機功大師 玄空

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梗 概

機功大師 玄空

鋳紅堂会いくどうかい組長、火瞳鬼宗かどうきしゅうの息子・龍宗たきむねは、山奥の寺、夢燈寺ぶとうじの門の前に立っていた。龍宗の隣には、護衛として鬼宗が同伴させたヒューマノイド・朱凰スオウがメタリックな顔をテカらせている。
 通信手段を持たされなかった龍宗は、朱凰が稼働不能を「自己判断」するまで迎えは来ないと聞かされていた。腕っ節に自信のあった龍宗は、早々に朱凰を破壊し、下山する算段を立てる。

門の向こう側で待つ夢燈寺の住職・玄空げんくうは、鬼宗の旧友で武術の達人でもあり、鬼宗に息子を鍛えるよう頼まれていた。だが、裏社会の芽を摘む責任が自分にはあるとし、玄空は龍宗を始末することを決意する。

門が開いた途端、玄空が龍宗の脳天を狙った。だが、攻撃は朱凰に阻まれ、続け様に玄空とヒューマノイドは何度も拳を交わすが、決着がつかない。
 戦いの最中、「仏門を学びたい」と願い出る朱凰。玄空はヒューマノイドの請願を聞き入れ、龍宗へ「従者としてなら滞在を許す」と告げる。バトルに圧倒された龍宗はただ頷くだけだった。

寺に滞在中、玄空はひたすら龍宗の命を狙った。夜襲を掛け、警策で首を刎ねようとし、食事に毒を盛った。だが、どれも悉く朱凰に防がれる。損傷が激しくなる一方の朱凰を、無傷の龍宗は、玄空が稽古をつけているものと思っていた。

朱凰の破壊を実質的に手助けしてくれる玄空へ感謝していた龍宗も、次第に自分が狙われていると気付き始める。玄空の不在を狙い、逃亡を図る龍宗だが、朱凰が力づくで連れ戻した。
 龍宗は逃亡の手助けを命じるが、朱凰が拒否。「龍宗を護衛するためにここで第六感を会得しなければならない」と言い残し、朱凰の発話機能が停止。
 帰還した玄空が盗み聞きするなか、龍宗は、鬼宗の跡を継ぎたくないと吐露する。

あくる日、いつものように玄空が龍宗へ攻撃を仕掛けたとき、損傷の蓄積で動きの鈍った朱凰は防ぎきれず、龍宗が負傷する。護衛対象の負傷をきっかけに、朱凰は攻撃バーサークモードを開始。一時的に玄空を凌ぐが、性能を維持できない。
 玄空の怒濤の反撃で破壊されていく朱凰。なおも立ちはだかる朱凰の首を、容赦無くもぎ取った玄空は、龍宗に「死ぬか、己の道を行くか」選択を迫る。龍宗は後者を選択、その言葉を聞き遂げた朱凰は、稼働不能の信号を発信し、玄空へ龍宗のことを頼むと完全にダウンした。

朱凰の死を嘆く龍宗へ、玄空が行動を急かす。鬼宗自ら、夢燈寺へ乗りこんでくると玄空は直感していた。龍宗は玄空を睨みつけながらも頭を下げ、修行を請う。玄空は「今から弟子だ」と告げるのだった。

 

 

 

文字数:1097

内容に関するアピール

本作でいう「第六感」とは「悟り」のことです。A.I.には悟りの概念が抽象的すぎるため、より具体的な(朱凰スオウにとって)第六感を使います。

朱凰も先読みはできますが、玄空げんくうの技は未知のもの。任務を遂行するため、朱凰は第六感センスの会得=深層学習ディープラーニングを進めます。早めに任務を放棄していれば、朱凰も玄空に勝てていたかもしれません。

玄空にも葛藤はありますが、鬼宗きしゅうを知るからこそ、責務があると悟るのです。終始ビビりだった龍宗も、鬼宗の息子として最後は袂を分かつ覚悟を持ちます。

攻撃される側と受ける側の見え方・考え方を効果的に、瞬間的に切り替え、臨場感を出していきます。シーンの切れ目でストーリーを加速させ、三者三様の「悟り」を描き出していきます。

 

 

 

