大いなる接近

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梗 概

大いなる接近

この世界を作り出している上位存在のオーバーロードたちがいた。
 彼らはいくつもの世界を創造し、箱庭のようにその世界の行く末を見、定期的に世界を潰していく。
 オーバーロードのリマは、世界を潰すための査定を任されていた。
 査定の方法は簡単である。無作為にクジで選ばれたその世界のひとりの知的生命体と会い、その者に自らの存在の意味を問いかける。その答えにより世界を潰すかどうか決めるのである。
 とうとう我々が住むこの世界が査定の対象となった。
 リマが選んだくじに書いてあった人間は、日本に住む地下アイドル『グランドリームス』のメンバー、佐々木由衣だった。

リマはこの世界に入り、由衣に会いに行く。しかし、会いに行ったときは彼女たちの定期ライブの真っ最中だった。
 リマは彼女に直接会いたいとライブのスタッフに伝えたところ、1000円分のグッズを買って、ライブ後の特典会で個別握手の列に並ぶように言われる。
 リマは大人しく1000円のリストバンドを購入し、ライブを最後列で地蔵のように見たあと、個別握手の列に並ぶ。
 由衣はグランドリームスで圧倒的な人気を持つメンバーであり、ライブに訪れた100人の客のうち、70人ほどが彼女の握手の列に殺到し、リマは待たされる。
 ようやく順番が回ってきた。由衣に手を握られるリマ。彼は彼女に問う。
「君は何のために存在する?」
「え?うーん。それは目の前のお兄さんのためですよーー」
 由衣は明るく答える。「それはどういうことか?」とリマが問いかけようとしたところで、スタッフがリマをはがし、次の客の番になった。由衣は笑顔でリマにバイバイまたねをした。

リマは、もう一度彼女に会いに行く。
 500円のブロマイドを2枚購入し、再び由衣と握手をして話す。
「我は前回、君に自らの存在の意味を問いかけた。君は我のために存在していると言った。たった今会ったばかりの我のために存在しているとはおかしい話ではないか」
「いやー、でもライブのときは目の前の皆さまのために生きて、オフの日はぐでーっとゲームをするために生きているのが私、佐々木ですからっ」
 ここでリマはスタッフにはがされ、由衣に笑顔でバイバイまたねをされる。

リマはもう一度由衣に会いに行く。彼はこのとき決めていた。次の質問の返答次第では即座にこの世界を終わらせると。
 今度は2000円のタオルを購入し、一緒にチェキを撮ることになり、撮ったチェキにサインをされながら話す。
「我はこれから10秒後にこの世界を消そうと思う。君はどうする?」
「ハハッ、それならば残りの10秒間、目の前のお兄さんにアイドル、佐々木由衣を刻みつけるだけですよっ!!」
 なぜだかよくわからないが、由衣の返答にリマは世界を消すことが出来なかった。世界を消すことができないまま、リマはスタッフにはがされ由衣に笑顔でバイバイまたねをされるのだった。

文字数:1185

内容に関するアピール

紺屋高尾という落語があります。
 No. 1の花魁の高尾に惚れた染物屋の奉公人が必死にお金を貯めて彼女に会いに行き、彼女と結婚する噺です。
 立川談春が演る紺屋高尾は、奉公人の誠実な心に打たれた高尾が彼に惚れる様子が実に感動的です。しかし、彼の師匠、立川談志の演る紺屋高尾はひと味違います。終始高尾が何を考えているか分からず、「そろそろ花魁も引き時だし、この誠実な男と一緒になったら私の名声も上がるだろ」という高尾のあざとさが、見る人によってはよぎるようになっています。
 ここ一年アイドル現場に通っていたのですが、売れるアイドルのコは本当に立ち回りが上手いです。心底彼女がファンのために生きている存在だとファンに信じこませてくれます。このコたちならば、例え造物主や高次元生命体相手でも上手くたらしこめるのでは?と思い、梗概を書きました。
 よろしくお願いいたします。

