Oedipus Compression

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梗 概

Oedipus Compression

昨日、父の記憶を相続した。

自分の中に他人の記憶があるということが、人格にどんな影響をあたえるか、今はまだよくわかっていないらしい。血の繋がりが強いほうが比較的影響は少ないようだ、と医師は言った。どこか遠くの国で行われた凄惨な人体実験で、エリート軍人たちの記憶を何重にも掛け合わせて殺人マシンを生み出した、というニュースを見たのは僕の記憶だったか?父の記憶だったか?父はもう死んでいるのに、記憶は僕の中で生きている。

死に際の記憶は混濁している。父の魂はどこへ行きついたのだろう?まだ生きている父の「抜け殻に近い何か」を見たことを僕の記憶がぼんやりと思い出す。

細胞死を防ぐ処理を施された脳から複写した記憶を圧縮し、被相続者の脳に直接送出することで相続は完了する。圧縮された記憶は被相続者の脳内で再生(思い出)されることで解凍されていく。父がどんな幼少期を過ごしたか?どんな風に母と出会い、僕が生まれたのか?さまざまな記憶断片が思い出せる。(それまではそんな思い出なかったのに!)解凍作業は非可逆的なのだろう。思い出してしまった後は思い出す前のことが思い出せない。手に取れるようにリアルなのに、輪郭がぼやけたような不思議な知覚として、父の記憶を体験していく。

父は東京都下に生まれる。両親がどちらも早逝したため、祖母に育てられた。研究者としてキャリアをスタートさせるが、母と出会い、僕ができる。生活は貧しく、研究を優先させるか、新しい命を優先させるか迫られた父は研究の道を諦め、某化学メーカーに入社。研究を諦めたことを悔やみ、母の死後残された僕を抱え、苦悩する男の記憶。引き出しの奥に隠された日記で父の思いを追体験していたなら…苦悩を隠した父の芝居も、あるいは愛情と感じたのだろう。だが、相続した記憶には自己憐憫と保身だけがあった。息子に向けた微かな罪の意識が、ただ一人の肉親の恥部を見てしまった僕の罪悪感と重なる。

通じ合うことはないはず、だからこの結末を迎えたはずだった。なのに…解凍された父の記憶と僕自身の記憶が重なりお互い悩み苦しむ姿自体が愛だったのだと記憶を上書きする。破綻した人格が引き起こした幻想か?重なり合う記憶の中で、僕らは許し合う。激しい痛みと共に吹き上がる恍惚、涙、抱擁。

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刹那。不快感、嘔気、破壊衝動。

自分の口から発せられているらしい激しい罵りの言葉を、ひどく落ち着いた気持ちで聞きながら、父をもう一度殺すため、僕は病室の窓から飛び降りた。

 

父は二度死んだ。僕が二度殺した。

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山田貴志22歳。同居の父を殺害後、逃走中に押し入った店のスタッフ女性を殺害。重犯加害者リハビリテーション法※に基づく処置が妥当との判断が下る。記憶相続の数時間後。病室の窓から飛び降り自死。本レポートはその残置記憶である。

 

※殺人罪で有罪判決を受けた加害者に、被害者の記憶を相続させることで、殺害時の痛みの記憶などを追体験させるプログラム。厳罰を求める国民の声と、人道的見地からの死刑批判を受け、2035年、実験的にスタート。脳内の被害者記憶と対話を繰り返すことで、加害者が罪の重さを理解し、更生することが期待されている。

文字数:1353

内容に関するアピール

人間の記憶が挿し木のように増えて、広がっていくという結構ポジティブなイメージから考え始めたはずなのに、結果、最初のイメージとだいぶ違う着地点にたどり着いたことに驚いています。被害者の記憶を加害者にインストールするというのは悪趣味だなと思いましたが、自分の中の悪意みたいなものが予期せず形になる経験は意外に気持ちの良いものだというのも驚きでした。

息子の一人称視点で全部書くんじゃなくて父親パートは父親の一人称視点で書いたほうが脳内の葛藤が見えたりするのかなぁとか、記憶なんてきっとご都合主義的に改変されるはずだからもっとぶっ飛んでもいいんじゃないか?とか、タイトルはやっぱりダサいかもとか、締め切り間際でもまだいろいろ思えているので、まだ驚けそうな気はします。

人を驚かせる前に自分が驚けという今回のテーマはとてもシンプルで素直に取り組めました。ありがとうございました。

 

文字数:383

課題提出者一覧