文字数:350

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機功大師 玄空

一幕. 白銀しろがね守護者ガーディアン

深山、という言葉がある。
 地図にはないが日本列島のどこかに聳える覇山はさんは、幽谷もなければ標高も高くないが、紛うことなき深山だ。その覇山の、GPSさえも遮る樹海を奇跡といっていい確率で抜けた先に、ひっそりと夢燈寺ぶとうじの山門は建つ。
 黒茶色の寺門は焼き討ちにでもあったかのように朽ちかかり、手前の一帯を含め、合戦跡のような異様な雰囲気を醸し出している。門から50メートルほどの一帯は突如と森が途切れ、凍原ツンドラのように折れた幹が乾いた土から突き出ていた。
「あづいー」
 剣山よろしく、切り株が散らばるを歩きながら、夏の陽差しをモロに吸収しそうな黒いモヒカン頭の龍宗たきむねが肩を落としていた。ニキビ面を玉のような汗が流れ、ガタイの良い肩からは砲弾並みの巨大水筒がぶら下がっているが、中はすでに空だ。最後に清流で給水してから約3時間、道案内に導かれるまま歩いてきた目つきの悪い青年の顔に、生気は最早ない。
「なんで木ぃ切ったんだぁ、空坊くうぼうよぉ」
 刻々と近づく寺門を睨めつけ、モヒカンが袖で汗を拭う。ふだんはやかましいだけの声量も、応援なのか野次なのかわからない後方の蝉の合唱で、愚痴が青天に消えていく。
 空坊くうぼう、とは夢燈寺ぶとうじの住職・玄空げんくうに龍宗が付けたあだ名だ。かつての名を海空かいくうと言い、お坊となったことで戒名を得たいまも、龍宗は玄空の呼び方を変えない。
 玄空は、龍宗の父・鬼宗きしゅうの旧知であり、幼い頃の龍宗とも顔を合わせている。龍宗の記憶では、その頃まだ山門の近くまで森林があったはずだが、いまや、かなり後退している。10年といわず玄空には会っていないのだから仕方ないだろう、と暑さでぼんやりする頭で龍宗は考えた。
「おい、銀ピカ。ボディーガードなら木なんか見てねぇで、水とってこいよ」
 煤けた枯れ木を、シルバーの指先でツンツンと突くのは、龍宗についてきた全身が銀一色のヒューマノイドだ。軽いステップで切り株の間を駆けながら、龍宗をガン無視してもの珍しそうに頷いている。
「ほぅほぅ。ほり代わりのバッファゾーンですか。しかもこの幹、シールドヴェールコーティングされている。さしずめ、切り株の杭ボラードといったところ。う~ん、じつに用心深い……ところで、ボッチャマ」
 2メートルほど先にいたはずのメタリックな姿が一瞬で龍宗の横に詰める。
「ボッチャマいうなてめぇ。だれがボッチャマだ」
 登山の間で瞬間移動のようなヒューマノイドの動きに慣れたはずの龍宗だが、身体が勝手に距離を取った。相手は夢燈寺ぶとうじまでの道中、熊を一撃でしずめた戦闘マシーンである。かつて龍宗の父も成し遂げたという人間離れしたワザをやってみせた機械ヒューマノイドを、おいそれとは信用できない。
 そのヒューマノイドがヌッと、テカった顔でにじり寄る。
「口がべらぼうに破滅的な貴方さまですよ、タキムネボッチャマ」
「やかましいわっ! てめぇは、ジジィが寄越したただのボディガードだろが。人間でもねぇ……って近いわっ!」
 至近距離のヒューマノイドを押しのけ咆える龍宗。だが、高校生である龍宗より痩身のボディーガードはびくともしない。灼けたシルバーメタルの大胸筋に触れた龍宗の手がジュゥ、と音を立てる。飛び退く龍宗の背には不自然に日光を反射する切り株。
「あっつっ!」
「おっと……」
 ボラードに当たる寸前、バレエダンサー顔負けのステップでヒューマノイドが龍宗の腕をつかんだ。背中をのけ反らせたままピタリと止まる龍宗は、まるでパートナーに支えられた乙女である。
「あぶないですよボッチャマ。そのボラードは鉄をも切り裂く、対軍仕様。下手にふれれば真っ二つです」
「な、なんでそんなもんが……?」
 龍宗の腕をぐいっと引き、意味もなくターンをさせてからヒューマノイドがボラードから引き離す。
「御上を警戒して、でしょう。ご住職の華麗な経歴を鑑みれば、至極、自然な自衛策です」
「オカミって……ジジィのことか?」
 腕をさすり怪訝な顔の龍宗。謎仕様の杭よりも、ヒューマノイドの発した人名に露骨な嫌悪感を抱いている様子だ。
 バチッバチッと瞼を金属音で鳴らし、ヒューマノイドが啓示を受けたように天を仰ぐ。
「ええ、そうですとも。泣く子も黙る……いやっ! 大悪人さえも御上をまえに涙は枯れ、ただ断罪のときを待つほかないのです。そう、アンダーグラウンドの王にして鋳紅堂会いくどうかい組長、火瞳鬼宗かどうきしゅうさまの御前ではっ! そしてワタシは、スーパーウルトラファンタスティックなセキュリティプロテクターヒューマノイドであり、御上がボッチャマをお守りするようにと……」
「はぁー。めんどうなもん、寄越しやがって……クソジジィめ」
 顔を手で覆い、深いため息を漏らす龍宗。飛んだり跳ねたりしている銀一色のヒューマノイドを見ていると、余計に頭がクラクラしそうだった。
 龍宗の護衛として鬼宗がつけたのが、このヒューマノイドSPセキュリティプロテクターである。その名を朱凰すおうという。鋳紅堂会先端技術開発部門、通称〈鬼の金棒製作所〉が鬼宗の勅令によってコネとカネとヒトを総動員して作り上げた。鬼宗の戦闘技能をプログラミングした、正規軍の戦闘ロイドをも凌ぐ特別な一体だ。暑さが苦手とわかっていながら真夏の山寺へ息子を修行に送り込んだ、お優しい父親からの餞別ギフトである。
「どうせ、すぐぶっ壊れるだろ」
 鬼宗が龍宗に命じた修行は3ヶ月。短縮は論外だ。
 例外として朱凰が稼働不可となった場合のみ、信号が送られ、迎えがやってくるという。それを聞いた龍宗が錆びた山寺でネジの飛んだヒューマノイドと3ヶ月も過ごす気など、さらさらなかった。
「なんだったらおれが……ブッ潰す」
「ということですから、ボッチャマ。ワタシを倒して山を下りようなどと考えないことです」
「うぉっ?! いつからいたおまえっ?!」
 ワタシをいやらしい目つきでボッチャマが見ていたときからです、と朱凰が両腕で身体を抱える。あいにく、昼にさしかかる時間帯の炎天下でメタリックなロボットにジト目をされても、龍宗は嬉しくもなんともない。
「わけわかんねぇ……人間でもねぇくせに」
 吐き捨て、SPの傍を通り過ぎていく。相手が人間なら、わざと肩をぶつけていくところだ。
「ふむ。人間ではないのは自明のこととおもっていましたが……おや?」
 唯心論に思考を飛ばしかけた朱凰はふと、〈鳶の目カイト・アイ〉が捉えたものに注意を向けた。
 鳶の目カイト・アイ〉は人工衛星に搭載される超高解像度カメラを始め、赤外線、X線など各種視覚入力装置サイトセンサの総称である。朱凰の”目”は、夢燈寺ぶとうじの朽ちかけてなお重厚な、高さ12メートル、横幅3メートルほどの楢の正門を透かし、本堂から裏庭までは数羽の軍鶏しゃもが闊歩するほか無人であると、樹海を抜けた先刻まで告げていた。
 しかしいま、エックス線越しにはマダラ模様に見える石畳の参道を、”熱源”がこちらへ向かって歩いている。
 朱凰より、ふたまわりもがっしりした体躯を支える足は、草で編んだ履物を纏っていた。草履は、まるで薄皮のように磨り減り、足底をつつむ。”熱源”の歩調は極めて一定で、わずかなゆらぎもない。
 己の一部となるまで使い込まれた道具。風雨によって削られた石を鼓動ひとつ変えずに進む、半ば裸の足。
 それが意味するものを、ヒューマノイドは思考に深く刻まれていた。
 ゆえにSPセキュリティプロテクターは備える。
 先をゆく無警戒な学ランの背を護るために、己が取るべき行動を。

