となりの女206号 -ひとり沼地で目からビームを出すかベランダでパンツを干すか

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梗 概

となりの女206号 -ひとり沼地で目からビームを出すかベランダでパンツを干すか

同じ誕生日のぼくと珠美は20歳の誕生日に、海辺のアパートを見つけて二人で一緒に暮らすことにした。その日の夜中に目覚めると、珠美は窓際に立って遠くを見ていた。ぼくが後ろから彼女を抱きしめると、彼女もぼくの手を握りしめた。

月が海を照らすだけの暗闇。小さくカタカタという音。遠くで光が炸裂して暫くしてからポンポンと音。途切れる無線から女の声。「206号任務完了」

次の日の朝、部屋から彼女の姿は消えていた。ベランダにパンツ一枚と、冷蔵庫の「わたしをさがして」と書いたメモだけが残されていた。ぼくは彼女の知人や家族の連絡先を知らされていなかったが、一日中、ただ近所を歩き回って彼女を探した。この街は壊れた建物がいくつもあることを不思議に思う。その日の夕方、空き室だった隣の206号室に引っ越しがあった。引っ越してきたのは珠美だった。

しかし彼女はぼくと初対面の挨拶をするので、ぼくも「よろしくお願いします」と答えた。髪の毛が金色になっているが、間違えるはずはない。彼女は、ぼくの「習志野高校:今野」という布が縫われたジャージを着ているのだ。これは彼女が始めた罰ゲームかと、数日は他人のふりをして楽しむが、本当に彼女はぼくのことを知らない。ぼくは彼女を尾行する。仕事を辞め、ずっと彼女を追いかける生活となった。次第に彼女のことがよくわかった。家族のこと、仕事のこと、離婚をしていること、好きな音楽、映画、食べ物。ぼくは珠美のことを何か知っていたのだろうか。次第に追跡している彼女に惹かれていく。たまに会うと、隣人としての挨拶をするようになった。ある日、彼女に新しく彼ができ、彼と結婚をして引っ越した。ぼくは仕事をみつけ、そこで知り合った女性と結婚し、子供をもうける。しかし、まもなく離婚をして、子供も彼女と一緒に去る。ぼくは40歳になっていた。

暗闇の戦場で軍隊はおもちゃの兵士の行進のように進んでは敵に撃たれる。206号が現れて敵を倒す。戦いで彼女は大怪我をするがカプセルに入って眠る。

長い間空き室だった206号室に引っ越しがあった。そこに引っ越してきたのは珠美にも、前に住んでいた彼女ともそっくりな女性だった。ただ彼女は車椅子に乗っていた。やはり毎日働きに出る彼女の後を追い、隣人としてぼくは親しくなっていく。ぼくは彼女たちのことを想う。

暗闇の戦場で玩具のように兵士が倒れ戦闘機も戦車も沼地に沈んでいる。206号も瀕死の重体となるが、何とか敵を退けた。
「毎回、休暇はどちらへ?」カプセルの音声は206号に訊ねる。
「いつもベランダでわたしは、パンツを干しているのよ」
「おやすみなさい。206号」カプセルは、206号が目を閉じてから窓部へ敬礼の画像を写す。

80歳になったぼくは自分の車椅子を運転し、先に海辺にいる彼女の後ろで一緒に海を眺める。目をこらせば、違う物が見つけられるかのように。ぼくは彼女に手を伸ばした。

文字数:1199

内容に関するアピール

むかし、小さな動物園で迷子になったことがある。ほんの少し困っただけで、すぐ前に母親がいるのに気づいたが、母親は別の子供の手をつないでいた。そして、その手を繋いで歩く親子をぼくは追いかけた。
 小さな空飛ぶ飛行機の乗り物や、回るコーヒーカップに乗ってはしゃぐ二人を遠くで見つめ、象や猿の檻では、殆ど真後ろに立って二人の後をつけた。5歳だったぼくは、あれは母に似ている人が、自分の子を連れているのだと分かったのだけど、その二人を追うことを止められなかった。次第に、本当はあの人はやはり母で、隣に一緒にいるあの子こそ本当の自分なのだと思えてきた。常にどこかしら体を触れあい、お互いの顔を見ながら笑い合っている親子。それから、どうやって動物園で母親と会えたのかはよく覚えていない。だけど親戚が集まる折に、母親が動物園でぼくが迷子になった話をするのを聞かされると、そこに何か大切な事が抜けている気がするのだ。

文字数:398

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206号の告白

🌝

1.きみは冬の冷たい夜に目が覚めた。
 それはきみと同じ誕生日の珠美が20歳になった日。海辺の街の部屋で一緒に暮らし始めて一ヶ月が経った日。誕生日と結婚記念日を二人だけでケーキとビールで祝った日。きみは冬の冷たい夜中に目が覚める。珠美がスリップ一枚で、まだカーテンの付いていない窓辺に立っている。珠美は遠くにある物を必死に探すように窓の向こうを見ている。きみは起き上がって、そっと珠美の後ろに立つ。きみは後ろから珠美の背中にぴったりと体をつけて抱きしめる。珠美が小さく震えているのがわかる。きみは腕を後ろから回して珠美の手の甲の上に掌を乗せる。珠美はきみの手を外して、またきみの手に自分の掌を乗せる。そして、きみの指と指の間に自分の指を入れる。彼女の掌は濡れている。彼女が震えているのは冷たい夜のせいではない。彼女は泣いているのだ。きみが彼女の首筋に唇を寄せると、そこは二人の匂いがした。

🌜

2.沼地には雪が降っていた。
 満月が雪の降り積もる草地と水地を照らす。雪は絶え間なくゆっくりと草地に降り立ち、ときおりシロカモメが群れをなして雪と一緒に水辺に舞い降りていた。沼地を行進するたくさんの足音が聞こえる。インカムをつけている男が指示をしている。「二小隊と六小隊は左へ廻れ。B班は横隊を広げて進め」急に近くで爆発音がして、沼地が揺れる。シロカモメたちはいっせいに飛び立つが、固まって魔法の絨毯のような形になる。彼らはみなどの方向へ飛び立てばいいのか迷い、絨毯の周辺だけが激しく動いていた。ロケット弾がいくつも沼地と兵士の体に炸裂した。行進していた足音は止まり、インカムをつけていた男も倒れている。「くそっ。おまえのターンだ。」と、沼地に向かって話した。沼地の遙か彼方が燃え上がると、その炎は導火線のように、左から右へと広がっていった。砲弾も止み、暫くするとシロカモメたちはまた、雪とともに沼地にそっと舞い降りた。男の頭から外れたイヤフォンから女の声が聞こえる。「206号、敵迎撃部隊を撃滅。任務完了。本体へ帰投」
 しかし、この沼地にはその206号という女の声を聞ける者は、もう一人も立っていなかった。声の主もそのことを知っているようだった。

🌝

3.きみが朝起きると、珠美は隣にいなかった。
 よく晴れた日で東向きの窓から、珠美のパンツがどこかの国旗のように堂々と真ん中に干されているのが見える。珠美が連れてきた雄猫の久太郎も部屋のどこにも見つからない。冷蔵庫には下水道修理のマグネットと珠美が指ハートをした写真が貼られている。その写真には珠美の字で「ずっとわたしのそばにいて」と書いてあった。きみは彼女の持ち物を見ては、何も無くなっていないことに気づく。お金も携帯電話も服も靴さえも、家に珠美の持ち物全てが残されている。この家から消えたのは珠美と猫本体だけのようだ。きみは彼女の知人の連絡先を一つも知らない。冷蔵庫から靴箱まで家の全ての扉を開けて中を食い入るように探してから、ようやく家の扉を開けてきみは外へ出る。

