生きてるかもしれない

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完成稿

空と伯爵

完成稿に関するアピール

とにかくわかりにくいとのことだったので、要素を絞り、伝えたいことを明確にしました。この作品で伝えたいことは「凡庸なTくんが青空へ向ける凡庸な感情が、それでもある偉大さ・崇高さを帯びているということ。しかし、その事実をTくんが真(面目)に自覚することはできないこと」です。

(☡ ちなみに、後半の「その事実をTくんが真(面目)に自覚することができない」ということに対するTくんの気づきが、ネームで描きたかった、「生きているかもしれない」という感情です。)

凡庸なTくんの凡庸な日々を描くだけで偉大な感情(たとえば一国の王のような)を表現するのは難しいので、偉大な感情担当のキャラクター(伯爵)を用意しました。伯爵の抱く感情がT君と同じである、ということを言うために、伯爵はTくんの前世であるという設定にしました。この設定をTくんが真面目に自覚してはいけないので(そうしたらTくんの生がその部分だけでも劇的なものになってしまい、自分のやりたいことではなくなる)、前世「かもしれない」といった表現や、この設定が告げられる「前世」のページの内容を徹底的に馬鹿馬鹿しくしました。

ネームの内容をほとんど変えてしまったので、個別の箇所への指摘は意味をなさないものとなりましたが、「変なキャラを描くときはそれがわかるように普通のキャラを置く」というのは本稿にも通じると思ったため、注意しました。今回、Tくんと伯爵を分けたため、ネームでのTくんの変なふるまいは、すべて伯爵側に寄せました。それでもわかりづらいので、「Tくん:伯爵」の対立を、比較的わかりやすい「凡人:天才」という対立として表現するよう努めました。

伯爵周りの設定をうまく詰めることができず、いろんなものをごちゃまぜにした人物像になってしまったことが若干の心残りです。あと、鳥葬の絵はこれ一枚でノックダウンさせられるものにしたかったのですが、うまくいかなかったのが残念です。

よろしくおねがいします。

文字数:818

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ネーム

生きてるかもしれない

ネームに関するアピール

※アピール文は200文字程度、という制約を公開直前まで存じ上げず、目安の10倍以上の文を提出してしまいました。大変申し訳ないと思っておりますが、今回はお許しいただけますと幸いです。また、適当に読み飛ばしていただいて問題ありません。

 

〇課題の解釈
当初は、16pという短さや、「あまり詰め込みすぎないように」というヒントもあり、実際に自分の経験したなるべく短い出来事を1つだけ選び、そこでおぼえた感情をシンプルに描こうとしました。が、あまりうまくいきませんでした。

どうも、自分が何か感情を抱く際には、その原因とされる出来事と自分との間に、物語という参照項を置いているようなのです。つまり、私は何かある現実の出来事に対して感情を抱いているのではなく、その出来事を触媒として想起されたある「物語」(それが既知のものであれ、既知のものを改良して「創作」したものであれ)に没入し、その物語に対する感情をその出来事の感情としているようなのです。

無論、ならばその「物語」をそのまま描けばいい、という発想になるのですが、そのためには、自分の場合、どうしてもその出来事と関係ない虚構(たとえば、ウユニ塩湖空間とか)を持ち出したくなるのです。課題の趣旨が自己紹介であること、そして、課題文に「実際に経験したこと『と』、それに対する感情を使って」というふうにわざわざ経験と感情を併記していることからしても、たとえ課題文中でSFや時代劇への改変をゆるしていたとしても、一定限度を超えた経験の改変は許されていないように思えました。そして、課題文が「あなたが実際に経験したことに対する実際の感情を使って物語を書いてください」でないことには大きな意味があるように思えました。

参考作品の二つも自分が参照できる範囲で確認したのですが、残念なことに自分はこれらの作品が課題文の内容に沿ったものだとはどうしても思えませんでした。これらの作品の作者は、自分の過去の経験に対し、常に、ある理知的なおかしみを見出せるよう、距離を取っており、他のどんなものを(実在の人物を、土地を、固有名を)用いようとも、自分の過去の「感情」を用いることだけは避けているように見えました。もちろん、そのように描かれた作品が読者にある感情を引き起こし、まるで「作者の感情」が表現されているように思わせることは可能ですし、実際に自分はそう感じましたが、それはどこまでいっても読者の感情でしかなく、決して、「作者の実際の感情を使った」作品であるとは思えませんでした。

そこで、複雑になってしまうことには目をつぶって、「経験」とそこから想起・創造した「物語」(とそれに付随する感情。私にとって物語と感情は双対です)の両方を盛り込むことを考えました。しかし、具体的個別的な出来事を対象とすると、似たような話を二回繰り返すこととなり、どうしても冗長となってしまうため、さらに複雑になりますが、「実際の出来事」の方は、短いものをそれでいてなるべく多く1ページ単位で用意し、読み飛ばしても良いよう単語を割り当てることとしました。「感情」の方は、多数描いた出来事のどれに対してと具体的に名指すことのできないような、それらの出来事のうちに常に自分が感じていた気分のようなものを表現することとしました。具体的には、「流謫」の項目が「物語」に当たり、それ以外の項目が「実際の経験」となります(といっても、出来事そのものはかなり脚色しています。)

「流謫」の内容は多少メタフィクショナルです。この箇所の「物語」を、たとえばTくんが見た夢の紹介といった枠組みで、Tくんの関与しない純粋な寓話にすることも考えたのですが。その「物語」の内容を面白く練り上げる時間がなかったこと、また何よりも、自分の意識から片時も離れない、「引用」「偽装」「回帰」「虚構」というテーマをこの第1回に提示したいとの思いから、このような内容にしました。

また、「自己紹介」であることから、多少作品の質にはねても、自分の好きな作品をあらゆる手段で暗示しました。自分は人の好きな作品からその人を理解したいと思うからです。ただし、「詩を書く少年」のみ引用しています。提出課題の主要部分を(まだPDでない作品の)引用で済ますというのはどうかと思いましたが、この箇所に記したような特権的な感情であっても、書かれた瞬間にはもう再利用可能で理解可能な物語になってしまうことを効果的に示すためにも、この箇所の主人公の台詞が何かしらの作品の引用であることは避けられないと考えました。また、そこで引用する作品は実際に自分が衝撃を受けた作品であることが不可欠であると考え、この作品を選択しました。引用としては常識的な範囲だと思いますが、あまりにも問題があるようだったら、別の問題のない作品に差し替える予定です。(青空文庫にあるトーマス・マンの「幻滅」など)

以上のような構成をとれば、課題の制約をすべて満たしたうえで、自分でも満足でき、自己紹介として成立するマンガになると考えました。といっても、描き始める前に考えたというだけで、結果はあまりに惨憺たる様です。

至らない点を数えれば限りないかと思いますが、ご指導のほどよろしくお願いいたします。

 

〇その他
上の文章と提出物の中身からお察しいただけるかもしれませんが、素人ながら批評的なこと、思想的なことに興味があり、この教室の存在もその方向から知りました。卓抜した描き手であるよりは卓抜した読み手でありたいと思っており、「創作」という行為への熱意のなさから、皆さんのモチベーションを削いでしまうこともあるかもしれませんが、なにとぞご寛恕ください。(欲を言えば、この一年で、卓抜した読み手であることがそのまま卓抜した書き手であるような「マンガ」を見出せればと思ってはいるのですが…)

どうぞよろしくお願いいたします。

文字数:2403

課題提出者一覧