文字数:379

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大いなる接触

虚空に、球がいくつも浮かんでいた。
 藍色の世界にたゆたう透明な球たち。それぞれを注視するとそれは全くの透明ではなく少しばかりのにごりがあることがわかる。
 そのにごりをヒト型の何かが見つめていた。
 彼らの造形に「ヒト型」という言葉を使うのは失礼かもしれない。なぜならば、「ヒト」というのは彼らを模してつくられた存在であるから。
 にごりはよく見ると世界のうごめきだった。
 顕微鏡のようにそれを注視すると見える。それぞれの球体の中を動く、生命体たちの姿が。
 球体はひとつひとつが世界だった。藍色の中を交わることもなく、無数に浮かぶいくつもの世界。
 それがヒト型の何かの瞳に映っていた。。
「リマよ、どうだ?」
 ヒト型の何かに、別のヒト型の何かが話しかけた。リマと呼ばれたヒト型の何かは応える。
「どうというわけもなく」
「……査定は済ませたのか」
「ええ、まぁそれなりに興味深い応えをいただきました。知的生命体たちも愛すべき者たちでした。しかし……」
 リマは立ち上がり、ひとつの球を持つ。そしてひらりとそれを下に落とした。
 ガシャリと音が鳴る。ガラスのようにばらばらとなる世界。そしてまもなくその破片すら綺麗さっぱり消滅をした。
「これ以上見守る必要のない世界だと思いました」
 リマはそう答えてどこかに消えた。リマに声をかけたヒト型の何かも暗闇に消えた。
 彼らは我々人間や世界を創りたもうし、遥か上位の存在である。我々は彼らのことをこう呼ぶしかない。オーバーロードと。

世界をつくっているのはオーバーロードであった。
 我々が生きて唯一無二であると思いこんでいるこの世界は、オーバーロードがつくりだした数多の世界のひとつに過ぎない。
 オーバーロードが世界をつくることに、我々が考えるような建設的な意味合いはほとんどない。あえて言うならば「娯楽」である。
 我々がアクアリウムをつくり、その中を泳ぐ魚たちを見て楽しむ。我々の世界の存在理由はその程度しかない。
 もっとあえて言うなれば、彼らがつくり出した世界から、彼らオーバーロードに匹敵する知的生命体が現れて欲しい、という微かな願いをオーバーロードたちは持っていたが、それは叶わぬ願いらしく、そこまで凄まじい精神を持った知的生命体を有する世界はひとつとして出来上がらなかった。
 が、オーバーロードたちはまぁそれも当然やむなし別にいいさと思っていた。
 オーバーロードがつくる世界たちは無限に存在できるわけではない。オーバーロードが存続できる世界は数が決まっている。すべての世界を満たすエネルギーの総量の和は常に一定である。その法則をオーバーロードも無視できない。
 オーバーロードは飽きっぽく気まぐれである。すぐに新たな世界を創造したいと考える。新たな世界を創造したいと考えたとき、そのエネルギーを得るため、古い世界を壊すしかない。
 こうして世界は残酷に、簡単に消える。どの世界を消すか?それを査定するオーバーロードがいる。
 リマはそれであった。

リマの目の前には無数のひもがぶら下がっていた。赤青黄紫緑橙桃白黒灰茶。
 リマは無造作に一本のひもを選んで引く。透明の球のうち、ひとつがわずかに揺れた。
「次の対象は、その世界か」
 リマの目の前に、もうひとりのオーバーロードが現れた。
 彼は手元に重たく分厚い辞書のような本を持っていた。
「それがこの世界の?」
 リマは彼に尋ねる。
「ああ、知的生命体の名簿だ」
 本が差し出される。風もないのに本がビラビラと高速でめくれる。数十億の名がリマの目の前をかすめる。
 リマはその文字列を何の感情もない瞳に映した。
「さぁ、指をさせ」
 促されてリマはすっと本に指を差し出す。リマの指があるページに挟まる。そしてビラビラという音が無くなり、静寂が訪れた。
 本を差し出したオーバーロードはそっとリマの指が挟まったページを開いた。そしてリマの指が重なった部分にある名前を見る。
「リマよ、指を離せ、今回の対象者が決まった」
 リマはそっと指を離す。
【佐々木由衣】
 リマは誰かの名であろうその文字列を、ただ機械的に瞳に映していた。