二幕. 冥きアンカー

666。夢燈寺ぶとうじの参道に敷かれた石の数。
 九尺きっかりの幅に敷き詰めた黒ずんだ石のひとつひとつが後ろ暗い過去を持つ、忌み嫌われたものばかりだ。そのような石を、僧は進んで求めた。
 きたる者への戒め、己が業を忘れんがため。たとえ、仏の教えを請う身となっても、其が過去を赦さんがために。
「スッ、スッ……」
 身体の一部になるまで使いこなした草履の裏から感じる、わずかな凹凸と質感の違い。星の数近く踏みしめたからこそ、擦り切れた鼻緒がまるで光ファイバーのように、己の居場所をリアルタイムで伝える。
 焦茶の法衣を袈裟懸けし、質素ながら一点の汚れもない真白の内衣をまとう僧、玄空には、移動をするため目を使う必要などなかった。夢燈寺ぶとうじは己が檻であり、境内はまた聖域に等しい。双子星のごとく陽を反射する坊主頭に汗の一滴もなく、静謐な面差しは僧がまだ若いことを示している。
 しかし、武の心がある者ならば、若き僧が放つ気配が尋常ざるものと直感したはずだ。そうでなくとも、身の丈約7尺、2メートルを優に越す筋骨隆々の大男を、ただの優男とはおもわないだろう。
 合掌し、一直線に歩く姿はまさしく高僧の気品すら感じられるが、その実、真逆にある。阿修羅のごとき殺気を、僧は修行によって自身の内に抑え込んでいるが、なおも溢れる闘気とよぶべき荒々しさは、あまねく世界を照らす太陽のように際限がない。
 一歩また一歩と本堂から山門まで歩きながら、玄空はいまだ己の決断に迷いを持っていた。
「(これはまさしく業を重ねることに他ならぬ。友の血縁を手にかけることなど)」
 鬼宗から一報があったとき以来、葛藤し続けた選択。友と己の責務という天秤が、無数の死地をくぐり抜けた鋼の心をゆすぶり続ける。
「(だがあの男はかならず、事を成し遂げるだろう。そのあかつきには混沌が世を覆う。悪行を看過することは……拙僧にはできぬ)」
 正門を前に、屈強な仏僧は足を止めた。玄空の精密機器さながらの知覚は門を通り越し、その向こうの気配と影を捉えていた。
「(あれは金棒ラボの新作か……? ”人”の気配を完全に消している。人間ベースで歯がたたないならば、”いっそモノらしく”ということか。鬼が考えつきそうなことだ)」
 朱凰の光学迷彩シルバーメタルも、玄空の気配察知には意味をなさない。たしかにその輪郭を捉えようとするのは、ブラックホールを直接”見る”ようなもので不可能に近い。しかし、周囲から明らかに切り離された、その異質さを”感じる”ことは容易い。
 傍には、エネルギッシュだが隙だらけの青二才。”稀代の鬼”の後を継ぐ唯一の後継者がいる。
「(いわれるがまま来たか、タキよ)」
 幼くして母親を無くして以来、龍宗は父親に厳しくしつけられ、一時を玄空の元で過ごした。子どもの扱いなどわからず、飯以外は放置しているうちになぜか懐かれた。
 それを拒絶する気にならなかった己を、けれどいまの玄空は悔いていない。役に立たぬ後悔など、とうの昔に捨て置いた。仏の道を歩む玄空に振り返る選択はない。あるのは己が責務を果たすこと。かつて自らの手で流した惨状を、ただ繰り返さないために。
「(いまなら間に合う。輪廻へと還れるうちに……召されよッ!)」
 狂僧が覚悟を決めた刹那、あらゆる人工センサより優れた勘が、を感知する。
 次の瞬間、なめし革のような足底が石を蹴った。

