梗 概
幕末蒸軌録
1868年1月。深夜。
幕府の密命を受けた軌車奉行/井上弥吉は、転車台で移動する蒸軌車を見上げていた。
停車舎では元–幕府勘定奉行/小栗上野介を筆頭とする幕府の「主戦派」と言われる面々が、白い湯気を吐き出す蒸軌車を固唾を飲んで見つめている。
声低く、弥吉の出発の合図が発せられる。火夫が火室に投炭する。丑三つの横須賀の静けさを、鉄軌道の響きが破る。
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時は慶応4年。前年の10月には将軍慶喜公により大政奉還の建白書が朝廷に差し出され、混乱の中、鳥羽伏見の戦いにおいて薩長は幕軍を敗走せしめた。
大阪を脱出した慶喜が江戸へ帰り、御前会議が開かれるが、小栗ら主戦派の主張虚しく、幕府は朝廷への恭順を決定。1月15日小栗は罷免される。幕府にとり小栗は厄介な存在となってしまった。
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当時、小栗の進言により建造が始まっていた横須賀製鉄所には、フランスから招聘された技術者とともに、日本中からも先進的な考えを持った技術者が集められていた。その中には備前国佐賀藩の精煉方「からくり儀右衛門」の異名を持つ田中久繁もいた。
小栗は、以前から佐賀藩の技術力の高さに着目し、なかなか首を縦には振ろうとしない藩主鍋島閑叟を、自身の近代化への技術革新計画に引き入れようと手をつくしていた。
佐賀藩から派遣された田中久繁は、反射炉を駆使する製鉄、蒸汽船製造技術者であるとともに、すでに模型を製作することに成功していた蒸汽車製造の技術者としても、その腕を求められた。そして、蒸軌車は製造され、密かに完成していた。
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小栗ら主戦派は、榎本武揚率いる幕府海軍と連携し、主に東海道を東進する薩長軍を陸海の両面から攻撃することで、撃退できると踏んでいた。勝海舟ら恭順派の手の及ばないうちに、小栗らは蒸軌車を持ち出すことにした。
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横須賀から鎌倉へ抜けるトンネルを、蒸軌車は走る。3両編成の蒸軌車は、3両目の貨車にアームストロング砲を積んでいた。これも佐賀藩から入手したものである。
一週間前、横須賀製鉄所に呼び出され、小栗上野介から直々に「軌車奉行」に任命された井上弥吉の心中は複雑であった。
井上は長州の出である。幼少より西洋学を志し、萩、江戸、長崎、函館などを訪れ、航海術や英語などを学んだ末、脱藩しイギリスで鉄道技術を学び、帰国した際に小栗に登用された。以降、横須賀で日本初の蒸軌車の開発に専心した。小栗にはひとかたならぬ恩があるとはいえ、自分が赴こうとしているのは、郷里の軍との戦いである。
しかし、ここでこの戦を終わらせないことには、江戸が戦火に飲み込まれることは必至。とりわけ彼は江戸に許嫁を残してきている。
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トンネルを抜けると鉄軌道は終わり、ここからは土の悪路を行くことになる。運行は、江戸でかつて風呂屋の釜焚きをしていた、蒸軌車の老機関士/源蔵の腕に任される。
茅ヶ崎の海沿いを抜け、夜明けまでに箱根を目指す。早起きの漁師が目を丸くして蒸軌車を見ている。
大磯宿へさしかかった頃、前方から馬に乗った侍が、布を振り回して止まれと大声をあげている。その侍は小田原藩の中でも、小栗たちに共鳴する分子であった。
横須賀で、小栗たちは捕らえられ計画を早急に中止せよとの令が出されているという。
弥吉は、後戻りもできないところまで追い詰められてしまう。これでは、途中で補給を受けることもできない。
しかし、蒸気船の機関士としても優秀であった源蔵のつながりで、港の艦船から燃料、水の補給を受けることができる。
彼らは独立遊撃隊として、敵の進軍を阻むためにさらに西進する。
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内容に関するアピール
口に出すのが恥ずかしいんですが、いわゆるスチームパンクです。文字通り蒸気を出しました。
正直めちゃくちゃな歴史モノで、なんとか幕藩体制のまま薩長を退け、開国を迎えちゃう物語にしたいと思っているのですが、勉強不足もあり、どうも思うようにストーリーが運びません。
楽しいものになれば良いなと考えているのですが、難しいです。自分はスケジュール管理から見直す必要があると痛感しています。
文字数:191