梗 概
字間調律師
□紙の本が、青空文庫が、廃れて久しい。
本は、〈曇り海〉と呼ばれるオープンクラウドの書庫にあり、オープンソース化した一群には二次著作者による改変がほどこされいくつもの〈版〉が派生している。
版はそれぞれ〈ファイル〉と呼ばれ、擬人化されたパッケージとして海の「表」や「中」や「裏」をただよう。
◎〈わたし〉は電子の波打ち際でかれに開かれる。わたしがもげたことに気付かずにいた片腕を、かれは接ぐ。書かれた内容・構成ではなく、インタフェースとしての〈版〉の調整、それが〈字間調律師〉をなのるかれの活動だ。
▲三歳のぼくは絵本を読んでいる。紙の本。字間調律師となった今でもそれは原風景だ。
◎わたしはかれに同行し、骨折や頭蓋陥没といったファイルを調律していくさまをみる。助詞や文末の言い回し、語から語へ、文から文への接続、飛躍、ストローク。血液の流れをよくするような調律は、「読みやすくするため」とかれは言う。わたしには枝分かれした感覚すらないが、わたしはわたしが開かれたときにいつもかれが来てくれることを知っている。
▲小学校の読書の時間、ぼくはPC室にもぐりこみ、青空文庫へつないだ。横書きのゴシック体の本文で、著作権の切れた名作を縦横に読み耽っていた。
◎失われたのは青空文庫だけでなく、経済原理に敗れた紙の本もまた同様だった。かれの本来的な目的は、デッドデバイスとなったそれらをサルベージして人目に触れさせることだ。気の遠くなるような渇望。その底にあるかれの動機を、わたしはしらない。
▲中学三年のぼくはタブレットで電子書籍を漁り、分厚い物語を飲み干した。手元にあるけどどこにもない、そんな本棚のことはいつしか忘れ、存在を思い出したときは土台が消えるときだった。
◎ファイルは人間とうまく会話できない。わたしがどんな問いをしたのかは、かれの答えから考えるよりほかにない。
たとえば――絶版となった本の再現が目的ならば、ファイルの整体は版を増やすだけだ。RPAで紙の本を文字に起こすか、サーバをサルベージすればよく、調律なんて不要のはずだ。
おそらくそう訊いたわたしへの答はこうだ――かれにとっては同種であると。人の目に触れさせるようにすること、触れやすくすること。その究極は「絶版の復刊」であるが、すでに刊行された著作を磨きあげること、文字の詰まりや縺れをほぐしてやるのも重要なのだと。
▲十九になったぼくは絶えず〈正書〉をめくった。自然なディスプレイと紙の手触りを備え、無数のページを持った白紙の本は、忘れていた「めくる」楽しみを思い出させた。
□改正著作権法が既刊のサルベージを難化させた一方、「作品」の側にはオープンソースと化す一群もあった。ヒトと機械とを問わず一次著作者は二次著作者による改変をアクセスタブルなものとし、無数の系統樹めいた版が次々生まれた。作品は、個々の読者にチューニングされるものへと変容したのだ。それは、出版権を抱えて潰えた出版社とともに作品が掬い上げづらくなったことと対照をなす風景だった。擬人化されたファイルはプロパティをもち、オーシャンのなかで水の分子みたいにたゆたった。
▲かつて司書と呼ばれた人々がいた。紙の本で埋め尽くされた空間があった。ぼくはそこで論文を書いている。口述と手指と脳波筆記を組み合わせ。オーシャンビューでは様々な調律師の記憶がザッピングされており、様々な体験や動機が事典をランダムに開いたように走り回っている。開かれたときにファイルは「べつの話」となっているはずだ。共通するのは「読みたい」そして「読まれたい」ということだ。
□これら複数の「▲」は、あるひとりの字間調律師となった青年を時系列で重ねたものか、異なる人々を切り取り重ねたものか。青年は論文を書く筆をいっとき休め、電子の浜辺に舞い戻る。
◎そして〈わたし〉が再び開かれる。波頭に浮かぶ文字を読み取る遊びに耽っていると、かれがやってきてくれる。そうと信じて、わたしは焦がれる。改変されて、異なる〈わたし〉と別れるたびに。ありがとうという言葉をのこして。
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内容に関するアピール
2期では「不在のパゼッション」にて大森望賞をいただき、3期は途中で聴講生から受講生に鞍替えをした。
ハヤカワに応募予定の長編が長いこと座礁した結果、案の定、尻に火がついている。長編を書き上げられれば数年ぶりなので、そこは死守したい。
さて、創元SF短編の最終に残していただいてから早一年。もうすこしましな「小説」が書けるようになったのだろうか。
・8月 大森先生「猫」コンペ 落選
・9月 星新一賞「文字を視る栞」 落選
・1月 創元SF短編賞「色褪せぬ筒」 一次通過(本稿時点)
・3月 ハヤカワSFコンテスト『文子特区‐Rainbow Garden β‐』(予定)
うむ。結果は散々であるし、創作は苦しくてたまらないのだが、なんとか「よいもの」をものしたいという思いは変わらないし、構成を意識して設計したものは後退してはいない。はず。妄想を垂れ流すでもなく、書いてないことをしゃべって講師を丸め込むでもない、「あ、これ、なんかいいよね」と思ってもらえるような、思わせられるようなものを書いていきたい(たぶんみんなそうだろうけれど)。
そういうわけで、SF系の新人賞の投稿は続けるつもりだし、単著発刊もアンソロ収録も電子書籍も雑誌掲載もされたいと思っているので、編集者の皆様、ぜひよろしくお願いします。個人的には、おそらく、掌編~短めの短編が比較的いける、気がして、い、る(ぜえぜえ)。
(余談だが、過去受講生限定とかで、講座の参加回数券とかバラ売りなぞ検討してはもらえないものか……)
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