きみは珠美に関係がある唯一の仕事場所へ向かう。二人で住む場所を決めた理由のひとつが、珠美の仕事場所がここの海辺の街にある軍隊の駐屯所があるからだった。きみは自転車の後ろに珠美を乗せて何度か駐屯所へ行ったことがある。駐屯所は住宅区から川沿いの自転車道を川上に15分ほど走り、干潟沿いにある遊歩道を5分ほど走った森の中にあった。干潟には毎日、白く小さな渡り鳥が飛び交っている。きみは駐屯所の歩哨に珠美の名前を伝え、彼女が来ていないかを聞く。歩哨は歩哨所に入りどこかへ電話をかけて長い間話をしている。一端電話を切り、歩哨所の扉を開けて、中からきみに伝える。「ただいま確認中ですので、暫くお待ちください」

きみは、窓越しに彼の妙に緊張した顔つきを眺める。その間も軍用車のトラックが何台も駐屯所を出入りし、その度に運転手も歩哨も敬礼をし合っている。軍用バイクが外から歩哨所にやってきて、中にいる歩哨と長く話をしてから、駐屯所の中へ入っていった。歩哨が出てきてきみにこう伝えた。「今野陸曹長は、本日はまだ勤務に就いておりません」

「曹長だったの?二十歳なのに。もしここへ来たら、ぼくに連絡を」ときみは、そこまで口に出すが、続きを口にして電話番号を書いて渡すことは止めにする。歩哨はきみの顔を見ずに、辛そうに森の方を見ていたからだ。ライフル銃を持つ指にも力が入っていた。「そうですか。わかりました」きみは軽く頭を下げて、自転車に乗って来た道を帰る。後ろでは歩哨兵がきみをずっと見ていて、きみの姿が森の中に消えるまで敬礼をしていたことに、きみは気がつかない。

きみが次に向かった警察署の中は、暖房がとても効いていて、シャツ一枚になっても暑く感じる。机の前には、きみの二倍くらいの体重がある女性警部補が座っている。

「わたしはこのカカオ工場の匂いがする街が大好きなの」ホットココアとフォンダンショコラをきみに勧めて、きみが書いた書類を見ながら女性警部補は言う。「きみは、この匂いは好き?」
「ぼくは、毎日カカオ工場で働いているんです」きみは、何も口にする気にならず、相手に不機嫌さが伝わるように答える。「でも、こんな匂いがする街は絶対好きになれません」
「ふうん」女性警部補は、とろけて出てくるチョコレートを幸せそうに口に入れる。「まあ、よかったじゃない。わたしなら、何でも聞いてあげるよ。きみの書類が不揃いでも、奥さんの情報が何もなくてもね。結婚の届けも出していない彼女と全くの他人の関係のきみの話を聞いてあげる。わたしは好きよ。恋人がいなくなった。妻がいなくなった。って、そんな安っぽい話。大好き。きみ、食べないの?」きみは、フォンダンショコラの皿を女性警部補の方へ少しだけ押すと、彼女は素早く皿を手前に引いて言う。「きみは、映画はすき?わたしはミステリ映画が好きで、毎日二本は見ている。映画で女がいなくなった。と言って警察に届けるパターンの話の100%は女に会えない。そして、85%は女が死んでいる。そして、またその85%は男が犯人だよ」女性警部補は、きみを挑発するように組んだ足を揺らして言う。「もちろんこれは映画ね。現実はとてもとても平凡。女はただ、別の場所で暮らしているだけ。だからこういう捜索願を提出しても」女性警部補は、きみの書いた捜索願を左手で持ち上げる。「特別の捜査はできない。万が一、パトロールで見つかってもね。『捜索願が出ていますよ』と本人に伝えるだけ。わたしは恋愛映画を毎日見ているのだけど」右手ではフォンダンショコラを丁寧に切って口に運ぶ。
「毎日見ているのは、ミステリ映画でしょ」きみは、女性警部補が二つめのフォンダンショコラを簡単に食べきるのを感心しながら言う。
「ミステリ映画の100%が恋愛映画なの。いい?もう数千本の恋愛映画を見てきたけど、どの男も、その女でなければいけない理由なんてない。どの女も、相手がその男でなければいけなかった理由をわたしは納得したことがない。ね、そうでしょ。きみも、結婚相手が世界中の女の中でこの珠美っていう子でなければいけない理由はないでしょ」女性警部補はフォンダンショコラを食べ終わったあとにココアも飲み干して勝ち誇ったように言う。
「最近の警察は、そんな質問をするんですか」きみは不満げに言う。
「するはずないでしょ。でもわたしは知りたいの。いいでしょ。で、世界中の女と比べて彼女のどこが良かったのか。ひとつでもあったら教えてよ」女性警部補は、きみが持ってきた珠美の写真の上を右手の人差し指の先で何度もくるくると円を描いた。
きみはすぐにこう言う。「珠美は手と足の指がとてもとても長かったんです。指が長くて、全ての指の第一関節を床につけたまま、第二関節を高く持ち上げて、四つん這いになって歩けるんです。あの。もう、イグアナのように」きみは勝ち誇ったように、女性警部補を見る。
「へえ」と女性警部補はきみの顔を感心したように見つめて左側の唇の端を上げて言う。そして左手のとても長い指でメモをしている。

きみが警察署から出ると、陽が落ちはじめていた。遠くに見えるオレンジ色に染まる工場から、カカオを粉砕し圧搾する際に出る強烈なカカオ臭が漂っていた。その匂いのせいだけでは無いが、きみは顔をしかめて自転車に乗る。自分のアパートの下に駐輪をすると、もうすっかり周りは暗くなっていた。きみは部屋の扉をゆっくりと開けて、しばらく立ち止まったが、家の中には誰もいなかった。

夜の沼地を猫が歩いていた。それは、珠美が飼っていた久太郎と同じ右後ろ脚を引きずった、脚の下だけが黒靴下を履いているような白猫だった。きみは「久太郎」と呼ぶが猫は、聞こえているのか尻尾だけを振って、沼地を前に進む。きみが久太郎を追いかけようとすると、どこからか、「パンパンパン」という狙撃銃の音がして、久太郎の体に穴が開いて吹き飛ばされる。きみが久太郎に近づこうとすると、周りは体のいたるところに穴の開いた兵士が泥にまみれて倒れている。気づくときみの足の下にも顔の半分が無くなっている女兵士の死体があった。グォンと音がして、きみの意識は後方へ吹き飛ぶ。

きみは冷たい夜に目が覚めた。
 それはきみの彼女であった珠美がいなくなった日の夜だ。きみは夢を見ていた。きみが見る夢は子供の頃から嫌な恐い夢だ。現実感がない、風景がぼんやりと霞んだ夢だった。しかし、夢の間もあのカカオ臭を強く感じた。あの匂いはカカオの匂いではないのかもしれない、ときみは考える。きみはベッドから起き上がり、窓辺に立つ。遠くに何か見えないかと目を凝らす。あのカカオの強い匂いは今日の夢で見た人が死んだときに出た、あの匂いなのだと想像する。そして両腕を前に回して、きみは体の前に誰かがいるように腕で輪を作る。

きみが朝起きると、空き室だった隣の206号室から引っ越しをしている音が聞こえる。珠美を探すため、チョコレート工場へ仕事をしばらく休むことを直接伝えに行こうと、きみは支度をする。そして冷蔵庫の前に貼った写真が無くなっていることに気づく。きみはとても慌てる。支度をした鞄をひっくり返し、中身を放り投げる。彼女が使っていた小さな机の引き出しを乱暴に開け、また中身をすべて放り投げる。机の上の物もすべて放り投げる。冷蔵庫の周りを調べて、冷蔵庫の中身をすべて外へ放り出す。かがんで冷蔵庫の下を探すが、冷蔵庫をおもいきり押し倒す。大きな衝撃音がすると同時に、部屋の呼び鈴が鳴る。

4.ドアを開けると、そこには珠美が立っていた。
「今日、隣に引っ越してきた今野です。今、取り込み中でしたか?」と彼女は部屋から大きな音がしたことを気にかけてそう言い、きみにチョコレート詰め合わせの箱を渡した。きみは、口を開けて何かを言う寸前に、彼女の姿をもう一度眺める。髪の毛が見事に青く染められている以外は珠美の顔と全く同じ背格好だ。何しろ間違いないのは、その前に立っている「今野」ときみと同じ苗字を名乗った彼女が着ているのは、きみが高校時代に着たジャージの上下だった。そして、上下共にきみの字で「習志野高校:今野」と書いた布が貼られていた。