リマはこの世界の日本を歩いていた。
 オーバーロードは世界に入りこむことができる。そして入りこんでしまえば、その世界にいる人間と見分けがつかない。ただ頭についた2本の灰色の角と紫色の眼を除けば。
 リマは【明治通り】という名前の道を歩いていた。【渋谷】という街から【恵比寿】という街に向かうこの道沿いの途中、そこに【佐々木由衣】はいるらしい。
 リマは彼女と会って話をしなければならない。それが彼の使命であった。 いつからだろう。このような制度ができたのは。
 オーバーロードにとってより興味深い世界を残すため、査定係のオーバーロードは世界に入りこむこととなっていた。
 オーバーロードはその世界の知的生命体に会いひと言問いかける。
「君は何のために存在するのか?」と。
 その回答によりその世界の存続は決まる。
 リマが査定係になってから、いくつもの回答を経験した。
「できるだけ多くの金を集めるため」
「愛する人を守りたいため」
「自分が生まれてきた意味を知るため」
 など、知的生命体たちは独自の存在理由を構築していた。
 どのような回答がいいか、悪いか、という基準はない。
 リマがその回答を通して、しばらく見守るべき世界だと思えば、その世界は存続するし、取るに足らないと思えばその時点で世界は終わる。
 世界の存亡というものは実に気まぐれなオーバーロードの手の内にあった。
 リマは佐々木由衣がいるという場所にたどり着いた。
 建物の名前が書かれた看板がリマの目に入る。
【ライブスペース・恵比寿ラリアート】
 リマは静かに看板の横を素通りする。そして地下に続く階段を降りていった。
 そこには、この世界の知的生命体、人間たちがたむろっていた。リマは紫の眼で人間たちを見やる。リマの眼に目的の人物が入ったとき、その人間が青く輝いて見えるようになっている。
 その人だかりの中に佐々木由衣はいないようなので、リマは彼らを素通りする。そして地下にある建物の入り口にたどり着いた。
「チケットは?」
 そこで、リマはひとりのメガネをかけた人間に話しかけられた。
「はあ?」
「いや、チケットですよチケット」
「ここに入るのにはそれがいるのか?」
「……当たり前じゃないですか。今日は無銭じゃなくて定期ライブですから」
 男は意味不明な単語を交えて答える。
「チケットは貨幣で買えるのか?」
 リマは聞く。数多の世界には数多の様式があるが、だいたい世界のつくりや、しきたりというのは似通ってくる。貨幣というものはどの世界にもあり、貨幣で物質のやりとりをするシステムは多くの世界であった。
 リマはその世界の人間と対話するために、その世界の言語だけは覚えていくが、その世界の様式に対してはまっさらな状態であることが多い。けれどすぐに馴染む。まず、その世界の貨幣さえ渡せばあらゆる行動が許されるため、自分に何かしらを言ってくる人間には貨幣を渡せばいい。そして許されているうちにその世界のことがわかってくる。
「ええ、当然。当日券でいいですか?」
「ああ」
「昼の部だけでいいですか?夜の部は必要ないですか?」
「ああ」
 リマはいくつか問われる。リマとしては中に入りたいだけなのでこれらの言葉をすべてあいまいにうなずく。
「Cポイントカードはお持ちですか?」
「は?」
「Cポイントカードです。びっくりするかもしれないんですが、ウチのライブ、親会社の関係でCポイントを貯めることができるんですよ」
「持っていない」
「ああそうですか」
 メガネの人間はいちいちリマにとって余計で意味不明なことを聞いてくる。いつのまにかリマの後ろに並んでいる人間たちがいて、その人間たちが「早くしろ」とイラついた様子をしていた。
「当日券3000円になります。あ、ワンドリンク制なので、ドリンク代としてもう500円払ってください。ドリンクチケットは中のスタッフに差し出してドリンクと交換してください」
 そう言われた。リマは要するに合計3500円という額の貨幣を渡すということかと理解した。リマは虚空からこの世界の貨幣をつくりだし、手に持つ。
 オーバーロードは世界に存在するあらゆる物理的物質をつくりだすことができ、あらゆる物理的現象を起こすことができた。貨幣ならばいくらでもつくりだすことができた。
 メガネの人間に貨幣を渡し、ようやく中に入った。
『日本一声優アイドルユニット グランドリームス(GDS)5月定期公演』と書かれた看板が入り口の横にあることにリマはようやく気がついたが、これらもリマにとってほとんど意味不明の文字列だった。
 ここでリマは振り返りメガネの人間に聞いた。
「佐々木由衣は中にいるのか?」
「ええ、もちろんですよ」
 メガネの人間は答えた。