三幕. 冥朱メイス

砂漠を歩き続けたような這々の体で、煤けた寺の戸へ手を伸ばす龍宗。寺門の上、扁額へんがくに書かれた『夢燈寺ぶとうじ』の筆が最早、達筆を通り越し、ほとんど読むことがかなわない領域から見下ろしている。
「井戸あったよなー。さっさと涼ませてもらお……」
 ようやくたどり着いたオアシスに、だが龍宗の手は届かなかった。
「それはおあずけですっ!!」
 シルバーの右手が龍宗の肩をつかみ、テーブルクロスでも引くように軽々と後方へ引き倒す。つかまれた本人が意識する頃には天地がひっくり返り、痛みと回る目で、龍宗は平衡感覚をうしなっていた。
「てっめぇっ……」
 入れ替えるように前に立った朱凰。
 その銀色の背中へ龍宗が一発を食らわせようとした矢先、閉ざしていた門戸の片方が
「ガンッ!」
 残像の残る速度で迫る重厚な戸を、朱凰は高速で突き出した掌底で受け止める。その衝撃は長い年月を耐え抜いた戸の蝶番を一瞬でくず鉄にし、数百キロはあるであろう天然楢の木戸が地響きを立てて地面に着く。
「うっ……!」
 巻きあがった風が後ろの龍宗を襲い、土ぼこりにおもわず目を覆った。
「ボッチャマ、伏せ」
 至極平坦な声で犬へ命じるように龍宗に指示した朱凰の目は、を向いている。門を飛び越える影が朱凰には見えていた。ということは門はさしずめ陽動、と人間よりはるかに速い計算能力でヒューマノイドが判断する。
「いててっ……」
 だが、朱凰の指示が聞こえなかったのか龍宗が立ちあがろうとしている。
SPセキュリティプロテクターも楽じゃないです、ねっ!」
 やれやれと肩をすくめる代わり、朱凰は、地面に落ちたかつての戸の下部を足蹴。自身のほうへ倒れこんだ巨大な木板を、ひょいっと肩で受け止め、そのままトタン板でも投げるような身軽さで放った。
「うぇぃ?!」
 まっすぐ突っ込んでくる戸の片割れに、目を拭ったばかりの龍宗がかろうじて身を屈める。反応できたのは、火事場の馬鹿力というやつのおかげである。
 おびえた幼子よろしく頭を両手で抱え込む龍宗。そこへ豪速で飛ぶ分厚い木の板。
 だが、学ランに触れることはなかった。
「ガッシャンッ!!」
 木材の砕ける盛大な音に、文字通り、木っ端となった夢燈寺ぶとうじの戸の破片が降り注ぐ。
「カンッ!」
 直後、間近で聞こえた金属音に龍宗がおそるおそる目をあけた。
「くう、ぼう……?」
 龍宗の身長の倍近くはある坊主の大男が、鎌のように腕を振り下ろした状態で止まっていた。薄手の内着に岩のようなたくましい体が凹凸をつけている。閉じた目の僧は無表情だが、なぜか苦しんでいるように龍宗は見えた。
「お初にお目にかかります……ご住職」
 大男の手刀を挟んでいた朱凰が金属製の瞼をパチクリとさせ、会釈しそうな物腰で挨拶する。龍宗が触れて火傷しかけた朱凰のメタリックボディに挟まれた僧の手からは湯気のような煙があがっていた。
「……ひさしいな、
 ゆっくりと目をあけた僧の声は、清流のように澄みわたっていた。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
 玄空の特技は一撃必殺の暗殺拳である。
 その身体に似合わぬしなやかさと正確無比なでもって相手ターゲットが気づくまえに屠る。
 幾多の”実地経験”によって研ぎ澄まされた玄空の拳法は独学であり、他のあらゆる拳法、技法から役に立ちそうな要素を織り込んだオリジナルだ。ゆえに名前もなければ、玄空自身、名付けようと考えたこともない。
 結果的にそれでよかった。これまで玄空が狙い、生き残った者はいないのだから。
「……ご住職」
 丁寧にもそう呼びかけてきたヒューマノイドの脅威度を、玄空は迷わず引き上げる。白刃取りされた手はまるで熱した鉄板に挟まれたように煙をあげている。火傷など、玄空には傷のひとつにも入らないし、痛みは仕掛けるまえに知覚から追いやっている。
 問題は、。そして相手ターゲットに自分の姿を見られたこと。
「(これもまた業というわけか)」
 最早、龍宗の暗殺は不可能になった。状況を素早く把握した玄空は作戦を切り替える。
「……ひさしいな、
 さっと、龍宗の顔が曇った。その呼び名は龍宗にとって宿命であり、縛りつける呪いだ。玄空があえて蔑称で呼んだのも、己を嫌ってほしかったから。龍宗が恨んでくれれば、玄空の心もすこしは安らぐ。
 しかし、苦言を呈したのは玄空の手刀を挟んだままのヒューマノイドだった。
「僭越ながらご住職、ボッチャマをそうよぶのはお控えを」
 銀色の握力は強くない。玄空の力ならば容易に振りほどける。が、玄空の勘は警鐘は鳴り止まない。
 あたかも、かつての好敵手ライバルと拳を交わしたときのように。
「……貴様は”鬼の手”か。いや、むしろとよぶべきか」
「ワタシはただのしがないヒューマノイドですよ、ご住職」
 言うやいなや、そのヒューマノイドは片脚を後ろを蹴り抜いた。
「ぐおっ……?!」
 太陽光を反射した杭のような足が見事、朱凰の背後に突っ立っていた龍宗の鳩尾を直撃。無抵抗な学ランが矢のように5メートル以上吹っ飛び、禿げた大地に黒い塊を作った。見るも無惨にひしゃげて転がった巨大水筒が衝撃を物語る。
「ぬっ!?」
 その龍宗に気をとられた一瞬の隙。
 謀られた、と気づくと同時に、龍宗を蹴飛ばした銀の足が鞭のようにしなって玄空を襲う。
「ふむ。丈夫な身体をお持ちですねご住職。そのうえ速い」
 咄嗟に腕を交差させて防いだ玄空の足が土煙をあげて1メートルほど滑った。鉄棒で殴打されたところで意にも介さない玄空の顔がゆがむ。そろりとめくれた袖。色も形状も棍棒としか表現できない極太の腕には、斜めの赤い足跡がくっきりついている。
 ヒューマノイドは追撃せず立っている。冗談とも本気とも取れないひょうひょうとした機械マシーンに、初めて玄空は目をあわせた。
 LCDの目はただの表示で眼球はなく、やや大きめのパッチリした目に描かれた瞳孔は焔をおもわす朱色。当然、人のように”目を読む”こともできない仮初めの双眸は、けれどまっすぐ玄空を見すえている。
 それは、退くことを微塵たりとも考えてはいない者の目。玄空が目的を果たすにもっとも妨げとなる”意思”の現れ。人ならざる者だろうと、意思の有無は押しかくせない。
「(そうか。護りきれぬという思考さえもないのだな)」