「同じ苗字なんですね」と彼女は、今きみに初めて会ったという挨拶をしてくる。
「はい。ですね」きみは、嬉しくて普段より高い声で答えてしまい、そして彼女を見て微笑む。
「16号のチョコレート屋で働いてるの。それ、お店のだけど」と、照れながらきみに渡した店のチョコレートを指さす。
「はい」
「これから、よろしくお願いします」
「はい」きみは、ずっと彼女の顔をみつめたまま、今野さんが引っ越しの業者と一緒に部屋に入っていくのを見ていた。きみは外に止まっているトラックの運転手に聞く。「この引っ越ししてきた人。今野、の下の名前は何て言うのですか?」運転手は怪訝な顔をして言う。「何?ちょっと。そういうのは教えられないよ」しばらくすると、引越し作業員が二名、トラックから荷物を下ろしにやってきたので、きみはまた聞く。「すいません、越してきた今野さんの下の名前を教えてくれますか?」すると、運転手が間に入って「だめだめ、この人に教えちゃいけないよ」と言うので、作業員の二人もきみのことを無視して荷物を運び出す。きみは平然として漫画を読み出す運転手を見つめると、運転席の扉を開けて、男の読んでいた漫画を払い落とす。男は、運転席から降りてきて、きみの鼻先を思いきり殴る。後ろ向きに倒れたきみを無言で四回踏み潰して運転席に戻って漫画雑誌を読み出した。

きみは鼻の穴に血の滲んだティッシュを入れたままオリーブ色のサイクリングバックを背負って自転車をゆっくりと漕ぐ。干潟に集まる鳥たちを見ながらゆっくりと川沿いにあるカカオ工場へ向かった。工場の塀には「命に至る門は狭く、その道は細い」と落書きがしてある。しばらく門から、工場を見つめている。カカオ圧搾機の「ガシャン、ガシャン」という重たい音が響く。夜勤を終えた数人がこちらへ歩いてくる。きみはひとりの年をとった男に声をかける。

「ここのカカオの匂いって、人の死体の匂いに似ていると思いませんか?」
「え?死体の匂いは知らないけど」男は答える。「慣れると、何でもないさ。あんた、新人かよ」
「どのくらいで慣れるんですか?」
「え?人によるね。俺は一週間で何も感じなくなった。むしろ、この匂いを嗅がないとさ。落ち着かないね」
 男は突然思い出したように、きみに聞く。「え?あんた、なんで死体の匂いを知ってるわけ」
 しかし、きみはもう自転車でカカオ工場を出てしまう。きみは自転車を漕ぎながらボトルゲージから水筒を取って水を飲む。鳥が舞う干潟沿いの道を全力で走っている。時に前を走る違うサイクリストやすれ違うランナーに驚かれても速度を緩めず、落ち葉溜まりをタイヤが踏む音を響かせて懸命に自転車を漕いで森の中に入った。

きみは昨日行った駐屯所の歩哨と話すと、今日は建物の奥から軍隊仕様のジムニーが、きみを迎えにやってくる。運転席に乗った軍服に軍曹の階級章をつけた女性がサングラスを外すと、昨日警察で会った女性警部補だった。顔と制服に血しぶきがついていた。

きみは駐屯所の暗くて長い廊下を軍曹に後ろについて歩いている。奥まった場所にある一室に案内されると、床に絨毯が敷かれ、紅い遮光カーテンにカッシーナの革張り椅子、ガラステーブルが置かれ壁にはパウル・クレーの風景画かもしれないような絵が飾ってあった。

きみは座り心地の悪そうな椅子に隣り合わせで座らせられる。顔と制服に少しだがはっきりとした血しぶきがついているのに、さわやかな表情をしている軍曹に気をつかって血のことは聞けない。

「何で警察と軍隊、両方にいるんですか?」
軍曹はそう言われ慣れているのか、すぐこう言った。「あ、妹に会ったんだ。あいつ、どうだった?」
きみは暫く考えをめぐらし、「ああ、ああ」と、いろいろなことに合点がいったと、さらに続けていった。「ああ、ああ」
「あっちにいる少し痩せている方は双子の妹。もう少しセクシーな方がわたし」と軍曹はにこにこして、自分ときみのグラスに酒を注ぐ。「カカオ酒だから、健康にいいんだ。きみ、20歳でしょ」
きみは軍曹のペースに入らないように強く言う。「珠美のことで来ました。何かあったんじゃないかと」
「よく知っているよ。」軍曹はよく味わうようにしてカカオ酒を飲む。「曹長のことは」
「あなたよりずいぶん年下ですよね、珠美は。あなたが妹を知っててよかった。実は写真も無くしてしまって」
「妹から預かってるよ」軍曹はきみに写真を見せる。「これね。これから曹長はわたしが探すから」
きみはどうしてここに写真があるのかを驚くより、また珠美に会えたように喜んで写真を受け取ろうとするが、軍曹は写真をテーブルに押さえてきみに渡さない。
「今朝不思議なことがあったんです」きみは伸ばした手でグラスを握る。「となりの部屋に珠美にそっくりな。でも本当は。本当はあのひとは珠美本人だと思っているのですが。そっくりな人が引っ越してきたんです」
軍曹はグラスを置いて、興味深そうに4色ペンを取り出してメモをとろうとする。「へえ、そっくりなんだ」
「でも、髪の毛が青いんです」ときみが言うと、軍曹はペンの色を青にして、写真の髪の毛の部分を青く塗る。
「こんな感じか。うん。青なのか」軍曹は自分で青く塗った写真を見つめて続けて言う。「わたしが、この事件ともいえない件できみに聞きたいのはさ」
「はい」
「きみは本当に曹長を愛してた?」
「もちろん」
「へえ。じゃあさ、わたしのために、セックスでも何でもいいから、曹長といっしょにいて楽しかったことを教えてよ。ひとつでいいから。わたしがきみの曹長への愛を採点してあげるから」
きみは思い出す。最初に珠美とあった夜のこと。「はじめてデートをした店でダンスタイムになったけど。ぼくは何も踊れなかったので、周りの踊りを見ながらホットチョコレートアイスクリームを食べていたら」
「それ、熱いの冷たいの?グラスのホットチョコレートに入っている冷たいアイスなのか、皿の上の冷たいアイスクリームにホットチョコがかかっている方なのか。そういうのが気になる」
「そこはいいでしょ。で、珠美がやってきて、ぼくに踊りを教えてくれたんです」きみは、不器用だけど真剣に説明をしようとする。
「そしてマイムマイムを踊りました。店にそんな音楽はなかったから。珠美が歌ってくれて。二人だけで踊っていたら。しばらくすると、店中のお客さんと店員みんなで手を繋いで踊ったんです。マイムマイム、マイムマイム」
「へぇえ」軍曹は少しの間きみの顔をみて、それから何かをメモをしながら言った。「やるじゃない」
「ここで、おどりましょうか」
「いや、それはいいから」
きみがソファで腰を少しずらすと、皮のソファは低くうめいた。

夜が更けて電灯の無い国道16号線を車のライトと国道沿いの大型店のネオンが所々を照らす。きみは屋根が黒とオレンジ色のグレディーションに染まったチョコレート店にいる。注文をしたチョコレートケーキを持ってきた黒人男性の店員にきみは訊く。
「ここに、今野っていう女の人がいませんか」「ああ。はいはい。今野さんは今日、休みです。何かご用ですか」「いえ。いいんです。何も」「コーヒーに砂糖もミルクも入れずにピーチエッセンスだけを入れるのがぼく店員Bのおすすめですよお」

きみは店員を不思議そうに見て、ピーチエッセンスをコーヒーに注いで香りを嗅ぐ。そしてチョコケーキを頬張る。店は大勢のお客がチョコレート料理を注文して賑わっている。カウンター席と窓際にテーブル席があって、中央には大きなスペースがあいている。きみはカウンターに暫く座って殆どが黒人の店員や黒人のお客の流れを見ている。客席が埋まっているのに立ち見の人が中に大勢入ってくる。壁にはコートジボワールのカカオ栽培の模様が移され、EDMが流れると、フロアの中央で従業員が踊り出し、客の数人も一緒に踊り出す。