その建物の中には多くの人間がうごめいていた。見たところ佐々木由衣はいない。
 リマはその中で声を掛けられた。
「グッズいかがですか?」
 そうニコニコと話しかけた人間に、リマは聞いてみた。
「我は佐々木由衣に会いにきた。佐々木由衣はどこにいる」
「ああ、もうすぐ開演なので楽屋で準備をしていると思いますよ」
「我は佐々木由衣に会いたいのだが、どうすれば会える」
「いやぁ、間もなく会えますよ」
「……。我の言葉の使い方が悪かったな。佐々木由衣と話がしたいのだ」
「ならば、ぜひグッズをお買い求めください」
 人間はニコニコと言った。リマは理解した。この世界は人間に会うのにいちいち貨幣がいる世界らしいと。
「いくら払えばいい?」
「ええ、とりあえず1000円分のグッズを買うにしたがって1枚特典券をお渡しします。特典券1枚で個別握手ができます。特典券2枚でメンバー全員と握手か、個別でツーショットチェキが取れます。特典券3枚で全員一緒にチェキが撮れます」
「……はあ。つまりいくら払えばいいのだ」
「いやあ、買えるだけ買っていただければ、お客さんもユイユイとたくさん話せて大喜びだし、我々としても大喜びですよ」
「……我はただひと言話したいだけなのだ」
「うーん、それならば個握の1枚だけでいいですね」
「つまり、1000円払えばいいということか?」
「そういうことです」
 リマは、ストレートに貨幣を渡すだけで目的を達せないこの世界に少しイラついていた。
「では1000円だ」
「グッズは何がいいですか?」
「え?」
「いやあ、特典券目当てなのはわかりますが、一応グッズも持ってってくださいよ」
「……何がもらえるんだ?」
「えーと1000円だと、ブロマイド2枚か、シングルCD2枚か……キーホルダー、それかリストバンドですね」
「ああ、じゃあこれでいい」
 リマはリストバンドを指差す。
「ユイユイのカラーの白のやつでいいですね」
「何でもいい」
「はい、こちらがリストバンドと、あと特典券1枚です。無くさないでくださいね」
「では、佐々木由衣に合わせてくれ」
「ああ、特典会はライブのあとなので」
「ライブ?」
「ええ、ライブのあとです」
「どれくらい後だ」
「大体2時間を予定してますね」
「わかった。待つ」
「ところで、お客さん、見ない顔ですけどGDSのライブは初めてですか」
「ああ」
「アレですか?【アイスタ】から、ユイユイのファンになったんですか?」
「……は!?」
 リマは突飛な声を出してしまう。
「ユイユイがあの超人気ソシャゲの【アイドルスターズ】の声優に抜擢されたから、それでGDSのライブに来てくれたんですよね」
「……」
 リマは沈黙した。この世界の言語だけはあらかた頭の中に入れたはずなのに、リマには彼の言うことが全く理解できない。
「お客さん、そろそろ開演ですから会場の中に入った方がいいですよ」
「は?」
「そろそろライブ始まりますから」
 言うがままにリマは扉の向こうに入れられた。

せまい空間に70人くらいの人間がしきつめられていた。
 リマの目線の先には舞台がある。そしてリマのまわりの人間たちはべちゃくちゃとしゃべっている。
「いやあ、今日はタルさん来ねえの?」
「【C王F】のインストアイベントいくから1部は干したらしい。2部から来るって」
「タルさん、GDS一筋、佐々木単推しって言い張ってるのに、1部干してんの?あり得なくね。GDSの定期来てねえって」
「タルさん、典型的なDDですよ。佐々木単推しって言葉に騙されてんのカタヤマくんだけですよ」
 リマは、改めて自分がこの世界のこの国の言語を頭に叩き込んだはずであることを確認していた。目の前の者たちの会話が1ミリたりとも理解できないからである。
 間もなく会場の明かりが消え、真っ暗闇に落ちた。うるさかった人間たちが黙る。
 暗闇の中に6人の人影が現れる。
 音楽とともにスポットライトが6人に当たった。
 すると、また周りの人間たちが騒ぎ出した。
 6人の人間、20歳前後の女性たち。彼女たちは音楽に合わせ歌を歌いながら舞を舞っていた。
 リマは理解した。これは祭典であり、彼女たちは演舞をしているのだと。
 リマはここで、先ほど看板に書かれていた『アイドル』ということばが頭にチラついた。
『アイドル』はこの世界の最も広く使われている英語という言語に示し合せると『偶像』という意味である。
 そしてリマは理解した。彼女たちは生命体でありながら宗教的な象徴をもった『偶像』の役割を背負わされた者たちなのだ。
 珍しいことではない。リマは生けるものを偶像として崇める宗教をあらゆる世界で見てきた。
 『ライブ』。それは生ける偶像を崇める祭典なのだ。
 しかし、この祭典はリマにとって奇妙であった。
 舞台に立っている偶像たちだけでなく、それ以外の人間たちも身体を上下に震わせながらひたすら叫んでいる。
叫ばれるのも「さぁーいくぞー。ファイヤータイガーサイバーファイバー」やら「イエッタイガー」やら脈絡のない単語の羅列だった。
 曲が終わり、6人の偶像たちが横に並んだ。
「はい、ということでグランドリームス5月定期公演1部に来ていただいてありがとうございまーす」
 この声に歓声が沸く。
「最初に1曲【ファンファーレファンファーレ】聴いてもらいましたが、ここでメンバーの自己紹介、端のエミさんからどうぞ」
「はーい、笑顔だけはダイナマイト級、オレンジ担当『エミさん』こと河原恵美でーす」
 演舞を踊っていた偶像たちの自己紹介が始まった。河原恵美が言葉を発する度に「エミさーん」という掛け声を観衆たちが掛ける。
 そのように偶像たちが自らの名前を大仰に紹介していく。そして順番は、白い衣装を着た偶像の番になった。
「はーい、白担当、ユイユイこと佐々木由衣でーす。いやあ、五月だっていうのにお外すごい暑いですよねえ。大丈夫ですかあ」
 リマは少しだけまぶたを持ち上げた。リマの目から見て青く輝いているということは、確かにあの偶像が【佐々木由衣】らしい。
「おっ、大丈夫っぽいですね、ということは、もっともっと熱くしちゃっていいってことですね」
 うぉーと、今日一番の歓声が鳴ったのでリマは戸惑う。
「じゃあ、4曲連続で行きますね。えーと、まずはこの曲です」
 6人がゆっくりと立ち位置を変え、ポージングを取る。客席から半笑いの「おおっこのフォーメーションは」という声が掛かる。
「【スイートラズベリー】」
 佐々木由衣のこの言葉とともに曲が流れ始めた。
 それから2時間の間、リマは最後列で無表情のまま偶像たちのライブが終わるのを黙って見ていた。