 すぅ、と玄空は息を深く吸い、瞼を閉じる。己の内にたぎる血が熱い。心地よいとさえ感じることに己の未熟さを恥じるが、そうでもしなければ、目の前の”守護者”を討ち果たすことなど不可能であると直感が告げている。
「ならば……」
 草履が地面を抉り、身体の重心を下げる。腕を下ろしたままの”構え”こそ、玄空の真髄。見取った〈鳶の目カイト・アイ〉が肉体のあらゆるバイタル値の上昇を報せ、ヒューマノイドが二度、まばたきした。
「いざ尋常にッ!!」
 僧の姿が、人間の視覚から消えた。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
「……痛っつつつっ!!」
 気を失ったほうがマシだと、激痛の走る腹を押さえて龍宗はうめく。実際、意識が一瞬飛んだ気がしたが、直後の内臓が破裂するような痛みに叩き起こされた。
 奇跡的だったのは腕と顔の掠り傷のみ。贓物はおろか、骨すら折れていない。龍宗の身体が人間離れして丈夫だからなのか、朱凰の蹴りが芸術的だからかは定かではないが、痛みさえガマンすれば立ち上がれそうだった。
 立て続けに鳴り響く砲撃音に顔を向け、龍宗はつかの間、痛みを忘れる。
「なんじゃ……ありゃ……?!」
 荒野に近い凍原ツンドラに舞う旋風。その風すら追いつけない先手をゆく銀と茶の。交錯する二色はだが、決して交じり合うことはない。
空坊くうぼう、だよな……?」
 手刀を振り下ろしていた岩石の身体の坊主は、間違いなく龍宗の知る空坊くうぼうこと、玄空だった。月日が流れても老いる素振りを見せない僧に龍宗は驚かない。
 かつて幼い龍宗が夢燈寺ぶとうじに滞在したとき、目を覚ました龍宗が寺の外で見たのは、大人の胴体ほどもある樹木を素手で”間伐”する玄空の姿だった。「修行の一環だ」と少し照れたように振りかえった月明かりの姿を、龍宗はいまも覚えている。その玄空が風より速く動けても不思議ではない。
「てことはあっちは、銀ピカロイドか」
 茶の影が縦横無尽に駆け、ヒットアンドアウェーを繰り返す。対する銀は、玄空の攻撃を確実に受け止めるが、深追いせずに留まる。まるでシルバーの滝だ、と龍宗は目を見張った。
 玄空が全方位から常人離れした”突き”を繰り出しても、朱凰は必ず、受けきる。ヒューマノイドの足元は地面が削れ、三日月状の跡がついていた。驚くことにそのラインを、玄空は一歩も超えられていない。
「……すっげぇあいつ。空坊くうぼうとまともにやりあってやがる」
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
 鋼鉄すら貫く拳を目前のヒューマノイドは
 それも一度や二度ではない。玄空が数えるに百を超す打ち合いを仕掛けている。どれもが一撃必殺の威力を誇る。
 にもかかわらず、玄空に対峙するこのヒューマノイドは斃れない。
「(背後を庇いながらこの動きかッ)」
 玄空の狙いはあくまでも龍宗の始末。強者つわものと拳をぶつけ合う歓喜は拭えないが、悦びに己の目的を見失うほど玄空は若くなかった。ゆえに、ヒューマノイドの正面撃破を謀りつつ、隙あらば、護られている自覚もないまま呆けている学ランを玄空は狙った。
「ガシンッ!!」
 だがヒューマノイドがそれを許さない。玄空がどの角度から踏みこんでも、必ず、朱凰はそこに立ちふさがった。気がつけば、三日月を描くが如く。拳は毎回、流れる銀の防護壁に阻まれ、足は深くなっていく弧状の土の線を越えられない。
「(これは……護鬼の型デビルズ・ガード)」
 まるで、すべての動きが読まれているかのような虚無感。
 生涯、一度たりとも打ち負かすことができなかった”鬼”のカゲロウを、玄空はメタリックボディに見る。
「(それがわからぬか、タキ!)」
 玄空は憤っていた。攻めるよりも護るほうが圧倒的に不利。それもわからぬ幼子でもないだろうに、呆けている龍宗。そこに留まることが、護る側にとって計り知れないビハインドを負わせると、龍宗は夢にもおもっていない。
「(その愚直さが、己のみならず滅びをまねくのだ)」
 昔から、龍宗は腕っぷしが強いわりに、融通が利く子ではなかった。普通の家に生まれた子ならば、それでもよかった。しかし直線的な物の考え方や行動は、アンダーグラウンド屈指の組織シンジケートを率いていく身に壊滅的である。
「(タキ、おぬしは誠に“鬼”の跡を継ぐというのか?)」
「ガツッ!!」
 人の身体とは異なる音がして初めて、防護壁に綻びができる。ことごとく阻まれた玄空の拳が、ついにシルバーの腕にめり込み、内部構造を圧し、押しつぶしたのだ。衝撃でヒューマノイドの右腕は肩から亀裂が走り、刹那、スパークとともに弾け飛ぶ。その手応えはあまりに人のものと似ていた。
「んぬっ!」
 ヒューマノイドの腕を断ち切ったとは反対の手で、玄空がその首をつかむ。ツルッとした細首にわずかに浮く継ぎ目。人型の機械なら必ず持つ弱点。体勢を崩したシルバーの足を払い、ヒューマノイドを背から地面に叩きつけた。
 熱された金属にジュゥ、と掌が灼けるが、ものともせず玄空が握力を高めていく。ヒューマノイドは窒息しない。だから玄空が狙うは絞殺ではなく、。ヒューマノイドに暴れられば、さすがの玄空も押さえ続けてはいられない。
 玄空が手に渾身の力を込める寸前、ヒューマノイドと目があった。
 苦しも驚きも恐れさえ、読み取れない液晶パネルの偽りの朱眼は、ただ静かだった。
「……ご住職」
 湖面のような穏やかな声に玄空は手を止める。いつでもその首を取れるよう、力は緩めず、次の言葉を待つ。陽が僧の背を灼き、反射したヒューマノイドの肌が目に痛い。それでも玄空は、視線を外さなかった。
「なにか?」
「御寺は人、限定ですか」
 ヒューマノイドの言葉にしばし、玄空は絶句する。時間稼ぎの類いなら即座に切って捨てるところだが、朱い双眸は真剣であると玄空の直感がつげる。
「……拙僧は修行の身。徒弟は求めておらぬ」
 意味の解釈に時間を取られたが、ヒューマノイドが目を伏せたところを見るに、”弟子入りしたい”という意味で正しかったらしい。
「そうですか。ワタシも仏の教えを請いたいのですが、方法がわからず。ご住職ならば、とおもい至ったのです」
「理由をたずねても?」
「ええ、もちろん。ヒューマノイドにも悟りが開けるか……ワタシは知りたいのです」
「……はっ?!」
 僧とヒューマノイドの目が同時に動いた。
「なんじゃそりゃぁああ!!」
 身を焦がす太陽を浴び、汗だくの学ランが口をあんぐりさせていた。