きみはまだお客や店員の中に206号室に引っ越してきた女性を見つけようと長い間店内にいて、居眠りをするようになるとようやく店を出る。きみが乗る自転車にはライトがついていない。電灯の無い道でもきみは全力でペダルを漕ぎ、車や人にぶつかりそうになりながら家に着く。

部屋に倒れたままの冷蔵庫を起こし、電源を入れるが電気が入らない。きみは散らかっている部屋を掃除し、シャワーを浴びて着替えてから鏡で自分の姿をよく確認する。コーヒーを淹れ、冷蔵庫に入っていたピーチエッセンスをコーヒーに入れて飲む。それから冷蔵庫メーカーのサービスセンターへ電話をかける。

「冷蔵庫の修理について連絡があります。まったく電源が入らないんです。はい。わたしが冷蔵庫をとっても激しく床へ倒したのが原因だと思います。」きみは、緊張し始めて深呼吸をしてからこう言う。「それでは、なぜ冷蔵庫をとっても激しく倒してしまったのかを説明します。一緒に住んでいる彼女が消えてしまったのです。服も靴も持ち物全て残して。彼女だけが消えました。そして冷蔵庫に貼ってあった彼女の写真が見当たらなくて、冷蔵庫の下を探そうとしました。彼女の名前は珠美っていいます。足の指がとても長いんです。そして、冷蔵庫の下がよく見えないので冷蔵庫をとっても激しく倒してしまいました。ああ、床も傷つけてしまいました。ぼくたちは喧嘩もしたことがありません。どうして彼女がいなくなったのか、わからないのです。どうして戻らないんですか。でも次の日に隣の家に彼女にそっくりな人が引越ししてきました。髪の毛が青いことだけが違う女性です。たぶんぼくのジャージを着ています。それから警察と珠美の勤め先の軍隊の駐屯所に行ったら、双子の女性と再会しました。だから珠美と隣の人も双子だと思うのです。あなたもそう思いませんか?駐屯所の軍曹が珠美を探してくれると言ってくれました。その軍曹の顔に血しぶきがついていました。でも気を遣って、なぜ血がついていたのか聞けませんでした。最後に隣の人が勤めているチョコレート店へ行ったけど。今日は隣の人に会えませんでした」きみは黙って受話器に耳をすます。音楽が聞こえる。そして大声で言う。「え?あなたも今、その店にいるんですか?そこはサービスセンターじゃなくて、チョコレート店でしょ。だって、あの店の音楽が聞こえる。」「何のことを言ってます?」電話の声は言う。「ぼくを騙すな!」きみは、受話器を激しく置く。まだ、あのチョコレート店で流れていたコートジボワールのEDMが聞こえる。
きみは耳を済まし、となりの部屋の壁に耳をあてる。音楽はとなりの家から流れている。きみは幸せそうにそのまま眠ってしまった。

きみは夢を見るときは必ずそれが夢だとわかる。きみは夢の中で干潟に向かって自転車を漕いでいる。干潟は降り続ける雪が白い氷砂糖が撒かれたように積もり始めている。干潟の真ん中には、駐屯所できみが座ったカッシーナの革張り椅子が置かれている。その椅子に軍の制服を着た珠美が座っている。隣に軍曹が現れると珠美の顔を思い切り殴る。何度も目を殴ると血しぶきが軍曹の顔に飛ぶ。珠美は全く動くことがなく両目はすでに潰れている。そこへ電話がかかってくる。電話を取ると、受話器から聞こえる声はきみの声だ。「冷蔵庫の修理について連絡があります。まったく電源が入らなくなったのです」ときみがサービスセンターへかけている声がする。周りでコートジボワールの音楽がしてダンスを踊る人々。きみは自転車を降りて干潟に向かって歩き出し、軍曹に大声で言う。「え?あなたも今、その店にいるんですか?そこはサービスセンターじゃなくて、チョコレート店でしょ。だって、あの店の音楽が聞こえる」駐屯所にいた歩哨がスポットライトが照らす干潟の真ん中で電話を持って言う。「何のことを言ってます?」「ぼくを騙すな!」すると、音楽が止み、踊りも止まる。人々は軍曹からスコップを受け取り、干潟に穴を掘りだす。そして、深く掘った穴に珠美を放り投げて埋める。軍曹は振り返ってきみをしっかり見て言う。
命に至る門は狭く、その道は細い。ここに絶対近づくな

 きみはいつものようにベッドの上で目を覚ます。ベッドから見えるベランダには珠美のパンツが干したままだ。きみは今日も仕事を休むと会社へ連絡を入れる。洋服タンスから珠美が着ていた服を並べる。他にも珠美の靴、バッグとその中身を全て出す。持ち物全てを集めて並べてもベッドに置ける数だ。きみは、そこからジーンズを履きラグランスリーブのシャツを着る。シャツにはシロクマの絵と「シロクマは勘定に入れません」のロゴがプリントされていた。彼女の服を殆ど着込み、手袋をつけ鞄を肩にかける。隣の家の扉が閉まる音が聞こえると、きみも慌てて家を出る。

降り続けている雪が積もり始めている。街は西側に海が広がり。海沿いに海浜公園と自転車道が走る。街の中央は大きな干潟がある。干潟の南側が同じ作りの五階建ての団地が並ぶ。北側にチョコレート工場がある。西側一体が大きな森になり、その森の中にこの国の軍隊の駐屯所があった。さらに西側には国道16号が走り、スーパー、郊外チェーン店の外食店、洋服店、ゲームセンター、中古車店が、両脇に並んでいた。この日は朝から雪はどの店にもどの道にもどんな人の頭にも、おそらく均等に降り積もっていた。

きみは雪が強く降り注いでいる中、チョコレート店の駐車場から、店で働く隣に住む青い髪の今野さんの姿を追う。じっと駐車場から窓越しに中を見ているきみを店内の客が不審がる。きみは仕方なく隣のゲームセンターに入る。広いゲームセンターでは、丁度音ゲーの場所がチョコレート店の厨房のコーナー窓と接していた。アーケード版「パラッパラッパー」の隣の窓からはよく厨房とフロアを出入りする青い髪の今野さんの姿が見える。今野さんは黒人が多い厨房とフロアの人と笑顔で接しながら働いていた。アーケード版の「パラッパラッパー」は正確にキーを押したりステップを踏むだけで無く、どれだけ独創的なリズムを創れるかが評価されるゲームだった。きみは半日「パラッパラッパー」をプレイし続けると店内の歴代記録を作る。店内にファンファーレが響く中、一日券無料プレイ券を受け取った。

夕方になって、チョコレート店から今野さんの仕事が終わると、きみもゲームセンターを後にして、そっと今野さんのあとを自転車で追う。帰り道のスーパーも薬屋も、そっと後を追いかけ何を買ったのかきみは懸命にメモをする。雪が積もった道をきみは自転車を手で押して家に帰る。家から連絡場所を聞いていた駐屯所の軍曹へ電話をすると、軍曹は軍隊を退職したと聞かされ、警察にいた妹の警部補に連絡をとると、やはり本日で退職をしていた。きみは今晩も珠美の長い足の指を思い出す。そしてきっとこれからも毎日そうやって自分は彼女の足の指を思いながら眠りにつくのだろうと確信する。

翌日の朝きみは朝早く起きる。雪は止み、まだ暗闇に覆われている窓に雪の日にも干したままだった珠美のパンツが見える。きみは裸足のままベランダに出て冬の空気を思い切り吸い込んでから、珠美のパンツを洗濯バサミから外して両手で包み込む。力を入れてパンツを挟んでいると次第に空に紫色が混ざってくる。鼻水が流れ出して唇を伝わって口の中に入った。

