いかにして白兎の唇は裂けたか

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梗 概

いかにして白兎の唇は裂けたか

1904年3月9日、チベットの首都ラサまであと150㎞地点に迫るギャンツェの渓谷に、W・F・オコナー大尉はいた。オコナー大尉は、大英帝国のチベット使節団団長であるフランシス・ヤングハズバンド少佐の専属通訳である。使節団の目的は「シッキム=チベット国境問題」の解決だ。ヒマラヤの小国が次々にイギリスとの不平等条約を結ばされる背景を鑑み、チベットはロシアからの武器支援を受け入れている。ギャンツェの後方40㎞地点には、英国マクドナルド将軍の主力部隊が出撃準備をしている。10ポンド砲2門、第8グルカ連隊の3・5中隊、加えてインド兵が3月の最終日にはこのギャンツェにやって来る。対してチベット側は英軍の国境ラインへの撤退を要求している。
 ヤングハズバンド少佐のミッションは、将軍の主力部隊が到着するまでの3週間のうちに、チベット軍・並びに町人達と友好的な交渉をし、首都ラサへの道を明け渡してもらうことだ。それら全てを通訳するのが、使節団内で唯一チベット語の堪能なオコナー大尉である。

 

***

 

(町へ入るには、私達の風習ならわしに従ってもらう必要がある)

「もちろんです。 皆さんとっては、ええ、大切な意味があるのでしょう。私達には分からなくとも」

(15日の夜にパルユールの僧院へ来なさい。イプハ様があなたを待っている。あなたはそこで〈あなた自身〉を預けなければならない。あなたの中の〈自分〉と〈私〉のうち、〈自分〉の方をイプハ様の中に預けるのだ)

「そのイニシエーションが済んだら、ラサへの進行について交渉に乗って下さると?」

オコナー大尉は門兵の言葉を訳し少佐へ伝える。のように。

(今のままでは、町へ入ることも許されない。あなたの中の〈セルフⅠ〉は自己意識めき、線形で、〈自分セルフⅡ〉は理念ぽく、非線形だ。まず〈自分〉の方をイプハ様に預けて切り離すこと。そのためには15日の夜にイプハ様がお話になる物語を聞かねばならない。『いかにして白兎の唇は裂けたか』という無の内側からやってくる物語だ。お若い大尉、君が通訳することになるだろう)

 

***

 

儀式の翌16日、少佐はインド政庁の進軍許可が電報の送信後わずか40分で下りたことに驚かされる。本件には軍事指揮官と駐屯大臣アンバンとの協議が必要なため、数十分で返事が来るなどあり得ない。これはイプハの中にいるヤングハズバンド少佐の〈自分〉が、〈私〉よりも先にオコナー大尉を通じて司令を出していたからだ。
 オコナー大尉は、友好的に任務を果たしたい少佐のセルフⅠ〉と即身仏イプハ中にいる混沌として超越的な〈自分セルフⅡ〉の両方から司令を受け、これらを遂行していく。

 

***

 

3月28日、マクドナルド将軍の主力部隊がギャンツェに到着。この時点で未だイギリス軍とチベット軍のどちらにも発砲許可は出ていなかった。戦闘を回避したい少佐は、オコナー大尉を連れて再びパルユール僧院へ赴くが、ギャンツェの民は依然として英軍の撤退を要求し、ラサへは通さないという姿勢である。

(あなた方とは随分話をしてきたが、これ以上はないだろう。さあ〈サー・ヤングハズバンド〉はお返しする)とイプハの付き人が言う。
 イプハは少佐の〈自分〉を彼に返し、〈セルフⅠ〉と〈自分セルフII〉を再び調和させる物語を語り始める。だがオコナー大尉が少佐に通訳したのは、例の『いかにして白兎の唇は裂けたか』だった。それはあらかじめ、ヤングハズバンドの〈無意識セルフII〉がオコナー大尉に命じていたことであった。

(何をした?  イプハ様の中に〈私〉が、彼の中には〈自分〉が入っている様だが?  --危険だ、サー・ヤングハズバンドは世界をじかに体感している!  普通の人間が、生の世界を経験することに耐えうるはずがない)

少佐はオコナー大尉に何か言おうとする。だが声を発するにはひどく時間がかかる。

 

***

 