四幕. 後・修行の日々アフター・トレーニングデイズ

ーーー1カ月後。
 寺の朝は早い。陽の出とともに住まう者は動き出す。
 暦のうえでは晩夏でも、樹海に囲まれた山寺は、空が明るくなる前から蝉の合唱が続く。そういう環境で耳に頼りすぎるのは命取りだ。
「コケーココッ……コォッ?!」
 まさに一番鶏になろうとしていた、軍鶏の遺した不審な鳴き声。
 あたかも、”首をつかまれ喉を封じられ”た裏返った声もたちまち、蝉の合唱や、続くまな板と包丁の音に紛れ、気づく者はいない。
「……ふむ。ディナーは久々の焼き鳥になりそうですねぇ。これが命をいただく、ということ。ワタシにもわかってきました」
 ただ一体、裏庭の表、つまり本堂の板間で、正座した銀の人影が消えゆく命の声を聞き遂げていた。「南無」とうつむくその手は片合掌。隻腕の肩には薄茶色の生地が掛けられ、ヒューマノイドの静謐なたたずまいと相まって新世代の高僧のような雰囲気を醸し出す。
 しかしよく見れば、メタリックボディはくすんであちこちに凹みや穴が空き、ところどころ、神経叢らしき紺色の細い線が覗く。すっと立てた左手も、手首が小刻みに振動して時々、小さな火花を散らした。
「それにひきかえボッチャマは、まだ朝に慣れませんか」
 ヒューマノイドが見下ろす先、床では龍宗がスウスウと寝息を立てている。風通しが良いからか、古びた布団に包まって実に気持ちよさげだ。寺に滞在し始めてから、整える余裕もなかったモヒカンがただのロングヘアになって顔に貼りついている。可愛い、とまではいかないが、無防備な寝顔は意外とあどけない。
「おや?」
 ヒューマノイドの〈鳶の目センサ〉が”投擲物”を察知。シグナルを受け取ると同時に、朱凰が片腕を振りかぶる。
 瞬間、茶色の歪な球体が龍宗の頭めがけ、弾丸並みの速度で飛来した。
「カキーンッ……ガシャーン!!」
「わわっ?! なんだ?! また板が外れたのか?!……いてっ」
 瓦の割れる音に飛び起きる龍宗。その頭頂部を屋根の穴から落下した瓦の欠片が直撃する。
「ホームラン目覚まし、といったところでしょうか。眠気は飛んだようですね」
 おはようございますボッチャマ、と頭をさげる朱凰。涙目で睨みつける龍宗を華麗にスルーし、飛来物を打ち返した自身の手首に目を落とす。山で熊を一撃で屠った手だが、手首の大部分からフィードバックが途絶えていた。機功に耐えられるのは、もってあと一回だろう。
「うっす、空坊くうぼう
 龍宗の声に顔をあげると、巨体が歩いてきていた。体躯に似合わない軽い足音で滑るように向かってきている。脇に抱えた木魚が真新しい。
「おはようございます、ご住職。ピッチャーの才覚はご健在ですね。それとバッターも」
空坊くうぼうって野球部だったのか?」
 畳み終えた布団を龍宗が抱え、驚いた顔で問い返した。
「……否。拙僧は学校というものに縁がなく。投げることに関して多少、腕に覚えはあるが」
 合掌し、龍宗と朱凰へそれぞれ頭を下げた玄空が首を横にふる。箸を持つように親指には木魚を叩く棒、バイを挟んでいる。バイは半分に折れ、折れた箇所が鋭くなっている。
「そうなのか。で、きょうは屋根修理?」
 頭大の丸い穴が空いた天井を指す龍宗。青空から降る陽がスポットライトよろしく玄空を照らし、神々しさを与えている。
「それは拙僧が。いつも通り、本寺の清掃をたのみたい。のちはここで座禅を」
「わかりました」
 うなずくなり、朱凰が布団を後ろ蹴り。バランスを崩し倒れる龍宗の放り上げた布団へ、ドスドスと折れたバイが突き刺さり、そのまま貫通して本尊近くの梁に刺さった。
「ゴラァッ! 朝っぱらからなに蹴ってやがるっ?!」
 顔を真っ赤にして拳を振り上げる龍宗の肩をポンポンと朱凰が叩き、「怒らない怒らない。修行ですボッチャマ」となだめる。「ボッチャマいうな!」と盛大にツッコむ龍宗をよそ目に、ヒューマノイドは器用に片腕で布団を抱え上げると玄空に向き直った。
「ご住職、なにか縫うものをいただけますか」
「……拙僧が修繕しよう」
「いえ、それにはおよびません。針でも投げられてはかないませんので」
 布団を奪い合う朱凰と玄空。怪訝な目を向ける龍宗にはわけがわからない。龍宗には”投擲”の瞬間が見えていなかったのだ。これまでの経験から口を挟まないほうが身のためだと察して押し黙る。
 最終的に玄空から布団を奪い返した朱凰が「ボッチャマいきますよ。ボッチャマが掃除しているあいだにワタシは裁縫しなければなりませんから」と先を歩きだした。
「わかったよ」
 朱凰の後を追い、本堂からひとりと一体の気配が離れていく。
 「未熟者は拙僧のほうか」
 袖口に片手を入れ、取り出した手を裏返す。錆びたマチ針が暗殺者の厚い掌で鈍い光沢を放っていた。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
 トンッ、トンッ、トンッ、と踵が小気味よく縁側の板を打つ。雑巾がスーっと光沢のラインを描き、水分はあっという間に引いていく。
 夢燈寺ぶとうじは比較的あたらしい寺だが、その本堂を囲む四辺の浜縁はまえんは数百年の歴史をおもわす深い黒檀色をしている。”焼き討ちに遭った”とか、”住職の鍛錬に耐えられる木材を使った”などと理由がうわさされていたのは龍宗も聞いていた。
 どれも所詮がシンジケート内のうわさ。信憑性のあったものではないが、良い木材であることだけは、雑巾掛けする龍宗にもわかる。鬼宗きしゅうの屋敷の床がこれによく似ていた。
「三周め、っと」
 一辺が10メートル近くある縁側を端まで駆けきり、龍宗が腰を下ろした。伸びた髪は適当にくくって後ろへ垂らし、マゲのようになっている。額の汗を拭いながら龍宗は自分の仕事を満足げに見返した。
 もともと、浜縁はまえんはそれほど汚れていない。龍宗が毎日、拭いているからということもあるが、上質な木材は磨くほど良いつやが出る。夏の終わりの日光を浴びてほのかに輝く板閒は、見ていて気持ちがよかった。
「片づけたらメシだな。あ、座禅がさきか。慣れねぇな~あの静けさ」
 水が満杯の金ダライをよっ、と抱えあげ、スタスタ歩いていく。来たばかりのころは引きずっていたタライも、いまは簡単に持ち上がる。日々の修行が、なよなよしかったツッパリ小僧の身も心も、たくましくさせていた。
「でもここは落ちつく。いろいろ考える時間もできるし、けっこうおれに合っ……」
「隙ありすぎですっ!!」
 縁側の角を曲がったとたん、脛に強烈な衝撃を受け、龍宗の身体がふわりと浮いた。放った金ダライがまるでスローモーションのように前方へ飛んでいく。こぼれる水をきれいだ、と半ば悟ったようにおもえるくらい、この手のに慣れてきた龍宗ではある。
「ガーンッ!」
 タライは見事、足払いを仕掛けてきた朱凰の顔面を直撃し、銅鑼のような音を立てて転がった。盛大にぶちまけた水が拭きたての縁側を濡らし、朱凰の手にあった布団を水浸しにする。
「ボッチャマ、寝具がビチョビチョではありませんか。これくらいの急襲、しのいでもらわないと」
 同じく水浸しの龍宗が呪詛を吐いて立ち上がる。このヒューマノイドには手も足も出ないと散々、身にしみた龍宗だが、ひょうひょうと布団を絞る姿に煽られている気がしてならなかった。
「朱凰……てめぇ……」
 握った拳を振りあげ、ふと布団のツギハギに龍宗の目が止まる。卵大の、古い袈裟とおぼしき布切れが布団のほぼ中央に”目”を作っていた。
「ホントに裁縫してたのか。てか、できたのか針仕事」
 パタンッ、と布団を振り下ろし、シワを伸ばす朱凰。金属の瞼をパチクリさせるが、ショートしたようにぎこちない。