朝早くきみは自転車で国道沿いのホームセンターに向かい、6時の開店と同時にスコップと長靴と軍手と挽き立てのコーヒーを買う。リュックに買い物を入れて片手でコーヒーを飲みながら全力で自転車を漕ぐ。きみは干潟に着くと長靴に履き替え軍手をつけ、「パラッパラッパー」を歌いながらスコップを引きずって、夢の中で見たソファが置かれていた場所を掘り出す。「キック パンチ ソーオールンザマイン イフワナテスミー アムシュユファイン」とイヤフォンからの音楽に合わせ、声を出しながらリズムよくスコップで掘り始める。「ワーイソウグー アイドンルーマニソースチュデントライキュー ワイ! ソウ! アチャー!!」自転車道から誰かが何かを叫んでいるのが見える。きみは掘るのを止めない。懸命に2メートル四方の穴を掘り進めて膝辺りまで掘る。穴の中は水が滲みこんでしまい、掘っても水が溜まるだけで上手く掘れない。軍隊バイクに乗って駐屯所にいた歩哨兵がやってくる。

「こんな所でなにをやってるんですか」
きみは答える。「何かが出てくるはずだったんだ」
「水と土だけですよ」
きみは疲れて、息も荒くなっている。「おかしいでしょ。珠美がいなくなって。探すと言ってくれた軍曹までいなくなって」
「こんな所を掘っても仕方ないですよ」

きみは、何も答えられずに濡れた地面に崩れ落ちてしまう。歩哨兵はきみを抱きかかえる。きみが立ち上がっても暫く歩哨兵はきみを抱きしめていた。雪は止んでいたが、シロチドリの群れがきみたちの周りに舞い降りる。歩哨兵はきみが掘った土の中に壊れたおもちゃの兵隊を見つけるが、そっと足で水たまりになった穴の中に落とす。きみは気づかずにただそのまま彼の制服に抱かれている。そして彼の方に腕を回して抱き返しながら彼の制服からカカオの匂いがすることに気づいた。

それから、冬の間ずっときみは仕事を休みゲームセンターと隣の206号の人、今野さんのあとを追う。ゲームセンターのパラッパラッパーは更に上達する。国内でも何度か一位になるころには後ろに多くの黒人ギャラリーが並ぶようになった。きみはよくゲームセンターで「パラッパラッパー」で最高点を更新してから、ギャラリーと一緒に隣のチョコレート店に入る。チョコレート店ではきみは今野さんの姿を追う。今野さんも店でデルタブルースが流れると店員と一緒に裸足で踊る。そして今野さんも足の指が長く、よく足中指と薬指の第二関節を持ち上げるようにして床を強く踏んでいた。

ある冬の最後の朝、きみは干潟で雲一つ無い青空を見ている。動く物ひとつない空の青と森の緑の境目をじっと見つる。すると突然、森から小さな白いが点がはじけるように飛び出した。たくさんの渡り鳥シロチドリたちだ。鳥は干潟の上を何度か旋回してから海へ向かって飛び立っていった。

春になってもきみは今野さんのあとをそっと追いかけている。きみは双眼鏡装備の眼鏡で、本屋、レンタルレコード店、レンタルビデオ店で今野さんの手にした同じ物を知ると自分でも手に取る。食べる物から着る物から交友関係までを知ることになる。音ゲーのパラッパラッパーでは日本代表として世界大会に出場する。64台のマシンがスタジアムに並べられ、勝ち抜き戦が開催されてきみは準優勝で賞金360万円を獲得する。仕事を辞めてあと一年は隣の人を追いかけながら珠美をさがすことにする。そして今日もきみはチョコレート店にいた。

今野さんはカウンターでチョコレートコーヒーを淹れている。今野さんが引っ越して来てから3ヶ月と1週間が経って、初めてきみは今野さんに店の中で話しかける。
「隣の206号の今野さんですよね」
「ああ。隣の」今野さんは、きみの前にカップをきちんと置いてから笑った。「わたし、ど近視なんで」
「はい」
「二人で今野さんと呼び合うのは変だから、わたしは今野氏って呼びますよ」きみは、やはり珠美の声を思い出している。
「はい」きみはカップを受け取ると、隅の席へ持って行き、そっと今野さんを見てはメモを取る。そこには今野さんの読む本、聴く音楽、見る映画のリストから仕事のスケジュール、口癖が書かれている。そしてきみは今の今野さんの話し声の録音を何度も再生している。

夏になると今野さんは毎朝ジョギングを始める。きみは自転車でタイムを計りながらそっと離れた所から見守って走る。隣の部屋から運動をしている音が聞こえると、その運動を想像してきみは自重トレーニングを始める。きみは隣の人今野さんの集めた情報から想像した今野さんが書くSNSを始める。次第に「いいね」をもらう回数も増えてくる。きみは偶然を装いながら、ジョギング中の今野さんに会い、挨拶を交わす。チョコレート店でも毎日のように会話を交わすようになるが、今野さんの好みをよく知っているので、今野さんから好みが合うと思われる。次第にきみは現実の今野さんを追いかけるより、毎日自分が書く今野さんの生活をネットの上で創っていくことに時間をかけるようになる。きみはそうやって自分の創るSNSと繋がっている世界で珠美を必死に探す。きみは自分の投稿にコメントにあったURLをクリックする。この街に広がる干潟が映る。そこの写真の一枚は干潟の中に円を描くようにして古く汚れた杭が12本刺さっている。

5.きみは12本の杭で囲まれた干潟の中にいる。
きみの背と同じくらいの杭の一本にはシロクマの首が刺さっている。その反対側だけに杭の隙間から道が見えて、森の方向へぬかるんでいない道が出来ている。

きみは隙間が見える道を選んで通る→6へ進む
 
きみはシロクマの首を杭から取り外す→7へ進む
 
きみはポケットを探ると中に入っていたオカリナを取り出す→8へ進む

6.干潟の上にある道は砂漠の砂のように乾いている。
きみは道にしゃがみこんで砂をつかむと黄金色の砂はさらさらときみの指から落ちる。きみが顔を上げると、そこは砂漠の中だった。波がうねるような形の砂丘が広がる。遠くに小さな建造物のような物が見えて、きみはそこに近づく。体力を1削られて→5へ進む

7.シロクマは首が取られたことに気づかなかったのかもしれない穏やかな顔できみを見つめる。
ただ首を取り外すときに杭に毒が塗られていたため、きみは指の先が痺れ、次第に体が動かせなくなって倒れる。

そこは大きな会議室だった。会議室の丸いテーブルに向かって座っている十数人の参加者はみな女性だった。壁の一面のスクリーンには暗闇での戦争シーンが写されていた。その沼地にいて傷だらけのヘルメットに腰を下ろしているのはきみだ。きみの軍服は沼地の泥と血で汚れているが、目は爛々と輝いている。誰かが突撃という声をあげるときみは「死に至る病」と書かれたヘルメットを被る。大勢の兵士と一緒に銃を持って走り出す。上空に現れた無数のドローンから容易に狙い撃ちされて倒れていった。ただ映像では地形も銃器もリアルな映像であったが、生物はみな平面で描かれていた。殆どの兵士が撃たれて倒れる中、地面が震動して隆起する。隆起した場所から幾つもの光の線が放たれると、上空のドローンは燃え上がって墜落する。雑音混じりの交線から「206号、敵迎撃部隊を撃滅。任務完了。本体へ帰投」という声が聞こえて画面が終了する。