『ライブ』が終わった。
 6人の偶像たちが姿を消し、最初に正面玄関でリマの応対をしたメガネの男が現れた。
「えー、これから特典会を始めようと思います。特典券1枚で個別握手、特典券2枚でメンバー全員と握手か、個別でツーショットチェキ、特典券3枚で全員チェキです。まずは個別握手から始めますので、皆さまそれぞれの列に並んでください」
 何人かのスタッフが現れ、「河原さんの列はこちら、島田さんの列はこちら、五十嵐さんの列はこちらでーす」と客を整列させていく。
 スタッフが出した『河原恵美最後尾』『島田ひかり最後尾』などと書かれたボードがファンたちに手渡される。リマは佐々木由衣の列に並ぶべく『佐々木由衣最後尾』のボードを探した。
 ここでリマはある違和感を感じた。そして、『佐々木由衣最後尾』のボードを持った客に話しかけた。
「これはどういうことなのだ?」
「は?」
「6人のうち、佐々木由衣と言葉を交わそうとする人間が多いのはなぜなのだ?」
 リマが見たところ、佐々木由衣以外の5人の偶像の前には、4、5人の人間しか並んでいなかった。が、佐々木由衣の前には一瞬では数えられないくらいの人間が殺到していた。
「ああ、ずっとこんな感じですよ。GDSは佐々木一強です。最近アイスタの声優に抜擢されたからますますその傾向が強いですねえ」
「はあ?私が聞きたいことはつまり、佐々木由衣だけにこれだけ人が並び、他の者たちには人が並ばないのは何故なのだ」
「いやあ、単刀直入ですねえ。まぁ他のメンバーにはかわいそうだけど、GDSを客観的に見ると、『佐々木由衣と愉快な仲間たち』ですから。何でって、まぁ佐々木が圧倒的に可愛いからですよ。だんだん通になっていくと『島田ひかりちゃんが一番かわいい』ってなったりするんですけどねえ。佐々木推しの私の欲目を抜いても、圧倒的に佐々木は可愛いです」
「……佐々木由衣と、他の5人の顔立ちにそれほど違いがあるとは思えんが……」
 そもそもリマには、この世界の人類の目鼻立ちの違いはすべて些細なものでしかない。
「いやあ、接触やったらわかりますよ。佐々木の圧倒的可愛さが。私もそれにヤラれたクチですから。はい、ボード持って。上に掲げて」
 リマは手渡された『佐々木由衣最後尾』のボードを上に掲げた。
 しばらく経って列が進む。他の5人の偶像たちは、前に並んだ人間がいなくなり、手持ち無沙汰になり、とうとうお互いじゃれあい始めた。そんな中、佐々木由衣だけは延々とやってきた者と握手をし、言葉を交わしている。
 とうとうリマに順番が回ってきた。先ほどもらった券を渡し、手にエタノールという液体をかけられたあと、佐々木由衣と対面する。
「ありがとー、今日来てくれてー」
 佐々木由衣はにっこりと笑ってリマの手を握った。
 リマは無表情のまま彼女に問いかける。
「君は何のために存在するのか?」
 リマは一瞬だけ、佐々木由衣の目が宙をさまよったのを捕らえた。だが、コンマ1秒も経たないうちに彼女の目線がリマの目に合わせられた。
「それは、目の前のお兄さんのためですよー」
「……え?」
 それはリマが初めて聞く問いの答えだった。
「……それはどういうこ……」
「はい、時間です」
 リマの背後の背中が、掴まれ、なかば無理やり引き離された。
 まだ、全然言葉が交わされていないではないか?
 リマがそんなことを言う間も無く、リマの身体は佐々木由衣と離された。
 リマの目線の先では、「ばいばいまたね」と笑顔で言う佐々木由衣が映っていた。