「ワタシは機械マシーンです。学習ラーニングは得意なんですよボッチャマ。よ、夜は冷えこんできましたからねぇ。それに、破れた布団をお使いと御上がお知りになったら、ワタシの首が飛びます」
 そう言って頭部を360度、回し始める朱凰。頭の付け根がバチバチと軋んで、いまにも取れてしまいそうである。
「おいおい、火花とんでっぞ? マジで首とれたらシャレにならんって。ここじゃ修理できねぇんだからよ」
「ほぅ、ワタシを心配してくれるのですかボッチャマ。ご心配なく。少なくとも、ボッチャマが決心するまでは持ちこたえますので」
 と、サムズアップのヒューマノイドに龍宗はツッコむ気にもならない。
「んで……ジジィが帰ってこいって?」
 床を拭き始める龍宗。幸い、雑巾を絞った水はそれほど汚れていない。
「御上はなにもおっしゃってきませんよ。ワタシがSOSを送るまでは。ただ……そろそろな気がしています」
「おれもそんな気はしてた。あのジジィがおれを放っておくわけがねぇ」
「ということは、ボッチャマ。もう心は?」
「いんや。まだだ。まだだが正直……おれはジジィの後なんて継ぎたくねぇよ」
 手際よく濡れた縁側の床を拭きとっていく龍宗。その背中を見下ろし、ヒューマノイドがわずかに目を見開いた。
 このごろの龍宗はずっとタンクトップだ。寺に来るまでこだわっていたのファッションはすっかり、鳴りをひそめている。最初の戦闘で破れたファッション学ランを返すときは訪れないかもしれない、とヒューマノイドは予測する。
「御上の力は絶対です。あの御方が地下組織を平定したおかげで、秩序が保たれている。近ごろは御身体が心配ではありますが……ボッチャマがいらっしゃれば安心というもの。ですから、そのボッチャマが後継者を放棄するということがなにを意味するか、おわかりですか」
「ああ、そんぐらいはわかってる」
 床を拭き終えた龍宗が背を伸ばした。朱凰と並ぶと頭半分、身長が高くなる。ひと月あまりでが十センチ近く背が伸びたことに、龍宗は気づいていない。タライを拾うその身の熟しが向上したことも自覚していないのだろう。
「ジジィがすげぇのはわかるよ。まちがいなく化けもんだ。地下の連中をぶっ倒しながら、おふくろが逝ってからはおれの面倒をみてたしな。まぁ、あのやり方にゃ文句は言いてぇがよ」
 コンッ、とタライを叩いて龍宗が庭に目を向けた。夢燈寺ぶとうじを囲う塀のむこうに樹海の緑が覗く。
「だからおれは、”鬼”の後は継がねぇ。必要悪だってジジィはいうがな、ああいう、どんな手でもつかう連中とおなじになるつもりはねぇし、率いるなんてまっぴらだ」
 いつしか見あげる位置になった吊り目が、逆に問い返した。
「おまえはどうなんだよ? 悟りってやつは開けそうか?」
「ウソに決まってるではありませんかボッチャマ」
「ウソって……おまえ、空坊くうぼうに言ってたじゃ……いてぇっ!」
 カンッ、と朱凰の手刀が龍宗の脳天を打つ。
「悟りとは、そのように得ようとして会得するものではありませんよ。涅槃ねはんを売り物のように言わないでくださいボッチャマ。頭の悪さが露呈しますよ」
 朱凰は自分のにも龍宗が身を守れるよう、護身術代わりにとちょっかいを出し続けた。そして際限なく奇襲を仕掛ける夢燈寺の住職のおかげで、龍宗の勘も鋭くなってきている。すべてを偶然とよぶには奇跡的すぎる積み重ねだが、結果的に龍宗は成長した。
 雇い主の、龍宗によく似た、したり顔がSPの思考をよぎった。
「じゃあなんだよ? おまえがそんなんなってまで、ここにいるわけはよ?」
 頭を抱え、龍宗が朱凰の手をアゴでしゃくる。つられて見下ろした朱凰は残った左手が断線し、いまにも取れそうになっていることに気づく。
「ボッチャマ、ワタシは貴方をお護りするため……おやっ?!」
 刹那、〈鳶の目カイト・アイ〉が間近に迫る巨大な人影を警告。
 だがセンサ類の消耗が進んだせいで、検知が遅れた。布団をすぐさま広げ、対応をシミュレートする。
 そのとき、草履が板を静かに踏んだ。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
「先刻の決意は真意か……タキ?」
 ぬっと、正面に現れた夢燈寺の住職、玄空。仁王立ちする岩の手には座禅でつかう警策けいさくが握られている。垂直に立つ日光を反射したその”板”が、ただの仏具ではないことをサイドに刻まれたが示していた。
「おうよ、空坊くうぼう。また物騒なもん持ってんじゃねぇか」
 平然と笑う龍宗。その清々しい顔に、朱凰がLCDいっぱいに目を見開く。
「……ボッチャマ? 刺客に気づいていたのですか?!」
「いい加減ボッチャマいうなって。寺にゃ三人しかいねぇんだぜ? こんだけいろいろやられりゃ、おれでも気づくって」
「ならばなぜ逃げぬタキ? この者がおれば、不可能ではなかろう?」
 黒曜石のような目に射すくめられ、朱凰は布団を広げたまま「恐縮、至極」と会釈した。
「うれしいんかい、おめぇは……まぁ、にげようとはしたぜ? あんたが『新型の量子クォンタムコンピュータユニットを買ってくる』ってお山を降りた日な。でもよお、こいつに引っ捕まっちまってな」
 と朱凰を目で指す龍宗。汗の雫が灼けた顔を流れていく。
「そりゃもうこっぴどく絞られたぜ。ジジィか!っておもうくらいにな。『自分が”本当はどうしたいのか”、はっきりしないならいっそ死んでください』だとさ」
「貴殿がそのようなことを……?」
 夢燈寺ぶとうじに来てからというもの、龍宗は相変わらず隙だらけで優柔不断だった。SPたる朱凰がいなければ一刻たりとも下手人の手を逃れられない、巨大地下組織シンジケートの次期後継者にはおおよそふさわしくないヤワな若者。それならばと、葛藤の末に玄空が手を下す決意をした甥同然の子。
 その心変わりに驚きが顔に出たのだろう。一度も見せたことがない住職の表情に、ヒューマノイドが胸を仰け反らす。
「仏門を学ぶかたわらのアルバイトのようなものです。ですがご住職、ワタシにはあと一歩、ようだ」
 鉄のまぶたが動く。開いたヒューマノイドの目に刹那、僧は在りし日の友の目を見た。守護者のものではない、その鬼のような黒眼。
 これに捉えられた者はけっして、逃れることができない。
 ならば、に自由など、あるはずもない。
「……そう、だな。貴殿にはひときわ遠大な”煩悩”があると見うける」
 静かに目を閉じ、僧は深く息を吸いこんだ。晩夏の空気の匂いと古い木材の匂い。蝉の歌う森は聖域のごとく寺をつつむ。
「であるなら、拙僧が落として進ぜるのみッ!!」
 刹那、玄空が踏みこみ、警策の刃を一閃。軋むことさえなく、摩擦で床板を焦がす突進を守護者ヒューマノイドは片腕のみで受け止めた。
 一秒にも満たない交錯のなか、刺客はたしかにうなずく朱眼を見た。それは煉獄のごとき烈火であり、迷いのいっさいを持たない鋼鉄の意志。他人ブラックではない己を示すスカーレット
 鮮やかなる目はされど、あたかも安寧に達した達者のような微笑みをたたえていた。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
 迫る草履を、とっさに構えた金ダライで一応、遮る。
「うごっ……?!」
 それでも弾丸のように弾かれていく身体。予備動作のない蹴りには慣れたつもりの龍宗だが、今回は本気の度合いが違うらしい。
「いってっつつ……」
 大穴の開いたタライを脇に投げ、ついさっきまで立っていたほうへ龍宗が目をやった。
「なんでだよあいつら!!」