会議室に明りが灯り、肩や胸に多くの階級章をつけた様々な肌色をした女性軍人たちが話す。「なんかさ、人間がペラペラなのが慣れないよ」「現状での技術では人をリアルに映像化するには相当困難があり、」「なんかゲームにあるよね、こういうの」「パラッパラッパー」「そうそう、パラッパラッパーやりてえ」「凡その現況は、理解いただけたと思いますが」「いつもと同じだろ。多くの軍人が死に一人の兵士が敵を殲滅した」「残念なことに」「どうしても彼の地へ兵器は送れないのか」「兵士一人を裸で送る以外は」
「くそっ。銃も服も用意されているというのは」白髪の年老いた大佐が机を叩く。「われわれはくそったれな奴らの玩具なのか」言葉を発する者はいなくなる。
髪の毛を青く染めた兵士が紙にサインをしながら言う。「大佐、わたしは時々思うのですけど」顔をあげた兵士はきみの隣人今野さんだ。「われわれの世界は本当に現実なのだろうかと」
「今野曹長、わたしは50年生きて結婚を3回して子供を3人産んで数え切れないくらいのセックスをして、毎朝柴犬と散歩して夜には酒と肉とチョコレートを体に放り込んでいる。これが現実で無いのか?」会議室には気を遣った笑いが起きる。「これが現実で無くてもわたしは全く構わない。しかし、今野曹長」大佐が服の裾を気にしながら立ち上がると、出席者もみな立ち上がる。「わたしは、あなたの偉大な勇気と行動力に敬意を表します」出席者はみな今野曹長へ敬礼をする。→10へ進む

8.きみはオカリナを強くふく。
アマリリスのメロディを思い出しながら吹いてみると、最後まで吹き通せた。すると森の奥からアオサギが何羽かやってきて、きみの手足を掴まれて運び上げられる。体力を2削られて→9へ進む(ここで体力が0になれば終了)

9.円を描くようにして古く汚れた杭が12本刺さっている。
きみはその杭で囲まれた干潟の中にいる。きみの背と同じくらいの杭の一本には黒羊の首が刺さっている。その反対側だけに杭の隙間から道が見えて、森の方向へぬかるんでいない道が出来ている。

きみは黒山羊の首を杭から取り外す→6へ進む
 
きみはポケットを探ると中に入っていたオカリナを取り出す→8へ進む

10.枯れ葉が自転車道を何重にも覆う秋。
人や自転車が通る度に枯れ葉たちは軽いリズムで歌い出す。今野さんは毎朝ジョギングを続けていた。きみは先周りをして今野さんに偶然を装って出会いながら、話しかける。干潟沿いの自転車道の片側の森はブナとミズナラが森を赤と黄色のジャガード柄のセータのように

「今野さん、おはよう」きみは方向を変えて今野さんと一緒に来た道を併走する。
「おはよう、今野氏」今野さんは耳あてをして走っている。
「突然ですが。今野さんって。姉妹がいません?」
「いるいる。双子の弟。何故知っているか」
「え?」きみは、驚いて止まってしまう。
「どうした?」急に立ち止まるきみにつられて、今野さんも立ち止まって振り返る。
「今野さんにすごく似ている人を知っていたので。もしかしたらって」
「そっか。今野氏、よく店に来てくれてありがとう。でも、今日がお店の最後の日だ」
「店、やめるの?」
「そう。結婚して。明日引っ越すよ。時間があったら、うちのチョコレート食べに来るがいいよ」今野さんは、小さな笑顔を作って言う。きみは信じられないという表情を作りながら、最近はリアル今野さんの後を追いかけなくなったことを強く悔やむ。
「わたし、外が寒いとすぐ耳が痛くなるの」そして真っ白な耳あてを外して言った。「最近は変な音が聞こえて、まるで耳の中から音がするみたいなんだ」
「え。どういう音が?」
「じゃあ今野氏。わたしの音を聴くがいいよ」

今野さんは髪をかき分けて耳を出した。そして耳をきみのほうへ突き出す。きみは自分の耳を今野さんの耳にあてる。今野さんの耳は本当に氷のように冷たい。きみは神経を集中する。きみは自分の左耳を今野さんの右耳にぴたりとくっつける。すると最初は少し高いキーンという音がして、ときおりボムボムと小さな花火の音が聞こえる。そしてまた音は止んで静かになる。しかしきみは耳を離さず、二人はずっとそのままの姿勢でいる。腹がオレンジ色の渡り鳥が干潟の上を何度も低く旋回しているのをきみと今野さんはずっと見ていた。

家に帰ると一枚の封書が届いている。封書は近くの動物病院からで、中には珠美の飼っていた猫の写真入り誕生日カードと小さな猫のカリカリが入っている。誕生日カードは猫の久太郎を抱く珠美が満面の笑顔で写っている。久太郎も彼なりに笑っているように見える。カードには「久太郎ちゃん、10歳おめでとう。いつまでも元気で」と書かれている。きみはバースディカードを冷蔵庫に磁石で貼り、カリカリをポケットに入れた。

きみは珠美として書いているSNSを開いて珠美の日記をこう書いている。
「そしてわたしはついに彼と結婚をしてしまい、新しい街で暮らすことになったのだ」
きみ宛てにメッセージが届いているのに気づき、添付されたURLを開く。この街に広がる干潟が映る。そこの写真の一枚は干潟の中に円を描くようにして古く汚れた杭が12本刺さっている。

11.きみは12本の杭で囲まれた干潟の中にいる。
きみの背と同じくらいの杭の一本には黒猫の首が刺さっている。その反対側だけに杭の隙間から道が見えて、森の方向へぬかるんでいない道が出来ている。

きみは隙間が見える道を選んで通る→12へ進む
 
きみは猫の首を杭から取り外す→13へ進む
 
きみはポケットを探ると中に入っていたオカリナを取り出す→14へ進む

12.ぬかるんだ道を進むと、青い服を着た太ったノームが道をふさいでいます。

「まだ来るのが早すぎるよ。それともおれの歌の評判を聞いてやってきたのか?でも、だめだ。今日は少し食べすぎだから、まだ歌えないな」と言ってあなたを追い返します。体力を1削られて→11へ進む

13.黒猫は首が取られたことに気づかなかったのかもしれない穏やかな顔できみを見つめる。
ただ首を取り外すときに杭に毒が塗られていたため、きみは指の先が痺れ、次第に体が動かせなくなって倒れる。体力を2削られて→15へ進む

🌜

14.そこは大きな会議室だった。
会議室の丸いテーブルに向かって座っている十数人の参加者はみな男性だ。壁の一面のスクリーンには暗闇での戦争シーンが写されていた。沼地には無数の兵士が銃を持って行進している。砲撃が開始されると、確実に兵士の体を突き刺していく。どれだけ兵士が動き回っても、ロックオンされると、砲弾から逃げることはできない。砲弾は生物と接触と同時に微粉末化し、空中ですぐさま酸素と結合して激しく燃焼する。命中した兵士だけでなく、傍にいた者や物質も燃え上がらせる。沼地のいたるところで炎があがり、次第に動く者はいなくなる。急に沼地の中央部が盛り上がり、四つ足の生物が現れると、空中砲撃していた無人機が薙ぎ払われるように落ちていき、撮影も衝撃音とともに途絶える。一斉に「はあ」というため息が漏れる。会議室の明かりがともる。

「あー、やっぱりあれには勝てないのかよ」「こちらの銃が敵兵士を逃さないように、あれもわれわれ無人機を容易にロックオンする技術があるようです」「そろそろ勝ってもいいんじゃない」「既に新型機が準備できています」「しかし、こんな小さな場所にこだわらなくとも。どうせこの惑星には生物は残っていないのですから」「いいか。ゲームを楽しむには二種類のタイプしかない。いつも簡単な方法で勝つのが好きな奴と、いつも難しい敵をさがして戦うのが好きな奴。俺はこういう敵と戦うのが好きなんだ。なあ。プレイヤーも上達してきただろ」「実は一度戦ったプレイヤーは二度と操縦出来なくなっています」「何だそれ。初めて聞くぞ」「初めて話しますので。おまけに、あいつが作った干潟の街から、こちらに侵入しようとしている者がいるようです」「ようです。じゃないだろ。ありえないだろ。あいつがひとりで創っている街だろ。仮想の世界からどうやって。なあ」会議室に気を使った笑いが起きる。「いずれにしろ、次でこのゲームは終わることになっています」→15に進む

🌝

15.きみは夕暮れのベランダに立っている。
その先に何かを見つけようと海の彼方を見つめている。となりのベランダにはパンツが一枚だけ干してある。きみは今日も珠美の残した服を着て出かける支度を始める。