リマは虚空の間に戻っていた。藍色い空間の中に浮かぶ無数の世界の中、リマはただひとつの世界をじっと見つめる。
 リマは結局、あの世界を潰すことも残しておくことを決めることもできなかった。
 リマがあんな回答に出会ったのは初めてだった。
「それは、目の前のお兄さんのためですよー」
 佐々木由衣は言った。
 彼女の言った意味をまっすぐに解釈するならば、佐々木由衣はオーバーロードであるリマの存在に気がつき、そのために自らが存在するということを表明したということである。
 リマは数多くの世界に入っていったが、自分たちオーバーロードの存在に気がついた知的生命体などひとりもいなかった。
 オーバーロードとは言わなくとも、「神」という自らをつくりあげた造物主の存在を信じ、そのために自らが存在すると表明する知的生命体はいた。しかし、佐々木由衣の眼差しは、その神に対する眼差しとは少し違っていた。
 もしくは佐々木由衣は、目の前に現れる存在すべてのために自らが存在すると考えている慈愛の塊のような存在なのかもしれない。
 あるいは、投げかけられた質問に対し、適当な言葉を投げ返す痴れ者なのかもしれない。
 彼女の発言はリマの頭をぐるぐると占拠していた。
 リマはふと右手を世界にかざした。
 自らの右手に白いリストバンドがはめられていることに気がついた。
「…………」
 リマは息をつくと、再びその世界に入っていった。

リマは、【明治通り】を歩いていく。
 そして【恵比寿ラリアート】の階段を降りていく。
 人だかり。看板には『日本一声優アイドルユニット グランドリームス(GDS)6月定期公演』の文字があった。
 オーバーロードがひと息つく間に、この世界ではひと月の時間が経過していた。
 リマはさらりと受付前の列に並んだ。受付には以前会ったメガネの人間がいた。
「当日券ですか」
「ああ」
「1部だけでよろしかったですか」
「ああ」
「Cポイントカードはよろし……」
「大丈夫だ」
 リマはきっぱりと言った。今回はリマの手元にすんなりと当日券とドリンクチケットが渡された。
 中に入り、物販をやっているスタッフに声をかける。
「1000円分のグッズを買いたい」
「はい。何がいいでしょうか」
「……では、その500円のもの2つ」
 リマは2枚の封筒に適当に手に取った。
「ブロマイドですね。どうぞ。いいユイユイが当たるといいですね」
 スタッフは2枚の封筒と特典券をリマに手渡した。
 リマはそっと封筒を開ける。そこには写真が入っていた。それは『ライブ』の様子を写真で収めたものであった。
 リマは2つの封筒を両方開ける。どちらも青い衣装の偶像が微笑んでいる写真であった。
 佐々木由衣ではなかったなと、リマはそう思った。
「ねぇお兄さん」
 リマの目の前に『夢』とかかれたはっぴを着た痩せた男が立っていた。
「ブロマイド、2枚とも五十嵐やね。ユイユイ出なくて残念よね」
「え?」
「でもちょうどいいことに俺五十嵐推しだからさぁ、このユイユイ2枚とよかったら交換しない?」
「え、あ?」
「決まりやね。おお、いい五十嵐だな、ありがとな」
 男はなかば強引にリマから2枚の写真を奪い、2枚の写真を渡した。
 そこにはリマが以前近くで見た、佐々木由衣の満面の笑顔があった。

