀中頃から弱まり続けている地磁気で、このまま磁場が縮小すれば太陽風によって大気は剥ぎ取られ、地球は生命がほとんど住めない火星のような星になってしまうかもしれないという。地球の外核の液体金属が対流することによって生まれる磁場は、上空数千kmにまで存在し、いわば地球を守る天蓋となってこれまで太陽風を跳ね返してきた。仮に太陽の放射線が磁場の防御が弱まった地球に降り注ぐことになれば、異常気象が増加し、生物のDNAは傷つけられ、人類の生存そのものに影響を与えかねない。
海洋開発先進国であった日本は、アメリカやヨーロッパ諸国と共同で国際深海科学掘削計画(IODP: International Ocean Discovery Program)を立ち上げ、世界に先駆けて地球深部掘削プロジェクトを発表した。これは、海底に深海掘削ラボ(通称:マサダ)を設置して地底を掘削し、地下2,890 kmにある外核の物質を採取することで、磁場縮小の原因を突き止めようというものだ。地球の心臓部である核は地表面のおよそ350万倍の圧力がかかっており、温度は4400度以上。鉄とニッケルにより構成されたねっとりとした液体金属が乱流によって循環していると推測されている。人類未踏の外核への到達は、20世紀の月面着陸を凌ぐチャレンジングな計画で、それは超深度掘削技術を持つ日本にしかできないことだった。
計画発表から20年後の2133年、マサダから伸びた掘削ドリルがマントルと外核との境界(グーテンベルク不連続面)を貫いて外核に到達し、核のサンプルを深海ラボに引き上げることに成功する。さらに取り出された物質からは未知の微生物が発見された。超高温、超高圧、光も栄養も酸素もない地球の心臓部に、微生物群集が存在していたのだ。
コアサンプルを引き上げた深海ラボと海上に浮かぶ掘削支援船との間は、ロープウェイによってつながれ、人や物資の輸送が行われている。研究者の一人が深海6500mの深海ラボから、サンプルとともに支援船に浮上すると、外気にさらされた生物は、密封容器から曝露して船内に拡散。それをきっかけに船内のコンピュータは正常に動作しなくなり、掘削支援船の全ての機能が停止して機関室から出火し炎に包まれる。また、深海ラボのライフラインであるロープウェイは断線して、ラボにいる研究者たちは孤立してしまう。
突然外界との連絡が遮断された深海ラボでは、救助を待つとともにコアサンプルの分析が続けられた。その結果、外核は鉄とニッケル以外に多くのシリコンを含んでいること、そこに生きている微生物は集団として電子信号をやり取りする能力が備わっていることが判明する。それはまるで、外核という直径7000kmの半導体の上に微生物が回路を形成して信号をやり取りしているようなものだった。22世紀当時、人間の活動の多くは人工知能が担っていたが、桁の違う「知能」の可能性に、ラボの研究者たちは驚愕する。地球の心臓部である核そのものが人間の脳のように情報をやりとりしているとしたら…。それは新しい生物の発見にとどまらない、新しい地球の歴史の始まりを告げる出来事かもしれない。
新しい「知能」との接触を試みる研究者だったが、微生物は彼らの脳に侵入して回路を作り始める。研究者の脳は強化され、ほとんど忘れかけているようなかすかな記憶も微生物の作る回路に焼き付けられ、はっきりと思い出せるようになる。もはや年令とともに脳の神経細胞が壊れることはなく、記憶がはかなく消え去ることもない。
やがて深海に救助隊が到着し、3ヶ月ぶりに研究者たちは地上に浮上する。ラボ内の人間全員は微生物に感染しており、彼らの脳の一部となっていた微生物は世界に拡散し、人類は記憶をなくすことのない、理性のみに従って行動する新しい人類となっていく。微生物は外核から地上に浮上して人間と共生関係を築き、外核の流動物質は再び回転を始め、地球の地磁気は反転して元の地場を取り戻す。
それまで地球の支配者だった人類は、完全記憶を持ち、合理的に行動する生物にアップデートされた。脳から感情は失われ、もはや彼らが過去の記憶を思い出しながら、怒りや悲しみや喜びを抱くことはない。長く核の中で伝達されていた地球の意思は、人間を介して地上で伝達されるようになった。
それから1000年、人類は科学技術を飛躍的に発展させ、他の天体を植民地化するため宇宙に進出していく。他の文明を支配し、富を略奪し、さらに豊かな星になることこそ、地球の意思である。
文字数:1968
内容に関するアピール
思い返すと、今年度のSF創作講座の最初のテーマがAIでした。経験から学習し、新たな入力に順応することで、柔軟かつ直感的に仕事をこなす人工知能は、いまも様々な分野での活用が広がっています。
私は「人工知能」という言葉を聞くたびに、高い知能を持った新たな生物が生まれることを想像して、期待と不安が入り混じった複雑な気持ちになります。その不安というのは、自分たちよりも強い生命が誕生してしまったら、私たちはどうなるのかという恐怖のようにも思えます。今うっすらと感じているこの不安を素材にしてみようと考えました。
進化とは個々の生物の性能が向上することではなく、環境変化にあった生物が生き残っていく現象です。環境に適応して変化できなければ絶滅してしまうので、人類も生き残るために変わらねばなりません。でももしも、環境の変化が地球の意思だったら…というお話です。
文字数:374