チョコレート店へ入る前にゲームセンターを見ると、もうパラッパラッパーのゲーム機は置いていない。ダンシマシーンやシューティングのゲーム機が並び、店内は老人たちが夢中になって遊んでいる。

チョコレート店では今野さんの最後の日ということを知って大勢で賑わう。すでに中央ではブルージーな曲で大勢の人が踊っている。ときに音楽と合わせて歌い、手を叩き、裸足で床を強く叩いて踊り続ける。スクリーンには、戦争の動画、家族の動画、戦争の動画、子供たちの笑顔、戦争の動画、恋人たちの散歩、戦争の動画、動物の子供と、戦争動画と幸せな風景が交互に映写されている。「知ってる?」きみは知らない人から話しかけられる。「南米のカカオ農園で働く原住民をスペイン人が虐殺してから、部族ごと滅ぼす虐殺が始まったの」双子の男の子と女の子が生まれる。「アステカ文明ではカカオは貨幣であり神様への唯一の貢ぎ物だったのだけどさ。カカオは発酵させて炒ると強烈なドラッグになるんだよ」戦争が起きて瞬く間に女の子以外誰もいなくなる。「戦場と宇宙で一番携帯される食糧はチョコレートなんだ。ジャングルで溶けないチョコレートを作るためにNASAがアポロ計画と同じくらいの費用をかけて溶けないし無重力でも食べやすいチョコレートを開発したんだ」白い人型カプセルの中に眠っているのはきみの知っている珠美だ。

「久しぶりですね」駐屯所にいた歩哨が挨拶をする。
「今そこのスクリーンに映ったのが珠美だった。あなたも知っているでしょ?」と、きみは必死にその歩哨の腕を掴んで訊こうとするが、歩哨は腕を振り払って人混みに混ざってしまう。
今野さんがきみの隣へやってくる。
「来てくれてありがとう。そしてわたしの仕事はいま終わったよ。最後にわたしと踊ってくれるかい?」
「できればそうしたいけど。ぼくは踊れないんだ」
「踊れる曲があるでしょ。ね。マイムマイム」
音楽が流れる。♪ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ/マイム・マイム・マイム・マイム/マイム・マイムベッサンソン♪
なんとかマイムマイムを踊り始める二人に、周りで見ていた者たちも手をつなぎ、大きな輪になってマイムマイムを踊る。マイム・マイム・マイム・マイム/ミィマイムベッサンソン/ヘイ・ヘイ・ヘイ・ヘイ/マイム・マイム・マイム・マイム/マイム・マイムベッサンソン

16.音楽が終わる。
皆は一斉にため息を出して踊りをやめる。

きみは隣で踊っていた今野さんの体を強く引いて抱きしめる→17へ進む
 
きみは隣で踊っていた今野さんの手を強く握る→18へ進む
 
きみは隣で踊っていた今野さんの手を放す。→19へ進む

17.今野さんは顔を見上げて言う。
「もしかしたら、今野氏はわたしと前にどこかで会ったことがある?」
「まあね。会ったことがあるよ。そして、ずっとさがしてた」
「どのくらい?」
「一日だけど。一日中探したら、今野さんが引っ越してきた。まだ探して続けているけど」きみは、今野さんへ言う。「まだ見つからないんだ」
「ごめん。わたしの記憶はリセットされてしまうの。その彼女はわたしだったのかもね。前のわたしはどんなだったの?」
きみは何を言うか考えてしまう。「足の指が長かったよ」
今野さんは少しだけ声を出して笑うと、きみから体を離す。
「もう遅くなったから、帰るとするよ。今野氏の隣の家まで送ってくれる?」
「もちろん」
「自転車でしょ。わたしが運転してあげる」
今野さんが漕ぐ自転車の後ろにきみは乗っている。国道を抜け、全く電灯の無い自転車道を二人乗りの自転車が走る。
「今野さんは、この街に来る前にどこにいたの?」自転車の後ろからきみは声を大きくして訊く。
「白いカプセルの中で眠ってた。」今野さんも自転車を漕ぎながら大きな声で答える。
「じゃあ、その前は?」
「戦ってた」
「誰と?」
「え?聞こえないよ。今野氏、わたしの部屋で本当に足の指が長いか見たくないかい?」
「え?聞こえないよ。そして、なんだか眠くなってきた」きみは、今野さんの背中に体を倒す。「今野さん」
「だめだよ。こんなところで眠ったら」今野さんは、さらに声を大きくする。「今野氏、起きてる?」
今野さんが、自分の腰に回っていたきみの腕に触ろうとするが、きみの腕は無かった。
灯りの無い干潟の自転車道を今野さんはきみの自転車に乗って全力で漕いでいた。
自転車が通っても道に積もった枯れ葉は音も立てなかった。遠くに見えたカカオ工場の灯りも消え、大きな工場も静かに消えた。ブナとミズナラの森も静かに消えていった。→20へ進む

18.きみは今野さんの手を握ったまま訊く。
「今野さんは、脚の下だけが黒靴下を履いているような白猫を知らない?」
「え?よく知っているともさ」今野さんは少し驚いて言う。
「あの部屋で猫、買ってたの?」
「あの部屋では飼ってないけど。別世界で一緒だから」
「ふえ?じゃあ」と、きみはポケットから猫のカリカリを取り出す。「今日が久太郎の誕生日だったから、動物病院から届いてた。今野さんの知っている猫にあげるよ」
「猫の名前、久太郎っていうんだ。いつも、猫の名前が何だろうと思っていたぞ。教えてくれてありがとうな」
「いや、同じ猫じゃないでしょ。絶対。もう帰らない?家まで送っていくよ」
「それではせっかくなので。玄関の前まで頼むとするよ」
きみが後ろに今野さんを乗せた自転車は国道を抜け、全く電灯の無い干潟沿いの自転車道を走る。
「今野氏は、わたしのことをよく後ろからつけていただろ」今野さんは後ろから声を大きくして言う。
「なんだ、気づいていたの」きみも大きな声で言う。
「今野氏は、前のわたしのことをよく知ってたのか?」
「まあね。結構知ってたよ。そして、ずっと探してた。そしたら、今野さんが隣に引っ越してきた。それでも探し続けてた」声を大きくしないで言う。「でも、まだ見つからない気もする」
「ごめん。わたしの記憶はリセットされてしまうの。前のわたしはどんなだったの?」
きみは何を言うか考えてしまう。「足の指が長かったよ」
「え?聞こえないよ。今野氏。これから、わたしの部屋でわたしの足の指がどれだけ長いか見たくない?」
「え?聞こえないよ。今野さん」
「ごめん。なんだか眠くなってきちゃった」今野さんは、小さな声で言う。「ほんとにごめん。もう行かないと」
きみは、自分の腰に回っていた今野さんの腕に触ろうとするが、もう今野さんの腕は無かった。
灯りの無い干潟の自転車道をきみは全力で漕いでいた。自転車が通っても道に積もった枯れ葉は音も立てなかった。遠くに見えたカカオ工場の灯りも消え、工場全体が静かに消えた。そしてブナとミズナラの森も静かに消えていった。
きみは干潟に向かって叫ぶ。「たまみ」何度も叫ぶ。「たまみ、たまみ、た」その声も消えていった。→20へ進む

19.わたしは言った。「今野氏、裸足になりなよ」
わたしがそういって自分も素早く靴を脱いだのを見ると、きみも慌てて靴を脱ぎだす。フロアにはジェイコブ・バンクスの不穏な甘いブルースが流れる。

「裸足で踊るのが大好きさ」わたしはきみの左手を持ち上げて右手できみの背中を抱く。
「今野氏に足を乗せていいかな?」と、答えを待たずに裸足の冷たい足をきみの足の甲に足を乗せる。
わたしの足の指はとても長い。ただ指の第二関節を高く持ち上げるので、なんとかきみの足の甲にわたしの足は乗る。
きみとわたしは、スローなブルースにゆっくりと体を動かす。
「ねえ。重いかい?」わたしは口にする。
「いまのところは」きみは答える。きみとわたしのくごもった笑い声だけが聞こえる。
「いつか、重くなるのかい?」
「今野さん、足の裏が冷たいよ」
「これ。気持ちいいな」
「なんだか」きみは何かを言いかける。
「ずっと」わたしは何かを言いかける。
「え?」きみは何かを訊こうとする。
「ずっと乗っていたいぞ。こいつに」わたしはそう告白した。
店から人がゆっくりと消えていく。灯りはゆっくりと暗くなり音楽とともに消え、店も車も国道も何もかもが消えて、最後にとうとう二人の笑い声も消えていった。