「皆さま〜6月の定期公演1部、来ていただいてありがとうございます〜。ますます暑くなって来ましたが、そんな暑さにも負けないライブ、やっちゃっていいでしょうかー!!」
 そんな佐々木由衣の宣言でライブが始まった。
 そこから2時間、リマはまた最後尾で無表情で腕を組み続けた。
 2時間後、
「らすとぉおおおおお【最強プロメテウス】!!!!」
 佐々木由衣は彼女には珍しいがなり声で曲名をコールした。
 その曲はノリがよくダンスナブルなロックナンバーで、壇上の偶像たちは激しく弾けながら踊っていた。
 客たちも「さぁーいくぞー。ファイヤータイガーサイバーファイバー………」と叫んでいた。
 ラストと思いきや、その後に『アンコール』があり、リマはさらに無表情で腕を組み続けた。
 そして『特典会』がやってきた。
 リマは列に並んだ。また、佐々木由衣の列だけが恐ろしく長かった。そしてリマの番が来た。
「ありがとー」
 佐々木由衣は笑顔でリマの手をぎゅっと握った。細くて白くてあたたかい手だなと、リマは前回は思いもしなかったことを思った。
「お兄さん、一ヶ月前も来てくださいましたよね。ありがとうございます」
「我のことを覚えているのか?」
 リマは少しだけ驚いた。
「それはもう。頭にツノみたいなアクセサリーつけてるし紫のカラコンしてるし、個性的なんでおぼえますよお」
 佐々木由衣はにゃはっと笑った。
「ならば話は早い。我がもう一度来たのは、前回の質問の続きをするためだ。我は前回、君に自らの存在の意味を問いかけた。君は我のために存在していると言った。我はあの時の君の発言の真意を知りたい。是非教えてくれないか」
 佐々木由衣の目線はコンマ1秒くらい宙をさまよった。しかし、すぐに目線はリマを見据えた。
「いやあ、つまりは、ライブのときはお兄さんをはじめ目の前の皆さまのために生きて、オフの日はぐでーっとゲームをするために生きているのが私、佐々木ですっ!!ってことですよ」
「は?」
「私、ゲームオタクで、特に音ゲーとか大好きなんです。お兄さんも音ゲーやりません。今度音ゲートークしましょうよ」
 リマは訳がわからない。リマが彼女に問いかけたいのは「存在」の理由なのだ。
「我が聞きたいのは、つまり……」
「はい、お時間です。移動してください」
 スタッフがリマの肩を無理やりも持って引きはがす。
 佐々木由衣は笑顔でリマに「ばいばいまたね」をした。

オーバーロードの虚空の間。虚ろのリマ。彼は腰を下ろして宙を見つめている。その唇はもごもごと動き、何かの音を発していた。
「おいリマ、なんて眼をしているのだ」
 別のオーバーロードが声を掛けた。
「……なんということはない」
 リマは素っ気なく返す。
「……。どうなのだ。この世界は壊すのか?残すのか?」
「……壊そうと思っている」
 リマははっきりと言った。
「ならば、すぐに叩きわろうではないか」
「そう思っているが、どうもわからない……」
 リマは息を吸い、次の言葉を続けた。
「この世界の人間は、【佐々木由衣】はなんなのだろう?我ら上位存在の存在に気がついている高等生物のようであり、ただただ無意味に騒ぎまわり、目の前に現れた者にさした思案もない言葉を刹那的に発する下等生物のようにも見える。我はわからない……」
「……リマ、お前らしくないではないか。この世界もどうせ数多ある世界のうちのひとつにしか過ぎない。我らが一晩寝ただけで、新たな世界などすぐに産まれる。何を悩む」
 リマはぼんやりと、天をみつめる。
「我は決めた」
 リマは突如、表情を取り直した。
「もう一度だけこの世界に入ろうと思う。そして、最後にまた【佐々木由衣】と対話をし、そこでこの世界の存続を決める。【佐々木由衣】の返答次第では、その瞬間に世界を終わらせる」
「……そうか」
 相手のオーバーロードは頷いた。
「ところでリマ」
「なんだ?」
「先ほど呟いていた歌はなんだ?この世界の歌か?」
「え?」
「『キミハーツヨイネーキットデキルヨー』とかなんとか」
「……」
 リマはハッとした。
 それは佐々木由衣たちが歌っていた【最強プロメテウス】という曲の歌い出しであったからだ。