 本堂の外で繰り広げられる戦闘を、龍宗はただ眺めるほかない。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
「〈狂鬼バーサーク〉モード、開放」
 つばぜり合いから距離を取った朱凰が、落武者のようにゆらりと、ボディの力を抜く。最早、役に立たない左手を、アゴと肩で挟んで自ら引きちぎった。
「それが貴殿の……”覚悟”、か」
 膨れ上がったの殺気に玄空は警策を上段に構え、全神経を集中させる。オッドアイとなった幽鬼からはもう、一瞬たりとも気を逸らせない。わずかなミスが命取りになると玄空の直感が最大級の警告を発している。
 引きちぎった自分の手を無造作に放った瞬間、銀のボディが消えた。
「ぬぐっ?!」
 背後をかすめる風の気配。ほぼ勘のみによって警策を背へ回し、不可視の一撃を寸でで防いだ。
 たった一撃。その一撃で玄空の腕は、戦車砲を受けたように痺れていた。
 ガラ空きの脇と腹。必ず来る次の一撃を凌ぐため、玄空は警策を放棄。代わりに、いつかヒューマノイドが龍宗にした後ろ蹴りを見舞う。
 だが、玄空の草履は空を切った。軸足だけで立った玄空の視界から、またも朱凰の姿がかき消える。
 寸刻、間近に迫るシルバーメタリックの頭。その双眸は赤みがかった黒。
「ドゴーンッ!!」
 狂鬼バーサーカーの頭突きが、僧もろとも本堂を瓦礫の山にした。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
 刺客は護衛対象に。それをトリガーに、ヒューマノイドは殺戮機械キル・マシンへと変わる。
 プログラムされたスイッチは、絶対服従の命令アドミニストレータオーダー。目標はただひとつ。護衛対象デーモンズサクセッサーに害為す者を滅すること。
 ヒューマノイドの意思が違おうとも、創造者アドミニストレータは意に介さない。ゆえに背後から止めるボッチャマにヒューマノイドは従えない。
 なぜなら、青年はまだアドミニストレータではないのだから。
 ∞ ∞ ∞ ∞ ∞ 
空坊くうぼうぉっ!?」
 身体の痛みを脇に押しやり、龍宗が本堂へ駆けよっていく。堂々とした造りの社寺は見る影もなく廃材が散らばる。立ち込める煙に動く影はない。
「まて朱凰……っ。もういいだろっ! 止まれって!」
 屍のように足を引きずって廃材の山へ向かう壊れかけたヒューマノイドを、龍宗は羽交い締めにして引き留めようとする。が、ふだんから朱凰には手も足も出ない龍宗だ。狂鬼バーサーカーと化したヒューマノイドはしがみつく龍宗を払いのけもせず、切れたホースのような人工筋肉や、歪んだCCカーボンカーボン骨格を覗かせた脚でひたすら前に進む。
 色のない風がふっと、一体とひとりの間を吹き抜けていった。
「もう秋ですね……タキムネボッチャマ」
 瓦礫の煙が風で晴れた瞬間、太い梁が射出。
 それが袈裟の破れた玄空であると龍宗が気づいたのは、擦れ違いざまに玄空があとだった。
「す……おう……?!」
 額が大きく凹んだメタリックの頭。玄空がわしづかみにしているその首から流れ出るものはなく、まるでただ頭部パーツが外れたような鋭利な切り口をしている。刃こぼれした警策を投げ捨て、玄空は目を瞑る。
「朱凰っ!!」
 テコでも動かなかったシルバーのボディが糸が切れたように崩れ落ちた。支えようとし、龍宗が重みにうめく。
「こ、こっちでしょ、う、ボッ、チャマ」
 人を小馬鹿にしたような聞きなれた声に、ボディを放って駆けよった龍宗。朱凰は狂ったようにまばたきを繰り返す。「失礼」と片合掌した玄空が暴走する瞼を押さえた。
「たす、かります、ごご、じゅうしょく」
「なんでだっ空坊くうぼうっ?! あんたのねらいはおれだろうがっ!」
 ボッチャマ、と口を開こうとした朱凰を遮り、玄空が睨めつける龍宗を見下ろす。
「タキ、いまになっておぬし、この者の死を悼むか。それを願っておったのは、ほかならぬ、おぬしであると拙僧は思慮していたが」
「……ああ、そうだよ。こいつが死んだら、おれは山を下りられる。とっとと壊れりゃいいっておもってた」
「さ、さすが、ボッチャマ。一応、まだ死んでは、いません、が」
 笑おうとするヒューマノイド。だが音がうまく出ない。
「お見通しだった、ってわけか銀ピカ……でもおまえのおかげで、おれは決心がついたぜ?」
 さっと、龍宗が玄空を睨んだ。
「玄空! おれはあんたを許さねぇ。ぜってぇ朱凰の仇をとってやる」
 己を見上げるは、親譲りの黒の双眸。”鬼の子”として育てられたその目は、たしかに人ならざる威迫の欠片が宿っている。
「(だがまだ間に合うかもしれぬな)」
 龍宗の目は怒りだった。黒眼に映る手負いの僧のかつてのように、湧き出る憤怒。まだ本当の復讐を知らぬ純粋な激情。
 それなら、僧に心得はあった。
「ならば若僧よ……修行をつづけるか?」
 朱凰の首を差しだし、
「この者には通信機がついておる。破損率が一定値を超えれば、連絡がいくのだろう……おそらく鬼にな」
 と推測する玄空の言葉を裏付けるように、朱凰の目が消失。
 次にヒューマノイドが発した声は、聞く者をゾッとさせる氷のようなしゃがれ声だった。
「『……わしの技能複製アビリティクローンを全壊さすか、玄空よ』」
「ジジィ……」
 漏れそうになった龍宗の口を塞ぎ、玄空が静かに答える。
「鬼、貴様のコピーはたしかに上等であった。オリジナル以上にな」
「『戯け。それで、わしの継嗣けいしはどうだ?』」
「死んだ、鬼。貴様の世はおわりだ」
「『ばかなっ?!……玄空、さてはキサマだなッ!! ゆるさん、ゆるさんぞっ!! わしの手で』……おっと通信がき、切れたようです」
 鬼の声がブツッと途切れ、ヒューマノイドの目に色が戻る。その色は薄い。
「ご、ご住職……ボッチャマをたのみ……ました」
「心得た。貴殿にとこしえの平穏が訪れんことを」
「まてよ! おまえ、悟りをって……」
 ヒューマノイドの目に一瞬、輝きが宿った。朱眼はどこをも見ておらず、鉄の口元がただニヤリとした。
「ボッチャマ……まだ修行が……たりません……よ」
「朱凰?!」
 朱い目がすーっと色を失い、かすかにしていたモーター音も消えていく。
 武骨な指でシルバーのまぶたを閉じ、肩を震わす青年に僧が語りかける。
「拙僧がここで弔おう。タキ、おぬしは山を下りるがよい。セーフハウスを目指せ」
「……いや」
 ゴシゴシと目を拭う龍宗。玄空を見あげた目は赤い。その目は、いつかの守護者ヒューマノイドに似ていた。
「おれは逃げねぇよ。あんたをるのはおれだ。ジジィにも手だしさせねぇ。だから……あんたも来るんだ」
 決意に満ちた目。泣き腫らした目はそれでも黒い。だが、迷いの色はない。
「朱凰はおいていく。くやしいが、おれたちは追われるからな。こいつならそう言いそうだし」
「ならば首は拙僧がもつ。鬼宗に情報は渡したくないのでな」
 事切れたヒューマノイドの頭部を脇に抱え、僧が歩き出した。一度だけ本堂を振りかえり、龍宗がすぐさま後を追う。
「なあ。あんたの拳法はなんだ? あんなの見たことねぇぞ……いてっ」
 朱凰の首で龍宗の頭をコツンとやる玄空。
「おぬしも僧になるなら言葉づかいに気をつけることだ」
 あんたみたいな坊さんはいねぇよ、と横で頭を抱える龍宗。
 死闘を繰り広げた好敵手ヒューマノイドを見下ろし、ふと僧が閃いた。
「拙僧のこれは……機功拳きこうけん、という」

(完)

文字数:19272

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