🌜

20.夜の沼の至る所で死体がうずたかく積まれている。
所々で、ロケット砲で燃焼した体や荷物が燃え上がっている。きみは、死体から取り出した挿弾子を機関部に滑りこませ、掴めるだけの手榴弾を戦闘具に挿入した。発煙弾が着弾して赤と黄色の煙が流れてくると、きみはすぐにカカオ工場の匂いを思い出す。すぐに大量の煙が自分の手元すら見えなくなるが、誰かが「もっと発煙弾を撃て」と叫んでいる。叫ぶ人間も発煙弾を放つ人間がいるのも不思議なくらい、回りで物音はしない。味方か敵か分からないところから照明弾が放たれ、夜の沼地が昼よりも明るく照らされる。白光を帯びた発煙の中から男がきみの肩を叩く。

「また会いましたね」駐屯所とチョコレート店で会った歩哨兵が無理に歯を出して笑顔を作って言う。男の腹はすでに穴が空き、深い裂け目から消化したチョコレートのような液体がこぼれ落ちていた。内臓が収縮し、カカオの匂いがひろがっていた。「こんな世界で。わたしたちは、どうして戦っているんですか」男が訊いた。「どうせ何もかも現実ではないのでしょ」
「きまっているじゃないか」きみはすぐ答える。「彼女がひとりで戦うのが寂しいからだろ」

男はもうきみの話を聞いていない。きみは息をつき、煙が濃くなる時を見計らって走り、死体を踏み越え、水の中に体を沈める。水筒の入ったベルトを外して水を飲む。きみは大量のユスリカに囲まれながら敵が動くのを待つ。発煙が薄くなると敵の無闇に放たれる曲射砲の音と光から狙撃兵の場所を特定する。きみは腹ばいになって沼地を進む。きみは手榴弾のハンドルをリリースし、狙撃兵の隠れる草むらへ正確に投擲する。手榴弾の爆発と同時にきみは立ち上がってカービン銃を撃ち込もうとしたところを、敵の一斉射撃に合う。右腕は銃を持ったまま吹き飛ばされ、浅い水瀬に仰向けに横たわる。体中に撃ち込まれた砲弾で体は裂け、血と泥水で黒く染まった軍服すら千切れていた。きみは敵兵がやってくる足音を微かに聞く。その時、沼地の中央部が沢山の死体と共にせり上がる。暗闇で二つの目が光ると、光線で敵を薙ぎ払っていく。きみはせりあがった箇所から裸で泥まみれのわたしが立ち上がるのを見て、ものすごく喜んでこう言う。「遅いんだよ。珠美」

わたしはこの沼地で生命在る者全てを焼き尽くす。わたしは泥と血と腐った死体で覆われた上半身だけを持ち上げて睥睨する。瞬時に大量の無人機が現れると、両手を沼地につけて、頭を少し後ろにそらしてから、目から出す光線で無人機を焼き払う。ただ、無人機から放たれた砲弾が肩と左目を貫く。さらに一台の無人機がわたしの顔を目がけて突撃してきたところを右腕で払おうとすると、無人機は自爆をしてわたしの右腕上腕が爆発する。わたしは畳んでいた両足を持ち上げ、四つ足歩行の形で敵に対峙して構える。数十台増えた無人機の背後に発煙の中から80メートルほどの巨人兵がゆっくり歩いてくる。巨人兵の目の部分は×印で縫われ鼻は短い象の鼻のように口まで垂れ口には歯が何重にも生えている。全身は黒い皮鎧を纏い頭部もフードで覆われ、右手にはロンの鎧を持っている。無人機は素早く左右に隊をなして分かれる。わたしの光線を避けた数台の無人機はわたしに向かって自爆を狙って突撃をしてくる。無人機に視線を泳がせてしまうと、巨人兵が槍を上向きに持ち替えたことに気づいた。と同時に巨大なロンの槍はわたしの右目を貫いて沼地に刺さった。わたしの右目と沼地の間の槍の木が振動するとわたしの脳を震わせる。わたしは意識が遠のく。巨人兵が近づいてくる。

ロンの槍が刺さった沼地の脇にきみは倒れている。きみは槍の先端に触れると体がゆっくりと巨大化していく。わたしが沼地から出てきたその裂け目から、また四つ足の動物が現れる。わたしと同じように目から光を出して無人機を攻撃して墜落させるが、巨人兵にはまったく効かない。四つ足動物は10メートルほどの大きさに巨大化した、猫の久太郎だろう。右後ろ脚を引きずった、脚の下だけが黒靴下を履いているような白猫だったが、体は腐りかけて皮膚や肉がむき出しになっている。わたしは久々に久太郎が現れたことがただ嬉しくて「久太郎」と目が貫かれたまま呟いた。

きみは巨大化していき、わたしと同じくらいの高さになると、ロンのやりを沼地から引き抜く。わたしも腕を後ろに回してロンの槍を目から引き抜いた。両目が潰れても、わたしはきみや久太郎の存在が見える。久太郎が尻尾を振ったのは、昔からものぐさな彼がわたしに呼ばれて振り向かずに尻尾だけで返事をするのだ。「はいはい、聞こえてますよ」という彼のサインだ。久太郎は何度も何度も尻尾を振り回しながら巨人兵に飛びかかる。しかし巨人兵は簡単に久太郎を掴むと胴体を引きちぎった。引きちぎった胴体の真ん中から巨人兵は久太郎を食らう。巨人兵は一気に久太郎を飲み込んだ。巨人兵はそのままわたしの方へ数歩歩く。すると巨人兵の胃袋の辺りが光り、破裂する。腹が裂けて、内蔵の中から久太郎の尻尾が振られているのが見える。巨人兵はそれでも避けた箇所を片手で押さえてわたしに向かってくる。きみはわたしの手にロンの槍を握らせてくれる。きみとわたしでその槍で心臓を突き刺した。まだ巨人化が進むきみは、巨人兵を槍ごと持ち上げて何度も沼地へ叩きつける。さらに巨人化していくきみは、足で巨人兵を踏み潰す。さらに巨人化していくきみは、頭が夜の雲より高くなる。さらに巨人化していくきみは、成層圏、熱圏も越え、地球の大気圏を越える。オレンジ色に染まった対流圏の上の熱圏では、オーロラが緩やかに動いている。その上部に広がる暗黒の宇宙に、太陽の日を反射している月を背にした宇宙船の存在をきみは見つける。きみは頭を後ろへ振りかぶってから月へ向かって吠えた。そしてゲームをしていた宇宙人を乗せた宇宙船が粉々に砕け散った。
 沼地の死体の上に雪がひとしく降り注ぎだした。雪も沼地のどこかに生命を持っている物を探そうと音も無く降り続いた。

21.きみは真っ白な壁の真ん中に置かれた白い人型睡眠カプセルだ。
わたしはその完全に緩やかな曲線だけで創られた美しいカプセルの中に横たわる。白いカプセルの上部にはただ206号とだけ書かれている。

「外はどうだった」きみはわたしに訊く。
「もう、寒くなってきたよ」わたしは答える。
カプセルの中でわたしは破壊された体を治療する。わたしが必要な時まで。きみに起こされるまで。わたしはここでいつまでも眠る。
命に至る門は狭く、その道は細い」すでに眠っているわたしに、きみはそっと言う。

🌝

22.きみは隣の引っ越しをしている音で目が覚める。
呼び鈴が鳴って扉を開けると、車椅子に乗った珠美にそっくりな女性がいて、恥ずかしそうな笑顔を作って挨拶をする。
「隣に引っ越してきました今野です」

🍫

 

 

 

文字数:23418

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