しんとした風が吹いていた。
 前回リマが降りたったこの世界は初夏であったが、いつのまにか冬が訪れていた。
 オーバーロードにとって、世界の季節の移ろいなどあっという間である。
 今回リマが降り立った世界の場所は【恵比寿】ではなかった。
 【池尻大橋】というまた別の場所であった。
 リマは、そこから首都高速道路沿いを歩き、【池尻音楽院ホール】という建物の前までやって来た。
 その日の看板には『定期公演』ではなく、『阿波野ありす生誕祭』と書かれていた。
 リマは受付でさらりと入場券を買い、そして物販で白い2000円のタオルを購入した。
 握手ではあまりに時間が足りなかったため、「チェキ」ならばもっと長く話せるとリマが考えたためだ。
 ライブが始まった。
 佐々木由衣が言う。
「今日は我らが頼れるリーダー、赤担当のあーりすこと、阿波野ありすの生誕祭でーす。皆さんでありすの生誕祭をおもいっきり盛り上げていきたいわけですが……で、ありすはいくつになったの?」
「ふふ、17歳」
「何度目の?」
「まだ6回目だよ」
「いや、まだって」
 会場が笑いに包まれる。リマは最後列で無表情でそれを見る。
 そして2時間後「らすとぉおおおおお【最強プロメテウス】ぅうううう!!!!」と、佐々木由衣が声を張り上げた。
 会場は人々の大歓声が響いたが、リマの表情はぴたと止まったままだった。

ライブが終わり特典会となり、リマは佐々木由衣のチェキの列に並んだ。
 チェキとは、偶像と一緒にポラロイド写真を撮る行為である。写真を撮ったあとにその写真に偶像がサインを書きこむ時間があり、その間握手よりも長く対話する時間がある。
 写真を撮るときに佐々木由衣はニコッとリマを見て笑った。
「お兄さんお久しぶり!!5ヶ月くらいぶりですよね」
「え?」
「たしか6月の定期公演ぶりだから」
「……」
 5ヶ月、オーバーロードにとっては刹那の時間も、この世界の知的生命体にとってはその期間はそうとう長い。佐々木由衣はその長い間リマのことを忘れずにいた。
「いやあ、また会えて嬉しいです。ポーズ、何がいいですか?」
「ポーズ……?」
「何でもいいですよー」
「……」
 リマは何も言わない。
「ふふ、じゃあピースでいいですかー」
 無表情のリマの横に佐々木由衣はぐっと身体をひきつけた。
 リマの肩に佐々木由衣の肩がぴたりとつく。そして佐々木由衣は両えくぼにピースをくっつけた。
 スタッフがパシャリとポラロイド写真を取り、まだ像が現れていない黒い写真をリマに渡す。
「あとでサイン書きますからねー。またねー」
 佐々木由衣は笑顔で手を振る。
 リマの顔には表情がなかった。
 リマはこのあと、佐々木由衣にある質問をぶつけることを決めていた。それは質問というより最後通告といったほうが近いかもしれない。

写真に像が現れる。
 にこやかな佐々木由衣と、石仏のような表情のリマ。
 リマはその写真を佐々木由衣に渡すと、佐々木由衣は小さなバインダーに写真をはさみ、ペンを走らせ始めた。
「お兄さん、お名前なんて言うんですかー」
「リマだ」
「ふふ、リマさんですねえ……。いやあ、リマさん、久しぶりなのに、ありすの生誕祭に脚を運んでいただいてありがとうございます。どうです、あれから音ゲーちょっと興味持ってくれましたー?」
 ピンクのペンで写真にハートマークが描かれていく。
「……ひとつ問いたい」
 リマは重く口を開いた。
「なんですかー」
「我は10秒後にこの世界を壊そうと思う。君はどうする?」
 深海1万メートルの水のように重たい声だった。
 そのただならぬ声にまわりの空気がピンと張りつめた。スタッフ、客、隣でサインを書いていた偶像までもが、皆がリマの方を見た。
 ただ、佐々木由衣のまわりの空気だけはちがっていた。彼女は言う。
「ハハッ、それならば残り10秒間、リマさんにアイドル佐々木由衣を刻み続けるだけですよっ」
 10,9,8,7,6,5,4,3,2,1,0
 世界は終わらなかった。
「はい、リマさんありがとうございます」
 佐々木由衣からリマにサイン入りの写真が手渡される。
 スタッフがリマの背中をつかみ、彼をはがす。
 佐々木由衣は笑顔でリマに「ばいばいまたね」をした。
 

 

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