1904年3月31日、大英帝国部隊とチベット軍は、最大の緊迫状態にいた。万を超える兵達のうち最初に、ある一人のチベット兵がヤングハズバンドにライフルの照準を合わせる。少佐は恐ろしい速さでピストルを抜きチベット兵の顎を吹き飛ばす。その一発の銃声は歴史的な戦争の引き金となり、ギャンツェの渓谷には800を超える死体が散乱する。死体は雪と血にまみれ、やがて谷底へ落ちる。少佐は世界をじかに経験する。殺戮は神秘的だった、それは事実だ。
 オコナー大尉は、軍人としてのヤングハズバンドの〈セルフ1〉よりも、生の世界情報を知覚する〈自分セルフII〉の命を選んだ。
 この戦闘を岩城の麓から見ていたオコナー大尉は、死体たちの大地から這い上がってくるどうしようもないほどの愉快さに笑いを堪えきれず、唇を噛み、口元を押さえた。

文字数:1986

内容に関するアピール

『ユーザー・イリュージョン』×『イギリスのチベット侵攻』の意識軍事SFです。
 藤井太洋先生から「会話」というお題を頂いた際、「通訳を主人公にした小説が書きたい」と思ったことと、先月中国へ行ってチベット寺院を訪れたことが着想のきっかけです。それから先のオウム真理教の一件も多分に影響しているかもしれません。

ユーザー・イリュージョンはご存知の方も多いかもしれませんが(すみません、一応書きます)、人の認知に関わる概念で、「私たちは感覚を経験するが、その感覚が解釈され、処理されたものだということは、経験しない」というものです。
 私たちの意識は「感知、シミュレーション、経験」の順におこります。けれど、この途中の「シミュレーションのところ」は「経験から外され」ます。私たちは、編集された感覚を未編集のものとして体験します。「世界をじかに体験しておらず」、頭の中で情報を捨てたり忘れたりすることを「体感する」ことはできません。

元々は、ゼロックス社のアラン・ケイによるコンピュータのユーザー・インターフェースに関する概念で、パソコン黎明期にスモールトークの設計に深く寄与した概念でした。コンピュータの中身は0/1で動いているけれど、ユーザーはデータをゴミ箱へ入れるとクシャッとやったように錯覚するのがコレです。(スマートフォンがスマートなのは全てがユーザー・イリュージョンだから) 
 転じて心理学においては「テニスのスマッシュを決めようとする〈セルフⅠと、実際にはそんなことができなかったりする〈自分セルフII〉」として、感覚の差や時間のズレが論じられることもあります(そんなこと知っているよ! という場合はすみません……)。

意識の時間差は、例えば人間が指パッチンをしようとするとき、「パッチンするぞ!」と意識する1秒も前から脳には準備電位が生じています。1秒はかなり長いですね、指パッチンを始めるのに1秒もかかるはずないです。
 この時、「指パッチンをするぞ!」と思うのが〈私〉=ヤングハズバンド少佐です。対して(1秒前)に脳を動かし、感覚をキャッチして「不要な情報を捨て」、実際にパッチンするのが〈自分〉=イプハの中へ移動した少佐の無意識です。それらを往来する神経電位=オコナー大尉というのが本作の図式であります。

〈私〉と〈自分〉を分離したり入れ替えたりするイニシエーションについてですが、これはチベットも含めた変性意識を司るいくつかの民族の儀式に基づいています(実際に経験しました)。イプハは即身仏のイメージに最も近く、〈私〉も〈自分〉も無いが故に崇高な存在になっています。儀式の際には、少佐とイプハは同じ液体(薬草)を体に入れます。そしてイプハは、自然からやってくる物語を語ります(実際には付き人が語ることもあります)。これは歌に近いです。この歌は、世界を認識する意識のコンテクストに一時的に変容を起こします。
 人間が「雪が肌に触れて冷たい」と意識するのは、大量の情報を捨てて捨てて「雪が降っている」というコンテクストをつくっているからで、ある意味意識のイリュージョンです。しかしこのイリュージョンがないと、何百万ビットの生の世界情報を処理しなければならず、身動きが取れなくなってしまいます。物語の中では、意識のコンテクストの変容がどんどん起きて、不思議な現象が次々繰り広げられます。
 オコナー大尉は聡明な人間でした。が、その〈私〉の中に〈自分〉という何者かがいたことは確かです。

文字数:1443

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